牢屋敷の玄関を出て、地面が土でできた道――人がそこを歩いた結果草が生えていないというだけで、そこを道と言えるかは甚だ疑問だけれど――をまっすぐ歩く。しばらく歩いて、道が大きく右にカーブする。そこから歩くこと、更に数分。やがて目の前に花畑が見えてくる。
目の前に広がるのは、蒼い空、白い雲。遠くにはずっと出続けている大きな虹。
牢屋敷の陰鬱な空気感とは違い、開放的なその場所は、シェリーとハンナの『探検』でよく向かう場所になっていた。
「んーーー!」
シェリーは空に向けて大きく伸びをする。かと思うと、今度は手を大きく横に広げて、胸いっぱいに空気を吸い込む音がする。
「やっぱり外は気持ちがいいですねー。牢屋敷の中は息が詰まりそうです。ね、ハンナさん?」
「まぁ、確かにそう思いま――ちょっと、シェリーさん?」
隣から聞こえる無邪気な声にいつものようにため息を吐いていると、隣の人物が忽然と消えるのを視界の隅に捉えた。
ほんの数秒後、ぼふんと、かさりと、音がする。
振り向いた先で、シェリーが仰向けに野原に倒れ込んでいた。
思わず心配の声を上げるものの、シェリーに頭や背中を打って痛がるような様子はなかった。音からしても、寝転んだ先に硬い物はなかったのだろうと、先ほどとは別の意味で、大きく息を吐いた。
――魔女図鑑で牢屋敷のマップはありますが、外のことはよく分かりません! なので探検しに行きましょう! ハンナさん!
シェリーがそう目をきらきらとさせて言い出したのは、彼女たちがここに連れてこられた翌日のこと。そんなシェリーに、ハンナは『仕方ねーですわね。着いて行ってあげますわ』と不承不承を装って、シェリーとの初めての『探検』に出て――。
シェリーとの探検は、ここに来て一週間が経った今も、変わらず行われていた。
あるときは、十五時までの自由時間が過ぎていることに気づかずに散歩を続け、偶然鉢合わせした看守と追いかけっこを繰り広げたり。――その時は、シェリーがハンナの手を引いて逃げていたものの、途中からはハンナを担ぎ上げて走ることになった。
またあるときは、ハンナとシェリーが隣り合って歩いていたところ、突然シェリーの姿が消えた。かと思うと、シェリーは涸れ井戸の途中で、壁に両手を付けて落ちずに留まっていた。そこから、俗に言う『チムニー昇り』をして難を逃れたり――シェリーが昇りきった後の井戸を見ると、壁がものの見事にボロボロになっていた。
『あっはっは、危なかったですねー。これ、底が見えませんよ』
『危なかったですねー、じゃねーですわ! あなたが急に消えるものだから、心臓が止まるかと思いました!』
『ハンナさん、心配してくれたんですか?』
『当然ですわ! シェリーさんとは一緒に行動してるんですもの、一人で帰ろうものなら、何を疑われるか分かったもんじゃねーですわ」
『…………』
『ちょっと抱きつかないでくださいまし! ――ぐぇ。ちょ、この馬鹿力ゴリラ女! 力加減ってものを覚えなさいな』
『えへへへ』
『はーなーせー!』
またまたあるときは、木に生っている木の実を嬉々として収穫し、それこそ各自の帽子まで使って大量に牢屋敷に持ち込んだところ、メルルに『これには、毒があります……。おいしいですが、食べると大変なことになるので、食べないでください…………」とほろほろと泣きながら訴えられた。
二人の『探検』は平穏に過ぎることの方が少なく、何かしらのトラブル――悪いことはそれほど起こってはおらず、どちらかと言えば賑やかなイベントと呼ぶ方が正しい――が毎回発生する。けれどそんなシェリーとの探検は、ハンナは嫌いではなかった。子どもみたいに好奇心旺盛に色んな所に手を出し、様々なイベントに遭遇し、その度に一緒になって笑っていられる――。そんな二人の時間は、いつしか二人にとってかけがえのない時間となっていた。
なお。
大体はシェリーがハンナを引っ張って、二人で手を繋いで牢屋敷を出て行く姿を、牢屋敷にいる囚人たちの目に留まらない訳はなく――牢屋敷の中でも、シェリーとハンナの二人で一組、といった扱いをされているのは、二人の知るところではなかったが、それは別の話。
二人は探検を通して、様々なことを行った。騒がしい散歩もあれば、途中で野原に寝転がり、ぼーっとする散歩もあった。そのどちらになるかは、その時の運と、シェリーの気まぐれによるところが多いのだけれど――。野原に寝転んで、目を瞑っているシェリーを見ていると、今日は後者なのだろうな、とハンナは思った。
「シェリーさん、服、汚れますわよ」
シェリーが寝る隣に腰を下ろし、胸をぽんぽんと叩きながら、ハンナは言う。
逆の手を地面に置いて確認。地面の草花が朝露に濡れている訳ではない。とは言っても、子どもみたいに寝転んでしまえば、服はそれなりに汚れるだろうと思う。土とか、雑草のせいで。
シェリーの、探偵小説から出てきたようなデザインの服が、ハンナは好きだった。だからそれを汚すのは、なんだかよくないことのようにも思えた。
「いいじゃないですか。服は毎日焼却炉に投げ込むんですし」
「それは、そうですけど……。う~~~、やっぱりもったいないですわ。こんな、しっかりとして綺麗な布でできたお洋服を、毎日捨てるだなんてぇ…………」
「ハンナさんは、物を大事にするんですね」
「お褒め頂けて恐縮ですわ。……ケチと言ってくれても構わないんですのよ?」
「言いませんよ。ハンナさんが大事にしていることを、私が悪く言う事はできません。ハンナさんは、大事なお友達なんですから」
シェリーは寝っ転がったまま、まっすぐに見て、言う。その言葉に、ハンナは何も言えずに見つめ返すだけで。その視線も、すぐにふいっと逸らすことになった。
「…………、」
物を大事にする部分、有り体に言えばケチな部分は、人には理解されにくい部分だと、ハンナ自身も重々承知している。でもそれも含めて認めてくれるシェリーには、とても感謝している。でもそれを表立って言うのは恥ずかしいから、視線を逸らしたまま。
シェリーは道徳がないとか、人としてどこかズレてるとか、感情がないだとか、他の人はこの人をそう評価するけれど、決してそんなことはないと思う。人を気遣えるし、優しいところばかりだ。皆はシェリーのどこを見ているのだろうと思うけれど、それを知るのは自分や、エマやメルルだけだと思うと、どこか優越感のような物もある気がした。――絶対に、言わないけど。
視線の外で「ふふ』と吹き出すような声がする。振り返ると、シェリーが目を細めてくすくすと笑っていた。
「そんなハンナさんが、可愛いんですよね」
「…………お世辞は結構ですわ」
「本心ですよー。私は思ってないことは言いません!」
ぷんぷん、と実施に口にして、口元を尖らせて、シェリーは言う。どこか演技というか、わざとらしさのようなものも感じるけれど、その仕草は決して、不快な物では無く。むしろかわいげがあるもので――。
しれっと流しかけたけれど、可愛いという言葉にはどうしても体に――特に顔付近に――出てしまっていて、ハンナは結局、シェリーのその目を見返すことはできなかった。
話は一度そこで途切れ、探検とは名ばかりの、野原で過ごす時間となる。
聞こえるのはそよ風の音と、草木が揺れる音。それと、シェリーが立てる吐息の音。悲鳴も聞こえなければ、銃声も聞こえない。静かな音だけが、ハンナの全てだった。
それからしばらくして、むふんとした吐息の音と共に「あー、ずっとここで寝ていたいですねー」だとかいう声がする。大きく伸びをした体勢のまま、言葉の通り目を瞑っているのが見えた。
――私を『探検』に連れて来たのはシェリーさんですのに、本当、自由ですわね……。
シェリーはこのまま寝てしまいそうだな、と思った。ならば何か時間を潰せる物はないか、と周りを見回して。
「……あら?」
ふとハンナが視線を向けた先には、春の花であるシロツメクサが群生していた。更に視線を遠くにやると、紫色のコスモスが咲いている。視線を横に。ヒマワリが咲いているのが見えた。
四季の花々が、同じ土地に、しかも同時に咲いている。季節感がごちゃまぜになりすぎて、頭が痛くなりそうだった。けれどここは魔法が蔓延る牢屋敷周辺。何があってもおかしくはないのだな、とハンナは深く気にしないことにした。
ハンナの周りにはシロツメクサの白い花と、地面にはクローバーの葉が地面を埋め尽くすかのように生えていた。たくさんのシロツメクサが生える野原に座る自分。過去の自分と状況が重なり、懐かしく思ったハンナは、一輪のシロツメクサを手折る。しげしげと眺めてから、二本目のシロツメクサを摘み、そして二つを重ねて、編み始めた。
三本目、四本目と摘んでは編んでいく。そして十分も掛からずにできたのは、白い花の冠だった。
太陽に翳して見てみる。形も整っていて、冠を構成する花々も白くて綺麗なものばかり。これを作ったのは何年ぶりでしょうか――と妹に作ってやったのを思い出して、懐かしさに胸がほんの少しちくりと痛んだ。
「ハンナさん、器用なんですね」
いつの間に起き上がっていたのだろう。声が聞こえたと思った途端、肩にシェリーの肩が触れている感覚があった。
びくりと体が反応しかけるのを抑えて、隣に視線をやると、すぐ隣にシェリーがいた。そして手の先にある花冠を、まじまじと見つめていた。
「このお花ってあれですね、クローバーの先にある! この花の茎の部分で相撲やりませんでした? 先に茎がちぎれたら負けってやつです」
「シェリーさんあなた、結構野蛮なことしてましたのね……」
「まぁ、子どものころは色々と野原ではしゃぎ回ったものです」
視線をハンナではなく、遠くの野原に向けて、シェリーは言う。言葉の内容とは裏腹に、懐かしさだとか、感傷だとか、声にそういった物は込められていないようにも感じた。
「ハンナさんみたいに花冠を作ろうとする子もいたんですが、ハンナさんみたいに綺麗に作れる子はいませんでしたね」
そう言いつつ、シェリーはシロツメクサを二本摘んで、重ねて編んでみる。しかしそれらを引っ張ろうとするところで、ぶちっとちぎれてしまった。二回、三回と繰り返すも、同じところでちぎれてしまい、進まない。
「力入れすぎですわ」
「適度な力加減って結構難しいんですよー」
シェリーの言葉の途中で、また一つ、ぶちっと音がした。
このままシェリーに作らせていたら、この野原のシロツメクサは一本残らず刈り尽くされてしまいそうに思えた。
「……はい、これは、あなたにあげますわ」
ハンナは、シェリーの帽子を取って膝の上に大事に載せた後、その頭に花冠を載せた。
作っている途中、ハンナの頭にあったのは、隣で横になるシェリーのこと。その結果、偶然、シェリーの頭にぴったりの花冠となっていた。
ちょうど、額の上あたりで止まった花冠は、シェリーの蒼い髪に似合うな、と思った。
シェリーはきょとんとして、頭に手を伸ばす。白いシロツメクサの花に触れて、目を大きく見開いて。そしてスマホを取り出して、カメラアプリを起動し、自撮りモードにして自分を映す。
「………………」
自分の姿を見たシェリーは、先ほどよりも大きく目を見開いて。しばしの間、動きを止めて――。
「…………えへへへ。ありがとうございます、ハンナさん」
へにゃりと、緩んだ笑みを見せた。
まっすぐに言われたお礼に、シェリーのはにかんだ、照れたような笑みに、ハンナは胸が妙に高鳴る感覚があった。
それがどういう感情なのかは、今のハンナは分からない。ただ、どこか――嬉しい、だとか、温かい、だとか、そんなよく分からない、という感情だけが、ハンナの中にあった。
「シ……シェリーさんが、喜んでくれたら、それで結構ですわ。ひひ暇つぶしで作ったものですし?」
「こんなに綺麗に作れるなんて、ハンナさんはすごいですねー。ちなみにハンナさん、これ、もうひとつ作れます? 作ってるところ、見てみたいです!」
シェリーが体を起こしたのがいつかは分からないけれど、話を聞く限りでは花冠ができかけのところだったようだ。最初からできていくところが見たい、と言われて、ハンナは嫌な気持ちには、当然ながらならなかった。
「まぁ、いいですわ。自由時間もまだありますし。……なにより、珍しいシェリーさんからのリクエストですし?」
様々な理由を付けてはいるものの、ハンナは結局のところ、照れ隠しだった。まっすぐに、きらきらとシェリーに見つめられて、その目を見返すことができずに、ふい、と視線を外したまま、そう言うこととなって。
いつかは、その目にまっすぐに応えられたらいいのですけれど――と思うけれど、ハンナにはまだ、恥ずかしさの方が勝っているのだった。
ハンナは慣れた手つきでシロツメクサを二本摘み、編み始める。
シェリーはハンナの隣から移動し、正面に寝転がる。そして頬杖を付いて、その製作過程をじぃーっと見つめる。くりくりとした、きらきらとした目で見られるのは、恥ずかしくないかと言ったら、それは嘘になるけれど。どちらかと言えば、くすぐったいな、と思えた。
「はい、できましたわ」
一つ目を作るよりもスムーズにできたのは、きっと手が慣れたからだろうと思う。シェリーの応援があったからだとか、決してそういう理由じゃないと思う。きっと。
「おー、ハンナさんの手、まるで魔法のようでした!」
「わたくしの魔法は、【浮遊】ですわ。ま、そちらだとしても何かの役に立つとは思えませんけど」
ハンナは思わず照れ隠しに言う。
「で、これをどうする気ですの? エマさんにでも渡すんですか?」
「ああ、確かにエマさんも服に花があるので、似合いそうですね」
ぽん、と手を打って、シェリーは言う。あの白い髪にシロツメクサの淡い黄色がかった白の花は似合うだろうな、と思っていると。
でも、とシェリーの声が聞こえたと思ったのと、同時。
「はい」
頭に、軽い物が載る感触があった。
「んー、やっぱり」
うんうんと頷いて、シェリーは言う。
「ハンナさんが花冠を被ると、本当にお嬢さま、いや、お姫様みたいですね!」
にこーっとした顔で、シェリーが言う。
「………………」
目を丸くするのは、今度はハンナの番だった。そしてやがて、その視線に耐えられなくなって、三度視線を逸らす。ハンナの顔は、耳までも真っ赤に染まっていた。
ハンナはそれまで以上に、変に心臓がうるさいのを自覚していた。顔も熱くて、口の中が乾いているような感覚もある。
何かを言おうにも、上手く口が回ってくれない。口がぱくぱくと開閉されるだけで。
そんな様子を見て何かが面白いのか、シェリーはころころと嬉しそうに笑う。
「可愛いですよ、ハンナさん。いえ、お嬢さまなら、美しいですよ、でしょうか」
「べっつに、私は、お姫さまでも、お嬢さまでも……」
やっと口にできたのは、自分はそうではない、と。ただの空想令嬢だと、自身を否定する言葉。
「私にはそう見えるんですから、大丈夫です!」
でもそんな言葉を、シェリーは上からぶん殴って否定する。ハンナの否定を、否定する。
何が大丈夫だとか。どう大丈夫だとか。まったくもって根拠が一切無い言葉だけれど、その物言いはシェリーらしい、とも思えた。
「ハンナさんの綺麗な黄色の髪の毛で、すごく似合ってます。可愛いです! 自信持ってください!」
「自信もへったくれもねーですわ」
論理ではなく、勢い。客観論ではなく、感情論。
自称探偵らしからぬ、その言葉に。
けれどハンナは、小さくため息を吐いて。
「ま、シェリーさんが言うんなら、付けたままにしときますわ」
それでも、嬉しいという感情は、顔には隠すことができなかった。
◇◇◇
二人でお揃いの花冠を付けたまま、しばらく並んでぼーっとしていて。
ふとハンナのスマホがアラーム音を鳴らす。表示された時刻は、午後の二時四十分。
「さ、帰りましょう。そろそろ戻らないと、自由時間が終わってしまいますわ」
「そうですねー。看守と鬼ごっこをする羽目になる前に帰りましょう」
帽子を手に持ち、頭の花冠を抑えながら、シェリーが先に立ち上がる。
「絶対にやりたくねーですわ。あの時はマジで死ぬかと思いました……」
「大丈夫ですって。そうなったとしても、今度は、ハンナさんを最初からお姫さま抱っこで抱えて走りますから」
「そういうことじゃねーですわ! …………もう」
「! ハンナさ、……いえ、お嬢さま。お手をどうぞ」
ハンナさんが立ち上がりかける気配を察知したシェリーは、恭しくハンナの前に手を差し出す。どこか演技じみて。どこか面白おかしく、ウインクまでしてみせる。
まるで自分をお嬢さまだとかお姫さまだとか、そんな風に扱うような、『遊び』をしてくる。
手を取るも、取らないも、どっちにしてもシェリーの掌の上のように思えてしまう。
そんな部分をひっくるめて、ハンナは――。
「………………」
差し出されたその手を、取る。
そして二人は、指を絡めて、同じものを頭に載せて、牢屋敷へと帰っていた。
ハンナちゃんは手先が器用。ならばきっとシェリーちゃんと牢屋敷周辺でお散歩(意訳:デート)したらきっとシロツメクサで花冠を作ってくれるに違いない!
と思った結果できた物語がこちらです。
おそろの花冠を付けて牢屋敷に帰って、それを目撃された皆から、賑やかに騒がしくはやし立てられてほしい。
平和なシェリハンはここにあります。