想いを音色に乗せて   作:猫柳/nekoyanagi

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お久しぶりです。ご縁があり内定先が決まりましたので就活が終了となります。これからは最後の大学一年間を楽しみながらサークル、バイトと両立しながらにはなりますが投稿再開いたします。

今後とも引き続きよろしくお願いいたします。
 
 
 


第017曲  部外者

 

 

 

 全開にされた窓から入るこの時期は朝にしか感じられない涼しい風がカーテンをはためかしながら悠月の頬を撫でる。この日もいつもと同じようにミーティングから北宇治の練習は始まる。のだが、今日はいつもと少し違う光景が視界に広がっていた。

 

 少しばかりざわめく部員たちの中で、悠月は「マジか」とでもいうかのように口をぽかんと開けていたが記憶の中にある少し前の出来事を思い出して納得がいった。

 

(そういや滝先生と知り合いじゃなきゃあの場で滝先生の名前は出てこないか)

 

 悠月に気が付いたのか、橋本がこちらを見てにっと歯を見せる。それに気づいてこちらも小さく会釈をする。初対面で会った時の印象に違わぬ気さくさであることに表情が少し緩む。言葉を交わさないやり取りを二人でしていると、滝が場のざわめきを収めるように咳払いを挟んだ。

 

「彼はこの学校のOBで、皆さんの先輩にあたります。パーカッションのプロです。楽団で演奏する傍ら、全国各地の色々な高校の吹奏楽部で指導を行っていますので指導力、そして実力に関しても折り紙付きです。今回は夏休みの間、指導に携わってくれることになりました」

 

 滝の言葉に、感嘆の声がちらほらと聞こえてくる。滝の紹介と入れ替わすように、真っ白な歯を見せて親しみやすい印象を与える笑みを浮かべる。

 

「橋本真博と言います。どうぞよろしく!あだ名ははしもっちゃん。こう見えて滝クンとは大学で同期です。滝クンの事で聞きたいことがあったらどんどん聞いてきてくれていいよー!」

 

 場が静まる。相手がプロということで萎縮して緊張してしまっているか、はたまた会って間もない橋本のテンションについていけていないか。あるいはその両方か。橋本としても思った反応ではなかったようで、首の後ろに掌を当てている。

 

「あれ、反応薄いなぁ」

「余計なことは言わなくて結構ですよ」

「話変わるけど、滝クンモテるでしょー?女子にきゃーきゃー言われてるんじゃない?」

「……はい。吹奏部員以外の女子には」

 

 おどけるように、おちゃらけたことを聞く橋本に場の緊張が少し弛緩した。そして、それに対して最前の部員が答えれば音楽室内に笑いが広がる。確かに、滝は部外の生徒、特に女子からの人気が高い。それはもう、ギャップに風邪を引きそうなほど。

 

「はっはっはっ!吹部女子には人気ないかぁ!ごめんな〜。滝クンの口が悪いのは昔っからっ、いでで!」

「余計なことは言わなくていいと言いましたよ」

 

 橋本が顔を顰めて悲鳴を漏らしたことに何だと目を凝らせば、滝の足が橋本の足元へ伸びていた。どうやら物理で黙らされているようだ。その二人の様子に、くすくすと其処彼処から笑いが聞こえてくる。悠月も同様にくすりと笑みを浮かべる。

 

 そして、橋本が馴染むことができるよう咄嗟にとった行動に、悠月は先日の出会いを思い返しながら感心していた。やはり、この人は緊張の解き方、距離の詰め方が巧い。そして、初対面である部員たちに親しみやすさを演出して見せた。それを理解した上で行っているなら人心掌握に秀でているし、自然にできてしまうのなら人たらしだ。

 

 なんとなく、ただの勘でしかないが橋本の場合はおそらく後者だろう。橋本のような盛り上げ方ができるのは悠月としては羨ましく思うばかりだ。色々理屈っぽく考えてしまう性質の悠月には一向にできそうにない。ムードメーカー的存在がいるだけでも部内の空気が変わることは経験済みだから将来的にそういった人材を見出したいところではある。

 

 ともあれ、これで指導する上での精神的障壁は限りなく薄くなったかな、と悠月は思う。指導者側と生徒側で距離があるのは問題とまではいかないが、緊張の有無や抱き方で練習の質は変わってくるというのが悠月の持論だ。

 

 パーカッションのプロである橋本は必然的にパーカッションパートの奏者を見ることが多くなるだろう。ナックル先輩こと田邊先輩筆頭に同学年の井上順菜や堺万紗子と明るく人見知りをしない部員がいるからコミュニケーションには困らないだろう。

 

 欲を言えば、木管と弦───と言ってもコントラバスだけだが───にもプロに近い知識と技術を持つ人物に指導を賜われたらと思うが、こればかりは色々制約もあるからおいそれと実現はしないだろう。あるとすれば人脈、コネなのだがないものねだりほど無駄なものもないと悠月はその可能性を切り捨てる。

 

 金管は滝の分野であるし、トランペットは驕りと思われるかもしれないが悠月がカバーできる。他の楽器も見れないことはないが、悠月にできるのは初心者や基礎ができつつある者を中級者に押し上げるところまでだ。中級車以上となるとむしろちゃんと技術を理解している者が行う指導の方が受ける側としても有意義だろう。

 

「お~い。起きてる~?」

「え!あっ、はいっ!」

 

 考え事をしていたために橋本の声にびくっと肩を震わせて声の方向を見れば黄前の眼前で手をひらひらと振る橋本の姿を捉えた。耳まで真っ赤にしている黄前の姿を見て悠月は珍しいものを見たと目を丸くする。入部当初の何処か地に足が着いていないような雰囲気だった黄前ならまだしも、高坂と関わり始めてから良い影響を受けて練習にも精力的に取り組んでいる姿をよく目にしていた。だからこそ、不思議に思った。

 

(何か悩み事かな。それとなく聞いてみるか)

 

 悠月が直接聞くよりも気心知れた仲の秀一からの方が黄前も応えやすいだろうと、そう思って悠月は愛器に指を滑らせるのだった。

 

 

 

 

 

 

「明瀬君。この後少し話せますか」

 

 全体での合奏練習を終えて個人練習へと各々が移行していく中、悠月も同じようにして音楽室を出ようとしたとき、滝の言葉に呼び止められる。滝曰く部員の往来のある場所で話す内容ではないとのことで、今は使用されていない教室で向かい合っていた。

 

「さて、呼ばれた理由は分かりますね?」

「合宿参加の可否に関しての用紙の件でしょうか?期限まではまだ時間があったはずですが」

「はい。その通りです。明瀬君のことなので心配はしていませんよ。ですが、家庭環境が少々特殊なので一度お話という名目で相談に乗れることがあれば聞こうと思いまして」

 

 滝が悠月を呼び出した理由について、悠月自身想像はできていた。実を言うと、悠月はまだ今言った用紙を提出するどころか叔父にすら見せることができずにいる。というのも、現状ですら頼らせてもらっているところがあるというのにそれ以上の要求は厚かましいだろうという思いが行動を鈍らせていた。

 

 合宿参加にも当然費用というものは部費という形で出さなくてはならない。無論、自身で出せないということは全くなく、高校在学中の学費及び将来的に必要になってくる大学入試費用と大学入学後の学費にも目途が立つくらいには稼がせてもらっているのだ。

 

 ならばなぜ行動に移せずにいるのか。有り体に言えば、繁忙期というやつだ。毎年この夏休みに入りお盆が近づいていくにつれてどんどん忙しくなるのはいつものことなのだが、今はそれにプラスして従業員が足りていない。

 

 叔父の店、『Blue Palette』は元々夫婦で切り盛りしていたのだが、義母にあたる叔父の妻が倒れて入院してから瞳をアルバイトとして雇用したのだが彼女も大学生で現在教員採用試験に向けてシフトを減らしている。そこを二人で回しているのだから悠月が抜けるわけにはいかない。

 

 ただ、合宿という組織単位でさらなる成長と結束力を高めることのできる機会も中々ない。そして、重要な役割を託された者として自らが背負った責任を果たすためにも参加は必須だとも思っている。こういった状況になることは、この部に入り、全国を目指すうえでこうなることは分かっていた。

 

(そういうことも全部ひっくるめて受け入れて、覚悟決めたろ。明瀬悠月()

 

 心の内で自分自身に対して責めてから、答えた。

 

「大丈夫ですよ。どうにもならない問題ではないので」

「……そうですか。では、何かあったときは報告してくださいね」

「はい。お気遣いありがとうございます」

 

 さて、正直なところ億劫ではあるが、どうにかしなければならない。杞憂と不安を抱えながら、悠月は叔父との話し合いに向けて思考を回すのだった。

 

 

 

  ◇◆◇

 

 

 

 悠月は叔父の店に出勤のために顔を出していた。スタッフルームで制服に着替えた悠月は、自身のロッカーから手帳とペンを取り出して胸ポケットへと入れ込む。そのあと、机の上に置いていた携帯を仕舞うために鞄を開けると、クリアファイルに挟んでいた合宿参加の可否を記した用紙が目に入った。

 

「……」

 

 手を伸ばしかけて、躊躇する。だが、それも一瞬のことでそのファイルを掴むと、鞄をロッカーに仕舞いこんでスタッフルームを後にする。そして、本番でも抱いたことのない緊張の影響かバクバクと鳴る心臓の音が聞こえる中、悠月はカウンターを挟んで叔父の向かい側に立って意を決して話しかける。

 

「あの、叔父さん。今時間いいですか」

「お、どうしたどうした。そんなに改まって」

 

 口の中が乾燥しているのを感じる。うまく話せるだろうか。そんな不安を胸に、準備していた言葉を絞り出す。

 

「す、吹奏楽部で合宿があるんだけどさ」

「そうなのか?どれどれ……」

 

 悠月がカウンターにひらりと置いた用紙を叔父は少し身を乗り出すようにして覗き込む。顎に手を当て思案している様子の叔父に、柄にもなくネガティブなイメージを思い起こしてしまう。

 

 しかし、イメージした未来とは裏腹に、数秒もしない内に叔父はあっさりと答えを出した。

 

「いいぞ。行ってきな」

「……え?」

 

 悠月の抱えていた不安は一体何だったのか。そう言ってしまいたくなるほどあっさりと、叔父は悠月の頼みを了承した。困惑気味の悠月を他所に叔父は了承した理由を語り始めた。

 

「元々お盆付近で一週間くらい規制のために店を休業しようとは思ってたんだよ。そこは多少ずらせるしな。断るほどのことじゃない」

「そうなんだ」

「まあ、今のは本音三割建前七割ってとこなんだけど」

「え……?」

 

 建前。その言葉に悠月は疑問符を浮かべる。カチャ、と小さく音を立てて洗っていたグラスを丁寧に拭いてから仕舞った叔父は悠月と目を合わせて言った。

 

「他ならぬお前の、息子の頼みだからな。聞いてやらんと親じゃないだろう。困ったことに悠月は滅多に我儘を言ってこないから、手がかかりすぎないのも問題なんだなと思ってたよ」

 

 もう少し子どもらしく大人を頼れってな、と言葉を続けた父を呆気にとられたように見つめる。しかし

、すぐに正気に戻るとこちらの頼みを聞き入れてくれた相手に対して行って当然の行動をするために悠月は頭を下げた。

 

「ありがとうございます。有意義な合宿にしてきます」

「おう。頑張ってこい。応援してるな。それから、遠慮せずに頼れよ。自立してくれるのは立派だし俺としても助かるところはあるが、それはお前に無理をさせたいってわけじゃないんだからな」

「……はい。肝に銘じておきます」

 

 悠月が勝手に最大の障壁と思い込んでいた問題があっさりと解決したことに、現実味がなくどうしたものかと次の行動を移せずにいると叔父は「まだ時間あるな」と独り言のように呟くとグラスに茶色の液体を注いで悠月の前に置いて告げた。

 

「せっかくだ。親子水入らずの団欒としようか。はいこれロック」

「……俺、未成年なんだけど」

 

 思わず中学に入学して以降めっきりいうことのなくなった第一人称である「俺」が出てしまった。義理とはいえ父と二人だからか素面で話せていることに悠月はいつ以来だろうと思った。叔父はふっと笑みを浮かべると訂正を口にした。

 

「ちょっとした冗談さ。ただのウーロン茶だよ」

「…‥なんだ。ホントにウーロン茶じゃん」

「おいおい。流石に未成年に酒を提供なんてしないさ」

 

 本当にやりかねないと思っていると捉えられたのか叔父は大袈裟に肩を竦めて釈明をする。その叔父の様に悠月も「はは」と軽やかな笑いが口から漏れる。

 

 勝手に遠慮して、相手の心を決めつけて、距離を取っていたのは自分だったのだと気づいた。それを自覚してから、肩に乗っていた重りのような何かが、ふ、と軽くなるのを感じた。

 

 なお、費用に関しては、「費用は自分で出す」という悠月の意見と、「子どもなのだからそういった部分はしっかり大人を頼れ」という叔父の意見が対立した結果、親子喧嘩と形容すべき大口論の末、悠月が折れて叔父が負担してもらえるようになるのだった。

 

 

 

  ◇◆◇

 

 

 

「ふうむ。明瀬君さ。なんか凄い指導慣れしてない?去年のことがあったとはいえ一年やそこらでできる次元を軽く超えてるんだけど」

 

 翌日の合奏練習後、合奏で気になった音の部分を積極的に話して、悠月が一人になったタイミングを見計らったのかは分からないが、ずっと観察するように悠月の様子を伺って顎に手を当て難しい表情を浮かべていた橋本が唐突にそんなことを言ってきた。

 

「そうですか?」

「もしかして自覚なしぃ?指導力だけで見るならどうやってその能力を培ったのかは想像つくけど、俯瞰して音を聞ける滝クンやボクならまだしも演奏者、すなわち当事者がハイクオリティを保ったまま周囲の音にも気を配りながら、あまつさえ改善点まで見つけるなんて芸当プロでもできる人そうそういないよ。キミ、余程耳とマルチタスクが秀でてるね」

 

 手放しの称賛とはこういう時に使うのだろう。それくらいの賛辞を悠月は橋本から受けていた。

 

「あ、ありがとうございます。でも大袈裟じゃないですか?」

「いやいや!全く大袈裟じゃないでしょ。だって、明瀬君がやってる指導の方法ってまず第一に指揮者、滝クンの作りたい演奏を繊細に感じ取ることが大前提なんだよ。この時点でまず君は頭一つ抜けてるよ。多分、君ほど滝クンと意識共有できてる奏者他にいないよ」

 

 むず痒いどころではない。褒めすぎだ。ただ、指導に関しては独学でありこうやって「君の方法は合っている」と言ってもらえるのは今後に活きてくるだろう。そう考えた時、悠月は一つ聞きたいことを思いついた。

 

「あの、橋本先生。質問いいですか?」

「おっ。なんだい?」

「橋本先生は北宇治に来るまでに数多くの吹奏楽部を見てきたと思います。その中には、所謂強豪と呼ばれる吹奏楽部もあったでしょう。現状、そういった高校と北宇治の違いは何ですか?」

「それは、練習方法とかそういった目に見える行動の部分?」

「それもですが、部の雰囲気や意識のところも含めてです」

「ふむ……キミ、大方予想ついてるでしょ?言ってみなよ、一回さ」

 

 明静工科や大阪東照など、名だたる強豪校と北宇治の違い。それは。

 

「全国を知っているか否か、ですかね。言い換えれば、個々人が、部全体が設定する基準の高さが全国を知っているといないでは大きく違ってくると思います。あとは、演奏する曲への理解度と部全体での意識統一がどれだけなされているか、かと」

「なんだ。分かってるじゃん。ってことは聞きたいのはその先かな?」

「まあ、はい。今、北宇治は激流のように迫りくる変化に対応しながら、実力を伸ばしてきています。これ以上を求めた方がいいのか否か。橋本先生はどうお考えでしょう」

 

 やろうと思えば、基準値を底上げできるような方法も滝に提案すること自体はできる。ただ、それをすれば間違いなくついてこれなくなる者が出てきてしまう。そして、それが少数で済むかどうかはギャンブルだ。全体のバランスが崩れてしまえば現状より良くなることはなくなる。

 

 だから、プロの意見を聞きたい。そう思って悠月は橋本に聞いた。

 

「焦らなくていいとボクは思うよ。現状、北宇治の成長が著しいのはボクも認めるところなんだ。じっくり、ひとつずつ。強豪校のそれは一朝一夕で醸成できるものでもないからね。丁寧にやっていけばいい。そうしていけば必ず全国には届くよ」

「……そうですか。ありがとうございます。質問に答えていただいて。では、失礼します」

「はいよ。またなんでも聞きにおいで」

「はい」

 

 悠月はその場を後にする。その道中、悠月は先の橋本の言葉の裏に隠された意味を考えていた。あれはおそらく、今年を指してはいない。だが、絶対はない。なれば、目標に向かって突き進むだけだ。

 

 

 

 

 

 個人練習に行こうとトランペットと譜面台、ファイルを両手に廊下を歩いていると、低音パートの練習場所である教室から聞き覚えのない女子生徒の声が聞こえてきた。なんだろうかと思い近づこうとしたとき、その足は名前を呼ばれたことで止められた。

 

「あ、明瀬君。ちょっと待って」

「黄前さんに、川島さんと加藤さん?何かあったの?」

「なんかさ~。部に戻りたいからあすか先輩の許可が欲しいって二年生が来てるんだよね」

「……へえ。おかしなこと起きてるね」

 

 聞けば、去年退部した二年生の内の「希美」という名前の女子生徒が部に復帰したいがために副部長である田中の下に直談判に来たらしい。

 

 素直に行ってしまえば、「なんだその先輩」となるのだがそれは心の内に留めておく。他にも、普通副部長じゃなくて顧問に相談すべき案件だろとか、入部期間過ぎて以降の入部もできなくはないのかとか思うことはある。が、一つ言うならば。

 

「このタイミングでの復帰は認められないんじゃないか?田中先輩はなんて?」

「明瀬君の予想通りですよ。あすか先輩も復帰は認めないって言ってました」

「そうなんだ」

 

 川島の返答に悠月は簡素に返して、思考を深める。

 

(まあそうだろうね。僕でもこの時期の復帰は認めないし)

 

 穿った見方をすれば、成果のタダ乗りだ。言い方は悪いが去年耐えられなくて逃げ出した者が今年、変革に成功したことを良い事に戻ろうとしている。それはあまりにも残って耐え忍び、今年まで努力を続けてきた者たちに対して不誠実だ。頑張りにタダ乗りするような真似を許せば復帰した者に対しての印象は必ずしも良くはないだろう。

 

 そういった空気が部全体に蔓延すれば士気に関わる上、そんな部に復帰してもいいことがあるとは思えない。良く言えば、復帰を止めるのは本人のため、悪く言えば、そんな地雷を部に入れるなんて以ての外だ。部のためにならない。合理的に考えた結果の田中の返答に悠月はあの人らしいと感心した。もしかしたら田中しか見えていない意思決定の根拠もあるのかもしれないが知りようのないことを考えていても仕方がない。田中が教えてくれるとも限らないわけだし。

 

 ただ、これは去年当事者でなかった者の意見であり、当事者の───この場合で言うと去年集団退部した現二年生になる───感情を全く考えていないので面と向かってこの考えをそのまま伝えることはないだろうが。

 

「明瀬君は今回のこと何か知ってますか?」

「いや、知らないかなぁ」

「そうですか」

「二三年と関係深い明瀬君が知らないなら先輩たちに聞くしかないのかなぁ」

 

 どうやら、去年のことも含めて興味津々のようだ。知っていることもあるし、推測でしかない部分もあるというのが悠月の状態なのだが、これで練習に手がつかなくなったら困るのは本人だけではないため知らない体にして、念のため釘を刺しておいた方がいいかもしれないと川島の質問にとぼけておく。

 

「まあ気になるのは分かるけどほどほどにね。まずは練習だよ」

「はぁい」

「うん」

「分かった」

 

 三者三様な返事を聞いた悠月はまた何かあったら教えて、と悠月は三人に告げて歩みを進めるのだった。

 

 

 

  ◇◆◇

 

 

 

「ごめん。希美。あすか先輩説得できなくて」

「夏紀が謝ることじゃないよ!むしろ無理頼んじゃってごめんね」

 

 夕焼けが辺りを照らす頃、私、傘木希美は夏紀と二人並んで校舎内を歩いていた。会話の内容はさっきのあすか先輩とのことに関して。本当に夏紀が謝ることでも、気にすることでもない。本来悪いのは、私自身。去年引き留めてくれたあすか先輩を振り切って退部した我慢できず逃げ出した私の責任なのだから。

 

 

───~。

 

 

「……この音」

「吹いてるとこトランペットのソロだから、明瀬君だね」

 

 

 私の呟きを夏紀は拾ったうえで補足してくれる。そして、夏紀が出した名前に、私の心の内に黒い何かが渦巻き、すぐに霧散したのを感じた。去年、私が実現できなかったことを一年でやってのけた人物の名前だった。

 

 明瀬悠月。去年だけで、この名を何度聞いただろうか。関西に進めたら御の字だった吹奏楽部を率いて、僅か一年で全国金賞という望んで止まなかった栄光を掴んだ天才。羨ましいと思った。私が見れなかった景色を見たことが。妬ましいと思った。全国金賞を獲れるレベルにまで引き上げたその手腕が。カリスマが。

 

 でも、そういった黒い感情が消えてなくなってしまうほど、彼の音色は綺麗で、優しく、暖かく、そして、眩しかった。

 

「すごいね。一年生でソロ。上級生反発しなかったの?」

「うーん……ちょっと不穏な空気になったけど、すぐ治まったかな」

「そうなの?」

「うん。香織先輩が明瀬君を強く推薦したのもあるけど……」

「けど?」

 

 中途半端に止めた夏紀に私は最後の部分だけをオウム返ししてみる。

 

「多分、皆心のどこかで分かってたんだと思う。実力は、明瀬君の方が遥かに上なこと。ま、優子は最後まで香織先輩が上だって認めなかったけどね〜」

「あはは。優子らしいね。優子大好きだもんね、香織先輩のこと」

「そだねぇ。あとは、私含めて好印象を抱いている子は少なくなかったからさ。彼しょっちゅう色んなパートに行っては譜面のことだったりで話してるし、それもあってすぐに認められていったよ」

 

 そうなのか。やはり、彼はパートの違うこの親友から見ても高い評価と印象を獲ているようだ。私とはまるで真逆だな、と思った。

 

「あすか先輩に似てるとこあると思わない?」

「誰が?」

「明瀬君。立ち回りが巧いところとか諸々。彼、何気に普段から上級生と関わりあるみたいだから希美もある程度印象はあるでしょ?」

「まあ……」

 

 彼の人物像に関しては、風の噂でそれなりに知っている。と言っても表面的なものでしかないが。曰く、頭脳明晰、文武両道、眉目秀麗が揃った完璧超人。確かに、イメージは男版あすか先輩だ。

 

「彼、部がまだ変わる前に一年生支配下にしたんだよ。知ってた?」

「……え?それってあすか先輩が低音を纏め上げたみたいなこと?」

「そうそう」

「でもよく味方に付けれたね。先輩いい顔しないでしょ。それ」

「部長を味方に付けたんだよ。トランペットパートは元々真面目だったから自然と彼に味方してるみたいだったし」

 

 なるほど。まんまあすか先輩だ。そして、私にはできないことをしているのだという事を突きつけられた。自分で言うのも何だが猪突猛進なタチの私は先輩たちとは真っ向から反抗し、その末に私は逃げた。でも彼はどうだ。根回しも完璧にした上でやりたいように環境を作り味方を獲て立場を確立している。

 

 ここまでくると嫉妬のしの字も浮かんでこないな、と乾いた笑みを零した。

 

「凄いね。彼」

「そうだね。まあ、一番大きいのは部全体の空気が変わったことかな。オーディションもあってコンクールメンバーの選考が実力重視になった」

 

 そう語る夏紀の表情は何処か充実しているように見えて、今、部に自分がいないという事実がとてもではないが耐え難かった。

 

「だから、希美も戻れたらなって思ったんだよね。親友としてさ。説得、ちゃんとしよう。あすか先輩も分かってくれるよ」

「……ありがとう」

 

 夏紀の励ましに嬉しさと心強さを感じているのとは裏腹に、その心模様はどうすればあすか先輩を納得させられるか、その答えを一切見出すことができていない現状に曇天の下のように暗かった。

 

「じゃあ、また明日」

「またね」

 

 だからだろう。私は夏紀と逃げるように夏紀に別れを告げて足早に眩しい光のような音から逃げるようにその場を去るのだった。

 

 

 

  ◇◆◇

 

 

 

 すっかり暗くなった校舎の中、悠月は職員室へと足を運んでいた。

 

「滝先生。今お時間いただいてもよろしいでしょうか」

「構いませんよ。どうかしましたか?」

 

 相変わらず人の好い柔和な笑みを浮かべる滝先生に、先ほどまで気を払っていて緊張した状態にあったのが緩んでいくのを感じた。悠月は早速本題に入るべく、悠月は鞄から用紙を取り出して滝へと差し出す。それは、先日、滝との面談で話した合宿の参加の可否に関するもの。

 

「おや。早かったですね。親御さんとは話せたのですか?」

「はい。提出用紙です。お願いします」

「参加ですね。分かりました」

 

 用事は終わったはずなのだが、滝がじっとこちらを見つめていることに気まずさを覚え「……あの」と話しかけると滝は口を開いた。

 

「一年生、特に初心者の生徒達への指導は本当に助かってます。ありがとうございます」

 

 唐突な感謝に悠月は呆気に取られたが、すぐに首を横に振った。

 

「いえ。僕が必要だと思ってしてるだけなので」

「それでもです。私の負担が軽くなってるのもそうですが、君の指導方法は私としても参考になっているので」

「……そうですか」

 

 目上の人間からそんなことを言われると気恥しさとそれほど大層なものでも無いだろうという思いが交差する。しかし、素直に受け取ると、滝は「ですが、」と続けた。

 

「頑張りすぎてはいけませんよ。ちゃんと睡眠、取ってくださいね」

 

 目の下を触れながら言う滝に、悠月は内心で「うげっ」と零す。隈が隠しきれてなかったようだ。そういえば、隈隠しに使っているコンシーラーが無くなっていて今日はしていないのだった。

 

「目立ってますか?」

「普段見えないので余計に目立って見えますね」

「すみません。気をつけます」

「明日は花火大会ですから、しっかりリフレッシュしてくださいね」

 

 滝の気遣いをありがたく頂戴して、悠月は帰路についた。

 

 

 

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