シェリーさんとルームシェアをするようになって、一週間。
共同スペースになっているリビングで一緒に過ごして、二十二時を過ぎた辺りでどちらからともなく『寝ましょうか』と言い、それぞれの部屋へ向かうのがそれまでの流れ。
だった、のに。
扉を開けて、閉じたら、背後にシェリーさんが立っていた。軽くホラーかと思った。悲鳴を上げかけて止めたわたくしをほめてほしい。
「――――! な、んでこっち来やがんですの」
「えへ」
「えへ、じゃなく。っていうかなんで枕まで持ってきてんですの?」
――聞くまででもねーでしょうけど。
シェリーさんの様子を見て、シェリーさんがやりたいことが分からないわたくしじゃない。ルームシェアをする前だって、どちらかの寮にお泊まりをしたことだって両手の数じゃ数え切れないくらいあったし――大体シェリーさんが突然やってきて、のパターンだったけど――その時には大抵、最初は別々の布団で寝ていたのに、結局同じ布団に入って――大体はシェリーさんが入ってきた形だったけど――いたのが大半だった。
で、今。
枕を持って、じぃっとわたくしの方を見てくるシェリーさんは。
つまりは。
――一緒に寝ましょう、ハンナさん!
ということで。
「…………」
じぃっとその目を見る。『マジですの?』という言葉を、視線に込める。
当のシェリーさんはと言えば、枕を胸元まで上げて、にこにこ顔で頷く。ここで枕に『YES』とでも書かれてあれば、本当に漫画か何かなのだろうけれど、残念ながらシェリーさんの枕には何もなかった。そもそも、その枕は一緒にお買い物に行ったときに購入したお揃いのものなのだから、違いがあるわけもないし。
視線がかち合う。シェリーさんはにこにこ顔をそのままわたくしにずっと向け続ける。ずぅっと、向け続ける。
「…………」
じぃっとした目が、上目遣いの目が、わたくしをまっすぐに見る。そんな捨てられた犬みたいな顔をしないでほしい。シェリーさんに『お願い』されて、わたくしが最後まで抵抗できたことは、今までも、記憶の中でも、ない。
シェリーさんのお願いには、弱い自覚がある。色々と。その相手がシェリーさんだからだし、そしてそのお願いが、決して、わたくしに対して嫌な気持ちを抱かせる物じゃないと、この人も、そしてわたくしも、知っているから。
「あーもー勝手にしろー、ですわー」
だから結局。そう言うしかなくなるわけで――。
「はーい!」
シェリーさんはにこにこ顔をより深めて、わたくしがベッドに向かう後ろを付いてくる。そしてベッドに入ると、布団を上げるまでもなく、手招きするまでもなく、シェリーさんはベッドの中に軽々と侵入してきた。
ぐいぐいとわたくしを押して領地を拡大してくるシェリーさんに、「しゃーねーですわねぇ」だとか不承不承を装って一部領地を明け渡す。「えへ」と緩みきった声がしたと思ったら、更に領地拡大を目論んできた。
「ちょっと、せめーですわよ」
「私はちょうどいい感じですよ」
「貴女が無駄にでけーからですわよ」
「じゃあ私がハンナさんにもっとくっつけばいいですか?」
「んなこた言ってねーですわよ! 言った傍からくっついてくんなー! ですわ!」
「ハンナさんが狭いって言ったからじゃないですかー。私はなんも悪くないですしいい子してますよ。ぷんぷん」
怒ったような言葉のくせに、声はどこまで行っても面白がっていて、弾んでいて。その証拠に、言い終わった後にしっかりと吹き出している。全然怒ってもいねーじゃねーですの、と言いかけて、止めておく。この人は今更だから。
「ならいい子のシェリーさん、少し離れてくださる?」
「嫌です」
「いい子なら物わかりがいいフリくらいしなさいな!」
「反抗期ってやつですかねー」
「反抗期もへったくれもねーじゃねーですの貴女は!」
「私にだって反抗期くらいありますよー。大分前に」
「今じゃないなら関係ないじゃないの!!!」
寝る為にベッドに入ったはずなのに、本当にどうでもいいやり取りが繰り広げられる。ほんっとこの人は口が減らない。わたくしの気が休まらない。
けれどそんなシェリーさんのやり取りが、本当に、心の底から、楽しいって思う。
「…………ふふ。ああもう、貴女といるといつまでも寝られませんわ」
「じゃあ、寝ないでこのまま一緒に夜更かしします?」
――さっきはいい子を自称しませんでした?
そう突っ込んだらまた話が脱線しそうだったから、言わないことにする。
「やめときますわー。貴女とお話してたら、マジで際限無くなりそうですもの」
「私はハンナさんと一緒なら、ずっとおしゃべりできる自信ありますよ?」
「――――だから、そういうとこですわよ」
シェリーさんの方を向いていると変なことを口走ってしまいそうで、そもそも顔が熱くなって仕方が無くて、寝返りを打って壁の方を向く。
息を吐く。心臓がうるさくなっていることに、今はっきりと気づく。胸に手を当てて、ゆっくりと深呼吸。胸が落ち着くまで時間を――と思っていたら、布が擦れる音と共に、背中にシェリーさんが触れる感覚があった。
――温かい、ですわね。
背中に感じるシェリーさんの温度に、胸がぽかぽかとしてくるのと同時に布団の中も温かく感じられる。人の体温は温かいし、落ち着く、というのは、シェリーさんが教えてくれたこと。暖房を入れる必要も、全く無かった。
「…………せめーですわね」
何も言わないままなのは、なんかむずむずして、思わず口から出てしまった。
壁に向けて、小さく口にした筈なのに。シェリーさんにははっきりと聞こえてしまったようで。背後からくすりと吹き出すような吐息が聞こえた。
「ハンナさんが狭くないようにくっついてみました。どうです? さっきよりは広くなったでしょう」
「そのせいで身動きが取れませんわ」
「くっつけと言ったりくっつくなと言ったり、ハンナさんはわがままですねぇ」
「わたくしはそのどっちも言ってねーですわ。蹴り落としますわよ」
「やめてくださぁい」
面白おかしそうに言う。寝返りを打って見るまでもなく、シェリーさんは目を細めて嬉しそうなくすぐったそうな顔をしてるんだろうなと分かる。
もし、今シェリーさんを蹴ってベッドから落としたところで、どうせまたすぐに入ってくるだろうし。シェリーさんなら、わたくしが蹴ったところでびくともしないんだろうなと思う。というかそもそも恋人を蹴り出すなんてことはしたくないし。
――この人にはきっとお見通しなんでしょうね。
だなんてことを、頭に浮かべているうちに、シェリーさんの腕がお腹の前で組まれて、きゅっと力が入るのを感じた。背中にはシェリーさんの胸の感覚。背中とは違う、柔らかい感覚が、背中に押しつけられる。
「やっぱり、ハンナさんはあったかいですね」
その声も、耳元で囁かれるせいでより近く感じる。声質もどこか優しいものになっているせいで、心臓が急にうるさくなっていくのが分かる。
「…………人を湯たんぽ代わりにしないでくださいまし」
「じゃあハンナさんは、私を毛布代わりに思って下さい」
「よくしゃべる毛布ですわねー」
「次世代のシェリーちゃん型毛布です。褒めてください」
「おことわりですわー」
「えー? シェリーちゃん可愛い大好き偉いねすごいね天才って褒め」
「いいから寝ろー! ですわ!」
このまま話してたら、絶対に長続きして深夜になる。それどころかその前にわたくしの心臓がうるさく鳴りすぎて大変になる。
だから今度こそ、無理矢理話を打ち切って、寝ることにする。
「…………お話は、明日でもできますから」
「はぁい」
そのまま寝ても、きっとシェリーさんは変に思ったりしないんだろうと思う。
それでも、フォローを入れてしまうのは――わたくしの甘さなんでしょうね、と思う。もしかしたら、背後からしゅんとした空気を感じたからかもしれない。
返事の声と共に抱きしめる手に力が入ったことについては。気にしないことにした。
「おやすみなさい、ハンナさん」
こしょこしょと、静かな静かな、声がする。
寮が隣同士の時でも、何度も聞いた寝る前の挨拶。それが、今日は、やけに。
「…………おやすみなさい、ですわ。シェリーさん」
背中とお腹に感じるシェリーさんの温度のせいで、やけに、ドキドキした。
◇◇◇
「――――ん、」
ぱちりと、目を覚ました。目の前には壁。外の様子は見えないけれど、真っ暗でないことを見ると、少なくとも日は昇っているんだろうと思う。
身体を動かそうとして、何かに邪魔されて動かせないことに気づく。
それと同時に感じたのは、背中と、お腹に感じる、温かさと、柔らかさ。
――ああ。シェリーさんと一緒に寝たんでしたっけ。
昨日の記憶が少しずつ浮かんでくる。寝る宣言をして、結局シェリーさんに後ろから抱きしめられたり話しかけられたり、お腹を撫でられたり後頭部に頭を載せられたりキスされたりと、結局――分かってたと言われたらその通りだけど――寝るまでに結構な時間がかかった気がする。いつ眠りに付いたのか覚えてない。
それを後悔してるかと言われたら、全然そんなことはないし。シェリーさんといちゃいちゃして嫌だったことなんて一度たりともない。だから今感じるのは、落ち着いた気持ちと、あったかさ、だけ。
今日は休みの日。そして朝早く起きて掃除をしたりと家事をする必要は、今のところはない。だから、ゆっくりすることもできるし、起きてゆっくりと二人分の朝ご飯を作ることだってできる。
「…………すぅ……」
頭の後ろから聞こえてくるのは、シェリーさんの静かな寝息。それと微かに感じる、鼻息。
シェリーさんのおねぼうさんっぷりは今日も健在らしい。
そしてお腹の前でがっちりと手を組まれているおかげで、シェリーさんが起きなければ、わたくしも身体を起こすこともできない状態。
ならば――。
「…………もう少し、寝ましょうか」
誰にでもなく呟いて。お腹に回されている手を静かに撫でる。
――すべすべしてますわね。
シェリーさんの手は、わたくしを何度も助けてくれた手は、わたくしの手とは違って、繊細でなめらかで、そして、頼もしく感じた。
◇◇◇
最初に感じたのは、ハンナさんの匂いでした。
うっすらと目を開けて見えたのは、ハンナさんの綺麗な金色の髪色。
――ああ、ハンナさんと一緒に寝たんでしたっけ。
深呼吸と共にハンナさんの匂いをより大きく感じつつ、それからぱっちりと目を開きます。
私の頭は、ハンナさんの後頭部にくっついてました。頭を動かすと、さらさらとした感触がおでこに伝わってきて、それと同時に、シャンプーの匂いも漂ってきます。
――落ち着きますね。
胸の中に、安らぎがじわじわと溜まっていくのが分かります。温かさと、ハンナさんへの愛おしさも同時に、じわじわ。
私の体の中にハンナさんが満ちていくのが分かります。大きく深呼吸。ハンナさんの優しい匂いを感じて、勝手に笑みが浮かぶのが分かります。
ハンナさんが起きていたら、ここらへんでぷるぷると震え始めるか、もしくは『……シェリーさん?』と少し湿り気のある声が聞こえてくるところでしょうけれど、今のところはどちらでもありません。ハンナさんはまだおねむのようです。……昨日、結構いちゃいちゃしてましたからね。でもハンナさんに体力を使わせたりはしてないので、すぐの起きるのでしょうと思います。
そして、起き上がって、私と顔を合わせて、優しげな顔で微笑んで――、と、朝の光景を思い浮かべて、ふと私の手がハンナさんの身体をがっちりとホールド中なのに気づきました。なんだか当たり前すぎて、意識の外だったようです。
――わたくしを抱き枕にすんじゃねーですわ!
ハンナさんの声が聞こえてきそうだなと思えて、思わず笑いがこみ上げてきそうになります。だってハンナさんの身体、柔らかくて温かくて気持ちがいいんですよ。――だなんて言ったらハンナさんが本気で怒るでしょうから、言いません。思うだけにしておきます。
前の方から聞こえてくるのは、ハンナさんの可愛い静かな寝息。
顔を見ることは体勢で叶わないのですが、きっと静かな安らかな寝顔をしているんだろうなと思います。
「………………」
これまで一緒に寝た時は、いつもハンナさんが先に起きていました。そして私を揺すって、起こして、そして『おはようございます、ねぼすけさん』と優しい声で言ってくれたものでした。
だから、寝ているハンナさんは珍しいな、と思いましたし。――胸の中に、一つの願望が浮かぶのも、分かりました。
――ハンナさんの寝顔が、見たい、と。
ハンナさんのことは、全部知りたい――それが、私の一番強い願望なのは、自分で分かっています。知りたいと思ってしまった瞬間に、胸がドキドキとし始めるのが分かります。
手に、勝手に力が入るのが分かりました。ハンナさんが起きる気配は、ありません。
「――――、」
ハンナさんのお腹の前で組んでいた手を解いて、そしてハンナさんの身体を、そのまま私の方にごろりと反転させます。
「…………んぅ、ぅ…………」
反転を終えた直後、ハンナさんの口から寝言なのか分からない声が聞こえました。でも、それだけ。ハンナさんはまだ、眠ったまま。
目を瞑って、静かに寝息を立てるハンナさんは、日頃の騒がしさは鳴りを潜めて、静かな、安らかな寝顔をしていました。小さく上下する肩も、一晩寝ても綺麗なままの髪も、ハンナさんらしくて可愛らしく思えて。――そんなハンナさんが、愛おしく、思えて。
気づけばハンナさんの身体を、そのまま抱きしめていました。理由は分かりません。無意識的に、そうしたかった、ということなのでしょう。
強く抱きしめると苦しいでしょうから、優しく、力は最小限に。左手はハンナさんの頭に載せて、右手はハンナさんの背中に当てて。いつしか、ハンナさんが私にしてくれたように、優しく優しく、叩いてあげます。ぽん、ぽん。
ハンナさんに触れた場所が温かくなっていくのが分かります。ハンナさんの温かさで、胸の中にあった安らぎが、一気に溜まっていくのが分かります。口が勝手に笑みの形になるのが分かります。
ハンナさんを抱きしめるのが気持ちいいというのは、元々――と言うととても語弊がありますが――分かってたこと、でしたが。
今日は、やけに、それを強く実感する気がしました。
どうしてでしょうか? 分かりません。
ただ、今は。もう少しだけ、わがままを言いたいなと思いました。
――ハンナさんが、もう少し、もう少しだけ、起きなければいいな、と。
◇◇◇
「…………ん、む」
目を開けたとき、視界はものの見事に真っ暗。
まさか二度寝をかましすぎて夜に――? と思うのと同時に感じたのは、鼻とおでこに感じる温かさと、シェリーさんの匂い。
その次に感じるのは、頭と背中に感じる、シェリーさんの手の感覚。
頭を動かす、すり、と擦れる音と共におでこへの感覚。
これまでに感じたことを全部まとめて、考えて。結論。
――シェリーさん、何しやがってんですの?
わたくしの身体が、シェリーさんに抱きしめられている。以上。
しかも、寝ているときの体勢とは変えられていて、前から抱きしめられている。
……ここまでされて、なんで起きなかったんでしょうね、わたくし…………。
そう思いはする、その一方で。息を吸う度に感じるシェリーさんの匂いに、さっき感じたものよりも大きなものに、心臓のドキドキは、そこまで大きくならずに、むしろ落ち着いていくような感覚まである。
私の反応を見て楽しむシェリーさんだから、今のところまで声がかからないことを見ると、この体勢になったまま二度寝をかましてしまっているようで。
――人を抱きしめたまま寝るとか、状況によってはキレられますわよ。
頭の中で、恋人にそう忠告する。そういったことになったことはもちろん無いのだけれど、この恋人なら爆睡もやりかねないし、それも含めて許せてしまいそうな気さえしてしまうのは、なんなんでしょうね、と思う。
シェリーさんを全部許して、全部委ねているせいなんでしょうね、と思う。
そんなシェリーさんが愛おしく思えているからでしょうね、と思う。
「…………」
そんなシェリーさんに抱きしめられて寝ている、今。
シェリーさんが起きないのなら、起きるまで寝かせてあげるのがいいのだと思う。
「…………まったく、この人は。しゃーねーですわねぇ」
片手は動かせる。わたくしの頭に顎を載せる恋人の頭を、優しく撫でてやる。
さらりと気持ちのいい手触りが、伝わってきた。
「…………ふぁ」
横になって、誰かの頭を撫でる。
寝かしつけていた過去が頭を過ぎりかけるけれど、その次の瞬間には、シェリーさんの温もりと匂いが全てを吹き飛ばしてくれた。
寝ていても、意識が全くなくても。この人は。わたくしを救ってくれる。
「ほんっと、シェリーさんは…………。なんなんでしょうね」
胸に浮かぶ、温かさを言葉にしようとしても。うまく言葉にはできなくて。
その分、シェリーさんの頭を優しくたたくことにした。
ぽん、ぽん、と。優しく、愛でるように。
◇◇◇
――んー、ハンナさんの匂いって落ち着きますねー。
覚醒と共に感じたのは、やっぱりハンナさんの匂い。もう一度深呼吸。ほっと胸が安らぐのが分かります。
ハンナさんの声は聞こえず、体勢もハンナさんを胸に抱きしめている状態のまま。いつ眠ってしまったのかは分かりませんが、ハンナさんが私の手を解いていないところを見ると、ずっと寝たままなのかもしれません。
時計を見ると、いつも通りであればとっくに朝ご飯を食べている時間帯。
学校がある日だったら、間違いなく遅刻の時間帯。
休みだからいいですけど、と思いつつ、そろそろハンナさんの声が聞きたい、と思ってしまったのも事実で。
「ハンナさん、起きてくださーい」
試しに、声をかけてみます。耳元では驚かせてしまうでしょうから、頭の上から。
けれどハンナさんからの反応はありません。
「ハンナさーん。…………起きないとぉ……」
囁くように言ってみるも、反応はありません。
「おはようのキス、しちゃいますよ?」
もしも狸寝入りをしているのなら、ハンナさんが飛び起きるか、耳とかが赤くなるのでしょうけれど、身体の反応は一切ありません。本当におねむのようです。
そのまま待つこと、十数秒。反応は無し。
「…………ごー、よん、さん、にい、いち」
カウントダウン開始。
ハンナさんの表情は変わりません。
最後の数字になっても、ハンナさんは静かな寝息を立てるだけ。
たっぷりの時間をかけてから。
「ぜろ」
そう言ってから、もう一呼吸。それからハンナさんのおでこにかかる髪をかき上げて、額に静かに口づけをします。ちゅっと音が立ったものの、それでもハンナさんが起きる気配はありません。
髪の毛を下ろして、髪の毛の上から優しく撫でて。
すぅ、すぅ、と静かに寝息を立てるハンナさんを見て。
……ほんの少し、物足りないな、と、思ってしまいました。
「やっぱり」
――ハンナさんにキスすると落ち着きますけど。ハンナさんの反応もほしいな、と。
そう思ってしまうのは、わがままなんでしょうか?
「ハンナさん」
起こさないように、呼び掛ける。
ハンナさんの返事は、まだありません。
ハンナさんがゆっくり寝られるのなら、それもまたいいのでしょう。
そう思うことにしました。
「…………ん、ふぁ…………」
ハンナさんの寝顔を見ていたら、またじんわりと眠気がやってきます。
起きているか、ハンナさんを抱き枕にして寝るか。
少しだけ、考えて。
「おやすみなさい、ハンナさん」
今日は、二人でゆっくりすることにしましょう。
◇◇◇
「――――ぴっ!? ――――
目を開けた途端、シェリーさんの顔が目の前にあった。思わず顔が仰け反ってしまって、壁に頭を打ってしまった。
ガンッと音がして、目の前に星が舞って。恥ずかしいやら悔しいやら情けないやら。
――最悪の寝覚めですわよまったく!
痛みが治まってシェリーさんにつっかかろうとするも、シェリーさんは目を閉じたまま。
……あら? 閉じたまま?
てっきり、わたくしに向けて『あれ、起きちゃいました?』だとか言ってくるのかと思いきや、目を閉じたまま。それどころか、静かな寝息まで聞こえて来た。
「………………――――――」
シェリーさんに目覚めのキスをされるかと勘違いしてビビった挙げ句、後頭部をぶつけた――なんてシェリーさんにバレたら、何を言われるか分かったもんじゃない。なんだか自分が自分で恥ずかしくなってきて、思わずため息。
「…………驚かせんじゃ、ねーですわよ…………」
一気に心臓がばくばくと言い始めているのは、シェリーさんのせいにすることにした。
そのシェリーさんは、と言えば。さっきからわたくしの背中に手を回したまま。
さっき起きた時と変わらないのだとすれば、シェリーさんはその時からずっと寝続けていることになる。
このねぼすけさんは、休みの日は起こしに行かないと起きない人だから、まぁ分かるのだけれど。それは、そうとして。
――シェリーさん、休みの日だからといって寝過ぎでは? そろそろ起きたらいかがですの?
そう、思わなくもなかった。そろそろシェリーさんの声が聞きたいな、と思ったし。さっきキスされかけた――勘違いだったけれど――せいで、なんとももどかしいというか切ないというかむずむずするというか――。
とにかく、シェリーさんのせいで頭はもうばっちりと起きてしまって、もう二度寝をする気にもならない。
かといって起きられるかと言えば、シェリーさんの手が身体にあるから起きられない。
「…………まったく……」
いつもいつも、この人はわたくしを振り回すんですから。意識がなくっても、まったく。
頭を動かしたせいで、シェリーさんの寝顔がはっきりと見えるようになる。
大好きな人が、静かな寝顔をして眠っている。何か楽しい夢を見ているのか、どこか笑っているようにも見える。普段騒がしい人の、静かな寝顔を見ていて、不意に、胸がとくんと鳴る感覚があった。妙に顔辺りが熱を持つ気がした。
気のせい、にしては今まで感じすぎてきた感覚だったから、これは勘違いじゃないのだと思う。つまり、今の身体の反応は、シェリーさんのせい、ということで。
「…………」
片手は動く。枕元には、充電ケーブルに刺さったスマホ。
手探りでスマホを手に取って、そしてカメラアプリを起動させて。
カシャリ、と、音が鳴った。
シェリーさんの様子を見つつ、スマホを操作して。シェリーさんの寝顔が綺麗に撮れていることを確認して、スマホを元の場所に戻す。
シェリーさんは、まだ起きない。
「早く起きなさいな、ねぼすけさん
呼び掛けた声は、優しく自分の耳に入った。
「起きないと、わたくしに何をされるか分かりませんわよ?」
言って。数秒。起きる気配は、ない。
――シェリーさんのせいですからね。
胸の中でだけ反論しておいて、シェリーさんの額に触れて。そしてその髪を、かきあげて――。
ぱちりと、シェリーさんの目が開いた。
「――――――ッ!?」
ばっちりと、目が合った。
そして、その目がゆっくりと細められる。
シェリーさんは、くすぐったそうな顔をして。
「ハンナさんにおでこを撫でられると、くすぐったいですね」
だなんて、わたくしが何も言えないことをいいことに、先に、言ってくる。気持ちよさそうにしているものだから、もう一度擦ってやると、目を細めた後に、くすぐったそうにベッドの中で微かに体を動かすのを感じた。
シェリーさんはどうやら、頭を撫でていると思ってくれているらしい。
よかった、と思う。
「ハンナさん、もしかして、キスしようとしてました?」
「………………何のことですの?」
かと思いきや、にへらと笑いながら、そんなことを言い出しやがりまして。コイツ。
精一杯のいつも通りを装って返したけれど、シェリーさんがそれをどう取ったかは、分からない。
「そうじゃなくても、ハンナさんに撫でられるのは気持ちがいいので、おっけーです」
シェリーさんは深く追求するようなことはなく、そのまま話を続ける。
「ああ、言い忘れてました。ハンナさん、おはようございます」
――そういえば、言ってなかったですわね、と思い立つ。
何度も起きていた割に、言葉自体は交わしてこなかったから。
「おはようございます、シェリーさん」
今日初めて挨拶を交わして。胸がじんわりと温かくなってくるのが分かる。シェリーさんとの一日が、また始まるのだと思うと――どうにも、嬉しくなるのが分かる。
「ところで、ハンナさ」
その時、ぐぅ、と音が鳴るのが聞こえた。シェリーさんの言葉も、そこで止まる。
布団の中から聞こえたものだから、どっちの音かは分からない。
同時、なのかもしれない。どうにもくすぐったく思えて、シェリーさんからも、そしてきっと、わたくしの方からも、笑みがこぼれた。
「お腹、空きましたね」
「そうですわね。もう結構な時間ですし」
枕元のスマホを見る。十時を過ぎていた。朝寝坊にも程があると思う。――気持ちよかったから、いいのだけれど。
「一緒に、外にブランチしに行きませんか?」
「外で食べるんですの? ぜーたくですわねぇ」
「ハンナさん成分をたっぷり補給して幸せいっぱいなので」
そんな事を言って、シェリーさんはまたわたくしの身体を抱きしめてくる。
力強さはなくて、どこまで行っても優しく優しく、抱きしめてくれる。
背中に感じる圧力と共に、シェリーさんの温かさが全身に感じられるのが分かる。
――成分。
時々シェリーさんが言う、それがどう成分なのかは、分からないけれど。
一緒にベッドでごろごろとした時間を過ごした今。
確かに、どこか――満たされているような気がした。
シェリーちゃんとハンナちゃんが一緒のベッドで寝るお話が読みたかったんです。
そして朝になって、片方が起きた時にもう片方が寝ているから寝直す、を二人で延々繰り返して、二人で仲良く寝坊したら愛おしいなぁと思いました。書きました。
お楽しみ頂ければ嬉しいです。