翌朝、一貫はバスに乗って魔法区内のバス停で降車するものの、どうも様子がおかしい。頭は揺れ、足取りがおぼつかない。昨夜のバイトがよほど体に堪えたのだろうか。
「はぁ」
今日は通学路が俄かに騒がしい。一貫を見て影口をする学生は1人もおらず、ある場所を見て不安そうな声を上げたり写真を撮る人、離れるよう促す魔法軍部の人がいる。
そこは現在立ち入り禁止区域となっており、工事現場でよく見かける赤いコーンと黄色と黒のロープが張られていた。
「まぁ、関係ないか」
直ぐに動けないと判断した一貫は、手近のベンチへ座って人通りが少なくなるのを待つつもりらしい。頭が上下に揺れ、今にも眠りこけそうな一貫の前に……
「あら、奇遇ね。一貫君?」
普段は通学路を通るはずのない櫛灘が声をかけてくる。しかし、何の反応もないので違和感を覚えたのか、一貫をまじまじと見つめた。
「って、今にも寝そうだけど大丈夫なの?」
「ぁ、あぁ。くし、なださんか。昨日、色々……あってな」
眠そうな一貫に理由を聞いた限りでは、夜中が煩くて眠れなかったらしい。そんな一貫は話しかけられたことで何とか目を覚まそうと、気の抜けるような大欠伸を何度もした後に立ち上がる。
「一貫の住んでる所、そんなおかしな部屋なの?」
「いや、普段はそうじゃなかったんだ。それで、こんなところにいていいのか。今登校したら、ファンクラブとやらのお出迎えがうざったいんじゃないのか?」
「普段ならそうだけど、今日はそれどころじゃないわ」
理由に心当たりのある一貫は、少しずつ人が減ってきたその場所を見る。
「確か、夜中に避難しろって、連絡が来ていたんだったか」
「一貫も端末くらい持ってるから当然知ってるわね。そうよ、それのせいでこの有様」
彼らの眼前にあるのは、半壊したアパート。ここには櫛灘達と同様の学生が住んでいるが、昨夜泣く泣く移動した彼らは、不安な一夜を過ごしたに違いない。
「この辺のアパートって、魔法で強化されているって話じゃなかったか」
「それが昨夜の襲撃で壊されたの。犯人はレジスタンスと言われているわ」
「こう言っちゃあれだが、ただの魔法使いの集まりに、魔法で強化されたアパート数棟を簡単に半壊させる真似が出来ると思えないぞ」
「……大体の人はそう思っているみたいだけど、私も一貫と同意見よ。だから、今日は自分なりにパトロールの真似事してたの」
「あぁ、何でここに来たんだと思ったがそういう理由だったのか。ご苦労さまだけど、成果はあったのか?」
しかし、櫛灘はゆっくりと首を横に振る。
「駄目ね。周囲を見回りしたけど魔法兵器を捨てた痕跡も無さそうだし、時間が経ち過ぎちゃって、魔法を使った痕跡から追うことも出来なかった」
「そりゃそうだ。魔法の痕跡なんて、誰が何を使ったまでしか分からない。使って直ぐならともかく、外なら10分経ったら痕跡なんてもう分からない」
「詳しいのね。何でか聞いてもいい?」
何故知っているのかを問う櫛灘の目は鋭いが、一貫自身は何故そのような眼を向けられているかが分からない。
「魔法基礎教育の授業でもそう習うんじゃないのか。魔素は大気中にも含まれている。解けた魔法は魔素に分解される。その後の流れは俺も知らないが」
「言っていることはそうなんだけど、具体的な時間感覚までは私も知らなかったわよ」
「……実践授業で魔法の的になった時に覚えたんだよ。体でな」
「よくその体が無事だったわね。ところで、まだ登校時間まで時間があるけど、暇?」
櫛灘の手が淡く光る。
「いや、学園に行ってもう一度寝……なんか急に眼が覚めたんだが、なにかしたか?」
「私の勝手なお願いだからね、目覚ましくらいはするわよ。それにしても、魔法の通りが悪くない?」
「そういう体質なんだ。それで、あぁ。そういうことか。確かに今なら人払いが終わって近くには誰もいない。中へ入って調べるには絶好のチャンスってことか」
「一貫君と話していたらいつの間に人がいなくなっていただけなんだけどね」
屯していた学生達は学園に向かっている。タイミングのいいことに、魔法軍部の人も近くにいない。
「別にいいが、俺である必要あったか?」
「他の人は皆怖がるのに、一貫はそうじゃない。それに、私よりも危険に慣れていそうだから」
「ひでぇな、おい。ま、俺も気になっていた所だからいいけどさ」
代わりの人が戻ってくる前に、櫛灘と一貫は黄色と黒のロープの先へ立ち入った。
被害があったのは魔法寮のアパート5棟。7階建てで1階につき6部屋あるらしい。
「…………」
魔法学園に建てられたアパートは、近未来の住居として自然災害などにもにも耐えられるように魔術による障壁付与や構造物の強化を行っている。
にもかかわらず、内2棟には焦げた跡がついていた。
「酷い、酷いよ本当に……こんなもの、間違ってもやるものじゃない」
「それでこの被害、櫛灘さんはどう見ている?」
「……そうね、切り替えないと。魔法使いがやったなら一発限りの強力な魔法を使ったんだと思う。でも……」
「でも?」
「アパートは被害の様子が全部同じ。だから、魔法を素にした道具……そう、兵器とかを一斉に使ったんじゃないかと思う」
「いい見立てだな。俺もそう思う。それでさっきから気になっていたんだが、何でこの事件に執着しているんだ、櫛灘さんは」
「あぁ、言ってなかった。実は雫が……」
この被害に遭った5棟のアパートの1つに雨森の部屋があり、昨日の深夜に荷物を持って櫛灘の部屋へ避難してきたそうだ。他の学生も同様に避難を余儀なくされたが、一部の学生は夜を学園の校庭などで過ごしたらしい。
襲撃によるけが人はいないというが、焦げた跡の見える2棟は建て直しを検討しなければいけないほど傷んでいた。
「そりゃ、躍起になる訳だ。雨森さんは平気だったのか?」
「うん、貴重品を持って私の部屋に避難する余裕はあったから。でも、暫く部屋に戻れないわ」
「そうだな。これらのアパートを修繕するにしろ、魔法を使っても最低1ヶ月は掛かる。空き部屋を使うにも限度があるし、どうする気だろうな」
被害の全容を目の当たりにした櫛灘は怒りを隠そうともせず、吐き捨てるように言った。
「全く、なーにが魔法軍部が見張りをしているから大丈夫、よ。大体、今もこの辺りの雰囲気が悪いのも魔法軍部が見回りしているからじゃない。事件も防げてないし、誘拐犯も捕まえられていないしで、いいとこなしじゃない」
「裏で動いているのを捕まえるのは何時だって難しい。そもそも、警察だって事件を防げる訳じゃないんだ。無理言うなって」
「でもさ……って、どうしたの?」
憤りを隠さない櫛灘とは対照的に、一貫は落ち着いて周囲を見渡している。
「そろそろ交代が戻ってくるかもな」
「え、じゃあ急いで行かないと」
櫛灘が手を伸ばそうとしたが、一貫はそれに背を向ける。
「流石に2人抱えてはバレるから先に行っとけって」
「で、でも……」
「俺は櫛灘さんより目立たない、何とかなるさ」
「ご、ごめん……」
言うや否や、櫛灘はすぐさま立ち入り禁止域を飛び出した。その様子を見送ることなく、動き出す。
「櫛灘さんから眠気を覚ませて貰えたのはラッキーだった。お陰で、昨日調べきれなかったことが調べられそうだ」
学生服のポケットから何かを取り出した一貫は、それを一本の長い棒へ変えて半壊しているアパートへ入り込んだ。瓦礫もあるので足場は悪い筈だが、棒を上手く使って瓦礫のある場所を上がったり、あるいは棒を使って上手に着地する様は随分と手馴れている。
「櫛灘さんも言った通り、この破壊力は一人の魔法使いがやった規模じゃない。出来るとしたら、間違いなく魔法兵器だ。ただ、たかがレジスタンスにこんな過剰にやる必要があったのか?」
音を立てないように周囲を散策しながら、昨夜何が起きたのか当たりをつける。
「レジスタンスが魔法軍部の敷地に潜入する必要なんてないはず。なのに、どうして侵入したのか。これが分からない」
状況を整理しようとして、返って整理がつかなくなった。そう、何もかもが過剰なのだ。敷地に入ったから捕まえるという道理は理解する。しかし、捕える為にどうして数十メートルも離れた建物が損傷するような魔法兵器を使ったのか。
「普通に考えればそんなことはしない。ってことは、バレたくないものかあるいは……暴発したか」
一貫はそのまま、他のアパートにも立ち入った。比較的被害の少ないアパートは、点検さえ済めば休むことは出来そうだった。最低限の確認したいことを済ませた一貫は、携帯端末で時刻を確認する。
「やっべ、集中しすぎた。遅刻するぞこれ」
流石にまずいと思い、急いで学園へ向かおうとしてふと立ち止まる。
「それはそうと、こんな状況で授業なんて出来るのか?」
とはいえ、長居は無用。近くに人がいないか確認して立ち入り禁止区域から出ようとした時、鋭いものを感じて跳び引き、その何かを感じた方角を見る。
「……ッ!」
だが、視線の先にも彼の周囲にも異変はない。
「……誰かに見られていたな。ちょっと、警戒しておくか」
冷え切った眼をある方向へ向けた後、学園へ駆けだした。
学園へ到着したはいいが、一貫の予想通り授業が無くなっていた。
「おい、何でまだ教室にいるんだ。どうせサボりだろうが魔法実践授業はあるぞ」
「……マジか」
普段は話す機会のない担任から言われたことで、実践授業があることを知った。が、担任の言う通りサボる予定の一貫には関係ない。しかし、施錠する関係上、教室にいる訳にもいかなかった。
「仕方ない。屋上行くか」
学園に到着してから急激な眠気に襲われている一貫は、ふらつく体をなんとか動かす。途中、非常梯子へ飛び移る際に梯子から手を離しかけるトラブルはあったものの、何とか屋上までやってきた。
ようやくゆっくり休めると思っていた一貫だったが、思わぬ人物に眼を丸くする。ついでに、随分とご立腹だった。
「何故、櫛灘、さんが?」
「一貫君のクラスは分からないけど、こっちのクラスは休校になったの、知らないの?」
一貫がいるクラスは、同学年の中でも魔法を不得手としている。つまり、自衛の練習として今日も授業になっただけらしい。
「じゃあ、さっさと帰れば……」
「それより随分と長い時間、あの場所にいたのね。あの時言ったこと、嘘だったんでしょ」
感情に呼応して櫛灘の赤い髪は逆立ち、今にも一貫へ雷を落としそうな勢いを見せている。そんな姿を直視したら、本来なら誰しも謝ろうとするだろう。
しかし、眠気が限界に達していた一貫は櫛灘へ構う意識が残っていない。足をもつれさせて地面へ倒れ込む。反射的に鞄と腕で頭を守っていたのは流石の身のこなしだろう。
「わ、るい、眠い、寝る」
よほど限界だったのか。一貫は鞄を枕にすらせず眠りこける。
「え、えぇ……」
櫛灘は毒気を抜かれたように立ち尽くす。準備していた魔法も、すっかり大気に混じって消えていった。