光の英雄、光柱の竈門炭治郎 作:フランシュシュ
夜は血の色に染まっていた。
かつては人々の笑い声や市場の喧騒が響き合った石畳の通りは、今、赤黒い泥濘と化している。
鬼の咆哮が空を裂き、鉄と肉が砕ける音が絶え間なく響く。
村は死に、生き残った者たちはその死をただ見つめるしかなかった。異形の鬼たちは、人の理性を嘲笑うかのように、巨大な爪と牙で家屋を粉々に砕いた。
屋根瓦が崩れ落ち、木造の骨組みが悲鳴を上げて折れるたび、逃げ惑う人々の叫び声が重なる。だが、その叫びもすぐに途絶える。
鬼の爪が振り下ろされれば、血と臓物が石畳に飛び散り、命は一瞬で霧散する。ある者は家族の名を叫び、ある者は神に祈り、ある者はただ無言で地に伏した。だが、鬼に慈悲はなく、祈りも届かない。
一人の少女が、折れた包丁を握りしめ、震える足で立ち尽くしていた。彼女の目は、かつて母と過ごした家の残骸を見つめていた。そこには、母の姿はなかった。あるのは、壁にべったりとこびりついた血と、引きちぎられた布切れだけだ。
少女の唇は動いていたが、声にはならなかった。涙さえも枯れ、ただ空虚な恐怖と喪失が彼女の心を喰い荒らしていた。彼女の隣には、幼い弟の小さな手が転がっていた。
それだけだった。
広場では、生き残った者たちが膝を屈していた。抵抗する力も、逃げる気力も、すでに失われていた。彼らの目は虚ろで、まるで魂が抜け落ちたかのようだった。
鬼たちはそんな人間たちを玩具のように弄んだ。
ある鬼は、泣き叫ぶ男の腕をゆっくりと引きちぎり、その断末魔の叫びを味わうように嗤った。別の鬼は、逃げようとした女の髪を掴み、引きずり回しながらその絶望を貪った。
血が石畳に染み込み、まるで街そのものが泣き叫んでいるかのようだった。
「なぜだ……なぜ、こんな目に」
老人が呟いた。彼の手には、握り潰された孫の小さな靴が握られていた。だが、その問いに答える者は誰もいない。神も、運命も、ただ沈黙していた。鬼の笑い声だけが、老人の声を掻き消した。街の中心にそびえる神社もまた、鬼の蹂躙を免れなかった。窓は砕け散り、聖なる光は血の赤に塗り潰されていた。
祭壇の前では、司祭が最後の祈りを捧げていたが、鬼の爪がその背を貫いた瞬間、祈りは絶叫に変わった。血が祭壇に流れ込み、かつて神を讃えた祝歌は、鬼の哄笑に取って代わられた。
生き残った者たちの心は、すでに折れていた。希望は砕け、愛は踏みにじられ、ただただ絶望だけが彼らを縛り付けていた。
ある男は、恋人の亡魂に縋るようにその名を呼び続けたが、返ってくるのは鬼の嘲笑だけだった。ある母親は、死んだ子を抱きしめ、子守唄を歌い続けたが、その声は次第に嗄れ、ただの呻き声に変わっていった。
街は死に、血は川となり、屍は山となった。鬼たちはその惨劇を眺め、まるで芸術作品を愛でるように満足げに唸った。彼らにとって、これは遊びだった。人間の命も、悲しみも、苦しみも、ただの余興に過ぎなかった。
誰もが膝を屈し、諦めかけたその時。
「そこまでだ」
鳴り響いた軍靴は、鋼鉄が奏でる英雄譚の幕開けだった。
無辜なる民やそれらを護るべき戦った人的損失、痛み、絶望。
それらを遍く負の因子を背負い、力と変える守護神。
憎悪の空より正しき怒りを胸に。
物語の王道たる逆転劇が、世界が冥府へ墜ちることを防ぐべく姿を現す。
そう、もはや悲劇は幕を閉じた。涙の出番は二度とない。
刮目せよ、讃えよ、その姿に希望の炎を灯すが良い。
そう、彼こそ。
「光柱……竈門炭治郎さん!」
胡蝶カナエは、自然と叫んでいた。
鬼舞辻無惨は無表情で言う。
「産屋敷に次ぐ異常者。破綻者。しつこいぞ、うんざりだ。あってはならない存在だ」
「異論はない。俺は間違いなくあってはならない存在だ。分不相応な夢を見て、何度も地を這わされた。それでもしかし、次こそ必ず助けると諦めきれずに、他者の命を轢殺しながらここまで来た」
だから間違い。
全て真正面から受け止めよう。
自分は異常者で、破綻者だ。
光へ向かうことしかできない光の奴隷。
「だからこそ、立ち止まれない。ここで足止めれば、踏み躙った祈りに背を向けることになる。こんな俺を助けてくれた人達を裏切ってしまうことは絶対にできない」
最後までやり通し、夢を見た世界を実現することこそが報いだと信じているから。
「涙を笑顔に変えるため、俺は刀を構える」
宿業は重く、厚く、度し難い。しかしそれを誇りへ変える。多くの人と鬼の絶望を、束ねて希望へ昇華しよう。
踏み躙った鬼の人生を無駄にしないために、炭治郎に縋るしかない者達から託された希望の想いを世界を照らす光に変えるために。
希望も絶望も、重ねた全てが明日へ繋がる太陽となる。
「俺は必ずこの選択が、世界を拓くと信じている。人々の安寧と、希望の未来を守り抜くと願う限り、俺は無敵だ。鬼舞辻無惨、お前は必ず倒す。みんなの明日は奪わせない!」
「異常者め。どいつもこいつも異常者ばかり。頭が痛くて仕方がない。口を揃えて『希望の明日の為に』。時間が経てばやってくるだろ待っていろ」
無残の瞳が、炭治郎を見据える。
「お前が最たる例だろう、竈門炭治郎」
努力、経験、素養、鍛えた肉体、呼吸による強化と、特別な金属による武器。なるほどなるほどそれは優秀だ。だが、そこから先はおかしいと、鬼舞辻無惨は否定する。
「気合と根性に、無限の覚醒。そんなもの人間ではない」
絶望や、理不尽。
肉体の損壊といった現実な問題を、『頑張る』だけで突破する。
不撓不屈の精神は、無限の力となって鬼を殺す刃となる。首を跳ね飛ばされても、手足を千切られても、精神を何度も破壊しても、『まだだ』と因果律さえ超越する。
死んだ後から頑張って、死んだ現実を粉砕する。
おかしい。原則外だ。理屈に合わない。
鬼ならば血鬼術としてあり得るだろう。しかし人間は失ったら戻らないし、常識外のことは不可能なのだ。
だが、しかし竈門炭治郎は、立ち上がる意志さえあれば雄々しく熱く燃え上がる。どれだけの絶望があったとしても、だからこそ輝こうとする意思がある限り、太陽は何度でも何度でも空へ昇る。
「だからどうした、それを決めるのはお前じゃない。重要なのは、己の意思だ。自らの意思を貫く限り、俺は常識さえねじ伏せて、お前の首を刎ねる。全ては希望の未来の為に」
太陽如き光の英雄は、闇から出でし悪鬼を討滅するべく前進する。
さぁ、進軍せよ。
軍靴を鳴らし、喇叭を鳴らせ。
我ら光の軍勢は永劫不敗。たとえ自分が死んでも、あの太陽が照らす限り別の誰かが成してくれる。託す仲間が共にいる。だから共に死を越えろ。
屍山血河を恐れるな、我らの死体で鬼舞辻無惨の首に届くのならば安いもの。喜んで踏み台となる。
英雄よ、太陽よ、我らの願いを叶えてくれ。対価として命を持って、栄光の道を舗装しよう。
「ありがとう。皆さんのことは忘れません」
そう言ってくれるのか、我らの英雄よ。
名もなき隊士のことさえ記憶に残してくれるとは。
思い残すことはない。
死に絶えろ、死に絶えろ、鬼は全て塵と化せ。
「竈門炭治郎。極めて不愉快だ。あの男を思い出す。その耳飾り。本当に異常だ、お前達は」
「無惨。お前はここで死ぬ。俺が、その首を断つ」
太陽の如き光を放ち、鬼舞辻無惨へ向かっていった。
◆
「炭治郎さん、起きてください。検査は終わりました」
胡蝶カナエの声で過去から現在へ意識が戻る。
浅草決戦と呼ばれた戦いは、鬼舞辻無惨と鬼殺隊側の痛み分けだった。
怨敵である鬼舞辻無惨の首は刎ねた。倒した筈である。しかし鬼は未だに存在した。鬼舞辻無惨由来の鬼は連鎖的に消滅するかと思われた鬼たちは未だに人々を食らっている。
そして考えられる可能性は二つ。
鬼が独立したか、あるいは鬼舞辻無惨は死んでいないか。そして産屋敷の見解では『鬼舞辻無惨は生きている。彼は太陽光でないと効かない』と判断した。
「炭治郎さん。難しい顔してますね」
「え、あ、そうですか!?」
「無惨のことですか?」
「はい。俺は倒したと思いました。でも、鬼は消えていない。その感覚と事実の折り合いがつかなくて」
「確かに。貴方も、私も、あの場にいるものは無惨の首が切られるのを確認した。なのに鬼がいる。無惨が生きている。そう思うと不安なのはわかる。だけどね、炭治郎さん。少なくとも貴方は弱いところを見せてはいけない」
柱なのだから。
そんな彼が不安な部分を見せれば、それは全体に及んでしまう。だからこそ、厳しい言葉をかける必要があるとカナエは思っていた。
「でもね。私の前だけでは、弱くても良いのよ。炭治郎くん」
「ありがとうございます、カナエさん」
炭治郎はカナエに抱きしめられながら、感謝の言葉を言うのだった。
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