「はぁぁぁ……今日も疲れましたわ…………」
カフェのお仕事が終わり、ハンナさんと一緒に帰り道でスーパーに回り、値引きシールが貼られたお弁当を買って、一緒に寮へと帰って。
お弁当をリビングの机に置くや否や、ハンナさんは珍しくソファーに倒れ込むように座ります。「あー」だとか「はー」だとか、息を吐く音だけが寮の中に響いて聞こえました。
「ハンナさん、お弁当温めますね」
「お願いしますわー」
声をかけると、だるだるとした声が返ってきます。
ハンナさんは相当、お疲れのようでした。
――だってハンナさんが買ったのは、海鮮ちらし弁当。温めたら、それはもう大変なことになることが確定です。もちろん、言われたからと言って温めるようなことはしません。
私の分だけをレンジに入れて、温めボタンを押して。少しだけ考えます。
カフェのお仕事が始まってから、はや二週間と少し。
最初こそは、お仕事が終わってもハンナさんはご飯を作っていましたが、今はスーパーでお弁当を買って食べるようになりました。
リビングから戻ってハンナさんを見ると、ソファーに完全に背中を預けて、うだーっとしているのが見えます。あまりにも無防備だから、こっそりと近づいて、その空いたおでこにキスしてあげたくもなりましたが、今したところでハンナさんは余計に疲れるだけでしょうから、我慢、我慢。だからこんな時は、ハンナさんのサポートに徹します。……そうですね、前にハンナさんが作ってくれたように、即席のコーンスープを作ることにしましょう。
対のマグカップにコーンスープの元を入れて、お湯を注ぐだけ。このくらいなら私でもできます。
カップを持って部屋に入るも、ハンナさんの体勢はさっきとまったく変わらず。
そして私が入っても、ハンナさんが気づく様子はありませんでした。
「はい、ハンナさん」
「……あ、ごめんなさい、シェリーさん。ちょっとぼーっとしてて」
「いいんですよ。ハンナさんもお疲れでしょうから」
「すみません。家に帰ったら、どうにも気が抜けてしまって……」
それは暗に、私の前では気を抜いていいと思ってくれているということで。それがどこか嬉しくも思えました。今カップを持っていなければ、ハンナさんに抱きついている所です。
カップを渡して、私もハンナさんの隣に座ります。そしてすぐに、ハンナさんの肩が私に当たる感覚がありました。もたれ掛かってきているハンナさんに視線をやっても、思わずくすりと息が漏れても、ハンナさんはまったく恥ずかしがることもなく、怒ることもなく、そのまま。――本当に、お疲れのようです。
「ハンナさん、今日も、キッチンの方は大忙しでしたね」
「…………ええ、まぁ。それで言えば、シェリーさんの方もですわよ。ホールはおおわらわだったでしょう。アリサさんの声がキッチンの方まで聞こえて来ましたわよ」
「おや、聞こえてましたか。『橘ァ!』って」
「モノマネ似てませんわね。……何やらかしたんですの?」
「大したことはしてませんよー。少しばかり、お皿を多めに重ねてお片付けしただけで」
「……ちなみに、どのくらいですの?」
「両手に十枚ずつくらいでしょうか?」
――もちろん、落としたり割ったりしない自身はありましたが。アリサさんがすぐに駆けつけてくれて、半分持ってくれました。『危なっかしい』だとか『無理すんな』だとか言われました。どうしてでしょうね?
今もその答えは出ないのですが、ハンナさんが隣でため息を吐くのを見ると、多分私にだけ分かってない部分なんでしょう。これはいずれアリサさんに問い詰めなければいけません。
「シェリーさんに比べれば、わたくしは楽なもんですわ。わたくしは立って腕を動かしてるだけ、ですから」
だけ、にしてはお疲れのように見えますが、ということはひとまず置いておくことにします。
カフェは予約制ということもあって、常に席は満員御礼。ホールの私ですら目が回るくらいに忙しいのだから、ハンナさんはより大変なんでしょう、と思います。
増して――。
一緒にキッチンにいるのが、ゴクチョーさんと、レイアさん。私がキッチンに遊びに行くたびに、いくらシェリーちゃんでも中の空気が妙なのを感じます。
かと言って手伝いに行くのは厳禁らしく、入り口でハンナさんに声をかけて様子を見るのと、休憩時間になったらハンナさんを連れて休憩部屋でハンナさんのまかないご飯――これがすごくおいしい――を食べるのがせいぜい。
コーンスープを飲み終えるのと大体同時に、レンジから私のお弁当が温め終わる音が聞こえました。
「…………あっ」
今になってやっと、ハンナさんが犯したであろう過ちに気づいたようです。
「大丈夫ですよ、ハンナさんの分は冷蔵庫です。一緒に行きましょうか」
「…………すみません、シェリーさん」
「いえいえ」
本当にお疲れのようです。ご飯を食べ終わったら、ハンナさんをぎゅーしてあげましょう、と思いつつ、一緒にリビングへ。
一緒にご飯を食べて、そして順番でシャワーを浴びて。
ゆっくりできるのが家の中くらいなので、ハンナさんには残りの時間をゆっくりしてもらおうと、思ったのですが。
「さて、シェリーさん」
シャワーを終えた私を待ち受けていたのは、手帳とペンを持って私をまっすぐに見つめるハンナさんでした。
それまでの緩んだ、とろんとした目ではなく、真剣な目。
「シェリーさんは今日、日直でしたわよね?」
「はい」
「ええと、シェリーさんがよろしければ、ですが。今日一日シェリーさんが日直をやった上での、心づもりだとか、そこらへんをお伺いしたいんですの。……わたくしは、ずっとキッチンで料理を作ってばかりでしたし。回りに目を向けられるほど余裕もありませんでしたし……」
「あー、なるほどー」
「シェリーさんもお疲れのようなら――」
「あ、いえいえ、そっちではなく。ご心配なく!」
『も』と言ったことには追求しません。その代わりに、ハンナさんに向けて笑顔で親指を立てて、大丈夫のサインを送ります。
ハンナさんは、本当に真面目だなと改めて思います。
日直――つまり、回り番での、代表者の役割。今日が私で、明日がハンナさん。
ハンナさんがお疲れの理由は、きっと明日への不安だとか心配だとかもあったりするんでしょうか? とも思うのですが、ここで言ったりしたらきっといつものように怒られるでしょうから、ここは言わぬが花、というものでしょう。
「んー、日直と言っても、そこまで重要なものでもないですよ。ウェルカムボードに一言を書いて、朝の挨拶をして、皆さんにいつも通りお願いしますーと言って、あとはいい感じに休憩に入るようにお願いをするだけで」
「結構なものじゃないの……。……明日のわたくしは、回り番とはいえ、一日の代表ですから。与えられた役目を、きっちりとやりきりたいんですの。だから、シェリーさん。今日のシェリーさんの働きぶりを、初めから、最後まで、教えてくださいまし」
先ほどの疲れた顔とはうって変わって、真剣な顔になります。
どれだけ疲れていても、やりきる。それがハンナさんという人なのは、何回分もの人生の中で知ってはいますが、同じくらい、ハンナさん自身を大事にしてほしい、とも思います。
けれどそれは、ハンナさんの意志を無下にしちゃうことだから。ハンナさんがやりきろうとする気持ちを、曲げてしまうことになるから。
だから今の私ができることは、一つだけ。ハンナさんをしっかりと、支えてあげること。持ってあげることではなく、一緒に、隣に立ってあげること。
「分かりました。ハンナさんが満足するまで付き合います」
「ありがとうございます、シェリーさん。それでは、皆さんの役割についてですが――」
◇◇◇
そして翌日。通い慣れたカフェの店内。
全員が揃った後、日直の人が挨拶をして、一日のお仕事が始まります。
まだ集合時間の一時間も前。来ているのは、ほんの数人だけ。
なのにハンナさんは、もう最初の集合場所にいました。
ハンナさんは昨日作ったばかりの、たくさんのメモが書かれたメモ帳を手に持って、何度も見返しては、何度も深呼吸をするのが見えます。
不安――というよりも、緊張しているように見えました。
「ハンナさん」
「ぴっ――!?」
軽く小突くと、ハンナさんは文字通り飛び上がって驚くのが見えました。よっぽど緊張しているんでしょう。
「ちょ――――貴女、イタズラしないでくださいます!?」
「いやー、ハンナさんが珍しく緊張してるように見えたので、つい」
「つい、でイタズラされたらわたくしの身が持ちませんわよ……。…………緊張は、してますけど」
「なので、ハンナさんに」
そう言ってから。ハンナさんが動かないように肩に手を置いて。そしてそのまま、体をハンナさんの後ろに滑り込ませて。
後ろから抱きしめて、それから頭のてっぺんに、軽く口づけを。
「――――――――――~~~~~~ な――――――――――ッ」
さっきみたいに飛び上がられたら鼻にぶつかるな、と思いましたが、ハンナさんは思いのほか飛び上がることも動くこともありませんでした。というか、一切、動きませんでした。
それから、ものすごくぎこちない動きで私の方を振り向いて、目を大きく見開いて見つめてきます。
「ハグされたり、キスされたりすると、ストレスの値が下がるらしいんですよ。どうですか?」
「どうですか? じゃねーですわよこのノンデリゴリラ~~~~~~っ!!!」
ハンナさんの声は、思いのほか店内に響いてしまったらしく、外で掃除をしていたエマさんが飛び込んできました。そして私とハンナさんしかいないことに気づいて「ああ、いつものだね」と小さく言って、戻っていきます。
いつもの。
――あまり表立ってそういうことをやってる覚えはないんですけどね。
そう思っていると、隣から肘打ちが入りました。
それで緊張がほぐれたのか――は分かりませんが――ハンナさんはいつもの調子に戻って、日直のお仕事の最終チェックに入りました。時々私に確認が入るのが、ほんの少し嬉しかったりするので、ホールの方々には明日以降頑張る約束をして、ハンナさんにつきっきりになります。
◇◇◇
そして時間は過ぎて、午前九時。開店の一時間前。
今日の日直の人がみんなの前に立って、一日の挨拶をするのが通例だと、コックチョーさんが言っていました。昨日の私も例に漏れず、やりました。そして今日は、ハンナさんの番。
昨日、私が立ったところに、ハンナさんが立ちます。
先ほどの、緊張して小さく震えていた姿はどこへやら。真っ赤な顔はどこへやら。ハンナさんらしく、背筋を伸ばして、腰に手を当てて、凜々しい姿をしているのが見えました。
すぅっ、と、息を吸うのが見えました。ハンナさんと目が合って、笑みを見せると、ハンナさんも優しい笑みで返してくれました。
「みなさん、今日はわたくしが日直ですわ! テキパキ、働くのですわー!」
私ははっきりと、自信満々に、言い切るハンナさんを見て。
少しだけ、やりきった気持ちになりました。