遠野志貴は日常に戻った。しかし、彼の心は満たされないままだった。秋葉や翡翠、琥珀との穏やかな日々。弓塚さつきとのぎこちない関係。その全てが、あの月夜に別れた金髪の吸血鬼の不在を、より色濃く感じさせた。
彼は決意した。ただ待つのではなく、自分から会いに行こう、と。
シエル先輩から断片的な情報をかき集め、自身の「繋がりを視る」瞳の力を頼りに、彼は途方もない旅の果てに、ついにその場所にたどり着いた。
現実と幻想の狭間に存在する、アルクェイドの玉座――千年城ブリュンスタッド。
城の中は、静寂に満ちていた。
そして、玉座の間に、彼女はいた。
眠っているはずのアルクェイドは、まるで彼の来訪を予期していたかのように、静かに目を開けた。
「……来たんだ、シキ」
その声は、記憶の中の天真爛漫な響きとは違い、少しだけか細く、寂しげだった。
「ああ、会いに来た。約束しただろ」
短い言葉の応酬。だが、その間には、離れていた時間の全てを埋めるほどの想いが満ちていた。彼女は玉座から降り、彼の胸に顔をうずめた。温かい。生きている。その事実だけで、志貴は満たされた。
しかし、幸せな時間は長くは続かなかった。
アルクェイドの身体が、微かに震え始めたのだ。彼女の瞳が、時折、ぞっとするような深紅に染まる。
「……ダメ。もう、限界みたい」
彼女は、志貴の血を吸いたいという、抗いがたい衝動と必死に戦っていた。このまま彼の側にいれば、いつか彼を傷つけてしまう。殺してしまうかもしれない。
「シキ、お願い。私を、ここから連れ出さないで」
「アルクェイド……!」
「私は、ここで眠るしかないの。それが、真祖の姫としての、私の在り方だから。でも……でも、嬉しかった。本当に会いに来てくれた。それだけで、私は、また永い夢を見られる」
彼女はそう言うと、最後の力を振り絞るように、志貴に口づけた。
そして、彼の腕の中で、再び深い、深い眠りへと落ちていった。その寝顔は、とても幸せそうで、そして同じくらい、悲しそうだった。
志貴は、眠る彼女を玉座にそっと横たえると、静かに城を後にした。
涙は出なかった。ただ、心の奥底で、一つの決意が固まった。
(待ってるだけじゃダメなんだ)
(あんたが眠っている間に、俺が終わらせる)
(あんたを苦しめる、吸血衝動なんていう下らない呪いを)
(あんたを狙う、鬱陶しい吸血鬼どもを)
(全部、全部、俺が殺してやる)
(だから、次に目覚めた時は、もう何も心配するな)
(今度こそ、太陽の下で、ずっと一緒に笑っていよう)
その日、遠野志貴は、ただの高校生であることを完全にやめた。
彼は、たった一人の愛する女性を救うため、世界中の「死」を狩り集める「殺人貴」となったのだ。
千年城で、アルクェイドが再び眠りにつく直前。
彼女は、自らの魔力で編み上げた、一つの指輪を志貴に手渡した。それは、月の光を凝縮したような、白く輝くシンプルな指輪だった。
「シキ、これを持ってて」
「これは……?」
「私の一部。これがあれば、私がどこにいても、シキのこと、感じていられるから。……それに、お守り。シキが、無茶しないように」
それは、彼女なりの「繋がり」であり、束縛であり、そして何よりも深い愛情の証だった。志貴が危険な目に遭えば、指輪は微かに熱を帯びて、遠い眠りの中にいる彼女にそれを伝える。
「……分かった。必ず、迎えに行く。この指輪と一緒に」
志貴は、その指輪を左手の薬指にはめた。それは、法的な意味を持つものではない。だが、二人にとっては、どんな誓いの言葉よりも重い、魂の契約だった。
彼は、この指輪に誓ったのだ。彼女を必ず救い出すと。