ここ牢屋敷は、正直よく分からない規則がある。
看守が見回りや管理をするために、監房の中に居なきゃいけない時間がある、だとか。
服は毎日ダストシュートに入れなきゃいけない、だとか。
就寝時間になったら、会話をしてはいけない、だとか。
妙な規則は数え上げればキリがない。
決まりに逆らうことがもしできたとして、そのしっぺ返しは、看守による問答無用の連行の末の懲罰房に監禁という、恐ろしい仕打ちとしてやってくる。下手したら、看守の手による死という圧倒的暴力として返ってくる可能性もある。
ならば、その看守自体をなんとかしてしまえばよいのか、と言えばそうもいかず。あのフィジカルお化けのシェリーですら、看守に対してはほんの少しの時間互角に戦えるくらい。相手を倒すことはおろか、時間稼ぎも難しい。
だから彼女たち囚人は、妙な規則、妙な決まりだと思っていても、従わない訳にはいかないのだった。
ある日の、ある監房。
就寝時間を知らせるオートロックの音が監房に響く。
囚人が眠りに付いているベッドは静かで、物音と言えば寝返りを打つときの布擦れの音や、静かな寝息の音や、微かな寝言くらいで――。
いや、一つ。別の音があった。
トン、トトン、と。ほんの微かな、何かを叩く音。静かな監房の中でやっと聞き取れるくらいの音。そしてほんの時々、息を吐く音がする。
音の主は、遠野ハンナ。
スマホの明度を落として眺めているスマホには、メッセージアプリが表示されていた。
夜に寝る前の、メッセージアプリでのやり取りが、今日も行われていた。
お相手は、いつもの通り、橘シェリー。
話はしょうもない事柄から、割と自分たちに密接に関わる話と、多岐にわたる。そして今日の話題と言えば。
【食事の質についてどう思います?】
という話で、毎日食べる食事を、よりマシなものにできないものかと、あーだこーだとやりとりをしていた。
【やっぱり、主食として出ていたアレを焼くのは失敗でしたね。食感も特に変化はなく、むしろ周りに匂いでテロをするだけでした】
【ハンナさんが突然変なことをしでかすものだから、わたくしたちまで掃除する羽目になりましたわよまったく……】
【ハンナさんたちには感謝してます】
【本当に感謝してますの?】
【本当ですよー。ハンナさんたちがいなければ、私はここにいません】
「………………っ」
大げさだ、と思う。でもそれを一笑に返すこともできない、とも思う。だって、私たちは魔女候補。明日殺人事件が起こるかもしれない。明日殺人を起こすかも知れない。そんな綱渡りの状態で生きているのだから。今仲良くやりとりをしていることが、明日もできるとは――限らないのだから。
【紛らわしいこと、言わないでほしいですわ】
【本心なんですけどねー】
ならばなおさらだ、とハンナは思う。
一緒にいたいのに、お別れするかもしれない、みたいなことは言わないでほしい。
「…………」
目の前でやり取りをしている筈なのに、ハンナはどこか、寂しさのようなものを感じてしまった。
シェリーさんの声が聞きたい。あの、無駄に明るくて、無駄に空気が読めない、問答無用で周りを照らす太陽のような、あの声を聞きたい。――でも、規則ではそれが叶わない。
だからせめて、明日の朝一に監房に行こう。何も言わなくてもあっちから来るだろうけれど、今回はこっちから。そして、その声を聞いて、聞いて…………自分は、どうしたいんだろう。そう思うのと、同時。
――♪
「――――――ッ!」
スマホから突然着信音が鳴り、ハンナは反射的に通話開始をタップ。そのまま頭から布団を被った。
鳴ったのは着信音のうち、ほんの三音ほど。大きな音でもなく、そして短い音でもあったものの、音が出たのは確かで――。おそるおそる布団の隙間から監房の外を見るも、看守が覗き込むような様子はなかった。
「…………はぁぁぁ…………」
思わず、長い長い息が漏れた。スマホを耳元に当てると、『ハンナさーん、大丈夫ですかー?』と気が抜けるくらいに、いつものシェリーの声が聞こえてきた。
胸が安堵の気持ちに包まれるのと、瞬間的に緊急事態を察知した心臓が未だに鳴り続けているのとで、気持ちと体がギャップを起こしていた。
「なーに電話掛けてきやがってんですの! 就寝時間になったら話すの禁止! バレたら懲罰房行きですわよ!」
声が表に漏れないように、ヒソヒソ声で話す。電話口からは『んー……』と、本当に普段通りのシェリーの声が聞こえる。あっちは声を抑える気が無いようだ。そういう危ないことしないでほしいと、ハンナは心底思う。
『懲罰房、一回入ってみたかったんですよねー』
「『入ってみたかったんですよねー』じゃねーですわ! そんなことしてたら命がいくつあっても足りませんわ!」
あの人の好奇心旺盛さは本当、もう、手が付けられない。その結果を考えるより先に、気になる、で動く人だ。その行動力に救われている部分もあるから、一概にダメだとは言わないけれど、でも今回ははっきりとダメと言わなきゃいけないと思う。橘シェリーの、大事な友達として。そして――――。
『懲罰房、ハンナさんと一緒なら平気かなぁと』
「…………っ! そういう問題じゃねーですわよ! はい、切りますわよ!」
『ああ、ハンナさん待ってください待ってください。一つだけ』
「なんですの?」
『おやすみなさい、ハンナさん』
それまでの声とは違い、耳元で囁くような声に、今度こそ心臓が大きく跳ねる。
心臓だけじゃなく、体ごと、ビクッと跳ねた。
心臓がうるさく動いてくれるおかげで、顔が急激に熱くなってくるのが分かる。
「………………いや、メッセージで言えばよろしいのではなくて?」
『せっかくだし、言いたいなぁって思いまして。…………ハンナさんは?』
おやすみを言う声は元に戻り、どこか甘えるような声を出す。じぃっと自分を見つめるシェリーの姿が、見えた気がした。
「………………はいはい、おやすみなさい。シェリーさん」
『…………えへへ』
くすぐったさを覚えるときのような笑みの声が聞こえてきて、ハンナは胸の音が余計にうるさくなるのを感じていて。
「~~~~、はい、切りますわよ」
『はい。また明日』
そんな言葉を最後に、電話を切った。
また明日、と。
そう言える相手がいてくれると。
そう思えるだけで、ハンナは、たぶん。
明日も、生きていける気がした。
地下監房の就寝時間後って、話したら懲罰房行きなんですって。とんでもない決まりですわね!
ってのを知ったらこんなお話ができてました。
しれっと書いてあるせいで、会話したことが原因で看守にしょっぴかれた子もいるんじゃないかって思います。
でも彼女たちは、あの手この手で決まりをかいくぐったりしてるんじゃないかって思います。
これは一つの、そんな物語。
牢屋敷に入った直後のハンナちゃんは決まりは守らなきゃいけない、ゴクチョーへの直談判なんてもってのほかって思ってそう。