八幡たちの言葉に少しずつ重なる、生徒たちの“今の答え”。
季節は冬でも、読後に少しだけ心が温かくなってもらえたら嬉しいです。
冬の午後の光が、校舎の廊下を淡く染めていた。
校舎の隅にだけ、まだ冬の日差しが名残を落としていた。
日が傾きはじめた放課後、
奉仕部の部室では、瑠美が書類の束と格闘していた。
「……えっと、ここは“奉仕部協力記録”って書いておけばいいかしら」
「いや、そこは“生徒会依頼対応”にしといた方が後でわかりやすい」
大磯がノートPCを開いたまま答える。
瑠美はため息をつきつつ、シャープペンをくるくると回した。
「大磯くん、生徒会の書式ってもう少し柔軟にならないの?」
「ルールがあるからルールなんだよ。そういうこと言ってたら俺みたいに書類地獄になるぞ」
「ふふっ……さすが元会長」
美羽が笑い、部室の空気が少しだけ緩む。
その時、ノックの音がした。
「どうぞー」
瑠美が返事をすると、ドアの隙間からひょこっと顔を覗かせる者がいた。
「やっほ〜。遊びに来ちゃいました、てへっ」
玲が両手を合わせ、あざとく笑った。
「……玲さん、またですか」
瑠美が眉をひそめる。
「“また”って言われるほど来てないです〜、今日はちゃんと用が――」
「用がないのね」
「はい、遊びに来ました」
玲が笑顔で即答する。
「こっちは仕事中なのだけれど」
「え〜? でも、どう見てもダラダラしてるようにしか見えませんけど〜」
「否定できない」
大磯がすぐに答える。
「大磯くんまで乗らないでよ!」
瑠美の抗議に、部室がどっと笑いに包まれた。
玲はにこにこと笑いながら椅子を引き、当然のように座る。
「で、今日の議題はなんですか?」
「勝手に会議にするな」
「え〜、だって奉仕部って、いつも誰かの悩みとか相談とか聞いてるんでしょ?」
「まぁ、今は書類に悩んでるわけだが」
大磯がぼそりと呟き、美羽が吹き出す。
⸻
そんな賑やかさの中、ふと玲が真面目な声を出した。
「そういえば、この間――成人の日にニュース見たんですよ」
その言葉に、瑠美が手を止める。
「成人式の中継? 派手な衣装の人とか?」
「はい。……なんか、暴れたり、変な格好したりしてる人たちがいて」
「あれが大人なの?って、ちょっと考えちゃって」
玲は笑いながら言ったが、その目はどこか真剣だった。
「……大人になるって、どういうことなんですかね?」
玲の声が静かに響く。
その問いは、まるで冬の光に溶けていくようだった
その一言に、空気が少しだけ変わった。
大磯が腕を組み、美羽が手を止める。
瑠美はペンを机に置き、穏やかに息をついた。
「面白い質問ね」
「でしょ? こういうの、奉仕部っぽいかなって」
玲が笑いながら言うと、美羽が頷いた。
「確かに、奉仕部って感じです」
「……お前ら、勝手にカテゴリ決めんな」
大磯のぼやきが落ちる。
けれど瑠美は微笑んでいた。
「いいわね。こういうの、久しぶり」
部室の窓から見える冬の空は、もう少しで夕焼けに変わるところだった。
いつの間にか、八幡と雪乃、そして結衣も帰る前に顔を出していた。
「なんだ、また集会か」
八幡が腕を組んで入ってくる。
「今日は“玲さんの疑問に答える会”です」
美羽が即答。
「……タイトルだけ聞くと、嫌な予感しかしねぇな」
「ヒッキー、また逃げようとしてる〜?」
結衣が笑う。
「俺の“逃げる本能”はな、むしろ人類の進化だ」
「進化って言い張れるところがもう高校の時と何も変わってないわ」
雪乃が小さくため息をついた。
「はいはい。では“玲さんの疑問に答える会”を始めます」
瑠美が軽く手を叩き、自然に場の中心に立った。
⸻
「で、質問は?」
八幡が椅子に腰を下ろすと、玲が少し姿勢を正した。
「えっと……“大人になる”って、どういうことなんですか?」
「それはまた、漠然としたテーマね」
雪乃が少し微笑む。
「はい。でも、気になっちゃって」
玲は目を伏せた。
「大人って、自分のことを自分で決められる人かなって思ったんですけど」
「でも、みんながそうでもないみたいで」
「……まぁな」
八幡が小さく笑った。
「どうなんだろうな、“大人になる”って」
「やっぱり、自立できること……ですかね」
瑠美が言葉を継ぐ。
「責任を取れること、ってのもあるかも」
美羽がノートを閉じた。
「俺は“人に迷惑をかけないこと”だと思う」
大磯の声が少し低く響く。
玲は頷いた。
「私は、“自分を好きでいられること”かな」
「だって、自分が嫌いなままじゃ、誰かのことも大事にできない気がして」
その言葉に、雪乃がわずかに目を細めた。
結衣が小さく「玲ちゃん、いいこと言うね〜」と頷く。
「で、先生たちの意見は?」
玲がくるりと向き直ると、八幡は面倒くさそうに頭をかいた。
「俺か? ……そうだな」
彼は少し考えてから言った。
「“痛みを想像できるようになること”……かな」
玲が目を瞬かせる。
「痛み、ですか?」
「そう。誰かの痛みとか、自分の過去の失敗とか、
そういうのを笑い飛ばすんじゃなくて、
想像して受け止められること」
「それができるようになると、人は少しだけ優しくなれる」
美羽がゆっくりと頷く。
「……それって、すごく八幡先生らしいですね」
「そうか?」
「ええ。“想像力のある優しさ”です」
雪乃が微笑んだ。
「私は、“誠実であること”かしら」
「誠実?」
「ええ。どんな場面でも、自分に嘘をつかないで生きること」
「それができる人は、年齢じゃなくて、心が大人だと思うの」
「ゆきのん、かっこいい〜」
結衣が拍手をする。
「私は、“他人に優しくできること”」
「失敗しても、責めるより、助けてあげられる人が大人だと思うな」
「由比ヶ浜、あいかわらず天使だ」
「やだ〜ヒッキー、そういうのやめてよ〜」
八幡が苦笑する。
「いや、たまには素直に言っとかねぇと。あとで雪乃に怒られる」
「もう怒ってるわ」
「早ぇよ」
部室の空気が笑いに包まれた。
でも、その笑いはどこか柔らかく、温かかった。
玲は手帳を開き、静かに一言だけ書き込んだ。
『大人=優しさを持てる人』
その顔は、とても満足げだった。
ディスカッションは思いのほか白熱した。
それぞれの言葉が、ゆっくりと空気を温めていくようだった。
「……でもさ」
沈黙のあと、大磯がぼそっと呟いた。
「大人になっても、間違うことってありますよね」
「むしろ、間違いの数は増える気がする」
八幡が苦笑しながら頷く。
「正解があると思ってた頃の方が、楽だったのかもな」
「それ、ちょっとわかります」玲が微笑む。
「子どもの頃は、怒られたら“悪いことした”ってすぐわかるけど、
今は正しいと思ってやったことでも、誰かを傷つけちゃったりして」
雪乃が少しだけ目を伏せる。
「……そうね。正義がぶつかる時もあるわ」
「“正しさのぶつかり合い”か」
八幡が頷く。
「それを調整できるようになるのが、大人なんだろうな」
「うわぁ〜、深いですね……」
玲が感嘆の声を漏らす。
「私、大人になるって、“自分を変えること”だと思ってたけど、
そうじゃなくて、“自分の中に他人を置けるようになること”なのかも」
「他人を置く?」
美羽が首を傾げる。
玲は少し考えてから言った。
「たとえば、相手の立場で考えたり、自分の中で会話したり。
そうやって、自分以外の誰かの声をちゃんと聞けるようになるっていうか」
雪乃が目を細めて微笑んだ。
「それは、とても“成熟した”考え方ね」
「玲さんらしいですね」
瑠美が静かに続ける。
「自分の中で対話ができるのは、大人でも難しいことです」
「……瑠美さん、それ褒めてます?」
「ええ、もちろん」
「やった〜! じゃあ今日の私は成長日記に“ひとマス進む”って書いておこうっと」
玲が笑い、美羽がくすっと吹き出す。
「“成長日記”か……いい言葉だな」
八幡が呟く。
「人って、子どもだから成長するんじゃなくて、
成長しようとするから、いつまでも子どもでいられるのかもな」
「どういうことですか?」
玲が首を傾げる。
「大人って、実は“完全な人間”じゃないんだよ。
足りない部分を認めて、それでも前に進もうとする。
その姿勢がある限り、きっと誰だって“途中のまま”でいい」
静かな沈黙が訪れる。
八幡の言葉に、誰もすぐには返さなかった。
けれど、その沈黙が、なによりの共感だった。
窓の外では、いつの間にか小さな雪が降り始めていた。
部室の照明がその白を反射して、柔らかく光る。
「……なんか、やっぱり先生たち、すごいですね」
玲の声がかすかに震える。
「すごくないよ」
八幡が笑う。
「俺たちだって、いまだに“どう生きるか”を考えてる途中だ」
「でも――」
玲が目を細めて笑った。
「それって、ちょっと安心します」
「安心?」
「だって、“完璧な大人”なんていないってわかったら、
私も焦らなくていい気がして」
「……そうね」
雪乃が微笑んだ。
「焦らなくていい。けれど、止まらないで」
玲は頷いた。
「はい。ゆっくりでも、ちゃんと前に進みます」
⸻
時間がゆっくりと過ぎていく。
気づけば、窓の外は薄闇が降りていた。
雪の粒が静かに光り、街灯の明かりの中で踊っている。
瑠美がふと立ち上がり、カーテンを閉める。
「そろそろ帰りましょうか」
「そうね。そろそろ閉館時間だし」
美羽がパソコンを閉じ、大磯がファイルをまとめる。
玲は立ち上がったまま、窓の外を名残惜しそうに見ていた。
「なんか……今日、すごくいい時間でした」
「そりゃよかった」
八幡が椅子の背にもたれながら言う。
「こういう話って、答えが出ないからこそ面白いんだよ」
「うん……」
玲は小さく頷いた。
「私、少しだけ大人に近づけた気がします」
その笑顔には、迷いよりも静かな誇りが宿っていた。
「なら、俺も少しだけ教師やれてるってことだな」
八幡が笑う。
その横で雪乃が微笑みながら髪を耳にかける。
「ええ、やっとね」
「それ、褒め言葉でいいんだよな?」
「判断はあなた次第よ」
「……怖いな、おい」
結衣がくすっと笑う。
「やっぱり、ゆきのんとヒッキーって、そういうとこ変わらないね〜」
「おい、それ褒めてねえだろ」
「ううん、すっごく褒めてる!」
雪乃は軽くため息をつきながらも、どこか嬉しそうだった。
⸻
部室を出ると、廊下の向こうに白い光が延びていた。
外はもうすっかり夜。
窓の外には、淡く雪が舞っている。
玲がドアを閉めながら、ぽつりと呟いた。
「“大人になるのは難しい”って、きっと誰もが通る道なんですね」
「お前本当に小田原か?」
八幡が突っ込みを入れる。
「人がせっかく真面目モードなのに、先生酷い」
泣くポーズで、あざとく抗議する
「おい、悪かったって....」
「ふふ、本当に泣くわけないじゃないですか〜」
「おい、俺の優しさを返せ」
「でも、いい言葉だと思いますよ」
美羽が優しく笑う。
「難しいからこそ、面白い」
「……ほんと、それですね」
玲が頷く。
彼女の頬に落ちた雪が、白く溶けた。
その横で、瑠美が呟く。
「きっと、私たちも少しずつ変わっていけるわね」
「そうね」
雪乃が小さく笑う。
「成長って、案外“誰かと話した時間”の中にあるのかもしれないわ」
そのとき、少し離れた場所で瑠美と玲がなにやら視線をぶつけ合っていた。
どうやら、大磯をめぐる“静かな牽制”の真っ最中らしい。
大磯は目を逸らし、困ったように八幡を見た。
八幡は小さく肩をすくめ、周囲に聞こえないよう耳元で囁く。
「バカ、こっち見るんじゃねえ。俺がそういうこと一番苦手だってわかるだろ」
「今まで俺の何を見てきたんだ。いい加減気づけ」
「今お前が頼るべきなのは――由比ヶ浜だ」
大磯は「でも……」と言いかけて口を噤んだ。
その反応を見て、八幡は小さくため息をつく。
⸻
片付けが終わり、帰り際。
雪乃と二人きりになったとき、彼女が静かに口を開いた。
「ふふ、聞こえてたわよ。大磯君に言ったこと」
「……あれはアドバイスだ。別に深い意味はねぇよ」
「相変わらずあなたは自己評価が低いのね」
雪乃は微笑を浮かべながら続ける。
「大磯君は同性だし、あなたが同じような経験をしてきたからこそ、
あなたの方を見たのよ。だから――彼の判断は間違ってないわ」
「相変わらず、恋愛に関してはポンコツね」
「ポンコツっていうな」
「でもそこを含めて俺のことが好きだろ、雪乃」
雪乃の顔が一瞬で、真っ赤になる
「その返しはずるいわ」
(あの時陸橋の上でそんな風に言ってくれたら
私があんな恥ずかしい言葉、言わずに済んだのに)
「なんか悔しいから今はその答えは保留ね」
(どこで負けず嫌いのスイッチが入ったんだか……)
八幡は優しい笑顔で、胸の内でそっと呟いた。
――廊下の向こうから、玲の明るい声が聞こえてきた。
「はいっ! じゃあ、今日の奉仕部は“立派な大人になる会”ってことで!」
玲が両手を上げて宣言する。
「それ、ちょっと恥ずかしいタイトルね」
「でも、悪くないです」
美羽が微笑み、瑠美も頷いた。
「そうね。“悪くない”わ」
八幡は苦笑しながら、廊下の窓越しに空を見上げた。
雪が街灯に溶けながら、ゆっくりと降り続いている。
「……悪くない、か」
その呟きは、誰にも聞こえないほど静かだった。
⸻
放課後の校舎に、足音が遠ざかる。
雪の降る音と重なりながら、淡い余韻を残していた。
人は幾つになっても成長出来る。
それは、
いつも途中って、思っているから
出来ること。
自分は完成されたと思っている人には
出来ないことだと思ってます。
だから私も、私の文章も成長途中だと
思って過ごしてます。
皆さんはどう過ごされてますか?
皆さんの想いを聞かせてくれたら嬉しいです。