八幡たちが織りなす、優しさの物語です。
どうぞ。
朝の光が冬の雲を抜け、街を金色に染めていた。
吐く息が白く、空気はきりりと張りつめている。
駅からのシャトルバスを降りると、
目の前には巨大なゲートと、人の波。
「え、これ本当に“奉仕部の活動”なんですか?」
玲がチケットを握りしめたまま、半信半疑の声をあげた。
「正式には、生徒会の協力報酬ね」
瑠美が淡々と答える。
「日帰り研修……まあ、実質レクリエーションだけど」
「つまり遊びですね!」
「遊びとは言ってない」
「顔が楽しそうですけど〜」
「……それは気のせいよ」
そんな会話を聞きながら、八幡は腕時計を見た。
「時間どおりだな。全員そろってるか?」
「八幡先生〜、集合早すぎですよ〜」
結衣が手を振りながら走ってくる。
「ヒッキー、何その顔、完全に先生モードじゃん」
「当たり前だろ、引率だ」
「でもヒッキー、ディスティニーランドって言った瞬間、
ちょっと口角上がってたよ?」
「気のせいだ」
「わ〜、ゆきのん、ヒッキー照れてるよ〜!」
「由比ヶ浜さん、放っておきなさい。あれが彼の“平常運転”よ」
「うるせぇ。今日は非日常なんだから、せめて普通に扱え」
雪乃がため息をつき、微かに笑った。
「じゃあ、今日は“普通の比企谷先生”を観察させてもらうわ」
「実験動物扱いかよ……」
美羽が笑いながらカメラを構える。
「じゃあ先生、せっかくだから出発前に“奉仕部の記念写真”撮りましょう」
「はあ、しょうがないな。よし、いくぞ」
「はいっ、皆さんわらってください」
美羽が音頭を取り、みんなの輪に加わって、
シャッター音が軽やかに響いた。
⸻
中に入ると、笑い声がこだまする。
手にはチケット、心には期待。
「そういえばさ、玲ちゃん、テーマパークとか久しぶり?」
結衣が聞くと、玲は首をかしげた。
「えっと……ほぼ初めてかもです。遊園地はありますけど」
「マジで? なら今日は先生たちが案内役だね〜」
「案内って……私、ジェットコースター系はパスよ」
雪乃がきっぱりと言い切る。
「……雪乃、乗らないとは言ってないだろうな?」
「ええ、断固として乗らないわ」
「なら俺も降りる」
「なんで?」
「付き添いだ」
「優しさの方向間違ってるよ、ヒッキー……」
そんなやり取りを聞きながら、瑠美は微笑んだ。
「……なんだか、昔の“奉仕部旅行”みたいですね」
「そうね。本当に私達で来たことがあるのよ。
けれど今回は“後輩たちの物語”でもあるわ」
雪乃の声には、どこか懐かしさが混じっていた。
⸻
午前十時。
ディスティニーランドのゲートをくぐると、
冬の空気が一瞬で華やかな音に変わった。
光るパレードの装飾。
子どもたちの歓声。
流れる甘いポップコーンの香り。
「すご〜い……! 本当に別世界ですね!」
玲が目を輝かせる。
「これが“非日常”ってやつですか!」
「テンション高いな、小田原」
「先輩、こういうの苦手なんですか?」
「……別に」
「ふふ、顔が引きつってますよ?」
「気のせいだ」
瑠美がくすっと笑う。
「なら、最初はアトラクションね。私がコースを決めるわ」
「部長スイッチ入ったな」
「決める時は決めますから」
結衣が地図を広げて言う。
「じゃあ、午前中はアトラクション組と買い物組に分かれよっか」
「どっちに行く?」
「私は買い物!」玲が即答。
「理由は?」
「先輩がそっち行きそうだから」
「なんで俺基準なんだよ……」
「ふふっ、偶然ですよ〜」
そのやりとりを横で聞いていた瑠美の胸に、
ほんのわずかに小さな棘のような感情が走った。
(……なに、この感じ)
自分でも戸惑うほど、
それは小さなざわめきだった。
音楽が鳴り響き、夢の国の一日が、ゆっくりと動き出した。
⸻
まだ来て間もないのに雪乃が早速動き出す。
「行くわよ」
雪乃が真っすぐ前を見据えて言った。
その声には一切の迷いがなかった。
「……どこに?」
「決まってるでしょ。“パンさんのバンブーファイト”よ」
「やっぱりな……」
八幡は苦笑し、雪乃の背を追う。
「ゆきのん、本当に好きだよね〜」
結衣が笑いながらついてくる。
「生涯一推しよ」
「こえーな、その言い方」
「パンさんに失礼よ。謝って」
「……すみませんでした」
アトラクションの入り口前で、雪乃は小さく深呼吸をした。
まるで神前に立つ巫女のような静けさ。
「あの……先生、何の儀式ですか?」
美羽が小声で尋ねる。
八幡は即座に答えた。
「“心の準備”だ。私語は慎め」
「はいっ」
ライドが動き出す。
雪乃は姿勢を正し、視線は常に前方。
「……雪乃」
「私語禁止」
「……ですよね」
八幡は静かに笑い、隣で揺れる白い指先を見つめた。
その瞳には、少女のような輝きと、教師のような優しさが混じっていた。
風が頬をなでる。
パンダが竹を振り回し、軽快な音楽が響く。
雪乃は動かない。
けれど、その表情には確かに幸福があった。
昼過ぎ。
レストランのテラス席で、みんなが軽食を囲む。
冬の陽射しが白いテーブルクロスに反射して、眩しかった。
「こうしてると、ほんと修学旅行みたいだね〜」
結衣が笑う。
「違うのは、生徒の方が大人びてるってことかしら」
雪乃がカップを持ち上げる。
「ゆきのんが、なんかひどい!」
八幡は苦笑しながらパンをちぎった。
「……まぁ、子どもと大人の境目ってのは案外あやふやなもんだ」
「その発言、前回の続きみたいですね」
瑠美が笑い、玲が頷く。
「“途中のままでいい”って言葉、あれ私好きです」
「お、引用してきたな」
「だって、あれ響きましたもん」
「比企谷先生、人気ありますね〜」
美羽が少し意地悪そうに笑う。
「……やめろ。変なフラグ立てるな」
「ふふ、“比企谷フラグ”……名物ですね」
「なんだその呼び方は」
「別名、“ヒキガエル現象”です」
「おい、誰から聞いた、それ」
「へ、私オリジナルですけど、もしかして
黒歴史掘り返しちゃいましたか、ごめんなさい」
「………まあ、いい」
それを聞いた、雪乃の肩が僅かに震えていた。
冬の空は高く澄んでいて、まるで時間までも透き通って見えた。
笑い声が弾け、風に溶けていく。
⸻
午後、パレードの音楽が鳴り響く中、
玲はふと、少し離れた場所で立ち止まった。
「玲さん?」
美羽が声をかける。
「……あ、いえ。ちょっと風が気持ちよくて」
玲の視線の先には、少し前を歩く大磯と瑠美の背中。
二人が自然に並んで話している。
その距離が、なぜか遠く感じた。
(どうしてだろ……私、別に……)
胸の奥がきゅっと鳴る。
自分でも知らない感情。
けれど、それを認めた瞬間、少しだけ怖くなった。
「玲さん、行きましょう」
美羽の声に頷き、
玲はその想いを胸の奥に押し込んだ。
瑠美達はかつて八幡達が乗った
あのジェットコースターの前にいた。
「……こ、これに乗るのね?」
瑠美が前のボートを見上げ、息をのむ。
大磯が苦笑した。
「怖いならやめとくか?」
「な、何言ってるの。これも奉仕活動の一環よ」
「いや、ただの水上絶叫コースターな」
順番を待つ間、前のボートから楽しげな悲鳴が上がる。
「先生たちも、これ乗ったことあるんですよね?」
美羽の問いに八幡が頷いた。
「昔な」
「懐かしいわね」
雪乃の微笑には、わずかに過去の光が宿っていた。
「――あの時、言ったのよ。“いつか私を助けてね”って」
「……言うなよ、恥ずかしい」
八幡は苦笑する。
(ふふ、ゆきのんがあの写真を大事にしてた意味がようやく
わかった気がする)
結衣が心の中で小さく呟いた。
その言葉を聞いた瑠美が、少しだけ顔を伏せる。
(……助ける、か)
自分はこれまで、誰かを支えようとしてきた。
でも――本当は、自分も誰かに支えられていたのかもしれない。
ライドに乗り込む。
隣の大磯がさりげなく安全バーを下ろしてくれる。
「……ありがと」
「礼なんていらねえよ」
大磯が前を見たまま答える。
ゆっくりとボートが坂を上がり始める。
水面がきらきらと光る。
頂上に近づくにつれて、風が強くなった。
瑠美は小さく息を吸い込み、
ほんの一瞬、大磯の横顔を見た。
「――また、助けてね……大磯くん」
大磯が驚いて振り向く間もなく、
ボートは光の中へと滑り落ちた。
水しぶきが夜空に舞い上がる。
その瞬間――
八幡と雪乃は静かに見上げていた。
いつかの自分たちを見ている様で二人は自然と微笑んだ。
⸻
日が傾き、イルミネーションが輝きはじめた頃。
八幡はベンチに腰を下ろし、コーヒーを飲んでいた。
「先生、ここにいたんですか」
玲が現れる。
頬は少し赤い。寒さか、それとも……。
「他の連中は?」
「雪乃先生たちはお土産、瑠美さんたちは写真撮ってます」
「なるほど、女子パートは活動的だな」
玲は笑って、少し間を置いた。
「先生……少し話、いいですか?」
「なんだ、ジェットコースターに一人で乗る覚悟でも決まったか」
「違います。……もっと難しいやつです」
八幡が眉を上げる。
玲の声が震えていた。
「私……ずっと、大磯くんが好きでした」
八幡は黙ってコーヒーを置いた。
「でも、今日わかっちゃいました。
あの人の隣には、もう瑠美さんがいるって」
「そうか」
「だから……ちゃんと、言いたくて。
“好きでした”って」
玲は笑った。涙は出ていない。
けれど、その笑顔には確かな決意があった。
「……フラれたんだな」
「はい。見事に、完敗です」
「痛いか」
「正直、ちょっとだけ」
八幡は夜空を見上げた。
観覧車の光が、星のように瞬いていた。
「お前と同じようなやつを、俺は昔見たことがある」
玲が目を上げる。
「そいつも、失恋して、自分の弱さに気づいて……
でも、立ち直って、自分にとっての“本物”を探すようになった」
「……その人、見つけたんですか?」
「さあな。でも今もどこかで、笑ってるよ」
玲は静かに笑った。
「やっぱり先生、かっこいいです」
「やめろ、気持ち悪い」
「ふふ、褒め言葉ですよ?」
玲が一歩、近づいた。
イルミネーションの光が頬を照らす。
そして、小さく囁いた。
「――責任、取ってくださいね」
八幡の眉がぴくりと動く。
「ぶほっ、お前なあ」
「どうしたんですか、先生?」
「いや、お前に言った似た様なやつが、全く同じセリフを
俺に言ったんだよ」
「そうなんですか〜。じゃあ私も本物が見つけられますかね」
「それは知らん」
玲が笑い、夜風が二人の間を抜けた。
八幡に軽く会釈をして、玲は人混みの中へ歩き出した。
白い息が夜に溶けていく。
(……うん、もう大丈夫)
そう心の中でつぶやくと、ほんの少しだけ笑顔がこぼれた。
⸻
その後、集合場所でみんなが合流した。
瑠美がリストを確認しながら言う。
「全員、無事ね。忘れ物なし」
「ヒッキー、今日は頑張ったね〜」
「何をだ」
「非日常の引率、でしょ?」
「……まぁ、悪くなかったな」
「“悪くない”って出た〜!」
結衣が笑い、雪乃が小さく息をつく。
「ええ、“悪くない”一日だったわ」
玲が少し後ろを歩きながら呟いた。
「……やっぱり奉仕部って、特別ですね」
「そうだな」
八幡が隣で答える。
「非日常も、結局は“日常の続き”なんだ」
「……それ、いい言葉ですね」
「おう。次使う時は、引用元つけとけよ」
「は〜い、“比企谷製”って書いときます」
雪が舞い始めた空を見上げながら、
八幡はほんの少しだけ、昔の自分を思い出した。
(あの頃の俺も、途中のままだった)
そして今も――。
誰かの成長を見守るこの瞬間が、
確かに“奉仕”であり、
“優しさ”そのものなのだと思った。
イルミネーションの灯りが遠ざかる。
その光は、ゆっくりと夜の空に溶けていった。
人は幾つになっても成長できる。
それは、いつも“途中”だと思っているからこそ。
非日常の中に見つけた“優しさ”が、
また誰かの日常を照らしてくれますように。