シェリハン作品   作:みょん!

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貴方を、祝う

 牢屋敷生活の中で、自然とまとまったグループ――私はこれまで縁のなかった言葉でしたが――エマさん、メルルさん、ハンナさん、そして私。今日もこれまでと同じように、皆でご飯を食べます。そして医務室に向かうメルルさんを見送ってから、自由時間をどこかで過ごすべく、食堂のドアを開けます。

「へぇー、シェリーちゃんって夏生まれなんだ。確かに、そんなイメージあるかも」

「ですです! エマさんは?」

「ボクは3月5日。ひなまつりの二日後」

「あー、段々とあったかくなるころですねぇ」

 友人と一緒にしゃべりながら建物の中を歩くという、これまた、これまでまったく縁のなかったことをやっている自覚があります。

 しゃべる内容は、本当にどうでもいいこと。推理小説の中なら、会話の中に何かのヒントがあったり、何かの予兆を感じさせるようなものがあったりしますが、私たちの会話は、まったくもってそれにはあたりません。ハンナさんに言わせるなら「てきとーなやりとり」です。

 ふと、脇を小突かれる感覚。

「シェリーさん、なにやら今、変なこと考えませんでした?」

 ハンナさんがほんのりと目を細めて、私を見上げているのが見えました。

「おや。私の考えごとが口から出てました? ハンナさんのことを考えてました」

「正直なのはいいことですわね。口からは出てませんでしたが、そんな気がしたもので」

「そうですかー。ハンナさんとは通じ合ってるってことですね」

「…………まぁ、いいですわ、貴女のいつものことですし」

「私を分かってくれてるハンナさんが大好きですよ~」

「はいはい」

 そんなてきとーなやりとりをしながら、ホールに通じる扉を開けて。そして中央付近まで歩いて、誰ともなく足を止めます。ここは玄関ホールの中央、ちょうど分岐点。

 玄関の方へ向かえば外に、階段の方に向かえば監房か娯楽室に、ラウンジに通じるドアを開ければ、その先の医務室やシャワー室に向かうこともできます。

「じゃあ、今日は外でもお散歩しよっか?」

「そう、ですわね。建物の中に籠もってばかりでは気が滅入ってしまいそうですし」

「では行きましょうかー!」

 三人で歩くときは、大体私とエマさんが前、半歩後ろをハンナさんが歩く、といった形になります。牢屋敷の廊下は広くはないので、広がりすぎないように、というハンナさんの優しさなのでしょう。

「ところで」

 エマさんが土の地面を踏みしめ、草が生えてないというだけの道を踏みしめながら、ハンナさんの方を首だけで振り返ります。

「ハンナちゃんの誕生日っていつなのかな?」

「え」

 エマさんの言葉は、単純な疑問の言葉に感じました。食堂を出てからの会話の続きで、特に突然話題が変わったわけでもありません。でもハンナさんは、驚いたような顔を見せて、ぴたりと足を止めます。

 自分が足を止めたことにも気づいていなかったようで、ハッと我に返ったあと、駆け足で私たちの後ろに、いつもの場所に戻ります。

「誕生日、ですか」

「うん。シェリーちゃんは夏で、ボクは冬だから。ハンナちゃんはいつ頃なのかなーって」

 エマさんの声はいつも通りで、他意があるようにはまったく感じないもの。それでもハンナさんは、裁判の時に見るような、とても言いにくそうな顔をしているのが見えます。

「……今日って、何日、でしたっけ?」

「今日? ええと、5月の15日みたい」

 私たちのスマホは、日付と時間の表示だけはされています。ネットは繋がっていないのに。不思議なこともあるのですが、ここは魔女候補者が集いフクロウがしゃべる監獄島。何があっても不思議ではありません。

「…………今日、ですわね」

「うん? 今日は5月のじゅう――――」

「ではなく」

 エマさんの言葉を遮るようにして。いつも私にツッコむのと同じ形の、けれど言いにくそうな声色で、ハンナさんは言います。

「…………わたくしの、誕生日ですわ。…………今日」

「へぇー、ハンナちゃんの誕生日って今日なんだー。――――――えぇぇっ!?」

 エマさんの綺麗な二度見の姿が見えました。二度目は体ごと。そして歩いていた足もぴたりと止まります。

「ハンナちゃんの誕生日って今日? 5月15日!?」

「ええ。言われるまで頭にもありませんでしたが。…………そのようですわね」

 もちろん私も驚きです。けれど私以上にエマさんが驚いてくれているおかげで、冷静になれている感覚があります。

 ハンナさんの言い方がどこか客観的なものなのが頭に引っかかりはしましたが、それ以上に。

 ――そっか、今日はハンナさんの、誕生日、ですか。

 誕生日という情報から、様々なイメージが、頭に浮かぶのを自覚していました。

 義親から誕生日と称して好きなメニューを聞かれて、言った物がケーキと共に夕食で出てきたり。

 義親から誕生日プレゼントと称して、読んでいた推理小説の新シリーズをプレゼントされたり。

 クラスメイトが誕生日会を開いたなどのやりとりをしているのを聞いたり。

 誕生日に関する出来事は、経験としては、確かに記憶としてはあります。けれどどれもが、モノクロ色をしているというか、記憶に温度が無いというか――――

「ハンナちゃん。どうして言ってくれなかったの?」

 エマさんの声で、思考状態から意識が戻るのを感じます。

 気がつけば、エマさんがハンナさんの手を取って、ずい、と顔を近づけるのが見えました。声も、表情も、怒っているわけでもなければ、詰問しているわけでもなく、純粋な疑問――そんなものに感じました。

「え、えぇ?」

 まっすぐに見つめられたハンナさんは、顔ごと視線を逸らすのが見えます。いつもなら扇子で口元や頬を隠したりするのでしょうが、その手はエマさんが拘束中。ハンナさんがたじろぐのが表情からも仕草からも分かりました。

「ハンナちゃん! 誕生日はお祝いしなきゃ!」

「そ、う、なん……ですの?」

 エマさんの追撃。ハンナさんが一歩下がり、エマさんが一歩足を進めます。

 ハンナさんを観察する限り、浮かべているのはどちらかというと困惑の表情に見えます。嫌がっている、訳ではなく。照れているようにも、見えません。疑問の表情、というのが一番しっくりと来るような気がします。

 とはいっても、私は人の感情を読み取ることがどうにも苦手なので、これまでハンナさんと一緒に過ごして来て、ハンナさんを観察してきて、その上で積み重ねられたものを元にした、推測でしかありません。

 ――まぁ、概ね当たっているような、気はしますが。

 だって、今。ハンナさんの顔は私の方に向いて、そして――。

『シェリーさん、助けてくださいまし』

 その目は、そうはっきりと言っているんですから。

 

 そして、私は――――。

 

◇◇◇

 

 エマさんに、【賛成】することにしました。

「そーですよー、ハンナさん! 観念して降参して祝われちゃってください!」

 私が誕生日の日――いえ、正確には、私の誕生日と言われている日、とする方が正しいのかもしれません――には毎年、その日になるたびに義親から祝ってもらいました。私自身としては祝う理由も何も分かりませんでしたけど。そういうものだ、という漠然とした認識だけはありました。

 だから、誕生日と知ったら、祝われるのが筋では、と思いました。

 エマさんと正面で対面するハンナさんに、後ろからくっつきます。そしてエマさんの手の上に手を添えます、小さいハンナさんの手よりも、少しだけ大きいエマさんの手。その手の上から、私の手を重ねます。絶対に離しませんよと、後ろから念を込めます。

「ちょ――――――」

 ハンナさんは焦ったような顔で私の方を振り返ります。にっこりと笑みで返して、見つめ合うこと、少し。ハンナさんは目を閉じて大きく息を吐きました。

「ハンナさん、諦めてお縄になってください」

「探偵の言葉じゃねーですわよ、それ……」

 ハンナさんがため息交じりに言うのが聞こえます。抱きしめるハンナさんには、抵抗する様子は見えません。目の前の状況を受け入れてくれたようです。

 顔を上げると、ハンナさんの手を包んでいるエマさんと目が合いました。こくりと頷くのが見えました。どうやら、考えていることは一緒なようです。

「ハンナちゃんのお誕生会をやろう!」

 

◇◇◇

 

「わたくしは逃げたりしませんから! 下ろしてくださいまし!」

「お気になさらずですよ、ハンナさん。ハンナさんは主賓ですからね」

「その主賓を担ぎ上げるのはなんなんですの! もう!」

 私にお姫さま抱っこされているハンナさんは、口では抵抗していますが、暴れたりはしません。持ち上げる瞬間こそ、暴れそうになりますが、ハンナさんに笑いかけると、途端に大人しくなります。何度もハンナさんをこうやってお姫さまだっこしてますから、きっと慣れてくれたということでしょう。

 エマさんに先導されて、向かうは医務室。もちろんハンナさんがケガしたとかそういうことではありません。

 お誕生日会といえば、食べ物と飲み物と相場が決まっているんだ!――とはエマさん情報。そしてここの食べ物がハンナさんにとっておいしくないというのは、ご飯のたびに見聞きしています。だからせめて飲み物は、と考え、浮かんだのがメルルさんのハーブティでした。

 私自身、祝ってもらったことはあれども、誰かと一緒にお誕生日会というものをやったことはありません。ここは知ってそうなエマさんに一任することにします。

「メルルちゃんっ!」

「ひゃっ! はいいいいいい!」

 エマさんが医務室に入るなり、中から悲鳴というか叫び声というか、メルルさんの鳴き声が聞こえてきました。――エマさん、ノック、しませんでしたからね。

 中から聞こえた音は、それだけ。鳴き声に続いて、がしゃん、だとか、ぱりん、だとか、誰かの悲鳴だとか、そんなのが聞こえて来たら、本当に大惨事というか魔女裁判が開かれてもおかしくはないのですが――どうやらなんともなかったようです。

 エマさんに続いて中に入ると、エマさんが先ほどのハンナさんにやったのと同じように、メルルさんの手を手で包んでました。

「メルルちゃん! ハーブティって作れるかな!?」

「ひゃっ、ひゃい……作れ、ます…………」

 メルルさんは次第に落ち着きを取り戻しているようで、まっすぐにエマさんを見つめ返します。

「でも……どうかしましたか? ハーブティなら、いつでもお出ししてますけど……」

「今日、ハンナちゃんの誕生日なんだ。だから、お誕生日会をしたいなって思って」

 今日のエマさんはやけに積極的だな、と思いました。理由は分かりませんが、どこかうきうきとしているようにも感じます。声が高くて、目がきらきらとしていて。このようなエマさんは初めて見るような気がしました。

 エマさんに突撃された直後のメルルさんはずっと慌てているようにも思えましたが、エマさんから『ハンナさんの誕生日会をしたい』と目的を告げられると、

「ハンナさんの誕生日。……ああ、そう、――――なのですか!」

 みるみるうちに表情が明るくなるのが分かります。頬に朱が差して、嬉しそうな顔に。

「うんっ!」

「なら、とっておきのハーブを準備しますね。この間摘んだばかりのものが、ちょうどあるんです!」

 ぱたぱたとベランダにかけていくメルルさんを見ていると、ふと服を引かれる感覚があります。

「シェリー、さん」

「はい、なんでしょう。今日お誕生日のハンナさん」

「それはもういいですわ。……その、重くねーんですの? さっきから、ずっとわたくしを抱えてますでしょう?」

「あー、それはですねぇ」

 ハンナさんの言わんとすることは、『わたくしを持ってばかりで疲れませんか?』とのことで。ハンナさんのことではなく、私のことを気遣ってくれる優しさに、胸がぽかぽかとしてくるのを感じます。

「ハンナさんは羽根のように軽いので、まったく重くもなんともないですよ! むしろもっと食べて、体重を増やしてほしいくらいです! だから、ご心配なさらず!」

「~~~~~~ッ! しれっと女の子に体重の話すんじゃねーですわよこのおバカ!」

 ハンナさんの声に、ベランダの方から「ぴゃっ!?」とまた一つ鳴き声が聞こえました。

 

 ベランダで何かをしているメルルさんをしばらく見ていたところ、ハンナさんから「そろそろ下ろしてくださいまし」と言われたので、エマさんに準備してもらった椅子にハンナさんを座らせます。――もちろん、ハンナさんが言えばずっとお姫さまだっこをしていることもできますが、ハンナさんからのお願いですから、ここは素直に従います。

「どこか痛かったですか?」

「……シェリーさんはしっかりと持ってくださってますから、痛くも何ともねーですし。……頼もしいですけど。……こう、………………近い、です……から………………かお、が……」

 ハンナさんの言葉は後ろに行けば行くほど、小さくなっていきます。言われている言葉は聞こえますが、意味までもはっきりと捉えられるかというと、少し分からない部分もあります。

 ですが。ここで聞き返しようものなら、ハンナさんがぷんすかしてしまうということはこれまでのハンナさんとのやり取りで学んでいます。だからここは聞き返すことなく、笑顔で頷くことにします。

「おまたせしました。ちょうど飲み頃のもの、選んできました」

 戻ってきたメルルさんが手にしていたのは、干した葉。おそらくハーブを乾燥させたものなのでしょうが、私には違いが分かりませんでした。

 そしてそれを棚の中から取りだした急須のようなものに入れたかと思うと、ポットのようなものを持って、ぱたぱたと外へ出て行きます。

 そして数分後、戻ったメルルさんはポットを急須へと傾けます。とぽとぽと音が聞こえるのと同時に、お湯が静かに注がれるのが見えました。

「厨房にしか、お湯が出る蛇口がありませんから。これから、皆さん分のハーブティをお淹れしますね」

 急須の蓋を閉じた後、嬉しそうに、そしてどこか恥ずかしそうに、メルルさんは言います。

 メルルさんはハーブティを淹れる、とは言いましたが、その手はそこで止まります。そしてにこにことした顔をハンナさんに向けるまま、少しの時間が経って。

 メルルさんはおもむろに急須の蓋を開けて、鼻を鳴らして。「はい、大丈夫ですね」と言ってから、再び急須へとお湯を注ぎます。今度は、たっぷりと。

「メルルさん、今何をしたんです?」

 ふと、気になって聞いてみました。

「ハーブを、お湯で蒸していたんです。お湯を入れて数分間蒸して、それからお湯を注ぐと、よりハーブの香りが引き立つんですよ」

「へぇー。知りませんでした」

「――――、わっ、私も本で知ったものなので、理由とかは分かりませんが! ただ、こうすると、ハーブティがおいしくなるんです」

 メルルさんは目に見えて慌てます。顔の前で手をぶんぶんと左右に振る仕草は、エマさんにそっくりなように感じました。

 はっとした顔を見せたメルルさんは、何回かこほんこほんとわざとらしい咳払いをした後、急須に視線を落とし、静かに、ぽつりと、話し始めます。

「…………私は、この蒸している時間が、好きなんです。おいしくなぁれって、飲む人がリラックスできますようにって思いながら、静かに待つ時間が、……好きなんです」

 メルルさんは静かにそう話して。そして顔を上げて、私たちを見てにっこりと微笑んでから、急須から四人分のティーカップにハーブティを注いでいきます。

 メルルさんらしくなく、おどおどとしない、静かな、そして愛おしいものを懐かしむような言葉。何かが、私の頭に引っかかるような感覚がありました。

 少し考えて、メルルさんがハーブティを均等に注いでいく様を眺めながら、考えて。具体的に何が、どう、というのは、分かりませんでした。

 ――もしかしたら、ハーブティを淹れる過程の中で、何かがあるのかもしれない。

「メルルさん、今度、ハーブティの淹れ方、教えていただけませんか?」

 そう思っていたら、自然と、言葉が出ていました。

「いいですよ。シェリーさんが淹れ方を覚えたら、ハンナさんも、エマさんも、一緒にまたお茶会しましょう」

 最後の一滴をハンナさんのカップに注ぎ終わったメルルさんは、にっこりとした笑顔で、優しい声で、私を誘ってくれました。

 

◇◇◇

 

 ハーブティを淹れている間から、医務室の中の空気が変わっていくのを感じていました。消毒に使うものなのでしょう、アルコールのツンとする臭いから、ハーブティの柔らかな香りへと。

 そもそも医務室というのは、怪我人を治す場所なはずですが――。誰も何も言わないので、よしとしましょう。半ば部屋主のようになっているメルルさんがいるので、懲罰の対象にもきっとなりません。そもそも、今は自由時間ですし。

 そして医務室のテーブルの上に、四人分のハーブティが並びました。

 主犯格のエマさんは、とてもにこにことしているのが見えます。一方の受ける側のハンナさんと言えば、羽根でできた扇子を口元に当てて、ぱたぱたと扇ぐだけ。私から覗えるのは、目だけです。

 嬉しそう、というよりは、また別の感情のように思えます。目だけでは、上手く推し量ることはできませんが。

「ハンナさん、お誕生日おめでとう!」

 エマさんの声はいつも以上に弾んで聞こえます。

 場所は牢屋敷の、医務室。部屋に飾り付けもされていなければ、机もただの四角いテーブル。『わたしが主役』と書かれたタスキもなければ、ほかほかの温かい料理もなく。お菓子もなければ、ケーキも無く。渡すようなプレゼントもありません。

 それでもこの場は、まごうこと無き、ハンナさんのお誕生日を祝う会。

 鳴らすクラッカーの代わりに私もおめでとうの言葉を伝えると、ハンナさんは口元で何やらもごもごと言うのが聞こえました。私を含め、三人の視線を受けるハンナさんは、扇子を口元に当てたまま、視線をきょろきょろと彷徨わせているのが見えます。

 頬が少し紅くなっているのは。まだハーブティは飲んでいないので、照れの方、でしょうか。

「…………あの、えと、……その…………どうにも、慣れないもの、でして。………………ありがとう、ござい、ます…………」

 そう、小さく呟くのが聞こえました。

 慣れない、とは。誕生日会のことでしょうか。それとも友人同士でのお茶会のことでしょうか。

 誕生日会も、お茶会も、私もハンナさんと同じ、初めてのことです。この空気に、全然慣れてません。エマさんに引っ張られるままに、準備をしただけ。一方のハンナさんは、主賓だからと座っていただけ。

 だとすれば、今のハンナさんの感情は。――照れもありますし、それ以上にあるのは、緊張、なのかもしれません。

「――――、」

 ハンナさんが座ってる場所が、隣でよかったと思います。手を伸ばせば、ハンナさんに手が届くから。

 右手をまっすぐに、ハンナさんの方へ。

 ふに、と、指先に柔らかい感触が伝わります。もちろん、爪で刺したりしてません。指先でハンナさんの頬をつついただけです。

 すぐに振り払われないのをいいことに、二度三度とふにふにとつつきます。ハンナさんのほっぺは柔らかくて、温度があります。

「あにふんでふの」

 やっと反応が返ってきました。じとーっとした目は、いつものハンナさんの顔。ほんの少し顔が赤いのは、おそらく先ほどの照れが残っているのでしょう。

「照れるハンナさんが可愛かったので、つい」

 ――ハンナさんを元に戻してあげたかった、だなんて言えませんから。あと、もちろん嘘は言っていません。ハンナさんが可愛いと思ったのは事実ですし。

「……主賓を敬うのか、からかうのか、どっちかにしろー、ですわ」

「分かりました。……では」

 椅子ごと位置をずらして、ハンナさんに体を近づけさせて。

「ハンナさん。お誕生日、おめでとうございます」

 今度ははっきりと。そして、ハンナさんにだけ聞こえるように、耳元で囁きます。

 ハンナさんは、手に持っていた扇子を顔の横に。まるで表情をテーブルの向こうに見せないようにしてから。

「ありがとうございます。シェリーさん」

 恥ずかしそうに、はにかむのが見えました。

 今のハンナさんは、魔女ではなく、そしてお嬢さまでも、なく。

 一人の、誕生日を祝われる普通の女の子の、かわいい顔をしているのが見えました。

 

◇◇◇

 

 ――あとは二人でごゆっくり! お片付けはボクとメルルちゃんでするから!

 

 お誕生日会兼お茶会を終え、エマさんにそう言われるなり医務室を追い出されて。

 どこに行こうかと廊下を二人でゆっくりと歩いていて、私たちの足は自然に外へと向いていました。

 扉を開けて、土を踏みしめて、大きく息を吸って。ハーブの香りとも違う、澄んだ匂いが鼻の中を通り抜ける感覚がありました。

「はー…………」

 ハーブティの効果なのか、思考がふわふわとしているのを感じます。リラックス効果、というものでしょうか。

 隣を歩くハンナさんも、大きく息をするのが聞こえました。ため息、ではないのは、顔を見れば分かります。数時間前に同じ場所で見たハンナさんの顔とは、異なっていました。今のハンナさんは、すっきりとした顔。

「ハンナさ――「初めて、でしたの」

 呼び掛け終わる前に、ハンナさんの声が横入してきました。

「わたくしの誕生日というものを、意識するのは。…………だから、そう、ですね……。嬉しかった、んだと、思います。」

 ――まだ、実感は、ねーですけど。

 言葉が続くかと思いましたが、そこで終わります。後は言いません、と示すかのように、もうひとつ、空中に息を吐き出す音。

 今日のハンナさんは、嬉しそうであっても、どこかぎこちなさそうに見えました。初めてで、実感がなくて、ふわふわしている、今のハンナさんは。

 ――どこまでいっても、私とおんなじで。吹き出しそうになっちゃいました。

 今吹きだそうものなら、ハンナさんは不思議に思うでしょうから、我慢我慢。

「私も、ですね。初めてです。……誰かの誕生日を、心からお祝いするのは」

 もちろん私はいい子なので、義親の誕生日の日には、朝の挨拶の前に祝意を伝えました。けれどそれは、私が義親からやってもらっていたことをそのまま返しただけ。やる理由を自分の中に落とし込めないまま、人の模倣をしていただけ。

 

 ――ハンナさん。お誕生日、おめでとうございます。

 

 言葉と気持ちが一緒になったのは、……初めてかも、しれません。

 だから、なのだと思いました。言ったときから、私は――。

「ああ、そういうこと、ですか」

 医務室の中で考えていたことが、やっと、私の胸の中にすとんと落ちた気がしました。

「だから、胸がぽかぽかとしてるんですね。やっと分かりました」

「…………?」

 隣では、ハンナさんが目を細めているのが見えます。太陽に目を向けるときのような、細めた目。怪訝そう、を少し柔らかくしたような、ハンナさんの優しさが顔に見えるような、その表情。

「相手のことを考えるって、こういうことなんですね」

 メルルさんからハーブティの作り方を聞きたくなったのも、きっと、同じこと。

 ハンナさんに、喜んでもらいたいって気持ち。それが、誕生日会というものの本質なのだと、今、やっと、はっきりと、理解しました。

 ――少し、遅い気はしますけれど。

「……シェリーさんが、いったい何を納得したのかは、分かりませんが」

 隣を歩くハンナさんの声がして、そして、手に柔らかい物が触れる感覚があります。

「シェリーさんはいつも、わたくしのことを考えてくれてるじゃないの。今日だって、そうなのでしょう?」

 珍しく、ハンナさんの方から指を絡めてきて。そして私の方を見上げてきます。優しげな、お姉ちゃんの顔をしたハンナさんが、そこにいました。

 ――ハンナさんから見た今日の私は、どう見えていたのでしょうか。

 私は今日、誕生日会ということを知るエマさんについて回っただけ、のような気がしています。理解はつい先ほど、追いついてきたばかりでしたから。

「……そういうことにしてもらっていいですか? ひとまずのところ」

「煮え切らねーですわねぇ。――――シェリーさんらしいですが」

「えへ。褒められちゃいました」

「まったく褒めてねーですわー」

 ダウナーな声の、ハンナさんのツッコミが入ります。

 ハンナさんの誕生日会(とくべつ)が終わった後、いつものやり取りが戻ってきました。

 エマさんが私たちを二人にしてくれたのは、きっとこういう時間を過ごすためなのでしょう。後ほど、エマさんにはお礼をしなければいけませんね。

「来年は、お菓子とかケーキとかを準備できたらいいですねー」

「もう来年の話ですの? 気ぃはえーですわね」

 扇子で口元を隠して。けれど頬から上ははっきりと見えるから、ハンナさんが優しく微笑んでいるというのが丸わかり。

「エマさんと共犯になってハンナさんを驚かせますので、楽しみにしててくださいね」

「ネタバレが激しすぎますわ」

 ぱたぱたと扇子で扇ぐハンナさんは、言葉以上に、目で語ってきます。

 ――されっぱなしは、性に合いませんの。と。どこか、挑戦的な笑みで。

「その前に、シェリーさんのがありますから。腹をくくって待っててくださいまし」

「共犯者はエマさんですか?」

「そうですわねー。もうちょっと、増えるかもしれませんわね」

 ぱたぱた。

 扇子の音が聞こえる以外は、風の音と、二人分の足音だけが耳に入ってきていました。

 手に感じるのは、ハンナさんの手の感触。柔らかさと、温かさ。

 空は晴天。遠くには大きな虹。五月晴れという言葉が似合う空の下、私たちだけ。

「……楽しみですね」

「ええ、楽しみですわ」

 ハンナさんとの散歩。

 二人きりでの、ゆっくりと歩くいつもの時間は。

「………………」

 今日だけはなんだか、特別に思えるような気がしました。




5月15日はハンナちゃんの誕生日!おめでたい!
シェリーちゃん、ハンナちゃん、エマちゃん、メルルちゃんの仲良しグループで誕生日会が行われていたらいいなというお話です。
牢屋敷の中でも、誕生日の日くらいは祝われてほしいし、落ち着いた平和な日常を過ごしていてほしいなと思います。
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