シェリハン作品   作:みょん!

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雨の日にもあなたと探索を

 ガシャッ、と小さな音が監房に響く。その音でハンナは目を覚ました。

「ん、くぁ…………」

 目が覚めて、一つ欠伸を漏らす。

 ベッドに置かれたスマホを見ると、六時ちょうど。同室のココに配慮してアラームも掛けていないのに、ロックが解除される音で目が覚めるようになってしまった。

 そしてスマホに目を向けるのとほぼ同時に、ぱたぱたと軽快な足音が聞こえ始め、それが少しずつ大きくなってくるのを感じる。

 牢屋敷の地下通路と監房の間には鉄格子しかない。だから監房の中で音を出せば、大なり小なり、周りの監房には聞こえるものだ。

 けれどハンナは今のところ、アラームの音は聞いていない。聞いたこともない。

 だから足音の主、シェリーが起きているのは、いつも自然起床ということで――。

 ――あの人はどうやって起きてるんでしょうね……。

 ふぁ、ともうひとつ欠伸をしていると、鉄格子の向こうに、青色と白色が見えた。

「ハンナさん! おっはようございまーす!」

 今日も朝っぱらから元気ですわねー、と。

 そろそろココさんに怒られますわよ、と。

 今日も髪も服も相変わらずですわね、と。

 同時に浮かぶ考えを処理しながら、地下通路に響き渡るシェリーの声を聞いていた。

 ――朝に聞く鶏の声みたいですわね、だなんて言ったら、シェリーさんはなんて返すんでしょうね。

 だなんてことを、うっすらと考えながら。

 

 シェリーの髪の毛を整えてから、二人で一階への階段を上がっていく。

「ハンナさん、探索の場所、どこがいいでしょうか?」

「そうですわねー。前回の反省を活かして、もう一度森林地帯で果物を探すのは有りかもしれませんわ。最近の食事で出るフルーツは、軒並み悪くなってますもの。そろそろ新鮮な果物を食べたいですわ」

「シェリーさんって、結構食い意地張ってますよね」

「そ、そそんなことないですわよ!?」

「えー? でもトレーに取ったものは全部食べてるじゃないですか」

「それはもったいないからですわ! よそった物は全部食べる! お残しは厳禁! これは鉄則ですわ!」

「では今日はそんなシェリーさんのために、フルーツ()ぎに行きましょうか!」

「別にわたくしの意見に賛同しなくても…………」

「いいえ! ハンナさんに付き合って貰ってるんですから、ハンナさんの行きたいところに行ければ私は満足です!」

「な、ならいいですけれど……?」

 地下通路内で話をしようものなら、シェリーの声は響いてしまうからと、話をし始めるのは、階段に差し掛かってからだ。

 二人でゆっくりと話しながら、階段を上っていく。

 日中なら誰かの話し声が聞こえたり、誰かとすれ違ったりすることもあるけれど、早朝のこの時間帯は誰かと会うことも少ない。

 まるで世界に自分たちだけがいるようにも錯覚してしまう。

 もしこれが一人で、黙って階段を上っているのなら、心細い気持ちになるだろうけれど。

「――――」

 シェリーが先導するように手を握ってくれているから。

 シェリーが和ませるように話しかけてくれるから。

 この世界には自分だけじゃないと分かるから。

 ――まだ、ここでもやっていける気がした。

 

 自分たちの日常は、早朝に外を出て『探索』と称して散歩をしつつ、何か手がかりを得る。

 そして朝食の時にエマやメルルが居ればその情報を共有し、午前中や午後の自由時間でその部分をより深めたり、または別の場所に行ったりする。

 牢屋敷の中に連れ込まれたときには、てっきりずっと牢屋敷の中で生活すると思っていた。

 けれどシェリーが手を引いていってくれるおかげで、外に出られているし、一人でいることもない。

 ――本当に、この人には、感謝してもしきれないですわね……。

 そう、最近は思っているのだけれど。言ったところで返ってくるのはただただまっすぐな反応で。自分が照れさせられるだけなのが分かっているから、言わない方がいいのだと思う。きっと。

「さ、ハンナさん、今日も探索に行きま――――」

 勢いよくシェリーが玄関のドアを開けた途端、湿気と共に雨の匂いがふわりと香ってきた。

 牢屋敷に来てからというもの、常に外は晴れていたものだった。だからてっきり、ここはそういう場所だと思っていたのだけれど。どうやらしっかりと天気の変化があるようだった。

 ……なら、以前に見た、野原にあった虹はなんなんですの?

 そう思いはしたものの、口にすることはなかった。

「あらら。雨、降ることもあるんですねー」

「同感ですわ。わたくしも同じ事を考えていました」

「一緒ですね!」

 嬉しそうに声を弾ませるシェリーに、ハンナは上手く返せなかった。雨というマイナス要素でしかないものを、どうしてこんなに明るい声で返せるのだろうと。

「でも、このまま探索に出るわけにはいかないですねー」

「そりゃそうですわ。ずぶ濡れになりますもの。で、どうしますの? 今日の探索は牢屋敷の中にしますの?」

「いいえ! 外にしましょう!」

 えへん、と言うかのようにドヤ顔をするシェリーが、すぐ近くに見えた。

「雨の日なら、雨で何かのギミックが発動するかもしれません!」

「ここはゲームか何かですの……?」

 その自信はどこから出てくるのだろう、とやっぱり心底思う。けれどその本人は、至って自信満々で、そして――どこか、楽しそうで。

 だから、この人と一緒にいたいのだな、と思える。

「さっきも言いましたけど、ずぶ濡れは嫌ですわよ。こんな所で、風邪なんて引いてみなさいな。碌なことになりませんわ」

「それはそうですね。だから、こうします!」

 こう、とは? と聞こうと頭を捻っていて、シェリーが息を吸う音を聞く。そしていつの間にか、繋いでいた手が離れ、その手がシェリーの口元に添えられるのを見た。

 その時点で、思考をするよりもまず、耳を塞ぐことをすべきだった。

 ――気づいたところで、既に遅いのだけれど。

「ゴクチョーさーん! 傘貸してくださーい!」

 牢屋敷中に響き渡るくらいの大声が、すぐ隣から聞こえた。

「――――っ!」

 地下で寝ていた人たちがその声で起こされて、シェリーに恨みを募らせたりしないだろうか、と心配する方が先に来てしまうほどには、大きく通る声で。

 どこからか怒声が聞こえないかとハラハラする中、聞こえてきたのはばさり、ばさり、と羽根の音だった。

「朝から騒がしいですね……。なんですか?」

「ゴクチョーさんおはようございます! 傘貸してください!」

「傘ですか。……そんなことで呼ばないでほしいんですけどね」

「何かあったら呼ぶように言ってくれたじゃないですか」

「言ってませんけど。……まぁいいです。傘ならそこに……あれ、ないですね」

 ゴクチョーがばさばさと玄関の扉の前へと行き、器用に首を傾げたと思うと、玄関ホールの中を右にばさばさ、左にばさばさ、行ったり来たりを繰り返す。

「あー、シェリーさん……、あ、いえ。ハンナさん、そこの用具入れを開けて貰ってもいいですか?」

「ここですの? はい、開けましたわ」

「はい、ありがとうございます。シェリーさんだと壊す恐れがありましたからね」

「ご理解いただき恐縮です!」

「…………皮肉で言ったつもりなんですけどね」

「…………」

 なんか、妙にカチンと来た気がした。ゴクチョーの声が面倒くさそうだったから、なのか、はたまたその前の礼を言う言葉が棒読みだったからか――少し頭を巡らせてみても、理由らしい理由は、分からなかった。

 その間にゴクチョーが用具入れの中に入るも、すぐに首を傾げて出てきた。

「…………ああ、そうです。武器として使われたから撤去したんでした。……ええと、一応聞きますけど、傘として使いますよね?」

「もちろんです! ハンナさんとお散歩します!」

「…………まぁいいでしょう。ちょっと待っててくださいね」

 そう言うと、ゴクチョーは再びばさばさと羽根音を響かせて、どこかへ飛んでいった。

 玄関ホールの椅子に座って待つこと、数分。再びばさばさと羽根音が聞こえてきたかと思うと、ゴクチョーが口に二本の傘を咥えて戻ってきた。

「ありがとうございます、ゴクチョーさん!」

 シェリーが弾んだ声で礼を言いながら、その傘を受け取って。

「結構ボロですねー」

 正直な感想を口にした。

 元々はいいものだったのだろう。黒色の布製の傘は、骨の所が折れていたり、見える範囲でも、布が所々切れていたりしていた。

「ちょっとシェリーさん!」

「これ、使えるんですか? 使ったところでハンナさんが濡れちゃったら意味ないですよ?」

 慌ててシェリーの服を引っ張るも、この人の言葉は止まらない。相手がゴクチョーだとしても、シェリーの言葉は変わらない。それが彼女のいい所でもあり、悪い所でもあるのだけれど――。今はどうしても、ハラハラしてしまう。

 ゴクチョーがその気になれば、看守をけしかけることだってできるだろうに。この人といったら、恐怖心なんてまったく存在しないかのように、ゴクチョーにも、誰にも、ずけずけとした物言いをする。服を引っ張っても止まらないのだとすれば、ここで自身にできることと言えば、シェリーが変なことを口走った時にいつでもフォローできるようにと、神経を研ぎ澄ませているだけだった。

「使えるから持ってきたんです。いいんですよ? 別に、使わなくても。その時にはまたしまうだけですし」

「……うーん、まぁ、使えそうだからよしとしましょうか。行きましょう、ハンナさん!」

 シェリーの言葉にへそを曲げることなく、ケンカ腰になることもなく、ゴクチョーとのやり取りが無事終わりを迎えたことに、ほっと息を吐く。それと同時に。

 ――なんか、もうこの時点で変に疲れましたわ……。

 妙な所で気を張っていたせいで、やけに体に疲労感が貯まっている気がする。

 けれどシェリーはそんなことは露知らず、傘を持ったまま玄関ホールのドアを開ける。再び外からは湿気と、雨の匂いが伝わってきた。

「このくらいの雨なら、この傘でもなんとかなりそうですねー」

 そう言って、シェリーは傘の先端を前方へ向ける。これまでに自分たちが使ってきたものと同じように、傘を開こうと、して。

「…………あれ。…………ん、……む?」

 隣からは、何やら困惑げな声。傘を開くためのボタンが、どうやら固まっているらしい。視線は、手元の傘に向けられている。片手では上手く押せなかったらしく、両方の親指で押そうとしているのが見えた。

「…………むん!」

 ガチッ、と、音が鳴った。

 

 ばひゅん、と。

 

 傘が飛んでいった。

 

「………………」

「………………あれ?」

 

 シェリーは不思議そうな顔をして、手に残った柄の部分を見る。

 首を傾げて、残った柄をまじまじと眺めて。

「…………飛んでっちゃいましたね」

「………………~~~~~~っ! 触れるもの全部壊す人ですのあなたはーーー!?!?」

 思わず出てしまった声は。玄関ホールの中で反響して聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ハンナさん、私よりも声大きかったですよ。だとか。

 ――もう一本の傘を開くとき、同じ事にならないかちょっとドキドキしました。だとか。

 ――雨の日って、監獄島はこんな風に見えるんですね。だとか。

 ――ハンナさん、濡れてないですか? だとか。

 ――ハンナさん。聞こえてますか? ハンナさーん。

 シェリーからの声は聞こえるものの、まったく頭には入ってこなかった。

 ……どうして。

 ……どうして、わたくしは、シェリーさんと相合い傘をしているんでしょう……?

 頭の中は、その疑問で一杯だった。

 

 二本あった傘が、一本になった。

 シェリー曰く、『私は何もやっていません』と。『勝手に飛んでいきました』と。

 一部始終を見ていたゴクチョーも、『ま、まぁ……、壊そうとして壊してないのは分かりました。……一応、その柄は武器になっちゃいそうなので、回収しておきますね』だとか言って、傘の件は不問にしたようだった。

 シェリーが『ゴクチョーさんゴクチョーさん、別の傘はないんですか?』と問うも、『そこになければ無いですね』とどこかで聞いた言葉が返ってくる。

 つまり現在、この牢屋敷にある傘は、手元にあるこれ一本だけということで。

 流石にこの状況であれば、外の散歩は無くなるだろう、と、そう思っていると。

 ハンナが持っていた傘が、ぱっと手から離れる感触があった。そしてばんっと傘が開く音と共に、ハンナの右手が、優しい感触と温度で包まれて――。

「さぁ、ハンナさん。雨の『探索』に繰り出しましょうか!」

 だなんて、雨雲を晴らすくらいの眩しい笑顔で、言った。

 手に感じる温かさに、耳に感じる元気の良さに。ハンナはため息を吐いてから。

「しゃーねーですわね。付き合ってやりますわ」

 そう言い終えた途端、シェリーの笑みが、より深くなるのが見えた。

「さ、行きましょう!」

 その時には、シェリーの眩しい笑顔に、明るい声に、思わず頷いてしまったのだけれど。もっと深く考えるべきだった、と後になって後悔した。

 手元にある傘は、一本。外は雨。自分たちは二人。

 ――その結果何が起こるかだなんて、これまで読んでいた少女漫画の中で、嫌と言うほどに知っていたはずなのに――――。

 

 ――相合い傘のきっかけって、もっとロマンチックなものだと思ってましたわ……。

 ハンナはそんなことを思いながら、シェリーと肩を並べて――いや、物理的にくっついて、歩く。傘は小さすぎるわけではないけれど、大きいわけでもない。二人が並んで歩くと、傘から落ちた雨粒が肩に当たってしまう。雨に当たらないようにするには、肩をくっつけるしかなかった。

 ハンナはこれまでに、一本の傘で最大三人と共に歩いたことはあった。

 けれどそれは、きょうだいと一緒で。しかも年も離れているものだから、ロマンチックもへったくれもなくて。

 けれど今は、違う。

 同い年のシェリーと、そして初めて、自分よりも背が高い相手と、傘を差している。

 ……割と、正直、ドキドキしてしまっているのが、自分でも分かる。

 自分心臓の音が、ダイレクトに耳に聞こえてしまっているんじゃないかと錯覚するくらいには、大きく高鳴っているのが分かる。

 全ては、シェリーのせいだと思う。

「ハンナさん、見てください! 雨が降ってるのに、虹だけは変わらずずっとありますよ!」

 シェリーの右手は傘を持って二人の間に。シェリーの左手は自分の右手と繋いでいる。だからそれを指差すことはできない分、声で差し示す。

「雨の中にある虹って不思議ですねー。虹の根元に行ったら、本当に宝物があるかもしれませんね!」

「それは……童話の中だけのお話ですわよ」

「あの虹だって誰かの魔法でできてるかもしれませんからね! もしかしたらもしかしてがあるかもしれませんよ!」

 シェリーの弾む声が、右側から止まることなく聞こえてくる。

 いつもの声よりも、ほんの少し抑えている声は、それでもはっきりと、ハンナの耳に、ハンナの胸に、直接届いてくる。

 一緒にいるときの声と今聞く声は、まるで別物のように聞こえて、やけにドキドキとさせられる。

 雨の日の相合い傘は、周りが雨のせいでドーム状になる結果、二人の声がより近くに聞こえる――とどこかで読んだ覚えがある。

 知識としては、あったのだけれど。

 それがまさか、本当にそう感じるとは思っていなくて――――。

「それでですねー、ハンナさん。ハンナさん?」

 じんわりと聞こえてくるシェリーの声は、いつもよりも抑え気味で。それがどこか、胸の中にじんわりと染み渡ってくる感じがあって。ドキドキしてしまう。なぜか。

 肩が触れているからかもしれないし、手を繋いでいるからかもしれない。

 一緒に歩いているというだけで。どうしてこんなにも、胸が温かくなるんだろう。ドキドキとするんだろう。分かんない。分かんないけど。このドキドキは、決して嫌じゃ――。

「ハーンーナーさーんー?」

 なにやら甘えるような声が聞こえたかと思うと、側頭部にこつんと何かが当たる感覚がある。ぐりぐりと擦りつけられる感覚があった、かと、思う、と――――。

「――――ぴっ!?」

 横を向く。シェリーの顔が、すぐ近くにあった。

 両手が塞がれていることをいいことに、側頭部をぐりぐりと擦りつけられていたのに、やっと気づいた。

「な――――別に物理的にくっついてこなくたって分かりますわ!?」

「だってハンナさん、聞いても返事くれなかったじゃないですかー。私一人で話すのは寂しいんですよー。ぷんぷん」

 ふて腐れたような声が聞こえる。おそらく、本当に口元を尖らせているのだろうと思う。橘シェリーという人物は、そういうことをする人だから。

 そういうところが、可愛いと思うのだけれど、決して言う事はできないな、と思う。

「ま、ハンナさんの可愛い悲鳴をすぐ近くで聞けたからおっけーとしましょう!」

「それのどこがおっけーですの……」

 ため息と共に、隣を視る。

 イタズラをした子どもが浮かべるような、柔らかい笑顔を浮かべているのが見えた。

「さて、壁の所に来ましたね」

「…………何も起きてませんわね」

 周りと同じように濡れてるし、雨が降ったからと言って高さが変わっているわけでもない。壁が動いたりしているわけでもなければ、ギミックが発動したような形跡もなかった。――まぁ、それが当然だと思うけれど。

「雨に濡れたから、壁が柔らかくなってたりしませんかね?」

 繋いでいる手が離れていきそうな予感がして、慌てて握り直す。

 もしここで手を離そうものなら、本当に壁に殴りかかってしまいそうに思えたから。

「お止めなさいな?」

「やりませんよー。ハンナさんを危険にさらすようなことはしません」

「一応、その自覚はあるんですのね」

「もちろんですよ。今はハンナさんが大事な人ですからね」

 きゅっと手を握られる感覚がある。

 心臓が妙に高鳴る感覚が、より強くなる。勝手に、顔が熱くなる。隣を見ることが、目を合わせることができなくて、視線を前の方に向けてしまう。どこまでも高く、見上げるほどに高い壁は、自分たちを閉じ込めている、ということを分かりやすく表している。

 二人で壁を眺めていると、勝手に無言になってしまう。それは、どこか圧迫感というものもあるし、目の前の現状をまざまざと見せつけられているようにも感じたから。――自分たちは、ここから、ずっと、出られないんじゃないかと、思えてしまって。胸が、重くなるのを、感じて。

「――――ねぇ、ハンナさん。いつか、ですけど」

 そんな中、雨音に混じって、ぽつりと呟くのが聞こえる。

「いつか、ですよ? 私たちがこの監獄島から、脱出できたら――」

 シェリーの言葉は、そこで止まる。

 そこまで言って何も考えてないんじゃないだろうか、と思って隣を見上げると――。自分を見下ろして微笑む、シェリーの顔があった。

 ばっちりと目が合う。シェリーが目を細めて、笑うのが見えた。まるで。

 ――やっと私の方を見てくれましたね、ハンナさん。とでも、言うかのように。

「そのときにはまた、ハンナさんと一緒に、外を歩きたいです。野原でもいいし、街中でもいいです。一緒に、手を繋いで、歩きたいです」

「――――」

 だなんて、しれっと、そんなことを言い出した。

 それはつまりは。

 つまりは――――。

 ええと。

「…………分かって、言ってますの?」

「もちろんです。一緒に買い食いしたり、お買い物したり、お散歩だけでもいいんです。雨の日でも、晴れの日でもいいです」

 『分かって』には、二つの意味があった。

 ひとつは、それは、誘っているのか、ということ。

 もうひとつは、ここから出られると本当に思っているのか、ということ。

 どっちの意味で取っているのか、と確認をしたかったけれど、どっちともいえない言葉が返ってきた。シェリーは壁の上を、そしてその先を見据えるように、言う。

「私――相合い傘ってのを、やってみたかったんです。純粋に、興味として。どんな感覚なのかなぁって。牢屋敷(ここ)だったら、できるとしたらハンナさんだけだと思ってました。だから今日、その念願叶っちゃったわけです。……傘が一本になっちゃったのは、本当に事故ですけど。それで、相合い傘ができたら。私、やってみたいことが増えちゃったみたいです」

 まるで他人事かのように、その人は言う。きゅっと、繋ぐ手に力が入る感覚があって、今、自分はシェリーと手を繋いで外を歩いているのだということを、やけに実感させられる。

「………………――――――」

 そのせいか、妙に、やけに、さっきからうるさかった心臓が、更に輪を掛けて、うるさく鳴り響く。うまく、息ができなくなる。まるで夢の中にいるかのように、思考がぼーっとするのが分かる。

 シェリーと手を繋いで歩くのは、別に初めてのことなんかじゃない。初日からずっと続けてきて、その手の柔らかさも力強さも温かさも、慣れているはず、なのに――――。

 ドキドキして、止まらなくなる。自分がなんなのか、分からなくなる。

 肩を押される感覚がある。

 隣を見上げる。にこりと微笑むシェリーが見える。どくんっと、心臓が跳ねる。視線を元の場所に戻す。

 息を吸って、吐いて。大きく吸って。やっと、思考が、戻ってきた気がする。気がする、だけかもしれないけれど。

 この人は、やってみたいことが増えたと言った。一緒に外を歩きたいと言った。

 …………それは、きっと、好奇心によるものなのだと思う。やってみたかったと、それだけの理由。だから、それは、別に――。

「…………わた、」

「ハンナさんが、いいんです」

「――――」

 言葉を遮って、シェリーが言う。

「こんなことを頼める人、ハンナさん以外にいません。どこかに行きましょうって連れだして、嫌な顔しないのは、私に、こんなに付き合ってくれる人は、ハンナさんが初めてです。ハンナさん、あなたが、いいんです」

 ――自覚は、あるんですのね。と頭の中のひねくれた自分が指摘してくる。

 ――それは……告白みたいなもの、じゃないでしょうか、と頭の中の自分が指摘してくる。

 でも目の前の人は、まったくもってそんな様子は見えなくて。その言葉は、本当に文字通りのこと、なんだと思う。それはそれで、どうかと思うのだけれど。一方的に、自分だけ、恥ずかしがってるのがバカみたいに思えてくる。

 ――どうせ、ドキドキしているのは、わたくしだけなんでしょうね。

 そう、思えてしまう。

 でも。それでも。どこか、意識の中では。

 ――嬉しい。

 と、思えてしまう自分がいるのが、分かる。

「――――――――」

 触れる肩から、自分が感じている熱も、鼓動も、全部伝わってしまっているように思えた。

 ――わたくしで、いいんですの?

 そう問いたかった言葉は、すぐさま否定された。

 自分がいいのだと。自分と一緒に外を歩きたいのだと。

 それは。この監獄島を出たあとにしては、余りに簡単すぎることで。

 この監獄島を出るということが、どれだけ困難で、危険なことか。

 ――そんなんで、いいんですの?

 そう、思えてしまう、自分が居た。

 なんでかだなんて、分からない。頭がごちゃごちゃして、まとまらない。

 はっきりと分かるのは、身体がやけに、妙な反応を示しているな、ということ。きっと顔も、赤くなってしまってるんだろうと思う。

 それは。…………それは。

 少女漫画で、様々な形で、描写された、とある反応なんじゃないかと、頭の中のどこかの自分が、そう囁いてくる。

 否定する。

 否定したい。

 でも身体の反応は、どうしても、治まってくれない。

「…………」

 隣からは、何も聞こえない。手の感触もある。差し出される傘が見える。隣の人がどこかに行ってしまっているのではないということが分かる。

 黙っていれば延々としゃべり続けるシェリーが、珍しく、黙っている。

 隣を見る。目を丸くしたシェリーが、何やらまじまじと自分を見ているのが見えた。

 くりくりとした丸い目が、自分を見据える。

 答えを求められていることくらい、思考がごちゃごちゃな自分でも、分かった。

「………………そのくらい、でしたら」

 イエスか、ノーかだなんてのは、とっくに決まってた。……でも、すぐに答えが出なかったのは、…………色々と、覚悟が、必要だったから。だって、それに答えるということは、つまりは。

 相手は、そう思っていないかもしれない。でも、自分は――――どうしようもなく、そう、思えてしまうのだから。そう、取れてしまうのだから。だから、覚悟が、色々と、必要で。

 繋いでいる手に、こっちからも、力を込める。離さないようにと、強く握る。

「どこでも、いいです。一緒に、外を歩きましょう。…………ここから、一緒に出て。一緒に、帰って」

「………………」

 シェリーの目が、見開かれるのが分かった。そしてやがて、優しく細められるのと同時、口元が、にんまりと横に広がるのが見えた。

「約束ですよ、ハンナさん」

 相合い傘の中で聞く、シェリーの声は。

 今まで聞いた、どの声よりも。優しくて、そして嬉しそうに聞こえた。

 

「よーし、それでは!」

 シェリーが傘を持ったまま、壁の方へと走っていく。傘を持ったまま行ったのが問題で。自分も走るはめになった。

 壁にぺたりと手を触れたシェリーは、うん、と声と共に頷いて。

「脱獄計画を、本格的に練らなきゃいけませんね! 私と、ハンナさんと、皆で、脱出計画!」

 拳を掲げて、シェリーは宣言する。

 脱獄が本当にできるかどうかは、本当に、分からない。

 できたとして、本当に二人で外を歩けるかどうかも、分からない。

 けど。

 そんな未来を思い描くと、胸がふわりと、軽くなるように思えた。




牢屋敷で過ごしていた間、シェリーちゃんとハンナちゃんは相合い傘をしていた時があったらいいなと思ってできたお話がこちらです。
シェリハンの二人は、雨の日も二人で肩をくっつけあって歩いていて欲しい。
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