その日の天気予報は、騒がしかった。
やれ『今期最強の寒波』だとか、『最大限の警戒を』だとか、『備蓄の準備を』だとか。
確かにさっき外を見たら、雪が横方向に降っていた。けれど、それだけじゃないの、とも思ってしまった。
「はー……、明日にかけて、やっぱり結構大変みたいですねー」
先ほどまでぱくぱくと箸を動かし続けていたシェリーさんの手が、天気予報に入ってからというもの、ぴたりと止まっていた。そしてぽかんと口を開けて、寮に備え付けられているテレビ画面に見入っていた。
「…………別に、大騒ぎするようなもんでもねーですわよ、このくらい」
「いやいやハンナさん、こっちじゃ大問題なんですって。電車は止まるし、あっちこっちで車は事故起こしちゃうし、都会の雪は大変なんですよ?」
「……そう、なんですの?」
「まぁ、私も初めてなんですけど」
――貴女もなんじゃないの。
そう言いかけて、けれどわたくしの口からは、その言葉は出てこなかった。
テレビを見るシェリーさんの顔が、やけに真剣に見えたから。そしてわたくしに向ける顔が、どこかぎこちない、というか普段の笑顔とは少し違って見えたから。
天気予報は時間を延長して続いている。雪で停電したときのための対策を専門家が話し終えて、中継でアナウンサーが吹雪の中リポートをしている。シェリーさんは視線をテレビに戻して、手どころか顔の動きさえも止めて、じぃっと見つめている。
「…………」
シェリーさんと一緒に暮らすようになって、シェリーさんと学校の中だけじゃなく、それこそ四六時中ずっと一緒にいるようになって、シェリーさんのことが、これまで以上に分かるようになってきた。
言葉でのやりとりはいつも通りだけど、シェリーさんが見せていたまっすぐな眼差しは、シェリーさんが何かを考えているときの顔。
――わたくしの、こと。なんでしょうね。
なんとなく、そう、分かってしまった。
「ねぇ、ハンナさん」
ずっと見ていたせいで、視線を悟られてしまったのかもしれない。シェリーさんは何かに気づいたように顔をテレビ画面から、わたくしの方へと向けてくる。
いつもであれば、にやりとして、どこか憎たらしそうな顔をして『あれあれ? 私の顔に見とれてました?』だとか言うのだけれど、今日のシェリーさんは、まっすぐな眼差しの、まま。
「今日は、一緒に寝ませんか?」
そしていきなり、そう提案してきた。
こんな顔をするシェリーさんが言ってくるときは、大体何かの理由があるときで。
そんなことを言い出す理由だなんて、シェリーさんの反応が変わった瞬間からして、分かりきってる。
きっと、シェリーさんは……。わたくしのことが心配なんでしょうね、と思った。
――わたくし、別に寒いのが苦手じゃねーんですのよ。
前に、はっきりとそう言ったことがある気がする。でも、シェリーさんはそれでも、あれやこれやと別の理由を付けて、できる限りわたくしに寒い思いをさせまいとしてくる。
本心を別の理由で包み込んで伝えてくる――。そのシェリーさんの不器用な優しさを、わたくしは何度も何度も、受けてきた。
だから今回もきっと、そういうことなんでしょうね、と思う。
シェリーさんのその気持ちがお節介かと言えば、お節介かもしれない。過保護かと言われれば、過保護だと思う。
でも。だけど。
「――――――」
その気持ちは、嬉しいと思う。シェリーさんの優しさに触れるだけで、胸がぽかぽかと温かくなってくる。そんな人と一緒に過ごせるだけで、幸せに思える。
もうそれだけで、充分に思えた。
だって――。外を見たときに。そしてニュース映像の中で流れた雪で激変した街の様子に、ほんの少し過ぎった黒い物は、気がつけばもうどこかに行ってしまっているのだから。シェリーさんのその気持ちだけで、わたくしは充分に、もう充分に、救われているのだから。
「…………暖房を点ければ、いいのではなくて?」
――貴女のその気持ちで、わたくしはもう充分。だから、そこまでしなくても大丈夫ですわ。
シェリーさんの気持ちを受け取って、その上で、優しく返す。シェリーさんの気持ちを無下にしないように。シェリーさんを傷付けないように。シェリーさんの優しさを損なわないように。
「寒いと、眠りが浅くなります。そして眠りが浅くなったら、健康にもよくないです。今、インフルも流行ってるんですよ?」
「それは二人で寝る理由にはなりませんわ」
けれどシェリーさんは、引き下がってくる。
大元の理由は、わたくしのためなんでしょうね、と思う。
けれど、シェリーさんはその理由ではなく、包み込んだ外側の部分で攻めてくる。だから、なんとか、シェリーさんには穏便に引き下がって貰おうとするのだけれど。
毎回、なんとか、抵抗、しているのだけれど。
「暖める部屋をひとつにした方が、暖房費を節約できますよ。その余った分で、デートした時に甘い物を食べましょう」
――恥ずかしながら、わたくしはシェリーさんのお願いに、最後まで抵抗できた覚えがない。
シェリーさんの攻めは多彩で、緩急を交えてくる。押してきたと思ったら引いてくる。今度は甘味というわたくしの弱いところを攻めてきた。
もしここで頷こうもんなら、まるでわたくしが甘い物で釣られたと思われてしまいそう。だからもう少し、粘ってみる。
「わたくしは一人でも大丈夫ですわ。寒いのくらい、厚着して寝ればどってこたねーですわよ」
「この間一緒に寝た時、ハンナさん『あったかいですわね』って言ってたじゃないですか」
「それはそれ、これはこれ、ですわよ」
「じゃあ、私が、ハンナさんと一緒に寝たいんです。……それじゃダメですか?」
シェリーさんが上目遣いでじぃっと見つめてくる。迷子犬のような顔は、演技なのか素なのか、分からない。
分からないけど、それは、…………その顔は、ズルいと思う。
「シェリーさんは、どーしても、寝」
「はい。寝たいです」
被せてきた。言い切る前に言ってきた。
まっすぐに見て。はっきりと頷いて。
「どうしても?」
「もちろんです」
「部屋に入ってくるなと言っても?」
「その時はなんとかしてハンナさんの布団に潜り込みます」
ああ言えばこう言う。何を言っても返ってくる。シェリーさんが『やる』と決めたら、どうあってもやろうとするのが、この人で。
シェリーさんから提案を受けた時点で、結果はもう決まっていたのかも知れない。残ったのは、どう答えるか、というだけで。
だから、わたくしの答えは、決まって――――。
「はいはい。シェリーさんの好きにしろですわー」
「決まりですね!」
そうして。なし崩し的に、シェリーさんと同じ布団で寝ることになって。
わたくしの布団は、布団に入ってから布団の中が体温で温かくなるまで、しばらくの時間がかかる。
けれど、シェリーさんと一緒の布団に入るときはいつも。
「えへへ」
シェリーさんに抱きしめられる――抱き枕にされる、と言ってもいいと思う――せいで、すぐに温かくなるように感じる。
「………………」
確かに、今日は。
寒い思いをしなくて済みそうですわね、と、シェリーさんの機嫌のよさそうな鳴き声を聞いて、そう思った。
◇◇◇
ぱちりと、目が覚めた。
いつ眠ったのかは覚えていないけれど、目の前が真っ暗なことからすると、まだ夜なのかもしれない、と思った。
息を吸う。シェリーさんの匂いを感じる。
――ああ、シェリーさんと一緒に寝たんでしたっけ。そのおかげで寒さ知らずでしたけれ、ど……。
――あれ?
ふと、違和感。
目の前が真っ暗、だと思っていたけれど。顔に何かが触れている感覚もあって。
「…………」
それどころか、額に、とく、とく、と規則正しい振動を感じて。
「………………」
もし、かして?
顔を左右に動かしてみる。すりすりと、何かが擦れる感触。
鼻から息を吸う。シェリーさんの匂いが、より強く感じられる。
そのままでいると、額に、微かな振動。
――――なるほど。これは、もしかしなくても……。
背中には寝る前と変わらず、シェリーさんの手の感覚がある。シェリーさんが寝ているせいで手は固まったまま動かない。
身体をなんとか動かして、身体を頭の方向へとずりずりと動かして行って――。
布団から、頭が出た瞬間。
顔をひんやりとした冷気が撫でてきた。
外は、既に明るかった。窓から見える青みがかった白い光は、懐かしくもある、雪が降った日の朝の色。
「…………ぁ、」
雪かきをしなきゃ、とか、ご飯を作らなきゃ、とか、意識が少しだけ戻りそうになった。けれど、背中にあるシェリーさんの手の感覚のおかげで、わたくしは今の自分なのだと思い直す。
わたくしを先ほどから――おそらく寝る前からずっと――抱きしめ続けているシェリーさんはと言えば、口をだらしなく開けて、安らかな寝息を立てている。
「ハンナ、さん………………」
その口元が、更に横に広がるのが見えた。ずっとその顔を見ていても目を開けることはなくて、微かに呼ぶ声がしたのは、きっと寝言、なんだと思う。
――シェリーさんの夢の中に、どうやらわたくしが登場しているようですけれど……一体、どんな夢を見ているんでしょうね。
そんな魔法は存在しない。だから、想像するしかないのだけれど――。大好きな人が笑顔なのを見ると、少なくとも、悪い夢ではないのだと思う。わたくしではないわたくしが、散々見た悪夢のような、誰かを殺したり、誰かが死んだりする夢では、なさそう、で。
「…………そんなに、取って…………食べ、きれます、かぁ…………?」
――一体、夢の中のわたくしは何をしているんでしょうね。本当。
それでも夢の世界に旅立っているシェリーさんが、嬉しそうだから。楽しい夢を見ているのなら、起こすのも野暮なのでしょうね、と。そもそも、両手を巻き込まれている状態では手も動かせないのですけれど――。
シェリーさんの寝顔を眺めていること、少し。
その目が、突然ぱちりと開いた。
視点の定まらない目でじぃっと見つめられたあと、シェリーさんは何回か瞬きをして、そしてにへら、と表情を崩して見せた。
「ハンナさん、おはようございます」
「おは、ようございます。……シェリーさん、挨拶をする前に、離してくださいます?」
「え?」
シェリーさんは吐息が掛かるくらいの距離で、そう惚けてみせる。――いや、その反応を見ると、素なのかもしれないけれど。
「ああ、ハンナさんをぎゅーしてると気持ちよくて、つい」
「つい、じゃねーですわ。シェリーさんが離してくれなきゃ布団から出られませんわ」
見える範囲に時計はないけれど、きっと朝食を摂るには充分、いやむしろもう遅い時間なのかもしれない。
それなのに、シェリーさんはと言えば。
「んー」
何やら考えるような鳴き声を出して、まっすぐに見てくる。じぃっと見てくる。
「…………なん、ですの?」
見つめられ続けて、思わず聞いてしまう。そんなわたくしに、シェリーさんは――。
にんまりと、笑みを浮かべて。言う。
「ハンナさん、わがまま言っていいですか?」
ひそひそと囁くような声で。子どもが出すようないたずらを企んでいるような声で、シェリーさんが言う。間近に見る大好きな人のにんまりとした顔に、勝手に胸がうるさくなるのが分かる。
「内容に、よりますわね」
「私、布団から出たくありません。ハンナさんもいっ」
「却下」
即却下。そんなことしたら、わたくしの心がもちませんもの。
ただでさえ、目を覚ましてからずっと抱きしめられていて、二人分の体温の布団の温かさを感じて、胸が妙にうるさいのを感じていると言うのに。
「まだ全部言ってないですよぅ」
甘えるような声を出して、口を尖らせる。顔の変化が小学生そのもの。これがシェリーさんが素でやっているのか、それとも演技なのかはは、分からない。たぶん今のシェリーさんは、前者な気がする。たぶん。
「その先のことなんて聞くまでもねーですわよ」
「じゃあ変えます。ハンナさんをこのまま抱きしめてていいですか?」
「全然変わってないじゃないの……」
言う内容を変えただけ。むしろ悪化したまであるんじゃないかと思う。やることは結局のところ『布団で一緒にごろごろしてましょう』だ。
「あ、バレました?」
「わたくしを何だと思ってますの? そんな見え見えの罠にはひっかかりませんわ」
「残念です」
言葉ではそう言っておきながら、シェリーさんはわたくしの身体をよりぎゅっと抱きしめてくる。
きっと、『放してくださいまし』と言えば、すぐに放してくれるんだと思う。
でも、まだ、今は。
布団の中は二人分の体温のおかげで、湯たんぽや電気毛布を使ってないのに、ぽかぽかと温かい。この温かさをずっと感じていたいという、シェリーさんの気持ちも分からないでもない。
だから、わたくしは――。
「ま、今日くらいはいいでしょう。数年に一度の大寒波らしいですし」
シェリーさんの考えに同意することにした。
――今回は特別ですわよ。
ただ、流され続けるのもどうかと思うから、暗にそう言ったつもりなのだけれど――この人はそれに気づいているんでしょうか、と思う。
にへら、と表情を崩して、嬉しそうな顔をしたかと思ったら、急に鼻の頭に口づけをしてくるこの人は。
――たぶん、気づいてないんでしょうね。
わたくしが、この温もりを愛おしいと思うことも。
貴女のその気持ちのおかげで、救われているということも。
「シェリーさん」
「なんですか?」
わたくしを抱きしめながら、睫毛がくっつきそうなくらいの距離にいる、貴女に。
「…………あったかい、ですわね」
感謝の言葉は、口からは出なかったけれど。
何が嬉しいのか、楽しいのか。
笑みのままこつんとおでこをくっつけてきて。
抱きしめる手の力をほんの少し、強くしてきた。
寒波が襲来している日。シェリーちゃんとハンナちゃんには同じ布団で一緒に寝て、二人分の体温でぬくぬくとお昼過ぎまでごろごろしててほしい。
そんなお話です。