めっちゃ高評価貰えてびっくり.......
これからも更新頑張ります。
この半年、繰り返し聞いてきた不快な湿り声が目覚ましのチャイムになる生活を繰り返してきたが、それももう少しで終わる、と薄々勘づいていたことが、昨日あの女────セリアとかいう長ったらしい話ばかりの四級矯正官の口から告げられたことで、とうとう現実となった。モニターがぷつり、と途切れ、真っ黒に切り替わった後、しばらく頬が緩むのを抑えきれなかった。
各協会が発行しているフィクサー雑誌、今やってるゲーム機、立体映像タイプの映画や、
「ここに来て半年か............全然そんな気しねえな」
もちろんこんな閉所で過ごしている為に時間感覚を喪失しているということも理由の一つだろうが、何より自分が父さんやあいつ.....ヒースクリフ、キャサリンについて考えればあっという間に時間が過ぎていったこともまた、時間感覚を掴めない所以なんだろう。他にもいろいろ.........死んだ母さんのこととか、外はどんな様子なのか、とか。本当にいろんなことを考えて過ごした。当たり前だがこの部屋の中にいる内は首をむしることはなかったし、精神状態が安定してきた時期に、ここの効果範囲外まで連れ出された時も同じだ。
正直今となっては、何であんなに苦しんだのか全く分からないぐらい、穏当な心持ちだった。違和感も不快感も全くない。やれと言われれば鼻歌の一つや二つ歌えるぐらいには心に余裕があったし、実際────父さんがキャサリンを連れて一度面会に来たときも、まるで遠方から帰省したかのような気分で、平然と会話を重ねていた。二人はそれに驚きつつも、嘘のように回復していた俺の姿を見て喜びの表情を浮かべていた。親族以外は面会に来れなかったようで、ヒースクリフを連れて来れなかったことを妹は残念そうにしていたが、流石にあいつ相手には平然としていられる自信はないし、その方が良かったろうな。
父さんが何度か謝罪の言葉を述べた時も、「いいんだ」と素直に返せた時は自分でも驚いたけど、考えてみれば深く思い詰めすぎだったのかな、とか思い──これから先のことを考えて前向きに生きてみることにした。いつまでも引きずっていたらギクシャクした関係のままだし、それよりかは明るく生きる方が、よっぽど意味があると思ったから。ここでのカウンセリングでも似たようなことを話した際にその方針を肯定する言葉をかけられたのも、決断を後押しした。
ぐっ、と背を伸ばし、朝特有の倦怠感をほぐす。
今日の朝飯は何だろうな、とか考えているところ、ノイズがかった声が、スピーカーから聞こえてきた。セリア以外の人間がモニター越しに話しかけてくるのは珍しい。この声、聞いたことは........たぶん何回かあるな。少なくともセリアじゃないことは確かだけど。それにしても、ここの職員は変にノイズや加工を挟まないとまともに話せないんだろうか?
『────調子はどうかね?』
もったいぶった、変に冗長な話し方をするんだろうなと思った。
「誰だっけ?」
『ああ、そうだよな。私は君とは何回も話した間柄じゃあないものな。すまないね、どうしても伝えなければならないことがあって。本来ならアイスブレイクの一つでも挟んでお茶を濁すところだが、生憎そんな暇はないんだ。最近は煙戦争の激化に伴って作業量も増えてるからまともな休暇一つすら────』
そう言った声──聞いてて気づいたが、たぶん声質的に男。は、関係のない愚痴をくどくどと話し始める。上司の悪口だとか煙戦争、つまり12区で起こっている(と、聞いた)翼戦争の話やらは何かと興味を惹かれる話題だったが、脱線したままいつまでも話されるのは苦痛なので、腰を折ることにした。
「おい、なんか用があって来たんじゃないのかよ?こっちも暇じゃ────いや、暇ではあるけど。あんたの話を長々と聞きたいわけじゃないんだ」
『.........ああ、そうだな。すまない。少し話が逸れた。本題に入ろう。君に伝えなければならないことがある』
一拍置いて、男は云った。
その声は、今まで話した誰よりも落ち着いていた。妙に湿った音質がノイズの奥から滲み出し、どこか遠くから聞こえるようだった。
『まずは、一つ目。朗報だ。君の退室時期が正式に決まった。来週の七日だ。精神復旧率は想定よりも高く、安定段階を維持している。セリア主任の所見も一致している。.........よく耐えたな』
「..............!」
思わず声が漏れた。
昨日、セリアが"もうすぐ"だと言ったばかりだった。
本当に、終わりが近い。モニター越しに伝わる無機質な声でさえ、胸の奥を震わせて止まない。たしかな希望を胸に抱く俺。そんな様子を見かねてから気まずそうに男は話を切り出した。
『だが──もうひとつ、伝えねばならないことがある』
「..........?」
ほんの一拍。
呼吸の隙間を、機械の低い駆動音が埋めた。
嫌な予感が、静かに胸を撫でていく。
『...........これは、私が直接伝えることになっている。セリア主任は、"できれば自分の口で言いたくない"と...........そう言っていた』
声の調子が変わった。
抑揚がひときわ深く沈んでいく。
まるで........その一言の重さを測りかねているように。
『ヒンドリー君──君の、お父上が亡くなられた』
「…………え?」
『三日前の夜明け前、病による急変だった。詳しくは……末期癌だそうだ。治療は受けていたが、再発が確認された時には既に手の施しようがなかった。看取ったのは、妹さんと付き人の方だと記録されている。』
どこか遠くで、冷たい金属が落ちたような音がした。自分の手から滑り落ちたコントローラーの音だと気づくのに、ずいぶん時間がかかった。突然の訃報に理解が追いつかず、頭の中が真っ白になる。
死んだ?死んだ?死んだ?
父さんが?死ん........死んだ、だって?
「う........嘘だ」
『...........突然のことで、私も言葉が見つからない。今は、お父上の代理人がすべての手続きを引き受けているそうだ。落ち着いたら、改めて面会を設定する。........以上だ。』
通信が切れる直前、男の声が、微かに震えていたように思えた。けれどもその確信も、すぐにノイズに呑まれ、消えていった。
耳の奥で、まだあの声が木霊する。
────亡くなられた
────亡くなられた
────亡くなられた
まるで、矯正装置の中で何度も反響する機械音のように、同じフレーズが、何度も何度も脳の内側を打ち続ける。
あの後、すぐさま妹へ連絡を取りたいと願い出て、許可が降りると直ちに通話室という、見たこともないような機械的な部屋に案内された。精神復旧室とは違って、普通の部屋のように思えたが、壁に埋め込まれたやけに大きな機械──電話が、その印象を否定する。
震えた手で、電話をかけた。
職員が打ち込んだ番号にかけ、受話器を耳に押し当てる。嘘であってくれ、と願いながら。
だが、繋がった声から聞こえてきたのは、無情にもその想い全てを否定するような、どうしようもない事実だけだった。
「うん.........うん。あの、あのね。お兄ちゃん。お父様が、し、し..........死んじゃって......病気で......うぅ.......そ、それで、それでぇ..........」
................電話越しに妹が泣いているのを、俺は只々何も言わずに、案山子のように立って聞いていた。何も、なかった。俺があの人の為にできることなんて、一つも。今こうして心が引き裂かれるほどの苦渋に喘ぐ妹に慰めの言葉一つかけられない。間に合わなかった。結局、何も.............。
死因は、聞いていた通り病だった。
あの後、モニターに食いかかるようにして必死に説明を求めた結果、父さんは一昨日、病──癌に蝕まれて亡くなったことが、あの男の口から漏れた。何でもないようにヘラヘラと宣う能天気さに、ギリギリと歯を軋ませ、血が出るほど手を強く握りしめたが────逆に言えば、そんなことしか出来なかった。俺はこの白い籠に閉じ込められた小鳥の一羽に過ぎず、ただ腹を憎悪という名の激情で満たすことしかできない。
死んだ。
父さんはもういない。
この半年間必死に積み上げて来たあの人への想いも、思い描いた未来も、全てが果てを知らぬ死の闇の中へと葬られた。
俺は何も聞かされていなかったし、それはキャサリンも同じだったらしい。誰にも言わずに、あらゆる痛みを胸の内に隠したまま、あの人──父さんは死んだ。
分かっている。
きっと、父さんは俺たちを心配させない為に言わなかっただけだ。
幼い娘。
幼稚な息子。
二人とも、独り立ちなんて到底できない歳だ。
これからは、兄妹二人と.........きっと、ヒースクリフ。あいつと三人で助け合って欲しいと、願っていたはずだ。実際、遺言もそのような内容だったと、キャサリンに受話器を代わる前、バトラー.......ジョゼフィーヌから言伝を受けた。
どれほどの苦しみだったのかなんて、想像すらつかない。頭の中をぐるぐる疑問が駆け巡り、爪先から頭の天辺まで体の全てを突き抜ける。
死の間際の様子は?俺のことは気にかけてくれていたのか?これからはどうするんだ?そんなことを口に出して聞こうとして、何も出て来ない。
いや、むしろ。
俺の心は、そんな何よりも尋ねるべき疑問ではなく、ある思いで満たされていた。困惑、だ。果てしない苦悶に打ちひしがれている家族の声を聞いているというのに。たった二人しかいない肉親の片割れを失ったというのに。
それなのに、俺は──────
「.....................」
────どうして、泣いていないんだ?
あれほど愛を求めてやまなかった人が、
ぐずぐずと心が腐っていく感覚をただひたすらに呪いながら、血を流した掌を見つめる。痛みが腕を伝い、脳まで貫く。されども目はいかなる感情をも垂れ流すことはない。
死が緩やかにあの人の体を蝕んでいる時、俺は何をしていた?何ができた?何もしていない。何一つ、父さんのためにしてやれることなんてなかった。ただ己の境遇を憎んであの部屋で苦悩していただけだ。
何もない。
俺が、してやれたこと、できたことは。
何、も...............。
「...................あ」
俺は額に手を当てた。
思い当たる節は、ある。どうしてこんなにも平気でいられるのか。涙一つ流さないのか。故も知らない慟哭に身を貫かれるこの気持ちの正体に、あたりをつけた。
それは、ヒースクリフ────ではない。
父さんその人だった。ヒースクリフを拾って来たあの日、心の片隅で、不孝行だと知りながらも抱いてしまった、あの気持ち。
『どうして、俺じゃなくてそいつに?』
そうだ。
考えたさ、考えたとも。
俺はあの日、薄汚いボロ切れを身に纏ったヒースクリフを見て、果てしない嫌悪感に臓腑を焦がされたが、同時にその原因を作った父さんに対しても、確かに小さな怒りを感じていた。
はじめのうちは自分でも自覚しないような、そんな小さな不満でしかなかったのだろう。けれども、あいつがどんどん俺の、息子としての立場や向けられる筈だった愛を盗んでいったのだと、憎悪を募らせていくと同時に、俺じゃなくてあいつばかり見る父さんへも怒りを感じていた。
いや。
変に言及を避けるのは、もうよそう。
俺はたしかに、父さんを恨んでいた。
この半年間で恨みは消え、感情へ精算はつけられたが、それでも一度拗れた関係が元に戻ることはなかった。
それは、偏愛に晒された日々の中から生まれた、どうしようもない憎しみだった。俺がいとも簡単に執着を捨てることができたのは────矯正室の効果であるのは勿論だが、あの人への恨み、憎しみが愛を擦り減らしていったことも理由の一つなんだろう。
返ってこない愛を保ち続けられるほど、俺の心は強くなかった。表向きは平然としていても、ヒースクリフがワザリング・ハイツに来てから2年。そしてここで過ごしている半年で、もうとっくに摩耗してしまった心を今更ながらに自覚した。もう、自分にとってのあの人は涙を流す価値すらない人間なんだ、と軽いショックを覚え、悲痛に暮れる妹とは違い、これから先の生活ばかりに目がいく自分の浅ましさにちょっとした失望すら覚える。
「キャサリン」
久々に、妹の名前を呼ぶ。
思えば、まともに名前を呼んだのなんていつぶりのことになるのか。ヒースクリフと共にまとめて避けるようになってからは、碌な会話を交わしたことすらなかった。俺とは違い、悲嘆に暮れる妹に対してどんな言葉をかけるべきか悩み、そしてついぞ口からはその一片すら出ない。
慰めてやるべきだ。
頭の中では分かっている。
キャサリンにとっての肉親はもう俺ただ一人だけ。
俺にとっても、たった一人の家族だ。
あの子の心が底知れぬ深淵を彷徨っている今この瞬間、兄として、家族として、その沼から掬い上げるように努めるべきだ。少なくとも、そう見えるように振る舞うべきだったのだろう。
けれど、出ない。
何をどう考えても、良い言葉なんて一つも浮かばない。何をどうやって考えたって、この半年を怨嗟で塗りつぶしていた俺に、他人を思い遣る言葉なんて出てくる筈もなかった。
「俺も、もうすぐ矯正室から帰って、もうすぐ家に帰るから。詳しいことは、そこで話そう。それまではバトラーたちに任せて、さ」
「............うん。そう、そうだよね。分かっ.......た。私、待ってるね。お兄ちゃん。絶対帰って来てね。約束、だからね」
約束。
妹が発した何気ない言葉に、胸を突かれたような思いをしたが、すぐに取り繕って「うん」と頷いた。ぷつり、と通話が切れる音が鼓膜を揺らすと、すぐ側に控えていた職員が「時間だ」と言って俺をまたあの部屋へ追い返そうと急かしてくる。
チリチリと胸を焦がす慟哭も、やはりこの部屋に入れば幾らか和らぎ──そして、急速に冷めていく。まるで自分というキャラクターを、第四の壁から見つめているような、そんな感覚。頭の底まで冷え渡り、人間ではなく機械的に思考を組み立てていくような感覚に襲われる。
キャサリン。
ヒースクリフ。
父さん。
ワザリング・ハイツのあの田園に、せこせこ働くバトラーたちの姿。随分前に亡くなった母さん。あの場所で過ごした思い出。どれもが走馬灯のように頭を過ぎ去り、清濁併せてそれを頭の隅に追いやる。
既に、考えは決まっていた。
昔から────父さんが俺を愛していないと気づき始めてから、ずっと考えていたことだ。「家に帰る」という約束は守るさ。どうせ、期限が来ればワープ列車に乗らされて、強制的に家に送られる。そこで、キャサリンと話す。その後の全てについて、もう自分の中で一つの答えを出していた。
俺はあの場所に必要とされていない。
俺の人生にも、あの場所は必要じゃない。
俺は..........................。