ドリームノート   作:めるね

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 ――そうして【時は巻き戻された】。

 

 改めて証言台に立つ私は呆けることなく、今度こそ議論、に…………?

 

「――はっ…………?」

 

 ――なぜ、私は廊下で足を縺れさせ転びかけている?

 

 何だ……どこだ、ここは……いや、いったい【いつ】に巻き戻った……!?

 

 懲罰房から裁判所に連行されている……?

 いやありえない、あの茶番だけで一時間使ったのだぞ。それに看守の姿もない。

 

 想定外の事態に混乱する私を置き去りに、怒声が聞こえた――ラウンジから。

 

「まさか――」

 

 疑念はもはや確信に近い。

 ラウンジに駆け出し扉を開ける。

 

「――――! ――!?」

「――! ――!?」

 

 力加減を一切考えず開かれた扉の激しい音に、胸倉を掴み合い争っていた少女達は、私に驚きと怪訝の顔を向ける。

 

 やはり……【一時間】ではない。

 

 私にとっての【始まり】に戻っている――!

 

 ――ッ、こんなところにいる場合ではない――!

 

 戻る前の裁判、呆けていながらも聞き取れた部分、覚えている内容があるはずだ……思い出せ……

 

 “ホール――階段――”

 

 水底で囁かれるように朧気な――繰生エルの声。

 

 【二階ホール】か……!

 

 思い至った瞬間に【時を止めた】。

 そしてすかさず目的地へ駆け出そうとした、直前――脳裏に過った妙な直感。

 それは“前回”感じたものだ。

 

 この場を治めなければ、確実にここで【死人が出る】。

 

 ……どうする? この場は無視して現場に向かうか?

 所詮アレはあくまでも直感でしかない。

 

 ならばひとまずは、あちらで今後起きる事実を確認、いや、可能ならば食い止めて改めてラウンジ戻って来るのがベターだろうか。

 運が良ければ怪我人が出る程度で両方凌げるかもしれない。

 

 仮に死人が出てもやり直してしまえばどうとでも……いや、それは【大丈夫】か?

 

 今、私の【時を戻す魔法】は不具合を起こしている。

 結果として、都合良くこの時間に戻ってこられたが、本来ならば裁判から一時間前に戻っていなければならないのだ。

 

 そう、今回はたまたまユーザーに有利なバグが発生したようなもので、次に時を戻したら一分しか戻りませんでした……なんてことも起こりかねないのでは?

 もちろん今は元に戻っている可能性も充分ある。

 あのときは妙に感情が昂っていた。それが引き起こした現象と考えるのが最も辻褄に合う。

 

 あと何度か魔法を実験し、願わくば【遡れる時間が拡張された】という確証を取りたいが……。

 ある種の暴走状態にあるかもしれない能力を、適当に試してみることもまたリスクではある。

 しかし、それを言い始めれば私は永遠に【時を戻す魔法】を使えないとも言える。どこかで決断は必要だ。

 

「…………」

 

 止まった時のなか、自分自身の沈黙が妙に響く。

 

 ……?

 ふと、視界の端で黒い煙のような何かが揺らめいた気がした。

 

 いやいや、止まった世界で何かが動いたなどと、どうかしている……さすがに疲れているのか。

 そんな精神状態で思いついたショートカットは大抵ろくなことにならない……か。

 

 私は“前回”の直感に従い――時間停止を解除する。

 

「消えたナイフの話なら外からでも聞こえている! 持ち出したのは私だ」

 

 もちろん嘘である。

 私のホラに片方は安堵し、片方は何でそんなことしてんだよと食って掛かってくる。

 

「図書館の本を解読したらたくさんナイフが必要な儀式を見つけてね、試してみようと思ったのだよ一緒にやるかね?」

 

 もちろん口からでまかせである。

 だが、あほくせーというぼやきともに空気が弛緩し始める。

 二人とも脱力し、相手の胸倉を掴んでいた手は自分の衣装直しを始めている。

 

「ならあの隅っこのアレが哀れだから二人で頑張って慰めるといい、では私は急ぐからこれで」

 

 アニマルセラピーの保険もかけておきながら、【加速】して部屋を飛び出す。

 

 ――ラウンジ近くの階段を登る直前、通路の奥でヤジロベエのように両手を広げて揺らしながら歩いているルカラの後ろ姿が見えた。

 何をやっているんだアレは……。

 

 ……待て、奴は牢屋敷以前における唯一の知人、互いに全く異なる姿になってはいるものの、同じ立場と言っていい。

 まずはあいつから情報を引き出すことが肝要だろう。

 

 しかし、私の現状を洗いざらい説明しその後に回答を得る……数分で終わるものではない。時間が足りない……!

 情報を両取りするなら、後に必ず一度【戻る】必要がある。しかしそれはどちらが先でも、結果的には同じ。

 

 どちらを先にする……?

 

「…………致し方ない」

 

 直感は事件現場を優先した。

 

 ルカラは後回しだ、【ルカラはこの時間ここにいた】。それだけで何もせずとも既に一つ収穫を得たと言える。

 今はとにかく目的地へ向かって最短最速で駆け抜ける。

 

 【加速】終了――想定よりも距離を稼げたようだ。魔法のインターバル中は普通に走る。

 

 【時間停止】――止まった世界を走る。

 

 走る。走る。走る――――

 

「……ふぅ……、……?」

 

 ――長い。

 【時間停止】の時間が長い……気のせいか……?

 

 1……2……3……4……5……?

 

 おかしい、十秒以上経ったと思った時点でカウントを始めてなぜ五秒も数えられる……?

 

 ……これは……間違いない。

 【止められる時間】が伸びている――

 

 そう思い至ったタイミングで、丁度時が動き出した。

 

 なるほど、どういうわけか魔法が強化されているらしい。

 きっかけは“前回”の巻き戻しからか。

 

 【遡行】は、遡れる時間が延長されている。

 【加速】は、速度の上昇か、効果時間の延長……過ぎ去る景色に違和感を覚えなかったのでおそらく後者だろう。

 【停止】は、効果時間の延長。

 となれば【停滞】も同様に効果時間の延長が期待できる。より遅くできる可能性、あるいは両取りの可能性もあるが前者と認識しておこう。

 

 ここまでろくなことしか起きなかったが、ようやく僥倖だ……!

 ――と、喜べたのは束の間だった。

 

 またも視界の端に黒い靄が掠める。

 

 さすがに二回目ともなれば嫌な予感を無視できず、少し意識をそちらに割く。

 そしてその予感の正体に気付くのに一秒も必要なかった。

 

 行った動作は、まっすぐ前を見据えていた顔を少し下ろしただけ。

 

 ――手。

 

 私の、手が――

 

 【異形】のそれと……化している。

 

 より正確には、私の両手が薄暗い何かに包まれ揺らめいている。

 煙と表現するのが分かりやすいのかもしれないが、私はなぜかそれを“影”のようだと感じた。

 そしてそのヴェールの下では【魔女】のように鋭く伸びた黒い爪により、オペラグローブは突き破られていた。

 

 そうとも、私はこの現象を識っている。

 

 これは――【魔女化】だ。

 

「おやおや私はいったいいつからネイル趣味なんぞに目覚めていたのかねぇ?」

 

 乾いたジョークがやたらとに耳に響いた。

 薄ら笑いのように頬が引き攣っているのが分かる。

 

 では、いったいいつからこうなっていた……? 最初の兆候は……ラウンジで時を止めたとき、か。

 しかし、時が動き始めてからも少女達からは何も突っ込まれなかった。

 

 私が介入した直後なら混乱もあって気付かなかった可能性も否定できないが、冷静になってなお“これ”に気付かないなんてことはあるだろうか?

 

 気付けなかった可能性としては……そもそも視界に入っていなかったという線。

 自分が片手をポケットに入れる癖があるのは自認しているが、大慌てで扉を開けた後、場を沈静化させないといけない局面で、ポケットに両手を入れる……なんて余裕たっぷりのルーティンを無意識化でこなせるだろうか?

 と言うか両手をポケットに入れるなんてことは普段もしていないはず。片手はフリーにしておかないと普通に動きにくい。

 なら片手はポケット、もう片手は腰に手を回していた……?

 いや、いくら何でも平常心過ぎるだろう。逆に不自然だ。

 

「…………」

 

 答えは出ない。

 想定される変異のトリガーは……部屋を出る直前の【加速】の発動だろうか。

 これなら異形化がそこで始まっても、その変化を目で追えない可能性は高いだろう。

 

 ……まぁいい、早くに気付けたのは不幸中の幸いだったと思おう。

 

 誰かと会った時は、両手をポッケインしなければならないな……、それもすぐに――

 

 気付けば現場に到着していた、からだ。

 “前回”での断片的な記憶を頼りに真っ先にここを目指したが、正解だったらしい。

 

 ――【繰生エル】……彼女はそこにいた。

 

 遠目からでもはっきりと分かる。

 彼女の袖が真紅に染まっていることが。

 それが決してドッキリ仕掛けの色ではないことが。

 

 とどのつまり私は――何一つ間に合うことはなかったのだ。

 

 だから、観念するように両手をスカートのポケットにしまった。

 

 身動ぎ一つせず腰を抜かしているかのようにぺたりと座り込んでいる少女に向けて歩を進める。

 彼女は気付かない。

 

 更に一歩、一歩、一歩……足音を潜めているつもりはないが、静寂のホールで、私の歩みを聞き届ける者は誰一人いなかった。

 彼女の視線の先、階下に目を向けると【被害者】と思われる少女が腹から血を流し、倒れたままぴくりともせず硬直していた。

 おそらく、もう死んでいるのだろう。

 

「……やぁ」

 

 今日も殺っているかい、と続きそうなほどの気さくな挨拶をした。

 

 突如降って湧いた場違いな声に、繰生エルは驚く様子もなくゆったりと首を私に向けて回し――

 

「ひっ――!?」

 

 一瞬にして彼女の表情は驚愕と恐怖に染まり、足腰がびくびくと震えている。

 

 まるでこの世のものとは思えない化け物を目にしたかのような反応だ。

 いくら犯行現場を押さえられたとは言え、こんな的外れな怯え方をするだろうか?

 演技なら下手にも程がある。

 

「あぁ待て、確かにこんな現場を見つけられて焦る気持ちも分かるが、私は君が犯人だと断定するつもりはない、まずは――」

「――そ、の……姿、は……?」

 

 とりなそうとする私の台詞は、流血沙汰さえどうでもいいと言わんばかりの彼女の問いに置き去りされた。

 

「私の、姿? あぁ確かに薄気味悪いと謗られる自覚はあるが、さすがに見慣れたものだろう? 今さらそれで煙に巻こうなどと――」

 

 浅墓だ。

 

「――あなたは、フゼアさん……なの、ですか――?」

 

 浅墓だった。

 まさか更に伸びた爪がスカートのポケットを破いて手が露出しているなどという凡ミスであるまいな――などと、見当違いな懸念を浮かべていたことすら。

 

「……君は、記憶喪失でも患ったのかな?」

 

 私のお仲間が増えたのか、という冗談は既に成立しないということはもう直感しているはずなのに。

 もはや、ブラックジョークでは済ませられないのだろう。

 

「気付いていない、のですね――」

 

 いや気付いているよ。気付いた。気付かされた。

 

「なんだ……私が――【魔女】にでも見えているのかね?」

 

 さぁ答え合わせをしてくれ。

 

「はい――」

 

 ああ……

 聞き違えるのことのない、良い返事だ。

 

「そうか」

 

 お手上げだ、とポケットから両手を出した。

 またしても、彼女は息を呑んだ。

 

「この両手だけは……自覚があったのだけどね。人は生涯一度も自身の目で、自身の顔を直接見ることはできないからか、見落としていたよ」

 

 スマホという文明の利器をポケットから取り出し、インカメを起動する。

 自撮りなんてしないから操作に手間取るかと思ったが、分かりやすいUIのおかげで画面は滞りなく自分の姿を映し出してくれた。

 

「確かに――【魔女】がいるな……」

 

 アニメやゲームなら……映し出される異形の姿は不気味さなり恐ろしさなりを伴って、神妙な表情をしていたり苦悶の表情を浮かべていたりといわゆる“絵”になったのだろうが、私は――

 心底から嫌そうにげんなりしているという何の風情もない表情だった。

 

 魔女化する前から元々虚ろで濁った血のような色をしていた瞳だが、その瞳孔は蛇のようだとしか形容できないものと化している。

 毒を想起させる紫色の髪は先端に向かうにつれ黒く滲み、両手と同じく煙か影のように揺らめいている。

 

 想定外だったのは、顔のどこにも亀裂が見られないことだ。

 まだ軽度……とは次に続く特徴を見れば思えないのだが……。

 

 そう、何より目立つのは、背中から下向きに生えている黒い小柄な翼。

 艷やかな漆黒、どこか棘のあるシルエットはカラスをイメージさせるが、ところどころ黒蛇の鱗を思わせる何かがそれを不自然に覆っている。

 背に手を回してみると、生えている部位は胸椎の下部の辺り……だろうか。

 いずれにせよ翼の大きさと言い、部位と言い、飛行に適しているとはとても思えない出来損ないだ。

 

 ……一応、飛んでみるか?

 

「…………ふぅ」

 

 本気で試してみたが、当然と言うべきか、まるで浮く兆しがない。

 翼にしても動きのコントロールはできるもののゆさゆさと揺れるだけだ。

 

 ……何なんだ、この飾りは。邪魔でしかないぞ……。

 

 スマホを持った腕を伸ばして、もっと全体を見てみる。

 

 ……衣装のデザインもいくらか変わっているな。

 軍服とゴスロリを足して割ったような、いわゆるミリゴスっぽい私好みだった衣装は、いささか悪趣味になっていた。

 

 肩章は、白骨化した人間の手が背後から両肩を掴みかかっているように見える。

 片掛けのマントは擦り切れ、これまた影のように揺らめくエフェクトがかかっている。

 他には全体的に、ところどころではあるが、金具が白骨のようなものに変わっている。

 

 ……やはり、ここまでゴテゴテなのは良い趣味とは言えないな……。

 

 む、牢屋敷では毎日衣装が支給されるとのことだが、この場合、私はどうなるんだ?

 元の衣装を配ってくれるのか? あるいはまさか、これが配られるのか? もしくは私が着替えた瞬間魔女パワーか何かでコレにフォームチェンジするのか。

 いや、どうやって着替えをするんだ。着脱に際し、いずれも翼がとんでもなく邪魔になる。

 ええい、何なんだこの傍迷惑なパーツは……!

 

 ――違う、そんなことを考えている場合じゃないだろう。どうかしているぞ。

 【魔女化】についてはひとまず後回しだ。

 

「……少しは、落ち着いたかな?」

「はい……」

 

 では、【事件】に視点を戻そう。

 

 まずは――【繰生エル】。

 

 未だ座り込んでいる彼女、その右腕の丈に合っていない袖からは不自然にナイフが突き出し、右袖とナイフを血に染めている。

 純白で構成された衣装にはまばらに血液が付着しており、その色艶からこれが【新鮮な血液】であることを確認できる。

 身体の左側への血痕はあまり見られない。右腕から滴った血が衣装を汚した……ということか。同時に返り血を浴びるような事態には至っていないことも把握した。

 

 ……一応、現場保存はしておいた方が良いな。

 証拠などはありったけ確保して、必要な分だけ小出しにし、後に何か不利になりそうならそんなものは提出しなければいい。事後承諾的にいこう。

 自分の姿を眺めるために持っていたスマホを通常カメラに戻し、エルの全身を撮影する。

 

「っ」

 

 ぱしゃりという音に小さく肩を竦ませる。

 

「これ、事件だからね。……表情が気に入らないならもう一枚撮るが。もっと沈痛な面持ちにしておくか? あるいはピースでも……」

「いえいえいいです……! こんなときに、何を……」

「こんなときだからこそ、リラックスしておきたい。君も私も根っこの部分ではまだ混乱している。捜査には客観性が重要だ。ある種、他人事と捉えてしまうようなね」

「はあ……」

 

 おかしなものを見る目で見られたくないが……まぁ今の私はこの牢屋敷で一番【おかしなもの】、か。【被疑者】よりも、【被害者】よりも。

 

 この辺りで捜査を始めるか。……何が証拠に残ってしまうか分からないし、目を離している隙にこの女が何をするか分からない。

 

 一応【時を止めて】調べてみよう。

 

 まずは眼前のエルから。

 

 ……やはり、袖から突き出している血塗れのナイフが目立つ。

 が、ナイフは血で一色というわけではない。ブレードの金属部分には光沢があり、ハンドルには宝石のようなものがいくつか埋め込まれている……牢屋敷の物品にしては洒落ている。

 牢屋敷での食事用のナイフがどのようなものかは分からないが、これはそれとは違う“気がする”。

 

 そもそも食事用のナイフということもあってか、強い殺傷性を有している形状ではない。

 波刃のないテーブルナイフ……素材は……ヴィンテージ感が強いが、ステンレス製だろうか……。

 厳かではない楽しい食事会で使いたい逸品……という趣だ。

 

 血で濡れた袖も衣装の純白さから紅が異様に目立つが、よくよく見てみれば刃傷沙汰でイメージするほどの血液量ではない。

 

 袖の中身を確認する。手は既にナイフを握っておらず力なく開かれている。ナイフは袖に引っかかっているだけ。

 

 最後は全身を掌で軽く叩きながら調べる。

 

 ……ドレスのスカート部分を叩いた時に硬いものに手が当たる。ポケットに手を突っ込むとスマホが出てきた。

 それを【空中に置き】、ボディチェックを再開する。

 

 一定の硬度を持つ物品はスマホのみだった。次は、それ以外の、たとえば毒草だとかメモ紙だとかを隠し持っていないか。

 ポケットがありそうな部分をまさぐる。……服の構造が分からないから存外苦戦するな……!

 できれば一度すべてを脱がして隠しポケットがないかまで確認したいところだが、とても【時間が足りない】し、仮に一時間あろうが違和感なく元に戻せる気もしない。

 

 漁ってようやく見つけたのは、染み一つ無い純白のハンカチ一枚。特に仕掛けもなさそうだ……。

 

 スマホとハンカチを元の在処に戻す。

 後で本人に所有物について問いかけ、これらの存在を隠したのなら、それは彼女が秘匿したい何かと認識するべきだ。

 運が良ければ、私が見つけられなかった何かも彼女が自発的に取り出すかもしれない。

 

 次は被害者の元へ向かう。

 被害者周辺に発生している小さな血溜まりは、腹部の刺傷が原因で間違いないだろう。

 右手にべったり付着している血は、腹部の傷を押さえた形跡だろうか?

 

 まずは皮膚に触れる。……温かいな。生者と何も変わらない。生きていてもおかしく……いや、まさにそれか? 後で確認だな。

 

 次に瞼を開いて眼球を確認する。鉱物化の兆候は見受けられない。とは言え念のため、経過観察は必要だな……。

 

 続いて腹部の傷口を確認する。

 あまり傷の範囲は広くない。ナイフが刺さったまま激しく動いた形跡は見られない。

 

 伸びた爪の先で傷口を開いてみる。止まった世界で、血液はスライムのように指を避け、その場で固定される。

 

 内臓の損傷は……素人の見立てで断定できるものではないが、小さく薄い裂け目のある【綺麗な傷】に見えた。

 

 もしもナイフが深く突き刺さっていたならば、どちらが引き抜いたにせよ多少は力を込める必要があるだろう。

 そうなればナイフがさらに傷口を切り裂き、より激しい傷になったのではないか?

 

 だとすれば……ナイフの刺さりは【浅かった】可能性がある。

 

 ……傷口と衣装を閉じる。

 

 次はこの状況か。

 考えられるのはざっと2パターン。

 

 まずは……この場で刺した。刺してから転倒させたのかもしれないし、倒れている身体に突き刺したのかもしれない。

 そしてその後、階段を登ってナイフを手に呆けたフリをしていた……。

 ……この線は考え難いな。

 

 まず被害者周辺が【綺麗】過ぎる。

 衣装に乱れがほとんどない。血溜まりも綺麗なもので、肉体を中心に静かに血が広がっているだけでそこに乱れがない。

 すなわち争いや逃避、苦しんだ形跡もないということだ。

 

 ではそもそも被害者が刺されても動くことができなかった可能性。

 

 【魔法】の存在を勘案すると、誰の魔法の詳細も理解していない私では何でもありになるためひとまずそれについては除外して考えよう。

 

 魔法を用いない手段ならば、不意打ちで昏倒させるか、薬物を使うというのが有力か。

 薬物に関しては現状確認できないが、不意打ちの一撃とは言え大抵どこかに傷が残るし、その部位も想定しやすい。

 

 首から上、だ。

 少女の首を持ち上げ後頭部を確認すると、いきなり打撲痕を発見した。

 

 部位を撫でてみる。……比較的細い陥没が確認できる。ハンマーやバットなどの鈍器による一撃ではなさそうだ。

 内出血による膨張が軽度である点を鑑みると、これも事件後あまり時間が経過していない可能性を後押しするな。

 ……薄っすらと出血もしている。これは、この傷口から生じたものだ。

 

 何にせよ気を失わせたあとナイフで刺した……と仮定すると、ナイフの刺さりが甘そうなのが気にかかる。

 力がなくとも馬乗りになって体重をかければしっかり刺すことはできるだろう。と言うか刺さってしまうはず。普通に刺そうとしても同じだ。

 狙って浅く刺してさっと引き抜く……経験がないから何とも言えぬものの、それはかなり難易度が高いのではないだろうか。そもそもそんな真似をする意味が分からない。

 

 仮にそれらの条件をクリアしたとして、エルはどうしてわざわざ二階に上がって座り込んでいる。

 “前回”の裁判の詳細は分からないが、おそらくそのまま誰に見つかることもなく翌日を迎え、死体が誰かに発見され魔女裁判が開廷、そして直後に自白した。……意味不明だ。

 ともかくこの場で刺されたという線は極めて薄い。

 

 次に目を向けるのは階段だ。

 後頭部の陥没は、階段から転倒した際に強く打ち付けてできたと考えるのが妥当だ。

 傷跡と、おとなしく血溜まりを作っている理由も説明がつく。

 

 階段にも血痕は見られない。血濡れのレッドカーペットもない。

 階段より上で刺したのなら、そのまま後ろに倒れ、ここまで滑り落ちる最中も姿勢の変化がほとんどなかったことを意味する。

 

 より一層注視する。一段、一段、……ん?

 

 階段の角にあるこれは……数本の髪の毛か。一本手に取ると、まっすぐではなく途中でくっきりと曲がっている。髪型や寝癖……ではないな。

 急いで被害者の髪の毛を数本引っこ抜き、見比べてみる。

 

 色、艶、質感、被害者のものと一致する。

 

 なるほど、ここに頭を打ちつけたわけか。彼女の身長と位置をざっくり見比べてみてもあそこに頭をぶつけるのは不自然な位置ではない。

 

「……しまった」

 

 ――魔女化以後の【時を止められる時間】は完全に把握できていない。むしろ現状、不定になったと考えた方が良い。

 

 急いで動いたがもう二分は経過しているはず。ここにやって来るまでに止められた時間を遥かに上回っている。

 

 【時間停止捜査】など途中で解除されてしまうと考えるのが自然であるのに、軽率過ぎる。行うにしても回数を刻むべきだ。

 ……まったく私は何を考えていた。我ながらどうかしている。

 

 慌てて元の位置に戻り、秒数をカウントし始める。

 

 3、4……【解除】された。元々ギリギリだったのか、意識したから効果が弱まったのか……。

 答えは出ないが現状一度に行使できる【停止時間】は二分以下……いや、念のため九十秒以下と考えておこう。

 

「――では、捜査を始めよう」

「え……」

「何をとぼけている。私は君が犯人だと疑っている、当然だろう?」

「はい、私が犯人です」

「…………」

 

 こいつはいったい何を胸を張っている……まぁいい。

 

「なるほど、君が犯人でないと君にとって都合が悪いのなら、それを台無しにするのも楽しそうだ」

「えぇ……やめてください」

 

 ものの見事に困惑している様子。

 つい溢れてしまった本心のようなものだが、意趣返しにはなったかね。

 

「まず持ち物検査だ。持っている物をすべて出したまえ。些細なものも隠さずに」

「はい、では、まず――」

 

 袖からナイフを抜き、取っ手を私に向けて渡そうとする。

 

「それは要らない」

「どうしてですか」

「それは犯人の持ち物だからだ。私は犯人ではない」

 

 今の私の手に指紋だったり、証拠能力を有する何かがあるのか分からないが、これを握らされることで妙なことになったら厄介だ。

 

 もちろんその刃を向けられるというリスクは排除できるが、私は刺されたところで【時間を戻して】しまえばいい。仮に致命傷を受けたとしても意識が残っていれば問題ない。

 いいやそもそも今の私はナイフで刺された程度で死ぬのか? 用心は必要だが……おそらく死なない。

 どう見ても魔女化が完了している今の私を排除するには【処刑】か【トレデキム】辺りが必要だろう。

 

 ……念のため、繰生エルとの間に一定の距離と視野を確保し、もし魔法のインターバル中に襲いかかられても即応できるようしておく必要があるな。

 

「ぁ、そうですね。私が犯人だから持っていないといけませんね。ごめんなさい」

「…………」

 

 犯人に謝られちゃった……!

 ……調子が狂う。

 

「……はい、どうぞ」

 

 右手でナイフを持っているため、左手だけであたふたと手際は悪かったが、スマホとハンカチを私に差し出してくる。

 

 ……ボディチェック通りだな。

 ひょいとスマホだけを取り上げる。

 

「これは預かる」

「ハンカチ、必要になったら言ってくださいね」

「気遣いに涙が出そうだよ」

「拭きます」

 

 ……こいつ、何となく私と相性が悪い気がするな。

 まぁいい。スマホを取り上げるという条件はクリアした。

 今でこそ犯人を自称しているが、私が捜査をしている様子を撮影でもされ逆に犯人に仕立て上げられたらたまったものではない。

 

「……君は犯人であっても、まだ殺人者ではないかもしれない」

 

 階段の下を指差し、一緒に来いと促し早足に階段を降りる。

 

「どういう、ことですか」

「人は存外、刺しても死なない」

 

 首を傾げる少女を横目に被害者の姿を撮影し、生存確認を始める。

 

 少女の腹部からは、まだじわじわと出血が続き、少しずつ血溜まりが拡大している。

 足の踏み場がなくならない内に急がねば。

 

「おい、生きているか! えーと【女】、生きているか!」

 

 少女の肩を叩き、揺らしながらもう片手で頸動脈の脈拍を測る。

 ……いずれも反応なし。

 

「蘇れ! 君が死ねば殺人者が生まれる!」

 

 続けて、口周りに手を当て呼吸を確認する。

 ……呼吸もなし。続けて衣装の第一から第三ボタンを外し、鼓動を確かめる。

 

 ……ダメか……。

 

「牢屋敷で死んだふりは厳禁だろうが!」

 

 スマホを取り出し、少女の瞼を開く。瞳孔の大きさを凝視し、スマホのライトを点灯させる。

 消して、点けて、もう片目でも、点けて、消して、点けて……消した。

 

「…………まぁ、人は存外、あっさり死ぬ」

 

 ここに、呆気なく【殺人事件】が発生したのだった。

 

 淡々と胸元のボタンを締め、衣服の乱れた部分を整える。

 

 …………はて。死人と、被疑者と、第一発見者が同時に揃ったわけだが、いったいいつ招集がかかるのか。

 

 スマホから通知音が聞こえることはない。

 

 思えば通知の行われる明確な基準はなかったな……ならば良し、好都合だ。それまでにやれることはすべてやる。

 

「捜査を、続けよう」

「どうしてですか。これで良いじゃないですか。私が人殺しの犯人ですよ」

「……その可能性が、高いね」

「……どうしてですか」

「と言うと?」

「私が犯人なら丸く収まりますよ」

「私の気が収まらない。いいかね、努力は報われない方が多いが、報われた方がいい。少なくとも私の努力だけは」

 

 このままこの女の思うように事が進むのは気に食わない。負けた気がする。いや、負けだ。

 私は“前回”負けた。なので、やり返さなければ気が済まない。

 一番の動機はもしかしたら、そんな子供じみた意地なのかもしれない。

 

「見たまえ」

 

 既に“物”となってしまった少女の頭を持ち上げ、後頭部を確認させる――そのときに。

 

「ん……?」

 

 首の動きがおかしいな。時間停止捜査のときには発見できなかったものだ。

 

 これは、骨折しているのか……?

 実際に見たことはないから断定できないが、頚椎を骨折している可能性がある、か。

 

「……?」

「見えにくいかもしれないが、後頭部に強い衝撃を受けている。一撃で人を死に至らしめるほどの。……撮りにくいな」

 

 と言いながら、スマホを近づけ後頭部の傷と、不自然に曲がった首を連続で撮影する。

 

「では私が鈍器で不意打ちをしたのかもしれません」

 

 ゆっくりと頭を下ろし、距離を取ると一度目と同じアングルで少女の全体写真を撮影する。

 戯言は無視した。

 

「どうして二度【アズサ】さんの写真を撮ったのですか」

 

 この少女……【アズサ】という名だったのか。

 

 ……アズサの正体に心当たりは……ない。

 …………彼女とかつての私の関係が、険悪であったことを祈る。

 

「この一枚目と、二枚目を……間違い探しだ」

「……二枚目の血が増えていますね」

「正解。答えは間違い探しをしたかったから」

「え……」

 

 よし、困っているな。

 本当は死後に時間がほとんど経過していないことと、【死因】を検証するための証拠として撮影した。

 

 そして階段を登り、髪の毛が付着していた階段の角を撮影する。

 

「これは、彼女の髪の毛にそっくりじゃないかな」

「アズサさん、そこに転んで頭を打ちましたから」

 

 ほぉう……。

 

「では君は鈍器で不意打ちをしなかったんだな」

「あ……」

 

 間抜けめ。

 

「ふっ……」

 

 相変わらずよく分からない女だが、ペースは掴めてきた。良い調子だ。

 

 階段を登り、私と繰生エルが出会った場所に戻る。

 

「でも、ここで私はアズサさんを刺しました」

「ふぅん……私、涙が出そうだよ、ハンカチ」

「どうぞ」

 

 そのままハンカチを撮影して、取り上げる。

 じっと眺めて……ハンカチをエルの顔に近づける。

 

「え、え」

「逃げなければこのまま君の鼻と口を覆ってしまうぞ」

「はい? はい」

 

 ぴとっとハンカチを彼女の顔にくっつけるが逃げるどころか困惑している。

 

「…………」

 

 ハンカチを自分の元に戻し、手で扇いで匂いを確かめる。

 

 ……うーん、良い香りではあるが薄いフィルターを一枚挟んでいるかのような、少し曖昧な感じだ。

 香水等の香料由来ではなさそうだが、ラクトン……なのだろうか。私の知っているものとは多少異なり生物感があまりないが、それでもそれが一番近いか。

 

 さて、これで薬物で昏倒させた線もより薄くなったか。

 まぁその手の薬品はすぐに揮発するからこれだけ時間が経っていてはまるで効果を期待できないだろうが、薬品臭が一切残らないということもないだろう。

 

 香水等による匂いの上書きもないし、そもそも牢屋敷に香水なんて嗜好品があるわけがない。……年頃の少女にそれは辛いな。

 無水エタノールがあるのなら調香は不可能ではない。が、無水となると医務室にあるかも怪しいな……いや、無いだろう。質は落ちるがアルコールで代用も不可能ではない、のかね。

 まぁ牢屋敷のどこかに果物でもあれば精油も何とかなるだろうか。実際にやったことはないが、余暇があれば皆に精油、香水作りを提案してみるのも悪くないかもしれない。

 

 ……馬鹿が、そんなくだらないことを考えている場合か。そもそもこの生き残りの数、精神状態ではそんなレクリエーションに意味などない。

 

 閑話休題、薬品と言えばそもそも、牢屋敷にある薬品に無色のものはなかった……【気がする】。

 仮に着色料のついた薬品を人を昏倒させられるほどあの純白のハンカチに垂らせば……確実に色が残る。

 

 ……ハンカチを彼女に返し、ひとまず、私視点での捜査は一度終了だ。

 

「では次は君の話を聞かせてくれ。いいか、過不足なく、客観的に、語りたまえ。もちろん私が犯人ですQ.E.D.は禁止です」

「困ります」

「頼む、私が君を犯人だと主張するのに必要なんだ」

「それなら……」

 

 ずっとよく分からないと思っていたが、ただのアホの子なのかね……。

 

 そして少し遠い目をした彼女が口を開き――【視界が誰かに移り変わった】。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――

 

 

 “私”は明日、みなさんとお料理をしようと思っていました。

 工夫をして少しはまともな食事を摂れば、ストレスも減るのではないかとみなさんが企画したからです。

 

 そんな折、私は牢屋敷の物置で、綺麗な食器をたくさん見つけたのです。

 いつもの色を感じない食器と違って、どれもとても綺麗で鮮やかで、これを使って食事をすればきっといい思い出ができるでしょう。

 私は運搬台を用意しました。必要なものをそれぞれ七つずつ集め、決して壊してしまわないようにゆっくりと、運搬台に乗せ運び始めました。

 

『きれい……』

 

 つい、私は一つずつ手にとってはうっとりし、食器台に戻すことを繰り返してしまいます。

 お皿にグラス、スプーン、フォークに……

 私のだぼだぼの長い袖まで小躍りしてしまいました。

 

『明日が楽しみ』

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――

 

 

 ――視界がぎざぎざと罅割れ、誰のものでもない俯瞰視点に切り替わった。

 

 

 

『明日が楽しみ』――

 

 その希望に満ちた声は、何者かの怒声に覆われる。

 運搬台に戻す直前、反射的に袖に潜められた【ナイフ】と共に。

 

 声の主は【アズサ】。

 少女は逃げてきていた。

 ラウンジでの喧騒に、散々身につまされた死の気配をいち早く感じて早々に逃げ出したのだろう。

 

 そして、息も絶え絶えに辿り着いた階段の先に【少女】を見つける。

 

 “明日が楽しみ”だと恍惚の笑みを浮かべている――ように見えた【繰生エル】を。

 

『……エル……ここで何を? 今ラウンジヤバい感じになってて、私は、ついうっかり逃げ――って……【うっかりさせる、魔法】――?』

 

 アズサは、ラウンジでの不可解な喧騒を繰生エルの謀略だと確信した。

 

 【繰生エル】は、【うっかりさせる魔法】が使えるから。

 

 アズサは叫ぶ。

 

『アンタ……それ、何運んでんの……? そう、そういうこと――すべてアンタの仕業かッ……! いや、アンタが黒幕だったんだなッ!?』

 

 狂気の宿った目で階段を駆け上がる。

 

『もうみんなを、これ以上死なせてたまるかああああ!!』

 

 繰生エルは慌てて首を振る。

 

『何を、仰っているのか分かりません落ち着いてくだ――』

 

 疑心暗鬼に狂している少女を刺激しないよう、袖の中に潜ませたナイフを必死に握り締めたまま――

 繰生エルは勢いよく飛び込んできたアズサに強く肩を掴まれ押し倒される。

 

 沈黙が流れた。

 

 血が、流れた。

 

 アズサの腹部から。

 

 繰生エルの袖から。

 

 二人ともが状況を理解できず呆然としている。

 

 ゆっくりと立ち上がったアズサは震える手で腹を押さえ、困惑と、恐怖と、憤怒と、悔恨と、絶望――数多の感情をぐちゃぐちゃに煮詰めた表情で繰生エルを見つめた。

 

 繰生エルは無機質な瞳で、アズサの瞳をただ眺めていた。

 

 やがて気を失うようにアズサはゆらりと後方に倒れる。

 

 がたん、ずざざざざざ、ざ、ざ――――

 

 アズサは、階段の底まで滑り落ちた。

 

 繰生エルの袖からは、血の滴るナイフが突き出ていた。

 

 ぽとり――と純白のキャンバスに滴り落ちた純血の一雫が、決して拭えぬ染みとなった。

 

 繰生エルは、無表情で時計の針を見つめていた――

 

 

 

 

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