TAKAMURA廻戦 作:日三汐理
「ねえ、南雲」
五条悟はソファへ腰を下ろすなり、前置きもなく尋ねた。
「篁さんを止める方法って、何かある?」
東京都立呪術高等専門学校。
旧校舎の一角にある、今ではほとんど使われていない部屋だった。
壁際には古い机と椅子が積み上げられ、黒板には消し切れなかった白い線が残っている。天井の蛍光灯は微かな唸りを上げ、部屋の中央には場違いな二人掛けのソファが向かい合わせに置かれていた。
「止める?」
窓際に立っていた男が振り返る。
南雲与市。
五条より二つ下。高専時代の後輩であり、伊地知潔高とは同期に当たる一級術師。
人当たりの良さそうな笑みを絶やさず、いつも飄々としている。
だが、その口から出る言葉のどこまでが本当なのかは、付き合いの長い五条でさえ判断に迷うことがあった。
「篁さんを?」
「そう」
「無理じゃないですか?」
「即答するなよ」
「だって篁さんですよ?」
南雲は悪びれずに答えた。
「マジで考えてよ。僕、結構真面目に聞いてるんだけど」
「僕も真面目ですよ」
南雲はカーテンから手を離し、五条の向かいへ腰を下ろした。
「ただ、“止める”にも色々ありますからね」
「色々?」
「まだ何も決めてない篁さんに思い直してもらうのか、刀に手を掛けた後で止めるのか、もう殺すと決めた後で止めるのか」
指を一本ずつ立てていく。
「全部、難易度が違います」
「できれば全部に対応できる方法が欲しいな」
「ないですね」
「だから即答するなって」
五条は呆れたように笑った。
だが、南雲は笑顔のまま続ける。
「少なくとも、最後の段階まで行ったら無理ですよ」
「僕がいても?」
一瞬。
南雲の目が僅かに細くなった。
「……それ、本気で聞いてます?」
「本気」
五条はソファの背もたれへ深く身体を預ける。
いつもの軽い表情。
いつもの声音。
それでも、南雲には分かった。
これは冗談ではない。
「五条さんと篁さんが本気で戦ったら、まず間違いなく周囲一帯が消し飛ぶでしょうね」
「うん」
「五条さんが勝つ可能性も当然あります」
「当然だね」
「でも――」
南雲はそこで言葉を切った。
「絶対に勝つとは、僕には言えません」
五条は何も言わなかった。
不愉快そうにも見えない。
ただ、続きを待っている。
「五条さんの戦い方を、僕はある程度知ってます」
「僕、結構情報公開してるからね」
「勝手に見せてるだけでしょう」
「人聞き悪いなぁ」
「でも篁さんについては、分からないことの方が多いです。術式があるのかどうかすら分からない。簡易領域は使う。でも誰に教わったのかも分からない。あの剣術が何なのかも、身体能力の限界も」
「ちなみに呪力量も読みづらいよ」
「そうなんですか?」
「うん」
五条は目隠しを指先で軽く叩いた。
「見えないわけじゃない。でも、見えてるものだけで篁さん全部を説明できない」
六眼。
呪力を極めて精密に観測する、五条家の特異体質。
術式の構造、呪力の流れ、その消費。
通常の術師ならば、一目見るだけで多くを読み取れる。
しかし篁は違った。
呪力を持っている。
術師であることにも疑いはない。
それなのに、五条が観測したものと、実際に起きる現象の規模が噛み合わない。
刀を一度振れば、巨大な呪霊が消える。
その後方にある建造物まで両断される。
特別な術式を発動したようには見えない。
膨大な呪力を放出しているわけでもない。
ただ斬っている。
その「ただ斬る」という行為の規模が、おかしい。
「それに、我流の簡易領域」
五条が続ける。
「あれなら僕の無下限も抜いてくる可能性が高い」
「可能性、なんですね」
「実際に僕を斬らせたことはないからね」
「試します?」
「嫌だよ」
五条は即答した。
「首チョンパされたらどうすんの?」
「確かに、反転術式は頭で回しますしね。首を落とされたら大変です」
「そういうこと」
南雲が笑う。
五条も僅かに口元を上げた。
だが、その直後。
「――だからまあ」
五条は何でもないことのように言った。
「僕が負ける可能性もあるよ」
南雲の笑みが、一瞬だけ止まった。
五条悟の口から出るには珍しい言葉だった。
「へえ」
「何、その顔」
「いや。五条さん、自分が負けるとか考えるんですね」
「考えるよ」
五条はあっさり答える。
「僕は自分が勝つと思って戦う。そこは変わらない」
誰と戦おうと。
どのような状況であろうと。
五条悟は、自分が勝利するという前提を崩さない。
それは虚勢ではない。
六眼と無下限呪術を併せ持ち、その力を完全に自分のものとしてきた男の、経験に裏打ちされた確信だった。
「でもさ」
五条は片手を上げる。
「相手の底が何も分かってないのに、“僕だから絶対勝つ”で思考を止めるのは、ただの馬鹿でしょ」
篁について判明していることは少ない。
いつから術師をしているのか。
どこで呪術を学んだのか。
誰から剣を学んだのか。
術式を持つのか。
我流と思われる簡易領域を、いつ完成させたのか。
そのどれもが分からない。
古い記録を掘り返せば名前だけは現れる。
中には、その時点ですでに現在とよく似た老人として記されているものすらあった。
「確かに、僕らが知らない手札を篁さんが何枚持ってるかも分かりません」
南雲が言う。
「勝率百パーセントってことにして動くのは危険ですね」
「僕の見解はちょっと違う」
「というと?」
「多分、手札が多いわけじゃない」
五条は指を一本立てた。
「基礎でゴリ押してくるタイプなんだ。確定じゃないけど、術式もないと思う」
「もしかして、あのゴリラのこと思い出してます?」
「フィジカルギフテッドとも違うけど、まあ近いところはあるかな」
五条の脳裏に、一人の男が過った。
術式どころか呪力すら持たず。
肉体と呪具だけで、当時の五条を一度は殺した男。
「あいつだって、身体能力と呪具以外に特別な能力があったわけじゃない。篁さんも多分そっち寄り」
「じゃあ、何が不確定要素なんです?」
「出力」
即答だった。
「どこまで速く動けるのか。どこまで強く斬れるのか。どこまで身体強化できるのか。僕が知ってる篁さんが、本当に上限なのか」
そこで五条は少し肩をすくめた。
「そっちの方が分からない」
「なるほど」
「それに今回、篁さんを倒せば終わりって話でもないしね」
「五条さんは処刑対象の子を守ろうとしているわけですし」
五条が守ろうとしているのは、自分ではない。
虎杖悠仁。
両面宿儺の器となった少年だ。
「僕と篁さんが二人だけで戦うなら、好きにやればいい。離れて撃つこともできるし、領域も使える。街の外まで飛ばしてからやり合ったっていい」
だが悠仁がいる。
篁が悠仁を斬ることを目的とするなら、五条は戦いながら同時に守らなければならない。
しかも篁の刃は、無下限という絶対的な防御すら突破する可能性がある。
「僕が勝てたとしても」
五条はゆっくりと言った。
「勝つまでの間に悠仁が死んだら、僕の負けだからね」
南雲は数秒だけ黙った。
「それで僕のところに?」
「そういうこと」
五条は南雲へ指を向ける。
「篁さんと一緒に任務へ行った回数、君かなり多いでしょ」
「まあ、それなりには」
「どうすれば止められる?」
「だから、止められませんって」
「そこを何とか」
「話を戻さないでくださいよ」
南雲は苦笑した。
「篁さんは、殺しのブレーキが壊れているわけじゃないんです」
「というと?」
「最初から必要ないんですよ」
五条の表情から少しだけ笑みが消える。
「相手を殺すと決める」
南雲が指先を刀のように動かした。
「抜く」
一閃するように横へ振る。
「斬る」
それだけ。
「怒って我を忘れるわけじゃない。戦いを楽しんで止まらなくなるわけでもない。興奮してるわけでもない」
「むしろ冷静」
「はい」
そこが厄介なのだと、南雲は言う。
怒りで動くなら、その怒りが収まる可能性がある。
欲望で動くなら、別のものを差し出すこともできる。
命令で動くなら、その命令を取り消せばいい。
しかし篁は違う。
「篁さん自身が、そいつを生かしておいてはいけないと決める」
南雲の笑みが薄れる。
「そうなった後で他人が何を言っても、たぶん意味がないです」
「……それは知ってるよ」
五条は小さく息を吐く。
「でも今回は、まだ知らない」
「宿儺の器ですか」
「耳が早いね」
「そのくらいは」
「どこから?」
「伊地知君」
「嘘」
「早いですね」
「伊地知が僕に黙って君に話したら、明日は雪だよ」
「じゃあ上層部」
「それも嘘っぽい」
「秘密ということで」
南雲は笑った。
五条も追及しなかった。
「僕は恵との約束もあるし、悠仁を生かしたい」
「宿儺の指を全部食べさせてから処刑するんですよね」
「そ」
「上は今すぐ殺したい」
「頭が固いんだよねぇ」
五条はソファの肘掛けに頬杖をついた。
「でも五条さんのそれ、実質無期限の猶予ですよね」
「だから上層部は、篁さんに処刑させるつもりなんだよ」
「ああ」
南雲はようやく得心したように頷いた。
「それで止め方を聞きに来たんですね」
「明日の朝くらいには篁さんへ話が行くと思う」
「今日は?」
「見つからない」
「相変わらずですね」
篁が今どこにいるのか、高専側は把握していない。
任務中であれば補助監督を介して連絡を取れる。
だが任務が終われば、どこかへ消える。
寮へ帰るわけでもない。
住所も、電話番号も分からない。
それでも新しい任務が決まれば、翌朝には総監部の古い詰所へ姿を現すことが多い。
誰が知らせているのか。
そもそも誰かが知らせているのか。
それすら不明だった。
「上層部も今日中には捕まえられない」
五条が言う。
「だから猶予は今夜まで」
「なら、なおさら急いだ方がいいですよ」
「やっぱり宿儺って、篁さんの基準じゃアウト?」
「まず間違いなく」
南雲は即答した。
「篁さんの中で、両面宿儺が“生かしておいてはいけない側”に入らないとは思えません」
「だよね」
「悠仁君を宿儺と同じものとして見れば、その場で終わります」
「だから困ってるんだよ」
五条は髪をかき上げる。
「何考えてるのか分からない。話が通じてるのかも分からない。金も地位も興味なさそう。上層部が執行役に選ぶ理由は嫌ってくらい分かる」
「でも」
南雲が言った。
「一つだけ、上層部は勘違いしてますよ」
「何?」
「篁さんは、上から言われたから人を殺すわけじゃありません」
五条が目を細める。
「それは僕もそう思う」
「上の人たちは、自分たちが篁さんを動かしていると思ってる。でも、実際には違います」
任務を提示する。
標的の情報を渡す。
篁は現場へ行く。
そして斬る。
表面だけを見れば、確かに命令を遂行している。
しかし、篁と何度も行動を共にした南雲には、一つ思うところがあった。
「篁さんは、現場で自分で見てから決めてます。多分ですけど」
「そうなの?」
「はい」
「でも呪霊相手なら基本斬るでしょ」
「呪霊なら殺さない理由はありませんからね」
「呪詛師は?」
「そっちは、ほとんど」
「ほとんど?」
五条がそこへ反応した。
南雲は僅かに笑う。
「僕が知る範囲で、一度だけありました」
「聞かせて」
「高いですよ」
「僕に請求するの?」
「高級焼肉」
「後払いね」
「ちゃんと覚えておいてくださいよ」
南雲はソファの背もたれへ身体を預けた。
「何年か前、呪詛師の一団を追ったことがあるんです」
規模の大きな組織ではなかった。
地方を転々としながら呪具や呪物を裏で売買し、その過程で何人もの一般人を殺していた。
術式の実験にも人間を使っていた。
高専側が場所を突き止めた頃には、すでに複数の死者が出ていた。
篁と南雲が派遣された。
「拠点にいた呪詛師は四人」
南雲は指を四本立てる。
「三人は死にました」
「篁さん?」
「はい」
一人は篁を見るなり術式を放った。
首が落ちた。
一人は窓から逃げようとした。
胴体が二つに分かれた。
もう一人は武器を捨てたふりをして、篁が近づいたところで隠していた呪具を抜こうとした。
結果は同じだった。
「いつもの篁さんだね」
「まあ」
「残り一人は?」
「そいつも協力者でした」
術式を持ってはいたが、戦闘向きではない。
主な役割は拠点の管理、物資の輸送、さらってきた人間の監視。
自分で手を下してはいない。
だが、仲間が何をしているのかは知っていた。
「十分アウトっぽいけど」
「僕も斬ると思いました」
篁はその男へ近づいた。
当然のように刀へ手を掛ける。
男は武器を捨てた。
逃げなかった。
命乞いもしなかった。
代わりに、自分が知っていることをすべて話し始めた。
別の拠点。
まだ捕まっている人間。
仲間が保管している呪物。
すべて。
「取引しようとした?」
「違います」
「助けてくれとも?」
「言ってません」
男は、自分も殺されると思っていた。
それでも話した。
少なくとも南雲には、自分が助かるために情報を差し出したようには見えなかった。
まだ生きている人間がいる。
そちらを先に助けてほしい。
話し終えた男は、その場へ座り込んだ。
逃げもしなかった。
「篁さんは?」
「しばらく見てました」
「どれくらい?」
「一分もなかったと思いますけど」
篁は刀へ手を掛けたまま、その男を見ていた。
何を見ているのか判然としない、濁った瞳で。
やがて。
「刀から手を離した」
「はい」
「何か言った?」
「いつもの」
南雲は口元に笑みを浮かべる。
「~~~~~~~~~」
「似てない」
「五条さんよりは似てますよ」
「僕やったことないんだけど」
篁は男を斬らなかった。
そのまま教えられた別の拠点へ向かい、残っていた呪詛師を斬り、捕らえられていた人間を解放した。
「そいつは今?」
「生きてますよ。高専の監視付きですけど」
「その後、呪詛師に戻った?」
「そういう話は聞いてません」
「じゃあ篁さんは、本気で反省してるって分かった?」
「そこまでは分かりません」
南雲は肩をすくめる。
「もう同じことをしないと思ったのかもしれないし、あの時点では自分が斬る必要はないと思っただけかもしれない」
「本人に聞かなかった?」
「聞きましたよ」
「答えは?」
「~~~~~~~~~」
「便利だな、それ」
「本当にそうだったんで」
五条は腕を組んだ。
「つまり、経歴だけで決めてるわけじゃない」
「はい」
「今のそいつを見て決める」
「僕はそう思ってます」
南雲は静かに続ける。
「だから悠仁君も同じです」
五条の動きが止まった。
「上層部が篁さんに伝えるのは、“両面宿儺の器が現れた。危険だから殺せ”でしょう」
「まあ、そうなるね」
「それだけ聞いて篁さんが動き始めたら、多分止められません」
「……うん」
「だから、その前に本人を見せたらいい」
五条は数秒、南雲を見た。
「……本人?」
「虎杖悠仁を直接、篁さんに会わせます」
「いやいやいや」
五条は身体を起こした。
「それ、結構とんでもないこと言ってるよ?」
「そうですか?」
「篁さんが悠仁を見た瞬間、首を落とすかもしれないんだけど」
「五条さんが横にいるでしょう」
「さっき君、僕でも止められる保証ないって言ったよね?」
「言いました」
「怖いこと平然と言うなぁ」
南雲は笑う。
「でも、他に方法あります?」
五条は答えなかった。
ない。
少なくとも今のところは。
「説得するだけじゃ駄目です」
南雲が言った。
「五条さんが“悠仁は良い奴だ”って百回言っても、篁さんには関係ない」
「僕の人望が」
「そういう話じゃありません」
「分かってるよ」
「篁さん自身に見てもらうしかないんです」
「悠仁が悪じゃないって?」
「それも」
「それも?」
南雲は少し考えた。
「宿儺の器だからって、虎杖悠仁自身が宿儺になったわけじゃない。その区別を篁さんがどう見るのか」
「……そこか」
五条は顎へ手を当てた。
悠仁の肉体には、現在二つの存在がある。
虎杖悠仁。
両面宿儺。
篁が単純な呪力だけを見て相手を判断しているのでなければ、その違いまで認識する可能性はある。
「一緒に任務へ行っててさ」
五条が尋ねる。
「篁さん、妙に相手を見抜くことなかった?」
「ありますね」
「やっぱり?」
「変装とか、あんまり意味ないです」
「お前が言うと説得力あるな」
変装や偽装を得意とする南雲だからこそ分かる。
姿を変える術式。
呪力を偽装する術式。
他人の姿を利用する呪詛師。
篁はそうした相手を前にしても、ほとんど迷わない。
「でも、多分視力はかなり悪いですよ」
「それは僕も思う」
「その割に殺気には異常なほど反応します」
「目以外で色々見てるんだろうね」
「魂だったり?」
「さあ」
南雲は軽く肩をすくめた。
「本人に聞いても分からないんだから、考えても仕方ないですよ」
「それもそうか」
五条にも、篁が魂を直接観測できると断定できる材料はない。
ただ、目に映る形とは別の何かを捉えている。
そう考えると辻褄の合う事例が多いというだけだった。
「もし悠仁と宿儺を別々に認識できたら」
五条が呟く。
「助かる可能性は上がる」
「そう思います」
「宿儺だけを悪と判断してくれれば」
「はい」
「いや、でも宿儺を消すために悠仁ごと斬る、って判断もあり得るくね?」
「当然」
「嫌だなぁ」
五条はソファへ沈み込んだ。
「もっと都合のいい答えない?」
「篁さん相手に?」
「だよねぇ」
五条は天井を仰ぐ。
「それに、宿儺が出てきたら最悪だ」
「大人しくしてるとは思えませんね」
「絶対煽るよね」
「煽るでしょうね」
宿儺は篁の異常性に気づいたとしても、恐れて引くような存在ではない。
むしろ興味を持ち、嘲り、挑発する。
その結果、篁が何をするか。
考えたくもなかった。
「悠仁には、絶対に出すなって言っておこう」
「言ってできることなら」
「今のところ、主導権は完全に悠仁側だからね」
「なら、そこは信じるしかない」
五条は黙った。
危険な賭けだ。
だが、上層部から偏った情報だけを渡されるよりは、篁自身に悠仁を見せる方がまだ可能性がある。
「……やっぱり戦いたくないな」
五条がぽつりと言った。
「自分が負けるかもしれないから?」
南雲が笑いながら尋ねる。
「違うよ」
五条は即答した。
「勝っても面倒だから」
篁を殺す必要はない。
むしろ、殺さない方がいい。
あの老人がこれまで祓ってきた呪霊。
それによって救われた人間。
その数は決して少なくない。
篁は五条の味方ではないかもしれない。
だが、敵でもなかった。
「それに僕と篁さんが本気で殺し合って、その横に悠仁がいたら」
五条は軽く両手を広げる。
「一番危ないの悠仁でしょ」
「まあ、死にますね」
「さらっと言うな」
「事実なので」
「だから戦闘になった時点で、かなり失敗なんだよ」
五条にとっての勝利条件は、篁に勝つことではない。
悠仁を生かすことだ。
「なら話は簡単じゃないですか」
南雲が言う。
「篁さんに刀を抜かせなければいい」
「それが一番難しいんだけど」
「だから直接見せる」
「堂々巡りしてるな」
「でも結論は同じです」
南雲は笑う。
「篁さんにとって、殺すかどうかの基準は“呪いか、人間か”じゃありません」
「悪かどうか」
「そうです」
「その悪も、法律とか高専の規則じゃない」
「篁さんの中にしかない」
五条は腕を組んだ。
「そんな曖昧な基準、本当に信用して大丈夫?」
「大丈夫じゃないですよ」
「おい」
「でも」
南雲の笑みが僅かに変わる。
「だから、上層部にも利用できないんです」
五条の口元が僅かに上がった。
「なるほど」
上層部は篁を処刑人として使うつもりでいる。
五条が邪魔をしても、無下限を突破し得る篁なら悠仁を殺せる。
そう考えている。
だが。
肝心の篁が、悠仁を斬るべきではないと判断したなら。
そこで話は終わる。
「篁さん自身に、“虎杖悠仁は斬らなくていい”って判断させる」
「それしかないと思います」
「説得じゃなく」
「見せる」
「……結構なギャンブルだね」
「五条さん、賭け事弱そうですよね」
「急に関係ない話するなよ」
「顔が」
「目隠ししてるんだけど」
二人の間に、少しだけ軽い空気が戻った。
「それにしても」
五条が南雲を見る。
「君、随分と篁さんに詳しいね」
「一緒に任務へ行くことが多かったので」
「何で?」
「僕が優秀だから」
「嘘だ」
「早いなぁ」
「篁さんと組みたがる人がいないからでしょ」
「それもありますね」
南雲は指を立てる。
「普通の術師だと、篁さんの戦闘についていけない」
二本目。
「篁さんが任務説明を聞いてるのか分からないから、現場で状況を判断できる人がいた方がいい」
三本目。
「僕は逃げるのが上手い」
「最後が一番重要そう」
「実際、大事ですよ」
「篁さんの斬撃に巻き込まれたことある?」
「何度か」
「よく生きてるね」
「五条さんに言われたくないです」
「僕は無下限あるから」
「篁さん、それ抜けるかもしれないんでしょう?」
「……そうだった」
五条はわざとらしく肩を落とした。
南雲が笑う。
「でもまあ」
南雲は少しだけ窓の方を見る。
「よく分からない人ですけど、無意味に人を殺す人ではないですよ」
「優しい?」
「違います」
「正義感が強い?」
「それも違うと思います」
「じゃあ何なの?」
南雲は少し考えた。
それから。
「篁さんは、篁さんですね」
「答えになってない」
「でも、それが一番近いです」
誰かから教えられた正義。
呪術界の規則。
上層部の命令。
社会の法律。
そうしたものとは別に、篁の中には明確な一本の線がある。
その線がどこにあるのか、他人には分からない。
だが越えた者に対しては、恐ろしく厳格だった。
そして、越えていない者を、誰かに言われただけで斬ることもない。
「なら」
五条はゆっくり立ち上がった。
「やりようはあるか」
「あると思いますよ」
「明日の朝、上層部より先に篁さんへ会う」
「はい」
「悠仁を連れて」
「はい」
「君も来て」
「嫌です」
「そこは来いよ!」
南雲は声を立てて笑った。
「冗談ですよ」
「分かりづらいんだよ」
「同行します」
「頼りになる後輩だ」
「高級焼肉」
「覚えてたの?」
「当然」
「悠仁が生き残ったらね」
「一番高いコースで」
「遠慮しろよ」
「五条さんなら払えるでしょう」
「金の問題じゃない」
「じゃあデザートも」
「増えてるじゃん」
五条は苦笑しながら、扉へ向かった。
しかし取っ手へ手を伸ばしたところで。
「五条さん」
南雲が呼び止める。
「ん?」
「明日、一つだけ気をつけた方がいいです」
五条が振り返る。
「最初から悠仁君を後ろに隠さない方がいい」
五条の表情が僅かに変わった。
「僕が庇うなって?」
「斬りかかったら庇ってください」
「当たり前だよ」
「でも、会った瞬間から五条さんが全部説明して、全部保証して、悠仁君を後ろに置いたら」
南雲は少し言葉を選ぶ。
「篁さんが見るのは、悠仁君じゃなくて五条さんになります」
「……なるほど」
篁自身に判断させることが目的なのだ。
ならば五条が悠仁を覆い隠しては意味がない。
「本人に話させろってこと?」
「その方がいいと思います」
「悠仁に?」
「はい」
「篁さん相手に?」
「はい」
「命懸けの面接じゃん」
「不合格だと首が飛びますね」
「笑えないよ」
「僕はちょっと面白いです」
「性格悪いなぁ」
だが、南雲の言うことは正しい。
五条が悠仁を救いたいことも。
恵が助けたいと願ったことも。
宿儺の指を処分するために必要であることも。
すべて外側の事情だ。
篁が見るべきなのは、虎杖悠仁自身だった。
「分かった」
五条が言う。
「悠仁に任せる」
「意外ですね」
「何が?」
「五条さん、結構過保護だから」
「優しい先生と言ってよ」
「それはちょっと」
「後輩からの評価が低すぎない?」
五条は扉を開いた。
「まあでも」
廊下へ出る直前。
少しだけ足を止める。
「悠仁なら大丈夫だと思う」
「ずいぶん信頼してますね。会ったばかりでしょう?」
「時間は関係ないよ」
宿儺の指を取り込んだ。
呪術の世界へ巻き込まれた。
自分が死刑になると告げられた。
それでも悠仁は、残った指をすべて取り込む道を選んだ。
死ぬためではない。
それまでに、自分のできることをするために。
五条は、その選択が正しいとまでは思っていない。
危うい。
青い。
もっと自分のために生きてもいい。
そう思う部分もある。
だが。
虎杖悠仁が、篁に斬られて当然の人間だとは思わなかった。
「篁さんがどう判断するかは分からないけど」
五条は僅かに笑った。
「悠仁本人を見せて駄目なら、もう僕が止めるしかない」
「戦う?」
「必要なら」
「勝てます?」
先ほどと同じ問い。
五条は少しだけ黙った。
そして。
「勝つよ」
躊躇なく答えた。
「でも、負けないとは言わない」
南雲が目を細める。
「篁さんについて分からないことが多すぎる」
五条は目隠しへ触れた。
「だから、そこまで含めて考える」
それは弱気ではない。
自分が最強であるという自負と、相手を過小評価しないことは両立する。
未知のものを未知のまま扱う。
そのうえで、自分が勝つために動く。
「自信があることと」
五条が笑った。
「相手を舐めることは、別だからね」
南雲は一瞬だけ黙り。
「珍しく格好いいこと言いますね」
「珍しくは余計」
「五条さんなのに」
「先輩だぞ」
「知ってます」
五条は呆れたように笑い、今度こそ部屋を出ていった。
廊下に足音が遠ざかっていく。
南雲は閉じられた扉をしばらく眺めていた。
明日の朝。
上層部より先に篁へ接触する。
虎杖悠仁を連れて。
そして、篁自身に判断させる。
言葉にすれば、それだけだった。
「どうなるかなぁ」
南雲は独り言のように呟く。
篁が何を見るのか。
宿儺をどう見るのか。
悠仁をどう見るのか。
南雲にも分からない。
何度も共に任務へ行った。
刀を振るうところも見た。
斬る者も、斬らない者も見てきた。
それでも。
なぜそう判断したのかと問われれば、答えられない。
聞いたところで返ってくるのは、いつもの呟きだけだ。
「~~~~~~~~~」
南雲は小さく笑った。
「まあ、何が刺さるか分からないんだけどね」
窓の外。
月が薄い雲に隠れていく。
明日。
両面宿儺の器と。
いつから術師をしているのかさえ分からない老人が。
初めて顔を合わせる。
その老人が刀を抜くかどうか。
それによっては。
現代最強と呼ばれる術師と、誰にも底を測らせない老人との戦いが始まりかねない。
そして、その勝敗を確実に予測できる者は。
この呪術界には、誰一人としていなかった。