Fate/Cross Dimensions   作:水成

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第十九話:最強の個人授業

遠野志貴が意識を取り戻した時、最初に感じたのは、嗅ぎ慣れない白檀の香りだった。

 

身体を起こすと、そこは静謐な和室で、自分は上等な布団の上に寝かされていた。破壊された遠野邸ではなく、見知らぬ、しかし格式の高い屋敷の一室。

 

「お、起きた?気分はどうよ、殺人貴クン」

 

障子の向こうから、あの軽薄な声がした。

 

見れば、部屋の隅に、五条悟が座椅子にふんぞり返って茶をすすっている。目隠しは外され、代わりにサングラスをかけていた。

 

「……ここは」

 

「僕ん家。五条家だよ。君、丸一日寝てたんだからね」

 

志貴は、即座に状況を理解した。自分は、あの男に捕らえられたのだ。

 

彼は、すぐさま布団から出ようとする。だが、全身に走る倦怠感が、彼の動きを鈍らせた。無量空処の後遺症だ。

 

「まあまあ、そう焦んなさんな。お嬢ちゃん――秋葉チャンなら、ちゃんと遠野の屋敷に送り返して、記憶もちょちょいと弄っておいたから。兄妹喧嘩で家壊しちゃった、テヘペロ♪ってことで丸く収まってる」

 

「……」

 

「君のことも、僕が『保護』したってことになってる。だから、君が今ここで僕を殺しても、誰も文句は言わないよ?できるもんなら、だけど」

 

五条は、挑発するように笑う。

 

志貴は、無言で立ち上がると、部屋の出口へと向かった。ここでこの男とやり合っても、勝算はない。今はただ、この場を離れるのが最優先だ。

 

「おっと、もう行っちゃうの?せっかく面白いオモチャが手に入ったと思ったのに、つれないねぇ」

 

五条は、志貴の前に回り込むように、一瞬で移動した。

 

「どけ」

 

「まあ、そう言わずにさ。一つ、面白い話をしてやるよ」

 

五条は、教えたがりの教師のような顔で、人差し指を立てた。

 

「君のその眼、確かに凄いよ。僕の無下限を殺した時は、マジで肝が冷えた。でもね、君の戦い方、あまりにも『一点特化』すぎるんだよね。当たらなければ、どうということはない。そう思わない?」

 

「……何が言いたい」

 

「君さ、もっと強くなれるよ。僕が、その方法を教えてあげよう」

 

五条は、楽しそうに語り始めた。

 

「君が僕に負けた理由、分かる?それは、君が自分の『世界』を持っていないからだ。君は、既存の世界のルールの上で、その『死』をなぞっているだけ。だから、僕みたいに、自分だけのルールで『世界』を上書きする奴には勝てない」

 

彼は、固有結界と領域展開の違いを、昨夜秋葉にしたのと同じように、しかしより詳細に説き始めた。世界を塗り替えるのではなく、世界の上に自分のルールを建築する、効率的な現代呪術の極致。

 

「要は、自分の術式を、結界で相手に押し付けるんだよ。そうすりゃ、攻撃は『必中』になる。君の場合、『直死の魔眼』が必中になるってこと。やばくない?」

 

志貴は、その長々とした講釈を、心底呆れた顔で聞いていた。この男は、敵である自分に、なぜここまで手の内を明かすのか。理解できない。

 

だが、彼の脳は、五条の言葉を正確に理解し、そして、自身の能力に当てはめて再構築していた。

 

(……領域展開。自分のルールを結界で押し付ける……)

(俺のルールは、「死」。ならば、俺の領域は……)

 

志貴の脳裏に、一つのイメージが浮かび上がった。

 

灰色の世界。万物が持つ、無数の「死の線」。

 

その世界に、相手を引きずり込む。そして、その空間内では、「生きている」という概念そのものが「死」に近づいていく。存在しているだけで、あらゆるものが崩壊へと向かう、終末の庭。

 

(……それだけじゃない。その先がある)

 

領域の押し合いになった時、より洗練された術こそが勝つ。ならば、自分の領域を、さらに凝縮し、一点に収束させたら?

 

領域の必中効果を、たった一振りの刃に込める。

 

それは、「斬る」という行為そのものが、相手の「死」という結果に直結する、因果律を逆転させる一撃。

 

回避も、防御も、再生すらも意味をなさない。斬られた時点で、相手の「死」は確定する。

 

「……」

 

志貴は、無意識のうちに、自身の領域展開、そしてその先にある奥義の輪郭を、確かに掴んでいた。

 

「お、何か掴んだ顔してるね。流石、僕が見込んだだけのことはある」

 

五条は、満足げに頷いた。

 

志貴は、ふっと息を吐くと、五条に向き直った。

 

「……くだらないお喋りは、それで終わりか。礼を言う気はないが、一つだけ、お前が喜びそうな情報をくれてやる」

 

「へぇ?」

 

「衛宮士郎、という魔術師がいる。属性は『日』。お前が言うところの『化石』――固有結界の使い手だ。そいつの隣には、岸波白野という女がいる。その魂は、おそらく人間じゃない。そいつらに会いに行け。俺の代わりに、お前がかき回してやれ」

 

志貴は、それがこの男への、ささやかな意趣返しになるだろうと考えた。

 

だが、五条の反応は、彼の予想とは全く違っていた。

 

「ああ、知ってるよ。その二人」

 

五条は、こともなげに言った。

 

「赤い髪の『太陽』の少年と、茶色の髪の『月』の少女だろ?もちろん、君のこともね。『死』を視る眼の暗殺者クン」

 

「……なぜ、知っている」

 

「僕のこの眼を、なめないでほしいな」

 

五条は、自身のサングラスを少しだけずらし、その奥にある蒼い瞳を覗かせた。

 

「僕の『六眼』はね、ただ魔力が見えるだけじゃない。世界中に張り巡らされた龍脈を通じて、特異な魂が放つ『運命の輝き』みたいなものも、視えちまうんだよ」

 

彼は、すっと立ち上がると、窓の外に広がる空を見上げた。

 

「太陽、月、そして死。三つの特異な星が、今、ヨーロッパで交錯している。それは、僕の眼から見ても、かなり面白い光景だ」

 

「……」

 

「そして、その三つの星の運命の線は、どういうわけか、この日本で、僕という『無限』の星と、複雑に絡み合う未来を指し示している」

 

五条は、振り返ると、悪戯っぽく笑った。

 

「つまり、君がわざわざ教えに来てくれなくても、僕らはどのみち出会う運命だったってこと。面白くない?」

 

志貴は、言葉を失った。

 

目の前の男は、自分たちが駒として踊る盤上を、遥か上空から見下ろしている。そんな、絶対的な上位者としての視点を持っていた。

 

「だから、行きなよ。君は君のやるべきことをやればいい」

 

五.条.は、もう彼を止める気はないようだった。

 

「……次に会う時は、殺す」

 

志貴は、それだけを言い残し、今度こそ屋敷を後にした。

 

「楽しみに待ってるよ」

 

一人残された部屋で、五条悟は、楽しそうに呟いた。

 

太陽、月、死、そして無限。

 

四つの理不尽な力が、一つの舞台に集う時、一体どんな物語が生まれるのか。

 

「……とはいえ」

 

彼は、ポンと手を打った。

 

「運命なんて、待ってるだけじゃ退屈だよね」

 

最強の男は、考える。

 

どうせ出会うのなら、こっちから出向いて、ちょっとちょっかいを出してやるのも面白いかもしれない。あの「化石」クンが、どんな顔をするか。

 

「よし、決めた!」

 

五条は、携帯電話を取り出すと、どこかへ電話をかけた。

 

「もしもし、伊地知?悪いけど、ヨーロッパ行きのプライベートジェット、今すぐ手配して。行き先は……そうだな、とりあえず『太陽』と『月』が一番強く輝いてる場所で」

最強の男の、気まぐれな思いつき。

 

それは、誰にも予測できない、新たな混沌の始まりだった。

運命の歯車は、彼の退屈しのぎによって、さらに加速していく。

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