A.それとも罰か。
────何故、こうなったのだろう。
私は最初、オウルとアスナのボス戦への誘いを断った。いや、厳密に言うとオウルとはそこまで話してなかったが、アスナと入れ替わるタイミングで来た事を考えれば彼もボス戦への誘いだったと思う。
ベータ版の時代なら未だしも、私にはもう命を懸けてボスと戦う理由は無かった。一層の時はアスナへの贖罪、しかし彼女が生きている事を知り、こんな私を赦してくれた現状では死闘に挑むモチベーションがなかった……何よりも、オウルが独りでボス戦に挑む事が無いと知れたから。
(私じゃなくても、隣に誰かいるなら……まぁ早まった事はしないでしょう…………)
何故だかその事実に、喉の奥に大きな物が詰まった感覚を覚えて。鳩尾の部分が引き絞られるような苦痛を感じるが…………それはとうに瑣末ごとである、
それを踏まえて何でもない風に振る舞う彼に、ヤキモキしたり、いつの間に彼女作ったんだとか、やや複雑な心境を覚える事も今更である────
「キバオウさん! コイツの言う事なんざ聞く必要ねーですよ!! だってコイツは人殺しなんだから!!! フラッグどころか身包み全部剥いで《黒鉄宮》にブチ込みましょう!!」
────でもだからって、こんな事は望んでなかった。
「ちょお待てやジョー! 今はフラッグが問題やろがい! そんな事は────!」
「『そんな事』!? 人が死んでるんですぜ!?
「────ッ!! …………せ、せやかてやなぁ! 厄介なボスを倒した! フラッグも譲るゆうとる! そんな功労者を急に身包み剥げて、ワイらは山賊やないんやぞ!? 第一に……その噂はホンマなんか!? デタラメやったら、おどれ承知せんぞ!?」
トゲトゲ頭と関西弁が目立つキバオウが、ジョーと呼ばれたレザーマスクのプレイヤーに食ってかかる。しかし、ジョーも譲らない。オウルが人殺しだと、デュエルを利用して殺したと、アイテムもコルも全部没収すべきだと、危険な殺人鬼は今すぐに《黒鉄宮》にブチ込むべきだと……………………なに? これは……?
「間違いないですって! オレ、一層の知り合いに調べて貰ったんですよ! 一層から大きくレイドのメンバーは変わってないのに! オウルとかいう奴の側にいた奴が一人居なくなってる────そのいなくなった《コペル》って奴が! 《黒鉄宮》で決闘で死亡したって明記されてたんですよ!!! アイツがやったに違いないですよ!!」
どれだけ止められても、ジョーと呼ばれた男は退かなかった────正義は自分に在るのだと、お前は排斥される悪なのだと、どこまでも、残酷な……残酷になれる立場と資格を有していた。彼の熱が周囲にも伝播してゆく、噂として流れていた疑惑が、確信に変わってゆく……………………なんなの? これは……?
「どーなんだよ!? テメェ!? あのコペルってプレイヤーはどーしたんだよ!? 何で決闘で死亡ってなってたんだよ!? 一緒にいた筈だろーがよ!?」
キバオウを押し退けてジョーが指を差してオウル糾弾する。ジョーの表情はマスクで見えないが、心なしか────その声には喜色が混じっている……………………やめてよ。
「違うッ!! オウルは……! それにあのコペルって奴は────!」
「────キリト」
キリトが焦った表情で前に出ようとするがオウルが肩を掴み止め、代わりに一歩前に出る。たったそれだけの所作で、ざわついていたギルド隊達は、ジョーを含めて押し黙った。静かに、されど真摯に、夏の空の様な澄み切った青い瞳に、その場にいた全員が釘付けになる。
(オウル……隠しなさい。まだ疑惑の段階は出てない。デュエルで死んだとしても誰がやったかまでは分からない……状況証拠しかない今なら────)
まだ、まだ誤魔化せる、まだ隠せる。私は、貴方の……きっとアスナとキリトも、フィリアだって味方になってく────
「あぁ、コペルは俺が殺した。互いの命を賭けた、完全決着モードでな」
「………………………………どう、して…………?」
響いた声に私以外に誰も反応出来なかった。キリトも絶句している、アスナは耐える様に唇を噛んでいた、フィリアは展開に追いついていけないのか、ただ呆然としている。そんな空気の流れすら聞こえてきそうな静寂、最初に破ったのは、やはりジョーという男だった。
「は────ははははは!!!! ほら見た事か!!! やっぱり人殺しだ! 殺人鬼だ!!」
得意げに鬼の首を取ったように、オウルを、梟助を嘲り嗤う。確かに────確かに、彼には罪がある。しかし、それでも、どうしてそんな事をしたのか? 少しでも事情を汲もうとはしてくれないのか? そんな風に思うのは、私だけなのだろうか? あの時だってそうだった。父さんも、母さんも────使い物にならない、壊れた道具でも見る様な…………。
「どーすんだよ!? ええ!? どーすんだよオマエ!? 人を殺しておいて何をのうのうとシャバを歩き回ってんだよ!?」
「悪びれる気はない、申し開きもするつもりはない、必要だと感じたからそうした」
────やめて。
「開き直ってんじゃねえよ!! キバオウさん!! 聞いたでしょう!? やっちまいましょう!!! コイツも! コイツの仲間も!! こんだけ数は揃っているんだ!!! 簡単に────」
「ジョー! ええ加減にせえや!!! 例えコイツが……コイツがホンマにコペルっちゅう奴を殺したとしてもや!! ワイらが私刑したらアカン!! 立場っちゅうもんがある!!!」
────聞きたくない。
「こんなイカれた殺人鬼を放置する方がオレらの立場を危うくするでしょう!? そうだ、きっとそうに違いない!! フラッグだって本当は自分でPK専門のギルドを立ち上げる気だったんだ!!」
「違う!!! オウルは最初からディアベルと相談した上でボスの偵察戦に挑んだ!! 倒してしまったのは現場判断によるものだ! フラッグも初めからディアベルのギルドに譲る事は相談していた!!!」
「どーだか!? お仲間なら口裏合わせも出来るだろうがよぉ!?」
────なんでなの? ここまで……SAOの中まで彼は……。
キリトが弁明するがそれでも鎮火には至らない。燻ぶっていた火種は、マスク男の野次で益々燃え上がっていく。不気味にざわめく木々の様に、攻略組の精鋭たちにも動揺と恐怖が広がりつつある。小さく聞こえてくる呟きは、疑う者、謗る者、牢に入れようとする者────彼を、
────お願いだから……もう……もう、やめてよ。
「…………殺せ」
地の底を這う亡者の様な、マスク男とは違う声が響いた。
「そうだ……殺せ……!」
また誰かが言った、怯えと恐れと、誰に向けた物かも不明瞭な怒りを交えて。
「殺せ……!」「そうだ、同じ目に合わせろ……!」「殺したんだ……殺されて当然だ!」「やったことは自分に返ってくるもんだ!」「殺せ! ここで殺せ!」「ぶっ殺せ!!! ぶっ殺しちまおうぜ!!」「そうだ! コペルの無念をここで晴らしてやるんだ!!!」「下の階層の奴らの為にも!! ここで俺達がやらなきゃいけないんだ!!」「殺せぇ!!! 殺人鬼なんぞこのSAOには要らねぇ!!!」「ぶっ殺せぇ!!!! 今ここでぇ!!!」「お前なんか!! 生きていく資格はねぇんだよ!!」
それを、真正面から向けられた梟助は────
「……それで? ────誰がやるんだ? 俺達の行動は全部、外部に漏れてる可能性もあるけど?」
────腰の剣を静かに抜き、クルリと刀身の切っ先を持ち変えて、剣の柄頭を攻略組に向けた。
ピタリと、揃えたかのように集団の声が静まる。先ほどの狂気を感じる熱狂は、たった一言で冷や水を掛けられたのか現実に引き戻されたようだ。
「ジョーとか言ったな? お前がやるか? オレンジになるが?」
「なっ…………! い、良いぜ!! やってやるよ! 怯むとでも思ったのかよ!? どうせ死んで当然の奴なんだよオマエは!!! オレがここでぶっ殺────!」
「────―マスク越しでも嬉々とした表情が見え見えだな。他の皆は冷静に立ち返ったのに…………それに、殺人鬼を批判したのに殺人にノリノリだなぁ? ええ?」
「────ッ!? て、てめぇ……!」
マスク男が差し出された剣の握りを掴もうとするが、寸前でヒョイとオウルが引っ込める。今度は騒ぎ立てていた集団を静かに、そして鋭く見回してゆく────誰も、梟助と目を合わせようとはしなかった。
「どうする? オレンジは少し痛いかもしれないが……ま、クエストを受ければ一人分の《カルマ値》くらい簡単に雪げるだろうよ────《リアル》の方は、どうか知らんがね」
そして、誰も差し出された彼の剣を掴もうとはしなかった。それは当然と言えば、当然の帰結だった。だってコペルはずっとソロだった、この場に彼の友人や知人などいないのだろう。大切な人だったのなら、まだ仇を討ちたいと思うかもしれない。
しかし、見ず知らずの人間の為に、人殺しの罪を背負える者などこの場にいない。だって、私達は命や信念を懸けて戦える戦士などではなく────
「…………まぁ、殺人を忌避するのはいいよ。俺が人でなしってのも別に否定しないさ────でも集団心理に流されて騒ぎ立てるのは止めといた方が良いぞ? あとで苦労するのは自分だからな。だってそれは、誰かの手に踊らされているに過ぎないからな?」
彼はそこで締め括り剣を納める。熱狂した空気は仕切り直され、ディアベルに向き直る。マスク男はと言うと梟助に気圧されたのか、はたまた静かになった空気を再燃させる気までは無いのか、空を切った手をバツが悪そうに腕を組んでいた…………何故、急に大人しくなった? 何が狙いだったのだ? あのプレイヤーは?
「悪かったな……ディアベル。俺のせいで余計な手間を取らせた」
「いや、いいんだ……俺も済まない事をした。今後、団員達にはオレンジプレイヤーの扱いを徹底しておく」
「あぁ、そうした方がいい────
他からは見えないが、スッと目を細めてキバオウに小突かれているジョーへと視線を向ける。その示唆に、ディアベルも思うところがあるのか静かに首肯する。どうやら私の知らない所で、彼らには別の思惑があったらしい…………待て、だとすれば、さっき名乗り出たのは狙ったのだろうか…………。
「────ミト、待たせたな。早速で悪いんだがフラッグをディアベルに」
「……………………」
「…………ミト? どうした?」
「────なんで」
だとしても、私は、認められない────認められる筈がない。
「なんでって……さっきも言ったが────」
「貴方を排斥して!!! 人殺しに賛同するギルドなんて!!! それこそ一番の危険因子じゃない!!!」
認めてたまるか! こんな奴らが────このSAOで英雄ヅラして! 肩を切って歩いて!
「どいつもこいつも!!! 騒ぎ立てるだけ騒ぎ立てて!!! いざ自分に責任を向けられたら知らん顔!?」
だと言うのに! なんで、貴方だけが日陰で俯いて生きなきゃならないの!?
「本名も知らない相手を殺したいなんて! 普通は思う筈がないじゃない!? 急にパーティーから勝手に抜けたコペルを怪しいと思わないの!? 追いかけられていたのは……! 命を狙われていたのは────貴方の方でしょう!?」
どうして、何も話してくれないの? 私は知っている────
「…………それでも、殺す事を選んだのは、俺自身だよ」
「────状況的にそれを強要されただけでしょうが!!!」
────罪を背負わないで。
「殺人は殺人だ…………赦されるべきじゃない」
「────格好つけてんじゃないわよ!! それを決めるのは貴方じゃない! 誰でもない!!」
────独りにならないで。
「ミト…………聞き入れてくれないか?」
「嫌────嫌よ……なんで、なんでこの世界までも…………!」
私を…………独りにしないで。
「…………頼む、ミト。そのフラッグがあれば、攻略速度がグンと上がるんだ」
どこまでも、どこまでも徹底して、梟助は攻略組の事を考えていた。そこに
自分の平穏だとか、安寧だとか、名誉だとか、凡そ常人が持ち得る当然の権利すら、全く保証されないのに。身を削って彼が気にかけている攻略組は、その彼の事を殺せと囃し立てていたのに。自分の事ではないのに……私はその事実が……この、現実が────!!!
「────ッ!」
「ミトッ!? 待て! どこに行く!?」
フラッグを抱えて、走り出す。何処に向かうなんて考えていない、考える事も出来ない。ただ邪魔な攻略組の連中を涙も拭わないまま睨み付けて、突き飛ばして《迷宮区》にひた走る。
後ろからは梟助だけでなくアスナやキリト、フィリアの声も聞こえてきたが、私は耐えられない、あんな奴らの力になるなど。これは全く論理的な行動ではない、我儘勝手な感情論だ。後先考えない子供の家出の様な物だ────それでもいい、あそこに一秒でもいるくらいなら。
「バカ……梟助の…………バァァァカッ!!!」
止まらない、止まらない、涙が止まらない。
何が悔しいのだろう? 何もかもが悔しいのだろう。
何が悲しいのだろう? 何もかもが悲しいのだろう。
友達は救えず、幼馴染は見捨てて、ゲームに現実逃避して…………本当に救えないのは、果たしてどっちなのか……。
「う……うっ……うっ……ひっく……」
嗚咽が止まらない程、涙を流したのはいつ以来だろう? もしかすると、物心ついて初めてかも知れない…………これから、どうしよう…………?
勢いで持ち去ったギルドフラッグになど、勿論使い道はない。でも、奴らに渡すのも嫌だ。アイツらはいつかきっとエリート意識に驕り、梟助のみならずアスナやキリト達にも牙を向けるに違いない。ゲーマーとして彼らが、自分達よりも優れている事を認められないから。
「────オウ、オウ、オウ……可哀そうだねぇ……こんな可愛い娘を泣かせちまうなんて」
「…………え?」
背後から、暗い遺跡の《迷宮区》には、不釣り合いな陽気さで…………しかし、どこか仄暗いものを含んだ声が聞こえた。
「イッツ・ショウ・タァーイム」
振り返ると、眼前に、黒いナイフが私の目を────―
「おい────」
────抉る直前に、白刃がまたも背後から伸びて、対照的な黒い刃を激しい不協和音と共に弾き飛ばした。
「────殺すぞ……テメェ……!」
「……あーあ、折角のサプライズが台無しじゃねぇか、
梟助が、私を後ろに隠して、
◇
────運が良いのか、悪いのか……いや悪いな、最悪と言っても良い。
「ミト、逃げろ────ボス部屋まで戻るんだ」
ミトの泣き腫らした顔に気の利いた事も言えず。不意の攻撃に腰を抜かしたのか、地べたにへたり込んでいるが、それに手を貸してやる事も出来ない。そんな己の無能を呪いながらも────俺は、眼前の敵から全神経を集中させる。
「おいおいおい、折角の舞台だろう? もっと愉しんで────!?」
プロのDJの様な陽気で流暢な語り口は、とても耳障りが良く、コイツがそれなりにPKギルドを纏められていた理由がよく分かる────なので話半分で斬り掛かり、初手から全力で殺しに行く。
予備動作を極力消した顎下から突き上げる刺突、その勢いを体幹で制御して突き刺す様な後ろ回し蹴り。
そんな武士道も騎士道もクソ喰らえな不意打ちを黒ポンチョの男、つまりPohはヒラリと飛び退き躱わしやがる。だが、俺もこの二連撃を難なく避ける事は予測していた、本命は狭い通路故に横に大きく避けられない状態に追い込んでからの────《ソニックリープ》!
「────おいおいおい! 急過ぎんだろうがよ! 聞くべき事とかあんじゃねぇのか!?」
「────無い、死ね」
この男の事を、原作知識などいうチートを越えた反則染みたカンニングペーパーが無ければ、俺の方が《PKプレイヤー》に見えるだろう…………実際に、そうなのだが。
1秒あるかないかの、上体が泳いだ僅かな隙。ただのバックステップありでは得ない飛距離から、奴はほぼ間違いなく《軽業》スキルを所持している。しかし、命中補正がある長距離ソードスキルをそれだけで回避する事は絶対に出来ない。翡翠の輝きを纏った俺の《セヴァー・ザ・ギルト》がPohに叩き込ま────
「────チィ!」
「…………!?」
────れるコンマ数秒前に、短剣ソードスキル《エレメンタリィ・エッジ》が挟まれる。紅い閃光が鋭く白刃を受け止め、硬質な物を削る耳障りな音が響く。ライトエフェクトによって紅くPohが照らされるが、フードの奥は見えない────ただ口元だけが、裂けるように歪んでいた。
(一筋縄じゃいかないか……!)
不安定な体勢からソードスキルを難なく発動させ、高速で飛来するソードスキルを迎撃する……その反射速度だけでも驚嘆に値するが、恐るべきはソードスキルが衝突した後だ。
武器のスペックが負けている事を瞬時に察したのだろう。ナイフが折れぬ様に威力をクッションの様に受け止め、尚且つ自身のHPが減らない様に、そしてソードスキルが強制中断しない程度に身を引いた────ほんの数瞬の間に、薄氷を破らず渡り切る様な、繊細な技術を詰め込まれていた。
「いいのかい? まさか俺のプレイヤーカーソルが見えないわけじゃないよな?」
「
────お前を、今ここで殺せれば、それだけでお釣りがくる!
互いのソードスキルが終了し、同時に蹴飛ばそうとする。《スタン》による昏倒を狙いの側頭部への上段蹴りを、またも鋭く蹴りを挟み込まれて防がれた。スラリと細長い足は俺よりも長い、俺の身長が175センチである事を考えればコイツの身長は180〜185といった所か。
「シャァ────!」
相手の油断を突いた奇襲は失敗に終わった。既にお互いに獲物の必中圏内にいる以上、その場で臨機応変な高速戦闘を行うしかない。そしてPohのナイフ捌きはベータ時代を含めて、誰よりも卓越していた。その動きは俺が知る日本の武道や武術よりも、もっと近代的な────恐らくはマーシャルアーツに独自のアレンジを加えたものだ。変幻自在にしなる腕は鞭のようでいて、時に槍の様に鋭く俺の喉元を貫こうとしてくる。
(右上左下上左左下右上左下左左下上右下下上下左左下右下上右下右────!)
────だが、
本命の攻撃も次手に繋げる為のフェイントも、全てがスローになり半透明のシルエットで先の動きが幻視出来る。かつて戦った《イルファング・ザ・コボルドロード》の時よりも制度は上がり、剣で迎撃する必要すらない。ただ半身になって数十という斬撃と刺突の嵐を搔い潜り────腕が伸びきった瞬間に、その手首に合気をかける!
(────なんだコイツ!? 初見で俺の動きを完璧に見切っただと!?)
(────お前、多分日本人じゃねえだろ? なら
関節行動ではなく、仮想世界においてさえ克服出来ない人間の反射的行動に割り込む合気は、あのキリトすら一度かかれば逃げ出せなかった。それほどの技術は例え稀代の殺人鬼であろうとも、初見では何も出来ずに無様に石床に叩き落された。
そして学びを活かす次の機会は与えない。《転倒》で硬直している内に首を刎ね飛ばし────。
「────後ろッ!!!」
「────!?」
突如、切羽詰まったミトの声が後ろから飛んでくる。そして同時に剥き出しの延髄を舐め上げられる様な悪寒がゾワリと走る。直観的に振り返る暇すらないと感じとり、遺跡の壁を足場に三角飛びでPohと背後の脅威から逃げ出す。その際に、視界の端にヌラリと粘着質な反射をする細長い物が見えた────投擲武器のピックだ。
「────んんー惜しいですねぇ! あと一秒遅ければなぁー!」
「おいおい、外してんじゃねぇーよ。折角背後を取れたのによぉ」
(ジョーと一緒にいた
ミトがいる位置とは逆の通路奥、その闇の中からヌルリと一人のプレイヤーが現れる。縁がほつれた鎖頭巾に、モンスターの素材から作成されたであろうスケイルアーマー、怪しさの満ちた出立ちに粘着質な口調は記憶に新しい。
やはりモルテもPohと繋がっていた、という事はキリトも既にPohのターゲットになっているという事か。いや、それよりも────。
「────二対一か…………」
「くくく……どぉするよ? 梟さんよ?」
「あ、ボクは遠くから暖かい目で見守るので御二方仲良く、どうぞどうぞ」
「嘘つけコラ、さっきのピック。麻痺毒塗ってあるだろ、あと何本ある?」
「んー? ひーふーみー……ざっと百億万本ってとこですかねー? あははー!」
「はー、つまんな。死ねよ、殺すけど」
中段に片手剣を構えながら、数メートル先の二人の殺人鬼を睨み付ける。挟撃される最悪の形は避けたとは言え、未だに危機は脱していない────
しかし、その為にはボス部屋くらい広い俺のAGIを活かせる空間がいる。そして、先のモルテの投擲物には間違いなく麻痺毒が塗ってある。恐らくは俺がPohとやり合っている最中に麻痺を狙う気だ。例えレベル1の麻痺であっても《浄化結晶》が無い今の時期では即座に麻痺は治せない────そうなれば、決着は俺の一方的な惨殺で終わる。
せめて狭い通路から広間へと移らねば、しかしそれを見逃すPoh達では無い。少しずつ下がる俺に対して、殺人鬼は悠々と歩みよってくる。どうする? 一か八か広間まで走るか? だが《軽業》スキルと俺と同じ様にAGIが高いPohをバック走で撒ける気がしない。詰みかけている────と、思った時だった。
「────私が
「ミト!? 何してるさっさと逃げ────!」
「嫌よ! なんでこの状況でアンタを置いて一人逃げられるのよ!? それじゃあ、また────また一層の焼き直しじゃない!!!」
「でも! お前に人が殺す覚悟が────!」
「────そんなもの無いわよ!!! 無い、けど…………」
明らかに怯えている、涙で泣き腫らした顔も戻ってない────しかし、それでも、大鎌を握って、彼女は自分の意志で隣に並んできた。
「ここで逃げ出したら……もう一生、貴方に顔を合わせる事が出来ない気がする……!」
「…………っ!」
…………駄目だ、こうなったらミトは梃子でも動かない。ならば、せめて彼女が手を汚すよりも早くPohを仕留めなくては。押し問答も早々に切り上げ、目こそ離して無かったが、意識を全てPohに向ける。そのPohはといえば、可笑しく堪らないと言わんばかりに毒笑している。フードで顔は見えないが、嘲りの色が瞳に宿っている事は容易に想像出来る。
「くっ────はははは!! なんだなんだ!? 何するかと思えばボーイミーツガールかよ!? 隅に置けねぇな!? くくく…………安心しろや、二人とも同じ所に送ってやるよ」
「えー? どうせなら女の方を人質にして攻略組の連中を殺してきて貰いましょうよー? 自分の事を、正義の味方とか思っちゃってる痛々しい人には!」
耳障りの良い声でゲタゲタと嗤う男と、耳障りの悪い声でケラケラと嗤う男。その不協和音に神経が逆撫でされるのを感じつつも、冷静に冷徹に冷酷に、Pohの息の根を止めに掛かるべく踏み込む────瞬間、俺とミトの後方から《索敵》スキルに三人分の反応が表れる。ほぼ間違いなくキリト達だろう。
「────ヘッド」
「チッ、わぁーってる……引き上げるぞ」
スキル構成は不明だが、奴等の索敵範囲にも掛かったのだろう。如何にも不服そうな舌打ちを一発かますと臨戦態勢を解いた────明らかに逃げる気だ。
「待て! 逃がすか────!」
「────モルテ」
「────あいよッ! お届け物でぇーす!」
斬りかかるために一歩踏み出すと、同時にモルテが手首のスナップを効かせて俺の眼球目掛けて何かを射出する────薄暗い《迷宮区》でも分かる、黒くぬらりと照り返すピック。
先の一連のやり取りから、既に俺の脳内にはそれが脅威である事を刷り込まれており、反射的にそれを避けるのではなく剣で叩き落とした────その一瞬で、奴らと俺達の中間地点から炸裂音がし、黒煙が噴き上がり周囲をすぐに黒く染め上げてしまう。
(────煙幕だと!?)
ベータ版ですら見た事がないアイテムに驚き、逡巡する。通路の先にはまだPohとモルテがいる。この状況ならば突進系のソードスキルなら山勘でも当たる可能性は高い。しかし、今この瞬間にもまた麻痺毒ピックを投げられる可能性がある。俺かミトが麻痺れば人質交渉される可能性もあるだろう。いや、そもそもこの状況を招いたのは奴らだ。全てが計算づくなら────逃げるのは、やはりブラフか?
戦うか、逃げるか、キリト達を待つか、時間にして一秒も無い思考の結果。ミトを地面に引き倒して覆い被さる形で庇う。麻痺毒ピックなんて代物はレアもレア、つまり数は多くないという事だ。見えないのはお互い様なのでモルテが外す事を願って伏せる!
「きょ────梟助!?」
「俺が麻痺ったらキリトの元まで引きずってくれ!」
情けない事に俺はSTRはかなり低いので、ミトが麻痺る方がリスクが高い。そう考えた末の妥協策だ。しかし、迫る足音も投擲物特有の空気を裂く音もしない。俺の予想に反して十秒ほど滞留していた黒煙の中から攻撃される様子は無く、晴れるとそこには誰もいなかった。
逃げられた…………いや、まだだ! 俺は原作知識で『Poh』というプレイヤーネームを知っている! 今なら《索敵》の派生スキル《追跡》で追える! そう思いスキル欄を開き実行しようとするが、Pの字を打った所でミトに手を掴まれる。
「ミト、何を…………!」
「────梟助、もういいの」
「いや、まだ追える! 動き回れる広い場所なら俺一人でも奴等を────!」
「もういいのよ…………手、震えてるわよ?」
そう言われてミトが掴んでいる自身の手を見てみると、確かに震えていた。緊張だろうか? それとも恐怖か? 何故かは自分でも分からなかった。今更────いや、この世界に産まれ落ちた瞬間から、自分がこの世にいない方が良いと知った時から、迷いなんてない筈なのに。これが、俺の為すべき事の筈なのに…………。
(そうだ、俺は、もう後戻りは出来ないんだ。なのに、なんで今更こんな…………)
震えてる手を固く握り、自問自答すれども答えは出ず。結局、俺は背後からやってきたキリト達の声を皮切りに、奴らの追跡を一旦諦める他なかった…………なにも、できなかった、この先に起こる悲劇を、俺は知っているというのに。
◇
「隣、いいか? オウル」
「…………アスナは良いのか?」
「今はミトとフィリアと楽しんでるよ……他意を感じるんだが、気のせいか?」
「気のせい気のせい……ところで、前にあの黒エルフから『キリトとは一緒に湯を浴びた仲だ』って聞いたんだが?」
「気のせい気のせい」
「震えてるぞ、全てが」
2022年12月25日────フロアボスとの激闘と、二層から強化詐欺を教唆していた《黒ポンチョの男》とオウル達が戦った日から約二日経っていた。
今攻略しているのは第六層なのだが、とある理由によって五層の《カルルイン》にてクリスマスパーティーが開かれている。ディアベルあたりがNPCを雇ったのか、それとも《料理》スキルを持ったプレイヤーが作ったのか、長い机には所狭しとケーキやらターキーやら並んでいる様子は華やかで、俺でも浮き立つ気持ちは押さえきれない。
そんな普段とは違った街並を見渡せる古城の人が少ない場所にて、それを眺めているオウルを見つけた。やんややんやと祭り騒ぎのプレイヤー達をどこか遠いものを見る目で眺めている姿は…………何故かはわからないが、切ないと俺は感じた。
「片手にマンガ肉、もう片手にチョコケーキとは……食いしん坊だな、まぁ楽しんでるようで何よりだ」
「それだけに誘われなかったのは正直堪えたけどな……あと、こっちのケーキはお前のだぞ」
呆れながら微笑んでいる眼前の白いトレンチコートの剣士に差し出す。意外だったのか、少しだけ眉が動く。オウルに不意を打てた事を内心してやったりと思いながら、断られていないので俺も欄干を背に地べたに座る。行儀が悪いと我ながら思うが、オウルはそんな事を言う奴でもないし、今日ばかりは無礼講でもいいだろう。
俺は焼き立てなのだろう、一キロはありそうな骨付き肉に齧り付く。するとジュワリと肉汁が溢れ出し口の端から溢れそうになり、弾力に富んだ肉質にただならぬ旨みを予感した。ややレア気味に焼かれているので、歯応えも抜群で力強く噛みちぎる。噛むほど旨みが暴れ出し、ホロリと解ける肉は口一杯に多幸感をもたらす。いや、これは本当に美味い。でも一体何の肉なのだろうか? 知りたい様な……知りたくない様な。
「ウマー……二層の牛肉よりもイケるな、食感はスペアリブっぽいけど、豚か? コレ?」
「あんまり考えない方がいいぞー、SAOはゲテモノも多いからな……つーか、俺キリトに甘いの好きって教えた事あったか?」
「ミトから聞いた、お前が大の甘党だってな」
「アイツはまた人の知らん所で……」
呆れながらもオウルは口にケーキを運ぶ手を止めなかった。《黒ポンチョの男》と会ってからというもの、何故か彼から覇気が感じられなかったので、俺はミトにオウルの好きな物を聞き、それで釣るという安易な作戦に出たのだが、どうやら無意味ではなかったようだ。
「やっぱり、ミトとはリアルでも仲が良いんだな」
「どうかな? …………ま、今のお前には想像も出来ない仲かな」
「そ、想像も出来ない仲……!?」
────それは一体どういう意味なのだ!? 一層で俺がいない間一泊したらしいが……
一瞬、深掘りしたい気持ちに駆られるが流石に下世話過ぎるし、何よりリアルの事情を聞くのはSAOではタブーなのでグッと堪える…………あと聞いたら聞いたで、冷静ではいられない気がするし。
「────と、兎に角! ミトとは知らない仲じゃないんだったら、これからはちゃんと傍にいたらどうだ?」
俺は肉を嚙み千切りながら言う、今回の件でオウルの《PK》が公になってしまった。今の攻略組はディアベルの指揮で動いている面が大きい────つまり派閥というものがない。それはそれで一枚岩なので良いのだが……ずっと、という訳にはいかないだろう。いつか絶対にオウルを非難して、認めない者も現れる。
これからミドル帯のプレイヤー達も力を付けて、レイド隊が上限人数を超えるのもそう遠い未来では無い筈だ。そうなればギルドも増えて、リソースの奪い合いと派閥争いも起こる。俺はオウルの《セヴァー・ザ・ギルト》というぶっ壊れ性能の剣を見ながらそう思う…………いつか、俺のも作ってもらおうかな?
「…………いや、寧ろ俺が傍にいたらミトが巻き込まれる。《ポンチョ男》も、モルテも、そしてあの攻略組で俺を糾弾した《ジョニー・ブラック》も────俺の事を、明らかに狙っている節がある」
「で、でも! それこそお前が傍で守ってやれば────!」
「俺が傍にいたらミトは余計に苦しむよ…………すまんな、キリトが気を遣ってるのは分かるんだ。でも俺とミトの確執は俺達だけでどうこう出来るもんじゃない…………ま、その確執も本を正せば俺が悪いんだけどな。それにアイツはもう一線で活躍する事は無いだろうさ。服屋を営むんだと…………俺が一線で活動し続けて
少しだけ寂しそうに、自嘲しながら呟くオウルの弱々しい姿は、とても単身で殺人鬼に挑もうとしたプレイヤーとは思えない。それでも俺はオウルに独りにはなって欲しくないし、ミトが精神的に安定すればアスナも安心出来る…………そして、そこまで考えて俺自身も思い至った。
────オウルにそんな事を言う俺の方こそ、どうなんだ?
今、俺はアスナとコンビで動いているが、それはいつか彼女がこのSAOにおいて多くのプレイヤーの希望になりえる可能性を秘めていると信じているからだ。例えば彼女がいつか有力なプレイヤー達を率いて、SAOで有数のギルドを作り上げるとか。
この考えに至るのに紆余曲折あったが、いま行動を共にしているのはそれが一番大きい。そして、ほぼ確実にその時は近づいてきている。彼女のポテンシャルはそれほど高い、俺のベータテスターとしてのアドバンテージなど直ぐに追い越すだろう……俺に出来る事は、その時まで精々足を引っ張らない事だ。
────決して、俺が彼女と釣り合うからだとか、そういった考えはないのだ。
そもそも俺は、あの日────デスゲームが始まった日にクラインを見捨てている。オウルと一緒にいたのは結果論でしかない。何度も何度も考えたのだ、
(決まってる…………クラインを連れて行かず、ホルンカまでアニールブレードを取りに行った)
オウルから言い出しただけだ、オウルが俺の代わりに決断しただけだ、オウルが────俺の傍に
(本当なら、独りなりたがる俺が……オウルには人の傍にいろと言う……?)
────それは、とんでもない欺瞞だ。自分が出来もしない、しようともしない事を強要する、あまりにも傲慢な行いだ。
「…………なぁ、キリト? 俺に独りになるな、なんて言うが……そういうお前はどうなんだ? クラインとあれから連絡は取ってるのか? アスナともいつまでも一緒にいるわけじゃないんだろ?」
「────!?」
まさか、そんな俺の心情を見抜いたわけではないだろうが。突然オウルがそんな事を言い出した、だがクラインは未だしも、何故アスナの事まで……?
いつの間にか食べ終えていたケーキの皿を石畳において、彼はポツポツと話し出す……いつもは無表情だったり、ふざけたりと、中々本心を見せないのだが、不思議とその時のオウルは本心を語っている気がした。
「気持ちは、少しだけわかる……あんまり、こんな月並みの言葉は使いたくないんだがな。自分が関わるせいで寧ろ事態が悪くなるんじゃないかって考えると……独りの方が迷惑を掛けないんじゃないかって思うんだ」
…………俺も、あの時クラインに関わらなければ、彼をガッカリさせることはなかったかもしれない。一層のボス戦の時だって、状況に流されずに俺がコペルの危険性をオウルに訴えてれば、違う結末もあったかもしれない────
「…………それが、オウルがミトや他の人を寄せない理由か?」
「まぁな……俺が救えた命もあったと思う、避けられた悲劇もあったかもしれない。でも、総合的に見れば俺が足搔いたせいで余計に拗れてしまった気もするんだ……それが歪んだ動機であったとしても、確かに最初は純粋な善意だった筈なのに、どうしてか裏目に出てしまう…………だからせめて、今まで取りこぼした分だけでも、取り返したい。でなきゃ、何の為に生きてるのかわからないから」
オウルが摘み上げた小石を指で弾き飛ばすと、その先にあった小石が弾かれる。そして弾かれた小石は転がり、また先にあった小石にぶつかる。オウルは、止まれないのかもしれない────転がり始めた石のように。
「フィリアにも悪い事をしたな……」
「……彼女も、オウルの事を悪く言って無かったよ。ていうか寧ろ心配してたぞ」
「いい奴だな…………だからこそ、俺は奴らを止めたい」
────どんな手段を用いてでも。
地獄から這い出す亡者を思わせる、仄昏い声音が搾り出された。サラリと垂れる白い前髪がオウルの目を隠し、表情を窺わせない────止められない、とてもじゃないが、今の俺ではオウルを止める事は出来そうにない。力量も、資格も、覚悟も、何もかも足りない…………ふと思う、何度もオウルと戦ってきたが、俺が本気のオウルに勝てる日は来るのだろうか?
「ケーキ、美味かったよ。ありがとうな。先に六層で攻略進めてる」
俺は去り行くその背中を、ただ見送る事はしか出来ないのを、認められない。しかし、何を言えばいい? 彼を止められない、居場所にもなれない、自分の事でさえ片手落ちの俺が────
「────オウル!」
「…………何だ?」
────それでも思う。この出会い、この繋がり、決して失いたくないと。
「いつか! お前よりも強くなる! 隣に並び立てるくらい! ────だから! 絶対に死ぬなよ! あと連絡もちゃんと取れ!」
「…………ああ、わかったよ」
「アスナも『ミトの何が不満なの…………!』って、鬼神と化してたぞ!!!」
「────ごめん、やっぱ今の無しで」
それはイヤだ。だって俺が亡き者にされるもん(震え声)。
◇
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もうちょい短くしたい……いつも言ってる気がするけど。
あと解読は簡単な筈。