『俺達に明日はいらない』(偽原題:Bomber and Cradle)   作:ばばばばば

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5.バンプ・フィクション

 逃亡中のレゼは、レトロを騙るにはいささか古すぎる洋食屋、そこでウェイトレスとして働いていた。

 

 

 そんな個人店を切り盛りする老夫婦と高齢な常連客にとって、愛想が良く自身の子供より若い娘であったレゼは何かと気にかけてあげたい存在であった。

 

 

「へぇ、いつか家を買って恋人と住むのが夢かい……、なんだい今時そんな奥ゆかしく古風な夢をもつのも珍しいなぁ」

 

「いえ、家を買うまで貯金をするつもりでもないです。ただ二人静かに暮らせる場所と生きてくお金は欲しくて」

 

「夜も向こうの通りの弁当屋でも働いてると思ったら貯金なんて、若いのにしっかりしてるわね」 

 

 

 常連である年配の夫婦との会話、世の学生達が遊び惚けている中で遮二無二働いているレゼを心配して声をかけると、レゼは違和感の出ない程度の脚色を加えながら答えた。

 

 

「店長は知ってたのかしら?」

 

「ん? まぁね」

 

「教えて欲しいわね、いったいどんな男よ、こんな良い子を射止めた幸せ者は?」

 

「うーん……、悪い子じゃなさそうなんだが……」

 

 

 言い淀む店主にレゼは困ったように眉を寄せて笑うが、その反応を見て常連客は心配そうにレゼを見る。

 

 

「年は同じで……、今の時間は私と同じで仕事をしてますよ」

 

「何してる人なの?」

 

 

 常連である年配の夫婦、お喋り好きのマダムに対してレゼの返答はよどみない。

 

 

「今は日雇い労働に出てます。しばらくは働く場所があるって喜んでましたね、まぁいわゆるフリーターです」

 

「フリーター? うーん、ちゃんと甲斐性がある人なんでしょうね?」

 

「おいおい、そこらへんにしときなさい」

 

「だけどあなた……、前々から思ってたんだけどこの子、学生やっててもおかしくない見た目よ、娘より若い子が学校にも行かないで働く姿をみたら心配になるのはしょうがないじゃない」

 

 

 逃亡生活中はこういった込み入った話を聞いてくる人もいる。

 

 この程度の詮索は日常会話程度の温度でレゼは話せた。

 

 

「理由は省きますけど私達二人とも家族がいないから働かないといけないんです。彼とはそんな中で働いてる時に出会って……。ちょっと頼りなく見えちゃうかもですけど可愛い人ですよ」

 

 

 少しの沈黙、会話が止まり、静かにカトラリーを置く音だけが響いた。

 

 

「そうかい……、こんな時代だからね、悪いことを聞いてしまったかな」

 

「人生悪い事ばかりじゃないんです。色んなことがあったけど、だからこそあの人に出会えましたしね」

 

 

 まるでホームドラマのようにお涙頂戴な言葉を吐いて、レゼは内心で苦笑してしまう。

 

 その控えめな笑顔がどう映ったかは知らないが、レゼの言葉に常連客はこちらが申し訳なく思える程に感じ入った様子であった。

 

 

「私、こういうのに弱いのよね……、ねぇ、私役所に勤めてるのだけどそういう子たちへの支援をしてる部署で働いてて……、活用すれば少しは生活も楽になると思うわ」

 

「あぁ、安心してください、そう言うのも一応してますよ」

 

「ただでさえそういう若い子を食い物にする輩もいるのよ、ちょっとどこの支援の所か教えてくれたらもっと条件も良いのも見つけて――」

 

 

 客の善意に有難そうな顔をしながら、レゼは内心これは同情を引き過ぎて失敗してしまったとため息をつく。

 

 

「そうだね、真面目に働いてくれてるし……、最初はお試しと思っていたけどどうだい? ちゃんとウチで働かないかい?」

 

「正直、いろいろ通さないでお金を貰える今の方が助かってて――」

 

「もしかして収入とか支援業者に通さないといけない感じかしら? だったら安心して例えばウチの就労支援を使うとね――」

 

 

 この人たちの行動は全てが善意である。

 

 だが戸籍を持たないレゼと使えないデンジにとってはその普通の世話焼きによる善意が、地獄への引き金になりかねなかった。

 

 

 適当な誤魔化しの言葉で乗り切り、店のバイトを終えたレゼは店から出て独り言ちる。

 

 

「結構気に入ってたバイト先だったのに……、ここらへんで潮時かなぁ」

 

 

 そんな呟きの中で、レゼは店前で犬のようにうろついていた見慣れた人影を見つけた。

 

 

「あれ? デンジ君、今日はもう少し遅くなるんじゃなかったの?」

 

「あー、ワリぃレゼ、職場から逃げちまった。たぶんクビになるかも」

 

 

 ポリポリと頬を掻きながら申し訳なさそうに俯いて上目遣いでこちらを見るデンジに、レゼはつい少し高い所にある頭に手を置く。

 

 

「もー、いったい何しちゃったのデンジ君」

 

「バイト先で悪魔が出てよぉ……、同僚が殺されそうだったから逆にぶっ殺した。あっ、チェンソーは使ってねぇぜ、職場の重機で殺したから、動かすのはちょっと楽しかったな……」

 

「えらいじゃん」

 

「そこまではいいんだけどよ、殺す時に鉄骨の悪魔に片腕を潰されちまって、救急車呼ばれて病院に連れてかれそうだから逃げてきた」

 

「あー、病院はねぇ……」

 

 

 公的な機関を利用すれば身分のない自分たちは怪しまれ、それが記録に残れば証拠が残る。

 

 高度に情報化していく社会に日陰者が隠れ潜むのは難しかった。

 

 

「もう直しちまったけどな」

 

「うーん、流石に一日で治りましたは無理があるかぁ……」

 

 

 スターターをどこかで引いて直してきたのであろう、既にデンジの片腕は綺麗なものでレゼの目の前でひらひらと手を振ってみせている。

 

 

「正直、私の方もちょっと探られ始めてて辞め時かなって思ってたの、ちょうどいいから今日は何か奮発して美味しいの食べて体力付けてから。明日逃げちゃう?」

 

「デカ餃子くいてぇデカ餃子、前にレゼが作ってくれた中華のヤツ」

 

「あれはピロシキね、餃子じゃなくてソ連の料理」

 

「おーそうだったな、じゃあそのソ連の中華食おうぜ」

 

「プッ……、なんじゃそりゃ」

 

 

 逃げ隠れる生活でありながら、デンジは両腕を頭の後ろに組んで楽しそうに歩いている。

 

 きっと次の町の料理はどんなおいしい食べ物があるかなんて吞気なことを考えているのだろうかとレゼは思う。

 

 

 こんな夜逃げまがいの行動も、既に一度や二度ではなく何度もやっている。

 

 

 きっとお気楽なデンジがいなければここまで笑える旅にはならなかっただろうと思うレゼ。

 

 

 だが、そんな笑顔の中でさえ、ふと彼女は考えてしまう。

 

 

 この逃亡生活がいつまで続けられるのだろうか

 

 “普通”に暮らすなんてどうやっても私達には出来ない

 

 

「レゼ、ピロシキと一緒にラーメンも作っていいか? 前買った袋麵のヤツ」

 

 

 デンジはこの逃避行をただ楽しければ良いと言った。

 

 レゼも今この瞬間を幸福な時間だと確かに思う。

 

 

「絶対食べ合わせわるそー、だから中華じゃないって言ってるじゃん」

 

「えー、絶対合うって、うまそーだろ」

 

 

 だがデンジの言うように、その破滅の最期の瞬間ですら幸福でいられるとまでは思えなかった。

 

 レゼはデンジの横にいられるこの時間がいつか失われることを心から恐れてしまっていたのだ。

 

 

 

 

 そうしてレゼは探し求めた。

 

 あるはずもない理想の地。

 

 そして見つけ、彼女は流れつく。

 

 

 

 

 

 

 その村と一軒家を見つけられたのは偶然だった。

 

 

 レゼは資金を貯めながら逃亡するに適した理想的な田舎町を探していた。

 

 逃亡に適した田舎町、しかしそれは大きな矛盾を孕む言葉である。

 

 

 知らない顔が歩いてるだけで噂になる密すぎる人間関係。

 

 土地に職がしばられ、流れ者が働ける場所は少ない上に共同体に属さないと排除される。

 

 万が一の脱出ルートが少なく、一度足がつくと逃げ場がない。

 

 

 田舎というロケーションは逃亡先として適していない。

 

 そもそもがマキマと公安に追われている時点で国内は論外、本当に全てから逃げ延びるつもりなら海外にでも飛ばなければいけないだろうともレゼは考えていた。

 

 

 だからこれは理屈でなく、感情の選択

 

 “逃げるための戦い” ではなく “もう戦わないで生きるため”

 

 “生き延びるため” ではなく ”生きてる実感を取り戻すため”

 

 

 二人がただ静かに暮らせる場所を求め、レゼは逃亡生活の合間に様々な場所を訪れた。

 

 そしてある日、幾つもの候補地の中からレゼが訪れたその場所

 

 廃れた地方都市、その外れにある終端の村、近くに街はあるが人の流れは薄い。

 

 街から街へ通り過ぎられるだけの道路は各方面のアクセスもあり、僅かながら観光業も行い最低限の人の流入もあるそんな都合のいい場所。

 

 

 レゼは下見の段階でその場所に心惹かれてしまった。

 

 

 海が終わる場所があるとすれば、きっとこんな場所だろうとレゼは眼前の光景を見ながらぼんやりと思った。

 

 

 海辺の町でありながら風は眠るようにゆるやかで、海と空の境目は霞んで、青が一つに溶けている。

 

 波が押し寄せた。

 

 光を弾く波の泡が白い砂浜を沈め、海と地面の境界すら曖昧にする。

 

 目の前の光景をほどき、ぼやかしていくような感覚。

 

 

 今ここにあるのは自分と横にいる少年だけなのかもしれない。

 

 そんな夢想を思わず少しだけ信じられてしまうような場所だった。

 

 

「ここにするか?」

 

「えっ?」

 

「なんか今のレゼ、すげぇ気持ち良さそうだったからよぉ、気にいったんじゃねぇの?」

 

 

 デンジに言われてレゼは初めて自分の表情が緩んだまま動かないことに気づいた。

 

 

「色々な所にデートしてるけどよぉ、なんか最近のレゼ、たくさん考えてくれてただろ」

 

 

 逃亡地候補の下見であるが、レゼはデンジを連れてデートと称して見回っていた。

 

 もちろんデンジと一緒にいることを楽しみながらではあるが、本来の目的のため考え込むことも多かった。

 

 それを知らずの内にデンジも勘づいていたのか、表情を緩める彼女を見てゆったりと大きな欠伸を一つつく。

 

 

「ふぁぁ~、なんつーか昼寝したくなる場所だなここ」

 

 

 濡れることも構わず砂浜に座り込むデンジを見て、レゼも同じように彼の横に座ってみる。

 

 

「そこらへんで働ける場所探して、いい感じに住む場所も教えてもらうってのはどうだ?」

 

「えー、こんな田舎町でそんな都合よくいかないでしょ?」

 

 

 “まぁとりあえずやってみようぜ” そんな風に緊張感もなく話すデンジに ”まぁダメなら逃げればいいしね” とレゼは軽く聞こえるように返す。

 

 

 初めにレゼはサマーシーズンの海の家を訪れる。

 

 観光客相手で繁忙期であることを狙って、ダメ元で雇って欲しいと頼んでみたレゼであるが――

 

 

「飲食経験あり? ……いやぁ助かるよ、明日から手伝える? ……えっ書類? ハハハッそんなもんいらないいらない、お給金は手渡しの方がこっちも楽だしね」

 

 

 呆気なく見つかるとりあえずの職。

 

 

「へぇ~、カップルとあてどない旅ねぇ……、男の子の方、結構いい体してるね、……何でもやるから仕事が無いかって? え? 本気? 土木に林業経験もある若い男がこんな辺鄙な場所でなんでもしてくれる……!? はぁ……、君は自分の価値をもっと知るべきだね……、モチロンいいよ!! 紹介するよ~、しまくるよ~!! 森と土ときたら今度は海でしょ! 君漁業とか興味ある? あっ、でもよかったら山の保全とかで木を切ったり、擁壁工事とかで土木の手伝いを頼めたり……、やってくれる! 嘘!? 本当かい!!」

 

 

 しかもレゼだけでなく、デンジの分の仕事も雑談途中で決まってしまう。

 

 

「そっかぁ、住む場所無いもんね、ちょっと待って今電話で確認するから――、うん、ちょうど空き家になった貸家あるから働いてくれるならそこに住んでいいよ、前住んでた人の家具やら家電も残ってるし、一応電気ガス水道通ってるし頼めばすぐ開通できるからやっとくよ、……契約? 書類? そんなものより真面目に働いてくれればいいんだよ、こっちは若い人が住み込みで働いてくれるだけで助かるからね!」

 

 

 トントン拍子どころか転がるようなテンポで進む話。

 

 

 海の家の店主の放つ言葉の圧に押し流され、レゼとデンジが案内されたのは二人で住むには十分な広さの一軒家。

 

 

「じゃあ、明日からよろしくね二人とも、はいコレ出来合いで悪いんだけどウチで余った焼きそば、食べ物もないだろ? 引っ越しソバってことで今日はこれでも食べてよ、買い物は向この通りをまっすぐ行くと小さな商店があるからそこで買ってね。――何もないけどここは良い場所だ。気に入ってくれたらうれしいよ」

 

 

 残された二人は家の前で顔を見合わせることしかできなかった。

 

 

「ひろぉー! アキん家よりでけー」

 

「デンジ君、家族で住むような立派な庭付きの家だよこれ……」

 

 

 中にある物だけ持って行ったのであろうか、家具一式が揃えられ、今すぐ生活できるように手入れされた平屋の一軒家。

 

 落ち着きなく部屋を駆けまわりドアを開けていくデンジは一回りした後、キッチンの設備を見ていたレゼに呼びかける。

 

 

「こいつぁとうとうゴールってヤツにたどり着いちまったんじゃねぇかレゼ?」

 

「まぁ、ちょっと油断したらまた逃げなきゃだけどね」

 

「へっそしたらまたよ~いドンすりゃいい、オレはレゼん横でウマいもん食えりゃそれでいいぜ」

 

「デンジ君ってほんとポジティブだねぇー」

 

 

 焼きそばへ手を伸ばすデンジから先んじて料理を取り上げると冷蔵庫に仕舞うレゼ。

 

 

「まずは掃除から、焼きそばはその後でーす」

 

「へーい、さっさと片付けてメシ食おうぜメシ」

 

 

 手入れはされていたと言えども無人だった家、その広さもあり、掃除がひと段落した頃には日が暮れていた。

 

 

 そうして夕ご飯を食べ、久しぶりに湯舟にしっかりと浸かり、その日の疲れを感じてきた段階でデンジは気づく。

 

 

「……なぁ寝床ってどうする? 今までは一緒だったけどよぉ、こうして部屋もたくさんあるだろ……? やっぱ別々?」

 

 

 今までは運がよければ仕事の伝手で住み込み宿舎、それがダメなら格安ホテル、さらに追い込まれればホームレス紛いの野宿もしていた。

 

 ありていに言えば心休まらない寝床であり、二人が一つの寝床を使う様なことも多々あったが落ち着ける様な状態ではなかった。

 

 

「いやー、そういえば繁華街のホテルで泊まった時、意外と紳士だったよねデンジ君」

 

「あれはレゼがオレをからかうからだろ……!」

 

「まさか浴槽で寝るなんて、昔のヒットマンじゃないんだからさ」

 

 

 落ち着けない状況だったと言えども、ながく二人でいれば互いの体温を強く感じる時もあった。

 

 逃亡生活の中で暖色のネオンが光放つ安モーテルに泊まった時、レゼがデンジを誘うような揶揄いをした時があった。

 

 レゼにとってはどう転んでも良かったと思いながらの言葉であったが、デンジの激しく動揺した表情は今でも彼女の記憶に残っている。

 

 

「あの時はまさか乙女心を振り絞った誘いなのにフラれちゃうなんて思わなかったかな」

 

「ま、まだ彼女でもねぇし? そう言うのは付き合ってからだろ、それにあん時のレゼめちゃくちゃニヤニヤしてたじゃねぇか!?」

 

 

 本能に忠実なようで、意外にも初心な所に嗜虐心を煽られたレゼはデンジへと肩を寄せる。

 

 

「えー、でも私達、一応恋人って思われてここに居るんだよ? 今だってそういうことしてもおかしくないよね?」

 

「それは外への演技なんだろ演技! オレは本当に付き合って相手の事を理解してからそういうことがしてぇの!」

 

 

 デンジの言葉にレゼは目を細める。

 

 

「うーん、デンジ君、ちょっと聞きたいんだけどさ、それってどこまでが演技だと思って、どこまでがダメなの?」

 

「あぁ? なんだよ急に」

 

「周りの人を騙してる演技、愛想が良い演技、君が好きな女の子の演技、どこまで君は信じてるのかな」

 

「えー、ここまで来てオレを好きなのも演技とか言われたら落ち込むからやめろよなもー」

 

「デンジ君が好きなのは本当だよ?」

 

「マジ? ふぅー、焦ったぜ……」

 

 

 スイッチのように上下する単純なデンジの気持ちの切り替えをレゼはおかしそうに見つめながら、冗談めかした演技を盾にレゼは本音を聞いてみた。

 

 

「じゃあデンジ君にとって私って何?」

 

 

 デンジはレゼの言葉にたいして間を置かずに答える。

 

 

「……いねぇとメシがうまくねぇし、一緒に居るとハラ減んねぇ人」

 

「なにそれ?」

 

 

 デンジの最大限の愛情表現はどうやら響かなかったようで、レゼの不思議そうに目だけで問いかける表情に耐え切れず、デンジは気恥ずかしさを押し込めて渋面をつくる。

 

 

「あー! だったらはっきりさせてくれよ!? 今オレの彼女になってくれりゃ一発解決だろ!!」

 

「えーどうしようかなー、そんな言い方だとちょっとロマンチックが足りないかも?」

 

「ロマンチックかぁ……」

 

 

 レゼの言葉に悔しそうにしながらも少し心が傷ついた表情をしてそっぽを向くデンジを彼女は愛おしそうに眺める。

 

 そもそもこんな全てを捨てた逃避行をしてる時点で分かり切った話ではないだろうかとも思いながらもレゼは立ち上がる。

 

 レゼは考え込むデンジの背中に小さく囁く。

 

 

「寝床は一緒でいいでしょ、いつでも二人で逃げられるしね?」

 

「おぉ……、うん……」

 

 

 余りも分かりやすく喜ぶデンジを尻目にレゼは布団の準備を始めだすと、デンジも自分の布団を取りに行く。

 

 

「オレは演技とか知んねぇけど、レゼと一緒に寝るのは間違いなく好きだぜ」

 

 

 レゼは不意に来る言葉に表情を抑え込むと少しだけ恨めしそうに、もうこちらを見ていないデンジの背を見て小さく呟いた。

 

 

「……そういうの、何も考えずそういうこと言えちゃうのがズルいよねデンジ君って」

 

 

 聞こえない程の呟きのはずがデンジは突然こちらに振り返り、僅かにレゼの心臓が跳ねる。

 

 

「なぁレゼ、どの部屋に布団しく?」

 

「……とりあえず向こうの部屋で良いんじゃない」

 

 

 こうして新天地での彼らの生活が始まった。

 

 

 

 

 この村に住んで暫くして、レゼは海の家でのアルバイト、デンジは漁師の仕事を手伝った。

 

 

 どうやら沿岸漁業にとって8月は閑散期のようで、そこで色々な雑用をしながら学んでいるとデンジが話しているのをレゼは聞いた。

 

 一方でむしろ繁忙期であるはずのレゼの海の家の仕事であるが、こちらは客入りもまばら、レゼがそれなりに動けると見るや店主は店をレゼに任せ、悠々と休んでいるほどであった。

 

 

 デンジは毎朝、まだ陽が登りきる前に漁港へ向かった。

 

 網の巻き上げ方や船の整備を教わり、初めは海の塩気とエンジンの匂いにむせてばかりだったが、数日もすれば漁師の老爺達とも軽口を交わすようになっていた。

 

「若ぇのに根性あるな、お前さんはどっから来たんだっけな?」

 

「東京っス」

 

「都会もんか、そりゃ逃げてきたくもなるわな!」

 

「まぁそんな感じっスね」

 

 

 不思議なことにこの村の住人はそれ以上は誰も詮索しなかった。

 

 田舎の気安い人間関係に適度な無関心さという矛盾。

 

 この村の人間はまるで“何かから逃げてきた者”の匂いを嗅ぎ分け、必要以上に踏み込まない優しさを持っているようであった。

 

 

「よーし次は船でも磨いてもらうぞ、気張れよ、後で弁当は出るからよ」

 

 

 港に立ちこめる潮の匂いの中、デンジは手ぬぐいを首に巻き、漁船の甲板を磨く。

 

 波は穏やかで、遠くでトンビの鳴き声だけが響いている。

 

 

「兄ちゃん、そっちはもう終わったか?」

 

「ピッカピカっス!」

 

「ハハハッ、元気がいいな! 若いのがいると助かるよ」

 

 

 そう言って笑う漁師達は、どこまでも気のいい人たちだった。

 

 昼になれば余った弁当を「食っとけ」と力強く押しつけられ、弁当を頬張り「うめぇ!」と目を輝かせた。

 

 

 

 一方のレゼの方は浜辺の小さな海の家で焼きそばを焼いていた。

 

 

 海風が塩を運び、鉄板の上の油が弾ける音が昼の空気を割る。

 

 客は少ない。夏の盛りにしては穏やかな時間だった。

 

「レゼちゃん、またひとりで切り盛りしてんの? 店主のオヤジさんは?」

 

「釣りから戻って今はお昼寝中です」

 

「そりゃいいご身分だなぁ」

 

「私もお昼寝したいですよ」

 

 

 店主は相変わらず昼寝中で、レゼは一人で焼きそばを焼き、飲み物を冷やし、笑顔で応対を続ける。

 

 店主は書き入れ時の時間を過ぎてからのっそりと起き出した。

 

 

「これから寄合の人と集まるから、客が来なそうなら適当に店を閉めて上がって良いよ」

 

「寄合って……またお酒飲んで騒ぐだけでしょう? もうちょっと意欲的に働いても良いんじゃないんですか?」

 

「お金はあればもちろんいいさ、でもお金を貯めてどうするんだい? いいじゃないか、日が高くなるまでゆっくり寝て、少しだけ働いて、日中は釣りをしたり日向ぼっこをして、日が暮れてきたら友達と一杯やって、酔っぱらったら歌って踊って過ごすんだ。 どうだいすばらしいだろう」

 

「田舎の漁師と都会の旅行者の話みたいですね」

 

「ありゃ、知ってたのかい」

 

 

 これは幸せについての有名な例え話だ。

 

 

 メキシコの小さな村の漁師が、家族や友人と過ごす時間を大切にしながら、毎日少しだけ漁をして暮らしていた。

 

 それを見た旅行者のアメリカのMBAコンサルタントが言う。

 

 もっと漁をして、魚を売って、船を増やし、会社を作り、そして大きくなった会社を売れば大金持ちになれるだろうと

 

 それを聞いた漁師が「それで、最後にはどうなるんだ」と尋ねるとコンサルタントは笑ってこう答える。

 

 そうすれば好きな時に釣りして、家族や友人とゆっくり過ごせる。

 

 

 

「いえ、まぁ私は店長がその少しすら働かないことを咎めてるんですけどね」

 

 

 店長はレゼのほんの少し冷たい目線を受けそそくさと逃げ出す。

 

 

「まぁ、でも私は真理だと思うけどね、幸せは今すでにあるものに気づくこと、ほどほどでいいんだよ、ほどほどで」

 

「お酒もほどほどにしてくださいね、この前なんて二日酔いでここに来たじゃないですか」

 

 

 その言葉にとうとう何も言い返せず、今度こそ店主は曖昧な笑みを浮かべて逃げてしまう。

 

 

「全くもう……」

 

 

 レゼの姿は完全にこの村に溶け込んでいる一人の人間だった。

 

 

 その場に溶け込むのはレゼの工作員としての得意分野ではある。

 

 しかしあまりにも馴染みやすいこの土地と人々についレゼは頬を緩めた。

 

 

 

 夕方、潮風が涼しくなりはじめた頃にレゼは浜辺の道をデンジが歩いてきているのが見える。

 

 レゼは手を振り、店じまいの片付けを急ぐ。

 

 

「おーいレゼ! 今日はな、おっさんがカマスくれた! しかもよ、捌き方も教えてくれたぜ! 」

 

「おー、立派な田舎の漁師さんがきましたな」

 

「あぁ? なんだよ急に」

 

 

 何のことか分からず首を傾げるデンジにレゼは今日あったことを話す。

 

 

「そりゃそんな風に生きれれば苦労はないけどさー、そうはいかない訳ですよ普通すら難しい私達の場合は……」

 

「はぁん? なるほどなオレはもう気づいちまったぜ」

 

「何に?」

 

「つまり普通のヤツは普通が幸せだって気づけねぇんだろ? ならオレたち二人はもう完全に勝ち組じゃねぇかよ」

 

「……アハハッ、確かにそうかも!」

 

 

 二人は笑いながら坂道を登り、家へ帰る。

 

 夕陽がゆっくりと沈み、波打ち際の砂を金色に染めていく。

 

 台所では、デンジが魚をさばこうとして格闘し、それを心配そうにレゼが横から見ている。

 

 味噌汁の匂い、焼けた魚の香ばしさ、外から聴こえるゆったりとした潮のさざめき。

 

 そんなささやかな景色と音が二人の生活に染みこんでいく。

 

 

「うまっ! オレ天才かも!」

 

「味つけしたの私だけどね」

 

「オレも焼いたじゃん!」

 

「焦がしてたじゃん!」

 

 

 笑い声が重なり、夜風がカーテンを揺らす。

 

 その風はどこまでも優しく、何も脅かさない。

 

 この村に流れ着いてから、レゼは遥か遠くの昔にすり切れてしまった何かがよぎる。

 

 朝がきて、働いて、食べて、眠る。

 

 

 ただそれだけの一日が、こんなにも豊かに感じられるのだとレゼはようやく思い出すことが出来たのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 平和は、音すら立てずに人の心を鈍らせる。

 

 安らぎは、逃げ道の地図をゆっくり溶かす。

 

 安堵は毒でなく、ただ解毒剤を手放させる。

 

 

 恐れたまえ、平穏は敵じゃない

 

 

 ――だからこそ平穏から逃れることなどできないのだから

 

 

 

 




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