Fate/Cross Dimensions   作:水成

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第三十話:明けぬ夜

もはや、抵抗する力は残っていなかった。

投影した干将・莫耶は白野の圧倒的な力の前に、幾度となく砕け散った。黎明を失い、ヒノカミ神楽の炎を十全に纏えぬ士郎の剣技では、階梯Ⅷの死徒と化した彼女の動きに到底ついていくことはできなかった。

 

ついに、白野の鋭い爪が士郎の足を払い、彼は背中から地面に叩きつけられる。受け身も取れず、肺から空気が押し出された。後頭部を強打し、視界が白く点滅する。

 

「……が、はっ……」

もう、指一本動かせない。

魔術回路は焼き切れんばかりに酷使され、全身から夥しい量の血が流れている。

 

終わりだ。士郎はそれを悟った。

目の前に、白野がゆっくりと覆いかぶさってくる。

その血のように朱い瞳には、飢えと渇望だけが渦巻いていた。

それでも士郎は、その瞳をまっすぐに見つめ返した。

 

(……すまない、白野)

心の中で謝罪する。

守ると誓ったのに、守れなかった。

お前を、独りにしてしまう。

 

(すまない……セイバー)

お前との約束も、果たせそうにない。

 

士郎は静かに目を閉じた。

白野は目の前の「餌」の首筋に、ゆっくりと顔を近づける。

その動きにほんの僅かな、コンマ数秒のためらいがあったことを、観客であるアルトルージュだけが見抜いていた。魂の奥底に残るかつての絆の残滓が、本能に抗っていたのかもしれない。

 

だが、渇望は躊躇いを上回った。

白野は、その鋭い牙をためらいを振り払うかのように、士郎の首筋に深く突き立てた。

 

「――ッ!」

士郎の身体が大きく痙攣する。

温かい生命が、魂が、ごくり、ごくりと白野の中へと流れ込んでいく。

 

ああ、これで、本当に――

その、全てが終わるはずだった瞬間。

奇跡が、起こった。

 

「……え……?」

士郎の血を吸っていた白野の動きが、ぴたりと止まった。

彼女の身体が小刻みに震え始める。

そして、その血のように朱かった瞳に、徐々に、徐々に、かつての理性の光が戻り始めた。

 

「……し……ろう……?」

か細い、掠れた声。

それは紛れもなく、士郎が知る岸波白野の声だった。

 

「……は、くの……?」

士郎は薄れゆく意識の中で、信じられない思いで彼女の名を呼んだ。

 

白野は自分が何をしているのかを理解し、弾かれたように士郎から身を離した。

自分の唇に残る、血の感触。

目の前で血を流して倒れている、愛する人の姿。

そして、自分の口元から覗く鋭い牙。

 

「あ……あ……ああああああああああああああっ!!」

絶叫が、夜空に響き渡った。

それは、自分が人ならざるものになり、そして最も傷つけたくなかった人をその手で傷つけてしまったことへの、魂からの悲鳴だった。

 

「……なるほど。そういうこと」

その一部始終を見ていたアルトルージュは、最初は驚きに目を見開いていたが、すぐに全てを理解し、歓喜に打ち震え始めた。

「そうか! お前の血か、衛宮士郎! お前の魔術属性は『日』! その血には、死徒にとって毒であるはずの太陽の力が宿っている! だから、私の呪いを一時的にではあるが、中和することができたのか!」

 

彼女は狂ったように笑い出した。

「面白い! 面白いじゃない! 最高よ! これ以上の見世物がある!?」

 

愛する人を救うには、その血を吸わなければならない吸血鬼。

愛する人を救うには、その身を捧げて血を吸わせ続けなければならない人間。

 

「なんて歪で、なんて美しい関係なの! あなたたち、最高の玩具よ!」

アルトルージュは心底楽しそうに、腹を抱えて笑った。

「いいわ、見逃してあげる。このまま放置しておいた方が、もっともっと面白いものが見れそうだもの!」

 

彼女は満足げに言い放つと、ふっとその姿を闇に溶かすように消え去った。

 

後に残されたのは、静寂だけ。

 

「士郎……! 士郎……! しっかりして……!」

白野は涙を流しながら、瀕死の士郎に駆け寄る。

だが、彼女の身体は再び吸血衝動の波に襲われ始めていた。士郎の血によって得た理性は、あくまで一時的なもの。すぐにまた、理性のない獣に戻ってしまうだろう。

 

その事実を、士郎もまた悟っていた。

彼は朦朧とする意識の中、それでもはっきりと、白野に告げた。

「……白野。俺の血を……好きなだけ、吸え」

 

「……え?」

白野は、彼の言葉が信じられなかった。

 

「それで……お前の理性が保てるのなら……構わない」

士郎は力なく微笑んだ。

「俺は、お前と話がしたい。獣じゃない……岸波白野と、話をしたいんだ」

 

それは、衛宮士郎という男の究極の自己犠牲。

そして、彼なりの最大限の愛情表現だった。

 

しかし、その言葉は白野の心を、さらに深く引き裂いた。

「嫌……! 嫌よ……!」

白野は涙を流しながら、首を横に振った。

「もう、吸いたくない……! あなたの血なんて、もう二度と……!」

 

彼女は後ずさる。

士郎の身体からどれだけの血が流れたか、分かっている。

これ以上吸えば、彼は本当に死んでしまうかもしれない。

 

「そんなことしたら、士郎が死んじゃう……! あなたのいない世界なんて、私、いらない……!」

 

「白野……」

 

「私が我慢すればいい……! 私が、獣になればいい……! だから、お願いだから、そんなこと言わないで……!」

 

愛しているから、彼の血を吸って彼と話していたい。

愛しているから、彼の血を吸わずに彼に生きていてほしい。

 

あまりにも残酷で、あまりにも優しいすれ違い。

絶望的な矛盾の中で、白野はただ泣き叫ぶことしかできなかった。

士郎の血によって灯った束の間の理性の光が、再び吸血衝動の闇に飲まれようとしている。

 

二人の長い夜は、まだ明ける気配すらなかった。

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