午後十時。牢屋の鉄格子から、カシャンとロックが掛けられる音がする。
この音を合図に、規則で定められた就寝時間となって、囚人は寝ることを強要される。
だから、実際に寝られるかどうかは置いておくとして、あとは布団を被って寝るだけ。
――の、だけれど。
ハンナは二段ベッドに寝転がり、スマホを手にそわそわとしていた。
ピロン。
手の中のスマホから音がして、メッセージを受信した表示がスマホ画面に現れる。
「………………――――」
【ハンナさん、まだ起きてますか?】
【橘シェリー】と書かれた相手からのメッセージを見ると、ハンナはいつも胸がぽかぽかと温かくなるのが分かる。
思わずスマホを胸に抱いて、体の中にじわじわと貯まる熱を吐き出すかのように、ほう、と息を吐く。その表情は、誰にも見せられないくらいに、緩んだものとなっていた。
◇◇◇
ハンナたち囚人は、一人一台のスマホを持っている。そこでは通話機能の他、巷でよく使われているメッセージアプリのようなものや、動画配信ができるアプリのようなものが入っていた。そこまで使うことはないだろうと、その時のハンナは思っていたのだけれど――。
牢屋敷生活が始まったその日に、自然とまとまったエマ、メルル、シェリー、ハンナの四人は、連絡が取れるようにとメッセージアプリ内で友達になった。
それはあくまでも、情報の共有や、緊急連絡時の使い方を想定していた。
実際、最初のうちは、そうだった。
自由時間に牢屋敷の周りを巡って、それぞれが集めた情報を共有するのが目的だった。
そんな、ある日のこと。
「ハンナさんハンナさん! 牢屋敷の北側に野原が広がってたんですが、そこに――」
牢屋に戻ろうとして、ばったりとシェリーと遭遇したハンナ。話を続けようとしたその瞬間に、スマホから『ホゥ、ホゥ、』と着信音が響いた。それは自由時間終了のアナウンスで、牢屋の鍵が閉まるまでにほとんど猶予がないことを示していた。
「続きはスマホで!」
シェリーはそう言うなり、牢屋の中へと消えていった。
「え。」
言われたハンナは、シェリーが姿を消した方向をぱちくりとして眺めるだけ。
――スマホでって……まさか通話? 同室の方がいらっしゃるでしょうに。だとか。
――シェリーさん、またアリサさんとケンカするおつもりですの? だとか。
――わたくしの部屋もココさんと一緒なのですけれど。絶対ウザがられますわ。だとか
――っていうか、あれ? 消灯時間過ぎたら会話も禁止だったのでは? だとか。
そんなことを考えつつ、牢屋から閉め出されようものなら規則を破った囚人として懲罰房行きになってしまうと、急いで牢屋の中へと戻る。
牢屋の中に入って数分もたたないうちに、カシャンと音がして牢がロックされた。
「あぶねーとこでしたわ…………」
ハンナが呟くのとほぼ同時、ピロン、とスマホから音が鳴った。通話の呼び出し音ではなく、メッセージアプリの通知音。
――ああ、こちらですのね。
通話ではない分、まだ迷惑の度合いは少ないだろう、と思われた。
もし同室のココに何か言われたなら――その時にどうするか考えればいい、と思った。
二段ベッドに入ってからスマホをアクティブにして、メッセージを開く。
【大発見大発見! シェリーちゃんはすごいものを見つけちゃいました!】
文字だけで、その明るい声が聞こえてくるような文字に、思わず口元がゆるみかける。
【何を見つけましたの?】
【えっとですね】
【野原に虹が架かってたじゃないですか。あそこの根元に向かっていったら、なんと!】
虹の根元には宝物が埋まっている――だなんて言葉を、どこかの本の中で見たことがあるな、と思いながら、【橘シェリーが書き込んでいます】の画面を眺め続けて。
【なんと、そこに涸れ井戸があったんです!】
そのメッセージが送信されて、一分、二分。【橘シェリーが書き込んでいます】の表示は出てこない。――つまり、それが『大発見』ということで。
【涸れ井戸、ですか】
【はい!】
私の発言には、一瞬で返ってくる。寝落ちしたわけではなさそうだった。
【私も躓きそうになっちゃったくらいに見えにくいところにあったので、かくれんぼするときは最適ですよ!】
「…………」
かくれんぼ。うん。それはそれは、大発見ですわねー。
そう、心の中で思いつつ。ハンナは別の言葉を打ち込む。
【誰かが落ちてしまわないか、心配ですわね】
【そうですねー。牢屋敷の周辺、結構井戸の跡があるんですよね。この島、水の確保が中々難しいところなのでしょうか】
【確かに、蛇口を捻れば水が出ますけど、この水が何かは分かりませんね】
【謎がまた一つできちゃいましたね! 明日は水をテーマに探索することにします! ありがとうございます、ハンナさん!】
何やらシェリーの中で好奇心がくすぐられたようだ。
【それでは明日に備えて寝ますね。おやすみなさい、ハンナさん】
散々引っかき回して、先に寝る宣言をするのもシェリーだ。段々と、ハンナは橘シェリーという人がどういう人なのかを、分かり始めてきた。
それでも――と、ハンナは思う。
この人と一緒に居ることは、決して、嫌じゃないな、と。
陰鬱な空気にもなりかねないこの牢屋敷の中でも、シェリーの明るさは変わらない。更にはシェリーの声があるだけで、こちらまで明るくなってくるような、そんな気さえしている。
よく分からない理由で絡んでくるのも、それはそれで、楽しいかな、と思える。
【おやすみなさい、シェリーさん】
メッセージを返す。数秒と立たずに、ゴクチョーが寝ているスタンプ――なんでこんなものが存在するのかは謎。あと決して可愛いとは思えない――が送られてきた。
「…………ふふ」
思わず、口元からは笑みの吐息が漏れる。
寝るだけだったはずの就寝時間で、ここまで胸が軽くなるのは初めてで――。ハンナはまた一つ息を吐いてから、ゆっくりと目を閉じた。
◇◇◇
情報のやり取りは、それからも何回か続いて。
そして、今。
【ハンナさん、明日試したみたいことがあるんです!】
【何ですの? 危ないことは厳禁ですわよ?】
【もちろんです!】
就寝時間になってからのやりとりは、ずっと続いていた。
それまでと違う所と言えば、目的が情報のやり取りではなく、純粋に普段の会話の延長線上になっている、くらいのことで――。
【一緒にお散歩したときに見つけたんですが、ゲストハウスの近くに、おいしそうな真っ赤なキノコが生えてたんです。朝ご飯の時に暖炉の火で炙って食べようかと思いまして!】
【思いっきりあぶねーですわ! やめなさいな!】
【えー? ハンナさんも、ご飯がまずいって言ってたじゃないですかー。味変になっていいかもしれませんよ?】
【ご飯がまずいことと、危ないキノコを食べようとするのは話が別ですわ!】
【意外と大丈夫かもしれませんよ? 私たち、魔女候補らしいですし】
【お腹が大変なことになっても知りませんわよ?】
【そうなったら、医務室の付添人にはハンナさんを指名しますね!】
【お腹下す前提で話をしないでほしいですわ!】
メッセージをやりとりをしている自分は、おそらく誰にも見せられないだろうと思う。
だって、今の自分は――。
「…………ふふ、まったく、シェリーさんは…………」
すごく、だらしのない顔をしているだろうから。
【ハンナさんが少しでも、ご飯の時においしい顔をしてほしいなぁって思いまして】
やれやれと息を吐いている間にも、シェリーからのメッセージが届く。
「…………おいしい顔……」
ご飯の時、そんなに自分はまずそうな顔をしていただろうか、と自身を省みる。……確かに、『まじーですわ』とは言った。それは確かに本心だ。
でもそれはどこか、周りの人たちと考えを共有したい、というものでもあって。ご飯は見た目は悪いし味は変だし、食感も最悪だし、毎日食べていれば、絶対にストレスがかかるだろうと思う代物。――でも、決して食べられない訳じゃないし。心を許せる友人が、一緒だし。食事というもの自体は、決して、嫌な時間じゃない。
【その気持ちだけで結構ですわ。食事はまずいにはまずいですけれど、食べられないわけじゃありませんし】
【ハンナさんがそう言うのならやりませんけど……。じゃあ、明日は森の方に行きましょうか! 毎日出てくるフルーツは、きっと森の中のどこかで収穫されたものに違いありません! 甘い物ならハンナさんも喜んでくれるはずです!】
――甘い物!
その言葉で、自身の胸がときめくのを感じていた。おいしい物、甘い物、そんなものに、ハンナは目がない。――決して、表に出していたわけじゃない筈なのに、なんでシェリーは分かってるんだろう、という疑問は、考えないでおく。
【シェリーさんが行くというのなら、仕方ありませんわね、着いて行きますわ】
甘い物に釣られた訳じゃない、と暗に文字にして伝える。もし今シェリーが目の前にいたのなら、表情や声色できっとすぐに看破されてしまっただろうけれど。メッセージでのやり取りなら、そこまでバレるはずが。
【ハンナさんは分かりやすいですね☆】
「――――!?」
口から変な声が出そうになった。分かりやすいってなんだろう。メッセージの中ではバレる要素なんて無かったはずなのに。
【そこがハンナさんの可愛いところなんですけど】
【それってどういうことですの!?】
続くメッセージに、思わず反射的に返してしまった。これではまるで自白しているようなものじゃないか、と思うけれど、送ってしまったメッセージは取り消すことができない。――いや、取り消すことはできるけれど、あくまでも自分の画面から見えなくなるだけで、相手の方にはそのままだ。
【ヒミツ、です】
シェリーの声が、その仕草が、目の前に見えるようだった。頬に指を当てて、ウインクをして、口元にはにこやかな笑み。そんなシェリーを思い浮かべて、体は寝る準備を整えているはずなのに、心臓が再びしっかりと存在を主張し始める。
――ああもう、シェリーさんのせいですわ!
心の中で悪態をつくものの、大元を考えれば自分が自爆しただけなのだから、人のせいにするのは間違っている。だから、ハンナ自身ができることは。
「………………むぅぅぅぅ」
ばふんと枕に頭を埋めて大きく息を吐くだけ。
枕に向かってくぐもったうめき声を上げるだけ。
ばたばたと足を動かすだけ。
【ハンナさんの可愛いところ】
頭にはシェリーが打ち込んだ文字が頭に浮かんでは消える。
直接言われたわけじゃないのに、なんか、どこか、すごく、嬉しいし、なんか、…………すごく、恥ずかしい。
顔が熱い。変に頬がぴくぴくする。
この感覚がなんなのか、分かるようで分からない。
だからハンナは。
しばらくの間、ベッドの上で悶えることとなった。
◇◇◇
ベッドの上でのもごもごばたばたがしばらく続いて、元に戻ったハンナが目にしたのは。
【それではそろそろ寝ますね。おやすみなさい、ハンナさん】
送信時間は、【ヒミツです】から少し経った後だった。寝落ちしたのだと思われたのだろうか。そうだとしたら申し訳ないなと思う。会話していた相手が、急にいなくなったら、それは肩すかしもいいとこだから。
だから明日は、まず会ってから謝ろうと、ハンナは思う。
でも謝れるかどうかは、顔を合わせたシェリーの様子次第だ。もしかしたら、『シェリーさんがあんなこと言うからですわ!』だとか言う羽目になるかもしれない。
そんな明日に思いを馳せながら、ハンナは静かに眠りに付く。
「おやすみなさい、シェリーさん」
メッセージで言えなかった言葉を、静かに口にして。
就寝時間になってもメッセージアプリでやりとりするシェリハンの二人が見たくて書きました。
日中は直接やりとり、夜になったらアプリでやりとり。
シェリーちゃんとハンナちゃんはエブリデイいちゃいちゃしててほしいなって思います。
ところで。
スマホが支給されてるってことは、牢屋の中に充電用のコンセントだとか接続端子があるってことですよね。
あの石壁に電子機器関係のものが付けられてるって想像すると、なかなかシュールな光景だなって思います。
充電器を最初に使うとき、ハンナちゃんなら絶対怪訝な顔しそう。シェリーちゃんは気にせずぶっ刺しそう。なんとなく。