初戦闘です。
拙い文章ですが楽しんで頂ければ幸いです。
現在時刻2時11分。
裏路地の夜──掃除屋たちが溢れかえる3時13分まで、後一時間といったところ。巣から出ていくつかの準備を整えた俺は依頼書に記載されていた住所のすぐ近くまで来ていた。
ゴミ屋敷と称されるだけあって、異様な匂いがツンと鼻をつく。暗くて少し見えずらいが、ゴミが詰め込まれたビニール袋らしきものもあちこちに散乱している。正直病む者として認定される以前に殺されてもおかしくなさそうなぐらい気持ち
今回依頼を解決するに当たって俺が選んだ方法は、オーソドックスな手法、つまるところ裏路地の夜が始まる3時13分に「病む者」を屋外へ引き摺り出すという陳腐なやり方だ。しかし、効果的だからこそ陳腐と呼ばれる訳で、ありとあらゆる証拠が一切残らないこの81分間は、まさに今回の依頼の解決にうってつけだった。
決行を一時間前にすることにしたのもそうした安牌だ。薬指に証拠を掴まれず、尚且つ自分も余裕を持って屋内へと避難できる。そんな具合の時間。ただ一つ。一つだけ誤算があったとするならば────
「────点描派?」
そいつらは、ベレー帽を被り、巨大な筆のような武器を持った
マエストロは勿論、ドーセントもこの場にはいない。
昼間考えていたように、おそらくは全員スチューデントだ。ただ予想外なのは、こんな裏路地の一老人の為にスチューデントを三人も割くということで..........この時ようやく、「病む者」と呼ばれる老人は、俺が考えているよりも深く薬指に根差しているのだと気づいた。
「クソッ........面倒くさいな。薬指があんだけ張り付いてるとしたら、作品がよっぽど優秀だったのか?こんなゴミの山ん中に住んでおいて──いや、だからか?何かを隠して........その為のカムフラージュ?」
一瞬、「病む者」が発する被害症状に薬指も関与しているのではないかという考えが頭の中に過ったが、すぐに振り払う。思った以上に手厚く保護を受けていたことから、薬指にとって、病む者は保護対象の一人程度の存在でないことは確かだけれど。それについて俺があれこれ頭を捻っても仕方がないし、確かめる術もない。まして、今回の依頼は処理。それよりもこの状況をどう切り抜けるかという方が重要だった。
実際、状況は芳しくない。
3時13分までの制限時間一時間以内に、あそこにいるスチューデントたちに気づかれず、尚且つ「病む者」を路傍に引き摺り出し、屋内に入れないようにする必要が出てきた。病む者単体なら何でもないが、その上更にスチューデント三名にバレないように動くとなると一気に難易度が跳ね上がる。仮に首尾よく事が運んだとしても3時13分からの81分間を凌ぐ為にあの三人がゴミ屋敷に足を踏み入れたりしたら最悪だ。病む者が屋内にいない事がバレるのは良いとしても、そこから何かしらの痕跡を見つけられるのは不味い。芋蔓式にハナ協会、そして俺の存在にたどり着くことも薬指が本腰を上げて捜せば十分可能だろうから。
となれば...........別の方法を採るしかない。
「────殺す、しかないか」
三人を殺す。
その後、「病む者」も屋外に引き摺り出す。
病む者に関しては最悪死体にしても構わないだろう。どうせ一時間後には掃除屋が波のように押し寄せて肉片も血痕も残しはしない。少なくともあの三人を切り抜けて病む者を暗殺するような技術は持ち合わせていなかったし、この三年で習った技術は、どちらかといえば音も立ち血もドバドバ噴き出る類のものだから尚更だ。
足を乗せていた家屋の屋根裏から、ひょいと6mほどの距離を飛び越え、地面にすとんと着地する。派手な音は出ないが、それでも暗所で動く物体は嫌でも目につくものである為、下っ端とはいえ護衛を任せられるほどの人間なら既に此方を感知しているかもしれない。
手に武器は持たない。
いや、良い工房の武器を持ちたいのは山々だけれども、生憎その為の金は既に妹に残して手元にない。使いたいならこれから懸命に稼いでいく必要がある。その為にも────張り切って、依頼解決に向けて動き出すとしよう。今回使うのは己の拳一つのみ、だ。
どうせ戦うのなら、ということであえて身は隠さないことにした。暗所から不意打ちする優位性はあえて捨てる。コソコソ影から攻撃したとして、それに怯えて逃げられても面倒だ。
地面の砂を踏みしめ、堂々と姿を現す。
三人のスチューデントたちは、ちょうどゴミ屋敷の玄関先で何かを話しているところだった。白の制服に染みついた絵具の斑点が、街灯の鈍い光を反射している。その筆の穂先──人の肌を簡単に突き破れるほど鋭利な──の先端からは液体が垂れ、地面に赤色の染みを作っていた。
これは..........血か。
一番右側のスチューデントが、先に俺に気づいた。
視線が合った瞬間、彼女は仲間に短く合図を送り、三人が一斉に構えを取る。統率が取れている。単なる烏合の衆じゃない。
「..........裏路地の住人じゃなさそうだね」
一人が、唇を歪めながら言った。若い女だ。神経質そうな吊り目に、か細い印象を受ける肢体。長い金髪を一本にまとめてベレー帽の下に隠している姿はとても様になっていた。脇に挟むようにして筆を此方に突き出し、きゅっと引き締めた表情からは相当な警戒が見てとれる。横に並ぶ二人も似たような表情だ。
「この時間にふらふら歩いてる奴がどんな連中で、どんな狙いかはよく知ってる。ここの爺さん殺しに来たんだろ。今までも何人ものフィクサーがその為に来て、その度に私が作品に仕立てあげたけど──あんたは、絵にはならなそうだ」
「は────そりゃそうだろ。今日地面に真っ赤な絵の具ぶち撒けるのはお前らなんだからな」
売り言葉に、買い言葉。
俺がそう返すと女の視線は更に鋭く光り、強く俺の顔を睨め付けてきた。他のスチューデントたちは、表情ではなく行動でその意思を示して今にも飛びかかってきそうな勢いだ。
「........勇ましいな。我々三人相手取るつもりか?精々が低ランクの依頼だけこなすフィクサーの身分だろうに。余程、生に執着がないと見た。あるいは己の力量を見誤ったか?いずれにせよ───飛んで火にいる夏の虫とはまさにこの事よ。まさかこんな場所にまで画材が態々飛び込んで来てくれるとはな」
隣の男はそう吠えた。
今度は、先程の女に比べて少し歳を食ったような印象が残る。目が細く、やけに整えられて二本に纏められた髭を口元に蓄えている。ニタニタと、此方を嘲笑うように口火を切ったものの、その目は少しも笑っていない。此方の一挙手一投足をジロジロと観察し、言動とは裏腹に警戒を緩めていない様子だ。
残る一人もまた同様。
「芸術家に言葉は不要」とでも言わんばかりに口を固く閉ざし、此方の様子を伺っている。無表情で、生気を感じさせない痩せこけた頬で......しかし三人の中では最も強い殺意をこちらに向けて放っている。おそらく、この中で一番強いのは奴だろう。
三者三様、みなそれぞれの思惑をかざしているが.......「俺を殺す」という確かな意思だけは共有されていた。リーダー格と思わしき最初の女が一歩前へ踏み込む。今になるまでに既に何人か殺しているのか、筆から滴る血は大きな赤い水溜まりを作っていた。
「..............いいわ。ドーセント様は襲撃者の扱いについて何もおっしゃらなかった。あんたは骨や皮まで余すことなく使ってあげるッ!」
「────やってみろ」
俺は息を一度だけ吐き出し、肩を落とした。
張り詰めた夜気の中、足元の砂がわずかに擦れる音だけが響く。瞬間、女の靴先が地を蹴った。
白い筆が閃き、闇を裂くように振るわれる。
絵具を弾くような空気の裂け音。
彼女の姿は残像を残して掻き消え、わずかに遅れて生臭い風が顔を撫でた。
少し遅れて地を蹴った二人が、俺を取り囲むように三方へ散開していく。血の匂い、鉄臭が夜気に溶けて鼻腔をくすぐる。彼らはそれに眉一つ動かすことなく、口角を三日月のように引き上げた──まるで、これから描き出す絵を愉しむかのように。
女が筆を一閃させる。俺はわずかに体を傾けて線をかわし、追撃の突きや足払いを流れるように受け流す。距離を取り、後方へ五メートルほど跳び退くと、視界の中に整然と整列した三つの笑みが入った。狂気を貼り付けた顔がこちらを凝視している。
三人が同時に、再び駆け出す。筆を払い、先端に付着していた血を弾丸のように
「──────んなッ!?」
俺は首をわずかに振り、血弾を避け、脚に力を込めた。距離を詰める。狙いは、さっき"一番強い"と見切った、痩せた男の腹だ。音速──とまではいかなくとも、肉眼で目視できないような速度で下から突き上げるようにして拳を振り抜く。
痩せた男は驚愕に表情を染め。
次の瞬間には、その全てが苦悶に塗り潰される。
メキリ、と。