フランスの片田舎。ラベンダーの香りが風に乗って運ばれてくる、穏やかな昼下がり。
衛宮士郎と岸波白野は、小さな村で、また「便利屋」を営んでいた。今日は、老夫婦が営む農場の、壊れたトラクターを修理している。
「よし、こんなもんか」
油にまみれた手で、士郎が最後のボルトを締める。彼の傍らで、白野が手際よく工具を手渡したり、汗を拭うタオルを差し出したりしていた。この一年で、二人の連携は、まるで長年連れ添った夫婦のように、阿吽の呼吸となっていた。
「ありがとう、ムッシュ・シロウ!これでまた畑が耕せるよ」
農場の主人が、満面の笑みで礼を言う。
「マドモアゼル・ハクノも、いつもありがとうね」
「ううん、気にしないで」
白野は、はにかむように笑った。彼女の表情は、士郎と出会った頃の硬さが嘘のように、柔らかく、豊かになっていた。
旅を続けながら、二人は互いにとって、かけがえのない存在になっていた。
士郎は、セイバーとの再会という、果てしない夢を追い続ける中で、隣にいる白野の存在が、いつしか心の支えになっていることに気づいていた。彼女の笑顔を見るたび、胸の奥が温かくなる。この日常が、ずっと続けばいいと、柄にもなく願ってしまう自分がいた。
白野もまた、失われた記憶の断片――「赤い外套の背中」を追い求めながら、士郎の存在に救われていた。彼が作る温かい食事。不器用だけど、決して見捨てない優しさ。彼の隣が、いつしか自分の「居場所」になっていた。彼の背中を見ていると、探している「誰か」の背中と、時々重なって見える。そのたびに、胸が甘く、そして少しだけ痛んだ。
それは、紛れもない恋心だった。
だが、二人には、それぞれ決して譲れない「探し人」がいる。その事実が、互いの気持ちに気づくことを、無意識にためらわせていた。この心地よい関係が、壊れてしまうことを恐れるように。
その日の夕暮れ。
仕事を終えた二人が、村はずれの丘の上で、夕食の準備をしていた時だった。
「――やあ、君たちが噂の『太陽』クンと『月』チャンかな?」
突如、背後から、場違いなほど明るく、軽薄な声がした。
士郎は、即座に「黎明」の柄に手をかけ、振り返る。白野も、彼の背中に隠れるように身構えた。
そこに立っていたのは、一人の長身の男だった。
黒いシンプルな服装に、サングラス。雪のように白い髪が、夕陽に照らされて輝いている。どう見ても、こののどかな田舎村の住人ではない。何より、その男からは、魔力や殺気といったものが、一切感じられなかった。それが、逆に不気味だった。
「誰だ、お前は」
士郎が、警戒を露わに問いかける。
「僕は五条悟。ただの観光客だよ」
男――五条悟は、ひらひらと手を振ると、悪びれもせずに二人が準備していたスープの鍋を覗き込んだ。
「へぇ、美味そうじゃん。僕も一口もらっていい?」
「ふざけるな。目的は何だ」
「目的ねぇ……。まあ、強いて言うなら、君たちの『実力測定』ってとこかな」
五条は、にっこりと笑うと、そのサングラスを少しだけずらした。
その奥から現れた、空の全てを映したような、蒼い瞳。
「六眼」
その瞳が、二人を「視た」瞬間。
士郎は、自身の魔術回路、起源、投影の能力、ヒノカミ神楽の練度、その全てを、魂の芯まで丸裸にされるような感覚に陥った。
白野もまた、自身の魂が、かつてムーンセルにあった頃の情報体の構造まで、完全に解析されていくのを感じ、戦慄した。
「なるほどねぇ……」
五条は、満足げに頷いた。
「君が、衛宮士郎。属性『日』、起源『剣』。面白いね、君。理想を追い求めるあまり、自分自身がその理想の『剣』になろうとしてる。歪んでるけど、悪くない。うん、実にイイ」
「そして、君が岸波白野。魂の構造は、やっぱり月の情報生命体(アレ)に近いか。でも、肉体と完全に癒着して、新しい個として確立されつつある。へぇ、奇跡のハイブリッドって感じ?」
初対面の相手に、自分たちの根源を、いとも簡単に見抜かれる。
士郎と白野は、言葉を失った。目の前の男は、自分たちとは次元が違う、規格外の存在だ。
「さて、と」
五条は、楽しそうにパン、と手を叩いた。
「自己紹介も済んだことだし、早速始めようか」
「……何を、だ」
「決まってるでしょ」
五条は、満面の笑みで、告げた。
「君たち二人がかりで、僕と戦ってみなよ。大丈夫、死なない程度には手加減してあげるから」
最強の男は、まるで子供に遊んでやると言うかのように、二人に宣戦布告した。
フランスの穏やかな夕暮れは、理不尽な「無限」の力によって、唐突に終わりを告げようとしていた。