笑いの中に、少しだけ切なさを添えた物語です。
どうぞ。
二月の風は、どこか名残惜しそうに冬を手放していた。
校門の前で息を吐くと、白い煙がふわりと舞い上がる。
その中に、ほんのりとした豆の香りが混じっている気がした。
「えっと、今日の奉仕内容って……本当に“豆まき”なんですか?」
美羽が書類を手に半信半疑の顔をしている。
「正式には、“地域協働節分イベントのサポート”よ」
瑠美が淡々と答えた。
「近隣の保育園から依頼が来たの。生徒会経由でね」
「そうなんですよ〜」
「今回も奉仕部にお願いしたくて、来ちゃいました!」
「豆まきって、あの“鬼は外〜”ってやつですよね?
……奉仕活動として成立するんですか、それ」
「十分よ。子どもたちが笑顔になることが、まず一番の奉仕だもの」
雪乃がそう言って微笑むと、八幡は内心でため息をついた。
「お前な、それ言われたら断れねぇだろ」
「当然よ。あなたの“逃げ癖”の矯正にも丁度いいわ」
「うるせぇ。鬼役はやらねぇぞ」
「残念。すでに決まっているわ」
「おい」
「ヒッキー、鬼似合いそうだし!」
結衣が楽しそうに笑いながら追い打ちをかけた。
奉仕部は今日も平常運転だった。
いや、“非日常の延長線”と言うべきかもしれない。
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保育園に到着すると、園児たちの元気な声が出迎えてくれた。
壁には折り紙の鬼たち。赤と青の角が楽しげに並んでいる。
「かわいい……!」
玲が思わず声を漏らす。
「こういうの、癒やされますね」
「……そうね。無垢っていうのは、時に痛いほど眩しいわ」
雪乃が窓の外を見ながら呟いた。
担当の保育士が笑顔で説明を始める。
「では、皆さんには鬼役と補助役、それから“心の鬼作文コーナー”をお願いします」
「心の……鬼?」
八幡が眉をひそめた。
「はい。子どもたちに“自分の中にも小さな鬼がいる”と話した上で、
“どうしたら仲良くできるか”を先生方にも発表してほしいんです」
「……おいおい、急に精神分析みたいな話になったぞ」
「いいじゃない。たまには内省的で」
雪乃が口角を上げる。
「比企谷先生、こういうの得意でしょ?」
「いや俺、内省なら一日中できるけど、口に出すのは苦手なんだよ」
「それを克服するのが、今日の奉仕ね」
八幡は黙って天井を見上げた。
天井から吊るされた紙の鬼たちが、どこか楽しそうに笑っていた。
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「じゃあ、先生たちはこっちで着替えお願いしまーす」
保育士が指さした先には、見覚えのある赤と青の全身タイツ。
さらに、もこもこの角付きヘッドバンドが添えられていた。
「……おい、これマジで着るのか?」
八幡が顔をしかめる。
「似合うと思うわよ。あなた、もともとそういう顔してるし」
「どういう顔だよ」
「社会不適合者顔」
「おい雪乃、それ褒めてねぇからな」
「むしろ褒め言葉よ」
「いや、だったら褒めんな」
玲が吹き出しながらスマホを構える。
「先生、写真撮ってもいいですか? 記念に」
「SNS禁止だ」
「ちぇー、もったいない〜」
美羽が衣装を手に取りながら言った。
「でも、こういうのっていいですね。
子どもたちの世界に入るっていうか」
「そうね」
雪乃が頷く。
「“教育”って、本来は上から与えるものじゃなくて、
一緒に遊んで、一緒に笑って、
その中で伝わるものだと思うわ」
「さすが雪乃先生。鬼の格好で教育語る人、初めて見たけどな」
八幡がぼそりと呟く。
「鬼の格好でぼやく人も初めてみたのだけれど」
「はは、行くよヒッキー、ゆきのん!」
「子供達が待ってるよ」
やがて園庭に子どもたちの歓声が響く。
「鬼だー!」「きゃー、こっち来たー!」
赤鬼と青鬼(八幡と玲)は豆を浴びながら逃げ回った。
瑠美と美羽は“豆補助係”として必死に後方支援、
結衣と雪乃は保育士と並んで笑いながら子どもたちを見守る。
雪乃の視線がふと、八幡の背中で止まる。
(……あなた、昔から変わらないわね)
逃げながらも、子どもが転びそうになると即座に手を伸ばす八幡。
顔をしかめながらも、ちゃんと守る。
それが彼の“奉仕”の形なのだと、雪乃は知っていた。
豆まきの終わりを告げる笛が鳴る。
園庭には笑顔と豆の香りが残った。
「次は“心の鬼作文コーナー”でーす!」
八幡は額の汗を拭いながら、空を見上げた。
「……戦いは、これからだな」
⸻
やがて、休憩時間を挟んで「心の鬼コーナー」が始まった。
子どもたちが順番に「泣き虫鬼」「寝坊鬼」などを発表していく。
最後に、先生方の番になった。
「では……まずは先生方のお話を聞いてみましょう!」
園児たちの目がキラキラと輝く。
最初に立ち上がったのは雪乃だった。
静かな声が響く。
「私の中の鬼は、“完璧主義”という名の鬼です」
子どもたちはきょとんとした表情を浮かべた。
「なんでも完璧にしたくて、人に頼るのが苦手なの。
でも、最近やっと気づいたの。
“できない”って言うことも、ちゃんと強さなんだって」
子どもたちが小さく拍手を送る。
その音がどこか、優しかった。
次に結衣が立つ。
「わたしの中の鬼は、“みんなに合わせちゃう鬼”です!」
「合わせちゃう鬼ー?」
園児たちが声を上げる。
「そう! ほんとはイヤなのに“うん”って言っちゃうの。
でもね、最近気づいたの。“優しさ”って、我慢することじゃないんだって」
「えらいー!」と子どもたちの声が上がる。
瑠美は、少しだけ迷ってから、口を開いた
「私は、“強がり鬼”です」
「強がりって、なぁに?」
「本当は怖かったり、寂しかったりしても、平気な顔をすることよ。
でも、それだと誰にも届かないことがあるの」
瑠美の声が少しだけ震えていた。
その言葉に、大磯がそっと目線を落とした。
⸻
大磯が立ち上がる。
「俺の中の鬼は……“本音隠し鬼”かな」
「ほ〜んね?」
「本当のこと言うのが、ちょっと怖い鬼。
誰かを傷つけたくなくて、ついごまかしちゃう。
でも、最近はちゃんと言うようにしてる。
だって、言わなきゃ伝わらないからな」
園児たちの小さな手がぱちぱちと鳴った。
瑠美がその音を聞きながら、微かに笑った。
(……ほんと、ずるい人)
そう思うのに、心の奥が少し温かくなっていた。
続いて美羽が前に出る。
「私の中の鬼は、“見て見ぬふり鬼”です」
子どもたちが首をかしげる。
「本当は“それ、違うと思う”って思っても、
場の空気を壊すのが怖くて、黙っちゃう。
でも、誰かのために言葉を出す勇気を持てたら、
きっと鬼は小さくなると思うの」
「みんな、それぞれ鬼がいるんですね〜」
玲がぽつりと呟く。
「じゃあ、玲さんは?」
美羽が促す。
玲は少しだけ目を伏せた。
ほんの数秒の沈黙のあと、顔を上げる。
「……わたしの中の鬼は、“嫉妬鬼”です」
その言葉に空気が少しだけ揺れた。
「友達が誰かと仲良くしてたり、
自分より上手くやってたりすると、
心の中でムッとしちゃう」
「…でも、今日気づきました。
“鬼”がいるのは、頑張りたい証拠なんだって。
だからもう、逃げません」
玲の声は少し震えていたが、
その瞳はまっすぐに前を向いていた。
⸻
最後に、八幡の番が来た。
「えー……俺の中の鬼は、“逃げ癖鬼”だ」
子どもたちが「にげぐせー?」と首を傾げる。
「嫌なことがあると、すぐに“まあいいか”って逃げるやつ。
面倒なこと、傷つくこと、全部避けたくなるんだよ。
でも、それじゃ誰も救えねぇし、優しくもなれねぇ。
だから最近は、逃げる前に“一歩だけ踏み出す”ようにしてる」
「えらいー!」
「先生、鬼いなくなった?」
「いや、まだ棲んでるな」
「え〜!なんで〜?」
「だって、鬼がいなくなったら、俺じゃなくなるだろ」
会場に、くすっと笑い声が広がった。
雪乃がそのやりとりを見て、そっと目を細めた。
その瞳に映る“鬼”は、もう優しさの形をしていた。
⸻
イベントが終わるころ、夕方の光が園庭をやわらかく染めていた。
園児たちが手を振り、八幡たちはその姿を見送る。
「お疲れ様でした、先生方。本当に助かりました」
保育士が深く頭を下げる。
「こちらこそ、貴重な時間をいただきました」
雪乃が丁寧に返すと、玲が隣で頷いた。
「……なんか、心が軽くなりました〜」
「そりゃ、お前が一番素直に鬼出してたからな」
「えへへ……恥ずかしかったけど、言ってよかったです」
八幡は少し離れたところで瑠美たちを見ていた。
瑠美は園児と最後のハイタッチを交わしている。
その笑顔は、少し照れくさそうで、けれど確かな温度を持っていた。
八幡はその笑顔を見て、ふっと息を吐いた。
(――鬼がいる限り、人は優しくなれるのかもな)
⸻
帰り道。
冬の夕暮れが街を包み、街灯が一つずつ灯り始める。
「今日の活動、よかったですね」
美羽がぽつりと言うと、結衣が頷く。
「うん。なんか、あったかかった」
「ヒッキーの鬼も、ちょっと小さくなったんじゃない?」
「いや、そいつは根性悪いから冬眠もしねぇ」
「ふふ、鬼は風邪をひかないのね」
雪乃の返しに、八幡が肩をすくめる。
玲が隣で歩きながら呟いた。
「でも、いいですね。“鬼”って言葉。
悪いものに見えて、実は自分の中の大事な部分でもある」
「そうだな」
八幡はポケットに手を突っ込みながら言った。
「人はさ、自分の中の鬼を追い出そうとしてるうちは、
まだちゃんと優しくなれるんだよ」
瑠美がその言葉を聞き、少し足を止めた。
「……追い出そうとしても、また戻ってくる気もしますけどね」
「戻ってきたら、その都度、豆でも投げりゃいい」
「先生、わりと前向きですね」
「年に一回くらいはな」
みんなが笑った。
風が吹き、遠くの神社から“鬼は外〜”の声がかすかに届く。
その声に合わせるように、八幡は静かに息を吐いた。
(俺の中の鬼も、少しは怯えてくれたかね)
雪乃は隣で、そんな彼を見上げて微笑んでいた。
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その夜、帰宅した八幡は、
玄関で靴を脱ぎながら小さく呟いた。
「ただいま」
リビングから、雪乃の声が返ってくる。
「おかえりなさい。豆は全部まいた?」
「だいたいな」
「“だいたい”ではダメよ。ほら、今年は南南東」
雪乃が巻き寿司を手にしている。
八幡は苦笑しながら隣に座った。
「……お前の中の鬼は?」
「もう寝たわ」
「早いな」
「あなたのおかげで、安心したのよ」
八幡は何も言わず、黙って箸を取る。
豆を一粒、指でつまみながら思った。
(鬼ってのは、完全にはいなくならない。
でも、誰かと笑い合える夜があるなら、それでいい)
雪乃がそっと寄り添い、二人の間に灯りがともる。
その静かな光の中で、八幡はようやく微笑んだ。
「……ま、悪くない節分だな」
「ふふ、また出た。“悪くない”」
「万能ワードだからな」
「ほんと、あなたらしいわ」
豆の香りと笑い声が、
冬の夜にゆっくりと溶けていった。
節分という行事を通して、八幡たちそれぞれの“心の整理”を描きました。
人の弱さも、照れも、優しさも。
全部まとめて、“奉仕”なんだと思います。
今回も読んでくださってありがとうございます。