スマホで魔女図鑑を眺めながら、ふとハンナは考える。
いつの間に自分の顔写真が撮られたのか、だとか、そんなことは今更どうでもいい。しかもその写真は、この牢屋敷の内部で着させられている、『まるでお人形さんのようですね!』とシェリーからよく言われる緑色のドレスのような服。マジでいつの間に撮られてたんですの……と声に出そうになるのを、飲み込む。
問題は、文章の部分。自分の囚人番号は668番。シェリーの囚人番号は667番。別の顔写真をタップしても、同じく囚人番号が表示されている。今いる囚人は、囚人番号が全員連番となっている。――ということは。
「…………うぅん」
色々と考えるようになったのはいつも近くにいる誰かのせいだろうか、と考える。とは言っても、シェリーが何かを考えるようなことはあまりなくて、どちらかといえば考えなしの行動の方が多い気がする。なら自分が考えに更けるようになるのは――。
「ハンナさん!」
「きゃぁっ!?」
急に掛けられた大きな声に、思わずスマホを取り落としそうになり、両手で空中キャッチして何を逃れる。
もし落として画面を割ったりしようものなら、きっとあの頭が硬い融通の利かないフクロウだ、器物破損だとか言って懲罰房に連れて行かれるに違いない。
「どうしました?」
「あっぶねぇ、ですわ…………。ちょっとシェリーさん、声をかけるときは急にではなくて――」
「えー? 私、何度も呼びましたよ?」
不満げにシェリーは口を尖らせる。自分がスマホに夢中で気づかなかったのかと思うけど、果たしてそんなことはあるのか、と思う。
「魔女図鑑で私の所見て、何か気になったところでもあったんですか?」
――ばっちり見られていたようだ。
「…………すみません、わたくしが気づいてないだけでしたわ」
「ハンナさんが大丈夫なら大丈夫です!」
サムズアップして、シェリーは言う。気分を害するようなことは無かったようだ。――シェリーがそんなことで気分を害するようなことはないとは思っていても、やはり心配になるのだった。
「で、ハンナさん、何見てたんです?」
別にシェリーに隠すようなことはないのだから、全て包み隠さず言おうと思った。
「囚人番号のことで、気になって」
「囚人番号、ですか」
シェリーは鸚鵡返しに言う。
「数字のトリックではよくありますよね。番号が飛んでると思ったら、別の誰かに割り当てられていたり、実は双子がどこかに隠れていて、その人の番号だったり、はたまた番号が飛んでいる場合は、その人が前の周の生き残りだったり!」
「変なところで詳しいですわね、あなた……」
「伊達に推理小説を読んでませんからね! えっへん!」
手を腰に当てて、むふんと息を吐いて見せる。
「私をシェリーちゃん可愛い大好きえらいねすごいね天才って言ってくれてもいいんですよ?」
「誰が言うか!」
えー、と不満げな声を漏らすシェリーは置いておいて、話を続ける。
「わたくしたちの囚人番号、全員が続きの番号ですわよね」
「そうですね」
「ということは。わたくしたちの前に、ここに連れてこられたのが六百人以上もいるってこと、ですわよね」
「そうなりますね。ゴクチョーさんはここができてから五百年くらい経つって言ってましたし、定期的にここに連れてこられた子がいるのなら、そのくらいになってもおかしくはないかと」
シェリーは顎に指を置いて、考えるようなポーズを取る。
「とは言っても、残ってるのは牢屋敷だけで、全員の魔法が残ってるわけじゃないですよね。外にある大きな虹とか、四季が一緒になって咲いてる花とか、湖の近くに降る雪とか。――ノアさんの魔法も、それに当たりますかね。この間、ハンナさんが指を針で刺した時に――」
「そ――――――その話は今は関係ないですわ!!!」
気球を作るべく、布を縫い合わせていたところ。シェリーとの話に気を取られて盛大に針で指を指してしまったとき。指先から赤い蝶がひらひらと舞うのが見えたし、それをシェリーは、シェリーは――――。あろうことか、口に咥えて。『舐めてりゃ治ります』だとか言って――――――――。
その時のことを考えるだけで、顔が熱くなる感覚がある。
そう、問題はそこじゃない。
「六百人、いたんですよね。連れてこられた、子たちは。彼女たちは…………どうなったんでしょうね…………」
その答えはきっと、頭のどこかでは、分かってる。
でもその痕跡がどこにもないというのも、妙だと思う。誰かが魔法で壁を壊したりだとか、誰かがケンカで物を壊したり、だとか。ゲストハウスなんてものがあるのに、三棟とも綺麗に残っているのはおかしいのではないか。
――物を壊す、という思考ばかりになるのは、大体物を壊してばかりの人がすぐ隣にいるからじゃないか、と思うのだけれど。それはそれ。
「ここにいる誰かが生き残りかもしれませんし、ナノカさんが言うように黒幕がいるのかもしれません。もしくは――ここに来た人全員が、実はどこかで生きていて、ここに連れてこられた人をどこかで見ているのかもしれません」
「それは、悪趣味極まりねーですわね」
「――ふむ。じゃあ、探しにいきましょうか!」
ぽん、と手を打ったかと思うと、シェリーが手を伸ばしてくる。無駄に元気な声が聞こえる。
「何をですの?」
「何か遺されたものがないか、探しに行くんです!」
こういうときに。行動力を発揮できるシェリーが、羨ましいと思う。眩しいと思う。憧れるものだと思う。
そんな自分は。
「仕方ねーですわね。手伝ってあげますわ」
シェリーの手を取って、一緒に歩き出すのだった。
◇◇◇
「……で、なんで図書館に来たんですの?」
「それは簡単です! 本に誰かの日記が残ってるんじゃないかと!」
「ああ、確かに、誰かの日記が――――」
ぞわり、と背筋が冷たくなる感覚があった。
確かに、日記はあった。けれどそれは、赤い文字で描かれていて、そしてそれは、周りへの怨みつらみが淡々と描かれたもので。この牢屋敷で何があったのか、これからの牢屋敷で起こるであろうこと。それらを想像するに簡単なもので。
「…………アレを、見るんですの?」
「いやいや。私も怖い物見たさであれをもう一度見るなんてことはしませんよー」
手をひらひらとさせながら、シェリーは言う。
「あの時、割と適当に本を抜いては見てたじゃないですか。ほどよく時間を使えば、もう少し見つかるんじゃ無いかなーと思いまして」
「…………ま、まぁ、いいですけど。もしかしたら、ここを脱獄する方法が描かれているかもしれませんしね」
「そういうことです!」
二人は話しながら図書館の中を歩いて行き、中央部の机が並んでいるところに、人影があることに気づく。
宝生マーゴが、机に座り、ハードカバーの本を捲っていた。
自由時間が始まってすぐのこの時間だ。まさかマーゴが居ると思っておらず、ハンナは物理的に口を手で押さえ、シェリーは『あらら』とでも言うように目を丸くし、二人して図書館の中央通路に立ち止まった。
「あら、シェリーちゃんにハンナちゃん。来てたの」
二人の気配に顔を上げるマーゴは、何かを企んでいるような妖艶な笑みではなく、至って普通の、にこやかな笑みだった。てっきり図書館内でうるさくしていることを咎められるだろうと思ったのだけれど、そんなことはなく、ほっと胸の中で胸をなで下ろした。
「お邪魔してます。マーゴさん」
「ここは私の所有物じゃないのだから、お邪魔してます、も何もないんじゃない? ……ああ、とある地域の言い方をするのであれば、『邪魔をするなら帰って』となるけれど」
「じゃあ帰りますね!」
「ちょっとシェリーさん!」
踵を返して一歩踏み出したところで、ハンナがシェリーの服を引っ張る。そこまで織り込み済みだったのか、シェリーはそこで足を止め、ハンナを帽子越しに撫でる。
「やだなぁ。そんなことあるわけないじゃないですか」
「マジの気配がしましたわ…………」
二人して漫才を繰り広げる様子を見て、マーゴは口元に手を当て、ころころと鈴が鳴るように笑う。
「本当、二人は仲良しね」
「お褒め頂き光栄です! では中、お邪魔しますね」
「どうぞ。図書館の中は静かにね」
「分かってまーす!」
その声自体が騒がしかったのだけれど、マーゴに指摘されていない以上、ハンナは黙ってその後ろをついて行くことにした。
――牢屋敷の図書館は危ないものがあるかもしれない。
そんな嫌な気配があったことにより、二人は離れることなく、同じ本棚を探し、見終わると次の本棚に移る、ということを行った。
ハンナは取り出す本取り出す本、全てが読めない文字で書かれていることに辟易しながらも、本のどこかに何か残るものや、本の中に何かヒントがあるようなものがないかと、捲りながらも中をしっかりと見ていた。
一方のシェリーは、本の扱いには慣れているのか、抜き出してはぱらぱらと捲る、と繰り返す。速さはハンナの倍以上だった。――本当に見ているのかは、置いておくとして。
「ハンナさんハンナさん!」
二人が見た本棚が、三つを超えた辺りで、シェリーの方から抑え気味の大きさで、興奮するような声がした。
「こっち! 猫ちゃんがいます!」
見ると、ハンナに向けて手招きをするシェリーがいた。
猫ちゃんと聞いて、頭にハテナマークが浮かぶのを自覚した。ここは図書館。そもそもこの場所に来て以来、生き物らしい生き物はあのフクロウくらいしか見ていないはずなのに。
「猫ちゃんー? ここに居るのはせいぜいが憎たらしいフクロウくらいですわよ」
「いいから、こっちです!」
本棚の前にしゃがむシェリーがいる。その後ろには、本棚から抜き出したであろう本が床に山積みにされていた。見る人が見たら怒るだろうな、と思うけれど、マーゴに見られなければいいかな、と思った。
「はいはい。なんでしょうシェリーさん」
シェリーの元に行き、そして同じようにしゃがみ込む。シェリーが指差すのは、本棚の一番下。本がぎっしりと詰まっていたであろうそこは、シェリーが本を抜き出した結果、空になっていた。そして木製の本棚が見えるようになっていて――。
「…………猫ちゃん、ですわね」
黒いペンか何かで描かれた、猫が本棚の天板に何匹も描かれていた。
しかもその猫は、まるで実物のような上手なものもあれば、ぐにゃぐにゃとした線で描かれたデフォルメされたもの、はたまた猫なのかすらも分からない、四本足の何かまで、様々な線の太さで、様々なクオリティの猫が、大量発生していた。
そしていくつかの猫の腹の部分には、三桁の数字が描かれていることに気づく。
『359』、『156』、『245』、『448』――。
古い数字は百番台。新しい数字は六百番台と、数字もバラバラで、規則性はまったくもって無いように思われた。の、だけれど、
「………………」
ハンナにはその数字の意味が、なんとなく、分かった気がした。
そしてこの猫の大量発生が意味するものも。
「ハンナさんハンナさん」
隣から、声がする。
しゃがんだままの体勢で、首だけをこっちに向けて。そしてきらきらとした目をしたシェリーの顔が見えた。好奇心に満ちあふれた、ハンナが大好きなシェリーの顔。
目は、口は、声色は、言葉以上に、物事を語っていた。つまりは。
「…………シェリーさんも描いたらいかがですの?」
「そうしますね!」
シェリーは立ち上がって、ぱたぱたと図書館の中を駆けていく。
――図書館の中は走らない!
そう言いたかったのだけれど、シェリーに置いていかれないようハンナも図書館の中を駆ける羽目になった。
本棚を曲がる直前、ちらりと本棚の方を見。
「…………残るものは、あったんですのね」
そう、小さな呟きを聴くのは、本と、描かれた猫たちだけだった。
ぱたぱたと図書館の中を戻っていったシェリーは、先ほどと同じ場所にその人物がいるのを見つけ、笑みを深くした。
「マーゴさーん、ペン貸してくださーい!」
いつもよりもほんの数割分、声を小さくして、本を捲るマーゴを驚かせないように、言う。
先ほどは盛大にハンナを驚かせてしまった反省もある。ハンナになら何をやっても――本当に全部を遠慮するわけじゃないけれど――ある程度は許してくれると思っているけれど、相手が別なら少しは考える。それがシェリーだった。他の人がそのシェリーの心がけを分かってくれているかは、別の話だけれど。
「あらシェリーちゃん。あとハンナちゃんも。貸してもいいけれど、本に落書きするのはダメよ」
「そんなことしませんよー! ぷんぷん!」
「本を壊したりするのも厳禁よ」
「……そんなことしませんよー!」
「わたくしが見守ってますから、そこは心配ご無用ですわ」
シェリーの言葉に、ハンナが言葉を重ねる。見る限りそのような気配もなかったし、大丈夫だと思う。たぶん。
「シェリーちゃんのその間はなんなのかしら。まぁいいけれど」
「ありがとうございまーす!」
サインペンを借りて、元の場所へと戻る。
そして元の場所に隣り合ってしゃがんだかと思うと、猫が大量発生しているところの空きスペースに、すらすらと描いていく。
耳があり、足は四本。尻尾もあるし、顔にはヒゲもある。確かに猫の特徴は描かれているけれど、それは。
「下手くそですわね」
「猫ちゃんだって分かればいいんですよ」
笑いながら、ハンナは言う。その言葉の裏には、シェリーさんらしいですわ、という言葉も多分に含まれていたのだけれど、それは口にするのはどうかと思い、言わなかった。
「よし。はい、ハンナさん」
猫のお腹の部分に、『668』という囚人番号を書いたシェリーは満足げに頷いて。そして、そのペンを、ハンナに向ける。
「ハンナさんもですよ」
笑顔で言うシェリーの言葉は、意訳すれば。『あなたも道連れですよ』と言っているように、ハンナには思えた。
――シェリーさんは、どうせそう言うと思ってました。
だなんて言えば、きっとにへら、と笑みを浮かべて「ハンナさんの理解が早くてなによりです!」だとか言ってくるだろうから、あえて言わないことにする。
「仕方ねーですわね。わたくしも、描いてあげますわよ」
シェリーからサインペンを受け取り、そしてシェリーが描いた猫の隣に、ペンを滑らせる。
木製の本棚は、所々がデコボコとしていて、ちょっと線を引いただけですぐに引っかかる。かと思えば妙にスムーズに引けたりして――結果、顔の部分を描いた次点で、線がデコボコとしてしまっていた。
――シェリーよりは上手く描ける。その考えがいかに甘い考えかを、ハンナは思い知った。
しかし途中で止めるわけにも行かず。そして声も何もないけれど、背後からは自分やその絵をじぃーっと見つめるシェリーの視線をひしひしと感じていて、妙に緊張する。
そんな中、描いたハンナの猫は。
「特徴的ですね」
「シェリーさんに言われたかねーですわよ」
オブラートに包んだ言い方なのは、シェリーのにこやかな笑みで分かった。でも決して、それは
むしろ自分がタイレクトな物言いをしてしまったことを今更ながらに思い出し、少しだけ一位反省会をする羽目になった。
「でもほら、こことか耳に切れ込みが入ったように――」
「桜猫だってことですわ。ペンが引っかかって変に線が入ったとかそういうんじゃねーですわ!」
「そういうことにしておきますね」
「わざとですのよ。本当です」
「器用で何でもできそうなハンナさんにも、意外と弱点があるんですね」
「哀れむような目で見ないでいただけます?」
「そんなそんな。ハンナさんも一人の女の子なんだなぁって思っただけです」
「むぅ…………。なんかやっぱりバカにされてる気がしますわ」
「気のせいですって。ほら、ハンナさんも、サイン入れましょう」
そういえば、と忘れてた。背中には模様――という名の描画ミス――が描かれてるから、前足と後ろ足の空いたスペースに、『667』とハンナの囚人番号を書き込む。
ハンナは二匹の猫が隣り合っているのを見て、なんだか妙に、くすぐったいというか、嬉しいと言うか、妙な感覚がやってくるのを感じていた。
「――ハンナさん」
その声が聞こえたと思うやいなや、ハンナの腹部に引き寄せられる感覚があったかと思うと、体が後ろの方へと傾ぐ。ぽすんと後頭部に柔らかい感触がある。後ろを見ると、シェリーの顔が見えた。床に直に座ったシェリーに、ちょうど抱き寄せられている状態になっていた。
「何すんですの」
「なんでもないです。こうしたいなーって、思っただけです」
耳のすぐ近くで、シェリーの柔らかい声が聞こえる。甘えるような、落ち着いているような、聴いているだけで胸が穏やかになってくるような、大好きな人の声。
「まったく。シェリーさんは気まぐれで困りますこと」
「この猫ちゃんみたいですね」
左手でお腹を押さえ、そして右の手で、本棚の天板を示す。
様々な筆跡で描かれた猫たち。
おそらく、これを始めた少女は、ほんの気まぐれだったんだろう。そしてその猫が増えたときには、その子は牢屋敷にはもう居なかったのだろう。
その子の魔法がなんだったのか、今はもう知ることはできないし、魔法の残滓として残っていたとしても、その子の物だということを証明できる人も、証言できる人も、どこにもいない。
だけど、その子が居たという証拠は、ここに遺っている。
そしてその子に触発されて描いた子たちが居たという証拠も、ここに遺っている。
何も遺っていないと思っていた牢屋敷に、確かに遺るものが、ここにあった。
「ほんっと、下手くそですわね」
ハンナの言葉は、もちろん自分の描いた猫についてのこと。
愛おしさの混じった、優しい声で紡がれた言葉には、その裏の意味も込められているように、シェリーには思えた。
この日、囚人たちの落書きに、新たに二体の猫が追加された。
二匹の猫が寄り添うように描かれているそこには、初めて――連続した番号が、描かれていた。
シェリーちゃんとハンナちゃんの囚人番号は連番だなってことを考えてたら、それまでの番号の囚人番号の子達がここで過ごしたわけで。
だとしたら何らかのものが残っててもおかしくはないし、何かを隠すなら牢屋敷の図書館しかない!
と思って考えてたらあんなものが残ってました。仲良し猫ちゃんかわいいね。
何も物は残ってないけど、何かのみんながいた形跡は遺ってる。そんな弊牢屋敷。