ハンナは、自身の監房から持ってきた椅子に座り、ただちくちくと手を動かしていた。
手元にあるのは、針と糸、そしてどこかの部屋からシェリーが引っぺがしてきたカーテン。ほどよく厚みのある布地は、手元にある細い針では一刺しするのも大変で、なかなか家でやっていたようにはうまくいかない。
けれどこれが、友人のエマの、引いては牢屋敷に連れてこられた全員の助けになるのなら、と、集中してカーテンを
「………………――――――、」
集中して、と言えるかは、少しだけ違う気がした。集中は、おそらくできていない。
理由はもう、はっきりとしている。
ハンナの正面には、同じく椅子に座るシェリーが両手で頬杖をついて、にこにことした顔でハンナの様子を見守っているのだから。そのせいで胸が変にうるさいわ口元が緩みそうになるわで大変なのだから。
【私は球皮を破りました】
シェリーの首から掛けられている布きれには、マジックでそう書かれてある。
――反省の態度? 全く見えたもんじゃねーですわね。
何が楽しいのか、先ほどから変わらず笑顔で見続けるシェリーの視線を感じながら、ハンナは口元に力を入れたまま、重ねたカーテンに針を突き刺した。
◇◇◇
――【気球】を作ろう!
エマの提案に乗った人たちで、気球を作ることになった。
作業場所はマーゴの監房。『実質的に一人部屋みたいなものだから』とマーゴは言うけれど、単独行動をしているナノカが戻ってきたらどうするのだろう、とハンナは思わなくはない。
そう思いつつも、言い出せないまま時間は過ぎて――気球を作り始めて、はや数日。
今日もハンナはマーゴの監房で、気球の膨らませる部分――
基本的に球皮を縫うのはハンナとマーゴの二人だけで、それ以外の人物は立ち入り禁止としている。――しているはず、だったのだけれど。
「ハンナさんっ!」
「――――~~~~~~っ! なんで来やがるんですの! 立ち入り禁止って言ったじゃありませんの!」
突然飛び込んできた声と姿に、ハンナは危うく針を変なところに刺しかけた。
一つは、声そのもので身体がびくりと反応して。もう一つは、なんだかシェリーさんの声が聞きたいな、とおぼろげに思ったところで、丁度その元気な声が聞こえてきたから。
二つの意味で身体が反応したのにこの人と来たら、『まったく気にしてません!』とでも言うかのようにずかずかと入ってきて、座っている椅子の前でしゃがむ。
「私もお手伝いしたいんですってば。こう見えて、手先は器用なんですよ?」
「力こぶを作るポーズで言うことじゃねーですわ!」
あれー? などと首を傾げるシェリーを尻目に、部屋にある机に座ってカーテンを縫っているマーゴを見る。
「…………お手伝い、ですの?」
「はい!」
改めて聞くと、笑顔で自信満々に頷く。
シェリーが手伝ってくれるという気持ちは嬉しいし、一緒に作業をすればきっと、賑やかだし、楽しいと思う。
更には、これからはストレスをできるだけ溜めないようにして過ごそう、と言った後でもあったから、シェリーの突然の訪問はきっとそういったところもあるのだろう、とも思う。――もしくは、一緒に探索に行く時間が減ったせいで、拗ねているのかもしれない、とも思った。犬みたいな人だし。この人。
とは言え、手伝うとしても、この人の魔法は【怪力】。繊細な作業の裁縫とは相性が――。
「ほら、貸してください。膨らませて大丈夫かの確認しますね」
だとか言う声が聞こえたと思って顔を上げると、シェリーの手には午前の自由時間でやっとの思いで縫い合わせた球皮があった。
そして、あろうことか。
「ひぃぃいい! 引っ張りやがりましたわコイツー!」
シェリーはおそらく、球皮を壊そうとしているのではなく、きっと強度確認をやってくれているのだと思う。けれど球皮から、何やら嫌な音が聞こえた気がして――。止めさせなきゃ、と思った、瞬間。
ビリィッ、と。
シェリーの左右の手が、横に広がるのが見えた。両方の手に持っているのは、球皮、だったもの。今はカーテンの布の、残骸。
そう、『破れた』。糸で縫い合わせた場所ではなく、布、そのものが。
「あらら」
「あらら、じゃねーですわ! どんだけ馬鹿力ですの!」
「軽く引っ張っただけですってばー」
シェリーはどこか申し訳なさそうな顔をしつつ、いつもと変わらない声を出す。
「んー、これは私がどこからか持ってきた布ですし、どこかが痛んでいたのかもしれませんね。すみません。もしこのままアリサさんに熱を入れてもらってたら、大変なことになってたかもしれません。ああ、でもでも、ハンナさんが縫った箇所はどこも破れてません。縫った所は完璧です!」
顎に指を当てて、
確かに、気球というものは、熱を逃がさず閉じ込めなくては、空に浮かぶこともできない。そう考えるのであれば、シェリーの強度確認は必要だったのかもしれない。そして縫う箇所を褒められたのは、くすぐったくもあるし、嬉しいという気持ちも、ないわけではない。
けれど、それは、それ。
一応、その破れた布は。これまでやってきた中でも、ぶっちぎりで手を焼いた布。妙に硬くて針が通らなくて、割と本気でイライラしながら、やっとの思いで縫い上げた、それ。
――わたくしが縫っていたのを、この人は、こいつは…………っ!
「…………今わたくし決めましたわ、こいつを、殺す!」
もちろん物理的にではなく。概念的に。ちょっとくらいは痛い目にあっていいと思う。頬を左右に引っ張るくらいは、おでこにデコピンするくらいは、許されていいと思う。
「え? そんなこと言っていいんですかー? 処刑されちゃいますよー?」
こっちの思いは
そして立ち上がって、どこか挑戦的に――というよりもどこか面白がるように――にんまりと笑みを浮かべてみせたあと、逃げるような様子を見せる。
捕まえようと手を伸ばす。ひらりと避けられた。一歩距離を詰める。ぴょんと後ろ向きにひとっ飛び。そして、にまっと笑みを浮かべて、そのまま後ろ向きに監房を抜け出た。
――どうします? それでも私を追いますか?
だとでも言いたげな、シェリーの笑みが見える。
「~~~~~~ッ! 構いませんわ! 絶対! 絶っっっ対! 殺しますわ!」
カーテンと針を床に置いて、追って監房の外へ。視界の隅に
「さぁさぁハンナさん、捕まえてみなさいなー」
「お待ちなさ……っ! 待ちやがれー! ですわーーー!」
シェリーが地下通路を曲がるのが見えた。後ろを追う。階段を駆け上りながら、こっちに向けて手を振るシェリーの姿が見えた。
「はぁ、はぁ…………。あぁぁ、もう、シェリーさんは、無駄に、逃げ足が………………あら? エマさんに、メルルさん」
「あははは、ハンナちゃん、おかえり」
シェリーとの追いかけっこを終えた――もちろん捕まえることはできなかった――ハンナがマーゴの監房に戻ってくると、物置と化しているベッドにエマとメルルが座っていた。
そして中に入った途端、香ってきたのは、それまでのお香の香りではなく、ハーブの優しい香り。
「エマちゃんとメルルちゃんが差し入れをしてくれたの。あなた達も飲む?」
「ありがとうございます、マーゴさん。いただきますわ。走り回って疲れましたもの」
「私もいただきます!」
いつの間にいたのか、隣で賑やかな声を出す人には肘を入れ――ようとして避けられた。
隣で、にま、と笑みを浮かべるのが見えた。監房の中で再び追いかけっこをするわけにもいかないので、見なかったことにした。カップを受け取る。ほどよい温かさとすっきりとした味わいで、思わず息が漏れた。
「…………ふぅ」
「ハンナちゃん、順調そう?」
「まぁまぁですわね。……今日の分の進捗をなかったことにしやがったお方がいますけれど」
隣に視線を向けると、舌を出して頭をぽかりと叩く仕草を見せる人が約一名。
「ごめんなさーいー。縫い方、手伝いますよ?」
「シェリーさんは黙って見てろですわ」
「はーい。そうしまーす」
シェリーの、『ハンナさんを手伝いたいんです』という気持ちは、嫌と言うほど伝わってくる。あと、構ってほしい、と甘えてくるところも、同じくらい。
だから、立ち入り禁止と言っておきながらも、シェリーを無下に追い出すことができない自分は――たぶん、甘いんだろうな、と思う。
「賑やかね」
ぽつりとこぼしたマーゴの一言が、やけに身に染みて感じられた気がした。
◇◇◇
そして、今に至る。
ハンナは、シェリーがやらかしたことを自戒させるために、立て札の代わりに布で【私は球皮を破りました】を掲げさせた。
首から提げてやったら、何かくすぐったそうに、へにゃりと笑ってみせた。これでは反省の色は見えませんわね――と思ったけれど、
そして、止まった作業を再開して。
「…………」
先ほどとは違う、威圧感を覚えた。
じぃーっと、シェリーの視線が刺さるのを感じる。
「………………」
――いや、確かにわたくしは、黙って見てろ、とは言いましたが……。
じぃぃぃーーーっと、視線が刺さり続ける。
普段から賑やかなシェリーに、黙って見られ続けると、それはそれは違和感でしかなくて。
結局、我慢しきれずに先に声をかけたのは、ハンナの方だった。
「…………見てても、面白くもなんともねーですわよ」
やっていることは、針を刺して、引き抜いて、糸を張って、そしてまた針を刺す、の繰り返し。見ていて何も面白いところなど何もない、と思っているのだけれど――。シェリーは先ほどからずっと、きらきらした目をし続けている。好奇心を刺激された子どものような、そんな目。
「いいえ。ハンナさんの手付きが鮮やかで、お見事で、見ててまったく飽きないので! ハンナさんはお気になさらず!」
親指を立てて、そうはっきりと言う。
「…………シェリーさんがそれでよくて、あと邪魔しねーってんなら、いいですけど」
ハンナ自身、裁縫という行為は、ずっと一人でやってきた。そもそも一人きりでやるものだし、やる必要に迫られて慣れただけにすぎない。だから褒められるものでもないと思う。
のだけれど。それでもこの人は、褒めてくれる。縫うところを興味津々な顔で見てくれる。
なんだか、くすぐったいなと思った。なんだか、嬉しいな、とも思った。
シェリーのまっすぐな目が、まっすぐな言葉が、胸にじんわりと染みていく気がして。口が勝手に、笑みの形に、な――――
「――――――
針を刺して、やけになめらかに針が通ったと思った時には、もう遅かった。
気づいた時には、指の腹に針が刺さっていた。慌てて針を抜くと、指の腹から小さな赤い蝶が生まれるのが見えた。
血だ、と頭が認識した瞬間、じくじくとした痛みを感じ始める。
そして二匹、三匹と、小さい蝶が、生まれて――――。
突然、視界に青色が飛び込んできた。
かと思うと、腕を引かれる感覚と共に、指先に温かい温度を感じた。
瞬きをして、もう一度見る。シェリーの、蒼空のような髪色が見えた。
次に感じるのは、何か柔らかいものが、指の腹に何回も触れる感覚。
「な……………………」
口から出たのは、それだけ。うまく頭が動かなくて、指先に温かさと柔らかい感覚があることだけが、自分の全てで――――。
しばらくして、ちゅっ、と、水音が聞こえたのと同時に、その感覚が無くなる。
青色が視界から見えなくなった途端、指先がやけに涼しいような感覚がある。先ほどまで蝶が止まっていた指先は、濡れて、いて――――。
「………………――――――――ッ!」
急に顔が爆発するかのように熱くなった。
今……今シェリーさんがしたのって、あの――――――!
「な――――――何すんですの!」
「え? ハンナさんが指を刺しちゃったので止血してました。血、止まってますよね?」
シェリーに釣られて指先を見るも、そこに蝶はない。濡れて光を反射する指があるだけ。
「と――止まってますよね? じゃなく! ――――あなた、今何したか分かってますの!?」
「え? ハンナさんの指を舐めましたが」
「しれっと言うんじゃねーですわよ!」
さっきから平然としているシェリーに、自分の反応の方がおかしいのかと思ってしまう。
今舐めたの人の指! 自分のならまだしも!!!
「ほら、気球の布に血が付いちゃったら縁起が悪いですし、ハンナさんが痛そうなのは見てられなくって、つい」
「――――――………………、はぁ、……つい、じゃねーですわよ………………」
いつもと全く変わらないシェリーの様子に、頭が次第に冷えていくのが分かった。
別に、シェリーに怒ってるわけじゃない。驚いただけ。あと、無駄に心臓がうるさいだけ。顔が熱いだけ。身体が変に熱を持っている気がするだけ。特に指先。すーすーと涼しさを感じる一方で、しっかりと熱を持っている気がする。触って確認することは、できないけれど。
「犬じゃねーんですから、そういうことはやめてくださいま――――」
…………ふと、気づく。
ここは監房。自分の監房なら、まだしも。ここは、マーゴの、監房。
そして確か、先ほど差し入れをしてくれたのは――。
周りを、見る。
エマが、メルルが、こちらを見ていて。視線から逃れるように、ふい、と顔を逸らすのが見えた。その顔は、どこか紅い。
そして机に座っているマーゴはと言えば。顎肘を付けて、笑みを浮かべていた。
「あら、続けてくれてもいいのよ?」
「~~~~~~~~ッ!」
また、急に熱が出た気がした。自分たちだけならまだ、あの時の医務室のようなものだと思えたのに。よくよく考えたら、シェリーの行動が全部、気球を一緒に作っていた人たちにも見られていたということで――――。
「――――ッ! やっぱり殺す!!! シェリーさん、そこに直りなさいな!!!!!!」
「ハンナさん、怒ると心臓の働きが活発になって、また血が出ちゃいますよー」
――どうどう。落ち着いてくださいなハンナさん。
だとでも言いそうなジェスチャー。そんなの知らない。知ったもんじゃねーですわ。
「ああもうシェリーさんあなたって人は! そういうとこですわよ!! 人前で!!! しれっとやりやがりまして!!!!」
「え、人前じゃなきゃいいんですか?」
「シェリーさん!!!!!」
しれっとした顔で言ったかと思うと、またシェリーが監房から逃げだした。ぱたぱたと足音を立てて、地下通路に逃げていく。にまっとした顔で振り返るのが見えた。
――今度こそ逃がさない。逃がすもんかこのノンデリバカ犬クソ女!
「待 ち が や れーーー! ですわーーー!」
思いきり出した声は、地下通路に響いて聞こえた。
シェリハン
気球
で浮かんだお話を物語に仕立て上げたものです。
ハンナちゃんの指にできた裁縫の刺し傷を舐めて治すシェリーちゃんは絶対にいます。いるったらいます。よろしくお願いします。
※こちらは、2月のいのさいで頒布したコピ本の一部抜粋です。