いきてきたるものがたり   作:かに3

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珍しくまともな大人

 このままでは、俺はまっすぐ悪になってしまう! いや、もう悪の組織の主要メンバーではあるんだけど……と、今さらすぎる現実に震えていると、ソファにだらしなく座っていた弔くんが、背もたれに全体重を預けながらケラケラ笑った。

 

「性格悪くて最高じゃねえか。喋るお口付けるのは俺もいいと思うぜ? 黙ってうろついてるだけなら、ヒーローなんて気にも留めねえもんな。ちゃんと『タスケテー』って叫ばせようぜ」

 

 楽しそうな声だった。けれど、笑っているくせに目はどこにも向いていない。口元だけが形通りに歪んで、乾いた笑い声だけが、誰もいない場所へ転がっていく。

 

「なにか辛い過去でもある? あとで抱きしめてあげようね……。俺だったら、ちゃんと気づいてあげられたのにな」

 

 その瞬間、弔くんの笑いが止まった。ゆっくりと視線だけがこちらへ戻ってくる。ほんの少し前まで、俺の知らないどこかを見ていた目に、不機嫌そうな色が差した。

 

「そこに居ねえやつがほざくな」

 

 かわいそうに。弔くんほどの邪悪ともなれば、悲しい過去のひとつやふたつ、みっつよっつくらいはあるだろう。そういえば彼、たぶんラスボスだもんな……。辛いこともあろうよ。俺が小粋なアクセサリーだと思っていたあのお手々たちにも、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、はなちゃんと、一つ一つ名前をつけていたしな……。

 

 

 

 グイ、と引っ張られる感触がして無抵抗に動かされる。俺の関心が自分から逸れたのが気に食わないのだろう。荼毘くんは俺の頬を両手で挟み、無理やり視線を自分の方へ戻して固定した。

 

「あかりくんはずっと忙しいから、嫌んなっちまうな。これからどうする? 俺のそばにいてくんないの」

 

「いたいのは山々だけど、挨拶回りが優先かなあ。四ツ橋……リ・デストロ周辺の人材とも、まだちゃんと話してないし」

 

「スケプティック」

 

「あの人、いいよね」

 

 同意らしい。荼毘くんは、ニッタリと粘つくような笑みを浮かべた。

 

 おい! うちの荼毘くんが親類以外の人間を気に入ったの、人生で初めてかもしれないぞ!! 好意の最終更新が夏くんで止まっている男が……!

 

 まあ、持っている技術の使い道が明白だから、お気に入りになっただけだろうけど。前にも言っていたもんな。テレビの前でお父さんを告発しよう! みたいなこと。

 

 ちなみに俺がスケプティックを気に入っている理由は、あのネチネチネチネチした喋り方が、精神的にギリギリな時の荼毘くんによく似ていて、実家のような安心感があるからです。

 

 外典くんとも、一度きちんと話しておきたい。何の交流も持たないままでいると、いざという時に、互いの人間性が分からないせいで余計なミスが増える。どうでもいい時に顔を合わせて、俺も向こうも、相手がどういう人間なのかくらいは知っておいた方がいいだろう。

 

 特に、ハイエンド脳無の氷叢ちゃん関連で何か問題が起きた時、俺が完全な謎の人物だとそれだけで余計にヘイトが溜まる。「あの野郎、やりやがったな」程度には、外典くんにも俺という人間を知っておいてもらいたい。その方が向けられる憎悪の程度も測りやすい。

 

 あと、あと、トランペットのお誘いにも乗りたいなあ~~。

 

 なんか、良い匂いのするカードでお誘いが来てるんだよなあ~~。「併設のBARで少し話しませんか」って。届いてから結構時間が経ってるけど、まだ有効かな? ウキウキが止まらねえよ……。

 

 そういう意図がないのは分かってる。分かってるけど、好みのイケおじが俺を誘ってくれたという事実が、あまりにも嬉しすぎて……。

 

 いつ連絡を入れようかなあ、と内心で浮ついていると、頬を挟んでいた荼毘くんの指に少しだけ力がこもった。

 

「……あかりくん、なんか楽しそうだな」

 

「そう? 久しぶりに人とお話しする予定があるからかな」

 

「俺以外のやつと会うだけだろ」

 

 軽く叱るような声だった。けれど、俺がどこへ行こうとしているのかも、誰と会うのかも知らないはずなので、完全に俺の浮かれ具合だけを見て言っている。よく分かるな。恋人の機微に聡い。いや、俺の顔に出すぎているだけかもしれない。

 

「荼毘くん的には、どこからが浮気だと思う?」

 

 荼毘くんはすぐには答えなかった。俺の頬を挟んだまま、眉間に皺を寄せて考え込んでいる。感情だけなら今すぐ全部禁止と言えるくせに、こうして言葉で説明を求められると、急に自分の中の嫉妬を整理し始める。しばらく黙ったあと、荼毘くんはわずかに首を傾げた。

 

「……キス?」

 

 可愛い。

 

 不意打ちで可愛いんだよな、俺の恋人。こういう時は「目が合ったら浮気」とか、「俺以外のやつと同じ空気を吸ったあかりくんが悪いので相手を殺しますあかりくんのせいですあーあ」とか言いそうなものなのに、具体的な線引きを求められると突然ふわふわになる。

 キスは浮気だと思います、くらいの、ごく一般的で健全な回答を出してしまう。さっきまで自分以外は全員嘘つきだから誰も信じるなと言っていた男と同一人物とは思えない。

 

 なんだこいつ、愛おしいな……と頬を緩めた、その時だった。

 

「騙されるな! 同じ部屋にいるだけでアウトって言いな!」

 

 横からミスターの野次が飛んできた。余計な入れ知恵を……! 運が良いことに、荼毘くんはミスターの言うことをミリも聞かないので自動で流されたが、危ないところだった。ちょっとやめてくださいよ、うちに正論はいらないんです。荼毘くんに都合の良い正論だけ採用されるんだから、俺が生きにくくなっちゃうだろうが! いいんです、破綻したままで。おじさんのお節介め。

 

 

 

 その後は、細かな確認をいくつか済ませて、今日は一旦解散となった。

 先生の奪還に向けた情報収集は継続、使える脳無の再確認と改良は俺とドクター、異能解放軍側との連携については、それぞれ必要が出た時点で共有する。全員が同じ場所に集まって長々と会議をする必要はない。やることをやって、何かあれば適時報告。それで十分だ。

 

 これからは忙しくなる。

 連合だけで動いていた頃とは違い、人数も増えたし、使える設備も情報も桁違いに増えた。誰が何を持っていて、何ができて、どこまで信用できるのかを把握するだけでも時間がかかる。

 リ・デストロのところには、ただ命令されて動いているだけではない人材が多い。各自が思想と目的を持ち、その上で組織に属している。弔くんが頂点に立ったからといって、その全員が今日から俺たちの仲良しお友達になるわけではないので、必要な相手とは今のうちに顔を繋いでおかなければならない。

 

 俺が立ち上がると、ようやく腕を解いてくれた荼毘くんが、名残惜しそうに背中へ回していた手を滑らせた。

 

「あとでホークスに会わせる」

 

「ホークス?」

 

 荼毘くんはそれ以上説明する気がないらしく、俺の服に付いた皺を雑に伸ばすと、さっさと部屋を出ていった。あとで、というのが今日なのか明日なのか一週間後なのかは分からないが、荼毘くんの中ではもう決定事項なのだろう。適時報告をしろと言った直後に、予定の日時も目的も報告しない男。身内への連絡が雑。

 

 ホークス。今のNo.2ヒーローか。

 

 エンデヴァーが珍しく会話を交わしている、年若いトップヒーロー。

 いや、そもそもコミュニケーション能力が皆無すぎて、自分から話しかけてくれる相手でなければ、威圧以外の方法で対話できない実父が悪いんだけど。オールマイトが前線を退いた今、プライベートでも辛うじて付き合いがあるランカーヒーローは、ホークスだけかもしれない。うん。荼毘くん、ホークスのこと嫌いだろうな。

 歳も近そうで、お父さんに可愛がられているヒーロー。これだけで大地雷の気配がする。

 

 いや、実際に可愛がられているかは知らない。エンデヴァーが他人を可愛がる姿など想像できないし、仕事上の付き合いしかない可能性もある。

 ただ、荼毘くんの見る世界は、“お父さん”を起点にしてだいぶ歪んでいる。エンデヴァーの隣に立っている。会話をしている。背中を預けられている。息子である自分が欲しかった位置に、歳の近い別の男がいる。それだけで、事実関係など関係なく嫌うには十分だろう。それでも協力関係を円滑……円滑かな……まあ、攻撃してないみたいだし、円滑か……。協力関係が円滑に結べているので、最近の荼毘くんもメンタルが安定しているのかもしれない。

 昔は俺が少し夜の散歩をしただけで、玄関前のタイルの上で力尽きていたというのに。大人になったなあ。

 

 まあ、ホークスについて考えるのは、実際に会ってからでいい。俺には俺で、先に済ませたい挨拶がある。

 

 

 

 

 

 

 部屋へ戻って服を替え、棚にしまい込んでいたまだ良い匂いのするカードを胸ポケットへしまい、裏に書かれた連絡先へメッセージを送る。返信は、数分も待たずにすぐに来た。

 

 せっかく誘われているのだから、あまりに普段着すぎるのも失礼だろう。かといって、気合いを入れすぎてデートへ向かう人間みたいになっても困る。鏡の前で襟元を整えながら、少しだけ浮かれている自分を認める。大丈夫。これは業務。組織運営に必要な交流。荼毘くんもキスしてなければ浮気じゃないと言っていたのでセーフ。

 仕方ないんです、最近は新鮮な死体ともうすぐ死体になる年齢の邪老とばかり戯れていたから……。

 

 

 

 

 

 指定された場所は、解放軍が管理する施設の一階にあるBARだった。一般客向けの店ではあるらしく、入口だけを見れば、地下で国家転覆を目指す人間たちが会議をしている建物には見えない。

 照明は控えめで、磨かれたカウンターの奥には見栄えよく酒瓶が並び、流れている音楽も会話を邪魔しない程度に静かだった。客としてこういう場所へ一人で入るのは久しぶりだ。以前の拠点はBARのかたちをしていたが、所詮見せかけだったのでほとんど機能していなかったし。

 

 店内を見回すまでもなく、トランペットはすぐに見つかった。奥の席に腰掛け、こちらへ気づくと穏やかに片手を上げる。その仕草だけで様になる。政治家という職業は、立つ、座る、笑うという基本動作まで、人に見られることを前提に作られているらしい。

 

 誘いからずいぶん時間が経っていたので、もう無効になっていたらどうしようかと思っていたが、席には最初から俺の分らしいグラスも用意されていた。どうやら有効だったようだ。よかった。ウキウキしながら来て、「何のご用でしょうか」と受付で追い返されたら、悲しすぎてほぼ初対面のスケプティックにウザ絡みに行っていた可能性がある。ネチネチを聞きたくて……。しかし、そんなことにならずに済んだので良しとする。

 

 向かいの席へ座ると、トランペットは俺の服装を一度だけ確認し、営業用にしては少し柔らかい笑みを浮かべた。俺も笑って会釈を返す。

 

「お待たせしました。お誘い、まだ有効で安心しました」

 

 これから先、話すことはいくらでもある。解放軍の人材、政治との繋がり、世論の動かし方、火継という存在をどのように扱うつもりなのか。俺が彼らを知る必要があるように、彼らにも俺を知ってもらわなければならない。

 

 忙しくなるぞ。

 

 そう思いながら、俺はトランペットが差し出したメニューを受け取る。

 

 最初は、本当にただの挨拶だった。誘いに応じてくれたことへの礼と、新しい体制になってから慌ただしく、落ち着いて言葉を交わす機会がなかったことへの詫び。

 

 トランペットは俺に酒の好みを尋ね、こだわりはないから貴方のおすすめを答えると、強すぎず甘すぎず、香りの良いものを選んでくれた。さすが人心掌握を生業にしている男。相手が嬉しくなる扱いを分かっている。ちゃんとお酒もくれたし、顔も良い。最高~~!

 

 脳内にチラリとこういう時だけ法を持ち出す荼毘くんが通り過ぎる。未成年飲酒極力NG派ヴィラン。人から……勧められちゃったら……飲むしかねえのよ……! お酒、うめー。

 

「まず、私はあなたに礼を言わなければなりません。あなたが我々の同志となったことを、私は心から歓迎しています。あなたという存在が、我々の悲願にとって、あまりにも大きな意味を持ちます」

 

 グラスを傾けながら、俺はニコニコと頷いた。声が良いなあ。低すぎず、よく通る。演説を仕事にしているだけあって、言葉の区切り方まで耳に心地いい。

 

「私の異能は、声を通じて人々を奮い立たせる。私の言葉を信じ、心を預けた者ほど、より強く、より勇敢に、より大きな力を発揮する。だが、それはあくまで一時の高揚です。怒りを燃やし、恐怖を忘れさせ、立ち上がる力を与えることはできても、その者の心に永遠の火を灯すことはできません……」

 

 トランペットは一度言葉を切り、俺の胸元へ視線を落とした。今も尚揺れている炎を見て、眩しいものを見るように目を細める。

 

「ですが、あなたは違います。あなたは人々の内側に、本物の灯を残すことができる。孤独を和らげ、恐怖を鎮め、自分がこの世界に存在していてよいのだと信じさせる。私が人々を立ち上がらせ、あなたがその足を支える。私の声が進むべき道を示し、あなたの灯が、その道を歩き続ける理由を与える。これほど美しい組み合わせが、他にあるでしょうか」

 

 無いんじゃないかなあ、と俺は続けてうんうんと頷いた。話の中身もちゃんと筋が通っている。俺のあかりだけでは、大きな目的へ向かって動くとは限らない。

 トランペットの声だけでは、その熱が冷めたあとに元へ戻る可能性がある。高揚と安定。扇動と定着。二つを合わせれば、人を立ち上がらせたあと、そのまま長く歩かせることができる。

 

「解放とは、ただ鎖を破壊することではない。破壊したあと、自らの足で立てる世界を作ることです。

これまでの我々には、怒りはあった。力もあった。思想も、覚悟もあった。ですが、人々を最後まで支える光がなかった。自由を得た瞬間、その広さに怯え、再び誰かの檻へ戻ろうとする者もいるでしょう。あなたの灯は、その恐怖を取り除くことができる。誰もが、自分の異能を恥じず、自分自身を否定せず、生きることを選べるようになる」

 

 熱が入るにつれて、トランペットの声は少しずつ大きくなっていった。店内で演説を始めるほどではないが、目の前に俺一人しかいないとは思えないほどの情熱がある。

 真正面から顔の良いおじさんにこんな熱量で必要性を説かれるの、気分良~~。

 

「あなたは、ご自身が何を成し遂げたのか、まだ正しく理解していないのかもしれない。百万人を超える人々が、あなたから与えられた小さな灯を胸に生きている。

彼らはあなたに命令されたわけではない。金銭を与えられたわけでも、恐怖で従わされたわけでもない。それでもあなたを慕い、あなたを信じ、あなたの教えを守っている。それは私たちが喉から手が出るほど求めても、決して金では買えないものです」

 

 いつの間にか、テーブルの上に置いていた俺の手へ、トランペットの手が重なっていた。大きくて温かい。握手へ移るような自然さだったので、俺も特に抵抗せず握り返す。トランペットはその手を両手で包み込み、いっそう真剣な顔で俺を見つめた。顔が良くないと許されない所業だが、顔が良いので全ての罪が許された。

 

「あなたは人を支配しているのではない。人々の方から、あなたを必要としている。あかり様。あなたは、我々が長年求めてきた理想を、すでにその身ひとつで実現しているのです」

 

 流れるようなスムーズさであかり様呼び。人の懐に入るのが、上手い! 久しぶりだなあ、こうやって口説かれるの。マチアプ使えてた時はよくあったけど、禁止されて結構経つから懐かしい。

 

「私の声とあなたの灯があれば、人々は立ち上がり、その心は二度と折れない。あなたが同志となった今、我々の悲願は必ず成る。歴史が選んだのは、我々ではなく、あなたなのです」

 

 握られた手に力がこもる。熱い男だなあ。俺は話を聞きながら空いた手で酒を飲んだ。おいしい。話も面白い。褒めてくれる。なんだこの最高の時間。

 

「私は、あなたの力だけが欲しいのではありません。あなたが何を愛し、何を望んでいるのか……─────あなた自身を、もっと知りたい」

 

 政治家らしい言い方ではあるが、そこでトランペットの親指が、俺の手の甲をゆっくりとなぞった。握手にしては少し長い。視線も、俺の目から一度だけ口元へ落ちた気がする。なるほど。荼毘くんと盛大にキスをしたせいで、俺の好みが男性であると周知されているらしい。正確には女性も好きだが、今世ではもう機会はなさそうだ。

 

 

「……ですから今夜は、組織の話だけで終わらせるつもりはありません。あなた個人についても、もう少し聞かせていただきたい。出来れば、二人きりで……」

 

 その笑みは演説の時より静かで、政治家が同志へ向けるものより、ほんの少しだけ近かった。

 

 

 

 

 え! 据え膳ですか!? たぶん自分のことトップ(攻め)と思っているおじさんをひっくり返してボトム(受け)にするの、すごい好きなんですけど許されるんですか!? ……許されそう! なぜならいま、この瞬間、トランペット側が俺に頼んでいる立場なので……。

 

 一瞬だけ、このままキスさえしなければ浮気判定は免れるのでは、という頭の悪い考えが脳内を通り抜けた。その瞬間だった。今この場において、最も聞こえてはいけない人間の声が、俺のすぐ後ろから落ちてきた。

 

 

「お父さんと同い年」

 

 

 背中がぞわりとした。振り返るまでもない。いつの間に入り込んだのか、荼毘くんが俺の椅子の真後ろに立ち、ひどくゆっくりと片腕を上げて、トランペットを指さしている。表情は穏やかだった。声も静かだった。なのに、なぜか店内のBGMが突然小さくなった気がする。

 

「お父さんと同い年」

 

「結婚早かったからね……?」

 

 荼毘くんの言葉に反応したのは俺ではなく、トランペットの方だった。俺の手を包んでいた指が、ぎちりと目に見えて固まる。

 四十と少しくらいだろうか。やっぱり政治家としては若いな。いや、見た目はもっと若いけど。人前に出る仕事は老けにくいものなんだなあ。俺がいまいち反応が悪いせいか、荼毘くんは今度は指先の向きを変え、まっすぐ俺を指さした。

 

 

「十五歳」

 

 

 スっ……と、トランペットの手が外れた。

 

 さっきまであれほど熱く握られていた俺の手が、急に自由になる。トランペットは一瞬だけ完全に無になったあと、次の瞬間には、選挙ポスターにそのまま使えそうな完璧な営業スマイルを顔面へ貼り付けていた。立て直しが早い。さすが政治家。

 

 

「いずれ、元連合の皆様も交えて、健全な食事会を開きましょう」

 

 

 健全な、をわざわざ強調した。組織運営、意見交換、親睦、そういった清く正しい単語だけが似合う方向へ、勢いよく舵を切られてしまった。

 

 さっきまで色っぽさはどこに行ったんですか!? くそ!! 解放戦士のくせに倫理は解放してないのかよ! なんてまともな大人なんだ! くそ!! 俺の据え膳が!!!

 

 

 

 トランペットは立ち上がると、何事もなかったように爽やかな笑顔で会釈した。

 

「では、また改めて。皆様ご一緒に」

 

 皆様、をやたら強調して、逃げるようには見えない速度で完璧に退店していく。さすが政治家。撤退まで品がある。

 

 扉が閉まり、俺と荼毘くんだけが取り残された。

 

「よかったな、美味しいものを食べられそうで」

 

「きゃいん……」

 

「他所で悪さしようとするから」

 

 

 

 悪さの手前で叱られて冷静になっているところで、「じゃあ行こっか」と手を取られ、そのまま荼毘くんとBARを出る。

 

 どこか行くところでもあるのかと聞けば、荼毘くんは繋いだ手を揺らしながら、「今日は氏子ドクターんとこにも戻らねえんだろ。だから今日のあかりくんは俺の」と、たいそう機嫌よく笑う。それから少しだけ背伸びをして、耳元へ唇を寄せた。

 

「外のホテルならいいんだろ」

 

 内緒話みたいに囁かれて、俺は思わず足を止めた。なるほど。据え膳がネギを背負って、向こうから歩いてきてくれたらしい。だったら食わない理由もない。「いいよ」と答えると、荼毘くんはますます上機嫌になって俺の手を引いた。夜の街へ向かう足取りは軽く、ネギを背負った据え膳は、いつも通りご機嫌に鼻歌混じりにくるりと回った。機嫌が良いと踊るんだよ、俺の恋人。かわいいね……。

 

 

 

 




前話で“ミスターか仁くんの若き日の“失敗”になった可能性だって、多少はあるだろ。”と言ったことで生成されたif。転生先がトゥワイスの子供だったら編→ https://decoy.stars.ne.jp/archives/1589 (個人サイト)※ネタバレ:死に方は父親に殉ずる
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