意識は、まるで底なしの水底から無理やり引き上げられるように、荒々しく浮上してきた。
「――ッ!!」
肺が悲鳴を上げる。空気を吸うという行為そのものが、痛みを伴って喉を通る。
誠はほとんど反射で上体を跳ね起こした。
視界はまだ定まらない。暗い。輪郭がぼやけている。それでも、確認よりも先に身体が動く。
もう、何度も繰り返した。
見てからでは遅い。
考えてからでは、喰われる。
「来る……ッ!」
掠れた声と同時に、誠は掌を前へ突き出した。
熱が集まる。溜める余裕などない。制御も半ば放棄したまま、ただ“そこにいるはずの何か”へ向けて叩きつける。
炎が爆ぜた。
狭い地下牢の空気を一瞬で押し広げるように、橙の光が闇を裂く。壁も床も、濡れた石の表面も、すべてが一瞬だけ浮かび上がる。
そして――いた。
灯りが届くよりも前から、そこに潜んでいたもの。
低く身を伏せ、跳躍の直前で凝縮された筋肉。濁った目が炎を反射し、その存在をあまりにも遅れて主張する。
「――ッ!」
炎が、直撃する。
距離は近い。避ける余地はない。焼ける音が、ほとんど同時に耳へ届いた。毛が燃え、皮膚が裂け、肉が炭化していく臭気が一気に広がる。
獣は、声すら上げきれないまま炎に呑まれた。
誠は間髪入れず、さらに掌を押し出す。逃げる隙を与えない。焼き切る。押し潰すように、火を叩き込む。
数秒。
それだけで、動きは完全に止まった。
黒く崩れた肉塊が、音もなく床へ落ちる。
「……は、っ……!」
誠は肩で息をしながら、焼け焦げたそれを見下ろす。
成功した。今度は、先に撃てた。潜んでいた個体を、奇襲される前に潰せた。
だが――
それで終わりではないことを、身体が先に理解している。
「どうせ、まだまだいるんだろ――」
言い切る前に、空気が動いた。
風。
いや、違う。
もっと重い、質量を伴った何かが落ちてくる気配。
誠の視線が、弾かれるように上へ向く。
天井付近の暗がり。その中で、わずかに歪んだ影が、こちらへ向かって一直線に落下していた。
「――ッ!?」
反応が、ほんのわずか遅れる。
上から。
速い。
一直線。
狙いは、明確に――首。
「くそッ!!」
誠は咄嗟に身体を捻る。腕を上げ、防ごうとする。だが、体勢が整っていない。踏み込みもない。炎を撃つにも角度が足りない。
獣の顎が開く。
牙が、喉元へ迫る。
誠は、反射で腕を突き出した。
咄嗟だった。考えたわけではない。ただ――首を守る。その一点だけを、身体が勝手に選んでいた。
次の瞬間。
「――ッ!!」
牙が、腕へ食い込む。
骨ごと砕くような衝撃。皮膚が裂け、肉が引き剥がされる感触が、生々しく神経を逆撫でする。喉ではない。致命には至らない。
だが。
軽くもない。
深い。
あまりにも深く、食い込んでいた。
血が、噴き出す。
一拍遅れて、熱が腕全体を焼くように広がる。脈打つたびに、外へ外へと押し出される。止まらない。押さえる暇もない。
誠は、歯を食いしばった。
「……っ、ぐ……!」
痛みで視界が揺れる。それでも、意識はまだ落ちていない。落とさない。
分かっている。
これは――
時間制限だ。
放っておけば、そのうち死ぬ。
だが、それでいい。
それで、構わない。
むしろ。
それを、前提にしていた。
誠の口が、ゆっくりと開く。
血の匂いと、鉄の味が喉に満ちる中で。
覚えたばかりの言葉を、無理やり引きずり出すように。
「……素に星と海――」
掠れた声。
だが、確かに音になる。
獣はまだ腕に噛みついたまま、肉を引き千切ろうとしている。だが、誠はそれを振り払わない。
振り払えば、詠唱が途切れる。
それだけは、許さない。
「……礎に灰と、冒涜の隠遁者……祖には……我が恩師、ゲールマン……」
痛みが増す。
血が流れる。
意識が、少しずつ削れていく。
それでも、言葉は止めない。
夢の中で聞いた声を、なぞるように。
違えないように。
「……降り立つ風には、壁を……四方の門は閉じ……王冠より出で……王国に至る三叉路は、循環せよ……」
地下牢の空気が、変わる。
熱とも冷気ともつかない何かが、周囲に滲み始める。
獣の動きが、わずかに鈍る。
理解していない。
だが、本能が何かを感じ取っている。
それでも、牙は離れない。
さらに食い込む。
誠の腕から、血が溢れ続ける。
石畳に流れ落ちた血が、奇怪な魔方陣を形成し、淡く輝き出す。
「……閉じよ……閉じよ……閉じよ……閉じよ……閉じよ……」
繰り返す。
一つずつ。
確かめるように。
そのたびに、何かが積み重なっていく。
空間が、歪む。
「……繰り返すつどに、五度……ただ、満たされる刻を――破却する……」
視界が揺れる。
意識が、落ちかける。
それでも。
最後だけは、落とさない。
「―――――Anfang」
短く。
だが、明確に。
空気が、軋む。
「――――――告げる」
言葉が、重く沈む。
「――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に」
獣が、ようやく異変を察したのか、腕を離そうとする。
だが、遅い。
誠の指が、逆にその頭を掴む。
逃がさない。
最後まで。
「……聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば――応えよ」
血が、床を濡らす。
広がる。
だが、それすらも、今はただの“代価”に過ぎない。
「……誓いを此処に」
声が、低くなる。
芯を持つ。
「我は常世総ての善と成る者――」
一拍。
「我は常世総ての悪を敷く者」
空間が、軋む。
地下牢の石壁が、微かに震える。
目に見えない何かが、上から降りてくる。
「……汝三大の言霊を纏う七天……抑止の輪より来たれ――」
誠の視線が、真っ直ぐに前を向く。
ベルトに挟んでいた鋸鉈が、転がり落ちた。
狩人の夢から持ち出したそれが、更なる狩りを待ち望むかのように怪しく光る。
「――天秤の守り手よ―――!」
詠唱が、終わった。
瞬間。
地下牢の空気が、裂ける。
光が爆ぜる、というより、暗闇そのものがひび割れた。石床に広がった血の魔方陣が、赤黒い輝きを帯びて脈動し、転がった鋸鉈がその中心で一度だけ震える。
獣が、誠の腕を噛み砕こうと顎に力を込めた。
骨が軋む。
血が跳ねる。
だが――それ以上は、進まなかった。
誰かの手が、床に転がった鋸鉈を拾い上げていた。
誠の視界の端で、煤けた革手袋が柄を掴む。次の瞬間、鈍い金属音と共に鋸鉈の刃が開き、地下牢の薄闇の中で獣の首筋へ吸い込まれるように走った。
鋭い音はしない。
肉を断つ、湿った音だけが響く。
獣の首が、半ばまで掻き切られた。
牙が緩む。
誠の腕から顎が外れ、獣の身体が横へ吹き飛ぶように倒れ込む。痙攣する脚が石床を掻き、裂けた喉から黒い血を撒き散らしたが、それもすぐに止まった。
「……っ、は……!」
誠は腕を押さえながら、荒く息を吐く。
助かった。
そう理解するより早く、目の前に立つ影へ視線が吸い寄せられた。
女だった。
血と煤に汚れた、中世の狩人服。
革と布を重ねたようなその装いは、マリアのものと確かに共通している。長く獣を追い、返り血を浴び、何度も焼け跡を歩いてきたような服。人間のためというより、獣を殺すために作られた衣装。
だが、姿そのものはまるで違った。
小さい。
誠より、頭ひとつは低い。
髪は傷み、ぼさぼさに乱れ、顔には煤と返り血がこびりついている。マリアのような妖艶さも、余裕も、相手を飲み込むような圧もない。むしろ、薄汚れた路地裏で生き延びてきた野良犬のような、頼りなく尖った気配を纏っていた。
幼い。
ちんちくりん、と言ってしまえば身も蓋もない。
それでも。
その手に握られた鋸鉈だけは、異様なほど自然だった。
女狩人は、倒れた獣を一瞥する。
まだ動く可能性を確かめるように、刃先で軽く喉を押さえたあと、ゆっくりと誠へ顔を向けた。
目が合う。
誠は、息を呑んだ。
マリアではない。
間違いなく、違う。
だが、同じ系譜にいる。
そう直感できる何かが、その目の奥にあった。
「……お前が」
女狩人の声は低く、少し掠れていた。
警戒と疲労と、わずかな不機嫌が混ざった声。
「あたしのマスターか」
「……そうだ」
誠は、噛まれた腕を押さえながら答えた。
声は掠れている。失血のせいで視界の端が暗くなりかけていたが、それでも今ここで黙るわけにはいかなかった。
「たぶん、俺が呼んだ。少なくとも、あの詠唱をしたのは俺だ」
女狩人は、じっと誠を見た。
血と煤に汚れた顔。ぼさぼさの髪。小柄な体格。
だが、その目だけは獣のように鋭い。
「そうか」
短く言う。
そして、触媒に使った鋸鉈を肩に担いだ。
「あたしはアサシン」
一拍。
「名前はない」
「……名前が、ない?」
「ない」
ぶっきらぼうに返すと、アサシンはそれ以上説明する気もないように踵を返した。
地下牢の扉へ向かって、さっさと歩き出す。
「おい、待て!」
誠は慌てて立ち上がろうとして、腕の痛みに顔をしかめた。
血はまだ止まらない。噛み跡は深く、袖は赤黒く濡れている。それでも、ここで置いて行かれるわけにはいかなかった。
壁に手をつき、ふらつきながら後を追う。
「勝手に行くなよ。呼んだばっかりなんだぞ」
「ここに留まる理由がない」
アサシンは振り返らない。
そのまま、迷いなく地下牢の外へ出る。暗い廊下の奥からは、低い唸り声と、爪が石床を掻く音が聞こえていた。
誠は歯を食いしばりながら歩幅を合わせる。
「もっとお前のことを教えてくれ。何ができるのか、どう戦うのか、何も分からないんじゃ連携が上手くできない」
「連携なんて不要だ」
「必要だろ。俺は何回もここで死んで――」
その言葉が終わるより早く、廊下の脇の暗がりが膨らんだ。
獣。
壁と影の境目に潜んでいたそれが、誠ではなくアサシンの横腹へ向かって飛びかかる。
誠は反射的に声を上げかけた。
だが、アサシンの方が速い。
彼女は振り向きもしなかった。
肩に担いでいた鋸鉈が、半円を描いて跳ねる。鈍い金属音と共に刃が開き、暗がりから飛び出した獣の胸を斜めに裂いた。
それだけでは終わらない。
アサシンは踏み込み、裂けた獣の前脚を掴むと、細い身体からは想像できない力でそのまま床へ叩きつけた。骨が砕ける音が響き、続けて鋸鉈の刃が喉元を抉る。
肉が裂け、黒い血が跳ねた。
獣の身体が一度痙攣する。
アサシンは、それをまるで濡れた布切れでも扱うように持ち上げ、廊下の奥へ投げ捨てた。
重い音。
獣は、もう動かない。
「……」
誠は、言葉を失った。
アサシンは血のついた鋸鉈を軽く振る。
刃に絡んだ肉片が、石床へ落ちた。
「連携は必要ない、獣はあたしが殺す。マスターは後ろにいろ」
誠は、その光景を黙って見ていた。
短い。
無駄がない。
速い。
そして――確実に殺す。
さっきまで地下で相手取っていた獣と、今のそれは何も変わらないはずだった。数も、質も、理不尽さも。だが、目の前の女は、それを“脅威”として扱っていない。ただの処理対象として、順番に潰しているだけだ。
「じゃあせめて、呼び名、どうにかならないか」
アサシンの足が、ほんのわずかに止まった。
「何が」
「アサシンって呼び続けるの、やりにくいんだよ」
誠は肩を竦める。
「お前だけじゃないんだよ、アサシン。せめて区別のつく名前が欲しい」
「いらない」
「いる」
「いらない」
「いる……はあ」
即答の応酬。
アサシンは明らかに面倒そうに息を吐いた。
だが、誠は引かない。
「前の――お前の別側面というか、別の狩人は」
少しだけ言い淀む。
「マリアって名乗ってた」
その瞬間。
アサシンが、ぴたりと止まった。
ゆっくりと、振り返る。
その顔は――今まで見せたことのない表情だった。
「……は?」
一拍。
目が、わずかに見開かれる。
「……そう名乗ってたのか!?」
明らかな驚き。
信じられない、という顔。
誠は思わず瞬きをした。
「なんでわざわざそんな……」
誠は苦笑する。
「じゃあ、なんて呼べばいいんだよ」
「……」
アサシンは、少しだけ黙った。
歩みを緩め、視線を前に向けたまま。
そして、面倒そうに口を開く。
「名前は、忘れたんだよ」
「……は?」
誠の足が止まる。
アサシンは気にせず歩き続ける。
「覚えてるのは……」
一拍。
「病気の治療のために、とある街に行ったことくらいだ」
霧のように曖昧な言い方だった。
「それより前は、全部ぼやけてる。名前も、顔も、どうでもいい細かいことも」
「……どうでもいいって」
「どうでもいい」
即答。
本当に気にしていない声だった。
「今、動ける。それで十分だろ」
獣の気配を探るように、わずかに首を動かす。
「狩れる。それでいい」
誠は、少しだけ黙った。
失っている。
だが、執着していない。
それが強さなのか、壊れているのかは分からない。
だが――
「……じゃあ、余計に呼びにくいだろ」
誠はため息混じりに言う。
「アサシン連呼も面倒だし、名無しも困る」
「勝手に呼べって言っただろ」
「だから困ってるって言ってる」
少しだけ間。
アサシンが、ちらりと横目で誠を見る。
そして。
「……」
ほんの少しだけ、考えるように目を細めた。
「……もう呼んでたんだろ」
「何が」
「マリア」
ぶっきらぼうに言う。
「さっきから、そっちの方がしっくり来てる顔してる」
「いやまあ、それは……」
否定しきれない。
誠は曖昧に言葉を濁す。
アサシンは小さく舌打ちした。
「……じゃあ、それでいい」
肩を竦める。
「どうせ他に思いつかないんだろ……別にその名前が嫌いって訳じゃない、むしろ──」
――むしろ。
そこで、言葉が一瞬だけ止まる。
マリアは、ほんのわずかに視線を逸らした。
「……なんでもない」
ぶっきらぼうに切り捨てると、再び前へ歩き出す。
誠はそれ以上踏み込まず、隣ではなく半歩後ろに位置を取り直した。
暗い廊下。
湿った石の匂い。
どこかで、爪が擦れる音。
だが、さっきまでのような“死の確定”じみた圧はない。
前を行く背中が、それを消している。
「……でさ」
誠は、息を整えながら口を開く。
「マリア」
「……その呼び方、やっぱり慣れねえな」
「我慢しろ」
「……チッ」
軽く舌打ちしながらも、歩みは止めない。
そのまま、低く言う。
「マスター」
「ん?」
「とりあえず、どうするんだ」
一拍。
視線は前のまま。
だが、問いは明確だった。
「目的。方針。これからどうすんだ」
足音が、一定のリズムで石を打つ。
「召喚の時に、多少の情報は流れ込んできたけど、一般常識程度しかもらえてない」
淡々と続ける。
肩に担いだ鋸鉈が、わずかに揺れる。
「詳細は、マスターから聞くしかない」
その言葉に、誠は一瞬だけ考えた。
何から話すか。
どこまで話すか。
だが、隠しても仕方がない。
「……今な」
誠は、低く言う。
「ちょうど“乗り込みに来てる”ところだ」
「どこに」
「聖杯戦争の監督官」
一拍。
「黒野本家」
マリアちの足が、ぴたりと止まった。
ゆっくりと、首だけがこちらへ向く。
「……は?」
短い声。
だが、今までとは明らかに違う。
「監督官のとこに、乗り込む?」
理解を拒むように、言葉を区切る。
「どういうことだ、それ」
目が細くなる。
警戒と、わずかな苛立ち。
誠は、その視線を真正面から受け止めたまま、間を置かずに口を開いた。
「元々はさ」
言葉が少しだけ荒い。
だが、止めない。
「俺が死ねば、この聖杯戦争終わるらしくてな」
一拍。
「だから、不死の俺が“死ねる方法”探しに来た」
歩きながら。
息を整える余裕もなく、言葉だけが先に出る。
「けど、ちょっと事情が変わって――」
肩で息をしながら、続ける。
「もしかしたら、上手くいけば全部丸く収まるかもしれなくて」
曖昧だが、確信はある。
「どっちにしろ、情報が足りない」
短く区切る。
「だから、集めに来た」
一歩。
「あと今、俺――」
少しだけ視線を逸らす。
「黒野本家のサーヴァント?に攫われて、こんなとこに入れられてる」
矢継ぎ早。
ほとんど整理されていない説明。
だが、止めるつもりはなかった。
沈黙。
数秒。
足音だけが、石の上に響く。
「……ちょっと待て」
マリアが、片手でこめかみを押さえた。
「待て待て待て」
明らかに面倒くさそうな声。
だが、それ以上に。
「話についていけない」
率直だった。
その場で立ち止まり、深く息を吐く。
「情報量が多すぎる。順番もぐちゃぐちゃだ」
誠は口を閉じた。
マリアは、しばらく黙っていた。
考えている。
珍しく、ちゃんと。
やがて――
「……つまり」
ゆっくりと、言葉を選ぶ。
「お前は“死ねば終わる存在”で」
「……まあ、そうらしい」
「なのに死ねない」
「そう」
「で、死に方探しに来たけど、状況が変わった」
「うん」
「で、今は敵の本拠地の地下に監禁中」
「大体合ってる」
マリアは、しばらく誠を見た。
そして。
「……頭おかしい状況だな」
「否定はしない」
短く返す。
マリアは小さく息を吐いた。
それから、何かに気づいたように眉を寄せる。
「……待て」
一歩、近づく。
誠が少しだけ身構えるより早く――
「ちょっと動くな」
ぺた、と。
マリアの手が、誠の胸元に触れた。
「おい何して――」
「じっとしてろ」
もう一度。
今度は腹。
さらに肩。
ぺたぺたと、まるで確認するように触っていく。
雑だが、妙に的確な手つき。
「……ああ」
納得したように、小さく呟く。
「なるほどな」
誠は眉をひそめた。
「何が」
マリアは、誠の胸元に軽く拳を当てる。
とん、と。
「聖杯」
一拍。
「お前ン中にあるんだな」
マリアは腕を組んだ。
「……ちょっと待てよ?」
マリアは腕を組んだまま、しばらく黙って誠を見ていた。
観察するように。
値踏みするように。
それから、小さく舌打ちする。
「……ちょっと待てよ?」
一歩、間を詰める。
視線が、鋭くなる。
「お前の話、そのまま飲み込むとだな」
指先で、誠の胸を軽く突く。
「聖杯戦争、終わらせる気なんだろ」
誠は、わずかに目を細めた。
「……ああ」
短く答える。
マリアは、その返答に対して、あっさりと首を傾げた。
「じゃあさ」
一拍。
「あたしが協力するメリット、なくないか?」
空気が、わずかに変わる。
軽く言ったようでいて。
中身は、はっきりとした拒絶だった。
「……」
誠は黙る。
マリアは続ける。
「勘違いすんなよ、マスター」
ぶっきらぼうな声音。
だが、どこか冷静だ。
「あたしらサーヴァントはな」
鋸鉈を肩で軽く揺らす。
「聖杯に願いを叶えてもらうために呼ばれてんだ」
一歩、踏み出す。
そのまま、横を通り過ぎる。
「願いがあるから戦う」
「勝ち残るから、意味がある」
短く、断定する。
「全部終わらせるって話になるなら――」
振り返らないまま。
「それ、あたしにとっては“負け確”と同じだ」
誠の背後で、足音が止まる。
そして。
少しだけ、首だけがこちらを向いた。
「色々事情があるのは分かる」
声音が、わずかに落ちる。
「お前が普通じゃねえのも、さっきので理解した」
一拍。
「でもな」
はっきりと。
「それなら、協力なんて出来ねえ」
マリアは、わずかに肩の位置を変えた。
鋸鉈の重みが、ぎしりと革を鳴らす。
「なんなら」
一歩、誠へ近づく。
距離が、詰まる。
呼吸が届くほどではないが、間合いとしては十分すぎる。
「あんたをここで殺して――」
鋸鉈が、ゆっくりと持ち上がる。
刃が、薄暗い廊下の灯りを鈍く反射した。
「黒野本家とやらに差し出してもいいんだぜ、マスター」
軽い調子だった。
だが、その刃の軌道には一切の冗談がない。
振り下ろせば、確実に殺せる距離。
誠は――一歩も引かなかった。
踏みとどまる。
呼吸を整える暇もないまま、重心だけを落とす。
負傷した腕は使えない。
なら、残りでやるしかない。
視線を逸らさない。
逃げない。
炎を出す構えを、最低限の動きで整える。
「……やってみるか」
声は低い。
だが、揺れていない。
マリアの目が、わずかに細くなる。
数秒。
沈黙。
空気が張り詰める。
そして――
「……は」
小さく、息が漏れた。
次の瞬間。
マリアの肩が、わずかに揺れる。
「冗談だよ」
一拍。
「半分な」
口元が、歪む。
さっきまでの殺気が、嘘みたいに引いていく。
鋸鉈が、くるりと回され、再び肩へと担がれた。
誠は、構えを解かないまま睨む。
「……どっちだよ」
「さあな」
マリアは軽く肩を竦めた。
そして、そのまま前へ歩き出す。
背を向ける。
無防備に。
だが、それが油断でないことは、もう分かっている。
「この世界には」
ぽつりと、言う。
「獣の病が蔓延してる」
足音が、一定のリズムで響く。
「多分、あんたの中の聖杯とかが原因なんだろう」
誠は、何も言わない。
マリアは続ける。
「それと――歪な聖杯戦争」
短く、吐き捨てるように。
「聖杯戦争なんて名ばかりの、蟲毒みたいに悪趣味な儀式だ」
鋸鉈の刃が、肩の上でわずかに鳴る。
「仕方ねえから、獣を狩るっていう狩人としての責務を優先させてもらう。マスターの目的とも一致してるみたいだしな」
誠の視線が、わずかに動く。
マリアの背中を追う。
小さい。
頼りなさそうにすら見える。
だが、その歩みは迷いがない。
「……じゃあ」
誠が、低く問う。
「願いはいいのか」
マリアは、少しだけ間を置いた。
足は止めない。
「……まあな」
軽く、答える。
「今回は諦めてやるよ」
あっさりと。
だが、軽くはない。
「その代わり」
ほんのわずか、声が低くなる。
「獣の病は、根絶する」
断言。
迷いはない。
誠は、その言葉を黙って受け止めた。
マリアは振り返らない。
そのまま、また暗い廊下の奥へと進んでいく。
「ほら」
ぶっきらぼうに、言う。
「突っ立ってねえで来いよ、マスター」
クラス:アサシン
真名:マリア(仮称)
出典:不明(狩人)
地域:不明
属性:混沌・中庸
性別:女性
身長・体重:158cm・??kg
■ パラメータ
筋力:C 耐久:C
敏捷:A+ 魔力:D
幸運:D 宝具:B~EX
■ 概要
かつて獣を狩る狩人であった存在の、若き側面にして分岐可能性そのものが結実した姿。
後にバーサーカー、あるいはフォーリナーとして召喚されるに至る存在の“前段階”であり、まだ人の理に留まりながらも、既にその外側へ踏み出す素質を内包している。
この個体は「実際に上位者となった結果」「葬送の狩人となった結果」ではなく、無数の可能性を“実績としてカウントされた存在”である。
ゆえに完成体である他二つの側面ほどの能力は持たない。
しかしあらゆる可能性を常に内包している
未完成であるがゆえに、最も“狩人らしい”形で召喚された側面。
■ クラススキル
■ 気配遮断:A+
存在を環境へ溶け込ませることで完全に隠蔽する。
静止状態においては感知は極めて困難。
加えて本個体は、攻撃動作直前まで気配を曖昧化できるため、
実戦ではランク以上の奇襲性能を発揮する。
保有スキル
狩人の直感:A
死地を潜り続けたことで獲得した異常な戦闘感覚。
死角・殺意・行動の“起点”を感覚的に捉える。
フォーリナー時の「多層観測」ほどではないが、
純粋な戦闘適応としては最も完成度が高い段階。
獣狩り:A
獣、ならびに理性を逸脱した存在への特効。
バーサーカー・フォーリナー時よりも“純化”されており、
この段階ではまだ明確に「狩る側」の性質が強い。
未踏の可能性:A
本個体の核となるスキル。
「上位者へ至る可能性」
「無数の狩りを経て変質する未来」
それらが“未確定のまま重ね合わされている状態”。
生存本能:B+
極限状況において致命を回避する能力。
理性ではなく経験による反射。
死線を越えるほど精度が増す。
啓蒙(未成熟):C
前段階の認識拡張。
異常の兆候を感知
幻術・隠蔽への耐性
ただし完全な“視認”には至らず、
まだ人間としての認識に留まる。