Fate/You Died.   作:助兵衛

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第93話 三度現る

 意識は、まるで底なしの水底から無理やり引き上げられるように、荒々しく浮上してきた。

 

「――ッ!!」

 

 肺が悲鳴を上げる。空気を吸うという行為そのものが、痛みを伴って喉を通る。

 

 誠はほとんど反射で上体を跳ね起こした。

 

 視界はまだ定まらない。暗い。輪郭がぼやけている。それでも、確認よりも先に身体が動く。

 

 もう、何度も繰り返した。

 

 見てからでは遅い。

 

 考えてからでは、喰われる。

 

「来る……ッ!」

 

 掠れた声と同時に、誠は掌を前へ突き出した。

 

 熱が集まる。溜める余裕などない。制御も半ば放棄したまま、ただ“そこにいるはずの何か”へ向けて叩きつける。

 

 炎が爆ぜた。

 

 狭い地下牢の空気を一瞬で押し広げるように、橙の光が闇を裂く。壁も床も、濡れた石の表面も、すべてが一瞬だけ浮かび上がる。

 

 そして――いた。

 

 灯りが届くよりも前から、そこに潜んでいたもの。

 

 低く身を伏せ、跳躍の直前で凝縮された筋肉。濁った目が炎を反射し、その存在をあまりにも遅れて主張する。

 

「――ッ!」

 

 炎が、直撃する。

 

 距離は近い。避ける余地はない。焼ける音が、ほとんど同時に耳へ届いた。毛が燃え、皮膚が裂け、肉が炭化していく臭気が一気に広がる。

 

 獣は、声すら上げきれないまま炎に呑まれた。

 

 誠は間髪入れず、さらに掌を押し出す。逃げる隙を与えない。焼き切る。押し潰すように、火を叩き込む。

 

 数秒。

 

 それだけで、動きは完全に止まった。

 

 黒く崩れた肉塊が、音もなく床へ落ちる。

 

「……は、っ……!」

 

 誠は肩で息をしながら、焼け焦げたそれを見下ろす。

 

 成功した。今度は、先に撃てた。潜んでいた個体を、奇襲される前に潰せた。

 

 だが――

 

 それで終わりではないことを、身体が先に理解している。

 

「どうせ、まだまだいるんだろ――」

 

 言い切る前に、空気が動いた。

 

 風。

 

 いや、違う。

 

 もっと重い、質量を伴った何かが落ちてくる気配。

 

 誠の視線が、弾かれるように上へ向く。

 

 天井付近の暗がり。その中で、わずかに歪んだ影が、こちらへ向かって一直線に落下していた。

 

「――ッ!?」

 

 反応が、ほんのわずか遅れる。

 

 上から。

 

 速い。

 

 一直線。

 

 狙いは、明確に――首。

 

「くそッ!!」

 

 誠は咄嗟に身体を捻る。腕を上げ、防ごうとする。だが、体勢が整っていない。踏み込みもない。炎を撃つにも角度が足りない。

 

 獣の顎が開く。

 

 牙が、喉元へ迫る。

 

 誠は、反射で腕を突き出した。

 

 咄嗟だった。考えたわけではない。ただ――首を守る。その一点だけを、身体が勝手に選んでいた。

 

 次の瞬間。

 

「――ッ!!」

 

 牙が、腕へ食い込む。

 

 骨ごと砕くような衝撃。皮膚が裂け、肉が引き剥がされる感触が、生々しく神経を逆撫でする。喉ではない。致命には至らない。

 

 だが。

 

 軽くもない。

 

 深い。

 

 あまりにも深く、食い込んでいた。

 

 血が、噴き出す。

 

 一拍遅れて、熱が腕全体を焼くように広がる。脈打つたびに、外へ外へと押し出される。止まらない。押さえる暇もない。

 

 誠は、歯を食いしばった。

 

「……っ、ぐ……!」

 

 痛みで視界が揺れる。それでも、意識はまだ落ちていない。落とさない。

 

 分かっている。

 

 これは――

 

 時間制限だ。

 

 放っておけば、そのうち死ぬ。

 

 だが、それでいい。

 

 それで、構わない。

 

 むしろ。

 

 それを、前提にしていた。

 

 誠の口が、ゆっくりと開く。

 

 血の匂いと、鉄の味が喉に満ちる中で。

 

 覚えたばかりの言葉を、無理やり引きずり出すように。

 

「……素に星と海――」

 

 掠れた声。

 

 だが、確かに音になる。

 

 獣はまだ腕に噛みついたまま、肉を引き千切ろうとしている。だが、誠はそれを振り払わない。

 

 振り払えば、詠唱が途切れる。

 

 それだけは、許さない。

 

「……礎に灰と、冒涜の隠遁者……祖には……我が恩師、ゲールマン……」

 

 痛みが増す。

 

 血が流れる。

 

 意識が、少しずつ削れていく。

 

 それでも、言葉は止めない。

 

 夢の中で聞いた声を、なぞるように。

 

 違えないように。

 

「……降り立つ風には、壁を……四方の門は閉じ……王冠より出で……王国に至る三叉路は、循環せよ……」

 

 地下牢の空気が、変わる。

 

 熱とも冷気ともつかない何かが、周囲に滲み始める。

 

 獣の動きが、わずかに鈍る。

 

 理解していない。

 

 だが、本能が何かを感じ取っている。

 

 それでも、牙は離れない。

 

 さらに食い込む。

 

 誠の腕から、血が溢れ続ける。

 石畳に流れ落ちた血が、奇怪な魔方陣を形成し、淡く輝き出す。

 

「……閉じよ……閉じよ……閉じよ……閉じよ……閉じよ……」

 

 繰り返す。

 

 一つずつ。

 

 確かめるように。

 

 そのたびに、何かが積み重なっていく。

 

 空間が、歪む。

 

「……繰り返すつどに、五度……ただ、満たされる刻を――破却する……」

 

 視界が揺れる。

 

 意識が、落ちかける。

 

 それでも。

 

 最後だけは、落とさない。

 

「―――――Anfang」

 

 短く。

 

 だが、明確に。

 

 空気が、軋む。

 

「――――――告げる」

 

 言葉が、重く沈む。

 

「――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に」

 

 獣が、ようやく異変を察したのか、腕を離そうとする。

 

 だが、遅い。

 

 誠の指が、逆にその頭を掴む。

 

 逃がさない。

 

 最後まで。

 

「……聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば――応えよ」

 

 血が、床を濡らす。

 

 広がる。

 

 だが、それすらも、今はただの“代価”に過ぎない。

 

「……誓いを此処に」

 

 声が、低くなる。

 

 芯を持つ。

 

「我は常世総ての善と成る者――」

 

 一拍。

 

「我は常世総ての悪を敷く者」

 

 空間が、軋む。

 

 地下牢の石壁が、微かに震える。

 

 目に見えない何かが、上から降りてくる。

 

「……汝三大の言霊を纏う七天……抑止の輪より来たれ――」

 

 誠の視線が、真っ直ぐに前を向く。

 

 ベルトに挟んでいた鋸鉈が、転がり落ちた。

 狩人の夢から持ち出したそれが、更なる狩りを待ち望むかのように怪しく光る。

 

「――天秤の守り手よ―――!」

 

 詠唱が、終わった。

 

 瞬間。

 

 地下牢の空気が、裂ける。

 

 光が爆ぜる、というより、暗闇そのものがひび割れた。石床に広がった血の魔方陣が、赤黒い輝きを帯びて脈動し、転がった鋸鉈がその中心で一度だけ震える。

 

 獣が、誠の腕を噛み砕こうと顎に力を込めた。

 

 骨が軋む。

 

 血が跳ねる。

 

 だが――それ以上は、進まなかった。

 

 誰かの手が、床に転がった鋸鉈を拾い上げていた。

 

 誠の視界の端で、煤けた革手袋が柄を掴む。次の瞬間、鈍い金属音と共に鋸鉈の刃が開き、地下牢の薄闇の中で獣の首筋へ吸い込まれるように走った。

 

 鋭い音はしない。

 

 肉を断つ、湿った音だけが響く。

 

 獣の首が、半ばまで掻き切られた。

 

 牙が緩む。

 

 誠の腕から顎が外れ、獣の身体が横へ吹き飛ぶように倒れ込む。痙攣する脚が石床を掻き、裂けた喉から黒い血を撒き散らしたが、それもすぐに止まった。

 

「……っ、は……!」

 

 誠は腕を押さえながら、荒く息を吐く。

 

 助かった。

 

 そう理解するより早く、目の前に立つ影へ視線が吸い寄せられた。

 

 女だった。

 

 血と煤に汚れた、中世の狩人服。

 

 革と布を重ねたようなその装いは、マリアのものと確かに共通している。長く獣を追い、返り血を浴び、何度も焼け跡を歩いてきたような服。人間のためというより、獣を殺すために作られた衣装。

 

 だが、姿そのものはまるで違った。

 

 小さい。

 

 誠より、頭ひとつは低い。

 

 髪は傷み、ぼさぼさに乱れ、顔には煤と返り血がこびりついている。マリアのような妖艶さも、余裕も、相手を飲み込むような圧もない。むしろ、薄汚れた路地裏で生き延びてきた野良犬のような、頼りなく尖った気配を纏っていた。

 

 幼い。

 

 ちんちくりん、と言ってしまえば身も蓋もない。

 

 それでも。

 

 その手に握られた鋸鉈だけは、異様なほど自然だった。

 

 女狩人は、倒れた獣を一瞥する。

 

 まだ動く可能性を確かめるように、刃先で軽く喉を押さえたあと、ゆっくりと誠へ顔を向けた。

 

 目が合う。

 

 誠は、息を呑んだ。

 

 マリアではない。

 

 間違いなく、違う。

 

 だが、同じ系譜にいる。

 

 そう直感できる何かが、その目の奥にあった。

 

「……お前が」

 

 女狩人の声は低く、少し掠れていた。

 

 警戒と疲労と、わずかな不機嫌が混ざった声。

 

「あたしのマスターか」

 

「……そうだ」

 

 誠は、噛まれた腕を押さえながら答えた。

 

 声は掠れている。失血のせいで視界の端が暗くなりかけていたが、それでも今ここで黙るわけにはいかなかった。

 

「たぶん、俺が呼んだ。少なくとも、あの詠唱をしたのは俺だ」

 

 女狩人は、じっと誠を見た。

 

 血と煤に汚れた顔。ぼさぼさの髪。小柄な体格。

 

 だが、その目だけは獣のように鋭い。

 

「そうか」

 

 短く言う。

 

 そして、触媒に使った鋸鉈を肩に担いだ。

 

「あたしはアサシン」

 

 一拍。

 

「名前はない」

 

「……名前が、ない?」

 

「ない」

 

 ぶっきらぼうに返すと、アサシンはそれ以上説明する気もないように踵を返した。

 

 地下牢の扉へ向かって、さっさと歩き出す。

 

「おい、待て!」

 

 誠は慌てて立ち上がろうとして、腕の痛みに顔をしかめた。

 

 血はまだ止まらない。噛み跡は深く、袖は赤黒く濡れている。それでも、ここで置いて行かれるわけにはいかなかった。

 

 壁に手をつき、ふらつきながら後を追う。

 

「勝手に行くなよ。呼んだばっかりなんだぞ」

 

「ここに留まる理由がない」

 

 アサシンは振り返らない。

 

 そのまま、迷いなく地下牢の外へ出る。暗い廊下の奥からは、低い唸り声と、爪が石床を掻く音が聞こえていた。

 

 誠は歯を食いしばりながら歩幅を合わせる。

 

「もっとお前のことを教えてくれ。何ができるのか、どう戦うのか、何も分からないんじゃ連携が上手くできない」

 

「連携なんて不要だ」

 

「必要だろ。俺は何回もここで死んで――」

 

 その言葉が終わるより早く、廊下の脇の暗がりが膨らんだ。

 

 獣。

 

 壁と影の境目に潜んでいたそれが、誠ではなくアサシンの横腹へ向かって飛びかかる。

 

 誠は反射的に声を上げかけた。

 

 だが、アサシンの方が速い。

 

 彼女は振り向きもしなかった。

 

 肩に担いでいた鋸鉈が、半円を描いて跳ねる。鈍い金属音と共に刃が開き、暗がりから飛び出した獣の胸を斜めに裂いた。

 

 それだけでは終わらない。

 

 アサシンは踏み込み、裂けた獣の前脚を掴むと、細い身体からは想像できない力でそのまま床へ叩きつけた。骨が砕ける音が響き、続けて鋸鉈の刃が喉元を抉る。

 

 肉が裂け、黒い血が跳ねた。

 

 獣の身体が一度痙攣する。

 

 アサシンは、それをまるで濡れた布切れでも扱うように持ち上げ、廊下の奥へ投げ捨てた。

 

 重い音。

 

 獣は、もう動かない。

 

「……」

 

 誠は、言葉を失った。

 

 アサシンは血のついた鋸鉈を軽く振る。

 

 刃に絡んだ肉片が、石床へ落ちた。

 

「連携は必要ない、獣はあたしが殺す。マスターは後ろにいろ」

 

 誠は、その光景を黙って見ていた。

 

 短い。

 

 無駄がない。

 

 速い。

 

 そして――確実に殺す。

 

 さっきまで地下で相手取っていた獣と、今のそれは何も変わらないはずだった。数も、質も、理不尽さも。だが、目の前の女は、それを“脅威”として扱っていない。ただの処理対象として、順番に潰しているだけだ。

 

「じゃあせめて、呼び名、どうにかならないか」

 

 アサシンの足が、ほんのわずかに止まった。

 

「何が」

 

「アサシンって呼び続けるの、やりにくいんだよ」

 

 誠は肩を竦める。

 

「お前だけじゃないんだよ、アサシン。せめて区別のつく名前が欲しい」

 

「いらない」

 

「いる」

 

「いらない」

 

「いる……はあ」

 

 即答の応酬。

 

 アサシンは明らかに面倒そうに息を吐いた。

 

 だが、誠は引かない。

 

「前の――お前の別側面というか、別の狩人は」

 

 少しだけ言い淀む。

 

「マリアって名乗ってた」 

 

 その瞬間。

 

 アサシンが、ぴたりと止まった。

 

 ゆっくりと、振り返る。

 

 その顔は――今まで見せたことのない表情だった。

 

「……は?」

 

 一拍。

 

 目が、わずかに見開かれる。

 

「……そう名乗ってたのか!?」

 

 明らかな驚き。

 

 信じられない、という顔。

 

 誠は思わず瞬きをした。

 

「なんでわざわざそんな……」

 

 誠は苦笑する。

 

「じゃあ、なんて呼べばいいんだよ」

 

「……」

 

 アサシンは、少しだけ黙った。

 

 歩みを緩め、視線を前に向けたまま。

 

 そして、面倒そうに口を開く。

 

「名前は、忘れたんだよ」

 

「……は?」

 

 誠の足が止まる。

 

 アサシンは気にせず歩き続ける。

 

「覚えてるのは……」

 

 一拍。

 

「病気の治療のために、とある街に行ったことくらいだ」

 

 霧のように曖昧な言い方だった。

 

「それより前は、全部ぼやけてる。名前も、顔も、どうでもいい細かいことも」

 

「……どうでもいいって」

 

「どうでもいい」

 

 即答。

 

 本当に気にしていない声だった。

 

「今、動ける。それで十分だろ」

 

 獣の気配を探るように、わずかに首を動かす。

 

「狩れる。それでいい」

 

 誠は、少しだけ黙った。

 

 失っている。

 

 だが、執着していない。

 

 それが強さなのか、壊れているのかは分からない。

 

 だが――

 

「……じゃあ、余計に呼びにくいだろ」

 

 誠はため息混じりに言う。

 

「アサシン連呼も面倒だし、名無しも困る」

 

「勝手に呼べって言っただろ」

 

「だから困ってるって言ってる」

 

 少しだけ間。

 

 アサシンが、ちらりと横目で誠を見る。

 

 そして。

 

「……」

 

 ほんの少しだけ、考えるように目を細めた。

 

「……もう呼んでたんだろ」

 

「何が」

 

「マリア」

 

 ぶっきらぼうに言う。

 

「さっきから、そっちの方がしっくり来てる顔してる」

 

「いやまあ、それは……」

 

 否定しきれない。

 

 誠は曖昧に言葉を濁す。

 

 アサシンは小さく舌打ちした。

 

「……じゃあ、それでいい」

 

 肩を竦める。

 

「どうせ他に思いつかないんだろ……別にその名前が嫌いって訳じゃない、むしろ──」

 

 ――むしろ。

 

 そこで、言葉が一瞬だけ止まる。

 

 マリアは、ほんのわずかに視線を逸らした。

 

「……なんでもない」

 

 ぶっきらぼうに切り捨てると、再び前へ歩き出す。

 

 誠はそれ以上踏み込まず、隣ではなく半歩後ろに位置を取り直した。

 

 暗い廊下。

 

 湿った石の匂い。

 

 どこかで、爪が擦れる音。

 

 だが、さっきまでのような“死の確定”じみた圧はない。

 

 前を行く背中が、それを消している。

 

「……でさ」

 

 誠は、息を整えながら口を開く。

 

「マリア」

 

「……その呼び方、やっぱり慣れねえな」

 

「我慢しろ」

 

「……チッ」

 

 軽く舌打ちしながらも、歩みは止めない。

 

 そのまま、低く言う。

 

「マスター」

 

「ん?」

 

「とりあえず、どうするんだ」

 

 一拍。

 

 視線は前のまま。

 

 だが、問いは明確だった。

 

「目的。方針。これからどうすんだ」

 

 足音が、一定のリズムで石を打つ。

 

「召喚の時に、多少の情報は流れ込んできたけど、一般常識程度しかもらえてない」

 

 淡々と続ける。

 

 肩に担いだ鋸鉈が、わずかに揺れる。

 

「詳細は、マスターから聞くしかない」

 

 その言葉に、誠は一瞬だけ考えた。

 

 何から話すか。

 

 どこまで話すか。

 

 だが、隠しても仕方がない。

 

「……今な」

 

 誠は、低く言う。

 

「ちょうど“乗り込みに来てる”ところだ」

 

「どこに」

 

「聖杯戦争の監督官」

 

 一拍。

 

「黒野本家」

 

 マリアちの足が、ぴたりと止まった。

 

 ゆっくりと、首だけがこちらへ向く。

 

「……は?」

 

 短い声。

 

 だが、今までとは明らかに違う。

 

「監督官のとこに、乗り込む?」

 

 理解を拒むように、言葉を区切る。

 

「どういうことだ、それ」

 

 目が細くなる。

 

 警戒と、わずかな苛立ち。

 

 誠は、その視線を真正面から受け止めたまま、間を置かずに口を開いた。

 

「元々はさ」

 

 言葉が少しだけ荒い。

 

 だが、止めない。

 

「俺が死ねば、この聖杯戦争終わるらしくてな」

 

 一拍。

 

「だから、不死の俺が“死ねる方法”探しに来た」

 

 歩きながら。

 

 息を整える余裕もなく、言葉だけが先に出る。

 

「けど、ちょっと事情が変わって――」

 

 肩で息をしながら、続ける。

 

「もしかしたら、上手くいけば全部丸く収まるかもしれなくて」

 

 曖昧だが、確信はある。

 

「どっちにしろ、情報が足りない」

 

 短く区切る。

 

「だから、集めに来た」

 

 一歩。

 

「あと今、俺――」

 

 少しだけ視線を逸らす。

 

「黒野本家のサーヴァント?に攫われて、こんなとこに入れられてる」

 

 矢継ぎ早。

 

 ほとんど整理されていない説明。

 

 だが、止めるつもりはなかった。

 

 沈黙。

 

 数秒。

 

 足音だけが、石の上に響く。

 

「……ちょっと待て」

 

 マリアが、片手でこめかみを押さえた。

 

「待て待て待て」

 

 明らかに面倒くさそうな声。

 

 だが、それ以上に。

 

「話についていけない」

 

 率直だった。

 

 その場で立ち止まり、深く息を吐く。

 

「情報量が多すぎる。順番もぐちゃぐちゃだ」

 

 誠は口を閉じた。

 

 マリアは、しばらく黙っていた。

 

 考えている。

 

 珍しく、ちゃんと。

 

 やがて――

 

「……つまり」

 

 ゆっくりと、言葉を選ぶ。

 

「お前は“死ねば終わる存在”で」

 

「……まあ、そうらしい」

 

「なのに死ねない」

 

「そう」

 

「で、死に方探しに来たけど、状況が変わった」

 

「うん」

 

「で、今は敵の本拠地の地下に監禁中」

 

「大体合ってる」

 

 マリアは、しばらく誠を見た。

 

 そして。

 

「……頭おかしい状況だな」

 

「否定はしない」

 

 短く返す。

 

 マリアは小さく息を吐いた。

 

 それから、何かに気づいたように眉を寄せる。

 

「……待て」

 

 一歩、近づく。

 

 誠が少しだけ身構えるより早く――

 

「ちょっと動くな」

 

 ぺた、と。

 

 マリアの手が、誠の胸元に触れた。

 

「おい何して――」

 

「じっとしてろ」

 

 もう一度。

 

 今度は腹。

 

 さらに肩。

 

 ぺたぺたと、まるで確認するように触っていく。

 

 雑だが、妙に的確な手つき。

 

「……ああ」

 

 納得したように、小さく呟く。

 

「なるほどな」

 

 誠は眉をひそめた。

 

「何が」

 

 マリアは、誠の胸元に軽く拳を当てる。

 

 とん、と。

 

「聖杯」

 

 一拍。

 

「お前ン中にあるんだな」

 

 マリアは腕を組んだ。

 

「……ちょっと待てよ?」

 

 マリアは腕を組んだまま、しばらく黙って誠を見ていた。

 

 観察するように。

 

 値踏みするように。

 

 それから、小さく舌打ちする。

 

「……ちょっと待てよ?」

 

 一歩、間を詰める。

 

 視線が、鋭くなる。

 

「お前の話、そのまま飲み込むとだな」

 

 指先で、誠の胸を軽く突く。

 

「聖杯戦争、終わらせる気なんだろ」

 

 誠は、わずかに目を細めた。

 

「……ああ」

 

 短く答える。

 

 マリアは、その返答に対して、あっさりと首を傾げた。

 

「じゃあさ」

 

 一拍。

 

「あたしが協力するメリット、なくないか?」

 

 空気が、わずかに変わる。

 

 軽く言ったようでいて。

 

 中身は、はっきりとした拒絶だった。

 

「……」

 

 誠は黙る。

 

 マリアは続ける。

 

「勘違いすんなよ、マスター」

 

 ぶっきらぼうな声音。

 

 だが、どこか冷静だ。

 

「あたしらサーヴァントはな」

 

 鋸鉈を肩で軽く揺らす。

 

「聖杯に願いを叶えてもらうために呼ばれてんだ」

 

 一歩、踏み出す。

 

 そのまま、横を通り過ぎる。

 

「願いがあるから戦う」

 

「勝ち残るから、意味がある」

 

 短く、断定する。

 

「全部終わらせるって話になるなら――」

 

 振り返らないまま。

 

「それ、あたしにとっては“負け確”と同じだ」

 

 誠の背後で、足音が止まる。

 

 そして。

 

 少しだけ、首だけがこちらを向いた。

 

「色々事情があるのは分かる」

 

 声音が、わずかに落ちる。

 

「お前が普通じゃねえのも、さっきので理解した」

 

 一拍。

 

「でもな」

 

 はっきりと。

 

「それなら、協力なんて出来ねえ」

 

 マリアは、わずかに肩の位置を変えた。

 

 鋸鉈の重みが、ぎしりと革を鳴らす。

 

「なんなら」

 

 一歩、誠へ近づく。

 

 距離が、詰まる。

 

 呼吸が届くほどではないが、間合いとしては十分すぎる。

 

「あんたをここで殺して――」

 

 鋸鉈が、ゆっくりと持ち上がる。

 

 刃が、薄暗い廊下の灯りを鈍く反射した。

 

「黒野本家とやらに差し出してもいいんだぜ、マスター」

 

 軽い調子だった。

 

 だが、その刃の軌道には一切の冗談がない。

 

 振り下ろせば、確実に殺せる距離。

 

 誠は――一歩も引かなかった。

 

 踏みとどまる。

 

 呼吸を整える暇もないまま、重心だけを落とす。

 

 負傷した腕は使えない。

 

 なら、残りでやるしかない。

 

 視線を逸らさない。

 

 逃げない。

 

 炎を出す構えを、最低限の動きで整える。

 

「……やってみるか」

 

 声は低い。

 

 だが、揺れていない。

 

 マリアの目が、わずかに細くなる。

 

 数秒。

 

 沈黙。

 

 空気が張り詰める。

 

 そして――

 

「……は」

 

 小さく、息が漏れた。

 

 次の瞬間。

 

 マリアの肩が、わずかに揺れる。

 

「冗談だよ」

 

 一拍。

 

「半分な」

 

 口元が、歪む。

 

 さっきまでの殺気が、嘘みたいに引いていく。

 

 鋸鉈が、くるりと回され、再び肩へと担がれた。

 

 誠は、構えを解かないまま睨む。

 

「……どっちだよ」

 

「さあな」

 

 マリアは軽く肩を竦めた。

 

 そして、そのまま前へ歩き出す。

 

 背を向ける。

 

 無防備に。

 

 だが、それが油断でないことは、もう分かっている。

 

「この世界には」

 

 ぽつりと、言う。

 

「獣の病が蔓延してる」

 

 足音が、一定のリズムで響く。

 

「多分、あんたの中の聖杯とかが原因なんだろう」

 

 誠は、何も言わない。

 

 マリアは続ける。

 

「それと――歪な聖杯戦争」

 

 短く、吐き捨てるように。

 

「聖杯戦争なんて名ばかりの、蟲毒みたいに悪趣味な儀式だ」

 

 鋸鉈の刃が、肩の上でわずかに鳴る。

 

「仕方ねえから、獣を狩るっていう狩人としての責務を優先させてもらう。マスターの目的とも一致してるみたいだしな」

 

 誠の視線が、わずかに動く。

 

 マリアの背中を追う。

 

 小さい。

 

 頼りなさそうにすら見える。

 

 だが、その歩みは迷いがない。

 

「……じゃあ」

 

 誠が、低く問う。

 

「願いはいいのか」

 

 マリアは、少しだけ間を置いた。

 

 足は止めない。

 

「……まあな」

 

 軽く、答える。

 

「今回は諦めてやるよ」

 

 あっさりと。

 

 だが、軽くはない。

 

「その代わり」

 

 ほんのわずか、声が低くなる。

 

「獣の病は、根絶する」

 

 断言。

 

 迷いはない。

 

 誠は、その言葉を黙って受け止めた。

 

 マリアは振り返らない。

 

 そのまま、また暗い廊下の奥へと進んでいく。

 

「ほら」

 

 ぶっきらぼうに、言う。

 

「突っ立ってねえで来いよ、マスター」

 




クラス:アサシン

真名:マリア(仮称)
出典:不明(狩人)
地域:不明
属性:混沌・中庸
性別:女性

身長・体重:158cm・??kg

■ パラメータ

筋力:C 耐久:C
敏捷:A+ 魔力:D
幸運:D 宝具:B~EX


■ 概要

かつて獣を狩る狩人であった存在の、若き側面にして分岐可能性そのものが結実した姿。

後にバーサーカー、あるいはフォーリナーとして召喚されるに至る存在の“前段階”であり、まだ人の理に留まりながらも、既にその外側へ踏み出す素質を内包している。

この個体は「実際に上位者となった結果」「葬送の狩人となった結果」ではなく、無数の可能性を“実績としてカウントされた存在”である。
ゆえに完成体である他二つの側面ほどの能力は持たない。
しかしあらゆる可能性を常に内包している

未完成であるがゆえに、最も“狩人らしい”形で召喚された側面。

■ クラススキル
■ 気配遮断:A+

存在を環境へ溶け込ませることで完全に隠蔽する。

静止状態においては感知は極めて困難。
加えて本個体は、攻撃動作直前まで気配を曖昧化できるため、
実戦ではランク以上の奇襲性能を発揮する。

保有スキル

狩人の直感:A

死地を潜り続けたことで獲得した異常な戦闘感覚。

死角・殺意・行動の“起点”を感覚的に捉える。
フォーリナー時の「多層観測」ほどではないが、
純粋な戦闘適応としては最も完成度が高い段階。

獣狩り:A

獣、ならびに理性を逸脱した存在への特効。

バーサーカー・フォーリナー時よりも“純化”されており、
この段階ではまだ明確に「狩る側」の性質が強い。

未踏の可能性:A

本個体の核となるスキル。

「上位者へ至る可能性」
「無数の狩りを経て変質する未来」
それらが“未確定のまま重ね合わされている状態”。

生存本能:B+

極限状況において致命を回避する能力。

理性ではなく経験による反射。
死線を越えるほど精度が増す。

啓蒙(未成熟):C

前段階の認識拡張。

異常の兆候を感知
幻術・隠蔽への耐性

ただし完全な“視認”には至らず、
まだ人間としての認識に留まる。
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