「その女、何者だ? その魂、ただの人間のものじゃない。俺の『眼』が、そう告げている」
直死の魔眼が、物陰に隠れる白野を射抜く。それは、獲物の価値を冷徹に見定める鑑定士のようであり、急所を探る捕食者の視線でもあった。白野は、その視線に射すくめられたかのように身動き一つ取れない。魂の奥底まで見透かされ、その存在の根源を暴かれるような、冒涜的な感覚に襲われる。
「……彼女は、関係ない」
その二人の間に、衛宮士郎が割り込んだ。左腕は力なく垂れ下がり、額から流れた血が視界を赤く染めている。満身創痍。それでも、彼の右手に握られた投影剣の輝きは、まだ消えていなかった。彼は、残った右腕一本で白野を守る盾となるべく、再び立ち上がったのだ。
「関係なくはないだろう。その魂の在り方は、明らかに人の理から外れている。俺が狩るべき『吸血鬼』の類と、どこか似た匂いがする」
志貴は淡々と告げる。彼の言葉に、悪意はない。ただ、自身の「眼」が捉えた事実を、事実として述べているだけだ。
「彼女は……俺が守ると決めた人だ。お前が何を言おうと、手出しはさせない」
士郎は神楽の構えを解き、ただ目の前の男を睨みつける。もはや剣技で敵う相手ではないことは、骨身に染みて理解していた。だが、この場を引く気は毛頭なかった。
その折れない覚悟を見た志貴は、ふっと息を吐いた。彼の身体から、先ほどまでの爆発的な魔力が霧散していく。指輪の輝きも、穏やかな月の光へと変わった。
5分の制限時間にはまだ余裕があったが、彼は自ら力を収めたのだ。
「……残り、3分40秒。無駄な時間を使った」
志貴は忍刀を鞘に納めると、無言で士郎に背を向けた。
「待て……お前の名前を、聞いていない」
士郎は、痛む身体を叱咤して声を絞り出した。
その問いに、男は足を止め、ゆっくりと振り返った。
「……遠野、志貴」
彼は短く、事務的に名乗った。
「お前は」
「衛宮士郎」
「衛宮……士郎」
志貴は、その名前を反芻するように呟くと、再び背を向けた。
「言ったはずだ。俺の目的は吸血鬼だけだ。お前たちを殺す理由も、時間もない」
その声は、先ほどまでの感情のない響きとは違い、真冬の夜気のような、研ぎ澄まされた冷たさを帯びていた。
「衛宮士郎。お前の理想は、俺には眩しすぎる。だが、一つだけ忠告しておく」
「……」
「俺は、俺の目的のためなら、なんだって殺す。たとえそれが、お前のような『正義の味方』だったとしてもだ」
「次に俺の邪魔をしてみろ。その時は、お前の腕じゃなく、心臓の『点』を殺す。容赦なく、だ」
それは、絶対的な強者からの、慈悲も情けもない最終通告だった。
士郎は、何も言い返せなかった。実力差は歴然。そして、何より、彼の瞳の奥にある、揺るぎない覚悟の重さが、痛いほど伝わってきたからだ。彼もまた、自分と同じように、何かを守るために全てを懸けて戦っているのだと。
「……覚えておけ」
それだけを言い残し、遠野志貴の姿は、夜の闇へと完全に溶けていった。
後に残されたのは、破壊された裏路地と、圧倒的な敗北感に打ちのめされる士郎、そして、ただ呆然と立ち尽くす白野だけだった。
「シロウ……腕、が……」
白野が、震える声で士郎に駆け寄る。
「……ああ、大丈夫だ。死にはしない」
士郎は、力なく笑おうとして、顔を歪めた。
左腕の激痛よりも、心の奥底に深く突き刺さった敗北の棘の方が、ずっと、ずっと痛かった。
自分の信じる正義が、全く通用しない相手。
自分と同じように、大切な誰かのために戦う、もう一人の「自分」。
衛宮士郎は、この日、初めて本当の意味で「世界」の広さと、自身の「理想」の脆さを、思い知らされたのだった。