続き。
次回からフィクサーとしての活動が始まります。
家を、出た。
20区行きのワープ列車に乗った10秒足らずの間ではなく、今までに何度も何度も悩み考え、そして辿り着いた結論がこれだった。もうあの場所は、俺にとって根差した木のようにキツく俺の心を縛り上げる呪いの場所に過ぎなかったから。苦悶と執着が脳裏を侵すことは耐え難いことだ。もうあの場所には何もない。
俺の居場所、幸せ、未来。
何もかもが零れ落ちて、どこにもなかったから。
家を出ると心に堅く誓ってからは、行動が早かった。
無論、14歳の子供が独りで生きられるほど都市は優しい場所ではないし、向こう見ずに飛び出すほど馬鹿でもない。独りで生きると選択した以上、その道を見つけなければならないが────幸い、その手段はすぐ手元にあった。
父さんが残した莫大な遺産、八十億
まず手をつけたのは強化施術。
金持ちが頑丈になるための生半可なものなんかじゃなく、一級フィクサーや翼の五級職員が受けるような最高級のものを選択した。コネがないと受けられないようなものは当然選択できなかったので、あくまでも自分に手が出せる範囲内、ということにはなるが。筋力と、再生力、加えて頑丈さ..........諸々のオプションはあったけれど、どれもが目を疑うような高額、そしてそれに見合うほどの性能はあった。遺産の七割ほどを既にここに費やしたのは痛かったけれども、その甲斐あってか車に轢かれたぐらいじゃかすり傷一つ負わないほど丈夫な肉体に仕上がった。が、ただ頑丈なだけの
そのため、次手を出したのはR社が提供する戦闘訓練プログラムだ。
R社は傭兵派遣により都市の軍事力の一翼を担っているが、それはつまり
独りで生きる為の力を得るにはお誂え向きだったというのもあるが、何よりも、合宿に行っている間はあの二人と顔を合わせるようなことがない、というのが一番良かった。13区から帰ってきて、泣き腫らした妹の目や、出会った時のように目を伏せて俯くヒースクリフの顔を見た時の俺の心境は..........言葉じゃ、到底表せないような酷いもんだった。
このことを伝えると、周り、というよりもキャサリンは特に強く反対したが、バトラー────母さんの亡霊に取り憑かれて頭がイカれたジョゼフィーヌの奴は、「これで厄介払いができる」と喜んで俺の背を後押しした為、そして俺自身が望んでいるということもあって、結局俺の
今では保護者代わりとなっているバトラーたちに契約書面を用意させ、代金を必要額振り込み、18区から職員が来て諸々の説明をして。そして具体的な日程と、訓練の内容、三年という期間まで決まり、何の問題もなく事は進んでいった。
そう............何も問題はない。
追い縋る妹の手を振り払ったことも。
その時心が酷く痛んだことも。
思い出を全て捨てる選択をしたことも。
問題なんかじゃ、ない。
結局俺が抱える全ての痛みなど、都市の人間なら誰しもが抱えているものの、ほんの僅かなものに過ぎないんだろうから。そんな事は、問題の一つにすらならないだろう。それに目を向けて心を浪費するよりは......目を背けて、別の未来を見てみたかった。だから、家を捨て、家族を捨て、心を闇の底へと押し込めた。心に封をして.......違う方向へと、歩み始めた。
三年が経過した今も、その選択が間違いだったとは思わない。魂が死に、あの屋敷の中に閉じ込められるよりは泥臭くとも誰にも依らない道を選んだ方が良いと、そう思う。
合宿の最終日が過ぎ──R社、俺たちの訓練を担当していたネズミチームの現役メンバーからいくつかの事務的な説明を受ける。そして同期たちに別れの言葉を述べた後、日が登ったあたりでワープ列車に乗り込み、かつて20区へ帰った時と同じようにほんの10秒ほどを過ごした後、見慣れたくすんだ色の空気が肺に深く入り込んできた。
ホームから出て、パキパキと手を鳴らして体を解す。
ワザリング・ハイツに戻る気はない。都市で一人生きるには基本、どこかの企業に属するか、フィクサーになるかの二択だ。裏路地の人間なら、そこに五本指という選択肢が追加されるだろうか。とはいっても、企業──翼に属するつもりなら、こんなふうに三年を過ごしたりせずに高校や大学に通っている。頭ん中に残された道は一つだけだ。
フィクサーとして生きる。
色を付与されたいだとか、1級になりたいだとか、そんな野心はない。ただ、自由に生きられるその道は、今の俺が求めもがいて仕方ないのない光そのものだったから、必然的にその方へを足の歩みは進んでいった。
20区にあるハナ協会の事務局を目指す道すがら、歩みを止めない人々をその視界に留めた。持っている時間によって、その速度はまちまちだったが、皆一様に都市の歯車として忙しなく動き続けているという意味で同じだった。俺もその内の一つなのだろう。歩みを止めず、ただ生きるだけ。それを以って、この無情なる都市は回り続けている。
裏路地では掃除屋が子供を連れ去り食い物にし、五本指は保護費と称して人々のなけなしの金を奪っている。フィクサーたちはそれぞれの目的の為、日々その力を奮い続け、翼は、そんな大多数の命を奪い踏み躙りながら今日も都市を空に羽ばたかせる役目を担っている。その空には都市の星が煌めき、残酷なまでの輝きで人々を照らしているだろう。
そうして、都市は回る。
与えられた可能性からどんなものを掴みとれるかは、その循環の中で自らがどう生きるかということ......だ。
道が見えない時、どこへどうやって進むべきか分からない時。そんな時、頼れるのは自らの手足だけ。
遺産────使い込んだ10億ばかりを差し引いて、残った数億は必要最低限の金だけ手元に置いて、それ以外は全てキャサリンに渡した。その為今は殆ど無一文に等しい。だから、ここから先にどうなるかは........これからの活躍次第、だろうな。落ちぶれた零細フィクサーとして細々と生きるかもしれないし、あるいは花開いてあの屋敷と変わらない暮らしぶりができるかもしれない。
それは...........まだ不透明だったとしても、たしかに俺の心に差し込んできた希望の光だった。そこには、この道には、自由がある。未来のことは分からないが、自分で道を切り開くことができる。あの屋敷に囚われていた俺の心を解き放つことも、もしかするとできるかもしれない。そんな希望が、確かに視界の端にちらついていた。
過去への執着、未練。
刺さった楔はまだ胸の内に残っている。
それを一つずつ抜き、完全に自由になった時。
その時を目指して歩み続けるべきだと、そう思う。
確かな思いを胸に秘めながら、俺もまた、名も知らぬ群衆の一人として明活な足音を路傍の中に、都市の片隅に響かせた。
空に浮かんだ灰色が、隙間を見せて動き出す。
その向こう側からは一筋の陽の光が差し込んでいた。
地味にヒンドリー超強化。
この時点では17歳で、L社(ロボトミー社)が設立してから1年程が経過した時期になります。