ドリームノート   作:めるね

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ミドルノート

 

 

 

 

 ――そして、【私の視界に戻った】。

 

「――以上、自白です」

「……っ――」

 

 先程の怪現象は何だ……まさか彼女の【魔法】か?

 という当たり前の疑問も含めたすべてのイレギュラーを、私は無視した。

 

「……どうされましたか」

「君は料理のためにナイフを持ち出し、アズサに見つかり襲われ、ナイフが刺さり、アズサが倒れた――それで、いいのか?」

 

 エルの肉声の代わりに突如私の視界を覆った映像を元に要約し問い質す。

 

「そうですね。私が犯人です」

「――――」

 

 つまり、一切を聞き逃してしまった彼女の証言と、私の見た謎の回想の内容はおそらく一致しているのだろう。

 

「ッ――――」

 

 ……これは、【殺人】か? 【正当防衛】か? 【事故死】か?

 ……【殺人】だ。少なくとも、この牢屋敷では。

 

 私は他人事のように冷静で、自分事のように深刻だった。

 

 詰む――と考えたからだ。

 彼女が、ではなく、私が。

 

「時間――時間はッ? 君がアズサと遭遇してから私がここに来るまでの時間だ……!」

 

 ここが分水嶺……! それ次第で既に私は――

 

「三分くらい、でしょうか」

「く……、その根拠は?」

「ずっと時計、見ていましたから」

 

 三分……私がスタート地点に【戻り】、ラウンジで騒動を治め、【時間操作】を駆使してここに到着するまで【実時間】で三分とかかっていないはず。

 アズサはラウンジから【逃げ出していた】。私が戻った時点で彼女は既にラウンジにおらず、また私の視認圏内にも存在していない。

 

 ……これは、もう……

 いや、思考を止めるな。状況を再整理する。

 

 アズサは派手に転倒した……少女とは言え、受け身さえ取ることなく階段から転落すれば言うまでもなく大きな音がする。

 私はここに来る道中、そうした音を聞いていない……。

 

 では音が発生しない殺し方――刺してから倒れる前に支え下まで引きずり下ろした、もしくはその場で気絶させ刺した――

 馬鹿か……! それらの可能性は捜査で否定しただろうが……!

 

 ではルートの違い――

 私は先にラウンジ近くの階段を登ってから二階を目指した。

 アズサは逆に一階の廊下を通り二階へ向かった。

 これなら私が道中彼女を視認できなかったことに説明がつく――

 

 くっ、音の問題の解決にはなっていない――!

 

 どうする……【時間を戻して】一か八かアズサを先に確保する可能性に賭けるか?

 私がラウンジで騒動を収める数十秒で事件が発生した可能性もあるが……たかだか数十秒をカットしたところで私は間に合わない。

 いや、今の私はあらゆる魔法の持続時間が強化されている。運良く現場到着まで時間を止め続けることができればあるいは――

 

「――あり、えない……」

 

 思わず一歩、後ずさる。

 

 私は――【魔女化】している。

 

 【時を戻しても魔女化は元に戻らない】。

 

 この姿で、間に合ったとして、説得する?

 アズサは疑心暗鬼の半狂乱だったというじゃないか、そこにのこのこ化け物が出向いて、『待つんだみんな仲良くしよう』? 冗談ではない――!

 

 ならば見られる前に時でも止めて気絶させるか? そしてすぐにラウンジに戻り、こちらも全員気絶させる?

 二つの現場を抑えた後に皆を集めて『知らない間に私は魔女になってしまったようだ、そういうわけで改めてよろしく』と笑顔で挨拶すれば解決か?

 

 嗤えるな――

 

 受け入れろ。【私が戻った時点で既に事件は起きていた】。

 そしてもう事実上【開始時点に戻れない】。

 正確には……ラウンジの騒動を穏便に収めることは不可能になってしまった……か。

 

 あぁ……だから詰む、と思ったのだろう?

 

「大丈夫、ですか」

 

 私の身体を支えようとしたエルを手で制す。

 

「……君は、犯人なんだったな」

「はい」

「くく、そうかい、だがそれには語弊がある」

「えぇと……」

 

 正しくは……

 

「残念だったな――私も、【犯人】だよ」

 

 本当に、残念極まる。

 

「フゼアさんも犯人……第一発見者は確かに疑われます。でも私が犯人ですので、裁判で自白します」

「もう、そういう段階ではない」

 

 私は現状を共有することにした。

 

「犯人は二人に絞られる。君か、私か。他の三人は先ほどラウンジにいたことを確認している、ルカラは通路でヤジロベエをしていた。四人にはアリバイがある」

 

 もちろんこれは私の主観によるアリバイでしかない。ルカラが今夜の終了まで常に単独行動をしていたなら、私からの証言でしかアリバイを取れない可能性もある。

 加えてそれぞれの少女が有している未知の【魔法】次第では絶対的なものではないこともまた承知だ。

 

「やじろべえ……」

「この状況、私の目線で普通に考えれば君が犯人だ」

「そうです」

「だが私は【普通】じゃない」

 

 【魔女】の指でバッテンを作る。

 

「もし、裁判で魔女化によって私の魔法が強化されていると推論されれば、私がこれまでにないレベルの超加速をしてアズサを殺害後、君にナイフを握らせた。あるいは――」

 

 【時間停止】を使えるようになった……との指摘もありうると続けようとしたが、この発想がすぐに出てくるのは私がその能力を有しているからかもしれない、と思い言葉を切った。

 

「……ともかく、高速移動できたり、時間の流れを遅くできる魔女がほぼ同時刻に同じ場所にいた。

 それだけで、ただ単に君の手に血染めのナイフが握られ、衣装に血が付着しているというのは確たる証拠として機能しなくなる。

 加えて【魔女は殺人衝動に支配される】。

 さて、【魔女裁判】において疑わしいのはどちらかな」

 

「自白しますよ」

 

「証拠のない自白には説得力が必要だな。私というイレギュラーを払拭するほどの。

 それにここにやってくる前、私はおかしな行動をしている。実はラウンジではどこぞのナイフが大量に無くなったと揉め事があった」

 

「それも私が犯人です」

「……それはそう」

 

 運搬台に並べられている食器類を確認する。

 用意されている数は……どれも七人分。……ナイフが六本しかないという一点を除いて。

 

「ふぅ……、私はそのラウンジでの揉め事を止めた後、【加速】の魔法を使って大慌てで部屋を飛び出した。

 こういうのは放置すればさらなるトラブルの種になる。

 消えたナイフの行方を探そうとしただけだが、ともすれば狂気じみた目的意識さえ感じさせただろう。

 急いで“どこか”に向かわなければならない理由がある、と――」

 

 適度に嘘を交えながら話す。

 実は私は時を遡って殺人事件を防ぎにきた魔女なのだよ……などと、この女に対しても口にするわけにはいかない。

 

「同時に、私のアリバイも否定されている。私の【時間操作】は、皮肉にも時間による無実を否定する。

 私にだけは、物理的に間に合わないというアリバイはない。無論、死亡推定時刻にもばっちり噛み合っている」

 

「そんな――私が犯人なのに」

「もう君がこれまで何回犯人と言ったかクイズにしたくなってきた」

「今から数えておきましょうか」

「要らん」

 

 そも魔女化している私がこの場にいる時点で、どう囀っても私とエルなら心証として私が犯人筆頭は避けられない。

 

 仮に彼女が自白して、それが正しかったとして――【それでは前と変わらない】。

 

 戻ってきた意味がない、むしろ悪化している。

 

 今日を凌いでも、ある日前触れもなく少女が悪趣味な姿に変貌し、屋敷を闊歩し始めるという現実的な恐怖と疑心はいずれ新たな事件を引き起こす。

 何より私がこのままでいられる保証はない。【なれはて化】してしまえば魔法自体が――、

 

 ……ここで放置していた疑問が甦る。

 

 そもそもどうして、私は【魔女化】した?

 

 魔女化の進行は魔法の乱用ではなく、過剰なストレスによって引き起こされるはず。

 ストレスを感じていたのは当然だが、それが過剰であるかと言えば否だ。

 嫌な予感や確信程度でほいほい魔女になるのなら、ほとんどの少女が一瞬で魔女に堕ちるだろう。

 

 ある日突然牢獄に監禁され、死人が出て、裁判で断罪し、処刑を観劇し、なれはての末路を見届ける――この一連の流れをそこらの女子中学生のメンタルで耐えられるはずがない。

 何なら、死人が出る以前に牢屋敷に監禁されただけでアウトだろう。

 

 けれど現実には、何度もこの工程を繰り返してなお、突拍子もなく魔女化しまうほどの侵蝕は見られない。

 【禁忌】を抉られたときに変化が発生するのが基本だ。

 

 無論、自分がそうなった原因に心当たりがないでもない。

 

 “前回”、私は強烈な感情に突き動かされ【時間遡行】を敢行した。

 

 それは【憤怒】。己が身に降りかかる不条理を認めないという、ある種幼稚な感情だ。

 その怒りの根源が私の何らかの禁忌に抵触した可能性は否定できないが、私はあの怒りを前向きに捉えている。より大袈裟に言うなら希望。

 

 これまでの人生経験としても怒りは決して負の感情と言えるものではないと思っている。

 自分が許せない何かを変えるための原動力であり燃料。であれば不条理を許せない強い感情は、正しさだ。怒りとは正しさを伴っている。

 強烈とは言え、ある種ポジティブな感情が魔女化を促すとは思えない。

 

 とは言え仮に……それが起点となっているなら、戻ってきた瞬間に魔女化していないと不自然なのだが……。

 

 ならばこの現象は間違っている、か。

 だとすればその不条理に対する怒りと――気合いと根性で元に戻れないものか。

 

 そうだ、認めてはならんだろう。このような理不尽を――!

 

「…………」

 

 ――駄目か。

 

 一瞬とは言え本気でキレてはみたが、良化も悪化の兆しもない。

 やはり魔女化は不可逆的な現象なのだろうか。

 

「待て……」

 

 脳裏で弾けた突然の閃き。現状を打開するための発想の転換。

 

 ――【時間を進めることで、戻せる時間を増やす】……すなわち魔女化の進行。

 

 無論、なれはてと化すリスクもあるが、【メルル】のような例も……――

 

 ――ん、メルル……?

 そういえば今回の13人のメンバーにはいないはずだぞ!?

 

 ……落ち着け魔女図鑑だ――

 

 スマホで魔女図鑑アプリを確認するもやはりいない。

 当然、【エマ】も【ヒロ】も、その他【まのさば】で見知った存在は一人として――!

 

 待て待てどうなっているなぜそんな重要なことに今の今まで思い至らなかった……!?

 醜態だ……! だがそれを恥じるのは後で良い、今は現実に対処しろ!

 

 一つはここが【まのさば本編以前の牢屋敷】である可能性――

 メルルが魔女候補のフリをして紛れ込むようになったのは、少女達の気持ちを理解したいという想いから……つまり、初期はとてもシンプルな黒幕として監禁生活に参加せず観察に徹していた。

 

 ……いや、“前回”私は【事前投票】で懲罰房にぶち込まれた。

 そしてまのさば本編でのゴクチョーは、事前投票システムを【以前から準備していた】と言っていた。

 あの局面でゴクチョーがわざわざそんな嘘を吐く理由もない。

 つまり、それまでの牢屋敷では事前投票制度は存在しなかったことを意味する。

 よって、ここが過去の牢屋敷である可能性はほぼ消えた。

 

 では、何かが起こってしまった本編後の未来の可能性――

 これは無いと見なしていいだろう。理由は明白、アズサの血に【蝶が舞っていない】。

 まぁ世界各地に牢屋敷が存在していて【此処】はあの牢屋敷とは別の島だと言われれば終いだが、それを言い始めると現在過去未来、何でもありとなってしまう。

 絶対にありえない、とまでは言わないものの、前提にするべきものではない。

 

 ならば……ゴクチョーのほのめかしから想定される説の一つ、まのさば世界にはパラレルワールドがあり、この牢屋敷は【あちら】とは違う世界線であるということか……?

 

 だとしても、我々が殺処分されていないということは、何らかの思惑を持って魔女候補を生かしている存在、黒幕に相当する者がいるのは間違いないだろう。

 ならばそいつは誰だ。今生き残っているのか?

 それとも私に覚えのない六人の死者の中で、死んだことになっている?

 そもそも13人全員が被害者で、黒幕は運営側に潜み観察に徹しているという線も十二分にある……!

 

 く……! 退場済みか不参加なら現状黒幕の特定は不可能に近い……! 実にマズい――!

 

 いずれにせよ派手に動きすぎるのは危険だ。私が黒幕の計画を壊すイレギュラーと判断されれば、全員纏めて即刻処分される可能性がある。

 少なくとも私が黒幕ならその選択肢はある――!

 

 私の魔法はおそらくヒロのように自動発動しない。

 この肉体を殺せるのかという論はさておき、万一を警戒するなら意識を奪われた後に殺されたり、不意打ちで即死させられるなりすれば終わりだ。

 いや殺す必要もない。死なないのなら意識を奪って、その間に厳重に【封印】してしまえばいい。なれはて化などさせなくとも冷凍保存してしまえば魔女などただの置物だ。

 

 私は【自動的に時を遡ることはできない】、そして【死に戻れない】。

 

 さらに魔女化で擬似的な不死になっているとは言え【トレデキム】や【魔女を殺す魔法】の例もある。よって、魔女の肉体は他者からの加害による身の安全を担保しない。

 特に、入手さえできれば誰でもお手軽に使える化学兵器トレデキムを霧状にして牢屋敷に散布することが可能なら、常に生殺与奪を握られていると言っても過言ではない。

 

 それに他の問題もある。大魔女は、【ユキ】はこの世界に存在しているのか?

 あるいはそれに類する大魔女が魔女候補の誰かを依代としている可能性はあるのか、そいつはイコール黒幕と成り得るか……

 いや違うズレている、まずはこの13人にメルルのような魔女が混じっているのかいないのか、いるならそれは誰で、何人いて、目的はッ……!

 

 馬鹿がッ……なぜ今までこんな大問題に全く思い至らなかった……!?

 

 これまで組み立てていたエルの事件に対するロジックが瓦解する。

 目先の事件をどうこうするだとか、魔女化への対処だとか、そういう話では、なくなった……。

 

 視界が歪み始める。

 だめだ、まだだ、思考を放棄するな、しかし――

 どうする――いったい、何を、何から、どうすれば――

 

「――さん! フゼアさん、大丈夫ですか」

 

 気付けば私はエルに抱き支えられていた。

 

 血濡れのナイフは床に転がっている。

 

 駄目じゃないか、証拠品をそんなぞんざいに扱っては……。

 それに今更気付いたが、こいつ……私より背が高い……。

 

「ぁ、あぁ、悪い、取り乱したね……」

「いえ、そんなことは……」

 

 心配そうに見つめてくるエルの瞳に映った私の表情は、我ながら情けなく見えた。

 それがどうしようもなく許せず、再び心に赫怒の炎が灯り始める。

 

「……まだだ……! “この”私なら、手立てはあるはず……いや、創ってしまえばいい……!」

 

 今の私は【時を操る魔女】だ。【見るに堪えんただの凡夫】ではない……!

 

「…………」

 

 私の醜い魔女の手に、エルは自らの手を添えてくる。

 

「大丈夫です。私が、犯人ですから」

「……っ、くくっ、くはっ、ははは……」

 

 今さらそんな話かと、意識せず笑いを堪えきれなくなってしまう。

 同時に、私は一つの解を得た。

 

「あの……」

「っは、くっくくっ、あぁ、そうだね、これはもう犯人が悪い」

「! そうです」

「そうだともそうだとも」

「ですです」

 

 私の手を握ったまま、彼女は小刻みに揺れる。何だこの動きは、身体で感情表現するの下手すぎるだろう。

 こんな女の考えを読み取るより、私の出した決意を読み解く方が簡単だ。

 

 実に単純――そもそもの元凶を殲滅すれば良い。

 

 黒幕、政府、いやそうした括りに収める必要もない。自らの障害となる遍く全てを滅ぼし尽くせば良いのだ。

 本を正せばこれは、魔女候補達を蠱毒へ誘い、したり顔で観察し絶対者を気取っている【犯人】が悪いのだから。

 

 思考がクリアになっていく。

 

 必要なものは――【時間】。現在と、今後、二重の意味で、だ。

 よって、思索のために私は【時間を止めた】。

 

 さて――まずは少なくとも牢屋敷に収監された時間まで遡るだけの力が必要だ。

 それ以前の、収監以前の時間に戻ることは……どれだけ魔女化を進めても不可能だと、自分の中の何かが告げ、私はそれを自然に受け入れていた。

 ならば、初日から何度でも何度でも繰り返し、必ず黒幕と目的を炙り出す。

 

 そして、もしも目的が合致するなら黒幕とだって手を組もう。

 

 仮想敵、その一匹目は現状――【政府】……と一言で切り捨てることもできない。

 【あちらの世界】では、政府内にも【強硬派】と【穏健派】の派閥があり、強硬派が主流派閥であるものの、メルルと穏健派の折衝により魔女候補達を殺処分ではなく監禁生活という蠱毒に放り込むことで手打ちとなったとのこと。

 勿論こちらも同じ状況とは言えないが、ひとまず参考例として第一に考えておくべきだろう。

 その前提なら、強硬派は確実に敵と言えるが、穏健派に関しては取り込む余地もある。ならばこそ下手に敵に回して強硬派への鞍替えや潮流の変化、ジェノサイド已む無しという結論へ至らしめるのもナンセンスだ。

 

 次に国家として、魔女関連の事象に対して他国とどのように渡り合っているのかも不明だ。

 駆け引きを誤れば比喩ではなく世界そのものが敵となりかねん。最悪、魔女に反逆を受け支配権を奪われた場合、対象施設に即時核を投下するなんて条約を結んでいる可能性もある。

 仮に他国からの干渉なく政府を鏖殺できたとしても、それにより国家機能が麻痺してしまえば、次は純粋に他国からの軍事的侵略や戦争を招来させかねない。

 滅ぼすのならば、代替システムを予め構築しておく必要があるが、その辺りは一個人や少数精鋭程度で掌握できるものではない。適した人員と魔法が必須要件、現状では検討不能ゆえ今は警戒することしかできないな……。

 

 そして最も警戒すべきもう一匹の害虫、いや害鳥――【ゴクチョー】。

 表では政府の小間使い、裏ではメルルの使い魔という立場を取っていたが真実はそのどちらでもないだろう。

 念写された写真にはユキとメルルと共に映り込んでいたが、これと現在の差異をどう読み取るか。

 

 第一は、本来は魔女の使い魔だったが、何らかの軋轢や不具合により魔女に反目する道を選んだ、あるいは人間に洗脳された。なれはてをマインドコントロールできるのなら使い魔に対しても行えて然りだろう。

 

 第二は、初期に魔女と交流を持った人間が魔女因子を解析、応用し組み込んだ後、プレゼントや友好の印という形で、魔女側にスパイとして送り込んだ物品。

 ……魔女が現存していた時代に、人間が魔女に対してそこまでの科学的アプローチができていたとは思えない。この説は無理筋か。

 魔女の島から回収した使い魔を、後に人間が洗脳ないし改造して利用している……という方がしっくりくる。

 

 第三は、【魔女を滅ぼしたい】といった思想を持った大魔女が使役、あるいは依代としている“何か”の可能性――

 いささか突飛な発想だが、【魔女は滅ぶという予言】を自ら行ったか利用して、魔女達に諦観を植え付け滅びの道に誘導した何者かがいても不思議には思わない。

 

 何せ少しSNSで検索をかければ、人類なんて滅んでしまえとほざいている人間など腐るほど存在する。本気で、心の底からそう思っている者も世界中には蛆の如く湧いているだろう。

 そうした自滅思考を持つ存在が権力と知恵を持てば種の絶滅など簡単に引き起こせる。閉塞したコミュニティならなおのこと。

 

 ゆえに、種族心中願望を宿した一人の狂った大魔女が、【人間を利用して】魔女の絶滅を引き起こし……今なおその野望を抱き続けている可能性もなくはない。

 仮にそうした魔女が使役していた使い魔だとすれば、ゴクチョーは真の主に対して忠実に役割を果たしていることになる。

 ユキの計画が成功しようが、全ての魔女因子を回収して犠牲になろうが、いずれにせよ【魔女の駆逐】という目的は果たされる。そのためにメルルの方針に追従する方が、人類絶滅戦争を引き起こすよりも合理的かつ現実的だ。

 

 また、件の魔女が慎重な性格であった場合は、魔女の絶滅をしっかりと自身で見届けた後に最後の一人として自滅を図るだろう。

 そのために依代を利用すれば肉体の死後も意識を保てること、さらには復活さえ可能なことはユキが証明している。

 よって、ユキより先に肉体が死して依代に移った者がいたとしても、ユキが最後の魔女の生き残りという認識と描写に矛盾はない。

 

 他にも細々思いつくが、大別するとこんなものだろうか。

 

 が、そもそも政府とゴクチョーの繋がりさえも分かっていないのは痛いところだ。

 政府の中枢にゴクチョーが座しているのか、穏健派と共生しているのか、あくまでメルルの使い魔であるという体裁を保っているのか、あるいは三者三様それぞれ独自の利害で動いているのか。

 

 推察できることは、政府にしろゴクチョーにしろ、形は違えど【魔女の駆逐】を目指している――と思われること。

 

 ただし、あの作中描写だけで、すべての世界線ですべてのゴクチョーが同一の目的を持っていると断定するのもまた危険だ。

 魔女に与してスパイ活動を行っている者もいるかもしれないし、【人間】、【魔女】以外の……たとえば【神】の創造を目論む者もいるかもしれない。

 まぁこれらについても全て現状は妄想の域を出ない。ひとまず【私の敵】であると仮定して行動しつつ真実は後で明らかにすれば良い。

 

 今後は、【政府】、【ゴクチョー】――そして【魔女】の三勢力に分裂する可能性は高いだろう。

 

 無論、いくら私が多少の時を操れるとは言え、たった一人で立ち向かう慢心は当然ない。

 あちらの世界の知識を持っているとは言え、その情報をこちらでもイコールで適用するのは浅薄過ぎる。

 

 目下、その敵達はトレデキムなどという対魔女必殺兵器すら既に開発し、さらにはなれはてを看守に仕立て上げるマインドコントロールという術も有している。

 時間を止められるから、時間を遡れるから、大組織に喧嘩を売っても余裕で無双して万々歳? 何だそれは、筆舌に尽くし難いほど愚かしい。

 敵にトレデキムの成分を含有する武装や防御設備があれば、攻撃を受けるどころか敵地に足を踏み入れただけで時間停止も時間遡行も何の役に立たないまま犬死にだ。

 

 そしてまさに何の因果か、【時間】との勝負も付き纏う。

 ユキも言っていたが、魔女因子の解明及び根絶は時間の問題だろう。

 いや、こちらの世界ではさらに何か進展していると警戒しておくに越したことはない。

 

 組織に対抗するための戦力は――言うまでもなく【この牢屋敷】に集った魔女候補の少女達。

 彼女らを【魔女化】させ、強力な魔法を矛、不死の肉体を盾とし、人間達に抗う魔女達の軍団を組織する。

 

 手始めに、12人の少女らから反逆の意志を持つ者を選定、あるいはそう決意するよう扇動し、後に魔女化を仕上げる。

 できれば全員で協力して挑みたいが……あいにくどんな奴らがいるのかも分からないのが大きなネックだな……。

 確実に引き込めそうなのは現状、ルカラだけか……まぁいい、戦力になる魔法を有していることが望ましいが、単に味方が一人増えるだけでも助かる。

 

 もし可能ならば、地下に冷凍保存されている可能性の高いなれはて達も解放し、魔女に引き戻し、取り込みたい。

 手段の見当さえついていないが、これが実現できれば単純戦力は数倍になる。

 この辺りは図書室の本を全解読し、時間遡行を利用して実験を繰り返し糸口を見つけるしかない。

 

 過程で失敗? すればいい、それは改善点が見えたということだ。到底絶望とは言えない。

 何万回でも繰り返して一つ一つ反省し、再び挑むのみ。

 

 計画を練り、戦力を整えたらまずはこの島を我々の第一の領土とし、管理者共に反旗を翻す。

 宣戦布告などもってのほか、侵略を受けたことすら気付かせぬまま一挙に制圧する電撃作戦が理想的だ。

 その後、連中を強制的に交渉のテーブルつかせ、協力させる、服従を強いる、殲滅する、あるいはその他の方針を採るか定めなければ……。

 

 ……とまぁ収まりの良い絵図を想像してみたが、無論この通りにいくはずがない。

 戦の要は情報――とはもう使い潰された文言だが、それすなわち飽きられてしまうほどの王道であることを意味する。

 私もそれに倣い、今後はより広い視野で、より深く、常に全力で思考を巡らせながら不撓不屈の意志を持って挑み続けなければならない。

 ああ、それはとても……心の躍ることだ。

 

 そのためには私自身もまた【強く】なる必要がある。

 無様なことに、現状の私にはまだ初日にまで遡れるだけの力はない。まずは効果時間等の基礎的な魔法の強化は必須。

 

 その後も与えられただけの仮初の力に胡座をかくことなく、魔法の【進化】と研究も必要不可欠だ。

 単純に効果時間や威力を上げるのではなく、概念の拡張。

 私の魔法で例えるなら、時間停止の世界に私の指定する人物を入門させたり、部位の欠損に対して部分的に時を巻き戻すことで事実上の治癒を可能にするだとか、その手の小回りを利かせられるようにならなければ。

 

 魔法の力を増幅させるにあたり最も基本的な方法は――やはり魔女化の進行。

 

 とは言え、私の精神構造と魔法の組み合わせからして、自分で言うのも何だが魔女化進行のハードルは非常に高いと言わざるを得ないだろう。

 何せ諦めの悪さと時間遡行は噛み合わせが良すぎる。何度失敗を重ねようが、何度でもやり直せるのなら失敗したというデータを得られたこともまた【成功】を意味する。

 

 元来、人は寿命とやり直しができないという大きく二つの要因により、限られた人生のリソースで得られる結果に日々一喜一憂する生物だ。

 ゆえに失敗には甘受できない痛みが伴うし、【あらゆる全て】を極めたいという果てなき理想と天賦の才があろうとも、寿命という機能的限界により極める分野を絞らなければならない。

 

 しかし、魔女という不死の肉体に加え、やり直しができるという魔法を重ねられるならどうなる?

 あらゆる短所は好きなだけ時間をかけて克服すれば良いし、あらゆる長所は好きなだけ時間をかけて研鑽すれば良い。

 そう、人としての【制限時間】が無くなってしまえば、人生におけるリソースの配分という概念は消滅する。常に全盛期が更新され続ける肉体で努力を続ければ、どんな凡人でも千年後には万能の天才だ。

 よって、甘美なる成功も辛酸を嘗める失敗も、全てが【希望】の積み重ねとして処理されてしまうのだから、数多の繰り返しにも心が摩耗することがない。

 

 それらに加えて、親族や愛犬の死に対してすら“悲しい”と感じつつも、“泣いても生き返らない、ならば泣く理由はない”という理屈だけで涙一つ流すことができないメンタリティもここでは問題となる。

 絶望的な事象に対しても、“それはそれ”と割り切って、“それ”の影響を少しでも解消するにはどうするべきかと思考を巡らせるのは、合理的であっても“まとも”とは言えないだろう。

 

 そんな条件を乗り越え魔女化を促進するには、やはり怒り、あるいは真の意味での絶望――総じて【禁忌】に相対する他ない。

 それを実現し得る効果的な手段に心当たりは……ある。

 

 己に用意された【処刑台】だ。

 これまでの知識から、おそらくは刑を受けずとも、それそのものを視認しただけで今は自覚のない己が禁忌を抉り、心を蝕んでくることだろう。

 

 だが私の人生経験を省みて、およそ【禁忌】と呼べる事象は思い当たらない。

 ただの一般人であったがゆえに、幸運にも自身の禁忌に直面する機会がなかったということだ。だがそれでも想像することならできる。

 

 おそらく――遊びでは済まされない状況で、常軌を逸した理不尽に全身全霊で抗い、成す術もなく敗北すること。そしてその敗北のリカバリーは決してできないということ。

 単純に、最も怒りを覚えるシチュエーションとは――と安直に考えた内の一つだが、的外れではないだろう。そしてこれから形作る状況に最も適している。

 人生で斯様な局面を迎えたことはないが、もしもそうなった場合、自分がどうなるか、その後どうなるかを明確にイメージできない辺り、相当危険な精神状態に陥ることは間違いない。

 

 だが私はそれを受け容れる必要があり、乗り越える覚悟がある。

 

 魔女裁判の過程で、【今の自分では幾度となく時を遡ろうと勝利の道はない】――という現実を、理屈ではなく、精神の奥底にまで叩き込み徹底的に自分を絶望させなければならない。

 

 そうした絶望によってもたらされる魔女化の進行は、魔法の強化という希望に変換される。

 すなわち追い詰められれば追い詰められるほど、活路が開けるというある種矛盾した状況下に今、私は在る。

 

 ただし、処刑台によっては魔法を無効化されてしまうことを私は【識っている】。

 ゆえに絶望的状況で、なおかつ処刑台に連れ込まれる前に魔女化を急進行させ、全力で時を遡る必要がある。

 

 そんな地獄への道を舗装する方法は、単純明快。

 この状況で、最も疑わしい私が、そのまま【犯人】になればいい――

 

 現状を整理し、結論を出したことで私は時間停止を解除した。

 

「――冗談はさておき、真面目に、私は君は犯人ではないのかもしれないと思っている」

「え、えぇ……?」

「説明しよう。君は自分が握っていたナイフがアズサの腹に刺さったから自分が犯人だと思っている」

「はい」

「殺意は?」

「あったんじゃないでしょうか」

 

 適当だな……。

 

「なかったかもしれない……んじゃないでしょうか」

 

 物真似してやる。

 

「…………」

 

 何だその何か物申したげな微妙な目は、何か言えよ。

 

「殺意の証明はできない。私にとっては殺意がなかったかもしれない主張の方が幾分簡単だがね。

 ……続けよう。ナイフが刺さった後アズサは立ち上がった。意外と普通に立ち上がったんじゃないか?」

 

「まぁ……でもとてもびっくりしていましたよ。血が出ているお腹を押さえて震えていました」

「ナイフはするりと抜けたわけだ。そして立ち上がったアズサはふらっとそのまま背後に倒れた。そのとき階段で頭を打っていた?」

「……たぶん」

 

 曖昧になったな。まぁ、断言は難しいか。

 倒れれば身体は跳ねる。それで頭が激しく動いたのか、頭を打ちつけたから頭が跳ねたのか。

 転倒時の衝撃音が身体全体から発されたのか、特定部位から発されたのかは確かに何とも言えないだろう。

 

「その後ずるずると滑り落ちて……ああなった」

 

 アズサの遺体を指差す。

 

「はい」

「よろしい。ナイフが深く刺さっていないのは状況から、階段の角に後頭部を打ちつけたのは二つの証拠から、死後あまり時間が経っていないのはこの二枚の画像の比較から、それぞれ説明できる」

 

 スマホ上の証拠画像をスライドさせながら見せる。

 

「…………」

「くどいようだが、ナイフが抜けた時点でアズサは死んでいない」

「……はい」

 

「けれど階段から滑り落ちたらぴくりとも動かなくなった。

 ……おかしいな。腹を刺されれば激痛を伴う、いや、そのときは脳内麻薬ドバドバで痛みを感じていなくとも、本能的に庇い押さえてしまうはずだ。

 刺されたと分かったのなら逃げようと藻掻くはず。これはもう無意識に、本能としてね。

 だと言うのに、彼女の右手に付着した血液は床を汚した様子がない」

 

「…………」

 

 白磁の瞳が、魔女の蛇眼を見つめる。

 その表情は、あまりにも無機質だった。

 

「加えて、腹への刺傷は間違いなく致命傷となり得るが、【死因】となるには相応の時間がかかる。

 まさかこの世界には刺さった刃物を引き抜けば一秒と持たず死んでしまうような法則があるのかな」

 

「――だめです」

 

 エルは否定する。

 だが、それは私の論理を否定しているのではない。子供の駄々のようなものだ。

 

「ショック死です。ナイフが刺さったことで強い何かを感じ、ショック死してしまったのです」

「ほぉう、ショック死か。なるほどそれは大変だ。アズサはいきなり腹部にナイフが刺さったことにびっくりして急性心筋梗塞を起こし死に至ったというわけだね」

「そうです」

「面白い言い訳を考えたね、犯人殿?」

「はい」

 

「つまりアズサは、急性心筋梗塞という急病によって【即死】に至ったわけだ。

 なるほどなるほど……つまり、これは【病死】だから自分は犯人ではない……そう主張したいんだねぇ君は?」

 

「えっ……? ち、違いますっ……私が犯人です……!」

「ではショック死とは、何なのかな?」

「っ……」

 

 被疑者を弁護すればダメージを与えられるとはまた珍妙なシチュエーションだな……。

 

「……血、血です。血がいっぱい出ましたから」

「あぁ……君が言いたかったのは、出血性ショックが死因である、ということかね」

「そうです」

「ふぅん、それで良いのだね? ん?」

「ぅ……」

 

 ……死因クイズ番組をしているんじゃないよ。

 

「出血性ショック死というのは【大量出血】による体内の血液循環の低下に端を発する。

 腕が切断されたり、太腿の動脈を深く傷つけて血液が噴水のようにびゅーびゅー飛び出すようなアレを想像してもらえれば良いが……いったいどこに、血液が、大量に、噴水のように、流出した証拠が……あるのかな?」

 

「ぅぅ……」

 

 何をしているのだ我々は……と思いながらも、正直面白くて口が止まらない。

 エルの背後に回り込み、両肩に手を置いて耳元に口を近づける。

 

「もしも君が【魔法】でその証拠を消し去ったのなら……ほぅら、この袖と、ナイフ……君の綺麗な手に付着した血痕も、あの血溜まりも消し忘れている。

 ちゃんと、証拠は、消さないとね……今なら私も目を瞑ってあげよう。さぁ、早く……消さないと……誰かが来てしまうよ?

 ほら、急がないと……」

 

 見ている者がいれば証拠隠滅を唆すのはどうなんだと言われそうだが、その場合、【証拠隠滅をした証拠】が残る。

 ……単に遊んでいるだけというところが大きいが。

 

「ぁ、ぇ、ぅっ……」

 

 “あえいうえおあお”……なんてものを思い出す。中高時代、窓の外に向かってひたすらこんな呪文を唱えている連中がいたなぁ……。

 

「滑舌練習か? それなら、“い”が抜けているよ。ほら、もう一度……次はもっと大きな声で……」

「ち、ちがっ、……ご、ごめんなさい……私は、証拠を消す魔法なんて使えないです。ふ、フゼアさん……これ以上、虐めないで……ください……」

 

 ……こいつ、今さり気なく私を悪人に仕立てたな……?

 

 まぁいい、楽しめたから見逃してやろう。遊びもこの辺りで終いにしようか。

 エルから手を離し、改めて彼女に向き直る。

 

「人をまるで虐めっ子かサディスト呼ばわりは実に心外だな……私にそういった気は一切ない」

「うそつき」

「黙れ、これ以上の名誉毀損は許容できない」

「……おかしいです。何で私が悪いのですか」

「おっとすまない、その通りだ、君は犯人ではないから悪くなかった。証明が成されたその暁には誠心誠意謝罪させてほしい。まぁ君が犯人であるなら君が悪いということになるのだが」

「ぅ……フゼアさん、裁判のときみたいなことしないでください」

 

 ……ん……? 私はこれまでの裁判で、こんなことばかりやっていたのか?

 まぁ……こうやって敵を追い込むことができるのなら合理的だ、別に構わんだろう。

 

「……多少満足したから、話を戻そうか。出血性ショック死の延長線上の話だが、出血が死因となる際の問題を示してあげよう。

 この後の話は当然個人差があるから概算であることを事前に述べておくが、あの傷の深さなら……5分で死んでしまうなんてことはないだろうね。

 人間の血液量は体重1kgあたり80ml程度というのは有名な話だ。まぁこれも厳密には男女で異なるのだが、今回はこれで算出する。

 アズサの体重を仮に50kgとしたとき、血液量は4000ml、内20~30%を失えば致死量ライン、ざっと1L前後。

 私が捜査を開始した時点でとても1Lの出血があったとは思えない。君の服にも大量と言えるほど血液の付着はないし、あの血溜まりも可愛らしいものだ」

 

「…………」

 

 エルはアズサの死体に視線を送った。

 口を開く前に追撃するか。

 

「ふむ、時間が経った“今は”1L以上の出血があるかもしれない。

 撮影しよう。……これで、同じアングルの写真が計三枚、見比べてみようか。

 あぁちなみにこれも保健体育程度の知識だが、血液が流れるのは心臓がポンプとして全身に血流を循環させているからだ。

 心臓が止まれば、緩やかに血流は低下する。要するに死ねば出血量は減少し、やがて止まる。

 勿論、うつ伏せや横向きだった場合は、死後も重力に従って出血は続くのだが今回は仰向け。これでは重力に反しているね」

 

 と、御託を垂れながら三枚の写真を比較する。

 

「一枚目から二枚目は比較的血溜まりの変化が大きいが、二枚目から三枚目は大きく変わっていない。

 もちろん、血液が広がるということはその分の面積が必要となるため、意外と出血量は多いかもと指摘したいかもしれないが、さすがに二枚目と三枚目の“間違い探し”は少し難易度が高いかもしれぬね?」

 

 まだだ、まだ途切れさせない。

 

「あぁ、しかし……どうだろう、階段で転んで頭を打った程度で人はすぐに死ぬのかね?」

 

 参ったな、と顎に手を当てる。

 

「死にません死にません」

 

 慌てて死なないと主張してくる。

 

「あくまで、君の刺し傷が原因でアズサは死亡に至った。【犯人の主張はそれ以外ありえない】、ということで良いのだろうか」

「そうです。階段で転んだことは関係ありません」

「よぉく、分かったよ」

 

 そう言いながら一枚の証拠画像をスマホに映し出す。

 それは一見アズサの頭を撮ったようにも見える、首に焦点を当てた写真。

 

「アズサさんの頭……がどうしたのでしょう」

「これね、首」

「……? ……!」

 

 困惑の顔が驚きに切り替わる。

 

「折れているのだよ。

 確かに、階段で転んで頭を打った程度で【即死】することは……ゼロと言わないまでも相当珍しい。

 日常生活レベルでの頭部へのダメージによる死亡は意識を失って数時間後……とか、その場では平気に見えたのにしばらく経っていきなり、というパターンが多いね。

 要するに【死因】であっても【即死】ではない。

 けれど頚椎の骨折により、第一から第二頸髄辺りを大きく損傷した場合……呼吸系に甚大な影響を与える。言うに及ばず致死性は高く、【即死】に直結する」

 

「……っ、っ」

 

 ぷるぷると震えながら睨んでくる。が、睨むのに慣れていないのか何も怖くない。子犬の威嚇の方が怖い。

 勝った……!

 

「以上のことからアズサの死因は、階段からの転倒による頚椎骨折。これは……【事故死】、ではないかね? 【元犯人】さん?」

「これはっ……違います」

「私は証拠を出したぞ。なら、君も証拠を出してくれないか? あるのなら、出しておくれよ」

「論点ずらし、です……私が刺したせいでアズサさんは階段から落ちることになったのです。私が刺さなければ首が折れることもなかったのです……!」

「うん、まぁそうだね」

「えっ……」

「いやもう、全くもってその通り」

「先程から何を、仰りたいんですか……」

 

 要領を得ないと慌てふためいている。

 

「すこ~し思い出すがいい。私は君に決断を迫った。『あくまで、君の刺し傷が原因でアズサは死亡に至った。【犯人の主張はそれ以外ありえない】、ということで良いのだろうか』……みたいな」

「……ぁ、~~っ、フゼアさんは、意地悪……です」

 

 ぶんぶんと袖を無様に振り回している。

 澄ました顔で自分が犯人だから何も意味はないと囀っていた女がだ。

 

 そうだよ、そのザマが見たかった……!

 

「これで君は【犯人】から【被疑者】に格下げだ! ただ……自称被疑者なんて様にならないから止めておいたほうが良いだろうね、繰生エル?」

「でも、私が犯人じゃないと、だめじゃないですか! 人が死んだんですよ、私が、私が殺したのに……!」

「……それでも、主張は主張だ。証拠に則った、確かな主張だ。主観に満ちた一方的な自白ですべてを終わらせようなどと……私は認めない」

「私が……殺したのに……」

 

 どうしてこうなってしまうのでしょうと――エルは膝をついた。

 

「私は……今から重ねて死者を貶める。

 アズサが、後ろにさえ倒れなければ、頭を打っていなければ……治療が間に合ったかもしれない。生きていたかもしれない。

 手当てで、【治癒】の魔法で、【時を遅らせる魔法】で――どうにかなった可能性は充分ある。

 彼女が、【事故死】しなければ。

 彼女が君にナイフを突き立てさせたことを悔いて――【自殺】しなければ――」

 

 死者の尊厳を冒涜し、ただ生き残るための醜い主張が湧いてくる。

 

「え――? じ、さつ……?」

 

「そういう、主張もできるということだよ。【魔女裁判】はシステム上、どれだけ犯人が明白であろうと、それを無視して多数決で殺す人間を選べる。

 事前にグループを作って密約を結んでいれば、数の暴力で真実を押し潰すこともできる。

 ……同時に、犯人を断定できないまま複数の可能性が成立していてそれを選べるのなら、所詮は、どの主張を信じるか、信じたいか……ということだからね」

 

 そして、今の私は……【信じてもらえない側】だ。

 

「フゼアさんは、私を信じてくれる……のですか……?」

 

 その問いに、私の思考は僅かに淀む。

 

 “信じる”……? この女を、繰生エルを……?

 

 “その女は、黒幕かもしれない”

 

 囁いたのそれは私の理性。悪魔の囁きの類ではなく、極めて実直で真摯なものだ。

 

 “常識的に考えて、彼女はアズサを一瞬でも自分の意志で殺そうとした可能性が高い。仮に真っ当な正当防衛の末の事故であったとしても、結果的に人が死ねばここでは情状酌量の余地なく処刑だ”

 

 ゆえに一度立ち止まれと、引き止めてくる。

 

 今の私の魔法は、ここに【戻ってきた】ときよりも間違いなく強化されている。

 もしかしなくとも、さらにもう数分程度追加で過去の地点に遡ることができるようになっていてもおかしくない。

 そうすれば、エルとアズサの一件は防ぐことができる。

 

 いや、その前に先んじてこの場に到着し、潜んでおくことで一部始終を観察して【真実】を確かめられるのでは?

 それを確認してから食い止めるのも悪くない。

 姿がこのままな以上、ラウンジでの一件を丸く収めることはできないだろう。

 

 しかし――自分の処刑台に立ち向かうのが目的なら、それすら問題にはなるまい――

 

 …………、いや、やめておこう。

 

 ナノカが四六時中、平気で単身潜伏し逃げ果せていたことから牢屋敷の監視は緩い……とも考えたが、【こちら】もそうとは限らない。

 仮にこれまで監視されていた場合、時止めによるワープのような挙動から運営側には私が【時間停止】を使えることはバレているだろう。

 

 そんな者が前触れもなく魔女化した上に、今度は起きてもいない事件の観察という未来予知じみた行動までし始めるのは怪しすぎる。

 黒幕はスイッチ一つでいつでも私を始末できる、と用心しておくべきだ。

 

 ならば、客観的に見ておかしな動きは控えておこう。

 

「――私が信じているのは証拠だよ。君への疑念は当然消えない。……が、まぁ、君にも世話になっているのだろうし、信じられるに越したことはない……」

 

 結局どっちなんだ。と曖昧な言葉で濁した己にすかさず指摘を入れる。意図せず有耶無耶にするなど私らしくもない。

 

「それでも、私の、せいです」

「……君のせいではない。私のせいでもない。アズサのせいでもない。強いて言うなら……黒幕のせいだ」

 

 なぜか少し気まずくて、彼女から視線を外し、自分を犯人に仕立て上げるための証拠作りを始めた。自身を追い詰めるためのピースをばら撒くのだ。

 

 翼の羽をその気になれば引っこ抜けることを確認して、意外と使えるかもしれないな。と翼への評価を少し改める。

 もっと現場を綺麗にするか……見る者が見れば、いかにも証拠を隠滅しました、と見えるように……。

 あとはさりげなく、重箱の隅を見落として消し忘れてしまった証拠……も残しておくべきだな。

 

 チラっとエルを見る。

 私が何をしているのか興味があるのか、私の一挙一動を見つめる目が行ったり来たりしている。

 

 ……彼女は“白”だ。髪も、瞳も、肌も、衣装も、白が似合う。

 だから、この事件の“黒”には私が相応しい。

 そういう筋書きに決めたのだから、それで良い。

 

 彼女の処刑は、許容しない。

 

「――さっき、私はどの主張が信じられるかが要だと言ったね」

「はい」

「……やはり、魔女裁判には生贄が求められる。もう君か私か、それは逃れられないだろう」

「……はい」

 

 ……一歩、踏み込まなければならない。もはや避けて通るわけにはいかない、見合ったリスクは支払う必要がある。

 そのときを迎えてしまったのだ。

 

「――君の魔法は【うっかりさせる魔法】とのことだが、随分曖昧だ。本当は、【記憶を操る魔法】と言ったほうが正確ではないのかね」

 

 エルは一瞬、されど明確に苦い顔をして……

 

「……その通りです」

 

 静かに、首肯した。

 

「……私にも、使ったのかな」

 

 その問い……いや、彼女の魔法を話題にすること自体が一つのタブーだ。

 触れないまま、知らないフリをしていれば、逃れられたかもしれない何か。

 ともすれば、いつかの私を蝕み、今なお効力を発揮し続けている猛毒。

 

 私は、彼女の魔法が何なのかを【視て】から、無意識に触れることを避け続けていた。

 

 記憶を操れる彼女と、記憶が破綻している私。

 ここに整合性を見出だせない者がはたして存在するだろうか?

 

 私の記憶が飛んでいる理由で最も可能性が高いのは彼女の魔法だ。

 そして私の記憶の狂いようを鑑みるに、私が言うのも何だが……これはただの【魔女候補の魔法】の範疇を逸脱しているように思う。

 端的に強力過ぎる。時間遡行後も依然として効果が継続している事にも拍車をかける。

 

 もしも仮に彼女が【魔女】だったのなら、その効果は言うに及ばず強力だろう。

 【記憶を操る】、などと生易しい。その気になれば思考や感情さえも思いのままだ。

 私が今こうしてることすら、考えていることも、遍くすべてが彼女の掌の上かもしれない。

 そして次の瞬間にも、【私】は【他人】になっているかもしれない。

 

 あるいは、とうの昔に【本当の私】はいなくなっていて、【今の私こそが他人】なのだろうか。

 

 彼女が私に魔法を使っていたのなら、もはや私に真実などありはしない。

 

 これまでも――この先も――

 

「ぇ? いやっ、そんなことはしていません! ただの一度も、絶対に……!」

 

 エルの否定は強かった。

 それだけは絶対にするものかと、これまでで最も強い感情の発露を見せた。

 

 ……あるいは、そう、思わされているのだろうか。

 

 いけない。やはりこれは【禁忌】とは別種の【タブー】だ。

 一度考えてしまえばもうあらゆるすべてが嘘偽りにしか思えなくなる。――という考えも偽りかもしれない。――という考えも偽りかもしれない――という風に。

 

 知ってしまえば、永劫抜け出せない螺旋だ。

 

 一度思い至ってしまえばこうなってしまうと分かっていた。だから私は矢継ぎ早に思考を続けることで、触れなくて済むように封印していたのだろう。

 

 【私を操ったのか】などと、そんな問いかけに対する返答には、何の信憑性もないというのに――

 

「みなさんと魔法を見せ合ったときに、それも【@@】さんと【**】さんに使っただけで……」

 

 あぁ――何だ、そいつらは。誰かの名前か……聞き取れない。

 そんな、この状況で無視してはいけない異常を、私は無視した。

 

「私の魔法は、そんなにすごくありません。待ち合わせの時間を少し間違えてしまうとか、スマートフォンを机のどこに置いたか忘れてしまうとか……。

 だから、【うっかりさせるだけ】のそんな、だめな魔法なんです」

 

 なんだ、仮にそれが真実だとしても充分強力じゃないか。人の記憶や発言による証拠能力、信用力を著しく低下させることができる。

 事前に多人数に細かく魔法を仕込んでおけば一時間で議論を収束させることは困難になるだろう……。

 

「駄目だって……? 極めて強力な魔法じゃないか」

「ぇ、そ、うでしょうか……」

「あぁ、自分は今、懐に拳銃を隠し持っていますと告白された気分だよ」

「っ……」

 

 口元と眉を歪めて彼女は俯いた。

 その意図は読めない。私なりに解釈するなら、悪巧みを見抜かれてしまった……か?

 それならばそんなこと、忘れさせてしまえば良いだろう。

 魔法を使うには条件があるのか、それとも私をまだ泳がせる必要がある……?

 

「こんなものは、要らない……ゴミ、ですよ……」

「……?」

 

 忌々しく吐き捨てるような彼女の言い草に、“ゴミ”という明らかに侮蔑の意図を持つ語彙が彼女の口から紡がれたことに、違和感を覚えた。

 良く言えば“普通”だが、私からすれば“潔白”過ぎた彼女の振る舞い。それが崩れた。

 

「こんな魔法、使えて何か良いことがあるのですか」

 

 良いことなら、ある。

 

 “彼女を信じられる”なら、今後の計画に大きく役立つ。

 

 ――違うな……“私を信じられる”なら、か。

 

 決めたのだろう? ならば貫けよ。

 過去にも現在にも未来にも、記憶を操られているという前提で、常に、今の私の選択は正しいと盲信して行動し続ける。

 

 いくら記憶を書き換えられようとも、その私が“今”を全力で進み続ける限り、それは私の行動の一貫性への担保となる。

 【私】を信じて、未来を託せる。もしかすると過去の私も、そう信じて、今の私に託したのではないのか。

 

 さぁ――これからが、ターニングポイントだ。

 

「――ある。君にとっては知らないが、私にとっては、良いことが」

「え…………」

 

 私は床に座り込み、膝をついている彼女の腰を下ろさせ、目線を合わせる。

 

「改めて、正直に……聞かせてほしい。君の魔法のすべてを。記憶の定義、効果量、効果範囲、持続時間、人数制限、使用上の制約、発動条件、使用した相手――すべてを」

「あ、それは、ぅ……」

 

 視線を彷徨わせ、混乱している。

 しまった、気が急いて質問量が膨大になってしまった。これでは疚しいところがなくとも言い淀むのも無理はない。

 

「あぁ、悪いね、いささか前のめりだった。

 では改めて、そもそも操れる記憶というものはどういうものなのかな。

 うっかり待ち合わせ時間を忘れさせるというのは分かりやすいものだが、たとえば、うっかり好きな相手を嫌いだと思ってしまうとか、犬を見て猫だと思ってしまうとか、そういう使い方はできるかね?」

 

「……好きな人を嫌いだと一瞬、思わせることはできるかもしれません。

 でも本当に一瞬で、上塗りした嫌いという記憶を思い出したら、あっという間に本当の、好きという記憶に塗り潰されてしまうと思います。そのときは混乱があるかもしれません。

 ……犬を見て猫だと思ってもらうのは……どうでしょうか……分かりませんが、だめではないでしょうか。

 飼っている犬を猫だと思ってもらうのは、できるかもしれませんが、きっとこれもすぐに間違いに気付くはずです」

 

「なるほど、改竄内容に極端な齟齬があればすぐに誤りに気付くと。そして現在進行系で誰かを誰かに誤認させられるかは分からないが、記憶であれば一瞬だけ誤認させられる可能性はある、と……」

 

 これはまずまず想定内。

 次の質問は監視者には聞かれたくないな……。

 だから彼女にそっと近づき小声で問いかける。

 

「では、人間以外の生き物に効果はあるのかな。犬とか虫とか、【看守】とか【ゴクチョー】とか――」

 

 【魔女】とか――

 

「っ――」

 

 後半部分で思わず声を出しそうになったのを、口で押さえている。

 私が声を潜めた意図も察してくれたようだ。

 

「……どうかね」

「――分かりません。人以外には、使ったことがないので」

 

 想定内だ。

 無論、彼女の魔法は魔女である私にも有効だろう。

 魔女候補の魔法は、魔女化したヒロにも問題なく作用していた。

 

 ……なら、お次は無謀な賭けだ。築き上げたすべてを台無しにするかもしれないが、得られた情報を……信じられるならリターンは大きい。

 

 やれ。やるしかない。

 

「――ならば、私に、【君の魔法】をかけてくれ」

「ええっ!?」

 

 私の頼みがあまりにも突拍子もなかったからか、エルがその驚きに身を乗り出したせいで距離を寄せていた私と頭同士がぶつかる。

 

「がっ……」

「ご、ごめんなさい……!」

「別に――いやかなり痛いからお詫びに絶対に私の頼みを聞いてもらう」

「えっ……はい……?」

 

 せっかく真面目に進めていたのに空気が緩んでしまった……。

 

「……改めて、私に君の魔法をかけてくれ。――私に、【小夜フゼアは繰生エルを疑わない】――と、魔法をかけてほしい」

「それは……」

「可能なはずだ」

「でも、だめですよ。そんなの。それで、フゼアさんが、変になってしまったら……」

「もう充分変になっている。こんな頼みをする時点で、そうだろう」

 

 彼女の肩を掴み、瞳を強く見つめる。

 無機質で潔癖とさえ言えるその白は、あらゆる不浄を滅す塩の色にも思える。

 

「それでも、フゼアさんが変わってしまったら、私は……」

「改めて君が【犯人】を自称するなら、私は君を疑わず信じるはずだよ。悪い話ではないだろう?」

 

 これで彼女にとってマイナスはなくなった。常々犯人を自称したがっていた彼女にとってこれ以上ない渡りに船。私のお墨付きなら罪悪感さえないだろう。

 さぁ、これで君を阻む障壁は取り払ったぞ。存分にその魔法を奮うがいい。

 

「嫌です……!」

「なっ……!」

 

 どういうことだ、ここにきて心変わり……!?

 私が処刑で落ち着きそうだから、遂に命が惜しくなったということか……?

 

「エル、私は――」

「私は、私は犯人だから、犯人で良くて、でも、フゼアさんは、違うって、ずっとここまで、違うって、だから、私は、……なのに犯人、なのに――――」

 

 頭を抱えわなわなと震え錯乱している。

 これは、魔女化の進行か……!? よく分からんが何かまずい……!!

 

「落ち着け! 私を見ろ! 犯人どうのはどうでもいい! 繰生エル! 小夜フゼアを見ろ……!」

「ぁ、あぁ、フゼア、さん……」

 

 よし、ひとまず視線を合わせることはできた。

 掴んでいた両肩をさらに握り寄せる。

 

 視界の端に黒いものが映り込んだ。

 

 翼……、翼……!? この装飾品は主に無断で勝手に何をしている!

 

 気付けば私の背にある翼が、彼女の背後に伸びていた。

 包み込み……切れていないし、なぜいきなり動いていたのか分からないが、とりあえずそのまま翼をゆさゆさと動かしそれで彼女の背を撫でて落ち着かせる。

 

「……ぁ、ごめんなさい。取り乱しました……」

 

 いや本当まったくその通りだよ。

 しかし初めてまともに役立ったな、この翼……。

 当初は邪魔な飾りと腹を立てていたが、私を特定できる証拠品という価値と合わせて評価を上方修正しておこう。

 

「いや、構わない、が……あぁ……すまない、何か君を不安にさせてしまったらしい……」

 

 何が悪かったか分からないのに謝らなければならんときは、とりあえず適当に濁しておくに限る。

 じゃあ何が悪かったか言ってみろとか迫ってくるタイプじゃないことを祈るのみだが……。

 

 それにしても先程の反応はやはり異常だ。これが彼女本来の性格なのか、あるいは何らかの【禁忌】を掠めたのか……?

 何か対応を誤れば急速に魔女化の進行……いや、それどころか【魔女化】させかねないと直感するほどだったが……。

 

「ごめんなさい。やっぱり、全部私が悪いのです」

 

 ぷいと顔を背けた。

 何だこいつ、子供か……?

 ……15歳は、まぁ子供か……いや、うーん……

 

「あぁもうそう勝手に拗ねるんじゃないよ」

「拗ねていません」

「分かった。私が悪かった」

「拗ねていません」

 

 しつこいな……!

 

「分かっているから」

 

 人を泣かすのは簡単だがあやすのは難しい……。

 こういうときは適当に同意しておけばいいのだろう、たぶん。

 

「本当ですか」

 

 相変わらず無機質でよく分からない瞳で凝視される。……正直目を逸らしそうになったが、そうすれば私の負けだ。

 にらめっこ如きで魔女が人間に敗北するなどあってはならない。決意を持って強く睨み返す。

 

「ごめんなさい」

「怒ってはいない。まぁひとまず私の勝ちということだね」

「…………」

 

 だからその何とも言えない目つきをやめてほしいのだが……。

 

 狙いから大きく遠ざかってしまったが、しかし、だからと言って断念することもできん。

 もちろん、再発させて繰り返しになるといよいよ取り戻しが効かない可能性も高い……アプローチを変えるか。

 

「……で、なのだけれども……やはり、私に魔法をかけてほしい」

「っ…………」

「待て待て、さっきは私の伝え方が悪かったのだよ」

「……?」

「……なぁ……君は、私を信じてくれるか?」

「はい」

 

 え――?

 

「え」

 

 思考をすり抜けて、呆けた声が漏れてしまった。

 即答、それも肯定されるとは思わなかったのでまたもリズムが崩れてしまう。

 否定での即答なら想定していた。無言か間を置いての肯定なら説得パターンを幾つか考えていた。

 

 完全に想定外で攻めてくるとは……やはり相性が悪い……!

 

「え?」

 

 彼女は私の困惑の声に困惑する。

 無限ループかな?

 

「待て待て、信じる相手は選んだ方が良いぞ……」

「選んでいます」

「魔女だけは止めておくべきだ。……いや信じられないと困るから、やっぱり信じてくれると助かる……」

「……? はい」

 

 駄目だ。今の私は知能指数が下がっている。まさか既に何らかの魔法をかけられたか……?

 いや、結論が出ない疑問は保留だ。

 

「ならば信じてほしい。私は君の魔法にかかっても変わらないと。

 君が自分自身で言っていたじゃないか、君の魔法は、人をうっかりさせるだけのゴミだと。

 ああ、同意しよう、君の魔法はゴミだ。そのゴミの産物で、私という魔女は揺らいでしまうものなのかな?」

 

「それは……」

 

 強硬だな……。

 なぜそう渋る……?

 

 まさか使用に何らかのデメリットやリスクが……そうか、その線を指摘していなかった。

 

「もしかして、君は魔法を使用するのに何らかの代償が必要なのか? たとえば誰かの記憶を変える代わりに、君自身の記憶も変わってしまうだとか」

「いえ、そんなものはないです」

「ないんだ……」

 

 ないんだ……心の声がそのまま口に出てしまった。

 

「……でも、危ないです」

「危ない?」

「人の記憶を操る、そんなこと自体が、危ないです。ろくなことになりませんよ」

「あぁ……」

 

 まぁ確かに、それはそうだ。

 人間の記憶というものは多角的かつ複雑に多数の要素が絡まって形成されるものだ。

 ゆえに自分に都合良く書き換えたつもりが、与り知らぬ相手の知識なり思考なり感情なりが干渉して、記憶を書き換えたがためにコントロールできなくなる事態に陥るというのは容易に想定できる。

 ふむ……意外と考えていたのだな。

 

「確かに。君の魔法は使い方を誤れば思わぬ落とし穴に嵌りかねない。だから二人で考えよう、その魔法の適切な使い方を」

「二人で……私の魔法を……」

 

「そう、それならリスクは大幅に減らせるし、それでも、もしも何か起きた際は私が責任を負う。

 おっとこれは負担ではないぞ。実際に責任を担ってみると分かるのだが、たった一人で責任を負うリスクがある……というのは意外と楽なんだよ。

 自分以外に責任が降りかかるなら他人の意見や顔色を伺う必要がどうしても出てくるが、自分だけが責任を負えば良いと分かっているなら自分の裁量で好き放題できるからね。

 なので、私が指示した君の魔法の責任はすべて私が負ってもいい。むしろそうするべきだ。

 君は銃で……引き金を引くのは私。銃が悪いのではなく、引き金を引いた私が悪いというわけだ。単純明快だね、素晴らしい」

 

「だめです。それでもフゼアさん一人に責任を押しつけるなんて」

「では、二人でなら責任を分かち合ってもらえるということかな?」

「ぅ……」

 

 よし……これは反論できないという表情だ。

 言葉は感情的になることはあっても、表情だけは変化の少ない女だが、私でも少しは読めるようになってきている。

 

「それで、君の魔法について改めて確認したいのだが、君の魔法の発動には何が必要になる? 言葉でこう思え~と宣言するのか、心の中で念じるだけでいいのか」

「皆さんの前で【@@】さんと【**】さんに、使ったときの通りです」

 

 それが私には分からないのだよ……!

 

「こういうのは分かり切っていることでも改めて言語化するのが大切なんだよ。小さな見落としを事前に発見するきっかけになる」

 

「……分かりました。私の魔法は心の中で思っただけで、効果を発揮します。ですが、人の記憶を読んだりすることはできないので、記憶を書き換えても必ず自分の思った通りの結果になるかは分かりません。

 そうですね……【友達のことを忘れてください】と魔法を使って、私とその人で【友達】の認識が違っていたらどのような結果になるか分かりません」

 

「なるほど……重要な情報だ。魔法の効果範囲についてはどうだろう。相手が目の前にいないと使えないとか、距離を無視して好きなときに使えるとか」

 

「詳しいことは分かりませんので確証はありません。ですが、相手の姿が直接見えていないと使えない……と思います。相手の人は後ろ姿でも大丈夫です。何メートルくらいまで大丈夫かは……分かりません。

 他には、同じ部屋にいても姿が見えなかったり、別の場所で配信? している人などにも使えない……と思います」

 

 これもおよそ予想通り。遠隔操作ができないのも良いとして、有効距離に関しては検証が必要か……。

 特に証言台から証言台、その最遠距離で有効か、最低でもこれだけは知っておきたい。

 

「では、相手が着ぐるみなどを装着している場合はどうだろう。その中身が分かっている場合と、誰か分からない場合、2パターンだ」

「……どちらも、やってみないと分かりません」

「覆面程度なら? それと、露出を増やしてサングラスやマスクをつけている場合も」

「……覆面ぐらいなら使える……と思います。そう考えると着ぐるみでも大丈夫かも……」

「およそ掴めた。そこにいる対象が明確に人間であると理解していれば通用する可能性が高そうだね」

 

 実にふんわりとしていた彼女の魔法について、どんどん理解が進んでいく。良い感じだ。

 

「次は効果量と時間についてだ、君の魔法の効果はうっかりさせる程度の弱いものとのことだが、パターンによっては例外が考えられる。

 たとえば、何かのオマケでどうでもいいティッシュを貰い、それを【どこかに落としてしまったことを忘れる】ように魔法を使った場合だ。

 本来、人の記憶とはほとんどが忘れ去られるもの。本人にとって無関心な事柄に対しては特に。

 今回の例なら、誰かにあのティッシュはどこにいったのかと指摘されない限りは、ティッシュを落としてしまったという事実すら完全に忘却させる永続性を持つと言えないかな」

 

「……そう、ですね。そのような使い方をすれば……私の魔法の効果は永遠に続くこともあるかも、しれません」

「では、私の認識が合っているか教えてくれ。君の魔法でスマホの置き場所を忘れさせた場合、それを思い出すにはまず一つ、普通にスマホを発見したとき。机の隅に置いていたとかね」

「はい」

 

「あとはどこに忘れたかを思い出そうと、可能性のある場所を頭の中で検討して、【当たり】が引っかかったとき。

 ここで、自分がうっかりそこに置き忘れていたことを思い出す。誰かに聞いて答えを教えてもらったときも同様に」

 

「そうです」

「では、別の質問を挟む。この魔法は、一人に複数の内容を、何度でも、同時に、無制限にかけられる?」

「……はい」

「【スマホをどこにおいたか】忘れさせ、さらに【忘れた場所の存在】を忘れさせることを重ねがけした場合、どうなる?」

「――っ! それは……かなり思い出しにくくなるかと」

 

 見えてきた、可能性レベルに留まっていたこの魔法の真の恐ろしさと強さが……!

 

「……続けよう。君の魔法は、複数人に同じことをできるか? 人数の制限なく、同じことを」

「数えたことはありませんが、できるはず……です」

「よし……次の質問だ。君に魔法をかけられるかもしれないと心理的に警戒している存在に魔法を使った場合も、平常時と変わりなく効果を発揮するか?」

 

「分かりません。ただ、魔法を見せ合ったとき、相手の方は今から自分は何かの記憶がなくなってしまうと、心の準備をしていたと思います。それでもちゃんと効果があったので、魔法の効果に違いはないのではと」

 

 またも重要な情報だ。

 なるほど、やはり心理的防衛は意味がないか。

 対策としては、書き換えられる記憶を想定しておき、書き換えられたら迅速に違和感に気付けるようセンサーのような思考と、関連記憶で復元できるよう予備電源のような記憶を用意しておくことか。

 

「……次。君の魔法は【未来】に使えるか?」

「……? どういう意味でしょうか」

「君の魔法で、【あなたは10分後に、スマホをどこに置いたか忘れる】みたいな、記憶の操作だ」

「え、と、全く分かりません……そんな使い方、想像したこともなかったので……」

 

 予想通りだ。エルの回答はどれもこれまでの経験則に基づいたような曖昧なもの、魔法の効果実験をしたことがないのだろう。

 いつ魔法に目覚めたのかは分からないが、迂闊過ぎるぞ……!

 

 自分の武器の正体も知らずにそれを抱えて生きていく。

 そんなもの、いつ不本意な形で暴発してもおかしくない。想像しただけで私の方が恐ろしい気分になる。

 

「……そうか。これまで、怖かっただろう」

「――えっ……?」

「君の魔法についてだ。改めて君の立場で想像すると、私も恐ろしいよ」

「――――」

 

 信じられないものを見る目で、エルは私を視ている。

 まぁ、自分の魔法を誰かと語り合う機会などそうそうあったとは思えぬし、かつて行ったという魔法の披露会でも、きっと魔法をかけられた側は、わーうっかりしたー本当だーぐらいの感想で終わったのだろう。

 

 ……いや待て、それを私は指摘しなかったのか? 私なら瞬時に危険性を察知して、後で呼び出し先程から行っているように詳細を詰問するのでは――

 

 違う、逆か? 危険だからこそ、触れる機を伺っていたり距離を取っていた可能性もある。

 あるいは彼女が【黒幕】で、弱いと偽っている強力な記憶操作で記憶を消された……。

 

 それならこの彼女の反応は――またしても私がラインを超えてきたという驚愕……! 踏み込みすぎたか――!?

 

 落ち着け――自分が記憶を操作されているという断定は袋小路だ。今に全力を尽くせ――!

 おかしな気配を見せた瞬間、【やり直す】――!

 

「――はい、とても、怖かったです」

「っ――?」

 

 警戒のあまり、普通に想定されたはずの返答に声が詰まる。

 

「……フゼアさんは、分かってくれるのですね」

「あ、あぁ、私の魔法も役に立つが、結果的にそのせいで監禁され、挙句の果てにはこんな姿になって、命が危ぶまれているわけだしね……」

「嬉しいです」

 

 いや全然嬉しくないが。……嬉しくないが!?

 この女、人の話を聞いているのか……? あるいはサディストが本性を見せたのか……?

 

「お話を続けましょう」

「え、あぁ、そうだね」

 

 珍しく話を促される、いや、初めてのことかもしれない。

 まぁ乗り気になってくれるのに越したことはない。良い兆候か。

 

「インターバル……魔法を使う際に待機時間はあるかな。一度使うと次に使えるのは五秒後だとか」

「ありません。強いて言うなら、私が考えて使うまでの時間です。事前に内容を決めていたら、連続で使えるかと」

 

 強い……。

 何なのだこの魔法は……反則もいいところだ。

 先手を取られたら負けではないか。

 

「では、魔法の取り消しは可能かな? 魔法をかけた後に、やっぱりこの魔法なしと思えばすぐにうっかりを思い出すとか」

「できません」

 

 早い。実証済みか。

 

「では、【『Aを忘れろ』という魔法に対し、『Aを忘れろとかけた魔法を忘れろ』】という旨の魔法を重ねることでキャンセルすることは?」

「たぶん、だめで、……うぅ、ん、分かり、ません……」

 

 珍しくかなり言い淀んだ。これは何かあるな。

 深入りし過ぎない程度に訊ねるべきだろう。

 

「たぶん……とは、試みたことはあるが、結果の是非については君の視点では正しい判断ができなかったということかね? あるいは、正しく魔法を使っていたかすら分からない?」

「……両方です」

「大丈夫だ」

 

 可能なら後で検証したいが……。

 

「大丈夫では……」

「過去についてはどうしようもないが、これから先は大丈夫だ」

「……はい」

「次の質問だよ。君が牢屋敷に来てから、魔法を使った相手と、その内容、結果を教えてくれ。分かっている、もう話したし実演もしたと言いたいのは。それでも、君の言葉で聞きたい」

 

「分かりました。私がここに来てから魔法を使ったのは、みんなの魔法を見せ合ったとき、二人に一つずつだけです。

 一つ目は【@@】さんに【自分がこの部屋に隠したボタンの場所を忘れる】というものです。

 魔法をかけられた【@@】さんに自分が隠したボタンの場所はどこか尋ねて、【@@】さんは部屋を探してボタンを見つけ、思い出したとはしゃいでいました」

 

 そんなことがあったんだね。

 その少女は探しだす前に自分がどこに隠しそうか考えないタイプだったのだな。

 考えていれば、当たりを引いた時点で思い出したはず。

 

「二つ目は【**】さんに【晩ごはんの時間を忘れる】よう魔法をかけました。

 晩ごはんの時間を質問すると、今は何時で、自由時間が何時から何時で、自分がどれくらいお腹が空いているかを声に出しながら考えて、思い出したのでしょう、あっ、と言って正解を言い当てました」

 

 そんなことがあったんだね。テイク2。

 その少女はまず自分で考えるタイプだったのだね。他人に晩飯の時間は何時かと尋ねる方法もあっただろうが、それはその場の空気的に正解は教えないお約束でもあったのかね。

 

 ……顔も名前も知らない少女達が楽しげに笑い合っている姿を想像する。

 そんな光景が、かつてはこの牢屋敷にもあったのだろう。

 

 ……馬鹿馬鹿しい、そんな赤の他人に思いを馳せて何になる。

 これこそまさに要らぬ同情だろう。雑念は捨てろ。

 

「……遠い昔の話に感じるな。なぁ、そのときの私は君の目にどう映っていた?」

 

 知っている風を装いながら過去の私がどうだったのかを尋ねる。

 私はその場にいなかった、なんてことがあれば言い訳を考えなければ……いや、カマをかけられれば完全に自爆する可能性も……。

 感じないはずのノスタルジーと好奇心に突き動かされた……これは、軽率だった。

 

「そのときの、フゼアさん……」

 

 ……喋ってくれるのはいいが、逆質問だけは勘弁してくれ……誤魔化しもやり過ぎるのはよろしくない。乱用すればいつどこで綻びが出るか分からない。

 

「ずっと表情はお変わりなかったですが、興味深そうに皆さんを見ていると思いました。あ……特に私の順番のときは、私のことをよく見ていましたね?」

 

 馬鹿が……! 【過去の私】……露骨に警戒しすぎだ……! 気持ちは分かるがせめて本人に気付かれないようチラ見しろ……!

 いや、これは自戒を込めるべきだ。この私自身もやりかねないことを意味するのだから、反省だ……。

 

「……深い意味はなかった、特別白い君が物珍しかったのだろうさ」

「そうなのですか?」

「そうだよ。あぁ、私の順番のときはどうだった?」

 

 さすがに、貴様らは信用できんから明かさない――とか言っていないよな?

 四つも種類があるのなら、一つは明かして信用を得ておくのが無難だ。たとえば【加速】なんかは当たり障りがない。頼む、頼むぞ……。

 

「そのときのフゼアさんは、【速く動ける魔法】だけを紹介してくれましたね。盛り上がっている人と、その、そうじゃない人とで分かれていましたね。私は、羨ましいと思っていました」

 

 よし……! よくやったぞ【過去】……!

 速く動けるなんて、ありがちで地味だから白ける奴がいるのも納得できる。

 

「……そのあと、最初の事件のとき、【時間を遅くできる魔法】で何とか【==】さんを助けようとしていましたね。

 他の魔法を隠していたこと、その魔法を使えばいろいろなことができて、ご自身が疑われてしまうのに……」

 

 ……雲行きが怪しいな。

 信頼関係が築けていない段階だと、助けられる人間でも放っておく可能性が高いのが私という人間だ。リスクがあるならなおのこと。

 その少女を助けなければ、自分が危機に陥る状況ということも考えられるが……。

 

 たとえば最初の事件発生が収監されてから一ヶ月以上後で、親しくなっていた相手だったならどうにかしようとすることもあるか……?

 あるいは、一人でも死ねばもう絶対に取り返しがつかなくなると判断して情など関係なくリスクを承知で動いたか……あぁ、それは充分ありえるな。

 

 とにかく、この話題は深く掘り返されたらまともに相槌も打てない。打ち切ろう。

 

「……終わったことだ。私はもう忘れたよ」

 

 嘘ではない嘘ではない。

 

「そうですね。ごめんなさい」

 

 知らない思い出話もここまで。

 

 彼女に、最後に――もう一つ聞きたいこと、それは……

 

 繰生エルは、自分自身に記憶を操る魔法を使えるのか――

 

「…………」

 

 何故か……この問いはまずいと直感した。

 それを理性的に解釈するなら、【黒幕】である存在が、自身が絶対に疑われないために今は架空の【繰生エル】で表層を上書きしており、本体は彼女の奥に潜んでいる可能性。

 そこに触れれば一線を越えたと【何か】が判断し、這い出たそれが、私の記憶を書き換えるかもしれない。

 もしも繰生エルが【魔女】であればその程度の応用は利くだろう。

 

 …………ならばこそこれは、リスクとリターンが割に合わない。

 

 仮に、私のそんな懸念は杞憂だったとしても、返ってくる答えはきっと『そんな使い方はしたことがないので分かりません』だろう。

 ……よって私の内心だけで、自身にも使えるものだと仮定しておくべきだ。

 

「……助かったよ。ひとまず聞きたいことは聞けた。君も自身の魔法に対する理解が深まっただろうかね」

「はい。とても。……、――――……」

 

 返事のあとに続いた何らかの言葉は、俯いて呟いた彼女自身に掻き消された。

 ……聞き返すのは藪蛇か。

 

「それは何より。……では、しっかりを認識を擦り合わた上で本題だ。君の魔法では私に勝てない。ゆえに私に魔法をかけろ。

 【小夜フゼアは繰生エルを疑わない】――と」

 

「……なぜですか」

「必要だからだよ、私には。安心したまえ、私は負けん。……信じられないか?」

「……信じたい、です。――フゼアさんは変わりませんよね?」

「当然だろう」

 

 ……エルは目を閉じて荒くなっている呼吸を整える。

 自身の胸に強く手を当て、衣装を握り締め、そして――

 

「――分かりました。フゼアさんの返事をもらった三秒後に、魔法をかけます」

 

 これで私はエルに、拳銃と銃弾を手渡したことになる。

 彼女には権利がある。これまで彼女が行使していたのは撃たない権利。

 そしてようやく、半ば強要する形で与えたのは、撃つ場所を選ぶ権利。

 

 撃たれた痛みを知るには撃たれなければならない。

 私は撃たれても、痛みを知ることすらできないかもしれない。

 両者は両立する。そう、頭をぶち抜かれたら、終わりだ。

 

 私はこれからエルの魔法を、身を以て味わう。

 

「頼む」

 

 生唾を飲み込む音が聞こえる。発生源は、おそらく両者だろう。

 

 3……

 

 2……

 

 1…………

 

「フゼアさん――【私が犯人です】」

「あぁ――」

 

 確かにその通りだ。この状況下で【繰生エル】以外が【犯人】であるなど、――――

 

 ――――??

 

 強烈な確信が、それを遥か上回る“何か”によって撹拌される。

 崩れていたロジックが、時を戻すかのように再構築される。

 

 そうだ、私はエルを――

 

「――断じて否だ、【犯人は私だよ、元犯人さん】?」

 

 疑っている。どうしようもなく、これ以上ないほど、今に至ってなお。

 

 親指と人差し指で銃の形を作り、魔女の弾丸は彼女の眉間を撃ち抜いた。

 

「フゼア、さん……!」

 

 ぱぁっと今までにない喜びの表情を見せる。……それでも何だか無表情に見えるが……まぁ喜んでいるのだろう。

 そしてこんなちまちました所作にさえ私は相変わらず【疑っている】。

 

「確かに……これは奇妙な感覚だな。何とも言い難い。けれどまぁ、問題ない。

 君が犯人を自称するのは、少なくとも私にとっては無理筋だ。うっかりなんてレベルでは……いやそもそも疑われて喜ぶっていうのも、それはそれでどうなんだ……?」

 

「本当に嬉しいです。私を疑ってくれて」

「そ、そう……」

 

 いかん、また調子を狂わされている。

 

「まぁ、ほら、こうして無事だったわけだし、君の魔法、色々と実験してみようじゃないか」

「えぇぇ……」

 

 露骨に眉を顰められる。

 澄ましているつもりだろうが、私はその眉間が動いたのを見抜いたぞ。

 

 ともあれ、“今”の彼女が黒幕である確率は少し下がった。

 私はあらゆる魔法を行使する権利をあの一瞬だけ捨て、完全に無防備な状態で心身を預けたが、現状思考に大きな混乱や乖離は見られない。

 言うまでもなく、そう思うように仕込まれた可能性もあるが……既に決めた通り四の五の言ってはいられない。

 計画通り事を進めよう。

 

「ではさっそく、君は、今から君のハンカチを身体のどこかに隠してくれ」

「えぇと……どこに隠せばいいですか」

「……すぐに分からなくて少しは考える必要がある場所……靴の中とか?」

「だめです。汚いです」

 

 汚い……汚いってそんな自分で……。

 

「そんなに汚くないと思うよ」

「今、そんなにって言いました」

 

 気を遣ってソフトに否定してやったのに、自分で言っておいて不満だと……!?

 こいつ、じりじりと図々しさを全面に押し出してきていないか?

 

「あぁ、まぁ、うん、分かった。じゃあ……いや待て」

 

 次に思いつくような場所では、すぐに思い出してしまい彼女の魔法の恐ろしさを味わう時間が減る。

 まともな私であればすぐには思いつかないような……少しおかしなところを選ぶべきだ。

 

「…………、……よし、そのドレスの下の靴下、太腿の裏辺りは?」

「……どうして脚ににこだわるんですか」

 

 ま、まさか、こいつ……!

 

「私に変な趣味があると思っているのか!? その誤解は実に不愉快だ、名誉毀損で魔女裁判に提訴するぞ!」

「えぇ……」

「単にどこに隠したかなと考えるとき、まずはスカートの両ポケット、次は君を上から見ていって帽子の中とどんどん下に向かっていくだろう。

 すぐに思いつくところだと魔法の違和感に気づきにくい可能性があるからだ。忘れるなら、多少意外性のある方が良い。ゆえにおかしな意味では断じてない」

 

 どうしてこんな隠していた性癖がバレてしまったようなガキの言い訳じみたことを言わなければならない……!

 ありもしない性癖の濡れ衣を着せられ、あまつさえ抗弁しなければならないなど屈辱だ……この恨み晴らさでおくべきか……!

 

「私はフゼアさんの脚、好きです」

 

 何なのだこの女は!?

 

「このタイミングだと皮肉られているのか純粋に褒められているのか性癖の暴露をされているのか分からんから勘弁してくれたまえ……」

「褒めています」

「魔女の身体を褒めるな」

「何なのですか」

「いいから、黙ってハンカチを太腿の裏に挟め」

 

 さっさとしろとの意を込めてハンドサインで、しっしと促す。

 

「……分かりました」

 

 じっとこちらを見ながらドレスを捲り上げ、左腿の靴下の裏にハンカチをそっと差し込む。

 

 ……視線だけで私の社会的地位を低下させられている気がするな……。

 

「それでは私は、んー、あの辺りまで行ってくるから、手を上げたらハンカチの隠し場所を忘れるよう魔法をかけてくれ。

 効果がないようなら、ちょっとずつ前に歩いていくから手を下ろすまで三秒おきに魔法を頼む」

 

 廊下の奥の柱辺りを指差しぐるぐる~とジェスチャーする。

 あの距離は、証言台から証言台の最も遠い地点よりもかなり長い。目が良くないと顔のパーツの位置をはっきりと認識できない距離だ。

 これで私に魔法が効くなら万全だ。……ゴクチョーや看守も効果範囲に入る。使う機会はないだろうが、備えておくに越したことはない。

 

「はい」

 

 私は【加速】を使い、走る――速っ!

 

 今までの感覚で閉所で使用していたら危なかった……。

 速度が強化されていることが分かったのも収穫だ。戻る時は減速と加速をうまくコントロールできるか試そう。

 

 到着したので手を挙げる。

 今の私は彼女がハンカチを左腿の靴下裏に隠したと覚えている。

 

 ハンカチの隠し場所は左腿……ハンカチの隠し場所は――、どこだ……?

 

 慌てて手を下ろす。

 内心遠すぎるぐらいに設定したものの、この距離で効果があるなら裁判時以外でも重用できる。

 

 【加速】を使い、エルの元を目指す。

 減速、維持……加速、維持……減速、加速、減速……よし、使い勝手は掴んだ。

 

「では私のハンカチ、どこでしょうか。探してください」

 

 エルはなぜかスマホを構えたまま近づいてくる。

 探せ……つまり、身体に触れろということか。

 

「貴様……私をセクハラの現行犯にでもするつもりか……!」

「私はスマートフォンを持っているだけです」

「ぬけぬけと……! 触れる必要などない、思考だけで事足りる! スカートのポケット!」

「はずれです」

「帽子」

「はずれです」

「髮……とどこかで挟んでいる」

「はずれです」

「襟」

「はずれです」

 

 ……確か、そう、隠す場所を指示する前もセクハラがどうのみたいなことで揉めた……ん? 詳細が分からない……?

 

 こいつ……! 他の【記憶改竄】も仕込みやがったのか……!?

 そこまで思い至ってなお記憶が戻らないということは、【重ねている】のか……私との魔法の確認で学習している……!

 

「全部、はずれですよ?」

 

 澄ました顔で楽しんでいやがるな……!

 セクハラ、セクハラか……ならある程度部位は限られる。しかし迂闊なことを口にすれば、名誉を毀損される……おのれ……!

 

 ……いやいや、問題ないだろう、彼女の身体をくまなく想像すれば、当たりを引いた時点で思い出す。一つ一つをわざわざ口にする必要はない。

 頭の上から順に解剖してくれる……。

 

「何を想像していますか?」

「ハンカチの隠し場所だ」

「どこでしょうね?」

 

 この屈辱……必ず倍にして復讐してやる……!

 

 ………………腰までの部位はすべてハズレか。

 

 次はそこから下…………

 

 っ! 思い出したぞ!

 

「“右”腿の靴下の裏だ!」

「どうして自信満々なんですか」

「思い出したからに決まっているだろうが……」

 

 そしてエルは右側のスカートを上げ、後ろを向き……

 

「はずれです」

 

 何も無い。

 

「馬鹿な……これは思い出すだけのゲームだ、“物”を入れ替えても意味など……」

「はずれです」

 

 あくまで入れ替えていないとの主張……?

 まさか……そこまで記憶を書き換えたのか!

 

「ならば……、っ、“左”腿の、裏だ……」

 

 そして、そのままドレスの左側を上げ、そこにはハンカチが挟まっており……

 

「やっと、正解です」

 

 完全勝利ですとでも言いたげに、笑っていた。

 

「やってくれたな……」

「使い方、一緒に勉強しましたからね?」

 

 まさかあの一瞬でここまで仕込んでくるとは……私の指示におとなしく従うだけだろうと完全に油断していた。

 認めよう、これは私の負けだ……。

 

「フゼアさん」

「勝者を称えろとでも?」

 

「【魔法】って、楽しいですね」

 

 …………虚を突かれた。

 

 率直な印象として、エルは自分の魔法を疎み、ほんの些細なことに使うことさえ忌み嫌っていると考えていた。

 理由は分からないが、それはこれまでの反応からも“間違いなかった”だろう。

 

 けれど、今の彼女は楽しいと、微笑んでいた。

 

「……そうだな。負けたよ、物の見事に一本取られた」

 

 降参だ、と両手を上げる。

 

「拍手」

「はいはい……」

 

 ぱちぱちと手を叩く。

 

 楽しい。楽しい――か。

 まぁ、辛いよりは、良いだろう。

 今後もやりやすく……

 

 ――この後、彼女に要求することをすぐに思い出す。

 

 それは……楽しいと言える魔法の使い方だろうか。

 それだけではない。彼女に物理的な痛みさえ伴わせる。

 これから、笑顔を踏み躙る。

 

 ……それでも私は決めたのだから、それ以外の道などありえない。

 

 こんな形で仕返しをしたくはなかったが――少し、馴れ合いすぎたな。やはり私は愚昧だ。

 

「……私も、楽しかったよ、本当に。けれど残念ながら、また現実を直視しなければならない。思い出したまえ、ここは、事件現場だ」

「っ……そうですね……」

「今後の策はもちろん練っている。魔法の勉強もその一環だ。続きを、聞いてほしい」

「分かりました」

 

 切り替えろ――

 そもそもエルは最悪の敵、黒幕や魔女かもしれない。

 そして、そうでなくとも必ず傷つける必要がある存在だ。

 

「駄目元で再確認しよう。裁判までに皆と接触し、今回の事件の顛末は事故死であると記憶を改竄し認識させる。裁判中も随時記憶を書き換え、その結末に話を導く……可能かな」

「…………」

 

 彼女は悔しげに頭を振った。

 

「二人で協力しても、難しいと思います。少し上手に使えるようになっても、やっぱり、うっかりさせるぐらいの力しかありません。

 なので真剣な議論が行われた場合……混乱を招くだけかと。……あ、でもそれなら魔法を使った私への疑いが強くなって、ちゃんと私が犯人になれるかもしれません」

 

 そういう方向に持っていきたいのだろうが……もう見当違いなんだよ、それは。

 

「確かに君に対する疑念は一時的に強力になるだろう。だが……心証を加味するなら結局は、心優しい少女が醜い魔女を庇うための行き過ぎた擁護と判断されるのが関の山。

 最悪、共犯というシステムを新しく作られて二人まとめて処刑される可能性も考えられる」

 

 この魔女裁判は意外と特例が認められる。

 多数決でどう考えても共犯、二人とも魔女なのに一人しか選べないからと言ってみすみす一人魔女を見逃すのか――なんて流れにでもなれば、顛末は推して知るべし。

 

「アズサの死因は、事故死や自殺かもしれないなどと与太を飛ばしたが、これが真実かどうかなんて皆にとってはどうでもいい。

 仮に、本当にアズサの死因が自殺だったとしても、私という【魔女】を確実に葬る機会を棒には振らない。

 もしも、今回の処刑は無しか、フゼアさんの処刑の二択を皆さんで決めて結構です~……などとゴクチョーがほざいても、私は皆の意志で処刑される。そのぐらいは、分かるだろう?」

 

 何せ、エマですら一時は処刑ボタンを押されたのだから――と、先人の姿が脳裏に過る。

 

「……はい」

 

 『私が犯人です』の一点張りで押し通していたのが遠い昔の話のようだ。

 まだ、数十分しか経っていないのに、何十日、いや、それ以上共にいた気さえする。

 

「ナイフの持ち主は一人じゃなければいけない――」

 

 いつか、ぞんざいに床に落とされたナイフを拾い上げる。

 

「そして、それは……私だよ」

 

 エルが息を呑んだ。

 

 ナイフは――【犯人】の持ち物だ。

 

「ご覧の通り私は詰んでいる。存在そのものが害悪と言っても良い。

 私が何も悪事を働かなくとも、皆は私が存在するだけで心を病む。毎日集団リンチに遭っても不思議はないし、それで私が殺せないとそのうちストレスが暴発し、彼女らで殺し合うだろう。

 もし君が今回処刑されても、その次の魔女裁判で処刑されるのは私。もう一度、私の姿をしっかり見たまえ。私は【魔女】だ。もう未来がないと、分かるだろう?

 ならばせめて――君だけは確実に助かるべきだ」

 

 エルは歪に見開かれた目で口をぱくぱくとさせるが言葉は出ない。

 やはり彼女も根は理屈の側の人間だ。頭で逃れないようがないと理解してしまったから、感情的に否定する駄々さえ漏らすことができない。

 それは、非常に助かる。

 

「さしあたって、少々注文があるのだが……」

 

 そう言いながら彼女の腕を掴み、彼女自身の頭の前で交差させる。丁度何かに襲われて頭を庇うように。そして、血に染まり破れた袖が正面を向くように。

 

「……先に謝っておく、すまない、耐えてくれ」

 

 即座に【停滞】の魔法を使い、ナイフで彼女の両腕を浅く斬る。

 エルの血で、【血】をしっかりと上書きするために。

 

 ……やはり【停滞】の魔法も強化されている。使われる側からすれば【停止】とさほど変わらないかもしれないが、魔法を受ける側の意識を保たせられるという点で、明確に使い分けが可能だ。

 ついでにこれのコントロールも練習しておこう。世界の速度を平常に近づける……遅くする……維持……よし。

 

 【停滞】を解除する前にエルの背後に回り込み、しっかりと身体を抱き留め、私の腕を口に噛ませる。

 そして、解除――同時に小さく篭った悲鳴が上がる。

 

「痛いのは分かる。が、私は痛くないので思い切り腕を噛んでいい、もうしばらく我慢してくれ」

 

 と言いつつ数秒待ち、今度は【停止】を使う。

 

 そしてナイフで刻んだ傷の側に、小さな切り傷を追加する。

 腕の激痛に隠されて、この些細な傷は気付かれない。

 

 さらに、魔女化した自分の左手、小指の爪の先端をほんの少しだけ折り、尖っている方を右に向け……大きな切り傷の隅に置く血で流されてしまわないように。

 そして右手の人差し指の爪先を折り、エルの破れた右袖に引っ掛ける。

 これらは仕込み。

 

 一つ目は、もしも彼女が魔女ならば、この程度の傷は意識外で勝手に治ってしまうことを利用したもの。

 二つ目は、違和感へのセンサー。もしも【あらゆる仕込みを忘れる】と魔法をかけられても、忘れた私が視認した何か一つの違和感から連座で異なる違和感を覚えさせ、私に思い出させるために。

 

 無意識下のルーティンは記憶を失おうとも変わらない。

 彼女の傷の中に爪を置くという発想に至ったとき、無意識にまず“左手”の“小指”を選択したこと。袖に引っ掛けるのはまず“右手”の“人差し指”を選択したこと。

 理性による理由付けはその後に行われる。

 よって、“自分なら無意識にこうするはず”、そして“こう考え実行するはず”というパターンからズレたとき、それは違和感となり、記憶を取り戻す引き金と化す。

 

 最後に……彼女のハンカチを拝借し、私の胸のポケットに入れた。

 頭を下げたとき、私にだけ見えるように。墨染めのように黒い私の衣装とは対極の純白は、今の私にすら強い違和感を覚えさせる。

 

 今の私に思いつき、できるのはこの程度の稚拙な小細工のみ。我ながら情けないことだ。

 

 まず最初に行うのは傷の再生の確認……もしも急激な回復を見せたら、彼女は少なくとも魔女であることが確定する。

 ならば【黒幕】であるとみなし、アプローチを変えるしかない。

 

 改めて、腕を噛ませる体勢を取り、【停止】を解除する。

 エルは、痛くて堪らないはずだが、私の腕をなるべく噛まないように、ふーふーと息を漏らしている。

 噛んで良いと言っただろうに……。

 

「我慢しなくていい。私は魔女だから噛まれても本当に痛くない」

 

 それでも強く瞼を瞑って、彼女は噛み締めないように耐えていた――

 

 【停止】を解除してから十数秒……

 メインの切り傷にも、後付けの仕込みにも変化は……ない。

 

 【魔女】では、【黒幕】ではないのか……?

 

 よぎったこの感情は安堵か、落胆か。

 ともあれ彼女の呼吸も落ち着いてきたので咥えさせていた腕を離す。

 

「……さて、これで名実ともに私は君を襲った【悪い魔女】だな?

 袖の中のナイフがアズサに刺さったと言っていたが、はて、どこから突き出たというのかな。

 魔女に斬られた血濡れの衣装と傷しか見当たらない。これでは、君の“私が犯人です~”という胡乱な主張に信憑性があるとはとても言えぬなぁ」

 

 これでもう後戻りはできない。景気づけにノリ良くいかせてもらった。

 

「な、なんてことを、なんてことをしてくれたんですかっ……!」

 

 目尻から涙を零し、ぷんすか喚いている。

 

「こういうのは不意打ちされた方が初めはアドレナリンが分泌して痛みを感じにくいものなのだが、君はそうではないパターンだったか? 事前に何をやるか説明して覚悟を決めさせるべきだったか……」

「そういうことでは、ありません……! 痛みなんて、どうでもいいです……! これではもう、フゼアさんは、戻れないじゃないですか……!」

 

「“戻れない”? それは間違っている、致命的にズレているな。これは“進む”ために必要な手順だ。私がそれを望んだ。それに君を付き合わせた。

 憤りがあるのは分かる、後で別の刃物を用意するから私を存分に刺して……いや、不用意な証拠や挙動を残すべきではないか。悪いが物理的な仕返しはさせてやれない。処刑判決で手を打ってほしい」

 

「私を、何だと、思っているのですか……!」

「魔女の被害者かねぇ」

「ううぅ……」

 

 思えば、私のそれは空元気なのかもしれない。

 どう転んでも、【繰生エル】との別れは近い。

 

 彼女が敵だったとしても、そうでなかったとしても。

 

 この後、私は処刑台に送られ、そこで【時を戻す】。

 未知なる牢屋敷の初日まで――

 

 そこには見知らぬ少女達が揃って生きていて、【繰生エル】もそこにいる。

 だが、こうして最初の時を歩んだ彼女に逢うことは、二度とない。

 

 今日この日が記憶のない私にとっての【初日】、厳密には“前回”の裁判になるのだろうが……些末なことだろう。

 真実を知るために時を戻し、そしてたかだか数十分で他人ではなくなった彼女とは、【この繰生エル】とは――もう二度と。

 

 ……この哀愁にも似た感情の発生源は、おそらく【私】のものではないのだろう。

 私は、初対面から数十分共に楽しく戯れただけの者に情を抱くような人間ではない。

 本来ならウィンウィンの関係として、互いに互いを利用する、共謀者として憂いなく繰生エルを消費しただろう。

 

 私は記憶のない【現在】の存在。ゆえに、過ごした時間は数十分。

 けれど【過去】の私にとっては、数十日を共に過ごした【仲間】だったのかもしれない。

 

 今さら彼女に、過去を尋ねるつもりはない。それは過去の私の持ち物で、現在の私には、記憶ですらない、ただの情報なのだから。

 これが過去の私の忘れ物だというのなら、私が責任を持って送り届けよう。私がこの手で、遂げられなかった何かを果たそう。

 

 過去の私の感情の残滓が流入していることも影響しているのか、私の中の魔女因子が濃くなっている感覚がある。

 それは決して殺意や暴走を伴うものではなく、ただ、当たり前に、自然体に【魔女】の深奥に近づいている。

 

 ……感情だけでなく、記憶も寄越してくれると助かるのだがね。いや、そうすれば逆に不都合があるから、あえて制限しているのか?

 私なら……そういうことも平気でやる。と呆れるほどに納得してしまう。

 

 魔女因子の増幅に伴って、試したいことができた。

 

 【魔法効果の拡張】。

 

 エルの両腕の“痛覚”を意識して【停止】の魔法を使用する。

 

「……? 痛く、なくなりました」

 

 予感はあったが、成功したようだ。自分以外のすべてが対象だった魔法が、他人の、それも神経にのみ効力を発揮した。

 どんどん強力且つ汎用的になっていく自分の魔法に、しかし万能感を覚えることはなかった。

 まぁ、こんなものだろう――感想はその程度だった。

 

 ふと、解除後に留めていた痛みが一挙に流れてきてその分激痛が……という可能性もよぎったため、一度解除することにした。

 

「~~っ!? また急に痛いっ……! 痛いです……! 痛い……」

 

 また泣かせちゃった……!

 ……まぁ、これで、ハンカチ隠しのときに誓った私の復讐はチャラということで、だめだろうか。

 

「一度痛みが消えたときより、もっと痛くなったりはしていないか? 二回目の痛みが始まった瞬間だけ、今の倍ぐらい痛かった、とか」

「ずっと、同じ痛みです……」

「そうか、良かった」

 

 効果が極端な麻酔として使えるようだ。今の私なら10分程度は持たせられるかもしれない。

 

 念の為に、再度時を止めて傷口をしっかりと観察する。

 まずは大きな傷……傷のサイズに変化なし。端っこが治っていることもない。患部を指で開き覗いて確認。問題なし。後付けの傷が治る気配もない。

 よし……彼女はしっかり傷物だ。

 

 断定はできないが、状況証拠的にエルは【魔女】では――ない。

 それを確認して私は再度【停止】の麻酔を施した。

 

「こんなこともできるようになってしまった。魔女化が進行している証左だ。けれど今のこれは極端な麻酔に過ぎない。効果が切れた瞬間に激痛が待っているから、傷はこの話の後、すぐに医務室で手当するのだよ」

 

 ――あぁ、もうすぐ終わりだ。

 彼女が魔女でないと分かったのなら、最後の協力を頼める。

 

 私は床に座り込み、エルもそれに続いた。

 正面を向き合う。視線が重なる。

 始めに困惑、次に私が何か大切なことを切り出そうとしていると察したのか、不安げに瞳が揺れる。

 相変わらず無機質な瞳は、今は水気を帯びていた。

 

 ここから先は彼女以外に聞かせるわけにはいかない。

 私は彼女に身を寄せ両肩を掴み、耳元にそっと口を近づけた。

 

「……これは、君にしか話さない。賭けだが、私の策がうまくいけば、すべてをなかったことにしてやり直せるかもしれない。

 この事件を……なんて話じゃない。最初からすべてだ。ここに囚われた13人、既に犠牲になった者達も、生きている者達も、一人残らず皆すべての絶望を忘れてはじめからやり直せる」

 

「――え――? そん、な……どうして……」

 

 エルにつけた傷をもう一度確認する……その前に。

 違和感はないか、よく見ろ、考えろ、記憶を書き換えられているかもしれない。

 私ならやるであろう手順を忘れてはいないか?

 

 私なら何をする……? 傷口に何かを残すだろう、それは何だ……魔女の証である手の爪だ。左手、小指――私の爪は、欠けている。

 それをどう残す。右側を意識しろと先端を右に向ける。右側で意識すべき点は何だ、傷口か、袖か。あるいは自分の何か――使うなら右手だろう。傷口なら小指、袖なら人差し指――私の人差し指の爪は、欠けている。

 ……答えは知っているが、シミュレーションするならこうなる。

 

 では、確認だ。傷は……依然として塞がる気配はない。出血も続いている。小さくつけた傷も同様だ。

 大きな傷の端に、爪は“右下”を向いて残っている。私なら“右”に向ける。――当然、動けば向きもずれる。極めて自然な状態だ。違和感や記憶が戻る感覚はない。

 袖にも爪は残っており、これも仕込み通り。

 

 最後に視界の端に白が映った。胸ポケットにしまった彼女のハンカチ。

 もしかしたら、普段の私ならしなかったかもしれない。あえて行った“違和感”のある行動。それを含めて……ここまでに違和感は、ない。

 

 【黒幕】……演技をしているのか、彼女の中に潜んでいるのならこれがラストチャンスだろう。

 私が何某かを企んでいることは明かした。すべてを台無しにしてやる、と宣言した。

 

 さぁ小手先の大雑把なやり方でどうにかできると思うなよ。どの記憶を書き換えるかを考え実行するまでがインターバルだ。

 その間に私は何度でも思考し、記憶を取り戻してやる。

 

「――私を信じて、【共犯者】になってくれないか」

 

 エルの手を取り、白磁の瞳から目を逸らさない。

 

「――――はい。私は、フゼアさんの【共犯者】になります」

 

 彼女は誓うように瞼を閉じ、頷いた。

 

 一瞬の沈黙が、長く響いた。

 

 遂に私は……繰生エルを信じると決めた。

 

 ――本当に? 証明はなされていないというのに。

 よく考えろ、一挙一投足をくまなく疑え。どんなに真に迫っていようとも、演技なら可能だ。

 私に嘘を見破る能力はない。ほら、もう怪しいだろう。私なら【疑いながら信じる】ように記憶を書き換えるんじゃないか?

 

 ……ああ、違和感のないその疑念こそが、今は信じるに足る根拠だ。

 

「――感謝する。私も君を……信じるよ」

「――はい、本当に、嬉しい、嬉しい――です。私はいったい、何をお手伝いすれば」

 

 決意を込めた声音で彼女は問う。

 

「今後の展開次第だが……誰かに腕の傷のことを聞かれたら、【フゼアと思わしき化物】に襲われたと証言してくれ。しばらくは怯えて口も利けない演技をしてもらうのが妥当だが……できそうか?」

「やります」

 

「裁判に入る直前、また裁判に突入してからの君のスタンスは、ここで出会った【アズサ】と話そうとしたら【化物】が突然現れ、そいつがアズサをナイフで刺し、階段に突き落とした。

 その次の瞬間には君に斬りかかった。化物はしばらく混乱した後に落ち着いた。それで声をかけようとしたら、君にナイフを握らせ一瞬の内に逃げ去ったと主張してくれ。

 まぁ正直、今後どういう流れになるかは分からないし、予め全てを決めてかからない方が良い。ガチガチに固めると、そこからズレた際にアドリブを利かせにくいからな。

 だが安心していい、繰生エルは巻き込まれただけで、すべては狂った小夜フゼアの所業であるというスタンスを貫いてくれれば矛盾は出ない」

 

「……はい」

 

 まともな議論が行われると仮定すれば想定している作戦上、エルにもそれなりに疑いの目が向くだろうが、それもこの後の仕込みでどうとでもできる。

 極端な話、今後伝える作戦の中で危ない流れになればエルに【トリガーを引いてもらい】、それに受けた私が発狂する演技でもして自白すれば片付く話でもある。

 

「この後、最後の仕上げに君には私に魔法を使ってもらう。

 詳細はこの後伝えるが、大雑把に言うと私の記憶を指示通りに消してほしい。

 こうして私と君が手を組んでいることを手始めに、アリバイとなりうる時間や現場の重要な記憶を改竄し、滅茶苦茶なことを私が堂々と宣言できるようにする。

 それにより私は【魔女化】の進行による意識と記憶の混濁が見られ、発言には信憑性と証拠能力がないと認識してもらうためだね。まぁオオカミ少年の理屈だよ」

 

 私は私の立場で本気で抗弁して、それを台無しにされ追い詰められなければならない。

 論理的に、多角的に、徹底的に……【小夜フゼアという魔女】を貶め絶望させるのだ。

 

 その絶望の先にこそ――魔女としての覚醒がある。

 

「私は私の立場として、論戦を行う。君にも大いに流れ弾がいくだろうが、君は真正面から堂々と、私を叩き潰してくれ。きっと他の者らも私という魔女を処刑するために君に協力してくれることだろう。

 ただし、ルカラだけは私を庇う可能性がある。こいつにだけは入念な警戒しておかなければならない。あの女はバカではあるが、“本物の馬鹿”ではない。あれで相当悪質な性格をしていて悪知恵も回る。

 十年来私のことをよく知るアレを敵に回せば厄介だ。君の手に負えないと判断すれば、私の記憶を叩き起こしてくれ。その後は私が手を打つ。

 ……そして万が一私の計画が失敗し、私が処刑されたとしても、君が【魔女】に協力したとは絶対に思われないようにする効果もある。

 君に対する疑念は徹底的に払拭し、私が地の底まで持っていく。君は潔白のまま生きろ」

 

「……、フゼアさん、私は――やっぱり嫌です。どうしてですか。どうしてこんな終わり方になっちゃうんですか。これしかないんですか。嫌です。嫌……」

 

 ……やはり、安心しろ――とは無責任か。

 万が一、私が処刑されれば言うに及ばず彼女はその先も牢屋敷で生きていく。

 そして……それを生きるとは言わないことも、理解しているだろう。

 これまでこんなにも死人が出て、これからも日に日に空気が腐っていく以上、彼女らはもう既に虜囚ではなく、死刑囚か、あるいはモルモットだ。

 

 それより肝心なのは、私の計画が成功しても、その先のビジョンなんてものはエルに見えないことだ。

 私を信じて祈って従っていればすべてを忘れて救われるのだからそれで良いだろうなんて言い種は、ああ、カルトのそれと変わりない。

 

 どう転んでもエルには、この先の勝利を想像できない。

 ゆえに私のまともな説得は受け容れられない。

 

 ならば、嘘でも良い。少しでも安心できそうな材料を与えよう。

 

「……君は図書室の本を解読したことがあるかな」

「ぇ……? は、い……みなさんで少しだけ。でも、解決の糸口は、何もありませんでした」

「私は個人的に何冊も解読を完了している。その内の一つに、とても重大な記述がある一冊を見つけた。そして、その解釈と実現させるためのプランを組み立てた」

「それは……」

「お察しの通り、君だけに伝えた私の希望の根源だよ。……【大魔女】という言葉に聞き覚えは?」

「……初日に、ゴクチョーさんが少しだけ話していました。他には本に書かれていた魔女達のお伽噺でも、そのような人がいたのかもと……」

「詳しい説明は省き端的に伝えるが、大魔女が現れると魔女候補達は救われる。人間は魔女候補になれる。魔女候補は魔女になれる。――そして、魔女は大魔女になれる」

「フゼアさんは……」

「ああ、私が大魔女になる。そのための手法も確立した。しかし本当に実現できるかどうかは賭けだ、あくまで本に書かれていることだからね。だが、縋る希望はこれしかない」

「だったらフゼアさんが生き残って、もっと時間をかけたら――」

 

 あぁ、その指摘を待っていた。

 

「大魔女になるための条件がある。残念ながらそのうちの一つが、そう、“時間”でね。

 魔女化した人間は、やがて殺人衝動に呑まれ、なれはてと化す。

 私はこうして平然としているように見えるかもしれないが……実際のところかなりまずい。誰かも分からぬ【黒幕】に殺意を向けることで誤魔化している状況だ。

 今回を逃せばもう二度と間に合わない。それが何度も考え抜いて出した結論だよ」

 

 即興の大法螺もいいところだが、大魔女の話題を出しても黒幕が動く兆しはない。

 大魔女に何某かの目的を定めているタイプの黒幕なら何らかの動きがあってもおかしくないとは思うが……たとえば私のスマホに着信を鳴らすことぐらいはできるだろう。

 とは言え、【あっち】のゴクチョーは大魔女を復活させるという特級の危険性を孕む【サバトの儀式】を放置し傍観していた……。

 運営サイドの思惑は相変わらず読めないが、【大魔女の存在】に重きを置いているタイプの黒幕がいるなら近々私に何らかのアクションを起こす可能性は高い。

 

 勿論、単にこの会話を盗聴していない、対応を吟味している、物理的に介入できない何かがある……という可能性も充分あるが。

 

「安心してくれとは口が裂けても言えないが……まぁ私が大魔女になれたら、口が裂けて言えるようになるかもね」

 

 指で自分の口元を釣り上げる。

 邪悪な笑顔の練習かな?

 

「……笑え、ませんよ」

「楽しんでいるくせに。笑いを涙で誤魔化そうとはなかなかにしたたかじゃないか」

「笑うの、へたなくせに……」

「言ってくれるな、万年無表情が。あぁ、でも、そんな相手を泣かせて、笑わせることができた。私の二点先取だ、気分が良い」

「……私は、フゼアさんを笑わせることも、泣かせることも、できませんでした。勝てませんでした」

「当然の結果だ」

 

 ただ一つ、忘れているようだ。

 彼女の意志で笑わせるつもりはなかったのだろうが、私は彼女に笑わされている。

 これを失点とするかは意見が分かれるところだろうが、せっかくだから黙って勝ち越しておこう。

 

「でも、最後は勝ちたかった。勝ちたいです――」

「……あぁ」

 

 ――どう転んでも、すぐにこの時間が終わることを互いに察し、やがて会話は遺言の色を帯びていく。

 

「嫌です。犯人をフゼアさんに押しつけること」

 

 彼女は嫌がっていた。自分が罪から逃れることを。

 

「ごめんなさい。全部を背負わせて」

 

 彼女は謝っていた。自分の罪を背負わせる私へ。

 

「どうして、私は、いつも、こんなにも、何も、できないっ……私だけ、また忘れて…………、……もう嫌だから――」

 

 彼女は苦しんでした。自分の罪に打ち勝てない弱さに。

 

 彼女は泣いていた。

 彼女は泣いていた。

 彼女は泣いていた。

 

「…………」

 

 私は考えていた。積み重ねた理に落ち度はないかと。

 

「…………」

 

 私は悩んでいた。起こり得る想定外の事象への対処に。

 

「……ふ……」

 

 私は笑っていた。少なくとも今回だけは、君は救われるのにと。

 

 私は眺めていた。

 彼女は的外れな罪悪感と自罰の意志に苛まれていると。

 

 私は眺めていた。

 彼女の懺悔を。

 

 私は眺めていた。

 彼女の涙を。

 

 眺めていたのに、見落とした。

 底の浅い思い込みで。

 

 そして、私の耳元で彼女は訊ねた。

 

「どうして、その可能性のために、貴方が犠牲になるリスクを負わなければならないのですか。

 一緒に、逃げてしまいませんか? 裁判からも、処刑からも」

 

 あぁ、逃げる……か。状況が変われば、悪くないアイデアだ。

 ここのところ立ち向かうことばかり考えて、その考えは意外と浮かばなかったな……今後の参考にさせてもらうよ。

 

「私の願いを叶えるには、容赦なく耐え難い程の膨大な怒りと絶望が必要なのだよ。さらなる魔女化を進めるために、果てに大魔女へ至るために。ゆえに逃げることなど断じてありえない」

 

 彼女は訊ねた。

 

「もし失敗してしまったら」

 

 私は答えた。

 

「私が処刑されて、君が助かるだけだ」

 

 彼女は訊ねた。

 

「もしも今日、こんなことが起きていなかったら、フゼアさんはどうしていましたか」

 

 私は答えた。

 

「いつの間にか魔女になってしまっていたからには、何か対策を考えて自分一人でもこの状況に抗おうとしただろうが……もしかしたら、あぁ……明日だけは平気な顔で君の料理を食べていたかもしれない」

 

 彼女は沈黙した。

 私の肩に彼女の頭の重みを感じた。

 温かい何かで肩が濡れた。

 

 彼女は訊ねた。

 

「――本当に、全部、忘れてしまうのですか」

 

 私は答えた。

 

「もちろん。皆すべてを忘れられる。何一つ禍根は残らない」

 

 彼女は呟いた。

 

「……ここは、酷い悲劇ばかりでしたが、でも、人生で一番楽しかったのも……きっと、ここで過ごした日々でした。

 私の記憶は、この牢屋敷の色でできています」

 

 彼女は続ける。

 

「みんな変な人で、酷い人で、面白い人で、哀しい人で、優しい人で、魔女で……――でも、もうすぐ、終わりなんですね」

 

 私は答えた。

 

「終わらない。本来なら生きていれば取り返せない過ちもあるが、今回はきちんと、【やり直せる】方だ。心配は要らない」

 

 彼女は小さく息を漏らした、噛み締めるように。

 

「貴方には、どんな思い出がありますか?」

 

 ……【私】には……?

 

 ――【小夜フゼア】には……

 

「……あー……何と言うか、他殺か事故死か分からない現場に出くわしたと思ったら、自分が【魔女】であることに気付いて、困惑し奮起して、捜査をし、魔法の勉強をしたり、ハンカチ隠しで一本取られたり……

 何だかんだあって、共犯者ができて、今こうして話していたり……とか……?」

 

 耳元で彼女はくすりと笑った。

 

「もし、これから歩む貴方の道のりがどんなに絶望的なものだったとしても、貴方は一人で戦えますか?」

 

 私は……

 【本来の私】なら到底不可能だが……

 

「“この”私、【小夜フゼア】なら、きっと何度でも足掻けるだろう。私は負けんよ」

 

 ああなんて、我ながら恥ずかしい決意表明だろう。しかしそれが偽らざる私の本心だった。

 

 彼女と目が合う。

 白い。白い瞳に……私は映らない。

 そこにあるのは繰生エルの色だけ。

 

「貴方は本当の私を知らない。貴方は私を忘れてしまう。だから、これでおしまいなんです。すべてなかったことにする。私はそれをお手伝いします。それで終わらせる。それしかないのですね?」

 

 頷いて、告げようとした言葉は……彼女に遮られた。

 

「ごめんなさい。こんなことになってしまってごめんなさい。

 私のわがままに付き合わせてごめんなさい。

 ありがとう。貴方の本当の願いを話してくれて。

 一人でも戦ってくれるって信じさせてくれて。本当にありがとうございます。

 これで私も――」

 

 私をじっと見つめる白い瞳は固定されているかのように揺らがず、滂沱の如く言葉が止まらない。

 

「これで私も、本当にしたいことができます。ごめんなさい。ありがとう。信じています」

「……あ、あぁ――」

 

 ――次々と紡がれる纏まりのない言葉の……想いの数々に圧倒される。

 具体的に何を伝えたいのか分からない。論理的ではない。ただ、頭に思い浮かんだ感情をそのまま吐き出しているような――

 

 何だ……繰生エルはいったい、いつからこんなにも“おぞましい”感情の奔流を秘めていた?

 情熱的な決意や信頼なんてもので括れるものではない、これは――狂気だ――

 

「私も手遅れですから。嫌なことも精一杯がんばります。きっと大丈夫です。大丈夫。頑張ってください。絶対に諦めないでください。信じています」

 

 ――反射的に、床を後ずさろうとした身体は、エルに抱き留められて逃れられない。

 

 馬鹿な――私は【魔女】だぞ!? 単なる魔女候補の少女に膂力で拘束されるはずが……!

 

 正体不明の焦りからか、あるいは何かを危惧したからか、自身ですら意図せず解除してしまった麻酔用の【停止】――瞬時に迸るはずの激痛を――

 彼女は意にも介さない。

 

「今まで――本当にありがとう。心から私は、貴方の幸せを願います」

 

 何かおかしい。尋常ではない……!

 分からない、いったい何がトリガーとなった……!

 何がきっかけだ、いつ彼女の地雷を踏んだ……!? いやそもそも最初から……!? 黒幕――違う、発言に整合性が取れていない。

 落ち着け考えろ、エルの発している言葉自体は希望だ、狂信的な何か、善意ですらあるのかもしれないが、しかしこれは“駄目”だ。

 

 くっ、分からん――いったい繰生エルの心に何が起きている……!?

 

 とにかく一度彼女を止めなければ。

 何か、そうだ……! 私の……、……【魔法】、は……何だった……?

 

「だから――」

 

 っ、私の【魔法は】――

 

「私は――」

 

 時を――

 

「貴方を――」

 

 操る――

 

「心の底から――」

 

 魔法ッ――!

 

 

「“絶望”――させられると嬉しいです」

 

 

 しまった――という後悔、恐怖、疑問、絶望――

 

 

 間に合わない【時を遡る魔法】の発動。

 

 握り締められていた手の感触。

 

 最後に見た……涙と歓喜に歪められたエルの笑顔。

 

 

 すべて――【記憶を操る魔法】にかき消された――――

 

 

 

 

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