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「起きてください、ボス。ほら。……あー、面倒くせぇ! 早く起きろ!」
「ん゛、っ……」
軽い衝撃に、重たい瞼が持ち上げられる。
ぼんやりとした視界には、見慣れたコンクリートの景色。もうずっと見続けた居場所は、慌ただしい雰囲気に包まれていた。
にも、関わらず。その景色の中に立つ一人の男は、まるでそれが大した事でもないかの様に、呆れ顔で老兵の前に居た。
「何があった……」
「知るかよ。俺が来た時には、もうとっくに虫の息だった。新米にやられたんじゃないのか?」
「……あぁ、そうだった。してやられたよ」
視界が鮮明になっていくと同時に、記憶が掘り起こされた。
何故、自分がこうして壁に背を預けて倒れているのか。血を流し、下半身の感覚も失いつつあるこの現状に至るまでに、いったい何が起こったのかを思い出す。
自分は撃たれたのだ。一人の新米に。いや―――
分かるのは、自分が死ぬ事。そして、
だが、そんな事など知るかと言う様に、その兵士は老兵を―――BIGBOSSの
「若さには勝てなかったか? 伝説の兵士が呆れますぜ、ボス」
「よせよ。今更取り繕っても、意味はないだろう」
「ハッ、それもそうだな。あーあ、世の中ってのは訳分からんよな。ただの
ウンザリとした様な口振で、男は彼の隣に腰掛けた。
肩に掛けていたAR-15を放り投げ、懐から一箱の煙草を取り出して口に咥え、ライターで火を着け一服する。崩壊を始めつつある場所を、まるでベランダの様に見ていた。
さながら、休憩時間の会話と言うべきか。これから死ぬというのに、しかし二人の間には恐怖も緊張もありはしなかった。
「どうかな。これといった未練も無いからな、そのまま地獄に堕ちるだけだろう」
「そりゃ俺も、というよりは俺達全員だろ。
「はっ、それもそうか。……なぁ、葉巻を取ってくれないか? ついでに火も着けてくれ」
「はぁ? それくらい自分で出来るだろ。こんな時に我儘言うなよ」
「こんな時ぐらい言わせてくれても良いだろ。死の瀬戸際だぞ? ったく……お前はもう少し気遣いを覚えるべきだな」
「親しき仲にも礼儀ありってか? 取り繕うの止めろって言ったのはそっちだぜ」
くつくつと笑う同期に、ヴェノムは苦笑を浮かべながら義手を動かす。懐から吸い慣れた葉巻を取り出し、口に咥えた直後、無線から
『やぁ、エイハブ』
「イシュメール…アンタは本当に待たせるな」
その声は、何処か嬉しげだった。
イシュメール―――それは、
FOX HOUNDの指揮官でありながら、しかしアウターヘブンのボスでもあった裏切り者。戦士の為の楽園を創る為に、世界を売った男だった。
『待たせたな、と言うべきだったか? 無事に脱出した事を伝えたくてな。お前のお陰だ、よくやった』
「良かったな、ボスに褒められたぜ?」
「おい…」
『……お前は、確かMSFの』
MSF―――国境なき軍隊。BIGBOSSとカズヒラ・ミラーが最初に創った組織であり、
そのMSFからDD、そしてDDからアウターヘブンへと楽園は引き継がれ、この男はその全てを見続け、戦ってきた。
言うなれば、歴戦の兵士と言っても良い。それ程までに長く、彼はBIGBOSSに着いてきたのだ。
「憶えて頂いて光栄…と言えば良いですかね? MSFからDD、アウターヘブンまでずっと居る古参兵……とは言うものの、まぁ単なるコイツの同期ですよ。MSFの時から、
『勿論、憶えているとも。射撃、CQC、どちらも良いセンスを持っていたからな』
「そりゃどうも。まぁ、コイツには負けますがね。MSFの中じゃ、1番優秀だった訳ですから。さながらブロンズコレクターですよ、俺は。まぁ、それも新人に追い抜かされたっぽいですがねぇ」
『ソリッド・スネーク……まさか奴が任務を遂行するとは』
アウターヘブンは、一人の傭兵によって壊滅する。
ソリッド・スネーク。
「ソリッド・スネークは俺達の予想を遥に上回る有能な兵士だった……
『そうか……お前達は脱出出来ないのか?』
「それは無理だ……奴に撃たれた。下半身の感覚がない。……コイツに背負ってもらっても、どうか」
「時間が足りない。負傷したお前を背負いながらじゃ、どうやっても手遅れだ。というか、相手が許しちゃくれないでしょう。爆撃されて全員殺されるのがオチですぜ」
敵に回した存在は、あまりにも大き過ぎる。相手はもはや国家だ、生半可な結果で終わらせてやる様な優しさなど持ち合わせている訳がない。
このアウターヘブンはメタルギアの自爆によって煙と共に消え失せるだろう。だが、それは完全ではない。少なくとも何かが残る。奴等はそれを許さない。
投降も性別も関係ない。アウターヘブンも、アウターヘブンの人間も、その全てが塵になるのだ。
『そうか……』
「だから、俺はここまでだ、イシュメール。今回ばかりは強心剤でもどうにもならない」
『アウターヘブンは、お前と共に死ぬ訳ではない。必ず誰かが、BIGBOSSの名を生き永らえさせる。そして常に、「戦士の為の国家」を作ろうとする筈だ。お前は「ザンジバーランド」を聞いた事があるか?』
「勿論だ。
ザンジバーランド―――後に、『ザンジバーランド騒乱』と呼ばれる事件の舞台となるその場所は、奇しくもBIGBOSSが己の育ての親にして敬愛する師を手に掛けた国に隣接した小国だ。
傭兵達によって築かれた独自の軍事国家。アウターヘブンと似て非なる其処こそが、BIGBOSSが次なる楽園を築く場所となるだろう。
エイハブとイシュメール、二人でBIGBOSS。例えエイハブが死したとしても、その名は決して死せずして生き永らえる。
BIGBOSSはそう言って―――いや、と言い直した。
『さっきのは忘れろ。お前はもう何も心配するな』
「イシュメール…」
元を辿れば、彼は被害者だ。
ゼロ少佐が自分を助ける為に作り出した
ずっと巻き添えを食らわせてきた。それを死してなおも続けるのか? 否、それは断じて否だ。それはもはや死者への冒涜ではないか。
もうこれ以上―――彼を巻き添えにしては、いけないだろう。
『安心しろ、俺達の夢は引き継がれる。今日限りで、お前はBIGBOSSの
「そうか……俺はようやく、
その言葉を最後に、無線が切れる。
葉巻と煙草の煙が、崩れゆく
死は間近だ。だが、そこには何の恐怖もない。別に、何ら不思議な事ではない。彼等は傭兵、戦場を渡り歩いてきた人間だ。生きるか死ぬかが数秒単位で変化する様な地獄を歩き、鬼として生き続けた人間に、今更、死への恐怖を抱けと言う方が無茶だろう。
「……なぁ、お前はまだ間に合うんじゃないのか。今からでも走って逃げれば、まだ」
「さっきも言ったろ、時間が足りないんだよ。海に出ようが爆撃で燃やされるだけ。だったら、最期くらい同期と過ごしても
「同期…か。そうだな……最期くらいは、
言葉が徐々に途切れていく。先程までの軽口も、紡ぐのが難しくなっていく。
自分の死は、決して怖くない。傭兵になってから数十年だ。今更、それを怖いだとか、どうとか言うつもりなんてない。
だが、それでも―――悲しいものは、確かにあった。
「あぁ…懐かしい、歌が…………そうか、迎えに来てくれたのか………………」
『――――――』
「そう、だな……もう、銃は……………………もたなくて、いいのか………………………………………………………………」
「…数十年、か。遅ぇんだよ、バカ野郎。
事切れた彼の表情は、あまりにも穏やかで、何処か嬉しそうでもあった。その最期に見た
―――閃光が走った。爆炎が身を猛け、津波の様に押し寄せた。
「地獄でまた会おうぜ。そんで、来世があるなら…そうだな、今度は俺もお前みたいにやってやりたいな。ヴェノム・スネークに倣って、ヴァイパーってコードネームで。俺も男なんだ、一度くらい伝説とか呼ばれたって良いだろ?」
その言葉を最期に。
アウターヘブンは―――崩壊した。