日光に弱い、にんにくに弱い、十字架に弱い、銀のナイフに弱い……etc。
だが、その全てを克服した吸血鬼がいた。人知れず、ひっそりと現代社会に紛れ込む。
そんな折、一人の少女がその化物に声をかける。
「今日、一緒に帰らない?」
黒い感情を渦巻かせているその瞳は、彼女の正体を物語っているようで──
吸血鬼と人間が紡ぐ、正真正銘人になるための物語。
いろいろ矛盾してるとことか、ジャンルが急に変わったりしてるけど面白いからいいかな、と。誤字があればそれは推敲不足デス。
皿に乗せられた一枚のステーキ。分厚く、表面の焦げ色が食欲をそそる。滲み出る赤っぽい肉汁はこのステーキの焼き加減を表しているようで、思わず涎垂してしまう。ソースやパセリで彩られたそのステーキにナイフをいれ、切り、口に運ぶ。待ちきれないというように、テンポよく。
「うむ、僕も料理の腕が上がったかな」
唇に付着したソースを舐め取り、次に次にと肉を食べて、そのまま平らげる。
「やはり、
これは一匹の吸血鬼の物語。
□□□
市の端のほうにある、田舎の公立高校。広い校庭と大きな校舎が目立つ。二年三組。その教室に、吸血鬼は潜んでいた。
「はー……次のご飯どうしよ」
日光に弱い。十字架に弱い。にんにくに弱い。銀の弾丸に弱い。流水に弱い。馬の蹄鉄に弱い。鏡に姿が映らない。色々な弱点があるが、その吸血鬼はそれらすべてをほぼ克服していた。というよりも、あまりにも血が濃いゆえの再生力で弱点をすべてねじ伏せることができた。日光に焼けても即座に皮膚が修復する。十字架やにんにく、銀の弾丸流水馬の蹄鉄も同様だ。もともと持っている能力が強力すぎて大した弱点とも言えない。唯一、鏡には映らないが。
そして──男女問わずの美しい容姿。
……と言いたいところだが、その吸血鬼は絶世の、とは言えない程度の容姿であった。男にしては長めの黒髪。ストレートの、さらさらと音がなりそうな細い髪。フチの細い丸メガネをかけていて、印象がそちらに引っ張られる。そして、薄く赤く色づいた唇。美しい、といえば美しいのだが、うまく隠されているといえばよいだろうか。毛量が多くて長い髪は野暮ったいし、メガネもやたらと度が高くて分厚いレンズのせいで目がとても小さく見える。意図的にそうしているのではないのか、と思いたくなるほどだった。おそらく、擬態のためであろう。注目されれば、この監視社会でいつ正体が看破されるのかわかったものではない。
「ねぇ」
その吸血鬼に声をかけたのは、一人の少女。隣の席に座っている、可愛らしいくりくりとした印象の子。丸い目と少しウェーブのかかった髪が柔らかそうなイメージを与える。
「その本、何読んでるの?」
指さしたのは、吸血鬼の持っているライトノベルだった。タイトルは『恋愛少女は夢をみるのか?』だ。どこぞの元祖SF小説を彷彿とさせるタイトルだが、内容はラブコメだ。血が出るものを読んでしまうと食欲を刺激されるために意図的に避けているらしい。典型的な、男女二人の恋愛を綴るライトノベル。ネット小説が出身のものだ。
「ラブコメの……ラノベかな」隠すわけでもなく、吸血鬼は正直に答えた。
「面白いんだ?」
「まぁまぁ」
「え、まぁまぁなの?」
「暇だから読んでるだけって感じだから。文庫本とかの純小説っぽいのでもいいんだけど、それだと血が出るのが多いから」
不思議そうに、少女は吸血鬼を見た。彼女が見つめているものが、人の形をした化け物とはつゆほども知らずに。
「血、苦手なんだ? 私も苦手。怖いから、見るのもヤだ」
今度は吸血鬼のほうが少女を不思議そうな目で見た。血は、生命の源だ。大好物だ。それを嫌いと言い張るとは──そういいたげだ。ライトノベルを閉じると、吸血鬼は少女をじっと見つめた。まさしく、スーパーに並んでいる肉を見るような目だ。どれが美味しそうか、どれが歯ごたえがありそうか。焼いたらどんな料理になるのか、煮ればどんな料理になるのか。
「な、なに……?」
「ごめん。ちょっと、目が悪くて」
「そのメガネ、だいぶ度が強そうだけど」
「だね」
「なのに目が悪いんだ」
「元々がめちゃくちゃ目、悪いからね」
吸血鬼は、自ら角膜を損傷させあえて回復させないことでメガネの度の方に視力を合わせていた。無論、眼球を再生させれば視力はもとに戻る。すべてを健全な状態に保つのが、吸血鬼の再生力だ。
「ねぇねぇ」
少女はまたも興味津々に吸血鬼に問いかける。
「吸血鬼──って、信じる?」
「……急に、どうしたの」
平坦な声で吸血鬼は答えた。
──ヴァンパイアハンター。日本であるここなら、吸血鬼狩りと言ったほうがいいのかもしれない。架空の存在と思われている吸血鬼が現代に残っているように、吸血鬼狩りも現代に残っている。今なお残る禍根だ。ボロを出せば、残る吸血鬼狩りたちの総力をもって叩き潰されるだろう。
「いや? 最近話題になってるんだよ。若い女の子ばかりが失踪しているらしくて」
「誘拐犯も、男よりは女のほうが良いんじゃない?」
「警察も全く足取りが掴めないらしくってさ、もしかしたら、吸血鬼の仕業じゃないのかって噂になってるの」
「小学生ならまだしも高校生にもなってそんな子供だましの噂を聞くことになるとは思わなかったよ。びっくりだ」
こいつは、吸血鬼狩りだ。
その吸血鬼は、直感で理解した。見た目こそ可愛らしい一人の少女でしかないが、その目に宿っているのは隠しきれていない歪んだ感情。瞳孔がどす黒くて揺らめいたシミみたいに、彼女の眼球の中の吸血鬼は歪んで見えている。一人の少年として捉えていない。まさに捕食者とも呼べるような、野性的な──
「でも、失踪は本当でしょ? だから、きみにお願いがあって」
「……僕にできる範囲でなら」
「今日、一緒に帰らない?」
□□□
静かな時間が流れていた。およそ高校生の男女が下校しているとは思えないほどに。静か、というよりも殺伐としているといったほうが正しいかもしれない。お互いに一切の言葉をかわさない。どちらも理解している。だからこその沈黙。相手は吸血鬼。相手は吸血鬼狩り。吸血鬼はそのことを知っている。吸血鬼狩りはそのことを知っている。
「あっぢぃぃぃい……」
その静寂を破ったのは、吸血鬼の方だった。
「随分、厚着だね」
「陽の光が嫌いだからね」
暑さのピークが過ぎたとはいえ、まだ残暑の厳しい季節。冬を思わせるような吸血鬼の服装は見ているだけで暑くなる。滴る汗は眼鏡のレンズに乗っていた。跡を残しながら垂れ落ちて、地面で弾ける。
「なんでわかった」
吸血鬼の声は平坦だった。天敵たる吸血鬼狩りを眼の前にして、一切の焦りを見せない。少女も同様だ。一切の焦りを見せない。彼女も、まるで本当に同じ同世代の人間と下校しているかのようにゆるやかな足取り。一切、害意が感じられない。
「うーん、そりゃ、最初はわからなかったよ。そもそも、日中に吸血鬼が出歩くなんて前代未聞だしね」
「だからわからない。なんでわかったのか」
陸を魚が歩いているようなものだ、と吸血鬼は言った。陸に魚が歩いているように見えたとして、常人なら勘違いとして処理される。正体見たり枯れ尾花。打ち上げられた魚がそう見えたか、釣り人が持っていた魚が歩いているように見えたか。まさか本当に陸を歩いているという妄想をきちんと考慮するやつはまずいない。
「いやぁ、でも、何となく分かるものだよ。私は、あなたと同じだから」
「何が」
「あなた、特別でしょ」
吸血鬼なのに、日中でも出歩ける。弱点の殆どを克服していて、実質退治されることもない。吸血鬼狩りが何人現れようが、恐るるに足らない。吸血鬼の中でも特別。いや格別。だが、だからこそ──
「吸血鬼の気配がわかりやすい」
「気配なんて、そんなものあるのか」
「私は特別だからね。吸血鬼狩りの一族の中でも、特別に
「人造人間?」
どんな味だろうか、と吸血鬼は舌なめずりをする。
「あはは、違うよ。そういうふうに教育されてるの。才能があったから、それを最大限引き出せるように教育された。そして、あらゆる吸血鬼を殺すように洗脳された。毎日毎日、ぷちぷち減らしてるの」
緩衝材を潰す動作をしながら、少女は笑っていた。
「でもね、別に私っていらないんだよ。吸血鬼はそこまで強くない。簡単に殺せちゃうから、私なんていなくてもやっていける」
傲慢な悩みだ。一体、どれだけの人間が吸血鬼に食われてきたのか。吸血鬼一匹を仕留めるのに、どれだけの犠牲を払うのか。理解できないのだ、彼女は。特別故に常人の感性など理解ができない。その点では、彼女も──
「悲観的だなぁ。人生に飽きたの?」
「疲れたの。あれやれこれやれ。吸血鬼を殺せ殺せ殺せ殺せ……」
段々と、声がかすれていく。うんざりしている──のに、顔は笑っている。そういうふうに作られているのか。
「私の、存在意義がないの。私じゃなくても吸血鬼なんて殺せるのにね」
「存在意義なんて、探すものじゃないでしょ。むしろ、邪魔なものだ」
「長生きしてる人の思考は私には合わないね」
いつの間にか、少女は彼の正面に立っていた。
「そろそろ日が落ちる。いくらあなたが特別とはいえ、日が出ているうちは本調子で戦えないでしょう。日が落ちたら、それを合図に」
「やり合おうってことだな。断る。僕は戦いが嫌いだ」
「殺されちゃうよ」
「……そもそも、僕は悪い吸血鬼じゃない。人間と違って、食事は年に数回で事足りる。それに、僕は感謝しているから悪くない。感謝して、丹精込めて調理して、美味しく残さず食べてる。それでいいじゃないか」
「やだ。私と殺し合おう」
その言葉は、妙に力強かった。彼女の目の奥には、やはり黒ずんだシミが見えるような気がする。それがにじみ出てきて瞳孔を作っているみたいに。なんとなく、吸血鬼はその真意を察していた。
「殉職したいのか」
「うん」
身の丈以上の力を持って、吸血鬼を始末し続けた。結論が、『吸血鬼は弱いので私はいらない』だ。自分から存在意義を放棄して、自分から死を望んでいる。生きる活力を見いだせないのだろう。吸血鬼狩りの使命を背負わされて、それに従って一生を終える。そういう未来を垣間見たから。
だから、その吸血鬼は彼女の希望なのだ。想定以上に強ければ殉職できる。長年の呪いとも呼べる吸血鬼狩りの使命から解き放たれる。願いが、叶う。その可能性が、最も高い個体がその吸血鬼だ。弱点が弱点として機能しない、特別な吸血鬼。死への渇望が、満たされる。
「恥じたほうがいいぜ、その根性。死にたいのに殺し合いをするのか。大人しく殺されれば良いものを」
「言ったでしょ、私は戦うように教育されてるの。そういうふうにできてるから、逆らえない。だから、私は戦って死ぬしかない」
影が伸びる。じわじわと伸びて、空の暗さと同化し始める。影の輪郭は曖昧に。コンクリートからは熱が奪われる。どちらも構えない。人の気配がない。少女による人払いが済まされているらしい。何かの術か。音が、やかましい。虫が鳴き始めた。やけに、大きく聞こえる。太陽が──消える。ほんの少し。点にも満たない小さな光。黄金色の、横一文字に光が漏れている。それが、山の向こうに──
逢魔が時は、無慈悲に夜を落としてくる。鮮やかな色が消える。艶やかな色が増える。夕焼けよりも黄昏よりも赤い紅い鮮血。それは、吸血鬼の足から吹き出ていた。皮膚がボロボロに。肉もぐちゃぐちゃに。おそらく骨も無事じゃない。だが、即座に再生させる。
「へぇ、早いな」
直前、吸血鬼が逃走のために走り出した。それを、足への攻撃によって少女が止めた。吸血鬼狩りが使うような武器じゃない。十字架でも銀の弾丸でもナイフでもにんにくでもない。槍だ。身長よりも大きい槍。銀色に光るそれは、吸血鬼への特効を示している。通常の吸血鬼なら、一撃でも突き刺されば致命的なダメージになるだろう。穂先にくくりつけられた鮮やかで青いリボンは、夜の闇でも静かに主張している。
「長物は不利だと思うが」
「吸血鬼に接近戦を許すつもりはないから。それに、これは折りたたみ式だからね。詰められたとしてもバラせば穂先をナイフとして使える」
「はは、槍も折りたたみになる時代なのか」
少女は、ゆっくりと距離を詰め始めた。吸血鬼は一歩も退かない。そのまま迎撃するつもりか。
「一つ、取引をしたい」
「なに? 殺し合い以外は応じないけど」
「僕がきみに存在意義を与えよう。その代わり、僕を見逃せ。僕は、戦いたくない」
「存在意義を与えるというのなら、私を殺しに来てよ」
「あぁ、だから」
景色が歪んだ。まるで、周りの色をすべて巻き込みながら突っ走ったみたいに、吸血鬼から少女の方へ色の歪みが伸びたように錯覚する。少女は、巻き込まれる。その色にぐちゃぐちゃにされて、地面へ叩きつけられる。銀の槍は折れ、青のリボンは解けて宙を舞う。
「僕が戦うのはこれきりだ」
吸血鬼は、仰向けになる少女を覗き込んだ。
「どうだ、この取引、呑んでくれるか」
「……全く見えなかった。何をしたの」
「組み伏せた」
「私を食べないの」
「不味そうだ」
あはは、と少女は笑った。吸血鬼の目をじっと見つめている。いつの間にかメガネが無い。戦闘の際に角膜を完治させたか。
「きれいな目してるね」
「吸血鬼だからな、僕は」
少女は散らばる槍を手で探る。穂先らしきものを見つけると、握りしめて吸血鬼の喉元を狙った。即座に腕を捕まれ、掌底で穂先を粉々に破壊される。吸血鬼の弱点が銀の武器というのは何だったのか。一切、効いているように見られない。まさしく特別。最強の吸血鬼。
だが、だからこそそれは意味を持つ。それだけの強さを持っているからこそ少女の存在意義としてたり得る。特別ゆえ、あまりにも強すぎるがゆえに存在意義を問うた少女は、自分でなければ万に一つも勝利できない相手が現れた。
「……悪いけど、取引は呑めない。私は、私の存在意義を見つけた。いつか、私があなたを殺すから」
「そうか」
「だから、一緒に住もう」
「は?」
わけが分からず、吸血鬼は目を見開いていた。
「今度は私からの取引。この現代社会で、
「……おいそれ、まさか、家にいたくないから僕のところに逃げてくるつもりじゃ」
「ハイ決定ね」
これは、一匹の吸血鬼と一人の人間の物語。
□□□
翌朝。日が昇ると同時に吸血鬼と少女は目を覚ます。夜に眠るという特性はどこへやら、まるで人間かのような生活習慣に少女はくすりと笑った。
彼女が彼女の家から越してくるのはすぐだった。昨晩の戦いのあと、すぐに家へと帰り報告。強力な吸血鬼を退治するためにしばらく遠征する意思を示した。結果として今に至るわけだが。
「料理はちゃんと人間用のがでてくるんだね」
毛量ゆえに、ボサボサの髪で調理を終えた吸血鬼は、これまたボサボサの髪の少女へと料理を出す。至って健康的な白米と味噌汁、そして惣菜だ。
「人肉でも食べたかったか?」
「冗談。まぁ、ウミガメのスープかもしれないから警戒はしておくけどね」
「あの話のシェフも吸血鬼だったのかもな」
今朝もその吸血鬼はメガネをかけていない。髪も邪魔だからか後ろで一つに束ね始めた。ヘアゴムで縛ると、顔だけでは男女の区別がつかなくなりそうだ。夜のような黒い髪に、血染めの月を連想させる赤い瞳。紛れもなく美しい、吸血鬼らしい容姿だった。「そっちのほうが良いのに」と寝ぼけ眼と回らない舌で少女がぼやいたが、吸血鬼はそれを無視する。
「アレだけ強いのに、なんで戦うのが嫌いなの?」と、藪から棒に少女が問うた。
「牛肉は好きかい」吸血鬼は、質問で返した。
「好きだけど」
「じゃあ、牛肉を食べようと思ったら、どうやって手に入れる」
「買う一択でしょ」
「闘牛と戦って肉を手に入れようとはしないのか? 野原を駆け回って乳牛を狩ろうとはしないのか?」
「……なるほどね、そりゃ、戦いが嫌いなわけだ」
食事をするのに戦いや争いを必要とするのか。そうでなくても、人間は好き好んで争うのか。存在意義を求めて──あるいは一家の教育によってそう仕込まれている少女ならまだしも、常人はそこまで血に飢えているわけではない。衝突が少ないのなら、それに越したことはない。
出てきた料理を一口食べると、大げさに「美味しいっ!」と少女が口にした。
「普通の食事だと思うが」
吸血鬼が普通を語るのか。
「私はもっと殺伐としたのを食べてたからね。よくわからない棒状のなにか。栄養はあるみたいだけどよくわからないや」
「牛肉が好物だったんじゃなかったのか」
「昔、一度だけ客人用のをつまみ食いしたの」
「……そう」
吸血鬼は少女の対面に座る。食事は摂らないらしい。少女がそのことについて指摘すると「僕は少食なんだ」とだけ返ってきた。能力の強さに反して、燃費が良いのかもしれない。あるいは人間の栄養価が高すぎるのか。それこそ、少女が一家で出されている例の食事よりもずっと。
「それにしても意外だったな」
「何がだ」
「まさか本当に家に泊めてくれるとはね」
「……本当は断りたかったとも。けどまぁ、人間を僕の家に泊めるのはこれが初めてじゃないからね」
少女が食事を摂るのを眺めながら、吸血鬼はぽそぽそと語り始めた。「長生きをしていると思考や感情が凝り固まってくるからね。新鮮な反応を取り入れるべきだと僕は考えてるんだよ」と、持論を語る。この化け物にとって、人間を家に泊めることはペットを飼うのと大差ないのだろう。実際、何人もが彼の家で暮らして何人もが彼の家で息を引き取ったらしい。少女は食べ物を咀嚼するのでいそがしかったからか、吸血鬼の話をやけに真剣に聞いていた。
「息を引き取ったって、あなたが食べたの?」
「いいや、寿命だよ。僕にとってはペット兼非常食だったから。よほどのことがない限りペットに手は出さないさ。……むしろ、きみのほうが意外だ。あれだけ吸血鬼狩り一家の洗脳教育を受けていながら、吸血鬼と仲良く暮らすつもりか」
「んー? どうなんだろう。”普通”なら私みたいに存在意義を求めたりしないし。もしかしたら、私は他の兄弟よりも洗脳が薄いのかもね。そういう意味でも”特別”ってわけだ」
兄弟──兄や弟だけでもないだろう。姉や妹も。男女問わず、吸血鬼を根絶やしにするために子を成して殺戮兵器に仕立て上げるとは。ありきたりでありがちな話だが、実際目の当たりにすると薄気味悪いものである。眉を潜めながら、吸血鬼は机を軽く叩いた。
「くだらないな。せっかく人間に生まれたんだから、人間らしくさせてやればいいのに」
「吸血鬼が人間らしさを語るんだ」
「僕にだって、人間の時代はあったさ」
少女はすぐに思い当たる。眷属化だ。吸血鬼が食事以外で、意思を持って、対象の血を吸うことで眷属になる。自分が強く眷属にしたいと願わなければできない。つまり、この元人間の吸血鬼は、大昔にまた別の吸血鬼に気に入られたからこそ今化け物として現代まで残っている。眷属という形で。その吸血鬼は言っていた。これまでに、何度か人間を招き入れたことがあると。それならば、その何人かのうちの一人を眷属にしたことがあるのだろうか。もしあったとして、その時何を思っていたのか。人間から化け物になった者が、人間を化け物にするときは──一体、どんな気持ちで血をすするのか。
□□□
少女が吸血鬼の家で暮らし始めてから一ヶ月半ほどが経過した。吸血鬼が彼女に居場所を提供して、時折彼女が吸血鬼を殺そうとする日々。いつも、彼女の策は彼に通じなくて返り討ちにあっている。勝負に負けた日は少女の嫌いなものが夕食に出るルールだ。味気のない兵糧のようなものをずっと食べていた彼女にとって、その罰は罰にもならないわけだが。
ある夜、少女は物音で目を覚ます。およそ現代には似つかわしくない戦闘訓練によって研ぎ澄まされた聴覚。寝起きにもかかわらず、警戒を強め、階上から玄関を見下ろす。吸血鬼が、一人の人間を連れていた。大切そうに抱え、その腕の中でその人は眠っていた。若い少女。ともすれば、吸血鬼狩りの彼女とそう大差ない年齢。吸血鬼と、目があった。
「ん、あぁ、起きたのか。驚いたな。聞こえたのか、二階から」
「その子、死んでるの」
階段の上から、少女は声を飛ばす。一切の感情が感じられない。いっそ、つまらなそうに。
「いいや、食材は鮮度が命だから。これから屠殺して調理するよ」
「わざわざ調理するなんて、悪趣味」
「そう思うか」
吸血鬼は、死んでいるのか生きているのかわからない少女を引きずって風呂場へと向かっていく。まず、解体作業があるのだろう。アレだけの質量の肉を一度に調理するのは難しい。
「血は」
「ん?」
「解体、血、たくさんでるでしょ。排水口に流すの?」
「いや、血は飲むよ。吸血鬼にとっては肉よりも血が本質だ。僕は回収率を良くするためってのと、証拠隠滅のために肉も食べるってだけで、普通なら血だけでも十分だよ」
どこか、少女には余裕がないようにも見えた。吸血鬼の食事を止めたいと考えているのか。だが、それもおかしな話だ。吸血鬼は人間を食べる。いくらその吸血鬼が特別だからといって、その運命からは逃れられない。むしろ、強大な力を持っているのにこのスパンに一人という効率なのだから喜ばしいとすら思える。そう、思ったほうが良い。
「……なんのマネ?」
少女は吸血鬼の前に立っていた。手には何も持たず、大きく両腕を広げ、吸血鬼を風呂場にいれるのを拒んでいる。俯いているせいで顔が見えない。だが、あまりいい表情をしていなさそうなのは息遣いからわかった。少し荒い。疲れているわけでもない。訓練されている彼女はその程度で息を切らさない。動揺。それを見抜いたかのように、吸血鬼は”荷物”を手から離した。ごとん、と鈍い音がする。
「ココアでも淹れよう」
少女は、丸い瞳を吸血鬼に向けた。柔らかそうな髪が、顔にかかっている。
地面に落ちた彼女は意識を取り戻さない。すぅすぅと小さく寝息をたてているところから察するに、吸血鬼の言う通り命まではまだ奪っていない。”まだ”だ。様子を見るに、直ぐに目を覚ますということもなさそうだ。
リビングに座らされた少女は、ココアを二つ持ってきた吸血鬼を見上げた。邪魔だからか一つにまとめた漆黒の髪に、真紅の瞳。吸血鬼は、彼女の向かい側へ腰を下ろす。
「食べ物の恨みは怖いわけだが」吸血鬼が静寂を破った。
「どういう理由で僕の食事を邪魔しようとしたんだ。弱体化を狙っているならいい判断かもしれないが、自分の寿命を縮めるだけだぞ。その気になれば僕はいつだって──」
「いやだった」
「は? いや……そう言われても。僕にとっては食事なわけだし。マナーはちゃんとしてるつもりだぞ。僕クチャラーとか嫌いだし、そういうのと違ってきれいに食べるけど」
「そういうのじゃない」
ココアを持っている手が、ほんの僅かだが震えていた。それを見逃してしまうほど、吸血鬼の目は鈍くない。異常を察したのか黙り込んだ。
「なんというか……私は、あなたほどお人好しじゃないから、別にあの子が死んでも構わない。……けど、あなたが人を殺すっていうのが……なんか、嫌だった」
──少女は、情を抱きすぎた。
吸血鬼も、すぐに思い至った。彼女は、吸血鬼一族によって作られた対吸血鬼用の戦闘員。日々の待遇は、これまでの生活で予想がつく。それと比較して、吸血鬼はあまりにも彼女に優しかった。普通の食事を与えてやって、過干渉しない関係を築き、安眠できる家を提供した。洗脳されているとはいえ、その甘い毒は少女に効きすぎたのだ。
──こういうケースは、少なくない。吸血鬼は過去にペットと称して人間を招き入れていた。だが、どの人間も何かしらの問題を抱えている場合がほとんどだった。やむを得ない理由で吸血鬼と共に過ごすしかない。そんな人間たちは、少なからず吸血鬼になにか、温かいものを胸に秘めるようになっていった。家族のような愛情、恋人のような恋情、親友のような友情──形態は様々であったが、どれも決してお互いにとって悪いものではなかった。しかし、吸血鬼の食事を妨げるほどでもなかった。やはり、その人間たちにとって重要なのは吸血鬼が生きていることで、健康でいることで、一緒にいてくれること。今回はわけが違う。吸血鬼狩りという本来敵である人間を招き入れた。それも、洗脳を受けていて吸血鬼を目の敵にしている。ある種正常で常人的な感性を保ってしまっているのだ。吸血鬼に魅入られることなく、理性でその殺人行為を引き止めている。
「一つ、聞きたいんだけど」
「……答えられることなら」
「あなたは、どうして私に優しくするの。どうして、私を家に招いてくれたの」
「それは」
一瞬、吸血鬼が言葉に詰まった。何かを飲み込むようにして、一息ついてから言葉を続ける。
「……言っただろ。長年生きていると、感情とかそういうものがなくなってくる。そういうのがなくなったら、僕は──あ、いや。まぁ、とにかく、僕は新鮮な経験や感情を大切にしたいんだ。前にも話したけど」
「でも、私に優しくする必要はない」
「ある。新鮮な反応をみたいのに、敵意や害意だけを引き出す阿呆がどこにいる」
何かを隠すように吸血鬼はココアを飲み干した。泰然自若としている割には珍しく、動揺が目に見えてとれる。なにか、核心に触れたのか──あるいは、血に飢えた渇きを抑えるためか。だが、そんな吸血鬼の動揺にも気づかず、少女は机の木目を見つめている。丸い木目が、まるで目になっているかのように。沈黙が続く。それを先に破ったのは少女の方だった。
「……食事の量は、人一人を食べきるほど必要なの?」
「まぁ……そのくらいあれば満腹にはなるな」
「さっき、血が本質って言ってたよね。つまり、吸血鬼にとって大切なのは肉じゃなくて血の方にあると」
「そうだな。現代社会だと殺して食べきったほうが色々と都合がいい」
そうすれば、吸血鬼がどこにいるという情報も、そもそも存在するという噂も立たない。死体も完全に消失するわけだから、血だけを吸って死体を残すよりもすべてをなかったことにするのが最も効率が良い。もう一つの選択肢を除いたのなら。
「だったら、私の血を定期的に吸うっていうのは?」
「……うーん」
ベターな提案だった。そもそも吸血鬼がこうして人さらいをして食事をしているのは、安定して
自分は特別であるから、致命的な量の血を失わなければ翌日には快復すると少女は熱弁する。万が一を考えて二日に一回吸血をするとしても十分すぎる食事間隔。それでも、吸血鬼は難色を示した。わかりやすく顔をしかめている。
「お菓子、食べたこと──ないよね」
「ない」
おそらく嗜好品として、食事をより楽しむために肉を食べたいということだろうが、その説明ができずに吸血鬼は断念する。大きく一つため息を吐いた。
「……まぁ、そんな些細なことよりも」と吸血鬼は気を取り直して続ける。
「僕は、できれば吸血したくない。なんか、それこそ嫌だ」
「あなた吸血鬼でしょ、わがまま言わないで」
「嘘でしょ」
先にわがままを言ったのはどっちだ。
「いやまぁ……うぅぅぅぅん……まぁ、うん、うん……僕が折れるか、これは」
「血、飲むの嫌なの?」
「まぁ~……吸血鬼の中でも僕だけじゃない? こっちにも、色々理由があるんだよ」
くだらない理由だけど──そういいながら、吸血鬼は席を立った。吸血によって食事をすると決めたので、放置していた人間を元の場所に返すらしい。さっと姿を消したかと思ったら、三分と経たずに戻って来る。恐るべき身体能力を実感しながら、少女は自分の首筋を見せた。
「じゃ、吸いなよ。お腹、空いてるんでしょ」
「しょうがないな」
「眷属化はしないでね」
「そりゃ、もちろん」
じっと、吸血鬼はその白い首筋を見つめる。自分よりも小さな少女の、細い首。長い髪が邪魔になるのか、髪を耳にかける仕草をしながら口元を近づける。リップ音を小さく鳴らしながら、白い牙があらわになる。人間離れしている発達した犬歯。噛む場所を少し探すように、歯の先が少女の肌をなぞる。いいポジションを見つけたのか、ぐっと僅かに力が入る。これから吸血をするという合図にも感じられるし、吸ってしまっても良いのかという躊躇にも感じられる。化け物である吸血鬼に、そんな感覚が残っているのかは甚だ疑問だが。
「いいよ」
応じるように少女が返事をすると、とうとう吸血鬼は牙を入れた。じくじくと、首から痛みは伝播する。訓練の影響か、そんな痛みにも少女は表情一つ変えない。吸血鬼も、無表情だった。せっかく食事にありつけたというのだから、少しくらい喜びを見せてもいいくらいだが、恐ろしいほどに無表情だった。少女からは、見えない。
──元人間の吸血鬼が血を吸うとき、何を思っているのか。眷属を作るときとはまた違う。ただの食事として血をすする。何も思っていないのかもしれない。元人間とは言っても、もう人を殺して血肉を平らげる程にはその要素が薄れている。血をすする程度、嫌悪感もなにもないのかも。でも、それなら吸血を露骨に嫌がっていたのはなぜなのか。ちっとも楽しくなさそうに血をすするのはなぜなのか。
やがて牙が首筋から離れると、少女の首には二つの傷穴が残った。吸血鬼は、じっと、吸い込まれるようにその傷跡を眺めていた。
□□□
翌日。時間はもう昼頃。陽が頂きに昇ったところで、吸血鬼は目を覚ました。
「ん……久々に寝すぎたか」
食事をした翌日はたいていいつもそうか──誰に言うでもなく小さく呟くと、吸血鬼は自室から出た。隣の少女の部屋の扉が開いている。昨晩はかなり遅かったはずだが、もう起きているらしい。階段を降りると、ダイニングテーブルに少女がいた。コーヒーを呑んでいる。
「や、おはよ。ずいぶん早起きじゃないか」
吸血鬼の視線が僅かに下がった。視線の先は、首筋。昨晩の傷がまだ残っている。
「ん、おはよう」
「……ん? うん」
──なにか、少しよそよそしい。
吸血鬼の優れた観察力がそう告げていた。よく考えれば昨晩初めて吸血をしたわけだし、ある意味ではそういう態度になる……のかもしれない。彼女は吸血に対して特に何らかの感情を抱いていたわけでもなさそうだから多少の違和感が残るわけだが。
微妙な空気が流れるリビングに、ぴんぽん、と音がなった。インターホン。誰かが家に来ている。
「……吸血鬼狩り」
少女が吸血鬼の家に来てから早一ヶ月半。いくら彼女が特別とはいえ、吸血鬼狩りの一家で使い潰されている道具の一端。他の吸血鬼狩りが彼女と、彼女が狙う吸血鬼の様子を見に来たと考えるべきだ。とはいえ、”特別”たる少女を下した吸血鬼にとってその他大勢は取るに足らない。大した警戒もせず、吸血鬼は玄関扉のノブに手をかけた。優れた五感と尖らせる。扉越しに、衣擦れの音を聞き取る。複数人。細かい金属音。鎖が使われている銀製の武器。三節棍、モーニングスター、鎖鎌など。罠の気配は感じられない。相手は正面から突入するつもりだ。放置しても戦うしかない。相手の息遣いが全く乱れない。統率が取れている。
──殺し慣れている。
相手は化け物の吸血鬼とはいえ、人の形をして人の言葉をつかい人の仕草をする生き物。それを、容赦なく殺せる人間。
「お互いさまだな」
そういいながら、吸血鬼は扉を開けた。目の前にいるのはずらりと並ぶ少年少女。幼い者は中学生くらいで、最長年らしき者は二十五歳ほどに見える。それが十人以上。その程度なら、吸血鬼の身体能力で殺せる。
──鮮血。血が、玄関に撒き散らかされる。安いスプラッター映画みたいに、びしゃびしゃと血が出る。眼前には少女と同じ、洗脳的な教育によって吸血鬼を狩る道具に仕立て上げられた人間が並んでいる。背後には、
「え」
吸血鬼が振り返ると、少女がいた。槍が、吸血鬼の心臓を貫いている。銀色の穂先が、赤い模様をまとっている。彼女の目に、吸血鬼の姿は見られなかった。大きくて明るいあの瞳は、どこまでも鈍色に染まっている。
「あ~……なるほどね。朝のうちに洗脳をかけ直されたのか」
「戦いは嫌いだ」いつものようにいいながら、吸血鬼は槍をへし折って脱出する。包囲網を抜けようとしたところで、鎖が吸血鬼を捕らえる。一人の少年の膂力とは思えない力で吸血鬼を引きずる。
「大人しく殺されろ、化物」
「勘弁してくれよ」
「『槌』、『斧』、再生の暇を与えるな」
大きな身長ほどもあるハンマーと大斧が吸血鬼に振り下ろされる。その武器をことごとく破壊し、直後吸血鬼は鎖を手刀で断ち切った。まだ、毒が回りきっていない。力は有り余っている。吸血鬼としての身体能力を活かして、玄関に立ち尽くしている少女を攫おうと手を伸ばす。が、シュレッダーにかけているかのように指先から肘までが細かくスライスされてしまう。信じられないほどの槍さばきだ。これが、特別を冠する少女の実力。
「早いね」
条件も吸血鬼に不利すぎる。現在は陽が高く昇る昼。力の源である心臓は最初の奇襲で潰され、毒が塗布されていたのか再生が阻害されている。再生を含めた吸血鬼の力を大幅に弱めるものだろう。だが現存する程度の毒なら即座に分解可能だ。吸血鬼がすぐに再生できないのは、なにか別の──
「”
少女がそう呟くと、懐から赤い模様が目立つ札が飛び出てきた。その札が、吸血鬼の身体にペタペタと何枚も付着する。やがて札同士が繋がり縄のようになり、吸血鬼の身体を縛り上げる。切断した腕にも札はまとわりつき、再生を止めている。力が入らないのか、吸血鬼はバランスを崩して少女の隣に倒れ込む。小さく声が声が聞こえた。
──巫女の力。そういうことか、と吸血鬼は思い至る。化物や妖怪に対して”霊力”という力で対抗できる神へ祈りを捧げる者たち。神聖なその力はあらゆる化物の弱点になり得る。それこそ、
(納得いかないのは巫女の力が
見下ろす少女を睨み返しながら吸血鬼は叫ぶ。
「吸血鬼狩りの
拘束を解こうとするが、そう簡単には引きちぎれない。イモムシのように床に這いつくばっている吸血鬼を少女は冷たく見つめている。誰が言ったか、玄関の方から「やれ」と声がした。返事をするように、槍を握りしめ高く掲げる。槍先を吸血鬼に向け、外さないよう狙いをしっかり定める。
「なぁ」吸血鬼は、少女に声を飛ばしてみる。だが、彼女からは何も返事がない。なにか吸血鬼が言葉を続けようとしたところで、少女はとうとう槍を突き刺した。首に、ぐさりぐさりと何度も何度も。槍の太さでは一撃で首を切断できないから。やがて首を切断したところで、その場にいる誰もが絶命したと判断する。巫女の力で、再生を阻害しながらの殺害だった。
少女は、その骸を眺めている。首と身体だけになった身体を凝視する。彼女の瞳に吸血鬼の姿は映っていない。吸血鬼は、鏡に映らない。血溜まりだけが彼女の目に残る。一体、彼女は何を思うのか。
──居場所を与え、生活をともにした化物を殺して、人は何を感じるのか。吸血鬼に着いていた札が、力なく剥がれ落ちた。
□□□
最強の吸血鬼を討伐する作戦は、死傷者0名で完了した。討伐対象の吸血鬼はあらゆる能力が優れているために、安易に睡眠時を狙うのではなく『槍』との関係を利用した奇襲で心臓を破壊する策が功を奏した。”道具”たちは人目につかないようその吸血鬼の死体を運ぶ。やがて彼らの”家”につき、大広間に着いたところで一人の老人が姿を表した。吸血鬼狩りを束ねる長。子どもたちを操る者。老獪なその男を前に、子どもたちは膝をつく。先頭の二人が吸血鬼の首と身体を差し出した。
「よくやった」
しゃがれた声が大広間に響く。かすれているのに、やけに通る声だった。
「『槍』が一度敗北したと聞いたときは驚いたが、総力を投入する必要すらなかったな。まさか、この程度とは」
「えぇ、どうやらこいつは──」
先頭、『槍』の隣で頭を垂れていた少年が言葉に詰まった。「どうやらこいつは、吸血鬼としての能力が
だが、妙だ。その吸血鬼は、一度『槍』を土につけている。あの、最強の吸血鬼狩りをだ。吸血鬼としての力は十分。まさか、まさかまさか。
(相手は、最初から手を抜いて──)
だがそんなことをする理由がない。というよりも、そうだとしても。現実に吸血鬼は狩られた。こうして心臓は潰され首も断っている。ここから再生する吸血鬼など今まで観測されたことも──
「はじめまして」
首が、喋る。生首だけになった吸血鬼はとても美しい声音で場を制した。どろり、と頭も身体も溶け出す。強酸でもかけられたみたいに、グロテスクに身体が溶解する。溶け出した肉はすべて赤く染まり、残らず血に変換される。
「さようなら」
自分で出した声をすべて飲み込むように、部屋に満ちる音をすべてかっさらった。血の嵐が、部屋を荒らす。壁をめくり天井を引きずり下ろし床を掘り進む。大質量の血が、場にいるすべての人間を包んだ。血の形状は吸血鬼が指定できる。それこそ、刃物やチェンソーのようにして巻き込んだ相手をミキサーにかけることも。全てを、吸血鬼狩りは見誤ったのだ。特別を甘く見すぎた。この程度で死ぬほど、この化物は甘くない。
建物が半壊したところで、血の嵐が止んだ。天井は耐えられずにところどころに穴が空いている。太陽の光が差し込んでぐしゃぐしゃにえぐられた地面があらわになる。床の板材がへし折られ、その下の土が掘り起こされて部屋に土の匂いが充満する。混ざってくるのは、血の匂い。あの老人が、血まみれになっていた。いや、もはや一見しただけでは人間かどうかもわからないくらいに原型が残っていない。血のシミ、とでも言えばいいだろうか。壁にへばりついた人型の肉塊が、静かに剥がれて倒れ込む。周囲の子どもたちは原型をとどめているものの、意識がない。
たった一人を除いて。
「あーあ、僕は、戦いが嫌いなのにさ。今回ばかりは少し、苛ついたよ」
銀の槍を構える少女を吸血鬼は見据える。血の嵐からとっくに再生している。
「僕のペットに手を出されたんだもの。久々にちょっと真面目に戦ったよ」
ここにきて、初めての吸血鬼らしい能力を使用しての大規模攻撃。先の戦闘がまるで遊びだったとも思えるほどの圧倒。
「信じてたぜ。きみなら僕の攻撃でも絶対に耐えるって」
「うん、やっぱり、あなたは殺すべきだね」
「……なぁ、洗脳、解けてないのか?」
「何の話」
光を宿していない瞳で、少女は吸血鬼を睨む。戦闘態勢。
「僕は、戦いが嫌いなんだ」
「
「…………は」
「やっぱりね。あなたが戦闘で吸血鬼の力を渋るのは、そういうことでしょ。自分はまだ人間だと思い込みたいから、できるだけ化物っぽくないようにしてる」
「なんで」
「見てたからわかる」
吸血鬼は、感情や経験に固執していた。それこそ、本来食糧としてしか扱われない人間をペットと称して自分のテリトリーに住まわせるほどだ。化物である吸血鬼たちに、そんな感性は必要ない。というよりも、本来なら眷属化した時点でほぼその情緒は消失するものだ。種の本能が塗り替わるのだから。だが、目の前の吸血鬼だけは例外だった。人間としての感性が残ってしまった。努めて人間であり続けようとした結果が、人間とできるだけ近くにいることだった。人間を観察して、人間の真似事をする。そうすることで、いかにも人間らしい振る舞いができる。
「けど、納得いかない事がある。吸血──倫理的に考えれば、人間の命を奪わずに食事ができるのに、あなたは食人にこだわった。人間の矜持を捨てられないのに、そこだけは理解できなかった」
人間としての感性が残っていて、人間としての感性を残そうとしていて、人間らしくあろうとする吸血鬼。それが、なぜ命を奪う食人に固執するのか。吸血に対して、強い嫌悪感を抱いていたのか。それだけが矛盾する。その答えを、吸血鬼はあっさりと答えた。
「だって、殺人は人もやるだろ」
人は人を殺す。人は、人を食べる。そういう民族もある。だが、
「やっぱりあなた、化物だよ」
「それでも僕は、人間だ」
少女は霊力を込めた槍を、吸血鬼は血で作った不定形の鞭を構えた。その鞭を振るうが、槍に触れた瞬間にただの血液へと溶け出す。莫大な霊力による人外への特効。もともとある弱点を突くような今までとは違い、強制的に攻撃箇所を弱点にするような力。槍を振り回しながら、少女は突進。脚力が霊力によって強化されている。一時的に吸血鬼に準ずるような速度を発揮。身体の一部を鉱物に変形させて、吸血鬼は槍を弾く。
「どうやら、何でもかんでも無効化……ってわけじゃないらしいな」
霊力は、主に化物の持つ妖力への特効だ。身体が変形中ならまだしも、変形後の”鉱物”への特効は発揮されない。妖力が込められていないからだ。
また、吸血鬼が血による武器を構える。弓のような形状。弦に指をかけて、人間離れした力で血の矢を引き絞る。迎撃用意。少女はつまらなさそうに槍を構える。少しでも触れることができれば、直撃する前に矢を撃ち落とせる。
ぱん、という音とともに放たれた矢は、一直線に突き進む。空気を切り裂き、銀の槍の先へ──
「え」
槍と矢が衝突する直前に、血が爆ぜた。吸血鬼によるコントロールを失っている。つまり──妖力が込められていない。とはいえ化物の血だ。槍に触れた血液はじゅうじゅうと音を立てて蒸発するが、残りは全て少女に被る。視界が、奪われる。
血染めの視界で、どん、と床を踏み抜く音がボロボロの部屋に響く。強い踏み込み。吸血鬼の力ならラグなんて感じさせないインパクトがやってくる。前腕と槍への霊力集中。防御姿勢に少女は入る。
「引っかかってくれたな」
背後から声。身体を捻り、迷わず少女は槍をそちらに撃ち抜く。
「残念、こっちは”口だけ”だ」
血染めの視界が少し晴れると、槍の少し上、ちょうど本来なら吸血鬼の顔がある辺りにコウモリがいた。腹に口が埋め込まれていて、それが喋っている。本体は──
身体の捻り、その反動を利用して攻撃を繰り出そうとしたところで槍が止められる。素手でも、血の武器でもない。大広間の板材。それを幾重にも重ねた即席の武器──とも言えない一回きりの防御手段。
「……目を覚ましなよ。きみは僕の非常食で、僕はきみの存在意義なんだろ」
「うるさい」
「もう、きみたちを縛っていたあのおじいさんは死んだ。自由だ」
「……うるさい」
少女は槍を引き抜こうとするが、できない。突き刺さっている板材を吸血鬼が強く握り込んでいる。ともすれば木を砕きそうな力で、圧力をかけて逃さない。だが、敵意も少ない。相手を拘束するためにというよりも、優しく引き止めるかのように。
「──だったら、早く私を殺してよ!!」
霊力で身体強化し、槍を無理矢理に引き抜く。ヒステリックな彼女の叫びは穴の空いた天井から逃げて、空へと霧散していく。……当然、といえばそうだったのかもしれない。『吸血鬼が弱いから私はいらない』という結論に至った少女。だから、逆説的に強い吸血鬼がいればその結論は覆せる。生きていてもいいと言える。
──まやかしだったのだ。すでに、人としての感性を抜かれてしまっていた。道具として育てられ、吸血鬼という
だから、殉職を望んだ。戦いをするしかなくて、戦いをするように作られ、戦いの中でしか死を見いだせない。いつしか、強い吸血鬼を欲していた。特別な自分を殺せるくらいの。その言い訳は分厚い皮を作り上げ、表層で別のところに死の理由を求め始めた。私がいらないからと言って、心に蓋をした。
心は、人でなくなってしまったから生きる気力を失ったというのに。
朝方にかけ直されていた洗脳は──いや、もしかしたらそれすらも最初からかかっていなかったのかもしれない。最強の吸血鬼を追い詰めれば、自分を殺してくれるから乗ったのかも。どちらにせよ、正気を取り戻した少女は、改めて目の前の吸血鬼を見つめた。人間への未練を残した、あまりにも人間臭い化物を。
──わかってしまうのだ。人間だったからこそ、いや、正真正銘人間から
「──だったら、いっそ化物になるか?」
眷属化は、相手の許可なくできる。吸血鬼が眷属を作ろうという意識を強く持って吸血をすることで滞りなく行える。その被害者が、今少女の前に立つ吸血鬼だ。望まずして、化物になった。
だが、今回は事情が違う。少女はもう人としての心がなくなっている。人の形をした生き物を殺しても何の感傷も抱かない。破綻した心。きっと、人を殺しても何も思わない。……化物の感性。なら、いっそ化物になってしまえば深く悩む必要はない。化物らしく生きていれば、それが自然体になるのだから。
元人間の吸血鬼は、何を思うのか。血をすする時、眷属を作ろうとする時。自分が人間から遠く離れたことに対する絶望かもしれない。あるいは、人間そのものに恋をするかのような郷愁だとか。あるいは、それらが二律背反となっているかも。ガラス細工のような脆い心の上で、繊細な感情が踊り狂っている。
それでも、今だけは……この瞬間だけは、自分が吸血鬼で良かったと思えるかもしれない。心が先に化物になってしまった少女を、助けられるのかもしれないのだから。
「だめ」
「なんで」
「心だけじゃなくて……身体も化物になったら」
どうやって理性を働かせるのか。血肉を欲する身体を止められる心がない。それを、どこかに置いてきてしまった。
「僕が止める」
「でもあなたは、もう、人を殺すことにためらいがない」
身体が先に化物になった。そんないつかの男も、やがて心が化物になった。血をすするよりも人を殺すほうが人間らしいから。そういう、もっともらしい理由をつけることに成功してしまった。
「……それなら」
「それなら、も、ない。どうしても私を眷属化したいのなら、私を殺して。吸血鬼なら、できるでしょ。瀕死の人間を吸血鬼にすることくらい」
吸血鬼の返事を聞く前に、少女は槍を振り回した。腕力が先ほどと桁違いだ。勝負を決めるつもり、というよりも、その出力は──
(死ぬつもりか)
霊力──巫女の力は神への祈祷を儀式として借り受けている力。神の力を限界以上に人間が出力すれば器が耐えられない。じきに肉体が限界を迎えるだろう。吹き飛んだ木片が吸血鬼に突き刺さる。再生阻害。木片の突き抜けた腹部が再生しない。想定以上の出力で、周囲の物体にも力が込められ始めている。このまま戦闘が長引けば、そこにいるだけで化物は身が灼かれる地獄のフィールドが完成する。
「……あまり、本気で戦いたくはないんだけど」
じわ、と吸血鬼の身体から煙が漏れ出した。紅い、紅い煙。やがて色を失うようにして霧散するその霧は、血を常時消費する吸血鬼の切り札。血液を燃料にして、それらが蒸発するほどの循環と拍動。肉体を生物の限界以上の速度で動かし、あらゆる吸血鬼の能力に補正をかける。
身体から漏れ出る煙を捕まえ、それを固めて武器にする。
「それは、通用しないよ」
「わかってるとも」
ずしゃ、と巨大な棍棒のような武器を地面に擦り付ける。周囲に転がっている子どもたちは避けるようにして、板材を巻き込んで振り回す。血だけではない、無機物の鎧をまとった血の武器。霊力をまとった銀の槍も、血液に接触しなければ意味はない。その塊を、少女めがけて振り下ろした。
「隙間」
それを許す少女ではない。ほんの僅か、数センチほどの隙間を見つけて槍を差し込む。途端に血液が形を失って流れ出す。津波のように波及する赤い液体を防ぐため、今度は槍を地面に突き立てる。少女の周囲を避けるようにして血が流れた。
「これだけの血液の消費、そう長くは保たないでしょ」
「確かに、本来短期決戦用の切り札だ。……けど」
流れる血液を操作して、吸血鬼は自分の周りに漂わせる。天女の羽衣のように、いっそ美しいとさえ思えるその姿は一瞬、少女に戦いを忘れさせた。
「僕は噴霧された血液を再利用できる。武器としても、体内に戻すのも」
「……さすが」
その吸血鬼が特別なのは、弱点を全て克服しているというだけじゃない。戦いを嫌いながらも、圧倒的な力を手に入れているからこそ特別なのだ。短期決戦用の切り札を延々と延長できる。そうじゃなくとも、噴霧する血液を即座に大量の武器に変換する質量攻撃も可能。霊力という特効がなければ、すでに勝負は決していただろう。
「そろそろ終わりにしよう」
赤い光。吸血鬼が
──このままでは、押し負ける。
不可視の遠距離攻撃。まともに受けようとも槍か身体が限界を迎える。霊力も無尽蔵じゃない。そう考えた少女は、床に足を突き刺して上体を起こした。身体に巡らせていた霊力を全て槍に込める。余波で吸血鬼の放った次弾を消失させた。それほどの、無茶苦茶な霊力を注ぎ込んだ最大最強の投擲。
「その程度──」
「避けさせない」
札縛縄──また、少女が小さく呟いた。床下から大量の札が姿を表す。まだ、隠し玉を持っていた。先程玄関先で戦闘したときの比ではない札の量。吸血鬼を覆うようにして、球体を作り出す。次第に小さくなり、変形し、縄のように吸血鬼を縛り上げる。切り札を使っているとはいえ、振りほどけない。こちらの札にも大量の霊力が込められている。触れているだけで力が吸われる。噴出する血の煙も、次第にしぼんでいった。体外操作している血液で札を切断しようにも、接触した瞬間に血液へと戻る。防ぐ手段がない。
「……やっぱり、私は」
その声は力の奔流にまぎれて消える。意を決したように、少女は強く槍を握り込み、投げ飛ばした。閃光。ただの槍の投擲だと言うのに、レーザーが放たれたかのような速度と眩い発光。限界ギリギリまで込められた霊力が神聖な光を放っている。
火薬でも使ったかのような、爆発音。槍が着弾した。吸血鬼の姿はない。あまりの力で、消し飛ばしてしまったのか。槍が通った道筋がえぐれている。裏返った床を呆然と眺めながら、少女はその場に倒れ込んだ。体力も霊力も限界だ。まだらに注ぐ太陽の光がほんのりあたたかい。夕暮れ時になってきて、空は赤みを増していた。じっと、少女はあたりを見渡す。他の吸血鬼狩りは無事だ。不思議なことに、傷一つない。
(あぁ、そうか)
あの吸血鬼は特別だった。いくら霊力という力があるからといって、それだけで対処できるような化物ではなかった。ともすれば傑物と呼ばれるような強い力を持っていた。少しも、勝負になるはずがなかったのだ。だが、こうして少女は生き残っている。──吸血鬼は、守りながら戦っていた。きっと、見た目よりも消費する血液も操作する血液も多かったはずだ。
「これじゃ一体、どっちが化物なんだか」
人の被害を気にせずに戦った少女と、人を守りながら戦い抜いた吸血鬼。これでは本当に、どちらが化物で人間なのかわからない。本当に、やはり、自分は心が化物になってしまったのだと──そう、無感情に思い、少女は意識を落とした。
□□□
少女は、痛みで目を覚ました。首元に走る痛み。なんの痛みかはすぐに分かった。噛まれている。反射的に彼女は首元の人物を引き剥がし、突き飛ばした。もう夜になっている。寝かせられていたベッドの感触で、どうやらあの吸血鬼の家らしいことを把握すると、目の前の人物に声を飛ばした。
「色々聞きたいことがあるんだけど……とりあえず、ずいぶん熱烈な起こし方をするね。吸血鬼さん」
「こっちは死にかけたんだから少しは血よこしてよ」
最後の一撃で死んだはずの吸血鬼がそこにいた。暗闇の中でも、赤い目が爛々と輝いている。だが、どうして? と少女はまずそのことについて問いただした。あのときの吸血鬼は完全に拘束されていて能力すらまともに使えるような上体ではなかった。
「灰になったんだよ」
吸血鬼は上機嫌に話し始める。
「霧化すらできなかったから、弱められていた再生力をさらに抑え込んで、自分から太陽に焼かれた。確かに僕は弱点を克服しているけど、それは僕の力が強大だからね。霊力で色々封じられているあの状況ならできると判断した。で、一度灰になってから再生したんだ」
「……灰からでも再生できるんだ」
「もちろん」
当たり前のように答えた。
「じゃあ、私が生きているのはなぜ? まさか、私を──」
人間の限界を超えた霊力出力。最後の投擲だって、ほとんど利き腕の感覚が残っていない状態だった。そこから再生できる手段があるとするならば、眷属化によって吸血鬼の能力を獲得することだ。だが、それを否定する。
「違う違う。一旦僕の血をきみの体内に入れた。一時的に再生能力を高めたんだ。霊力が少しでも残ってたらできなかっただろうね。運がいいことだ」
「じゃあ、今、私の身体には……」
「それも問題ない。僕の血液操作はそこらの吸血鬼とは格が違う。一滴残さずきみの体内から回収した」
それを実現するためには、想像を絶するほどの技術が要求される。他者へ血液を混ぜるのだから、拒絶反応が出ないよう血液そのものを変質させる必要があるし、その後で混ざってしまった液体を掬い上げるのだ。色のついた水に、全く同じ色の水を作って混ぜて取り出す、みたいな。人間にへの未練が残っているとは言っていたが、これほどのスキルを身につけるのにどれだけの修練が必要になるのか。
「さっき私の血を吸ってたのは?」
「お腹が空いた」
「そう」
つまらなさそうに、少女は返事をする。沈黙が訪れるが、それを長引かせず少女は言葉を続けた。
「じゃあ……最後。なんで、私を生かしたの」
「お互いの利益になるからだ」
間髪いれずに吸血鬼は答えた。
「僕の本音を見抜いた仕返しだ。……きみ、確かに死ぬ理由は心が人じゃなくなったから、が一番大きいのかもしれないけどさ。やっぱり、存在意義ってのも大事だったんだろ。そう、例えば──”私じゃなきゃダメな理由が欲しかった”とかさ」
「……あは」
全部が、本心でもあった。だから、彼女はごちゃまぜになってしまっていた。心が人じゃなくなった。誰かにとっての唯一でありたかった。それが混ざった結果、私じゃなきゃ殺せない相手を欲しがった。でも解体してみれば、とても単純な、子どものような願いだけ。誰かにとっての唯一で、誰かにとって必要とされたかった。道具としてではなく、一人の人間として。
「利害の一致さ」
人を、何人も殺してきた。そのたびに、吸血鬼は人間としての要素を失ってきた。だが、まだ取り戻すことができる。今度は誰ひとり殺さず吸血のみで食事を済ませるのだ。吸血における最大の問題は目撃者を逃してしまうこと。そもそも吸血鬼を知っている少女なら問題にはならない。人の心を、学び直せる機会を得られる。
少女としても、唯一になれる。これまでの生活のように吸血鬼と暮らして、吸血鬼の唯一の食糧として触れ合うことができる。なくしてしまった人の心を取り返せるかもしれない。
「僕は、人になりたい。こんな、人を何人も殺した化物と暮らすのが嫌だというのなら、もちろん断ってくれていい。だが、人になりたいという気持ちに嘘はない」
許されることではない。だが、少女は? 彼女も、吸血鬼を大勢殺してきた。立場としては、何ら変わりない。今この壊れた心を治すために、改めて人になりたいという気持ちに偽りはない。
断る理由など、一つも見当たらなかった。
少女は、彼の手をとった。
「ありがと」
微笑む吸血鬼は、窓越しに見える満月よりも美しい。微笑む少女は、今までよりもずっと柔らかい表情で応えた。握る手が、お互いに少し冷たい。だが、ちっともそのことなど気にならなかった。
「さ、明日の学校の準備をしよう」
これから、二人の日常が始まる。
展開もざっくらばんとしているし、タイトルは某超名著SFのパクリだし……
でも書きたいものはだいたい書けたので満足です。たまにはこういうのも楽しいですね。