…私は今、ベッドの上にいる。死ぬ寸前なのだから当たり前といえばそうなんだが。
体はとっくの昔から言うことを聞かなくなっている。耳の機能も低下していてみんなの言葉も聞こえにくい。視界も霞がかかったようにぼんやりしてきた。
…こうして周りの情報を整理すると、自分が死ぬという事実を嫌でも再確認せざるを得なくなる。死の間際だと頭の回転が速くなる、というのは本当らしい。こうやって確認したくなかったなぁ。
頭の回転の速度に反比例するのか、心は平静を保っている。死の間際にはもう少し慌てて叫ぶものかと思っていたので、意外だ、と感じてしまうのも無理はないだろう。
…にしても、にわかに視界がうるさくなってきた。目はもうほとんど見えなくなってるはずなのに。しかも目を凝らして見てみれば、見たことある景色ばかり見えてくる。
…そうか。これがあの走馬灯、というヤツか。死の直前に限って見えることでお馴染みのアレだ。しかし、ここまで明確に死までの道が整えられていることもそうそうあるまい。世が世なら生存フラグとまで言われそうだ。
まあ、この際だ。ゆっくりと自分の人生を思い返すのも悪くないだろう。こうして一人で反省会をするのも乙なものだ。
思えば、一貫して向こう見ずな人生だった気がする。走り続けた先に光が見えると信じて走り続けた、正に馬鹿みたいな人生だった。
休息なぞ取るはずがない。停滞なんぞ以ての外だ。思わず人生の谷底に落下した時もあるし、超えられないほど高い壁にぶつかった時もある。だが、それでも前に進み続けたんだ。その先に光があると信じて。
もちろん、失敗もたくさんあった。というか成功した数より圧倒的に失敗の方が多いのではないのだろうか。
恐らく、周りの人間からしたら、私の人生は可哀想なものだったのだろう。地べたを這いつくばって泥をすするような、そんな見るに堪えないようなものだったんだろうな。その証拠に、目を凝らしてベッドの周りに集う人たちを見てみれば、みな顔に憐憫或いは軽蔑の感情を滲ませている。
…だが、何故だろう?私は、私の人生にそんな感情を持てない。憐憫や軽蔑というものが必ず第二者以降に向けられるものであると言えばそうなのだが、それ以外の感情も持てないのだ。悲しい、悔しい、他の人たちが恨めしい。そんな怨恨じみた感情が、今の私の胸には存在しない。あるのはただ、心の底からの安息のみ。
…ああ、なるほど。そうだったのか。何故、今になって唐突に理解できたのだろう。
思わず笑いがこみ上げてきた。周りの人たちがギョッとしているのがぼんやりと見える。奇異なものを見るような目で見てきてもいるな。そんなに驚くことか?
ああ、そうだ。やり残したことはいくつもある。できることなら全て終わらせてから死にたい。そしてまだまだ生きたい。これからもっと面白くなるかもしれないのに。
…だが、無理だ。それらはどんなに望んでも、夢のままで終わってしまうものだ。それらまで望むのは、それこそ高望みだろう。そして、それ以上に。それらの感情を加味して尚、私は私の人生に満足しているのだ。
笑いが止まらない。これほど愉快なことは無いだろう。何せ、周りがこんなにも自分に憐憫の感情を向けているのに、当の私自身は満足しているのだから。
周りと自分に対する愉悦、そして人生に対する安堵が溢れて、自分が潰れてしまいそうだ。くそ、死に征く身には辛すぎる。もう少し早く、この感情を味わいたかった。
……ああ、自分はなんて幸せ者なのだろう。死ぬ前になって、こんな愉快になるなんて。心の底から笑えるなんて。…そして。
「…ああ。良い、人生だったさ。」
死ぬ前に、心から笑えて、そう言って死ねるなんてね。
断言できる。今の私は、この世で最も幸せだ。辛かったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、楽しかったこと。喜怒哀楽、悲喜交々。人生を彩るそれら全てをひっくるめて、その上で「良い人生だ」と締めくくり、心から笑って死ねるのだから。
素晴らしき世界。素晴らしき瞬間。素晴らしき人生。
…人生における遍く全てで編み上げられ、死の間際のこの瞬間という小さな火薬で小さい華を咲かせるような、その綺麗な光景は。
さながら閃光花火のようで、目が眩むほど美しい。