学校まで、歩いて大体二十分の通学路。その途中に桜の木があるということに気づいたのは、恥ずかしながら私たちが二年生になってからのことでした。
私たちが牢屋敷から戻ったのは、5月の半ば頃。ハンナさんと手を繋いで歩く通学路はあらゆるものが眩しくて、新鮮で――。あの塀の上にはよく白い猫ちゃんがいるだとか、あそこのお店はいつも搬入のトラックが横付けされているとか、一年歩いて通学する上で色々と知っていたつもりではいましたが、それでも知らないことはあるものですね、と毎日学ぶことばかりです。
そして、ハンナさんが一緒にいてくれるから、尚更。人をより、深く、知りたいと思いますし、ハンナさんのことは、なんでも知りたいと思います。
「この桜、やっと咲きましたねー」
「ですわね。今年は寒かったですから、いつ咲くかと思いましたわ」
通学路で桜の木を先に見つけたのは、ハンナさんでした。少しずつ蕾が膨らんでいくのを、毎日のように見ていて。やっと一輪が咲いているのを見つけて、嬉しくなりました。
桜の花、と聞いて、浮かんだものがありました。
年中行事はハンナさんと大抵のことはやった気がします。それでもやれていないことは、まだまだたくさんあります。ハンナさんとしたいことの夢リストは、まだ全然埋まりきっていないのですから。
「ハンナさ――」
「シェリーさん、お花見、行きませんか?」
桜の花が咲いたら何をするか。一緒に桜の花を見上げる。ハンナさんの蔵書の中でも学びましたし、推理小説の中でもいくつか読みました。――まぁ、それの大半はその下に埋まってる物があったり、その下で事件が起きたりするんですけど。それはまた別の話。
だから浮かんだことを言おうとしたのですが――ハンナさんに先に言われてしまいました。
「どこかいい場所でもあるんですか?」
「学校近くの公園に行きましょう。ライトアップもされるようですし」
いつもは、私がハンナさんに提案をすることが多く、ハンナさんを連れ回すことが多かった自覚があります。ハンナさんの方から提案してくれるのが、意外に思うのと同じくらい、嬉しく思える気がしました。
「分かりました、行きましょう!」
「では、下調べとかはわたくしの方でやりますわ。たまには、わたくしがエスコートする側もいいでしょう?」
ハンナさんはどこか自慢げな顔をして、私の方を見てきて。
頷くと、満開の桜の花なんかじゃ叶わないくらい、眩しい顔で笑うのが見えました。
◇◇◇
桜の花が咲いてから、満開になるのはあっという間でした。
土曜日の夜。私たちはカバンを寮の部屋に置いて、あらかじめ準備していた花見道具一式を持って公園へと繰り出しました。
「さ、行きますわよ」
ハンナさんが、私に手を差し伸べてくれます。ライトアップされた桜を背に、寒くないようにと厚着をしてもらったハンナさん。暗闇の中に、ライトで照らされた金色の髪は、いつもよりも綺麗に見えて。そしてハンナさんの嬉しそうな笑顔が眩しくて。
「よろしくお願いしますね、ハンナさん」
普段とは逆に、ハンナさんの手の上から、私の手を重ねます。エスコートする側だからか、ハンナさんの手がいつも以上に強く握られる感覚があります。そしてその手も温かく感じられて。ハンナさんがうきうきとしているのが、表情以上に、色んな所から感じられます。
「ハンナさん、甘えていいですか」
「場所を取ってからにしてくださいまし」
即答されました。分かってましたけど。
繭を下げて『しょーがねーですわねー』と言いたげなハンナさんの顔が見たかっただけ、とも言います。うきうきな顔のハンナさんも、困ったように笑うハンナさんも。桜の木の下で見れば、きっといつも以上に綺麗に見えるからと、そう思ったのですが。
「…………」
想像以上、でした。
おかげでさっきから、ドキドキが止まりません。ハンナさんと一緒に桜を見る。それだけのはずなのに。特別なことは何もない筈なのに。ハンナさんがうきうきとしているのを感じるだけで、私まで、すごく、うきうきとする気がします。
きっと、気のせいじゃないのでしょう。
だってさっきから、顔が、緩んで緩んで、仕方が無いんですから。
◇◇◇
ビニールシートと重りで場所を確保して、屋台で食べ物を買おうとして。
屋台のスペースは人はほどよく多く、ちょっと歩くだけで人とぶつかりそうになります。そんな中、ハンナさんは『色々と慣れてますから』とすいすいと歩いて行くのを、私は着いて行くばかりでした。
食べ物を買って、ビニールシートに座って、ゆっくりと頭上に広がる桜を眺めます。
学校の授業中とも、通学時間とも、寮で過ごす時間とも、そしてこの公園に来てからとも、そのどれとも違う、本当にゆっくりとした時間が流れていくのを感じました。
もし私がハンナさんをエスコートする側だったらきっと、ハンナさんと手を繋いで、桜並木の下を歩くだけ、だったでしょう。
だからこの時間は、ハンナさんがくれた、大切な時間。
「はー………………」
「今日のため息はでっけぇですわねー」
「あれ、口から出てました?」
「え、無自覚でしたの? 信じらんねーですわ。…………ふふ」
ビニールシートに置いたハンナさんの手に私の手を重ねたまま、ゆっくりと、上を眺めるだけの時間。会話は少し。動きはゼロ。ハンナさんを感じながら、綺麗なものを見る時間が、どれだけ愛おしく大事なものかというのを、初めて知りました。
「…………ハンナさんには、もらってばっかりです」
「どういたしまして。……どれのことかは見当もつきませんが」
「色々とです。色々と」
「便利ですわねー、それ」
器用に肩を竦めるハンナさん。それでも手だけは、私と繋いだまま。
「…………ええ、色々と」
ハンナさんに全部言ってもいいとは思います。私がハンナさんにもらった物を、全部。
その場合、これまでの一年間と、牢屋敷の中で体験した、何周分かの人生を全部語ることになっちゃうから、きっと一朝一夕では語りきれません。そのくらい、ハンナさんには、いろんなものを、貰いまくっちゃってます。
今日、ずっとハンナさんに手を引かれてエスコートされてたことだって、そうです。
正直な所、私は手を引かれるのは、あまりいい記憶がありません。施設の中で感じた、良くない記憶と。義親との中で感じた、どうとも感じない記憶。
でも、ハンナさんに手を引かれる感覚は、そのどれとも違いました。あったかいがありました。優しいがありました。心地いいがありました。
ハンナさんと一年以上、一緒に暮らしてきて、ハンナさんから教えてもらったものは、本当にたくさんあります。
「ねぇ、ハンナさん」
そしてそれは。きっとこれからも、たくさんたくさん、増えてくんだと思います。
「去年、見に来れなかったぶん。今年、やっと見れましたね」
「そう、ですわね」
ハンナさんと、一緒に居たい。そして、ハンナさんを知りたい、もっと、たくさん。
「来年は、私がエスコートさせてもらってもいいですか?」
「来年もゆっくり見たいですわねー。貴女に付いてったら、足が疲れそうですわ」
色んなハンナさんを見たいと、思いました。
これからもずっと。
シェリーちゃんとハンナちゃんがお花見をするお話が読みたかったので書きました。
地元にもやっと桜の花が咲きまして、やっと春だなと思い始める今日この頃です。