『俺達に明日はいらない』(偽原題:Bomber and Cradle) 作:ばばばばば
デンジは眠り、夢を見る。
それは泡沫が弾ける僅かな幕間、目覚めたデンジが全てを思い出すことなどない褪せた夢。
ただでさえ狭い通路、両脇からさらに圧迫するように低く唸る室外機の音。
寂れた通路をデンジは靴音だけを残して進む。
――またこの夢か
夢の中で思い出すデンジの体は自由が利かず、ただ機械的に通路の奥へと進んでいく。
そしてその進んだ先、やはりいつもの通りに一枚のドアがあった。
赤錆びたドアに無数の張り紙、覗き穴があるはずの場所にはこちらをのぞき込むような目玉。
デンジは吸い込まれるようにそのドアノブに手をかけようとする。
「デンジ……、開けちゃダメだ」
「ポチタ? やっぱりそうだ。そこにいるんだろ? 出て来いよポチタ」
ポチタの言葉に幼い姿のままのデンジは問いかける。
「ダメなんだデンジ、……私はねデンジの夢の続きが見たいんだ」
「意味分かんねぇよ、夢なら今寝て見てるよ、夢でくらいおまえを抱きしめてぇよポチタ……」
「デンジが見る夢は起きてみるべき夢だよ、この先にはない……」
ポチタが自分に駆け寄ってくることはない、それを察したデンジはその場で蹲る。
「見てるよ……、最近すげぇ幸せなんだぜ? オレんこと好きって言ってくれるすげぇツラの良い女がいてくれて、知らないこと色々と教えてくれんだ。今だってオレなんかを抱きしめてくれてる」
「あぁ、そうだね」
「ポチタと抱き合って寝るぐらいイイ気分なんだ。今死んだって釣り合いがとれねぇくらいオレは恵まれてる」
ポチタはデンジの話を静かに聞く、デンジは自分が今どれほど恵まれているかを話し続けた。
一緒にうまいモノを食べたこと、水族館のデートでイルカを見たこと、教会で抱き合って眠ったこと。
ポツポツと喋り始めたデンジの話をポチタは嬉しそうに聞き入った。
長い時をかけ話し終えたデンジ、静まり返る空間でデンジは一言だけ弱音を漏らす。
「……オレの普通の幸せなんてウマいもん食って寝れりゃそれでいいんだよ、でもポチタはオレに次の幸せを見せろって言うだろ?」
「……そういうつもりで言ったんじゃないんだ。デンジがしたいようにすればいいんだよ」
「したいこと……、なぁポチタ、色々考えてやってみてるつもりなんだけど、オレん世話してくれたヤツがみんな言うんだ。自分の頭でもっとちゃんと考えろって……、でもよ、オレは馬鹿だから考えても腹が減るだけでさ……」
デンジは目の前にあるドアノブを見つめる。
「多分、オレはこれ以上考えねぇ方が良いんだ。だってそうだろ? だからオレはこのドア開けてポチタを抱きしめるなんて簡単なことが出来ねぇ……」
「デンジ……」
ポチタの寂し気な声を聞いて、デンジは苦しそうに呻く。
「ごめんな、ポチタ、抱きしめに行けなくてゴメン……」
「デンジ……!」
どこか超然としたポチタの態度が崩れた。
「……デンジの夢は誰かに叶えてもらう物じゃない、デンジが頑張ってるのを私はずっと見てるから」
「よくわかんねぇ、どうすりゃいいんだよ」
「したいようにすればいいんだよ」
その言葉にデンジは少しいじけたようにドアをみる。
「じゃあ今ドア開けて、ポチタに会って、抱きしめるんじゃダメ?」
「……デンジはいつかドアを開けてしまうかもしれない、……でもそれは今じゃない」
「わかんねぇよポチタ」
やりたいこと、やれること、やるべきこと、普通の人間が幸せの為に考えることはこんなにも煩雑で、何も持たないデンジにとってそれは毒にも思えた。
「今はそう……、デンジが抱いてる女の子をもっと抱きしめてあげたらいいんじゃないかな?」
「……うん」
ポチタの単純化した言葉でならデンジは何とか飲み込めた。
夢の中で遠のく意識、浮き上がる感覚にデンジの意識は途絶した。
「あっ、起きた……」
デンジが目を覚ました時、抱き合ったままデンジの顔を見つめるレゼがいた。
「……おはよ」
「デンジ君よだれ出てる。気を抜きすぎ、私達逃亡者なんだからね」
「あー、じゃあさっさと起こしてくれよ」
「デンジ君が抱き着いて動けなかったの」
実際にはレゼもデンジとそう変わらない程に寝こけていた事実を捻じ曲げて、彼女はそう嘯く。
「デンジ君の寝顔面白かったよ、無邪気に丸まって眠る犬みたいな顔してた」
レゼが起きて、しばらくデンジの顔を眺めていた時、彼は小さく“ポチタ”と呟いていた。
「……どんな夢だったの?」
それがチェンソーの悪魔の現世での名前であると彼女は知っていた。
デンジのペットの名であるというのに、レゼは自分の声が平易を装いながら、ほんの少しの羨望が混じってることに驚いた。
「夢……、夢なぁ……」
しかし、その夢を既に朧気にしか覚えていないデンジはぼんやりとレゼを見つめると、無言でその抱きしめている腕をさらに強めた。
「ち、ちょっと……、デンジ君?」
「……とりあえず、次寝る時は……、オレが先に起きて……、レゼの寝顔を見てみてぇって夢はどうだよポチタぁ……?」
そのまま遠い目をして二度寝に入ろうとするデンジにレゼは指先で鼻を突いて起こそうとする。
「おーい、そんな寝坊助な君じゃそれは厳しいんじゃない?」
寝ぼけたまま突拍子のないことを話して眠りだすデンジに彼女の僅かな妬心は吹き飛んだ。
「ほら、人が来る前にここ出るよ、早く逃げないと」
レゼがデンジの腕の中から抜け出ると、ようやくデンジの方も体を起こして伸びをする。
「金ねぇし、朝はメシ抜きかぁ……」
「適当に盗む? 交通機関使うのもお金要るし」
「えー、人のモンを盗るのはドロボーだぜレゼ」
「ヘンなとこで真面目だねキミは……」
「別に急いでるわけでもねぇんだから、歩いていけばいいんじゃね?」
急いでない訳がないだろうと思う冷静な部分と、別にどうでも良いかと思う破滅衝動の間に揺れるレゼであるが最後には諦めが勝った。
「コインランドリーに靴があったのは幸運だったね」
「おー、そういや外に水道あったぜ、水飲んでから行こうぜ水」
何も持たない二人はまだ日の出たばかりの街を歩きだした。
「なぁレゼ、もう歩くの無理。足の裏と頭がマジで地獄」
「誰のせいだい、まったくもー」
「これじゃオレたちトーストになっちまう……」
見切り発車の旅はその杜撰な計画により頓挫しかけている。
関東平野の広大さにより、半日歩いて未だに街の中。
夏の猛威を振るう八月の空は彼らを焼いていた。
「あー、トースト、最近は朝ごはんを食べれる生活に慣れてたから、腹へんのも結構キツいな、……おっ」
会話の途中で突然デンジは道からそれ、ちょうど脇を走っていた河川敷の草の中に入っていく。
怪訝な顔をしてデンジの消えていった草むらを見ていると5分と立たずして、デンジは手に何かを持って戻ってきた。
「レゼ、大量だぜこれ持っててくれ」
デンジが握っていたのは粗末な空き缶に生けられた控えめな青と黄色の花束。
「えっ……、これを私に?」
「おぉ」
「ちょっと、なんで今……」
「いやだったか?」
「別に……、その……、嬉しくない訳じゃないけど……」
焼け落ちてしまった花束を思い出してしまったレゼは思わず驚きながらもその花々を腕に抱く。
「あ、ありが――」
「おー、さっさと茹でて食おうぜ」
そう言うと、デンジは駅前で貰ったポケットティシュ、喫煙所で拾ったオイル切れの使い捨てライターを取り出した。
「レゼはその缶に水汲んで、ついでにその辺で燃えそうなもん取ってきてくれ」
デンジは慣れた手つきでライターの風防を取り外し、ほぐしたティッシュを点火ヤスリに噛ませて地面にするように火花を起こそうとする。
「……デンジ君の馬鹿」
「いや、意外にうめェんだぜ、ハンバーガーとかには負けるけどよ……」
レゼのすこし不機嫌そうな目線を向けられ、その気持ち勘違いしたまま狼狽えるデンジ。
レゼは少しため息をついてから川からなるべく綺麗な水が汲めるよう、生活排水が流れ込みそうな場所を避けて流れの早い場所で缶に水を満たす。
「濾過する?」
「そこまですんのはメンドクセェしいいよ」
手慣れた手つきのデンジだが、レゼの動きも同じくよどみない。
火種を起こしたデンジはそこらに落ちていたスーパーの袋で火を強めると、レゼは用意した枯草や燃えやすいゴミを入れていく。
「デンジ君って結構サバイバル得意?」
「サバイバル? あー、それどういう意味だっけ? 戦って生き残る感じ?」
「電気とか水道が止まっても生き延びるための技術みたいなの」
「あー、電気止まっても暗いの慣れてるし、水止まっても雨待つか公衆便所いけばいいし、……そりゃ死ぬのが嫌なら生きなきゃいけねぇし?」
「それサバイバルって言わな……、いや、うーん、逆に本来の意味でのサバイバルかも」
生き残ることがサバイバルというのならデンジとレゼの人生全てがサバイバルである。
それに気づいたレゼは少しおかしく思えてしまい、その火を眺めながら、軽く汚れを落とした花を折って、ぐらつきだした缶の水面に落とした。
しばらくして小さくなった葉物を二人は口に運ぶ
「意外と美味しい、レモン風味のお浸しみたい」
「だろ?」
カタバミやツユクサ、デンジは名を知らないまでも食べれることを経験で知っていた即席のブーケの評判は上々。
躊躇なく食べるレゼを見て、デンジはホッとした顔をしながら喜ぶ。
「オレが食ってきたモンとか人に言ったらよぉ、どいつもこいつも汚ぇもん見る目をするか馬鹿にしてきてよォ……」
「食べれるだけマシなのにね」
「だよなぁ? レゼだけだぜ一緒に食ってくれたヤツ、……あっ、あとポチタ」
その言葉にデンジは心なしか嬉しそうな表情を浮かべるのでレゼもつられて笑ってしまう。
「デンジ君が飼ってた犬だっけ? 本当はチェンソーの悪魔でデンジ君の心臓になってる」
「そうそう二人して殺されて、オレが普通の夢を見せる代わりにポチタが心臓くれて……あれ、前、言ってたっけ?」
「ふふーん、デンジ君のことは割と何でも知ってまーす」
「ず、ズルゥ……!」
重い話であるのに、デンジからはその手の暗さは見えない。
実を言えば契約の内容については初めて知ったレゼは、内心その話を聞いて衝撃を受けていた。
「普通の夢かぁ……、ねぇ、デンジ君って生きるために何でもしてきたでしょ?」
「おーよ、多分オレの人生レゼの言うサバイバルだよ」
「フフッ、なにそれ、まぁ私もなんだけど」
普通などとは程遠い所にデンジとレゼはいる。
しかも現時点でその普通に唾を吐くような逃避行を行っている事に彼は気づいていないのだろうかとレゼは目を向けた。
レゼは知っている。
デンジは馬鹿だけど馬鹿じゃない、無知であるが本能的に正しい。
あるいはその無知でいることさえ、本能からそう振舞っているのかもしれないとすらレゼは考えてしまう。
「ねぇデンジ君はどこに行きたい?」
もっとスマートに逃げのび、生活拠点を作る方法など工作員であるレゼが考えればいくらでも思いついた。
しかしどうしたことか、レゼはこの無軌道な彼と浮き草のように生きることに付き合いたいと思ってしまう。
「あー、レゼは都会が隠れやすいって言ってたけどよ、やっぱ田舎にしねぇ?」
「なんで?」
普通でない自分は訓練で普通の人間に溶け込める仮面を手に入れたとレゼは考える。
だが隣の少年は、普通でないままただ普通に生きてみたいと、叶うはずもない夢を語る。
その姿がレゼの心にどうも響いてしまう。
ただありのままに生き、これが自分にとっての普通だと言い張る。
そんな三流小説が書きそうな夢想的な言葉に、これほど焦がれてしまっていることにレゼは自嘲した。
「だって本当は田舎の方に行きたいんだろ? だったら田舎で良くね?」
結局はどこに行きつこうと、自分たちは普通になど生きれない。
そう悟りながらもレゼはデンジの提案に笑いながら頷いた。
「じゃあやろうぜヒッチハイク!」
「えー、本当にやるの?」
「映画だとなんかから逃げる時、めちゃくちゃ有効なんだぜ?」
デンジの偏った知識に呆れながらもレゼは笑う。
スーパーで手に入れた段ボールにお客様要望コーナーのボールペンで雑な文字を書き入れた即席の看板を片手にそこら辺の一般道路でヒッチハイクに挑戦しようとしたデンジを止め、適当な作戦をレゼは立案する。
「人間はね、そんな急に道路の脇にいる人間に乗せてと言われても考えてる内に通り過ぎちゃうの」
「映画じゃ体で止めてたぜ」
「事故らせようとしてくる人なんて、その時点で印象最悪だよね?」
レゼ達はまず一時間程かけて場所を移動する。
しばらくしてたどり着いたのは高速のサービスエリア。
「サービスエリアで休憩に入る人の中へ看板を見せる。興味を持ってこっちを見た人が休憩から戻ってきた時に交渉、はい、なんて声をかけるんでしょうかデンジ君」
「ハイハイ! おーい! オレらを拾えーッ!」
「ふむふむ、どうしてかね少年よ?」
「殺されそうなんで逃避行っス!」
「はいゼロてーん」
「えー……」
自信満々なデンジに処置なしとレゼは首を振る。
「そんな怪しいヤツ載せるわけないでしょ、日本一周やってるだとか、当てのない旅でお金のない貧乏学生とかそういう馬鹿っぽい二人組のほうが自然でしょ?」
「でもよぉ~映画だとこれでトラックのオッサンが――」
「映画は忘れてデンジ君」
ピシャリと話を打ち切るレゼはため息をつく。
「私が交渉するからデンジ君は隠れてて、交渉が成立してから出てきてね」
「なんで? オレ、正直ちょっとヒッチハイクしてみてぇんだけど」
「デンジ君は女の子一人が乗せて欲しいと頼むのと、カップルが乗せて欲しいと頼んでくるのどっちを乗せたい?」
「女だけ乗せてぇ!!」
「はーい、だいせーかーい、デンジ君は呼ばれるまでこっちを見ずに隠れてて?」
デンジがレゼの指さす方へと走り去っていくのを見て、レゼは片手に看板を上げ、もう片手を背に回し服を詰め胸部を強調した。
狙いは長距離移動をしそうな車、ナンバープレートで推察。
二人で乗るため、席に空きのある車を確認。
トラックは狙うべきではない
特に緑のナンバープレートである事業用車両は会社規定で同乗を禁止しているため成功率が低いうえ、今回は乗るのは二人のため除外。
狙いを定めるレゼは地方ナンバーの一般車に向かって看板を掲げる。
反応は多い、特に速度を落としてこちらに反応を示した運転手が数名。
レゼは休憩から戻ってきた人々に交渉を持ちかける。
反応は悪くない。
すぐに降りてしまうから載せることはできないと言いながら食料を恵んでくれる人、載せること自体は出来ないが会話をした後に励ましてくれる人、最後の人は同乗許可までもらったが、もう一人の同乗者が男だと分かると断られてしまった。
「まぁ、数をこなすしかないよね、はいデンジ君、貰ったパンあげる」
「半分残しとくわ、ここよー冷たいお茶がタダで出るから洗ったペットボトルに詰め放題だぜ?」
既に何本かのペットボトルを抱えているデンジと分かれ、レゼはさらにヒッチハイクを試みる。
だが、思うように交渉は進まない。
純粋に運が悪かった。
帰省シーズンと重なりファミリー層が多く、人が多いせいで注目が分散している。
レゼに対し下心で近づく男はデンジの存在を知ると離れていくが、その間にかなりの時間を拘束されてしまい試行回数の回転率が減ってしまう。
そんな風に手こずっているとアメリカンドックの棒を持ったデンジがこちらに戻ってきていた。
「ここ残すヤツ、信じらんねぇよな」
当然買うための金はないため、アメリカンドックの棒についたカリカリを齧っている。
「うーん、ごめんデンジ君、もう少し時間かかりそう」
「ならよレゼ、腹にもの入れたらいい考えが浮かんだぜ? 二人別々で探した方が早いんじゃねぇか?」
「まぁ、確かに……?」
「オレもヒッチハイクしていいか?」
役に立つかは別として、その提案は合理性を考えれば何の問題もないため、止める理由がないレゼは許可を出す。
「やりィ!!」
しかし、嬉しそうな顔で駆け出すデンジのことが心配で、ついレゼは遠目で彼の姿を追ってしまう。
ウロウロと駐車場を歩くデンジは高速に抜け出そうとするトラックの前に飛び出し両手をぶんぶん振って体で止める。
「あーもうデンジ君、そんなんじゃダメにきまってるでしょ」
トラブルにならないようにデンジに向かって歩き出すレゼ、近づいた途中でデンジの大声が聞こえていた。
「おーい! おっちゃん! オレらを拾えーッ!」
ブレーキの音と何事かと集まる目線。
トラックの窓から顔を出した運転手が、あきれた声で言う。
「死にてぇのか若ぇの! ……何やってんだ!!」
「逃避行っス!」
「はぁ? 何から逃げてんだ!?」
「社会!」
沈黙の後、運転手は笑いながらドアを開けた。
「乗れ、社会から逃げる奴は嫌いじゃねぇ」
レゼはあんぐりと口を開けた。
「うそぉ……」
見回したデンジはレゼを見つけると手を振っていた。
「若い二人の愛の逃避行だぁ? カーーッ 青春だねぇ!! オレも若い頃はそりゃ映画みたいな燃える恋を駆け抜けたものだぜ!!」
「えー……、うそぉ……」
「なぁ聞いただろレゼ? やっぱこの手にかぎンだよ」
心なしか得意げな顔をするデンジに内心納得がいかないレゼは足をのばす。
「おい、ちょっと踏んでる……」
「坊主! このトラックは二人乗り、警察にパクられたくなきゃ座席下で大人しくしてな」
「……へーい」
「まさかデンジ君に負けるなんて……、いや勝ち負けとかじゃないけどさ……」
つい出てしまう言葉の棘を飲み込みながらレゼは助手席のシートに体を預ける。
「やるなぁ坊主、この嬢ちゃん将来は相当な別嬪になる。掴んだからには手を離すなよ!」
「えーそうですか? だってさデンジ君」
座席の下で蠢くデンジの腹をくすぐる様に足で突くレゼ。
「うっ、やめろって」
「ハハハッ! 男なんて尻に敷かれるぐれぇがちょうどいい! 尻に敷かれるどころか足蹴にされてるなんて、将来安泰だな坊主!!」
「えー、そりゃ勘弁して欲しいンだけどぉ……」
「じゃあオメェの女と場所変わるか?」
「嫌だッ!!」
「おうよ! 男なら女の為に地面に血反吐いてろ! 後で弁当やるッ!!」
「アザーッスッ!!」
恐らくノリがどこかで通じ合ってしまった二人なのだろうとレゼは無理やり自分を納得させた。
幸運にもデンジが乗せた個人トラックは地方に戻る途中らしく、一気に東京から離れることが出来る。
そこからの予定は全くの未定だが公安のお膝元にいるよりは気が楽であった。
「んで、オメェさん達、逃げるったってどこ行くんだ?」
「んー、田舎?」
「仕事や住む所は?」
「決めてねぇっス」
「着いてからまずは働ける場所を探そうかと思ってます。私達結構丈夫なんで体を張った仕事でもなんでも……、デンジ君は田舎が良いって言ったけどまずは適当な都市でお金をためてからでも……」
「おー、いきなりゴールには行けねぇってことだなレゼ?」
何も考えてないことを素直に晒すデンジに対し、レゼはこれからの算段を考えながら答える。
「はぁー! 馬鹿野郎!! おいデンジ! お前、女におんぶに抱っこかぁ!?」
「えっ、え~、でもオッサン聞いてくれよ、オレよりレゼの方がずっと頭いいんスよ~?」
「馬鹿なら馬鹿なりに体張れぇ!!」
「ウ、ウッス!」
男はしばらく説教じみた悪態をつく。
いくらかの時間が経った後、煙草に火をつける男は車の窓を開け、そこに肘を置いた。
「……んー、オメェらみてぇなワケありでも何とかなりそうな場所を知ってる」
「えっマジすか?」
「あぁ、海辺の田舎町でな、まぁ俺が住んでた場所なんだが、いい場所だぜ、俺の紹介って言えば家と仕事くらい見繕ってくれんだろ、みんな気の良い奴らしかいねぇからよ」
「おいレゼ! 滅茶苦茶ラッキーじゃねぇか!!」
「渡りに船だねデンジ君!!」
喜ぶデンジに反応を合わせるレゼであったが、その内心は違った。
「どうして私達をそこまでして助けてくれるんです?」
“あまりにも都合がよすぎる”
レゼは男の方を見るが、煙を窓に吹き出す男の顔の全てを見ることはできない。
「そうさなぁ……」
自分達が気に入ったから、かわいそうに思って、あるいは若い二人を見て助けになりたいと思ったから。
そんな誤魔化しの奥の表情を覗くため、レゼは運転席へと身を乗り出す。
「助けるんじゃねぇよ、あんたらは“流れ着く”んだ」
しかし、その返事は誤魔化し以上にあやふやな、しかし芯を伴った断言だった。
「偶然かねぇ……、そういう風にできてるとしか言えねぇな、流される生き方をしてりゃ最後はそこにたどり着く」
「あぁ? どういうことだよオッサン?」
「……嫁とは見合いでな、場所は離れてんだが縁のある村同士でよ。嫁とガキは山形の実家に里帰省中だったんだが俺は仕事のせいで行くのが遅れて……、なんでかなぁ、なんで一緒に行かなかったんだかねぇ……、まぁこの話は良いか、あー、つまり何が言いてぇと言うとだな」
言葉を切って男はタバコを灰皿へ強く押し付けた。
「まぁ、仕方がねぇって話だよな」
男は漁る様にタバコを探ると、何本かの煙草を落としながら口にくわえる。
「オレはロクな奴じゃなかった。シワの増えた嫁さんと小憎たらしいガキ共に囲まれていいような奴じゃあ、断じて無かった」
苦し気に煙を吐く男は、腹の中の何かを吐き出せたのか、湖面のような穏やかな声で問いかける。
「なぁ嬢ちゃん、逃げるつったってよ、アンタ等はどんなとこに行きたい? そこで何を望む?」
「私達はただ静かに二人が居れる場所であれば……」
その一言に男の目が微かに揺れる。
「ふぅん……、アンタは“平穏”を望むのかい?」
「えぇ、そうです」
「…………そうかい、まぁ、そうだろうな」
何気ない会話の中で男は話の本筋でありながら、もはや興味なさげにレゼへ話しかける。
「どうする? 俺はテメェらのことは嫌いじゃねぇ、よけりゃ村まで連れてくぜ?」
レゼはその質問に答える。
男はなんら気にした素振りすら見せずにその言葉を聞くと、先ほどの快活な男に調子を戻す。
無遠慮ながら気風のいい男とデンジの相性は良く、レゼの子気味良い合いの手は車内を賑やかなものとした。
「じゃあな若人、気張ってけよ! 特にデンジ!! 何より大事ならその手だけは離すなよ!! どうなるにしてもな!!」
車を降りて感謝を伝えた二人に対し、車席の高い位置から威勢よく男はそう叫ぶ。
「なぁ良かったのかよレゼ、せっかくの誘いだったんだぜ?」
「うーん、デンジ君も言ってたじゃん、いきなりゴールじゃ楽しくないでしょ?」
「おー、なるほど納得したぜ、そう言うことだな?」
先ほど感じた違和感をレゼは誤魔化しながらデンジにそう伝えた。
日本海に面する地方都市に身を潜めたレゼは身を隠すべく金銭を稼ぎながら安住の地を探した。
なんとかその日の労働で得た金で安宿を転々とする日々が続いた。
デンジはその日暮らしの肉体労働を見つけては稼ぎ、レゼは個人の喫茶店や食堂の手伝いをその人当たりの良さで潜り込み渡り歩く。
レゼが職場の余り物を持ち帰って待つと、デンジは油と土の匂いを沁み込ませて帰ってくる。
狭い住処と食事を分け合いながら、どこへ行くとも知れぬ明日の話をした。
財布の中身はいつも風前の灯、それでも笑う理由はいくらでもあった。
デンジがその日の食事を「うめェ」と言えば、レゼは「5日連続同じのじゃなきゃね」と笑い返す。
そんな会話を繰り返しながら、レゼは安息の地を求めた。
知らない町の市場で飯を買い、知らない場所で働き、知らない名前を名乗った。
ただ、生き延びるために――そして、どこかにある“痛みのない場所”を探すために。
そしてその地はレゼが他の意思を介さずに入念な下調べをして決めた場所である。
その場所は太陽がいっぱいな田舎の漁村、目の冴える青い海と静かに打ち寄せる白い波、そんな穏やかな風に揺られるヨットと帆。
仕事詰めの都会人にしてみれば余生なんてものがあったなら、こんな海辺の家に居を構えて過ごすのもいい。
そんな感慨を誰しもが持ってしまうような小さな、しかし美しい場所。
まさに“平穏”という言葉が似つかわしい田舎町であった。