即席で作られた白木のカウンターの向こうに、界隈では著名な寿司職人たちが静かに並んでいた。
磨き上げられた包丁、曇りひとつないまな板、温度を見極められたシャリ。目の前には、海の深みも、季節の香りも、脂の甘さも、歯触りの妙も、淡白な余韻も、濃厚な旨味も、すべて受け止められるだけの支度が整っている。
何を求められても即座に応じられるよう、彼らは魚だけでなく、寿司を構成する全て、一手ごとの意味まで研ぎ澄ませていた。
だが、幾度繰り返してなお万全を期したその顔に慢心はない。むしろ、これほどの準備を尽くしたからこそ、次に投げかけられる一言の重さを知っている。
客が黙って指先を動かすだけで、全員の視線がわずかに揺れた。握る前の沈黙が、刃より鋭く空気を張りつめさせる。プロたちは呼吸を浅くしながら待っていた。どんな無理難題でも、美味い、の一言に変えてみせるために。
「ハンバーグ」
「はま寿司にでも行けよ!!」
ごめんトゥワイス。荼毘くん、生魚あんまり好きじゃないから……。お寿司、変わり種しか食べないんだ……。
普段は和食派なのに、寿司に限っては炙りたまごチーズとか、カリフォルニアロールとか、そういう回転寿司の企業努力みたいなものを、決まった順番に食べるんです。こだわりが……強くて……。
というか、寿司パーティはもう4回目なのでそろそろ職人たちも慣れて欲しい。トゥワイス以外誰も突っ込んでくれなくなったし。
今日こそは、という気持ちだったのだろうが、今日も最初の一手がハンバーグです。
すいませんね、悪気は無いんです。ただ本当に、素直に、今食べたいものを言っただけなんです。 そして好きな物はそればかり食べる性質なんです。飽きるってことがあまりなくて……。
職人のひとりが、苦しげに目を伏せ、静かに冷蔵ケースの奥へ手を伸ばした。軽く温め直したあと、上にはらりと金粉を散らしたハンバーグ寿司。港区寿司って感じがする。相変わらず高そう……。
カウンター席に座ってお行儀よく食べる人間の方が少ないので、怪我の療養中であるトガちゃんのもとへ、適当に頼んだ詰め合わせセットを持っていくことにした。
トガちゃんは現在、お姫様対応でふかふかのクッションの上に横になっている。
なんとなく赤身魚なら喜びそうだという偏見で頼んだのだが、正解だったらしい。受け取って刺身とシャリを分解しながら「おいしい」とご機嫌になってくれた。一緒に食べた方が美味しいと思うけど、ここらへんは個人の自由なので言わないでおこう。
「怪我の調子はどう?」
「痛いけど、治るの早いから大丈夫です。痛み止めも飲んだから元気」
「元気なのは素晴らしいけど、まだ無理しちゃだめだよ。首捻られたんだって? かわいそうに」
「勝手に顔を触られちゃった」
「きっしょいねえ……」
「セクハラです」
プン! と顔を逸らしているが、再会したばかりの時よりは元気そうで安心した。
今回の戦争でいちばん怪我が大きかったのは、義爛を除けばトガちゃんだった。トゥワイスの覚醒イベントが、まさかトガちゃんのピンチと繋がっていたとはな……。
増やされたトガちゃんから本人へ輸血して、なんとか命を繋いだというのだから本当に怖い。
トガちゃんの武器が吸血に特化していて、トゥワイスの個性が“本人を増やす”ものだった。その噛み合いがあったから助かっただけで、どちらかひとつでも違っていたら、トガちゃんも死んでいただろう。許せねえよ四ツ橋。てめえこのデコ野郎。
「十代の回復能力のお陰で助かったねえ……。ミスターだったら全治半年だったよ」
「おっと? ついでで攻撃するのはやめなさい。俺は片腕が取られても5日で復活した男だ。三十代男性の回復能力を舐めるんじゃない」
ガキはこれでも食べてな、と炙りサーモンが乗った寿司下駄を丁寧に渡される。
礼を言うより早く、ついでとばかりに軽く頭を叩かれ、そのまま髪をぐちゃぐちゃにされた。おじさんの心配の手つきは乱暴だけど、ちゃんと無事を確認されている気がする。
俺だけ別行動で、非戦闘員で、突然の参戦だったから心配かけてしまったんだろう。生前葬ごっこもシャレではなかったのかもしれない。
ミスターの壊れた義手は最新型にアップデートされていて、細かい調整も上手くいっているらしい。動作に引っかかりはなく、指先の開閉も自然だ。
義爛は良い仕事をしたな。俺たちの情報を漏らすくらいなら火山の火口に沈んでいてくれと願ったけど、利き手の指を全部持っていかれても黙っていたと聞いて、全部許したよ。
相手側にFeel Good Inc.の取締役がいたんじゃ、消したデータくらい修復されちゃうよな。あの人は技術畑からの叩き上げらしいし、仕方ない。それくらいは出来てしまうだろう。データを破壊した上で本人が黙秘していてもバレるなら、相手が悪かっただけだ。
チーン、とおりんを鳴らす音がして、そちらへ視線を向けると、トガちゃんの遺影があった。
いつの間にか寿司を食べ終わったのか、トゥワイスが泣きながらトガちゃん(倍)を悼んでいる。悼まれているトガちゃんは自分の遺影をみて「カアイくない顔の写真、や」と怒ってる。気絶中の顔は盛れてないからね……。おじさん視点だとどのシチュエーションのトガちゃんもカアイイから、そういう配慮の必要性感じないんだろうな。
トゥワイスは「人の嫌がることはやめましょう」と真っ当に叱られ、次の瞬間には自分で置いた遺影を蹴り飛ばしていた。一応、精神が分裂しがちなところは改善されたという話だったが、“改善”は“快癒”ではないのでね。今日も元気にひとりで喧嘩している。
とはいえ、治るきっかけが出来たということは、前向きに評価できるだろう。
楽しいなあ……。消毒液の匂いがしない場所で、気の置けない仲間たちに雑に甘やかされる生活。突然強酸を掛けてくるバイオハザードの敵みたいな邪老とか、デザインがバイオハザードなハイエンドもいない平和な日々……。
本当は今回の戦争が終わったタイミングで即帰還の要請が来たけど、全力で拒否して今に至る。一旦今回の事件の収拾がつくまでは現場にいた方がいいだろう。あと、俺はギガマキくんと弔くんたちの戦いに巻き込まれないように避難の名目で預けられていたので、あとはもう弔くんに全力で縋ることにする。
弔くん視点だと、長期出張の為ペットホテルに犬を預けたという認識なので、長期出張が終わったらおうちに帰してください。
あの日、弔くんの圧倒的勝利によってリ・デストロをぶっ倒し、寿司のカツアゲをした直後、ドクターから連絡が入った。
無視したくてもできない相手なので嫌々返答すると、『おお、勝ったな! よし戻って来い、今からジョンちゃんで転送を』などと言い出したので、「いやです」と即答。近くまで来ていたミスターが「扁桃炎じゃなかったのかよ!」と怒っていたが、ジョンちゃん扁桃炎なの? お大事にね。
「来たばかりなので帰りません。やることやったら通勤で通う」
『はぁ~、ワガママじゃのう。どうせ調べることもやることも多いんじゃから、定住でいいじゃろ。部屋もあるし』
「いやです」
このやりとりを5往復くらい繰り返したところで、最終的に俺がキレた。
「しつこいな!! 合計二ヶ月くらい恋人抱いてねえんだよこっちは!! セックスするのでそちらには戻りません!! うるせえセックスするんだよ邪魔すんな!! そう!! セックス!! えす・いー・えっくす! セックス! 性行為! はい、当面の間、通話はお控えいただけますと幸いです。こちらで所要の対応が済み次第、改めてご連絡申し上げます。お忙しい中ご連絡いただき、ありがとうございました。失礼いたします」
戦場のど真ん中で発狂した。
戦闘終了後のシリアスシーンを、俺の手でめちゃくちゃにしてやったが、仕方ないだろう。
死穢八斎會への出向直後に、ギガマキ戦での隔離。人間、限界というものがある。俺は聖人ではないし、出家した覚えもない。むしろここまでよく耐えた方だ。俺の肉体は若くて、ちゃんと恋愛感情を持ってみている恋人もいる。それを、個人間の連絡も制限された中でおとなしく言うことを聞いて我慢していたんだぞ。褒めろよ……。最大限空気読んでただろうが……。
いつの間にか背後に忍び寄っていた荼毘くんが、戦闘で高温になっている身体でどすんと俺にのしかかってきた。
「あかりくん、熱烈だ。……しょうがねえな、本当に俺のことが大好きなんだ」
耳元で響くニタニタと愉悦に満ちた声。実家のような安心感というやつだ。それでも俺は直前までのキレを引きずった勢いのまま、「好きですが!?」と、振り返りながらねじ伏せるように抱きしめ、深くキスをした。
口の中もあっつい、というか、すぐ近くで人体の出してはいけない蒸発音みたいなのがしているから体内の血肉が焼けているんだろう。ここばかりは子供の頃から変えられないデバフだ。
さすがに衆人環視の中でやるべきことではなかったかもしれない。だが、これからは“きょうだい”のラベルから“イチャイチャカップル”のラベルを貼り直して生きていくつもりなので、まあいいか。さっきまでご機嫌でニコニコしていた弔くんが「キショすぎる!!」と俺の後ろ頭を引っぱたくまでの数分間で、十分伝わったはずだろう。
その後、四ツ橋の配慮により、荼毘くんと同室を貸し出された。部屋には諸々のグッズまで、やけに気の利いた感じでそっと忍ばされていた。
あいつ頭狂ってんのかな……。
昨日まで敵だったやつの縄張りで、そんなこと出来るわけないだろ。俺ならカメラでも仕込んでハメ撮り録画してもしもの時には拡散するくらいの嫌がらせをするし……。
そこらへん妙にピュアというか、疑う方向が俺より健全な荼毘くんが普通に乗り気になっていたので、宥める方が大変だった。
クソ! 食えるはずの据え膳だったのになんで待てを強要されてんだよ! 四ツ橋てめえこのデコ野郎!
一応、リ・デストロは何故か俺からのヘイトが凄いぞ……という理由を、弔くんから聞いて和解案を出してきた。
聞かれた弔くんも雑にしか覚えていなかったので、「おまえんトコの会社が、あかりの会社の前にイオン建てたんだろ」と、俺の比喩をそのまま伝えたらしい。そのせいで、「イオンはデトネラット社とは系列が違いますので、誤解ですよ……」と、可哀想な子供を見る目で言われた。比喩は、比喩だよ。コロスゾ……。AURA FRAMEと要石技研だよ……。お前んとこがヒーローサポート業に参入した時、提携先と契約先を横から掻っ攫っていったのはよ……。
最終的に、リ・デストロは、知らず知らずのうちに俺が名前を伏せて経営していた会社を横から蹴っ飛ばしていたことを理解した。
平に、平に謝罪したあと、俺の会社と契約し、そのまま子会社化して管理してくれるということで俺も手を打った。吸収合併というやつだ。これで何が起こっても、責任はすべて四ツ橋に行く。
どこをつついても俺は出てこないし、今後リ・デストロが捕まったとしても、あとから合併された俺の会社は巻き込まれた被害者という立場を取れる。
管理を任せている連中とは情報共有が出来ているので、彼らの生活が脅かされることもないだろう。何も知らない社員たちは、デトネラット社というデカい看板に守られて、どうか健やかに生きてほしい。俺もこれからは、細かな金をすべて四ツ橋からのカツアゲで賄って生きていけるようになったしさ。めでたしめでたし。それはそれとして感情的には全く許してないけど……執念深さは兄譲りなもので……。
どうにかして好きになるべきか。いや、その必要あんまり感じないんだよな……と考えながら、最後の一貫を飲み込んだところで、「時間だ、来い」と呼び出しがかかった。
トゥワイスが「うるせー、まだ寿司食ってるでしょーが!!」と即座に言い返しつつ、素直に立ち上がっている。文句と行動が噛み合っていない。今日も元気で何よりだ。
“お披露目会”のはじまりである。
俺もその場を立ち、ネクタイの位置を指先で整えた。久しぶりに、ちゃんとした格好ができた。自宅拠点に置き去りにしてきたものはまだ回収できていないが、今回用意されたスーツも、そこそこ満足のいくデザインと着心地だ。俺が求めた被服費がいちばん高かったと、スケプティックがネチネチ言っていたが、四ツ橋の金なんて、いくら使ってもいいものですからね。ありがたく活用させていただきます。
俺は後方にいたので、スケプティックとトランペットという異能解放軍側の幹部とは、戦争が終結するまで顔を合わせることがなかった。
スケプティックはトガちゃんとトゥワイス、トランペットはスピナーと当たったらしい。向こうの怪我がほとんどないところを見るに、どちらも自分から前に出て殴り合うタイプではないのだろう。
まあ、それでも勝ったのは俺たちだけど。そう思いながら、案内されるままについていく。途中、ふとトランペットが振り返った。
「……?」
サングラス越しでも分かるくらい、まっすぐに俺を見ている。値踏みというより、確認に近い視線だった。誰かの顔と照合するような、あるいは、ずっと探していたものを見つけたような。数秒にも満たない沈黙のあと、トランペットはニコッ! と愛想よく笑い、何事もなかったように前を向いた。
「知り合いか?」
「んなわけないない。心求党の党首だろ? 若い政治家ってくらいしか知らなかったよ」
「若いか? おっさんだろ」
「政治家の平均年齢は50より上ばっかだよ。党首となったら70過ぎもいるし。あれだけ若くて党首なのは珍しいって」
トランペットにボコボコにされたスピナーは苦い顔をしていたが、これは別に事実だからしょうがない。
若くして人の上に立てるということは、それだけ人を動かす能力に長けているということだ。リーダー適性が高いんだろう。思想の良し悪しはさておき、人を乗せるのが上手いタイプだ。
だからこそ、さっきの笑顔が少し引っかかった。政治家の営業スマイルにしては、妙に焦点が合っていた気がする。
記憶を探ってみても、心当たりはない。政治家の顔なんて、ニュースで流れているのをぼんやり見たくらいだ。向こうが俺を知っている理由もない。
なんでわざわざ振り返ったんだろう。どこかで会ったことでもあったかな。