『俺達に明日はいらない』(偽原題:Bomber and Cradle)   作:ばばばばば

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6.機械仕掛けのフレンジー

 デンジとレゼがたどり着いた田舎町

 

 彼らがそこに住み始めてから幾つかの時が過ぎた。

 

 追手は来ず、日々は同じ繰り返し。

 

 朝がきて、働いて、食べて、眠る。

 

 レゼは次第にその不安を忘れ、ただ穏やかな時を甘受しだすこととなる。

 

 

 

 

 

 彼女たちは様々なことをした。

 

 一緒に海辺を歩き、並んで昼寝をして、抱き合って星を見る。

 

 

 まるで普通の恋人たちのような生活。

 

 

 彼女は自分たちが脅威から逃げていることなど忘れて同じ日常を繰り返す。

 

 正確には忘れてなどではなく、彼女は忘れたかったのだ。

 

 

 

 なぜならその日々は彼女にとってかけがえのない繰り返しだったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 まだ陽の昇りきらない台所で、レゼは味噌汁の香りに顔をゆるめる。

 

 早朝の海辺は静かで、世界がまだ揺りかごで眠っているようだった。

 

 

 コンロの火を止めて味噌汁をかき混ぜていると、背後から欠伸混じりの声が聞こえる。

 

 

「あー……、またオレんよりさきおきてんなぁ……」

 

 

 寝ぼけ眼のまま髪をぐしゃぐしゃにして現れるデンジ。

 

 その顔を見て、レゼは思わず笑った。

 

 

「ちゃんと早起きできてるじゃん、えらいえらい」

 

「……今日こそはレゼん寝顔みようといつもより早起きしたのによー……」

 

 

 レゼは湯気の立つ茶碗を二つ並べ、味噌汁と焼き魚の乗った皿を並べながら言う。

 

 

「こっそり目覚ましかけてバレバレ、そもそも同じ場所で寝てるんだからそれ意味ある?」

 

「……確かに、くそぉ……、全部意味ねェ……」

 

「でも、そのおかげで今日の朝食はじゃーん!」

 

 

 テーブルに並んだのは、朝の光に照らされて湯気を立てる小さな食卓だった。

 

 白い皿の上には、軽く焼き目のついたアジの干物、その横にふんわりと丸められた卵焼きがひとつ。

 

 時間があったレゼはさらに一皿、菜っ葉のお浸しが食卓に彩を足している。

 

 炊き立てのご飯に味噌汁にはワカメと豆腐、刻んだネギが浮かび、出汁の香りが部屋の隅まで広がっていた。

 

 

「なんかすげぇ豪華だなぁ……」

 

「卵以外、魚も野菜もみんな貰い物だけどね」

 

 

 感動に打ち震えるデンジを見て、内心したり顔のレゼは何時までも朝食を眺めるデンジに早く食べるように促す。

 

 

「ほら、朝ごはん冷めちゃうよ。港に遅れちゃうから」

 

「まだ暗ぇのにもう働くのかよ……」

 

「漁師は朝が本番って言ってたのデンジ君でしょ?」

 

 

 デンジは渋い顔をしながらも味噌汁をすすると目を丸くして直ぐに箸を動かす。

 

 デンジの箸は進んで止まらない、レゼの料理はその一つ一つが丁寧に作られており当然のようにうまく、デンジが我に返った時には全てを平らげてしまっていた。

 

 

「うめぇ……!」

 

「どのくらい?」

 

「今まで食ったコンビニ弁当が全部負けた……!」

 

「えーなんかその言い方だと嬉しくない」

 

 

 そう言って笑うレゼの頬が、朝の光でほんのり赤く染まった。

 

 何も起きないただの朝。

 

 海鳴りは遠く、あまりにも穏やかな朝。

 

 

 デンジが眠気を引きずりながら家から出て行くのを彼女は見送る。

 

 風鈴は鳴り、蝉の声はいつもと同じ声量であたりを包む。

 

 

「いってらっしゃーい」

 

「おぉ、いってくるぜ」

 

 

 

 

 デンジとレゼがこの村に越してきてから既に“3か月”が経とうとしていた。

 

 

 

 

 朝の海はまだ眠っているようで、それでも確かに呼吸をしていた。

 

 エンジンの唸り、波の揺れ、潮の匂い。

 

 そのすべてがデンジにとって慣れないものであるが、悪い気持ちにはならない。

 

 デンジはそんな気持ちを不思議に思いながら仕事に励む。

 

 

「おーい兄ちゃん! こっちの網もう引っ張れ!」

 

「ウッスっ!」

 

 

 ロープを引く手のひらは、漁に出始めてから短い間だというのに、すでに豆だらけだ。

 

 それでもデンジは縄を引く。

 

 汗が潮に混じって塩辛く、何もせずとも目が染みる、だがその痛みがそう悪いモノに思えない。

 

 

 かつてのデンジの仕事は命の奪い合いだった。

 

 斬って、殺して、血を浴びて、それが出来なければ今の普通を守れないから死ぬ気で戦い続けていた。

 

 

 けれど今は違う。

 

 同じ汗でも、流す理由が違う。

 

 生存のために命を賭ける生活とそんなことせずとも生きていける普通の仕事。

 

 

「普通の仕事ってこんな感じかぁ……、こっちもこっちで大変なんだな……!」

 

 

 どちらが良いなんてデンジには分からない、だがその差が面白く思えてデンジの口角は自然に上がる。

 

 

「兄ちゃん、手止めんな! 魚が網の上から逃げちまうぞ!」

 

「わかってるぜ! ……うおっ!? うわっ!?」

 

 

 その時、網の中で暴れた魚がデンジの顔に直撃する。

 

 冷たく塩辛い海水を被りながら、デンジは口元を舐めた。

 

 

「味噌汁よりしょっぺぇ!!」

 

 

 それでもデンジは言われた通りにただ愚直に綱を引いた。

 

 

「ハッハッハッ、いい根性してるじゃねぇか!」

 

「別嬪の嫁さん食わせねぇといけねぇ男は腹の決まりが違ぇな! 昼はウチ来い、良いもん食わせてやる」

 

「マジっすか!? やったー!! ……あっ! すんません、昼はオレを待ってるヤツがいて……」

 

「ガハハハッ、あの嬢ちゃんと比べりゃテメェんトコのおっかないカミさんなんて勝負になりゃしねぇぞ!」

 

「ウチのかぁちゃんはあれでも可愛いとこあんだよ馬鹿野郎!! おめぇのとこも似たようなもんだろ!」

 

「コワさなら、ウチも負けてないんスけどね」

 

「なにィ!? そりゃよかったな兄ちゃん!! 漁師の女は肝っ玉でなんぼだ!!」

 

「テメェそれは俺もオメェも気づいたら女房みんなそうなってたの間違いだろ?」

 

「ちげぇねぇ! ガハハッ!!」

 

 

 デンジの素直さと恐怖をものともしない度胸を気に入り、デンジは彼らに構われながらこの生活に馴染んでいた。

 

 

「レゼ、今日は何作ってくれんのかな」

 

 

 様々な音がひしめく船の上であっても負けない漁師たちの言い合いを聞きながら、デンジもつられて笑った。

 

 

 

 

 

 

 

「焼きそばひとつ追加お願いねー」

 

「はーい!」

 

 

 昼前とは言え夏場の強い陽射しが、海の家の屋根を白く照らしていた。

 

 潮風とソースの匂いが混ざり、波の音が途切れ途切れに届く。

 

 レゼは鉄板の油が弾けさせながらも遠くを見れば、遠くで数少ない海水浴客である恋人たちの笑い声がこだまする。

 

 

「出来ました」

 

「じゃあそのままだしちゃってー」

 

 

 軽く返事をして皿に盛りつける。

 

 

「ラムネのバケツに氷入れなおしてきますね」

 

 

 その姿は海の家でアルバイトをする地元の少女にしか見えない程に堂に入っている。

 

 カウンターの向こうでは店長が、缶ビールを手に海を眺めながら横目でレゼを見ていた。

 

 

「今日も働きすぎだって、どうせお客さんも大してこないんだから、のんびりしなよ」

 

「そんなこと言って、あんまりサボりすぎちゃうと潰れちゃいますよ? こんなにきれいな海なんですからちょっとがんばれば結構人きそうなのに……」

 

「そんなことになったらとんでもない! こっちは道楽でやってるんだから恐ろしいことを言うのは止めてくれよ」

 

 

 

 そう言って笑う店長の顔は、陽焼けもあるがほんのり酒で赤くなっていた。

 

 

「君だって人がたくさん来て欲しいわけじゃないだろ?」

 

「まぁ……、お給金が変わらなければ私はそれでいいですけど……」

 

「なら安心するといい、ここは穴場なのさ。観光客はここに迷い込んで通り過ぎるだけ、“居着く人”はまた別さ」

 

 

 店長の目が、ふっと遠くを見た。

 

 その言葉にレゼは少しだけ、胸の奥を突かれる。

 

 逃亡を重ねてきた日々、どこへ行っても他人の視線を感じてきた。

 

 けれどこの村では、誰も深く踏み込んでこない。

 

 ただ「今日も暑いね」と言って笑うだけ。

 

 

「……ここに来てから時間がゆっくりになった気がします」

 

「それはいいことさ。人間、焦って生きてものんびり生きてもそう変わらない」

 

「そう……、ですか」

 

 

 店長は缶を飲み干し、浜辺へ向かって軽く投げた。

 

 空き缶は遠くのゴミ箱にカランと高い音を立てて入る。

 

 

「どうだい? ここは気に入ってくれたかな?」

 

 

 その問いに、レゼは少し考えてから答えた。

 

 

「……はい。たぶん、今まででいちばん」

 

 

 そう言ったレゼ自身の声が、波の音に吸い込まれていく。

 

 

「――あぁ、もう昼時かい、いい加減働くかぁ……、休憩してきていいよ、どうせ昼時でも一人で回せるさ」

 

「流石に悪いですよ」

 

「いいんだよ、ほら君の待ち人が来てる。おぉ、何やら今日も色々持たされたみたいだねぇ……、ウチのキッチンとか余り物も自由に使っていいからさ、ゆっくりご飯を食べて気が向いたら戻ってくればいいよ」

 

 

 

 

 

 海の家の裏手、小さな影が近づいてくるのをレゼは見つけた。

 

 浜風をうけながら、デンジが両腕いっぱいに袋を抱えて歩いてくる。

 

 

「うへー、今日もいっぱいもらったぜ!」

 

 

 両手に荷物で額の汗も拭えないまま声を張るデンジを見て、レゼは思わず笑ってしまう。

 

 

「もらったって……、またおすそ分け? 今日はなに?」

 

「なんかよくわかんねぇけど港でおっちゃん達の奥さんから総菜もらった! あと、おっちゃん達が“若ぇと腹減るだろ”ってエビとか貝とかイカとか色々くれた!」

 

「貰ってばっかりで悪い気がしちゃうね」

 

「前におっちゃん家の裏山の木を切ったからそのお礼だってよ」

 

「その時もいろいろ貰ったねー」

 

 

 レゼはデンジの片手につるされた袋を一つ受け取り、二人で海の家の台所へと向かう。

 

 レゼが手際よく海鮮を洗い、デンジが不器用に包丁を握る。

 

 他愛もない会話をしながら調理をする二人。

 

 

 昼食は、海の家で余った食材を使った海鮮焼きそば。

 

 それにもらったナスの漬物を添えて、二人はガラガラな海の家の食堂に腰を下ろした。

 

 

「うめぇ……。マジでここに来てから毎日メシがうまい」

 

「食材がいいからかな?」

 

「へっ、オレは作ってるヤツがうまいからと見たね」

 

 

 あまりに自然に言われて、レゼは箸を止めた。

 

 デンジらしからぬ気の利いた返答に、小さく咳払いをして、レゼは取り繕うように笑う。

 

 

「デンジ君、ちょっと学習してきた?」

 

「え、なにを?」

 

 

 デンジのきょとんとした表情を見て、レゼは少しだけ間を置いてため息交じりに笑う。

 

 

 たっぷりと休憩をとったレゼは仕事に戻るが案の上、店長は呼び込みもせずに店の中でくつろいでいた。

 

 昼下がりの海の家はもはや遠くの海水浴客を眺めるぐらいしかやることは無く、出来ることと言ったら海の家でデンジと話して過ごすだけだった。

 

 次第に時が経ち、海から人も消えた時、店長は何気なく二人に声をかけた。

 

 

「そういえば今日、寄合あるけど二人も来るかい?」

 

 

 村の者達が集まり親睦を深めるといえば聞こえはいいが実際はお酒や食事を持ち寄って騒ぐだけの飲み会。

 

 それでも気心知れた者で集まればきっとそれは楽しいものとなるだろう。

 

 

「うーん……、でも私達なにも持ってく物もないし、申し訳ないですよ」

 

「いいのいいの、若い子がご飯頬張ってるだけで嬉しいものなの、彼なんて何出してもウマいウマいっていうから奥方達に人気だよ?」

 

「え? マジ? メシ食うだけで喜ばれるとかそんなことあっていいのかよ……!!」

 

「あー、ちょっとこれは浮気の気配じゃないですかー? 」

 

「ちげぇよ!」

 

「まぁね、実を言うとカワイイお嬢さんにお酌されたい親父達の願望が8割だね」

 

「ほら見ろ! そっちが浮気だ浮気! ……いや待てよ? それはそれで……、それはそれでなんかヤダーッ!」

 

「アハハ、そんなに嫌がる?」

 

「二人が来るならみんな喜ぶよ、おいしい食べ物も用意するからさ」

 

 

 村に居着いたばかりの頃のレゼなら余計な詮索を警戒して、丁重に断っていただろう誘い。

 

 しかし、今のレゼの口元からは自然に笑みがこぼれる。

 

 

「……たまには、行ってみようかな」

 

 

 そんな言葉が自身の口から出ていることにレゼは驚いた。

 

 レゼの言葉を聞いて、デンジは両手を上げ、店長は若い人が来るなら張り切らなきゃなと言いながら笑う。

 

 

 

 ――結局レゼはこの村に馴染むと言う選択肢を取った。

 

 

 

 

 二人が村の高台にある大きな屋敷に向かった時、そこは灯りが洩れ、外からでも分かるほど笑い声が響いていた。

 

 軒先には干し網が吊られ、入り口の脇では大人同士の宴会から抜け出した子ども達が走り回って遊んでいる。

 

 

「おぉー、来た来た! 若いの二人だ!」

 

 

 中に入ると、村人たちの顔が一斉にほころんだ。

 

 年寄りも若い衆も入り混じって笑いながら盃を交わしている。

 

 

 テーブルには、魚の煮つけに刺し身の盛り合わせ、村の外から買ってきたのかフライドチキンなど様々なオードブルが置かれ、そしてその食事の量に見合った酒瓶がそこらかしこに置かれている。

 

 

「おい兄ちゃん、飲める口か? 恒例の飲み比べしてたんだ。途中参加でも構わねぇぞ」

 

「……あー?」

 

「ごめんなさい、彼お酒飲めないんです」

 

 

 どう答えようか考えこむデンジに変わり、素早くレゼが答える。

 

 

「私が少しぐらい飲めますので代わりに、でもこの人すごい食べっぷりが良くて……、逆に皆さんの料理を食べ過ぎてしまうのが心配なぐらいで」

 

「ああ! かまわんよ、どうせ料理はいつも余るくらい用意してる。たくさん食ってくれ!」

 

「えー、そっちは飲むんだろ? オレも少しくらい……」

 

「もう少し家で飲めるようになってからね? おぶって帰るのは私なんだから」

 

「家でぇ~? オレ酒飲んだことねぇよ」

 

「お酒飲むたびに記憶が飛んでこれなんです。も~二人で飲んで練習してから、わかった?」

 

「うん? おぉ? 分かったけどよ……」

 

「ははは! 飲むたびに記憶飛ぶくらい弱いのかい?」

 

「えぇ、そうなんです」

 

 

 当然、デンジは酒など飲んだことはない。

 

 彼女の祖国の常識から考えればアルコール度数12%まではソフトドリンクであるし、例え未成年であろうと酒を傾けない理由はなかった。

 

 しかし僅かばかりの良識と、酔ってしまったデンジがまずいことを口走らないかを危惧してレゼは止めた。

 

 

「じゃあお酌させてくださいね」

 

「いやぁ悪いねぇ、さ、アンタも飲んだらいい」

 

「ありがとうございます!」

 

 

 お酌をして回るレゼを見て、初めは納得していない表情のデンジも、豪勢な食事を前にすっかり上機嫌に箸を伸ばしだす。

 

 

「おお! いい食いっぷりだ! あんたもう村の男だな!」

 

「うめぇっス、これだけ食っていいなら三日分食いだめできそうっスね」

 

「ハハハッ、クマじゃねぇんだから」

 

「いやぁ、細いのに入る入る。やっぱ若さかねぇ!」

 

 

 デンジはあっという間に輪の中心になっていた。

 

 笑って、食べて、冗談を言って、村人たちに肩を叩かれながら馴染んでいる。

 

 その様子を見つめるレゼの頬にも、自然と笑みが浮かぶ。

 

 

「じ、嬢ちゃんウワバミだねぇ……」

 

「いえいえ私、顔に出ないだけなんです」

 

「注いでる分だけ嬢ちゃんも飲んでる気がするのにこっちの方がまいっちまいそうだ……」

 

 

 この国の人がお酒に弱いだけとレゼは思いながらグラスを傾ける。

 

 酒浸りの祖国でスパイとして酒に呑まれないように訓練されたレゼにとって、この程度の酒量で判断が鈍るようなことなどなかった。

 

 

「なぁ、あんちゃん、やっぱりダメだ。年とるとすぐに酔っちまう。どうだい一献?」

 

「すいません、彼ってほんとにお酒弱くて、すぐに真っ赤になるんです」

 

「オレぁ、どうせ酒飲むなら、初めては二人っきりの時に飲みてぇなぁ~」

 

 

 フライドチキンの骨を割りながら食べるデンジに酒杯を向ける村人、レゼはやんわりと止めようとするが、その前にデンジは食べ物を飲み込んで口を開く。

 

 

「オレが酒に弱くてフラフラになっても、レ……、彼女が隣にいりゃ大丈夫だと思うし、ひょっとしたらオレがすげぇ酒に強くて逆に赤くなった顔が見れるかもしれねぇしな」

 

 

「おやまぁ~!!」

 

「うお〜 言うねぇ!」

 

「惚気るねぇ〜」

 

 

 感心したようにどよめく周囲、衆目が集まることを感じたレゼはほんの少し唇を尖らせてデンジを見た。

 

 

「負けたぜ、今月の盃比べは嬢ちゃんの顔を染めさせたアンタの勝ちだ!」

 

「カッー!! 今夜の呑み合いは若ぇのに持ってかれたわ! もってけドロボー!」

 

「え? なんかくれるんスか? やりぃ!」

 

「おぉ、余った酒全部もってけ! そうだよなぁ! 自分の女の酔った顔なんざ他の男に見せたきゃねぇよなぁ……!!」

 

 

 おそらく話の半分も理解できずに笑うデンジを見ながら、レゼは手元のグラスに映る自分の顔を確かめる。

 

 朧気に移る自分の顔には確かに朱が差していた。

 

 これは酒のせいだと言い訳をしてレゼは酒を飲み込んだ。

 

 

 

 

 レゼ達が来ていた時点で宴会の様相を呈していた飲み会はあれからさらに白熱し、デンジの優勝賞品(酒の余り)を飲み干す勢いで皆で騒いだ。

 

 完全に出来上がった宴会に混じったデンジを眺めていたレゼに知った声が話しかけてくる。

 

 

「やぁ、楽しんでるかい?」

 

「あっ店長……」

 

 

 声をかけてきたのは海の家の主、その顔は既に真っ赤で、足取りも怪しくなってきている様子であった。

 

 

「良くしてもらってますし、すごく楽しませてもらってます」

 

「だろ? みんな気のいい人達さ」

 

 

 店主はどんちゃん騒ぎをする人々を苦笑しながら眺める。

 

 

 

「本当に皆さん優しいですよね、優しすぎるくらい……」

 

「そうかな?」

 

「そうですよ、こんないい生活あり得ないって思っちゃいます」

 

「えぇ……? ちょっとそれはもっと欲張りになって良いんじゃないかい?」

 

 

 店長の言葉にレゼの目線が手元に戻る。

 

 レゼは何かを言おうとして、しかし言い出せずに口を開け閉めする。

 

 

「……なにか言いたいなら言えばいんじゃないかい? 別に怒ったりしないよ」

 

「だって、あり得ないでしょう? 」

 

 

 

 店長の穏やかな声に、レゼはすこしだけ声を震わせながら口を開く。

 

 

 

 

「……私たち、まだ一度も名乗ってない。なのに誰も聞かない、それに――この三か月、蝉の声がずっと鳴き続けている」

 

 

 

 レゼは言ってしまえば後戻りできないだろう言葉を口にする。

 

 

 店主は小さく息をつくと、赤ら顔のままグラスを煽った。

 

 

「問われれば答えるよ、悪意も害意もないからね」

 

 

 一口だけ酒を含んだ店主はやはり穏やかな口調のままレゼを見た。

 

 

「まず一つ目、どうしてこの村に転がり込んだ君達に、あれ程親身に接する村人が君たちの名前すら聞こうとしないのか」

 

 

 店主が愛おしそうに村人を眺める。

 

 

「これはね、別に特別なことは何もない。ただ君達が言いたくなさそうだから察して聞いてこないだけだよ、別に超常の力が働いてるわけじゃない、ここに居る人たちはね、みんな傷つき、彷徨い、ここに流れ着いた“普通の人間さ”」

 

「そんなことあるわけが……」

 

「あるよ、だからみんな知ってるんだ。この村に来た人間の心の痛みを、だから何も聞いて来ない、本当にそれだけ」

 

 

 レゼが絶句している姿を見て、店主はさらに言葉を続ける。

 

 

「二つ目の疑問、これは仕掛けがある。まぁ流石にね、でも勘違いして欲しくないのは別に悪意なんてない、不気味に思えば君達がここから出て行けばそれでおしまい、村は変わらず、君達も何事もなくこの場所から出て行ける」

 

「……疑問の答えになってません」

 

「あぁ……、うん、そうだよね、でも君は答えについて既に見当がついていると思うけど……」

 

 

 店主は困ったように頭を掻いて、申し訳なさそうにレゼを見る。

 

 

「まぁ悪魔の力だよ、対象にとって一番心落ち着く状態にする。普段は全体にかけているのを今は一人だけを対象に使用してる。普通だと季節は廻るんだ。逆に珍しいんだよ? 一部の季節だけ繰り返すなんて人はね」

 

 

 レゼはその言葉を聞いた瞬間に首に手を当てる。

 

 

「……そうだよ、君にとっての安らぎがこの常夏だ。こういう力の現れ方をする人間は昔にも何人かいてね……、そういう人間は心休まる時が人生においてほんの僅かなひと時しかなかった人間さ……」

 

 

 レゼは店主の言葉で察する。

 

 つまり今、この悪魔の力の中心は――

 

 

「うん、君を対象に力は使われてる。まぁ次に聞かれるだろうから答えると君達を捕まえて隔離するようにマキマから言われてね」

 

 

 その一言にレゼは首のピンを一気に引き抜こうとした――

 

 

「――いいよ、これを仕組んでる悪魔はね、本当に弱くて人間と同じで普通に殴れば殺せるよ」

 

 

 笑い声と潮騒が混ざり合い、盃が交わるたびに夜がやわらかく揺れた。

 

 誰もが陽気で、誰もが少しだけ赤ら顔。

 

 ただの夜なのに、なぜか祝祭のようだった。

 

 

 レゼの右腕がだらりと垂れる。

 

 

「……あなた一体何の悪魔なの?」

 

 

 

 

「うーん、自己紹介しあえると嬉しいよ、私の名前は平穏、平穏の悪魔だ」

 

 

 

 

 ある人間は心より欲し、またある人間は唾棄する。

 

 そしてある人間はそれを心の底から求めながら、手に入るはずがないと諦観の中に沈めてしまう。

 

 失うことを恐れ、しかし触れることも恐れる。

 

 

 

 レゼにとってこれは初めての感覚だった。

 

 恐らく自分ではこの悪魔には決して勝てないという確信。

 

 

 

「私達をどうするつもり……」

 

「どうもしないよ」

 

 

 消え入るようなレゼの言葉を慮る様に、平穏の悪魔はゆっくりと落ち着かせるように語る。

 

 

「マキマに言われたのは君に平穏を与えること、だから契約上の義務はもう果たしてる。これ以上私は君に何かをするつもりはない、なんならこの後逃げてもいいとさえ私は考えている」

 

 

 悪魔の顔に嘘や偽りといった作為は何一つ感じられない、それがレゼにとってはたまらなく恐ろしかった。

 

 

「なぜ彼女がこんなことをするのかは予想になるけど……、まぁロクな目的じゃないだろうね、きっとすぐにでも向こうからコンタクトを取ってくる」

 

 

 レゼの体に力は入らない、もはや悪魔の言葉をただ聞くことしかできない。

 

 

「ついでに私の能力と契約について改めて説明しようか……、私は“落ち着かせる”だけだよ。対象の心がいちばん穏やかな状態に周囲を寄せる。季節でも時間でも、人間関係でも。……代価は簡単。老いと看取りの順番を、ここに住む皆が私に委ねること」

 

 

 滔々と語られる言葉を聞きながらレゼはぼんやりと考える。

 

 弱い悪魔?

 

 そんなわけがない、こんなに残酷で悪趣味な悪魔はそうはいない。

 

 この村全域と他の場所にさえその力を及ばせる強力な権能があるからではない、もっと根源的な人の心を縛る支配。

 

 

 

「契約条件は簡単だ。(平穏)を望むこと、なぁに、拒絶すれば自由に破棄できる程度の契約さ」

 

 

 

 レゼは頭を垂れ「あぁ……」と肺の息を漏らすように呟く。

 

 私はこの悪魔には絶対に勝てない。

 

 

「……そこでなんだけどね」

 

 

 悪魔は人間のように申し訳なさそうに眉を下げて囁く。

 

 

「君の場合は特別だ。……代価はもう払われたからいらないよ。私はこの村の時間を引き延ばせる。外部は数日しか経ってなくても村の内側は十年単位。頑張れば三十年くらいかな、どうだい君達さえよければ過ごしてみないかい?」

 

 

 悪魔らしからぬ悪魔は、しかし悪魔のように沁み込んでいく言葉をレゼに降らせた。

 

 

 レゼの口はどう閉ざそうとも口が勝手に動き出す。

 

 それに手を伸ばす動きを止められない。

 

 

「おっと……」

 

 

 

 その時、電話の発信音が鳴る。

 

 音の出所は平穏の悪魔の懐からだった。

 

 

 

「……まぁ、考えてみて欲しいってだけさ。無理強いはしないよ」

 

 

 そういいながら携帯を取り出し、眺める平穏の悪魔の態度に変わりはない、レゼに対する言葉は最初から最後まで穏やかな表情と口調を変えることすらしなかった。

 

 

「はぁ……、望まれぬ客が来た。この村は住民の顔見知りなら普通に入ってこれちゃうからなぁ……、まぁ所詮は雑魚悪魔の小さな縄張りだからね、たどり着けない人は絶対に入れないけど、入れる人は基本フリーパスだよ、傷心旅行中の人とかよくきちゃうし……」

 

 

 億劫そうに歩き出す平穏の悪魔をレゼは後ろから眺めることしかできない。

 

 

 一人、宴席から帰ろうとする悪魔をまるで古い馴染みのように引き留める村人たち。

 

 

 

「ちょっと残した仕事がね、皆は気にせず続けてよ!」

 

 

 

 その悪魔は殺さない、害さない、戦わない。

 

 きっとただ意思を手折り、優しい揺りかごの中で微睡むような終焉を選ばせるのだろうと、レゼは諦観にも似た感情を持って項垂れた。

 

 

 




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