『俺達に明日はいらない』(偽原題:Bomber and Cradle)   作:ばばばばば

9 / 12
9.ボマーとクレイドル(前篇)

 手持無沙汰で海の家のベンチから浜を眺めるデンジ。

 

 レゼの居場所を探すつもりであった彼は何もせずに待った。

 

 この村は狭く、待っていればいつか彼女には会えるだろう。

 

 

 気の短い彼がそんな悠長な考えを持てるほど、この場所に流れる空気は穏やかだった。

 

 

「デンジ君」

 

 

 口を開けて海を眺めるデンジ、その後ろに音もなく立つ少女が声をかける。

 

 

「おぉ、レゼ、待ってたぜ、……あー、なんだ、実を言うとちょっとマズイことが……、いやそこまで悪いって話じゃねぇんだけど……」

 

 

 アキとパワーに会ったデンジは、そのことをどう伝えるか考えながらもレゼを気遣いながら言葉を選ぶ。

 

 

「公安に見つかったんでしょ?」

 

「……レゼの方にも誰か来てたか?」

 

 

 返答も返さずに自身の横に座る彼女をデンジは眺めた。

 

 

「……オレんとこに昔の仲間がきてよぉ、死にたくなきゃ俺たち二人で公安に来いってさ、ちなみに逃げたらオレの先生が殺しに来るって言われちまったよ」

 

 

 ため息交じりでありながらデンジの口調は軽い、ちょっとした仕事の悩みのように語られる言葉をレゼは眺めた。

 

 

「どうする? 公安に行けば殺さないで雇ってくれるらしいぜ、それとも逃げちまうか? もうちょいここにいてもいいらしいし」

 

 

 待ち疲れたのか、大きく伸びをしながらデンジはレゼの横顔を見た。

 

 その顔は無表情でありながら何かを秘めているようであり、デンジにはその内側を伺うことはできなかった。

 

 

「……デンジ君はどうしたいの?」

 

 

 ポツリと呟くように話すレゼの問いかけにデンジはすぐに言葉を返す。

 

 

「オレはレゼの横でメシくえりゃなんでもいいぜ?」

 

 

 レゼはデンジの顔をなぞるように見つめた。

 

 

「ねぇ、デンジ君、わたしね平穏の悪魔と契約したの」

 

「えっ、誰だよその悪魔?」

 

「……店長がね、悪魔だったの」

 

「マジ? 店長悪魔なのかよ? 全然気づかなかったぜ……、つうか大丈夫なのかそれ?」

 

「平穏の悪魔の力を使えばながい間……、普通の人ならオジサン、オバサンになっちゃうくらい長い時間、ここに平穏で居られるんだって」

 

 

 その話を聞いてデンジは少し考えた後、心配そうにレゼを見た。

 

 

「そりゃいいけどよ、悪魔との契約って普通は代償とかあんだろ?」

 

「私達に幸せになって欲しいんだってさ」

 

「ポチタみてぇなこと言う悪魔だな店長」

 

「……デンジ君はどう思う?」

 

 

 告げられた言葉は余りに都合のよすぎる契約、しかしレゼに被害が出ないならばどうでも良いと考えたデンジはそれ以上考えず自分の言葉を飲み込んだ。

 

 

「いいんじゃねぇか? 店長の力でここに居れんだろ? やっぱりヤバそうならオレとレゼなら逃げりゃいいしな、レゼはここ気に入ってんだし良かったじゃん」

 

「……デンジ君は? デンジ君はここが好き?」

 

「うん? 好きだぜ、メシもうめぇし」

 

 

 デンジの言葉にレゼはほんの少しだけ固い表情を浮かべる。

 

 

「じゃあさ……、しばらくこの場所に居ようか」

 

「そうすっか」

 

 

 その彼女の寂しげな雰囲気を僅かに感じ取るデンジだが、それを疑問に落とし込み、問いかけるだけの思考の深さは彼にはなかった。

 

 なによりその言葉を聞いた後のレゼはいつもの笑顔にもう切り替わっていた。

 

 そのことに、デンジは気づけない。

 

 

「いっぱい、いっぱい幸せにしてあげるねデンジ君、幸せ過ぎておぼれちゃうぐらい」

 

「おーそりゃたのしみだぜ、じゃあ今度は幸せの泳ぎ方を教えてもらわねぇといけねぇな」

 

 

 レゼの完璧な笑顔でそういわれればデンジは素直にその言葉を受け取る。

 

 彼女はデンジの手を握り、その手を引くように彼らの家に帰った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日、朝の潮風がカーテンのすき間を抜けて彼の頬を撫でた。

 

 

「デンジ君、起きて」

 

 

 まだ夢の中に沈んでいたデンジの額に軽い衝撃が訪れて彼は目覚める。

 

 

「…えー、なんだよもー……、今日は休みじゃねぇか……」

 

「デンジ君、今日は学校だよ」

 

「……学校ォ?」

 

「この村にも一応学校があるらしくてね、全員で10人くらいの小学校、今日はお休みだから自由に使っていいんだって」

 

「……学生って、ふぁ~……、オレ小学生からやるのかよ?」

 

 

 突拍子のない事を言い出すレゼをデンジは目をこすりながら見上げる。

 

 

「でもデンジ君って漢字読めないし、日本の歴史上の偉人とかも知らないでしょ?」

 

「……しってるしぃ、ユキチ……! フクザワさんとか知ってるよオレぁ……」

 

「デンジ君、福沢諭吉がなにした人か知ってるの?」

 

「えー……、一万円をつくった偉人……?」

 

「ぷっ、そんなわけないじゃん」

 

 

 寝ぼけたまま答えるデンジにレゼは小さく吹き出した後、彼の布団を剥がした。

 

 

「さぁ、早く着替えて。授業が始まっちゃうよ」

 

「……えー、別にこのままで――」

 

「学生服も借りててね、デンジ君私の学生姿見たくない?」

 

「……それは、見てぇ……!!」

 

 

 その言葉にデンジは、完全に目を覚まして体を起こす。

 

 すぐさま、いつの間にかけてあった男物のシャツとスラックスを掴むと、デンジは一瞬で着替えてしまう。

 

 

「もう着替えたかぁ?」

 

「もーちょっとまってて」

 

 

 既に準備された食卓にありながら彼は食事に手を付けず、じっと待つ。

 

 居間の襖が開かれる音、デンジは人間に許された反射速度でもって振り返った。

 

 

「じゃ~ん、セーラ服でした」

 

「ヤッター! カワイイ!!」

 

 

 レゼの言葉の頭にかぶせる勢いでデンジは飛び上がった。

 

 デンジの眠気はレゼの制服姿によって完全に吹き飛ばされる。

 

 

「田舎の女子高生って感じでしょ?」

 

 

 レゼはデンジの反応にクスリと笑って、指先でスカートの裾をつまみ、軽くくるりと回ってみせた。

 

 

 白い制服に群青の襟、そこに巻かれたスカーフがふわりと揺れて、陽の光を小さく跳ね返す。

 

 スカートの裾がふわっと広がり、レゼの細い脚がすらりと覗き、靴下と健康的な足の眩しい白さがデンジの脳内を焦がしていた。

 

 いつもは後ろに留めていた髪をおろし、丁寧にとかれた髪が肩で揺れ、風を受けてふわっと香るシャンプーの匂い。

 

 レゼの頬にはほんのり赤く、いたずらっぽい笑みが口元に浮かんでいる。

 

 

「似合ってる?」

 

「ヤッター! カワイイ!!」

 

 

 先ほどの跳躍でデンジの振り上げた拳が天井の梁にぶつかり無視できない痛みを放っていた。

 

 だがそれを一切の無視して飛び上がったデンジは今度は頭を天井にぶつける。

 

 

「おいおい、学校は最高か?」

 

「まだ始まってもないんだけど……?」

 

 

 既に目は幸福で満たされているというのに、丁寧に作られた朝食で舌と腹を満たしたデンジは全身で喜びを迸らせながら家を出ることになった。

 

 

「これが一緒に学校行く感じかぁ……」

 

「デンジ君の制服姿も様になってるよ?」

 

 

 男の代わり映えのなさを考えればデンジは自身の服装などどうでもよかったが、レゼはどうにも違うらしい。

 

 彼女はだらしなく袖をまくったデンジの姿を見ては笑みを浮かべている。

 

 

「あー? シャツとズボンとネクタイなんて男はどれも一緒だろ? 前も似たような服だし」

 

 

 それよりもデンジの目線はレゼの方へ。

 

 先ほど輝いて見えたレゼの制服姿、それが夏の日差しを受けさらに輝いて見えるようにデンジは感じる。

 

 

「あっ、さっき騒いだせいでネクタイずれてるよ」

 

 

 デンジの首元のネクタイがぐちゃぐちゃに捩じれていることに気づいたレゼは、それを見て小さく息を漏らした。

 

 

「ネクタイとか正直面倒なんだよなぁ……、これ何のために付けてるか聞いても誰もまともに答えてくんねーの」

 

 

 デンジがぶつぶつ言いながらさらに緩めようとするのをレゼが笑って止めた。

 

 

「ネクタイってカッコよく見えるけどなぁ、男の人のごつごつした首元によく映えて素敵だよ?」

 

「そうかぁ?」

 

「好きな人の隣に並ぶなら、ちゃんとしてたいでしょ」

 

 

 レゼが一歩近づき手を伸ばす。

 

 指先がデンジの胸元に触れ、布地の上をなぞるようにしてネクタイを整え始めた。

 

 わずかに冷たい指先が喉もとをかすめ、デンジは思わず肩をすくめる。

 

 

「おっ……、おぉ……」

 

 

 ほんの少し前屈みになったレゼの髪が顔をかすめ、微かに甘い香りがデンジの鼻をくすぐった。

 

 

「もう、デンジ君、じっとして」

 

 

 

 レゼの顔がデンジに近づき、その息が聞こえるほどの距離。

 

 レゼの吐息が首元に触れる。

 

 デンジは瞬きもできずに固まってしまった。

 

 

「ほら、こうやって……ちゃんと結んでるほうが似合うよ」

 

 

 レゼが一歩下がって、軽く首を傾げて見せるのをデンジは名残惜しく感じながらもその場から動けない。

 

 

「うん、ちゃんとカッコいいよ」

 

 

 その一言を聞き、デンジはしみじみと呟いた。

 

 

「学校って……、サイコーだな……!」

 

「デンジ君? だからまだ学校にすらついてないからね」

 

 

 

 そんな風に騒ぎながらレゼに連れられ、辿り着いたのは、木造二階建ての小さな校舎だった。

 

 大きな靴箱に対して靴の数はまばらで選び放題。

 

 そこからまっすぐ伸びた廊下に面した扉をくぐれば小さな黒板と机が並べられていた部屋がある。

 

 

「あれ、店長じゃん」

 

「学校へようこそ二人とも」

 

 

 その場にはなぜか海の家の店長がチョーク片手に立っていた。

 

 

「いろいろ準備を彼女に頼まれててね、今日の私は先生役さ」

 

「へぇ……、ってレゼから聞いたんだけどよ、アンタ悪魔なのか?」

 

「まぁ、そうだけど……、身構えないでくれると嬉しいかな、悪魔と言っても私は弱いから」

 

「別にぃ? オレ達の面倒見てくれるんなら悪魔だとかどうでも良いしな」

 

 

 あっけらかんと言い放つデンジに平穏の悪魔は苦笑する。

 

 

「君は大物だね、さぁ教材の置いてある席に座って、授業をはじめよう、一限目は国語だよ」

 

 

 デンジは漢字ドリルが置かれた机に座り、物珍しそうに眺めながら、レゼと授業を受ける。

 

 

「文字が読めれば本が読める。本が読めればもっといろんなことを知ることが出来る。君に今一番必要な常用漢字の習得を重点的にやっていこうか」

 

「なんとなくでも読めはすんだぜ、それに読めるのは便利だけど、オレ別に難しい本を読みてぇわけじゃねぇぜ?」

 

「文字を知れば読むことだけじゃなくて書くことだって出来る。言葉以外で誰かに何かを伝えることが出来るのは素敵なことだと思わないかい?」

 

「おー? たしかに?」

 

 

 とりあえずの納得を見せるデンジ、しかし、初めは集中している様子だが、次第にその気力は霧散し、気はそぞろになっていく。

 

 

「漢字とかいらなくね……? なんか似てるのも多いし、逆にメンドウじゃね?」

 

「あー、私も初めはそう思ってた。昔の人絶対適当に決めてたよね」

 

 

 突発的に日本教育の根幹そのものを否定しだす生徒二名に、平穏の悪魔は困ったように眉をさげつつも、なんとかデンジの興味を勉学に向けさせようとする。

 

 

「漢字がないと伝えられない言葉だってたくさんあるよ、それに漢字には似てるようでそれぞれの成り立ちがある。……そうだね、たとえばデンジ君の好きな漢字はなんだい?」

 

「金玉!」

 

「金……、玉……? ……じ、じゃあレゼ君、君の好きな漢字は?」

 

「うーん、私も強いて言えば金玉かも」

 

「金玉……?」

 

 

 困惑する悪魔は再度二人を見返すが、どうやら二人が本気で金玉が好きらしいとその目を見て気づくと頭を抱えた。

 

 

「店長は好きな漢字とかあんの? やっぱヘーオンとかか?」

 

「自分が好きみたいで恥ずかしいけど、まぁそうだね、安寧とか平和とか安全とかかな……」

 

「デンジ君、ちなみにソ連で安全って言葉は辞書にのってないんだよ」

 

「すげぇなソ連」

 

「正確には危険じゃないって単語と守られてるって表現はあるけどね、安全って単語はないかな」

 

「うんまぁとにかく、英語とかキリル文字と違って漢字はそれ一つで意味や概念を表せる便利な言葉なんだ」

 

 

 話が脱線しかけている様子を見ていた悪魔は元の話に軌道修正を試みる。

 

 

「でもよぉ、それじゃあ一つの漢字でなんで何個も意味くっ付いてるのもあるんだ?」

 

「だよね、デンジ君それ私も勉強する時に思ってた」

 

「だよなー?」

 

「まぁ……、それは昔のことでいろいろあると思うんだけど……」

 

 

 そういうモノで流すべき知識に対し純粋な疑問をぶつけるデンジ、それは生徒として真っ当な疑問ではあるがにわか教師には荷が重すぎた。

 

 

「なんか俺、日本語嫌いになりそうだぜ……、レゼん国の言葉の方が簡単だったりするか?」

 

「うーん……、どうだろ? 言語って意味わかんないものばっかだよ、こっちの言葉だと幸運を祈るやり取りで “悪魔のもとへ!” とか “地獄に落ちろ!” って言うし」

 

「ソ連すげぇ……」

 

 

 結局授業は好き勝手に話す二人のペースで進んだ。

 

 

「値札のついてねぇ果物なんてオレは買わねぇかなぁ……」

 

「日本の果物って形もいいし美味しいけど高いよね」

 

 

「作者の伝えたいこと? オレ作者じゃねぇし分かんねぇだろ」

 

「クフっ……、確かにそうかも」

 

 

 とうとう疲れ切った悪魔は次の授業の準備に行くため教室を後にした。

 

 

「まず初めに道徳の授業をすべきだったのかもね……」

 

 

 そのしょぼくれた背中を見送った後、デンジは両腕を頭に組み天井を見上げた。

 

 

「あー疲れた……、学校は楽しいけど、案外メンドクセェのかもしれねぇな……」

 

「まぁね、……じゃあそろそろしちゃいます?」

 

「なにを?」

 

 

 隣で悪戯っぽく笑うレゼは椅子を近づけると耳元でくすぐる様に呟く。

 

 

「学校、サボっちゃいますか?」

 

「なるほどな、やっぱり学校は楽しいぜ」

 

 

 それは学校の楽しさなのか、そのような正当な指摘をする者はここには居なかった。

 

 

 学校を抜け出した二人は村の中を歩く、とはいっても何もない村であるここで見るようなものなどなく、当てどなく騒ぎながら歩いた先は、結局、日差しから逃げられるいつもの海の家だった。

 

 

「うぉぉー、すげぇ、ゲーム台とUFOキャッチャーあんじゃん!!」

 

「平穏の悪魔に頼んだの、アイツのいる村の一つに温泉街があって、そこの古いのを持ってきたんだって」

 

「マジ? 店長に何も言わずにサボったの悪かったかも……」

 

「いいでしょ、じゃあ気を取り直して遊んじゃいますか!」

 

 

 置かれた筐体は数台程度でUFOキャッチャーの品には数世代前のよくわからぬキャラのぬいぐるみ。ゲームセンターと言うにはみすぼらしいモノであったが二人はめいいっぱい楽しんだ。

 

 

「うわぁぁッ! オレのヘヴィマシンガンが持ってかれた!!」

 

「デンジ君! 火星人来てる! 火星人! はやくグレネード投げて!! 喰らえ火炎放射!」

 

「うぉー!! レゼ鬼つええ! このまま逆らうタコ野郎ども全員ブッ殺していこうぜ!」

 

 

 隣で肩をぶつけ合いながら画面の中で迫りくる異星人を倒しながら世界を救い。

 

 

「なぁその意味分かんねぇ掴み攻撃無しにしようぜ!? こっち何も出来ねぇ!!」

 

「えー、さっきもそれ言ったじゃん、画面端で飛び道具投げまくるの卑怯だから別のキャラにしろって――」

 

「隙ありッ!! ギャハハ!! 伸びる小足が勝つんだよォ!! やっぱゴム人間が最強だぁッ!!」

 

「あっ、私には自国のキャラ使えって言ったくせに!」

 

「オレはカレーが好きだからいいんですゥー!」

 

 

 世界各国を股にかけた路上最強を決める熱戦を繰り広げ。

 

 

「と、獲れた! なにがクレーンゲームだ。猫の手より貧弱じゃねぇか!!」

 

「おー、やりましたなデンジ君」

 

「破産寸前だぜ……、じゃあこれをレゼに……、レゼに……」

 

「ぷっ、そんな名残惜しい顔しちゃって、いいんだよどうせ同じ部屋に飾っておくんだし」

 

「い、いやレゼにやる! そう決めてたんだよこっちはよぉー……」

 

「……うふふ、ありがとデンジ君」

 

 

 ほぼ確率機と化した阿漕な台に物量でもって勝利をもぎ取った。

 

 

 彼らは彼らのやり方でサボりを楽しんで一日を過ごした。

 

 

 

「今日はあそんだなぁ……」

 

「そうだね」

 

 

 遊び疲れた二人は家に帰り、賑やかな夕食を取り、二つ並べた布団で横になって今日一日を振り返りながら床に入った。

 

 

「流石に夏の中でクーラーガンガンにつけて、そこでコタツ出してアイスは贅沢過ぎて震えたぜ」

 

「コタツに二人で入りたいって言ってたのデンジ君でしょ?」

 

 

 その言葉でデンジは今日したこと全てが以前自分がレゼに話した叶えたい夢のことだったと、今更ながらに気づく。

 

 

「ねぇデンジ君?」

 

 

 隣の布団がごそごそと音を立て、デンジの布団の中で艶めかしい体温が彼の足に触れる。

 

 

「クーラー当たり過ぎて冷えちゃった。今日はそっちで寝ていい?」

 

「お、おぉ……」

 

 

 体にぴったりと触れる柔らかな感触。

 

 夏場の夜の熱気より直接的に感じる温度。

 

 しかしその温かさは興奮を伴うモノでなく、デンジの心を温め、強い眠気を誘った。

 

 

「マジで今日は楽しかったな……」

 

「明日もきっと楽しいよ」

 

「フワァァ……、そりゃ、たのしみぃ……、だ……」

 

「……映画だって3Dのアクションが凄いの見よ、誕生日ケーキだって一緒に祝っちゃおう? これから楽しい事全部やって、いっぱい、いっぱい幸せにしてあげるからね?」

 

 

 デンジはそんな夢みたいなことがあっていいのかと疑問に思ってしまう。

 

 

 うまいモノを二人で食べて、女とイチャイチャして、一緒にゲームして、抱かれながら眠る。

 

 

 デンジは自分がいつか叶えようとしたその全てが叶った今日という日を忘れないだろう。

 

 

「おやすみなさい、デンジ君」

 

 

 その柔らかな言葉を聞きながら、デンジは安らぎの中で眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 デンジが寝静まった夜、音も立てずにレゼは寝床から抜け出した。

 

 

 その表情に先ほどデンジを見つめていた慈愛の色はなく、冷たく鋭利な表情だけを浮かべていた。

 

 

 家の外に出た彼女は機械のように言葉を告げる。

 

 

「平穏の悪魔、見てるんでしょ?」

 

 

 レゼの目線の先には電柱の上に乗る一匹の白い鳩がいた。

 

 夜目の効かない鳥目であるはずであるのに翼を広げたその鳩はレゼの前に静かに降りたつ。

 

 

「やぁ、こんばんは」

 

「……支配の悪魔みたいな真似してるのね」

 

「よしてくれ、私は彼女と違う」

 

 

 くるくると首を回し、地面を飛び跳ねる鳩は心外そうに電柱の陰へと向かう。

 

 レゼからの目線から完全に電柱へ隠れた後、その闇から出てきた姿は見知らぬ人のよさそうな顔の男であった。

 

 

「うん? 顔が違ったか?」

 

 

 平穏の悪魔は顔を手で覆い撫で、その後顔をあげた時にはいつもの店主の顔になっていた。

 

 

「私に人のことをどうにかできる力はないよ、自分の姿を変えるのが精々さ」

 

「どの口が……」

 

 

 鋭い敵意を隠そうともしないレゼに、平穏の悪魔は少し傷ついたような情けない顔を浮かべる。

 

 

「そんな怖い顔をしないで、私だって準備を頑張ったのに授業をボイコットされて、流石に傷ついたんだよ?」

 

「どうせ今日だってどこかで私達を見てたんでしょ?」

 

「ううん……、まぁここは(平穏)の中だからね、みんなが健やかに暮らせるように見守ってはいるよ、今もぐっすり涎を垂らしてるデンジ君みたいにね」

 

 

 平穏の悪魔は含んだような言葉を弄しながら曖昧に笑みを浮かべる。

 

 その顔を見てレゼの警戒心はさらに跳ね上がる。

 

 

「良くない顔だ。もっと力を抜いて、君にはもっと心穏やかにいて欲しいよ」

 

「……デンジ君は?」

 

 

 端的に問いかけるレゼに対し、平穏の悪魔は悩まし気に目を細める。

 

 

「今日は二人とも楽しんでたね、デンジ君、すごく嬉しそうだった。あんなに幸せそうに喜んでくれるなら私も色々準備したかいが……」

 

 

 平穏の悪魔はレゼの怒気を含んだ視線に気づき、話を切り上げる。

 

 

「まぁ、結論だけを言うならまだ私の平穏を受け入れていない」

 

「なんで平穏に沈んでくれないの?」

 

「うーん、棘があるね……、平穏は沈むモノじゃない、ただ当たり前に寄り添うものさ」

 

 

 苛立つレゼに平穏の悪魔は言い含めるように話す。

 

 

「平穏はすぐに感じるようなモノじゃない、楽しく過ごすことも大事だけどね、そんな時間をなんども繰り返して……、なんでもない日常が当然になって……、当たり前に気付いてそれを離れがたく感じた時、きっと彼は私を受け入れてくれると思うよ」

 

 

 君と同じようにね、と最後に言葉を結ぶ悪魔をレゼは睨んだ。

 

 

「そのための手伝いならなんでもするよ、田舎町だけど娯楽の手配は頑張るし、たまには別の田舎に旅行をするのはどうだい? 私の持ってる村には綺麗な冬景色が見れる旅館や、美しい桜や紅葉がみれる山中の村もあってね、いつか二人で来るといい、歓迎するよ」

 

「結局あなたの目の届く場所でしょ、逃げられもしない」

 

「それは……、まぁ仕方がない、君達がここから出て行ったら私はマキマに報告しなきゃいけない」

 

「家の中まで覗いてるクセに」

 

「うーん、私はそこまで見るのはプライバシーの侵害だと思うけど、マキマがそうしろって言うからね、これでもトイレとお風呂は止めて貰うように頑張ったんだよ? これ以上の譲歩は難しい」

 

「私達が寝てる姿も見てるわけ?」

 

「まぁ……、なんだい、君達は恋人だしそういうことをしてる間はマキマに何と言われようと流石に目は瞑るからそれで許して欲しいね、約束するよ」

 

「そうあって欲しいものね」

 

「もちろん、さぁ、夜といえどもこの村の海風は流石に冷たい、今日はもうお休み」

 

 

 彼女の険を帯びた表情に苦笑し、悪魔は早々に退散する心づもりなのか、会話を打ち切って背を向ける。

 

 

 彼女はその背が消えるまで油断なく見つめ、音のなくなった夜の村でしばらく佇んだ後に自身の帰るべき場所へと戻る。

 

 

 寝床のデンジは腹を満たした大型犬のように毒気ない表情で涎を垂らしている。

 

 そっと布団に体を滑り込ませたレゼはデンジの髪を撫でた。

 

 

「ごめんね、デンジ君」

 

 

 デンジを幸せにする。

 

 幸福で埋め尽くして、彼の夢を叶える。

 

 

 それは彼女にとっても望むべき未来だ。

 

 きっとそれは幸福で、たとえそれが誰かの手のひらであろうともあり得ない程の幸運。

 

 一緒に暮らして、それが当然のようになり、次第に体を重ね、子供を授かり、やがて普通の人間みたいにただ平穏に過ごす。

 

 

 だがしかし、彼女は恐怖する。

 

 

 もしもその幸福と平穏が自分にとってだけのものであったのなら。

 

 もしも、レゼが築いた幸福を、デンジが受け入れなかったのなら、そうでなくとも契約を完遂できなければ。

 

 

 この仕組みを作った悪魔たちはその幸福を無慈悲に刈り取るだろう、レゼの作った幸福すら利用して、最も残酷な方法を駆使して全てを穢す。

 

 

「絶対、絶対にデンジ君を幸せにしてあげるから……」

 

 

 誰にも届かない祈りは夜の闇に紛れて消えた。

 

 

 

 

 

 それから彼女はデンジと共に終わらない夏を過ごした。

 

 

 

 

「今日はお弁当を持ってピクニックです!」

 

「外でメシ食うのが楽しいなんてオレも贅沢になったなぁ~」

 

「卵焼きはいつも通り甘くしておいたからね」

 

「おーそりゃ楽しみだぜ、防波堤で海でも眺めながら食おうぜ!」

 

 

 

 

 なんでもない、ただ穏やかな時間だった。

 

 

 

 

「デンジ君! 今日は映画見よっか!」

 

「デートと言えば映画だよな!」

 

「ふぅん……、デンジ君、もしかして女の人と映画館でデートした時とかある?」

 

「うぇっ!? い、いや、その……」

 

「まーいいけどね、今日のデートで上書きしちゃうもん」

 

「ちなみに何の映画見るんだ?」

 

「サメ映画だって、村の人にやけに勧められたんだよね」

 

 

 

 

 今まで二人が味わうことのなかった平和な時間。

 

 

 

 

「んだよ、海の家にテーブルクロスなんて敷いて」

 

「喫茶レゼ、本日期間限定オープン! 店員さんの笑顔がウリでーす」

 

「オレが客か?」

 

「はいお客様、ご注文は?」

 

「じゃあチャーハン、あとカレー」

 

「いっつも作ってあげてるじゃん、コーヒーとかは?」

 

「えぇ……、まだオレ飲める気がしねぇんだよなぁ……」

 

 

 

 

 レゼはデンジにありったけの幸福を与え、デンジは彼女の横で笑った。

 

 

 

 

「漢字が読めねぇ……、もう良いんじゃねぇか、今も大して困ってねぇし……」

 

「はいコレ、デンジ君にこれあげる」

 

「なにこれ?」

 

「ラブレター、デンジ君の好きなところ沢山書いてあるよ」

 

「えっまじ……? ってなんだこれ、く、クソ……、めちゃくちゃ漢字多くて読めねぇぞ……!」

 

「デンジ君、私の気持ち、読めないのー?」

 

「……漢字をよぉ……、読んだり書けるのはよぉ……! 普通の人間ならメチャ大事だよなぁ!!」

 

「返事も期待してるからね?」

 

 

 

 

 だが、レゼは焦っていた。

 

 彼女がやることの全てに彼は笑顔を見せ、幸福の表情を浮かべている。

 

 だというのに、彼女の考えつく幸せでどれだけの時を過ごそうと、未だに彼は平穏には沈まなかった。

 

 

 

 

 

「……どういうこと、平穏の悪魔?」

 

 

 苛立ち交じりの彼女の声を宥めるように悪魔は話す。

 

 

「焦り過ぎだよ、まだ始まったばかりじゃないか、ゆっくりと、ただ君が彼の横にいればいいさ」

 

「……デンジ君は今幸せでいっぱいのはずでしょう? まだ満たされていないって言うの?」

 

「そういう訳じゃない、落ち着いて、彼は確かに幸福を感じている」

 

「だったら……!」

 

「君はよくやってる。幸福と平穏は似てるようで違う、あるがままでいいんだ。君はそれが出来てる。安心して欲しい」

 

 

 そう言葉にしながらも、平穏の悪魔はなかなかに自分へ身を委ねないデンジのことを思案する。

 

 

「……すぐに平穏を受け入れない人間には2種類の人間がいると私は思っててね、一つは平穏を知らぬ者、もう一つは平穏を恐れる者――」

 

 

 思わず口に出てしまった言葉、出過ぎた言葉と思いそれ以上は言わないでいた悪魔だが、レゼは無言の圧で悪魔の続きの言葉促した。

 

 

「……私はデンジ君を前者だと思ってた。平穏を知らない人間、知らないものを耐えるのは容易いものだ。でもねそういう人は一度与えてしまえば脆い」

 

 

 そんな人間ならば白地の布を染め上げるように簡単に自分の元に身を寄せさせられることを悪魔の経験から分かっていた。

 

 

「でも……、案外彼は後者だったのかな……、平穏を恐れている人間、失うことを恐れすぎてそれに手を伸ばすことを躊躇う悲しい人、あぁ……でもこれもすこしズレている。だってそういう人はあんなにも素直に笑わない」

 

 

 しかし、そんな人間ですら平穏の悪魔は多く見てきた。

 

 そのような傷ついた人間こそ、自分に敵意を見せながらも離れられず、最後にその柔らかな中身を自分にさらけ出すのだと、平穏の悪魔は目の端で彼女を捉えながら考えた。

 

 

「……もしかしてその両方だったのかもね、最近そんな人に会ったなぁ、平穏を知らず、受け取らず、理性で拒絶する鉄の頭の持ち主、……あるいは――」

 

 

 二種類の人間と言いながら、結局それは平穏の悪魔からみた視点の話。

 

 それ以外の分類不能、つまり理外の外の人間(頭のネジが外れたヤツ)がいることも平穏の悪魔は理解していた。

 

 

「そうだとしたら本当に悲しいね」

 

 

 首を振る平穏の悪魔の表情だけは、本当に人のために心を痛めている善人のそれだった。

 

 

「それでも、君のやることは変わらない、そんな心の壁も棘も解決するのは時間さ」

 

 

 そういいながらも平穏の悪魔は焦りで身を焦がす彼女の表情をチラリと見た。

 

 

「軽はずみな行動は取らない方が良い、言えるのはそれくらいだね」

 

 

 俯く少女の顔は悪魔には伺い知れない。

 

 先に崩れるのはデンジではなく彼女かもしれない。

 

 

 そう案じながらも悪魔に出来ることはなく、いつも平穏に手を伸ばしながらそれを握りつぶしてしまう人間の業にため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 レゼはデンジと時を過ごした。

 

 デンジを幸せにすると言いながらもその生活はレゼにとっても放しがたい幸福な生活。

 

 朝は好きな人の寝息で目を覚まし、昼は陽の下で他愛もない話をし、夜は何も起きないことを幸せだと思いながら眠りに入る。

 

 明日が今日と同じであってほしいと、心から願える日々。

 

 

「……まだだね、まだ彼は平穏を受け入れてない」

 

 

 だが、それでもデンジは平穏に沈まない。

 

 

 レゼは自分がこんなにもこの生活にどっぷりと沈み、この掛け替えのない今を失うことは耐えられないと全身で感じているというのに、同じ気持ちを抱かないデンジに心を焦がした。

 

 

 彼女の目の前には常に幸せそうに笑う少年の笑顔

 

 

 だというのに彼は自分とは違う、この平穏が崩れた時でさえ平気な顔で彼はどこかへ歩き出せてしまうのだろうとレゼは長い時を一緒に過ごして理解しはじめる。

 

 

 彼は“何処”あろうと幸せになれる。

 

 ――おそらく、それは、きっと“誰”が横にいても

 

 

 それに気づいた彼女の緑の瞳がわずかに濁る。

 

 彼の笑顔を映すたびに、その深い緑は少しずつ濃くなっていった。

 

 

 

 

 

 だからこそ、デンジとレゼ、この二人のすれ違いが起きるのは必然であった。

 

 

 

 

 

 

「ねぇデンジ君? 今日は楽しかった?」

 

「レゼよぉ、何回も言ってるけどオレは毎日がハッピーだぜ?」

 

 

 

 浜辺でくつろぐ二人。

 

 そういえばこんなに綺麗な海があるのに泳いでいなかったと話したのは昨日の夜。

 

 その次の日、海の家に売られているいくつかの水着を試着してデンジに見せた後、レゼは本命の水着を持って海水浴に挑んだ。

 

 初めから悩殺されていたデンジを揶揄い、波打ち際で恋人同士の時間を楽しんだ後、遊び疲れた二人は誰もいない砂浜の上で座り込んで海を眺めていた。

 

 

「こんな美女が隣にいて不幸せなんて言うヤツがいたらウソだろ」

 

「えー、デンジ君、美女だったらなんでもいいのー?」

 

「一番はレゼだぜ?」

 

「むっ、なんか最近のデンジ君こなれてきてちょっとムカつくかも……、もっと前みたいにタジタジに照れてた時の方が可愛かったのに……」

 

「えー?」

 

 

 デンジはパレオがついた黒いビキニを身にまとうレゼを横目で見た。

 

 

 胸元の豊かな丸みを包む黒いビキニからのぞく白い肌は水を弾いて輝き、花のような貞淑でささやかなつぼみにも見えるパレオから伸びる足はあまりにも煽情的過ぎた。

 

 そんな美女が自分を見て微笑んでくれている。

 

 

 これで幸せじゃないのは嘘だろうとデンジはレゼを見返した。

 

 

 

「なんかよーずっと夏ってのも悪くねぇ、基本薄着になるし、外で寝ても風邪ひかねぇしな」

 

「……デンジ君この夏が終わらないって気づいてたんだ」

 

「えっ、いやそりゃ気付くだろ」

 

 

 具体的な季節をカレンダーや時計ではなく肌で感じる生活を過去に送ってきたデンジである。

 

 実のところそれに気づいていたのはレゼとほぼ同じタイミングであった。

 

 

「なんで言わなかったの?」

 

「べつに困ってなかったから?」

 

「――ぷっ、フフッ、アハ! アハハハハハ!!」

 

「そんな笑うかぁ? 冬来る前に色々準備しねぇと死ぬし滅茶苦茶大事だろ?」

 

 

 

 それを聞いたレゼはさらに大笑いする。

 

 しばらく笑い、ようやくレゼが落ち着いた時、彼女は先ほどの大笑いから一転した静かな声でデンジに問いかけた。

 

 

「……デンジ君のさ、そういう考えない所すごい好きだよ」

 

「マジ? そりゃメチャクチャ助かるなぁ、オレぁ考えるの苦手だし」

 

「そんな君だから、なんかほっとけないし、私と逃げようとなんて決めてくれて、逃げてる時もビックリするくらいおバカでポジティブ」

 

「嬉しいこと言ってくれんじゃねぇの」

 

「おまけに皮肉もきかないし……」

 

 

 寂しそうな目を伏せるレゼを見て、デンジはレゼの表情の変化をかぎ分ける。

 

 どうやらこれは時々あるそういう時のレゼだとデンジは理解した。

 

 ふと見せる疲れた顔、いつかの浜辺でみた取り繕うことを辞めたあの表情。

 

 逃亡生活中で切羽詰まった時、あるいは何でもないふと体を休めている時、こんな表情をしていたとデンジは無意識のうちに理解する。

 

 

 デンジは馬鹿だが愚かではない。

 

 

 彼にその自覚はないが、本能的には人の表情を見分ける鋭い感覚を持っている。

 

 ただその情緒の幼さゆえにどう接するべきか分からず、そういったことを考えることも避けてきた。

 

 だからこういう時、デンジは何も言わずにレゼの傍にそっと近づいて海を眺めた。

 

 

 デンジの手がレゼの手に触れると、彼女のこわばりが僅かに緩む。

 

 

「……デンジ君って本当に犬みたい、おバカなくせに勘は良いよね」

 

 

 しばらくしてポツリと彼女は言葉を零す。

 

 

「ねぇ、デンジ君って今幸せ? 私が隣で本当にいいと思ってる?」

 

「あたりまえだろ」

 

「例えば私がどこかに消えたら、デンジ君は一生悲しんでくれるかな? ずっと私を好きでいてくれる?」

 

「えっ、えぇ~、なんだよその質問、めちゃくちゃ考えたくねぇよそんなこと……」

 

「答えて」

 

 

 有無を言わせないレゼの言葉にデンジは渋々と答える。

 

 

「こんなかわいい彼女だぜ? ずっと一緒にいてぇに決まってるじゃん」

 

 

 レゼはデンジの言葉を心で繰り返し唱えながら噛み締める。

 

 

「そう……」

 

 

 言葉程度の約束であってもレゼはデンジに“自分の次なんてない”と“自分が彼にとって何より特別だと” そうデンジに言って欲しかった。

 

 理不尽であることはレゼも分かっている。

 

 だがその一言がどうしても彼女はそれを望んでしまう。

 

 レゼはデンジに問いかけるこの言葉全てが不条理な質問であると分かりながらも、今まで膨らんできた感情が抑えられなくなっているのを感じ始める。

 

 

「ふふ……、デンジ君、じゃあやっぱり私よりかわいい人がいたらそっちに行っちゃうんだ」

 

「だから、そんなわけ――」

 

 

 答えようとしたデンジは、しかしレゼの刺すような目に縫い留められる。

 

 

「嘘つき……」

 

 

 彼を見る彼女の緑色の目はまるで薄い膜が降りていることにデンジは気づく。

 

 

「デンジ君はやさしいなぁ……、君は私が好きでしょ?」

 

「そうだよ」

 

「それは君が単純でよく考えないから、多分だけど、きっとかわいい女の子なら君は誰でもよかったんじゃない?」

 

「……だからちげぇよ、もっと、こう……、色々あるよ」

 

 

 それは違うと否定したかったデンジであるが、レゼが美人だから心惹かれたことも事実である。

 

 デンジはレゼが特別だと思いながらも、己の気持ちを言語化できる手段を持っていなかった。

 

 

 そんなデンジをみて、レゼは薄く笑う。

 

 

 

「私はね、デンジ君じゃないとダメだった。でも君はそうじゃない、きっと私がいなくても笑えちゃう」

 

「んなことねぇよ、……なぁレゼ、なんか……、なんかあんの? 最近疲れてるのか?」

 

 

 デンジは分かっていた。

 

 自分を笑顔にしようとしているレゼの表情の綻びを知っていた。

 

 それに気づいても深く考えずにただ今を楽しむ選択肢を取った。

 

 そうすればレゼもほんの少しだけ安心した表情を浮かべるから。

 

 

 

「夏祭りの時……、覚えてる? 君と逃げようとしたら断った……、あの時はショックだったなぁ……」

 

 

 なんとなく、今のレゼをこのままにしておいてはいけない、そう感じたデンジは握った彼女の手に力を籠めようとする。

 

 それを見たレゼは微笑み。

 

 

 ――次の瞬間デンジの天地がクルリとひっくり返る。

 

 

「あ?」

 

 

 デンジが、自分が押し倒されていると気づいたのは上半身にレゼの柔らかい太ももの重みが乗っていることに気づいた時だった。

 

 

 

「ハハ、あの時はさぁ……君のことを知れば知る程自分と同じだと思ってた。酷い過去で、そこから這い出しても自由は無くて……」

 

「いや待ってく――」

 

 

 デンジが口を開こうとした時、その口内に温かく湿ったモノが押し込まれる。

 

 デンジは支配的なその口内を暴れる熱い動きを黙って感じることしかできない。

 

 

「んはぁ……、でもね、君は違った。そんな風なのに、道具みたいにひどい事一杯されたのに……、それは君も同じなのに……、君は私と違った」

 

「レゼだって――」

 

「黙って」

 

 

 再度押し込まれるレゼの舌。

 

 自由に動かすことは許さずにデンジの合間の呼吸をすべて奪う勢いで溶かした。

 

 

「はぁ……! おかしいよ、私は道具になったのに、なんでそんな平気な顔して笑えるの? 幸せそうに生きれるの? なんで? なんで私と一緒に沈んでくれないの!?」

 

 

 疑問をぶつけるレゼはこちらの返答など聞く気はないのだとデンジは気づいた。

 

 

「……デンジ君って本当は私のこと好きじゃないでしょ?」

 

「好きだよ、めちゃくちゃ好きだって……!」

 

「私が君に都合が良くて、顔が良いから好きなだけ……」

 

「んなことねぇって! いやツラは最高だけど!」

 

 

 デンジの言葉に彼を掴むレゼの腕がだらりと垂れる。

 

 

「レゼ?」

 

「デンジ君……、まだ叶えてない夢があるでしょ、一番君がしたいこと」

 

「……えっ?」

 

 

 レゼの臀部が緩やかにデンジの腹から腰に這う感触。

 

 あおむけに倒れるデンジに対して腰を突き出したレゼの顔が彼の真正面に据えられる。 

 

 デンジの胸板に心臓が響きあう程にレゼの胸が押し付けられた。

 

 

「別にいいよ、ここでしちゃお? 私、君の為なら何でもしてあげる……」

 

「えっ、えっ、エッー……!? そりゃ最こ……! い、いや待てって」

 

 

 デンジは自身の単細胞さを恨んだ。

 

 

 先ほどレゼを何とかしなければと考えていた自分が今はもうナニをシようとしか思えない。

 

 ここ最近のレゼは何かが変だとデンジは気づいていた。

 

 きっと自分はそれを聞き出して何とかしなければいけない。

 

 そう思っていた彼の理性は腰の中心を脈動する本能に吸い上げられ、デンジの決壊は秒読みであった。

 

 

「た、タンマ!!」

 

 

 恐らくこの数秒、この数秒で何とかしなければならないと、下半身に集まりだす血流をなんとか脳に回し彼は口を開く。

 

 

「シてぇけど……! なんかよくねェ!!」

 

「どっちなの?」

 

 

 デンジは歯を食いしばりながらなんとか言葉を吐き出す。

 

 

「今のレゼわかんねぇ……! オレバカだけど、バカだけどレゼんこと話してくれよ……! オレぁどうせなら気持ちよくエッチがしてぇよ!!」

 

 

 デンジの言葉にレゼはほんの少しだけ瞳を揺らし、その動きを止める。

 

 自分のことを知りたい、それはデンジが初めてレゼに見せた彼の意思、その言葉に胸がうずいたレゼは辛そうに歯を食いしばるデンジの胸を撫でた。

 

 

「……そうだよね、ごめんデンジ君」

 

 

 一瞬だけ我に返ったように力なく呟くレゼ、その僅かな隙をついてデンジは必死に説得する。

 

 

「お、オレ、レゼのことは好きだぜ、好きだけど……」

 

 

 だがしかし、デンジの発した次の言葉がレゼにとって致命的で決定的だった。

 

 

「いや、メチャクチャえっちはしたいから、それはマジだよ、何ならオレもう後悔してるし……で、でも、エ、エッチなことはお互いのことを良く知ってからするからき、気もちくて……、」

 

 

 相手のことを良く知ってから

 

 デンジの話す言葉を聞いた瞬間、レゼはデンジに顔を寄せる。

 

 

「――それがデンジ君の本音? 私のこと知りたいって?」

 

「そ、そうだよ」

 

 

 いまだにレゼの顔はデンジに触れかねないほど近い、興奮と正気の合間に揺れ動くデンジは必死にかけ無しの理性を握りしめていた。

 

 

 

「前も思ってたけどさ、デンジ君、そのエッチは互いのことを良く知った方が気持ちいって言葉……、デンジ君の言葉じゃないよね? 誰の言葉?」

 

 

 デンジの瞳を覗く、まつ毛の先一本すらピクリとも動かない眼

 

 それを見た時、デンジはあれ程膨らんでいた興奮が破裂し萎んでいくのを感じた。

 

 

「欲望丸出しのデンジ君がそんな難しい事考えられるわけないよね? あー分かった……、女の人でしょ?」

 

「いや、その、えー」

 

「瞳孔開いた。目線も右上、驚いて私に言い訳考えてるんだ」

 

 

 これ以上の嘘は許さない、泳ぎ出すデンジの目前で、レゼの目はデンジの眼球を凝視していた。

 

 

「正直に言って? 女?」

 

「いやっ、それは―― っスゥ……、じょ、女性です」

 

 

 全く動いていないというのにレゼの目の温度が下がったのをデンジは感じた。

 

 

「……そうなんだ? 私が知ってる人?」

 

 

 これ以上はヤバい、これを知られたら恐らく絶対にヤバい。

 

 デンジの脳内に悪魔に切り刻まれた時よりもはるかに激しい警鐘が鳴らされた。

 

 

「そうなんだ……、じゃあマキマ? ――そうなんだ。へぇ……、どうなの? ちゃんと答えてよ」

 

 

 もはや驚きはしない、方法は分からないが初めから全て知った上で自分に問いかけているのではないかと思う程、デンジの隠し事など無意味であった。

 

 知らないうちに証拠は全て詰みあがっているらしい。

 

 それに気づいたデンジは弱弱しく肯定の自白を口から出すしかなかった。

 

 

「……やっぱりマキマなんだ」

 

 

 至近距離にあるレゼの瞼が痙攣するようにヒクつきだす。

 

 

 ――怖い、死ぬほど怖い、こんなに恐ろしいと感じたのは初めてだ。

 

 

 初めから知っているならばデンジ自身の告白で、その怒りは今のモノを超えるはずはない、そんな愚かで甘い考えは初めから無かったのだとデンジは悟る。

 

 それは怒りということさえ生易しい、デンジは人生でこれまで感じたことのない恐怖を今まさに感じていた。

 

 

「……デンジ君、いつも考えないようにしてるから、私の過去のこととか何も聞かなかったのに……」

 

「は、ハイ……」

 

「それが初めて私のこと知りたいって言われて少し喜んだら何? 他の女……、しかも自分じゃなくてマキマの受け売りで私に話してきたの……?」

 

「いや、つい思い浮かんだだけで……」

 

「言い訳は聞いてない」

 

「ハイ……」

 

 

 デンジの脳を埋め尽くす疑問。

 

 ――どうすればいい? これは一体どうすればいいんだ?

 

 デンジの脳内はかつてない危機に全力で頭を回転させるが、理性と本能が首を横に振ってお前に何もできることはないと冷酷に告げていた。

 

 

「優しいけど無関心……、君ってさ、そういうところがあるよね」

 

 

 彼女の体温が離れていく。

 

 引き留めるやり方も引き留めていいのかすらもデンジには分からなかった。

 

 

 

 

「デンジ君はさ、結局どうでも良いんでしょ? 」

 

 

 

 

 砂を踏む音がデンジから離れていく、完全に人の気配がなくなった砂浜でデンジは茫然自失のまま倒れ込んでいた。

 

 

 

「なぁポチタ、オレぁバカだからさぁ……、最近幸せだけどそのせいで全部パーになっちまうかもってちょっと心配だったんだけどよぉ……」

 

 

 

 どこで間違えたのか、デンジには薄ぼんやり思い当たることがあるが、それが本当に正しいか分からない。

 

 

「思ったとおりだぜ、自分で考えねぇせいでヤベェことになっちまった」

 

 

 なんとなく感じていた違和感を無視していたらこのざまになったとデンジは思う。

 

 そこに筋道を立てた理由を付けられない、その自分の人間性の薄さにデンジは苛立った。

 

 

「ケンカ? たぶんこれケンカってやつかぁ? やべーぞポチタ、今回のこれは戦って仲直りとはいかねぇみてぇだ……」

 

 

 おそらくこれは自分が今まで考えないようにしていたことを考えなければいけない、そう本能で悟ったデンジは飼い主に見放された大型犬のように丸まっていた。

 




本日より最終話まで連日19時ごろ投稿
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。