「――ガハッ……!」
固有結界を内側から破壊されるという、ありえない現象。それは、衛宮士郎の精神と魔術回路に、致命的なダメージを与えた。彼は大量の血を吐き、地面に崩れ落ちる。もはや、指一本動かすことすらできない。
「士郎っ!」
その惨状を見て、今まで息を殺して戦いを見守っていた岸波白野が、悲鳴に近い声を上げて駆け寄った。彼女は、倒れた士郎の身体を抱きかかえ、必死にその名を呼ぶ。
「士郎、しっかりして!士郎!」
「……はく……の……」
士郎は、かろうじて目を開けるが、その瞳は虚ろだった。自分の全てである「無限の剣製」が、まるで子供の砂の城のように、いとも簡単に破壊された。その事実が、彼の心を、誇りを、粉々に打ち砕いていた。
白野は、士郎の無事(とは到底言えないが)を確認すると、その顔を上げ、ゆっくりと立ち上がった。そして、その瞳で、元凶である男――五条悟を、強く、強く睨みつけた。
その瞳には、恐怖はなかった。ただ、大切な人を傷つけられたことに対する、静かで、しかし燃えるような怒りが宿っていた。
その純粋な敵意を受けて、五条は、わざとらしく両手を広げた。
「おっと、そんな目で見ないでよ。まるで僕が悪者みたいじゃんか。ただの『実力測定』だって、最初に言ったでしょ?」
その態度は、どこまでもふざけていて、白野の怒りをさらに煽る。
「……まだだ」
その時、絞り出すような声がした。
見れば、衛宮士郎が、白野の肩を借りて、震える足で、ゆっくりと立ち上がろうとしていた。その身体はボロボロで、立っているのがやっとの状態。魔術回路はズタズタで、もはや投影魔術の一つも使えるかどうか怪しい。
「士郎、もうやめて!あなたの身体が……!」
「うるさい……!まだ……まだ、やれる……!」
彼は、諦めていなかった。
たとえ、自分の世界が壊されようと、理想が踏みにじられようと、この目の前の理不尽に、屈するわけにはいかなかった。それは、セイバーと交わした約束を、自分の生き様そのものを、否定することになるからだ。
「……へぇ」
その姿を見て、五条悟は、初めて少しだけ感心したような表情を見せた。
「ボロボロじゃん。もう何もできないくせに、まだやる気?根性だけは、認めてあげるよ」
だが、その評価は、次の瞬間、冷たい宣告に変わった。
「でもね、根性だけじゃ、どうにもならないことがあるんだよ。特に、僕みたいな『本物』を相手にした時はね」
五条は、静かに指を組んだ。
「君たちが信じてるその魔術が、どれだけ時代遅れの化石なのか。僕が、直々に教えてあげる。これが、『新時代の魔術』だよ」
彼は、かつて遠野志貴に見せた時と同じように、しかし、目の前の二人を壊さないよう、完璧に出力を調整する。
「領域展開――『無量空処』」
次の瞬間、士郎と白野の世界は、反転した。
夕暮れの丘は消え去り、二人は、無限に広がる宇宙空間の中心に立たされていた。
「――な……」
「――あ……」
美しい。
だが、その美しさに心を奪われた、次の瞬間。
――知覚が、始まった。
生きるために必要な、ありとあらゆる情報が、二人の脳に、止めどなく流れ込んできた。
士郎の脳裏には、彼が理想とする「正義の味方」の、ありとあらゆる可能性、その成功と、それ以上の無数の失敗の光景が、無限に再生される。
白野の脳裏には、彼女が追い求める「赤い外套の背中」の、その正体に至るまでの、全ての情報、全ての記録が、ムーンセルのアーカイブを遥かに超える密度で流れ込んでくる。
思考が、完結しない。
行動が、できない。
ただ、無限の情報を受け取り続けるだけの、生きた彫像と化す。
やがて、領域が解除され、世界は元の丘に戻った。
「……」
「……」
衛宮士郎と岸波白野は、一言も発することなく、その場に糸が切れた人形のように、静かに崩れ落ちた。その瞳からは光が消え、焦点が合っていない。
「どう?分かったでしょ」
五条は、行動不能になった二人を見下ろし、静かに告げた。
「君たちの戦場は、あまりにも狭い。もっと、世界は広いんだよ」
最強の男が与えた、あまりにも理不尽な個人授業。
それは、二人の心に、決して消えることのない「絶望」と、そして、まだ見ぬ「世界」への渇望を、深く刻み込んだのだった。