「嫌……! 嫌よ……!」
白野の悲痛な叫びも虚しく、彼女の瞳から再び理性の光が急速に失われていく。
士郎の血によって得られた、あまりにも短い安寧。その効果が切れ、再び荒れ狂う吸血衝動の嵐が彼女の魂を支配しようとしていた。
「ア……ァ……ゥ……」
白野は頭を抱え、必死に本能に抗おうとする。
だが、一度知ってしまった極上の「餌」の匂いが、彼女の思考を麻痺させていく。
獣のように四つん這いになり、涎を垂らしながら、ゆっくりと倒れている士郎へと這い寄っていく。
(……それで、いい)
士郎は、その光景を朦朧とする意識の中で見ていた。
不思議と恐怖はなかった。むしろ、安堵に近い感情があった。
自分の血で、彼女が「岸波白野」でいられる時間が少しでも生まれるのなら。
この身が朽ち果てようと、それで本望だ。
白野の牙が、再び煌めりと光る。
今度こそ、本当に終わりだ。
士郎は静かに、その時を待った。
だが、その意識が完全に途切れる、まさにその寸前。
『――士郎!』
遠くで、理性が戻った白野が必死に自分の名を呼んでいる声がした。
そして、もう一つ。
『――間に合わなかったか。やれやれ、面倒なことになったね』
聞き覚えのある、軽薄で、しかし絶対的な強者の声が、すぐ側で呟いたのが聞こえた気がした。
次に士郎が目を覚ました時、そこは見慣れない、しかし清潔なシーツの敷かれたベッドの上だった。
身体の痛みは驚くほど引いている。夥しく流したはずの血液も補充されているかのように、身体が軽い。
「……っ!?」
士郎は勢いよく身体を起こした。
そして、部屋の中にいる二人の男の姿を見て絶句する。
一人は、見覚えのある胡散臭いアイマスクをつけた白髪の男。
「よっ、お目覚め? 太陽クン。丸1日も寝てたよ」
五条悟が、ひらひらと手を振っている。
そして、もう一人。
赤い包帯を目に巻き、此岸の全てを拒絶するかのような冷たい空気を纏った、黒衣の青年。
「……遠野、志貴……」
かつて、圧倒的な力で自分をねじ伏せた「殺人貴」。
「なぜ、お前たちがここに……」
士郎は警戒を露わにしながら問う。
だが、それよりも先に確認しなければならないことがあった。
部屋を見渡し、そして廊下にも気配を探る。
しかし、どこにも彼女の気配がない。
「……白野は?」
士郎の声が震えた。
「白野はどこだ! お前たち、まさか……!」
最悪の可能性が頭をよぎり、士郎は激昂してベッドから飛び降りようとする。
その肩を、遠野志貴が静かに、しかし有無を言わせぬ力で押さえた。
「落ち着け。殺してはいない」
志貴は淡々とした口調で告げた。
「あの女なら、地下室にいる」
「地下室……?」
「ああ。日が昇っているからな」
志貴は窓の外に広がる青空に、忌々しげに目をやった。
「理性が戻っただけで、人に戻ったわけじゃない。あいつはもう『死徒』だ。日の光を浴びれば、塵になる」
その言葉が、士郎の胸に改めて重く突き刺さる。
白野は、もう太陽の下を歩けない。
「まあ、そういうこと」
五条悟が話を引き継いだ。
「僕らが駆けつけた時、君は瀕死。月チャンは、正気と狂気を行ったり来たり。危うく、君が喰い殺される寸前だったってわけ」
五条はそこで一度言葉を切ると、残酷な事実をあっさりと告げた。
「で、色々調べてみたんだけどさ。月チャンの理性を保つ方法、やっぱり一つしかないみたいだね」
彼は人差し指を立てて、にっこりと笑う。
「恐らく、一日に一回以上、君の『太陽の血』を吸うこと。それが、彼女が『岸波白野』でいるための、唯一の条件だよ」