もっとペースを上げなければ
アルバトラおばさん回です
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最初の魔術師、”万識を宿す純冠”、『魔女』アルバトラ。
この世界に魔術という概念を齎した、一人目の第四階梯魔術師。
第四階梯魔術師とは、その功績で文明をひとつ上の段階に押し上げた者たちのことを言う。
レフェルトリスが発明した”
エルネスタの発見した魔術的難題群、”
オルトライズが産み出した”
リノンは”リノン式・
イスカは歴史上初めて"
そのどれもが文明に多大な影響を与えた功績であり、かつ異なる領域の話なので、『歴代の第四階梯の中で、最も優秀だったのは誰か?』という議論はいずれも無為な時間を過ごすだけになる。
だが、これらの功績の中で一つだけ、全てにおいて共通しているものがあった。
魔術式――無数の記号と線の羅列から構成された、超常的な現象を”回答”とする一つの式。
それはこの魔術社会における最も原始的な基盤であり、今日まで続く現代文明の根幹を成すものであり、その文明の到達点である五人の第四階梯魔術師を生み出す要因となった、時代の特異点。
アルバトラはこの魔術式を、人類で最初に産み出した。
これが彼女の唯一にして、一六〇〇年と続く人類史における最大の功績である。
『歴代の第四階梯の中で、最も優秀だったのは誰か?』
『――アルバトラ。彼女がいなければ、僕たちはこの時代に辿り着くことすらできなかった』
生前のオルトライズが残したその言葉が、この議論における全てだった。
全ての魔術の始祖は彼女であり、彼女の存在があったからこそ、これまでの魔術社会がある。
故に学会は彼女を一人目の第四階梯に選出したが、しかしその功績は魔術史に収まらない。
最初の魔術師、”万識を宿す純冠”、『魔女』アルバトラ。
彼女は歴代の第四階梯の中で唯一、その敬称に”第四階梯”を含まない魔術師だった。
しかしながら、そのアルバトラ本人についてはとにかく謎が多い。
白い衣装を身に纏った、小さな拳銃を手にするフィールトラッセの女性。
この短い文章が、現代に残されたアルバトラの人物像であり、それ以外の情報は欠落している。
アルバトラに関する研究を行っているのは、歴史や風俗、地理的要因から当時の魔術的要素を研究する古代魔術学派。並びに魔力そのものを研究対象とし、魔力とは何か? という命題を研究する魔力相態学派の二つの学派が主に行っているが、これといった成果は見られないまま。
こうしたほぼ何も分からない現状から、当時の記録技術が未発達だった、あるいはアルバトラ本人、もしくは後世の人間が意図的に情報を隠蔽したのか等々、様々な憶測が流れている。
謎に包まれた最初の魔術師。それが世間の、そして俺のアルバトラに対する印象だった。
そして――彼女は今、メノウのとある鍛冶職人の一人娘、イオリの脳内に宿っている。
フィールトラッセ。
天空の龍、セレニア・ストラトスフィアの庇護を受け、”世界を見渡す地”と呼ばれるその国は、基底現実や因果律の観測、また暦や標準時の決定を行う準元観測学派の本拠地となっている。
第四階梯になる以前のイスカが訪れていた国であり、またアルバトラの故郷とも呼べる地。
かの国には古来より、龍と言葉を交わしていた姫巫女に由来する伝説が、色濃く残っている。
■
メノウに入国してから三日目、セキレイでクオンとイスカが戦闘したあとの、夜。
カラスバ島、ミヤシロの鍛冶屋の工房内にて。
「このクソアマァ! 貴様なんなんじゃァ! いきなり出てきておってからに!」
「な……なんで、あたしまで縛られてるんだっ! おかしいだろ、絶対っ!」
そんなクオンとイスカの悲痛な叫び出所は天井から。
見上げるとそこには、全身ツノまみれの刺々しい女と、見るに堪えないチビが、仲良く縄でグルグル巻きにして吊るされているのが見えた。先程まで辺り一帯を更地にしかねなかったた二人が、為す術もなく拘束されているのは、ともすれば滑稽な光景だった。
『オー、吊ルサレトル』
「……なんで吊るされてるんだ?」
「あの子たち危なっかしいから、反省させてるのよ」
俺の言葉に答えたのは、店先の方から戻ってきたアルバトラだった。
その外見はイオリと全く同じだが、頭上には光の円環が灯り、瞳は白色の光を宿している。また、全身は白い光で編まれたローブに包まれており、薄暗い鍛冶場を明るく照らしていた。
その姿は一見すれば神秘的で、絢爛さを感じさせるものだったが。
『ウオアァァアアア!! 眩シスギィァ!!』
「貴様、どうにかせいそのピカピカを! 見づらいだろうがァ!」
「め、っ……目に悪いなあ、もう! し、視界から消えろっ!」
「二人とも、人生の大先輩に対する態度がなってないわね。お仕置き追加よ」
「いだだだだだだ!! 胸がっ! 胸がちぎれる!!」
「ちょ……く、喰い込んでる、っ! いたい、いたい!!」
……ハルモニアが彼女を白ピカと評していたのも理解できる。
時間帯が夜なのも相まって、眩しいにも程がある。常時この有様なのか?
「ナユタとフォルストはどちらへ?」
「ギルドの支部。カザミくんの情報がある程度揃ったから、知人同士で確認しに行ったみたい」
「なら、イオリも同行させるべきだったのでは……」
「え、イヤよ。久しぶりに顕現したんだから、おせんべいくらい食べさせてちょうだい」
俺の言葉に、アルバトラはあっけからんと答えた。
その手には、おそらく先ほど取ってきたのだろう、袋詰めにされた煎餅が握られている。
「おせんべい、おせんべーい、メノウおせんべ~い お醤油しっとりメノウおせんべ~い」
なんて、著しく情報の少ない広告曲を口ずさみながら適当な椅子に座ると、彼女は煎餅の包装を軽く破り、その一枚をぼりぼりと咀嚼し始める。もう完全に寛ぐ気でいるのだろう。足を組み直しながら二枚目の煎餅に手をかける様子は、とてもこの社会の先駆けとなる存在とは思えなかった。
「あ、ローレンスくんもいる? メノウおせんべい。美味しいわよ」
「……遠慮しておきます」
「おせんべい嫌い? なら向こうにメノウまんじゅうも置いてあるけど、食べる?」
「そういうことではなく」
……まずい。このままでは彼女の雰囲気に飲まれてしまう。
「アルバトラ……あなたはどうして今、ここにいるんですか?」
このやけに抜けた雰囲気から抜け出すために、そんな質問を渡す。
「どうしてって……何よ。ワタシがここにいちゃおかしいの?」
「六〇〇年前の人間が生きているのは、どう考えても異常なことだと思いませんか?」
「……ぐうの音も出ないわ。あなた、鋭いじゃない」
馬鹿にされているのだろうか。
アルバトラは眉を顰めつつ、しかし煎餅をぼりぼりと食べ進める手は止めなかった。
「しょうがないわね。ワタシは優しいから、一人につき一問だけ答えてあげる」
「全てを明かす気はないんですか?」
「最初から聞きたい? 六〇〇年前から現代まで、全部。長くなるわよ?」
「…………」
沈黙する俺をよそに、アルバトラが吊るされた二人へと視線を向ける。
「さて、まずは誰からにする? 質問権は一回しかないから、よく考えなさい」
その言葉へ真っ先に反応したのは、クオンだった。
「おいピカピカ女! まず先に聞きたいことがある!」
「はいクオンちゃん早かった! ”アルバトラ「現世に戻ってきました」” なんて質問する?」
「貴様、本当に六〇〇年前の魔術師なのか!? なんでまだ生きとる!?」
「あんまり面白くない! お仕置き!」
「うぼぼぼぼぼ!!」
再び縄で締め上げられるクオンに、思わず俺は顔をしかめた。
「真面目に答える気はあるんですか……!」
「ワタシの興味を惹く質問だったらね。じゃあローレンスくん、次はあなたが質問してみる?」
煎餅を摘まんだ指を舐めとりながら、アルバトラは俺に視線を投げてくる。
その瞳にはどこか乾いた、しかし想像を絶するほどに重たい何かが込められている気がした。
……試されている。この魔術史の始原に立つ、六〇〇年前の伝説の魔術師に。
形式はありえないほど馬鹿らしいが。
「……なぜ今まで、あなたは傍観していたんですか?」
やがて俺の口から漏れたのは、そんな言葉だった。
「あなたが六〇〇年間生き続けていたことは認めます。であれば当然、後の人類史や社会の発展も見届けてきたのでしょう。……それなら、なぜ今まで介入しなかったのですか? どこにでも介入できる余地はあったのに、六〇〇年前の歴史にしかあなたの名前は残っていないのは、なぜ?」
答えがあったのは、煎餅を齧る音のあとだった。
「後輩の前で、大きい顔するような先輩にはなりたくなかったからからねー」
………………。
「ん? え……? は、はい?」
「あなたも人生で一回くらい会ったことない? もうとっくに引退したのに、現役の人間にとやかく言ってくる人間。あれねー、ほんと不愉快よね。実際ワタシも、引退した楽団員の先輩にあれこれ言われたことあって殺意湧いたもの。いや人間、ああなったらオシマイね」
「つまり……え? い、言いたいことは分かります。むしろ分かりすぎて困るんですが……」
「まあ、さすがにこのままだとまずい! って時は顔を出すつもりだったわよ? でも今のとこ、この世界は小さな諍いや競争こそあれど、存続が不可能になるような危機には瀕してない。だからワタシものんびりさせてもらってるわ。やっぱり、おやつ食べられるくらいの平和が一番よね」
ばりぼりと頬を膨らませながらのアルバトラに、俺は何も答えられなかった。
……そんな俗な理由でこの世界を俯瞰していたのか。六〇〇年前の伝説の魔術師が。
いや、考え自体には共感できる。むしろ共感が出来過ぎて困ってしまうくらいに。
「となると、今回あなたが出てきたのは、何かまずいと判断したからですか?」
「あのね、考えてみなさいよ。セレニアの翼、ヘリオルトの爪、メギストスの尾……三つの龍の力を宿した人間が、このメノウに揃ってるのよ? 大丈夫わけないじゃない。おっかなびっくりよ」
「……確かにそうなんですが」
何も言えなかった。俺も当事者であるが故に、その意識が抜けてしまっていた。
「ま、実際そこまで大事にはなってなかったけどね。全員そこまで殺し合ったり、世界をどうこうしようとか考えてなかったから、正直ワタシが出てくるまでの事態じゃなかったかも」
「なら、これからどうするつもりですか?」
「んー……せっかく出てきたんだし、もうしばらくは現代を堪能しようかしら」
アルバトラはそこで俺との会話を終わらせたつもりなのか、次に天井から吊るされるイスカへと視線を向ける。縄でぐるぐる巻きになったミノムシのような風貌の彼女は、しかし真剣な顔でアルバトラと向き直っていた。
「で、イスカちゃん。あなたの質問は決まった?」
「……あ、あんたが、ロクに答える気がないのは、わかった……」
「そんなこと言わないでよ。ワタシだって六〇〇年の積み重ねがあるから、どうしても話が長くなっちゃうの。一問一答形式にでもしないと、歴史のお勉強になっちゃうわよ?」
「むぅ……」
「それに、この時代を背負う天才なら、ワタシからお望みの答えを引き出せる質問のひとつくらい、簡単に考えられるでしょう? ワタシの後輩なんだから、いいとこ見せてちょうだい?」
アルバトラは肘をつきながら、揶揄うような笑みを浮かべてイスカに問いかける。
やがてイスカはしばらくの思考を経てから、恐る恐るといった様子で口を開いた。
「あんた、一体……どうやって、魔術式を開発した、の?」
渡された質問に、アルバトラは口を吊り上げた。
「そうね……オルゴールに例えれば分かりやすいかしら。もともとこの世界は、決められた音程や発声順序、文章構造を参照して、超常的な現象――現代における魔術を発現させる仕組みがあったの。ものすごーく簡単に言えば、『火を起こせ』って口にすれば、そこに火が起きるようにね」
「……は?」
「もっとも、偶然起きるほど簡単な仕組みじゃないわ。一言一句、息遣いまでちゃんと手順通りにしないと現象は起きなかった。温度や湿度とか環境要件もあるから、安定とは程遠かったわね。ワタシはそれを記号化したの。誰が、どのように運用しても同じ答えが出てくる”式”としてね」
「………………」
「人間が発声する代わりに、魔力を流すことでその言語を詠唱するのと同等の結果を得られるようにしたものが、現代でみんなが魔術式って呼んでるものの詳細。どう? 満足できた?」
俺もクオンも、イスカですらも、ただ口を噤むことしかできなかった。
言語による魔術の発現させたなど、少なくとも俺は聞いたことがない。もしそれが本当に可能だとすれば、これまでの魔術体系とは完全に別のもの、新たな魔術法則になる。正確には本来存在した法則の再発見になるのだろうが、とにかくこれまでの前提が一気に崩れ去ってしまう。
だが、魔術師である彼女が言うのなら、そうなのだろう。
「あ、あんた……なんで、その事実を……公表しなかった、の」
「んー……色々あるけど、やっぱり同じ歴史を繰り返したくなかったからかしら」
「……同じ歴史?」
「みんなが魔術を使えるようになったらいいな、って思っただけよ」
そこで話を終わらせたアルバトラは、そのまま視線を動かして、
「それで、最後。アーロンくん、あなたは?」
『エッ、ア、自分ッスカ?』
これまで俺たちの会話の中、適当に浮いていたアーロンがぴたりと動きを止めた。
「当然よ。一人一問って言ったでしょ? あなたにも質問する権利はあるわ」
『イヤ、コッチニ回ッテクルトカ思ワンカッタンデー、チョットマッテテネ』
「いいわよ、よく考えなさい」
『ムムム……』
アルバトラに見つめられたアーロンは、しばらく思考を経たあとに質問を渡す。
『アルバトラガ今マデ見テキタ中デ、イチバン天才ダッタノッテ、誰?』
「エルネスタ」
『即答ナノ?』
「まあね。あの子、本当にとんでもない子だったわよ。ワタシ、まだ八歳だったころあの子に会ったことあるんだけどね? その時、ボードゲームで十連敗したのよ。すごかったわ、彼女」
『ヤバーイ』
「ワタシの術式を真似したことは、ちょっとだけ物申したいけど」
……術式?
「エルネスタの”奕者の足跡”の中に、あなたの術式を真似たものが?」
「ええ。この子にも積んである、奕者の足跡の中で一番、人類に身近なものよ」
「……ま、まさか……シミュラクラム・クラウン……?」
「正解」
そこでアルバトラが手招きをすると、アーロンがふわりと宙を移動して、そのまま彼女の膝の上に身体を落ち着ける。寛ぐように身体を預けるアーロンの頭を、アルバトラは優しく撫でていた。
『オー、ナデナデガオ上手ネ』
「シミュラクラム・クラウン。術式によって構築された高度な疑似人格を、特定の媒体に付与する術式。この偽物の冠を被れば、ただの石ころですら”誰か”になれる。これを使って、エルネスタは人類の隣人であるゴーレムを造り出した。寂しがり屋な
シミュラクラム・クラウンの詳細を知り、エルネスタと知己だった。
そのことに俺が言及するよりも前に、アーロンが羽根をぱたぱたと動かしながら言葉を吐く。
『シミュラクラム・クラウン積ンデル存在ノ前デ、疑似人格トカアンマ言ワンドイテ』
「あらごめんなさい。不満だった?」
『イヤマア、実際ソコマデ……。結構、ダカラ何ナン? ッテ感ジナンデ、問題ナイデス』
「素直なのねえ、あなた。疑似じゃなくて、本当の人格が欲しいと思わないの?」
『イヤ一応、被造物ノ自覚ハアルンデ……特ニ現状ニ対スル不満ハ……ナイッスネ』
「あなた人間味ありすぎない? シミュラクラム・クラウンの稼働率どうなってるの?」
『パパトママノ教育ノオカゲネ』
……とにかく。
「シミュラクラム・クラウンは、あなたの術式を模倣したものだと?」
「ええ。これだけヒントがあれば、イスカちゃんも分かるんじゃないかしら」
「……何をですか?」
「ワタシが六〇〇年間、存在し続けている理由」
アルバトラは帽子のつばを整えるように、自らの戴く円環の端に指先で触れた。
シミュラクラム・クラウン。術式内に構築された疑似人格を、特定の媒体に付与する術式。
これを開発したエルネスタは、今や人類の隣人とも呼べるゴーレムを造り出すに至った。
だが、そのシミュラクラム・クラウンは本来、アルバトラの術式を模倣したもの。
エルネスタと出会った本人が証言するのだから、間違いはないのだろう。
「じ、人格を術式内で構築するなんて、ゼロからできるわけ、ない……。も、モデルがあった、はず。術式内に人格を構築する……じ、自分の人格を、術式内に落とし込んだ人間が、いた? で、でも、それって……術式に落とし込んだ人格は、どう、なるの?」
「おいイスカ、何を言っとる? もっと分かりやすく言え!」
「もしかして、術式内の人格は、肉体に依存せず、魔力に依存した存在に……なる? に、肉体の損傷や、生体の寿命も超越した、存在……? そ、それって、ま、まさか……!」
ぶつぶつと下を向きながら呟いていたイスカが、そこで気づいたように顔を上げる。
「あん、た……六百年間、ずっと……自分の人格を、術式に保存してる…………!?」
アルバトラはにっこりと微笑みながら、自身の胸元へと手を当ててから、
「
つまり、この子――宮代鋳織は、二十六代目のアルバトラなの」
■
その日の晩、ミヤシロの鍛冶屋の店先にて。
「以上が、本日の報告になります」
『すみません、もう一度はじめからお願いしてもいいですか?』
アーロンを通して行う通話の先で、エンデルガストの困惑した声が聞こえてくる。
それに続いたのは、今回の定期報告に同席するリノンの声だった。
『えーっと、つまり……黎明の解剖学者に関係していそうなクオンさんと接触して、そのまま調査を続。それとは別に、全く関係のないところで、アルバトラさんと接触したんですね?』
「そうなります。彼女から聞いたことについては、先ほど話した通りです」
『…………わかり……ました。アルバトラに関しての情報は、ひとまず飲み込みます』
史上最悪の第四階梯を産み落とし、ついこの前に先代の第四階梯が蘇ったかと思えば、時が経たないうちに最初の第四階梯が顔を出してきた。エンデルガストは本当に苦労していると思う。
『ローレンスさん、あなたは黎明の解剖学者の追跡を継続してください』
「はい。こちらとしても、カルトロードの捜索を続けるつもりです」
アルバトラというまさかの人物に遭遇はしたが、依然として俺たちの目的は変わらない。
クオンから情報を引き出し、メノウに潜伏するカルトロードの居場所を突き止める。
そこで思い出したことがあったので、ふと。
「リノン、少しいいですか?」
『はいっ。どうされました?』
「ハルモニアにいくつか聞きたいことがありまして」
メノウという国に来てから今日で三日目になるが、依然として謎は多い。
あのサギ島に生息している謎の野良ゴーレムや、メノウ国内で流行している疫病。
それらを調べるためにも、改めてメノウという国についての情報を精査するべきだろう。
依代として永い刻を生きるハルモニアなら、この国の情勢についてある程度は知っているはず。それに何より、彼女はこの国を作ったヘリオルトの直属の依代だ。期待していいかもしれない。
そういう意図もあり、ハルモニアに繋いでもらおうとしたところで。
『あ、ニアちゃんですか……。えっと、ごめんなさいっ。今ニアちゃんは席を外していて……』
「……え?」
確信があったわけではないが、想定外の言葉に思わず聞き返してしまう。
「何かあったんですか?」
『確か、『審判』の座さんと、『生命』の座さんとケンカしてくる、って』
「依代が三人も集まって何をしているんですか?」
世界で九つしかいない存在しないのに、その三分の一がなんでケンカを……。
というかあの猫、誰かれ構わずケンカ売ってるのか?
『その、ボクとキースくんの蘇生に協力したことが、依代として問題行為になっちゃたみたいで。本来、依代は人間を見守りはすれど、手を貸すような立場ではありませんから。それなのに、ボクに肩入れしたところを、それはちょっとどうなんだ、ってお二人から言われちゃったらしいです』「ああ、それは……その、申し訳ありません」
違った。ほぼ俺とイスカのせいだった。すまない、ハルモニア。
『でも、大丈夫ですよっ。ニアちゃんはケンカ強いですから!』
「あなたもハルモニアの話になると大概ですよね」
とにかく、ハルモニアとの連絡がつかないことは理解した。
「では、戻り次第こちらに連絡をするようお願いします」
『わかりました! ニアちゃんが帰ってきたら、すぐに折り返しますね!』
そこでリノンとの会話が終わり、エンデルガストの言葉が続く。
『そういえばローレンスさん、昨日の報告についてですが』
「ああ、それは……すいません。自分が負傷していたもので」
『いえ、連絡自体はアーロンさんがしてくれましたよ。壮絶だったみたいですね』
……アーロンが?
『こちらとしては心配していましたが……本日の報告を聞く限り、もう身体は大丈夫そうですね』
「はい。俺の身体は、まあその、ある程度は頑丈なので」
『メギストスの尾の影響ですか』
「こいつに頼るのは不服ではありますが、便利なので何とも言えませんね」
メノウに来てからずっと、メギストスの尾に頼りっぱなしのような気もする。
逆に言えば、それだけ今回の任務が過酷だということだが。
『では、調査を継続してください。幸運を祈ります』
「ありがとうございます」
その言葉を最後に通話が途切れ、アーロンがこちらを向いた。
「……お前、俺が寝てる時にエンデルガストに連絡してくれてたのか」
『アーロンハ、オリコウサンナノデネ、ソレクライヤリマスヨ』
「助かった。偉いぞ、アーロン」
『ウェヒヒ』
俺が褒めてやると、アーロンは自慢げに空中で左右に揺れていた。
……あまり心地いい笑い方とは言えないが、これもイスカの影響だろうか。
『ママノトコ戻ル?』
「いや……もう少しここにいよう。今日は疲れた。夜風を浴びて休む」
『アー、ソノ方ガイインジャナイ? パパ一応、昨日マデ負傷者ナノデネ』
「そうだな」
店先に置かれた適当な長椅子へ腰を下ろすと、途端に疲れが襲ってきた。
アーロンが勝手に俺の膝へ乗ってくるが、それをどかす気力すら残っていない。
そのままアーロンの頭の上に手を置きながら、ぼうっと夜空を見上げる。ぼんやりと浮かぶ月と、散りばめられた星空は、ノールドベルトで見上げた夜空よりもずっと瞬いて見えた。
『オ月様ガ綺麗ネ』
「田舎だからな。街の灯りが著しく無いおかげで、光が見えやすい」
『パパ田舎嫌イスギジャナイ?』
「いい思い出がない」
メギストスの尾を埋められた俺の故郷も、イスカと同衾することになったアーネルガルムも、クオンに腹を貫かれたメノウも、すべて田舎だ。こんな災難に見舞われて好きになれるわけがない。
『マア確カニ、旅行デ来ルグライガ一番カモネ。住ムノハ不便ソウダシ』
「そういうことだ」
なんて無駄話をしていたところで、ふと槌を踏み締める足音が聞こえてくる。
『ナユタチャンダネエ』
「ナユタ?」
アーロンと一緒にそちらへ視線を動かすと、そこにはこちらへ近づいて来るナユタの姿があった。彼女は俺たちに気づくと、ぱあっと顔を明るくして、小走りで駆け寄ってくる。
『オカエリー』
「はい、ナユタです! ただいま戻りました!」
「遅かったな。食事は?」
「お食事は頂きました! フォルストさまが振る舞ってくれましたよ!」
どうやら夕食は取ってきたらしい。
日に二度もナユタの食事の世話をしてくれたフォルストには感謝しかない。
「明日からはどうなさいますか?」
「……現状はまだ何とも。クオンからカザミの情報を聞き出すつもりだったが……」
「だったが?」
「あいつら寝やがった」
『グースカピーナノヨ』
クオンとイスカは既に体力を使い果たしたのか、拘束されたまま就寝。
アルバトラも「ちょっとワタシもう眠いわ」と抜かして床に就いてしまった。
上記の理由により、明日からの俺たちの行動はまだ何も決まっていない。
「そうですか……。なんとも言えない状況なのですね」
「……巻き込んで悪い。お前にも都合があるのに、ここまで事情が複雑になってるとは……」
「いえいえ! ナユタもカザミさまの行方は気がかりですから!」
残念そうに顔を下げるナユタに、俺も思わず謝罪の言葉を漏らしたが、ナユタは胸の前で手をぶんぶんと振って答えてくれた。少なくとも今後も俺たちと同行するつもりでいてくれるらしい。
「ですが、カザミさま……一体、どちらにおられるのでしょうか?」
ナユタは顔を落としながら、誰に言うでもなく呟いた。その表情は思いつめたような表情が宿っていて、どう声をかけていいのか躊躇ってしまうほどに重たい。ナユタはそのまま考え込んでしまったようで、じっとりとした空気が俺と彼女の間に漂い始めるのを感じた。
「……俺も、カザミの捜索へは全力であたる。奴は俺の追っている組織と繋がっている可能性があるんだ。今後も奴を追うのが俺の目標だ。そういう意味では信頼してくれていい」
「ありがとうございます、ローレンスさま」
俺の下手な気遣いに、それでもナユタは静かに頭を下げてくれた。
『ナユタチャンハ、カザミノコト好キ?』
「はい! もちろんお慕いしております! カザミさまはお優しいお方ですので!」
『アーネ』
不意にアーロンから渡されたその質問に、しかしナユタはぱっと顔を上げて答えた。
「ナユタは、カザミさまにうんと可愛がっていただいたんです。ですから、いつかこのメノウに戻った際には、恩返しをと思ったのですが、まさかこんな事態になってしまうとは……」
「……カザミの人柄は知らないが、急にいなくなるような素振りはなかったのか?」
「いえ、とてもそんなお方には見えませんでした。ミヤシロのおじさまや、イオリさまとの仲もよろしかったですし……。おじさまと酒を交わして、笑うようなお方でしたよ。『ミヤシロを継ぐのは俺だ。親父はさっさと隠居してな』というような冗談を、いつも仰っておりました」
ナユタから語られたカザミの人柄に不審な点はないように思えた。むしろ俺もナユタと同じように、なぜそんな人間が誰にも何も言わずに失踪したのか、という疑問が浮かんでくる。
仮に彼が裏でカルトロードと繋がっていたとしても、やはり違和感が残る。
俺の知るカルトロードは、合理性が服を着て歩いているような男だ。ミヤシロの当主に弟子入りし、次期当主候補にまで上り詰めたカザミが、彼の支配下に置かれているというのは考えづらい。
「……いま、考えても仕方ありません。まずはカザミさまを見つけなければ」
やがてナユタは顔を上げたが、そこにはやはり諦めにも似たような表情が浮かんでいた。
「本日はもう、これにてお開きとしましょうか。ローレンスさまも、ゆっくりとお休みになさってください。まだ腹の傷も充分には癒えておりませんでしょうし……どうか、ご自愛ください」
「ああ。お前はどうするんだ?」
「もう少し夜風にあたって、散歩でもしたいと思います。考えたいこともございますから」
にこりと微笑んで答えたナユタは、そのまま俺たちに背を向け、来た道とは反対の道を歩き始めてしまう。その姿を見た俺は、引き留めるかどうか迷って、口まで開いたところで、またマトモに形を作れていない言葉を吐き出すしかなかった。
「ナユタ……ちゃんと戻ってくるんだよな?」
「ええ、もちろん。このナユタ、皆さまを心配させるようなことは決していたしません」
「……なら、いい」
「それに、明日の朝餉のあても見つかっておりませんので……」
「寒くなる前にとっとと返ってこいよ」
心配した俺が馬鹿だった。ナユタの見送りもほどほどに、鍛冶屋の中へ。
今夜はイオリ、もといアルバトラに許可され、鍛冶屋の一室を借りることになった。
『オ疲レサマネー』
「ああ……。メノウに来てから、色々と忙しないな」
指示された部屋はどうやら作業場として使われていた場所らしく、パズルのようになんとか敷かれた布団と、部屋の各所に追いやられた工具たちが見える。着替えもままならないままそこに腰を下ろすと、身体も疲労が回ってきたのか、とたんに瞼が重たくなってきた。
視界の端で、アーロンがふわりと適当な木箱の上に着地したのが見える。
『テカサア』
「……なんだ」
『結局、ナユタチャンッテ、誰ナノ?』
誰って、お前、それは……。
「……ナユタだろう。メノウ出身の旅人だ」
『ソウジャナクテサアー、背景トイウカサアー、ナンカジャナイ?』
「言いたいことは分かるが」
思えば俺たちはナユタのことをまだよく知らない。どこで生まれたのか、今までどこを巡ってきたのか、旅をしてどれくらいになるのか。俺たちが聞かなかったのもそうだが、ナユタが自身の経歴や過去を話してくれたことは、これまでに一度もない。
正体不明のメノウの旅人。それが俺たちの知るナユタの全てだった。
「ナユタを疑ってるのか?」
『イヤア……? デモ、仲ヨクナッタカラ気ニハナルヨネ』
「……聞いたら教えてくれるんじゃないか」
『ソウカナア』
俺としても、ナユタが何らかの組織、それこそカルトロードと繋がっているとは思えない。
クオンの赫爪を見て驚いた反応や、俺たちへ対する態度や温情に演技は見られなかった。
というか、そもそもそういう演技が出来るような人間だとは思えない。
あれもあれでだいぶ間抜けというか、ポンコツというか、アホすぎるというか……。
……いけない。思考が変な方向へ寄っていってしまっている。
「……もう俺は、寝る」
『オヤスミー』
頭が冴えなくなってきたことを自覚した俺は、アーロンにそれだけ告げ、瞼を閉じた。
■
翌朝。
『ゴロゴロー……』『オハーヨゥ……』『ンニャ、ネム』
眠たげな音声を再生しながら、ごろごろと重たく廊下を転がる野良ゴーレムのせいで、嫌でも意識が覚醒させられる。身体を起こすと、ちょうどアーロンも睡眠状態から覚醒したらしく、ふわりと飛び上がったかと思うと壁にぶつかって墜落したのが見えた。
『アアーオコシテー』
……前々から思っていたが、なぜゴーレムに睡眠や寝起きの概念が存在するのだろうか。
一刻も早いシミュラクラム・クラウンの解析が待たれる。
なんて、寝起きの頭でそんなどうでもいいことを考えていたところで、襖が勢いよく開かれた。
「ローレンスくん? 起きてるかしら?」
眩しっ……。
「……おはようございます、アルバトラ」
「はい、おはよう。早速で悪いけど、鍛冶場のほうに来れる? ちょっと気になることがあって」
「分かりました」
早口でそう告げると、アルバトラは踵を返して出て行った。
俺も身の回りの支度――とはいえ、昨日は服もそのままに眠ったので、ほとんど手ぶらだが――を済ませ、未だに床上でわたわたともがくアーロンを引き連れて鍛冶場へと向かう。
そこには昨日と全く同じ姿勢で、天井から吊るされるクオンとイスカの姿があった。
違うところは、両者とも昨日に比べ、表情がげっそりと窶れているところだろうか。
「お、おなか……すいた……」
「おい、白ピカ……メシをよこさんか……」
「不甲斐ないわねえ。せっかくセレニアの翼とか、ヘリオルトの爪とかあるんだから、空腹くらい何とかしなさいよ。なんか待機中の魔力とかを変換するとか、そういうのできないの?」
「む……無茶いうな、っ……!」
なんて適当なことを宣うアルバトラのそばには、眠たげに目を擦っているナユタの姿があった。
『ナユタチャン、オハヨー』
「おはようございます、ローレンスさま、アーロンさま」
「戻ってたんだな。朝食は済ませたのか?」
「はい……メノウまんじゅうとメノウおせんべいをいただいたので……」
そう答えるナユタの隣には、積み重なった包装紙の山が見えた。この量で足りるとは到底思えないが、とはいえ今はもっと優先するべきことがあるというのは、彼女も理解しているのだろう。
アルバトラが口を開いたのは、なんて考えを巡らせていた直後だった。
「さて、改めてだけど。クオンちゃん。あなたに一つ聞きたいことがあるの」
「なんだピカピカ女……。手早く済ませてさっさとメシを食わせんか!」
「じゃあもう単刀直入に聞いちゃうわね。コレ、何?」
その言葉を放った瞬間、アルバトラが、ぱちんと指を弾く。
『ウワアー!?』『ゴロゴロー!?』『落チルゥアアア!!!』
すると彼女の目の前に光の円環が出現し、そこからぼとぼとと例の野良ゴーレムが落ちてきた。
……まさか、今のは。
「な……あ、あんた、”博闢の門”、使えるの!?」
「何言ってるのよ。アレはワタシのメモ書きから開発された魔術よ? ワタシが使えないはずがないでしょう。それに、ちゃんとオルトくんにも許可は取ってるわ。二百年くらい前に」
そう答えたあと、地面に転がる野良ゴーレムたちの前に、アルバトラが一歩踏み出す。
「それで、この子たちのことだけど」
『ナンデスノ』『ナニモシテマセンヨ』『イジメナイデネ!』
「いじめるつもりはないわよ。ただ、どうにも釈然としないってだけ。ねえクオンちゃん、あなたこの子たちとどういう関係なの? そもそも、この子たちとはどうやって知り合ったの?」
アルバトラの疑問は尤もだった 俺としても、サギ島に自生する野良ゴーレムをなぜクオンが引き連れているのか、不思議ではあった。それどころではない無数の問題と、そもそもこいつらがマトモではない存在なせいで、深堀りすることはとうの昔に諦めていたが。
やがて渡されたその質問に、クオンは吊るされたまましばらく考え込んだあと、
「バイトだが?」
は?
「…………ごめんなさい、どういうこと? 雇用関係が成立してるってこと?」
「ま、そんなところだ。こいつらには私が戦う時の盛り上げ役を任せておってな。呼べばどこでも来るし、私が教えた文言も諳んじる。なかなか使えるから気に入っておるぞ」
『ソンナトコロー』『デモ、オ給料モラッテナイケド?』
「後払いと言うとるだろうが。あとでまとめて払う!」
『ウソツケ!』『信用アルワケナイネ』
言い合う野良ゴーレムとクオンに、さすがのアルバトラもぽかんと呆けた表情を浮かべている。
「ゴーレムをバイトで雇ってる人間なんて初めて見たわね……」
「六百年の時を生きる人間が言うと、実感がありますね」
とにかく。
「今のお前達の関係はわかったが、どこで出会ったのかはまだ聞いてない。答えてくれ」
「そう言われてもな……。気づいたらそばにおったぞ?」
「気づいたら?」
「うむ。カザミがいなくなってからすぐのことだったか……。とにかく、こいつらが私の周りをうろちょろごろごろして鬱陶しかったのでな。せっかくならと雇うことにしたのだ」
『ソウイウコトー』『バイトト派遣ッテ何ガ違ウノ?』『福利厚生』
「うーん」
うーん、じゃない。
だがアルバトラは腕を組んだまま、ゴーレムを黙ってじっと見つめてしまう。
次に口を開いたのは、その一部始終を見届けている、イスカだった。
「ね、ねえ、ナユタ……そもそも、こいつらって……いつから、メノウにいる、の?」
「いつからと仰られましても……ナユタが物心ついた時には、既にサギ島におりました」
「……となると、少なくともここ数年の話じゃないのは確かだな」
というより、もっと前でもおかしくない。
補給液から魔力を得ている時点で、こいつらの内部構造は、ゴーレムが開発された当初、つまりエルネスタの時代にあったものだ。外装の耐久や術式の劣化を考慮に入れなければ、何十年、何百年と稼働している可能性だってある。
「……まあ、いいわ。クオンちゃんとこの子たちの関係は分かった」
「言っておくがウソはついとらんぞ。ウソをつく必要もあるとは思えんからな」
「そうなの? なら、この子たちが発信してる信号については?」
「え?」
アルバトラの落とした言葉に、この場にいる人間が全員、首を傾げた。
「し、信号? こ、こいつら、なんか発信してる、の?」
「ええ。見ればわかるでしょう? ……あ、見え方が違うのか」
「なんだ? このダルマ共、こっそりどこかと内通しておったのか?」
じろり、と睨んだクオンの視線の先にいた野良ゴーレムたちは、一瞬の間を置いたあと。
『信号……?』『エッ……。エッ?』『ナンカ出テルノ……?』
「ちょっとなんで本人たちに自覚がないのよ! ダダ漏れでしょうが!!」
「アルバトラ、落ち着いて!」
この間抜けさにとうとう限界がきたのか、暴れ出したアルバトラ、もといイオリの身体を羽交い絞める。身長差もあり比較的あっさりと抑え込まれた彼女は、しかし暴れるのを止めなかった。
「あーもう面倒ね! アナタたち、調べてきなさい!」
「し、調べる……?」
「信号先の位置はもう掴んでる! 今から”博闢の門”で、アナタたちをそこまで飛ばすわよ!」
そうしてアルバトラが指を弾いた瞬間、俺とナユタ、クオンとイスカそれぞれの直上に小さな”博闢の門”が出現する。門の先ははじめ鈍色の混濁が広がっていたが、すぐに青空と木々の景色が広がるようになり、すでに目的地へ繋がったのが確認できた。
「ま、待ってくださいアルバトラ! そんないきなり……っ!?」
「ワタシ、ダラダラやるのは趣味じゃないの!」
抗議の言葉を紡ぐよりも先に、”博闢の門”が上から降りてくる。
そして、次に目を開くと――俺たちは、見知らぬ森林地帯に飛ばされていた。
■
「ここはシラキジだな」
俺が縄を解くと、はじめにクオンはそう結論づけた。
「知ってるのか?」
「知ってるも何も、私が育った島だ。身体が覚えとる」
調子を確かめるように首を左右に鳴らしながら、クオンが周囲を見渡す。
緑が映える、静かな森林だった。木々の隙間から見える空の向こうには、昨日俺たちが訪れたセキレイの鉱山が霞んで見える。足元には草木が生い茂っているが、それでも人が通れる道が確認できるあたり、完全な未開拓地というわけではないらしい。
「で、でも、なんでシラキジに……?」
クオンと同じように、ナユタに拘束を解かれたイスカが、よろよろと立ち上がりながら呟いた。
「あのゴーレムが、こちらの地点に信号を発信していたということですよね?」
「……正確な発進点は分からないがな。アルバトラがいきなり飛ばしてくれたせいで」
「そもそも、ここ……シラキジのどこ?」
イスカに視線を投げられたナユタは、首をふるふると振った。さすがにメノウの現地人と言えど、いきなり森の中に飛ばされたこの状況では、判断も何もあったものではない。
するとクオンがふと、左腕を上げながら指をさした。
「多分だが、ここから少し西に歩くと川に行き当たる。上流を目指せば小屋が見つかるだろう」
「小屋? ……随分詳しいんだな」
「私が幼少期を過ごした場所だ。両親に捨てられた私は一人、そこで誰にも頼らず生きていた」
その発言に俺たちが何か言葉をかける前に、クオンは一人で歩き出してしまう。
俺たちは互いの顔を見合わせて、伸ばされた白髪を揺らす彼女の後を追うことにした。
クオンの足取りに迷いはなかった。俺たちの進む道は、次第に人の手が介入した痕跡は薄れていき、だんだんと草が割れているだけの獣道へと変わっていく。
「ね、え……クオン。一人で、いた……って、いうのは……」
「ある晩、両親は私をこの森に捨てたのだ。それから私はずっと、このシラキジの森で生きてきた。日が昇れば果実や獣を狩り、日が落ちれば火を起こして、得物を食べる。そんな生き方だ」
「……子供の頃から、ずっとそれか?」
「いいや、たまに人里に降りる時もあった。刀の手入れ品や、衣服はどうしてもな。ただ、私は路銀など持っていないから、狩った獲物の肉や、藁で編んだ笠などを交換してやり繰りしていた。もちろん、マトモな人間には相手もされんかったが……恵まれた出会いもあった。それだけだ」
クオンの表情に陰りはなかったが、しかし普段の快活な様子も消え失せていた。そうやって語るクオンの姿には、寂しさと言うよりもどこか平坦な、半ば他人事のような雰囲気を感じた。
「なぜ……クオンさまは、両親に捨てられてしまったのでしょうか……」
クオンが足を止めたのは、ナユタのそんな問いかけがあってからだった。
そのまま彼女はナユタに振り返ると、その額を指先でこつん、と弾く。
「ナユタ、私はお前のように黒髪ではないからな。この見た目も相まって、気味悪がられたのだ」
「……そ、そんな……髪の色だけ、で?」
「カラスバがメノウの顔ならば、シラキジはメノウの心臓だ。よく言えば歴史を重んじる、悪く言えば古典的な頭の奴が多い。故に私のような、メノウの人間らしくない風貌の人間は疎まれる」
「酷い国だな」
「そうでもない。私はこの国に産まれてよかったと思っているぞ!」
俺の言葉に、クオンは腰に吊った刀の柄をとんとんと叩きながら答えた。
「ほら、そろそろだ」
やがて森を抜け、俺たちは河川のほとりに出た。
流れる水は雪解け水のように透き通っており、その周囲には川の流れによって削られて露出した赤土、そしてその土から自省するメノウ特有の草花が見受けられた。周囲は未だに木々が乱立していて、まだ森の中を流れる川といった印象が強いが、少し進めば開けた場所に辿り着きそうだ。
そのままクオンに先導されつつ、川に沿ってあるくこと、しばらく。
やがて俺たちは森を抜け、川のほとりにひっそりと佇む小屋を見つけた。
建てられてから相当の月日が経っているのだろう、見るからに年季の入った木造の外壁や屋根は、所々に穴が空いており、そのどれもに外から手を入れて直した形跡が見られる。
「……ん?」
だが、クオンの顔は芳しくない。眉を顰めながら、小屋を見つめて首をかしげている。
「どうした?」
「誰かいるな……」
「誰か?」
「私が住んでいた頃には放置していた、屋根の隅っこにある穴が塞がれとる」
そう言ってクオンが指で示した先、補修された屋根の一部分は、確かに他の補修部分とは毛色が違った。他の箇所は藁や木の皮といった自然由来の素材で補修されているが、その一部分だけは人工的な布素材で覆われている。
「この場所を知っているのは?」
「私と、もう一人だけ」
「まさか、カザミさま……!?」
クオンが言うよりも早く、ナユタが刀を手に駆けだしてしまう。
「あっ、おい待てナユタ! まだ決まったわけではないぞ!」
「な……ナユタ、まって……!」
ふわりと浮かんで追い出したイスカに続いて、俺とクオンも足を進める。
そうして小屋に近づくにつれて、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
『アーゴシゴシ』『アワアワー』『キレイキレイネー』
起伏はないが、どこか人間味を感じる声色と、知性を感じられない語彙。
間違いない。クオンが引き連れていた、サギ島に自生する野良ゴーレムだ。
だが、クオンが今まで引き連れていたゴーレムは、今もミヤシロの工房にいるはずだ。
となると別個体になるわけだが……。
「カザミさま! いらっしゃるのですか!?」
声のする方は、響き具合からして小屋の中ではなく、外。
やがてナユタに追いついた俺たちは、はじめに見えていた小屋の反対側へと回る。
「カザミさま!」
果たして、そこには一人の男が見えた。
袖を通す羽織の色は赤。髪色は黒く、長く伸ばしたそれを首の後ろで一つに纏めている。背丈は高く、肉のついた身体が羽織の隙間から覗いており、その腰には黒い鞘を持つ刀が吊られていた。
一目見て寡黙だと分かる険しい顔つきと、どこかやつれたような佇まいが印象的な男だった。
彼の足元には、水で満たした大きな桶へ窮屈そうに浸かる野良ゴーレムたちがいた。彼の手元に布巾が握られているあたり、おそらくこいつらの身体を手入れしてやっている最中だったらしい。
だが、彼はその手を止めていた。おそらく俺たちの姿を見て驚いているのだろう。
本当に視力があるのかと疑わしいほどに、黒く深い色をした瞳が俺たちを見据える。
「ナユタ? ……クオン? お前たち、なぜここに……」
「カザミさまーーーー!!!」
言葉が紡がれるよりも早くナユタが跳躍し、彼――カザミの懐に飛び込んだ。
その衝撃で、ぱこーん、と桶がひっくり返る。
『ア”ア”ー!!』『イヤーー!!』『ビショビショー!!!』
桶から零れ落ちてその場に散乱する野良ゴーレムと、その中心で倒れ込むナユタ。
カザミの方は突然のことに目を見開いていたが、そこにクオンが静かに歩み寄ったかと思うと、彼の長い黒髪を乱暴に掴み上げた。そうしてナユタを体に引っ付けたまま、カザミが立たされる。
「おい」
「ま、っ……待て! クオン、せめて髪はやめろ……!」
「うるさいわ! カザミ、貴様いったいどこで油売っとったんじゃこのボケナス!」
「そうです! 今までどこにいらっしゃったのですか?! ナユタは心配で心配で……!」
「ナユタ、お前も離れろ……服を引っ張るな……!」
抵抗するカザミだったが、メノウの女二人には無力らしく、服だの髪だのを引っ張られて全く身動きが取れていない。そんな光景に、俺とイスカは顔を見合わせることしかできなかった。
「あれ、が……カザミっていう、フィールトラッセ、の?」
「みたいだが」
『ナンカパパト雰囲気似テルカモ』
「どこがだ」
『不機嫌ソウナ顔ト、女ノ人ニロクナ反論デキズニサレルガママナトコロ』
……………………。
「大体クオン、お前ミヤシロの工房にいたんじゃないのか。あのダルマ共はどうした?」
「置いてきたわ! というか貴様、なんで私がミヤシロの工房にいたことを知っとる!?」
「あのダルマには俺が細工をしてある。お前の情報が常に共有されるようにな」
「ならなんでさっさと私に会いに来んかった!? この薄情者がァ!」
「がはっ……!?」
クオンの振り抜いた拳が胴体に炸裂し、カザミの身体を軽く浮かせる。
「クオンさま、いけません!」
「ナユタ……!」
「ええい、止めるなナユタ! こいつは二、三発くらいくれてやらんと気が済まん!」
「いえ、今のでは衝撃が逃げてしまいます! ナユタが支えておりますので、もう二発ほど!」
「ナユタ……?」
「よくやった、ナユタ! カザミ、お前覚悟せいよ!」
困惑するカザミを拘束するようにナユタが彼を羽交い絞め、その眼前でクオンが指の骨を鳴らしている。とても前まで敵対していたとは思えない連携だった。これがメノウの女のやり方なのか。
……さすがにこのまま見ていられないので、そこで改めて口を挟む。
「二人とも、その前に俺から話をさせてくれないか?」
「うおらァ!」
「ぐおっ……!?」
「よし、いいぞ。ローレンス、話をしてやれ」
せめてもの一発だったのだろう、クオンはカザミの腹を殴りつけたあとにその場を退いた。
ナユタの拘束も解かれ、いよいよカザミは地面にへたり込むように腰を下ろしてしまう。
そこで初めて、彼の視線が俺を捕らえた。
「ローレンス・エルマーク……だな? この目で見るのは初めてだ」
「……俺のことを知ってるのか?」
「ああ。奴から話は聞いている。
その言葉に俺が反応するよりも先に、イスカがカザミの前へと踏み出した。
「カルトロードと、知り合い……なの?」
「奴は俺に新たな道を示してくれた。恩人とも言えよう。だが……」
「だが?」
「その道もいずれ途絶える。俺がこの手で、この右腕を以て、奴との縁を断ち切るのだ」
言葉の真意は分からないが、彼の瞳には確固たる意志が宿っているように思えた。光を捉えられるのかすらも怪しい、その黒い瞳は俺たちではなく、どこか遠くの景色を望んでいるように感じられた。俺はその言葉に何も返せず、イスカですらもじっとカザミのことを見つめるだけだった。
やがてカザミはよろよろと立ち上がりながら、服についた土埃を払う。
「しかし、お前らがここに来るのは……いささか計算外だ。どうやって俺の場所を突き止めた?」
「信じられないかもしれないが、最初の魔術師、アルバトラが一発で当ててくれた」
「ああ、そうか……イオリの頭の中にいるやつか。あれは俺の見間違えではなかったのだな」
彼女のことまで知っていたのだろうか。いや、言葉から察するに、確信はなかったのだろう。
何度か納得するように頷いたカザミは、そこでクオンへと視線を投げる。
「さて、クオン……お前も、ここに来るのは早すぎた。せめてもう少し後であればよかった」
「なんだと貴様、最愛の妻を前にその言葉はどういうつもりだ?」
『エ、妻?』
「アーロン、今は突っ込むな」
茶々を淹れるアーロンと、それを遮る俺をよそに、カザミがクオンへと歩み寄る。
「俺の妻を名乗るのであれば、もっと淑やかにするべきだっただろう。お前、幽囚鬼神だのと名乗りながら、メノウ各地で暴れまわっていたらしいな。あれは何のつもりなんだ」
「なに、私が各所で戦果を挙げれば、いずれ貴様がノコノコと出てくると思ってな」
「…………それは、本気で言っているのか?」
「私が生半可な気持ちで刀を振るったことが、今まで一度でもあったか?」
首を傾げるクオンに、カザミは眉間を抑え込みながら黙り込んでしまった。
……要するに、カザミを炙り出すために、クオンは幽鬼としてメノウを荒らしていたらしい。
らしいと言えばらしい……のだろうか。少なくともカザミはその所業に呆れていたが。
「お前は……自分の身体のことを分かっているのか……」
小屋の扉が開いたのは、カザミがそんな言葉を落とした直後だった。
この小屋に居座っているのが彼だけだと思っていた俺たちは、一瞬の驚きを挟んでからそちらの方へと視線を向ける。
「おいおい、カザミ……今日はずいぶんと喧しいじゃないか。君らしくない」
果たして小屋から姿を現したのは、少女とも少年ともつかない、一人の子供だった。
淡い紫のかかった青色の着物に、下は膝丈の黒い袴。癖の強い髪は、まるで紫水晶のように透き通るような輝きを宿しており、同じ色をした瞳。
見た目から判断する限り、年は俺よりも遥かに下で、身長はそれこそイスカやナユタと大差ないだろう。だが、それが纏う雰囲気はどこか儚く、どこまでも不思議な印象を抱かせる。
「何度も言ってるじゃないか、カザミ。ぼくの執筆活動の邪魔をしないでおくれと」
「……なら、俺に構わず、さっさとどこかへ行ってしまえ」
「冷たいな、君は……。こんなにも美人な女が傍にいて、何が不満なんだい?」
つらつらと軽口を口にしながら、その少女はゆっくりと俺たちの方へと向かってくる。
いつの間にか彼女の手にはひと張の唐笠が握られていて、ばさりとそれを開くと、クラゲを模したような模様が広がった。それを肩に背負った彼女は、改めて俺たちの方へと視線を投げた。
「なんだ、やけに大所帯じゃないか。カザミ、きみにこんな沢山の友人がいたなんてね」
「友人じゃない。敵……でもない。少なくとも、クオンのことはお前に話したはずだ」
「ああ、その白いのか。メノウにしては珍しい髪色だね」
少女はクオンを指先で示しながら、へらりと笑う。
「……誰だ貴様。カザミの何だ?」
「ぼくのことかい? ふふっ……そうだね。聞かれたのなら、名乗ろうか」
くすくすと嗤う少女がそこで、胸の前で指先を立てる。
それを起点に彼女の周囲に、まるで空間が揺らぐような歪みがいくつも生まれる。光の屈折、あるいは何らかの力場の作用が起きたかと思うと、それはふわふわと浮かぶクラゲの形を顕した。
いくつもの光の海月の中心に立つ少女は、やがて薄い笑みを浮かべながら告げる。
「ぼくはムメイ。海洋の依代が一人、『幻想』の座のムメイだ」
…………なに?
「依代……? それも、海洋の龍の……なぜ、この大地の龍の国に?」
「なぜも何も、ここは僕の故郷だよ。ぼくはマギアマリの海をぷかぷか漂う、一匹のクラゲだったのさ。そうして暮らしているうち、あのウナギもどき……こほん。メギストス様に拾われてね」
語りを続けながら、ムメイが一歩ずつ俺たちの方へと歩みを進める。周囲の海月もそれに応じるように光を宿し、周囲に朧げな明かりを宿す。殺伐とした敵意は感じられないが、それが寧ろ警戒を強くした。クオンもムメイを睨みつけながら、腰の刀に手をかけている。
だが、それを見てもなお、ムメイは余裕を含んだ表情を崩さなかった。
「きみたちのことは聞いたよ。メギストス様の尾に、ヘリオルト様の爪……それに、セレニアの翼。なるほど、確かに興味深い。だけど今、僕の興味はそのカザミという男に注がれていてね」
「貴様……カザミとどういう関係だ。まさか寝取ったわけではあるまいな!?」
「そこまでじゃないよ。ただ今のぼくは、カザミという一人の人間の味方というだけ。だから悪いけど、君たちのことは邪魔させてもらおう。もっと面白いものが見れそうだしね」
するとムメイは片手を上げたかと思うと、その手のひらをこちらへ翳し――
「……ん?」
――言葉を続けようとしたところで、その表情がきょとんと固まる。
ムメイの紫の瞳が示す視線の先。俺たちもそこへ流れるように視線を向けると、そこには。
「――――げえっ、ナユタぁ!?」
目を丸くしながら、自身のことを指で示すナユタの姿があった。
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