「恐らく、一日に一回以上、君の『太陽の血』を吸うこと。それが、彼女が『岸波白野』でいるための、唯一の条件だよ」
五条悟によって告げられた、あまりにも残酷な条件。
それは衛宮士郎にとって、実質的な「終身刑」の宣告にも等しかった。毎日、自分の生命を切り売りし、愛する少女を生かし続ける。その先に待つのが、緩やかな死であると分かっていても。
五条と志貴は、固唾を飲んで士郎の反応を待った。
常人であれば絶望し、逡巡し、あるいは拒絶するだろう。そんな地獄を受け入れられるはずがない。
だが、衛宮士郎の答えは、最初から決まっていた。
彼は、一瞬たりとも迷わなかった。
「……そうか」
ただ静かにそれだけを呟くと、彼はまるで今日の夕食の献立を決めるかのように、あっさりと頷いた。
「なんだ、そんなことか。安いもんだ」
その顔には悲壮感も、絶望も、自己犠牲の気負いすらなかった。
ただ、当たり前のこととしてその運命を受け入れている。
愛する少女を救えるのなら。彼女が「岸波白野」として笑ってくれる時間が一日でも増えるのなら。自分の命など、塵芥ほどにも価値はない。
その歪な献身性は、もはや狂気と呼ぶべき領域に達していた。
その異常なまでの覚悟を目の当たりにして、五条は「やれやれ」と肩をすくめ、そして遠野志貴は、その目に静かだが確かな怒りの色を宿した。
「……安い、だと?」
志貴が、低い声で士郎に問う。
「お前は、自分が何を言っているのか分かっているのか」
「ああ、分かっている。白野が人として生き続けるために、俺の血が必要だ。それだけのことだろう」
「それだけ、だと……?」
志貴は一歩、士郎に詰め寄った。その全身から放たれる殺気は、以前対峙した時よりもさらに研ぎ澄まされている。
「では、問う。衛宮士郎」
志貴は、その赤い包帯の奥から、まるで魂を射抜くかのように士郎を見据えた。
「その女が、いつかお前の血でも抑えきれなくなり、完全に理性を失って、ただ人を殺すだけの化け物に堕ちた時――お前は、その手で、あの女を殺せるのか?」
その問いは刃物となって、士郎の覚悟の核心を抉る。
人を助けるために剣を振るう男が、愛した女を、その手で殺す。
その矛盾を、お前は受け入れられるのか、と。
そして、その言葉を発した瞬間、志貴の脳裏にもまた同じ問いが突き刺さっていた。
(――もし、アルクェイドが暴走し、ただ暴れまわるだけの堕ちた真祖になった時、自分は、彼女を殺せるのか?)
その問いから、彼は、ずっと目を逸らし続けてきた。
士郎は、言葉に詰まった。
人を殺す。ましてや、それが白野であるなど考えたことすらなかった。
彼の理想は、誰も死なない世界。誰も悲しまない世界。そのために、この身を捧げてきたはずだった。
その、僅かな沈黙が答えだった。
志貴はフンと鼻を鳴らすと、軽蔑を隠そうともせずに言い放った。
「……偽善者が。その半端な覚悟で化け物の隣に立つな。お前のような奴がいるから、悲劇が生まれる」
その言葉は、まるで志貴自身に言い聞かせているかのようだった。
その二人の、あまりにも痛々しいやり取りを見て、五条悟は、やれやれとわざとらしく大きなため息をついた。
「……ねぇ、志貴クン」
五条はアイマスクを少しずらしながら、哀れむような、それでいてどこか面白がるような目で志貴を見た。
「それ、君自身にも言ってるんじゃないの?」
「……何?」
「『化け物に堕ちた時、殺せるのか』ってさ。それ、そっくりそのまま君が背負ってる地獄そのものじゃないか。僕の眼には、お見通しだよ」
五条の言葉に、志貴はぐっと息を詰まらせる。
最強の男の「六眼」は、彼の過去も、彼の覚悟も、そして彼の心の奥底にある迷いさえも、全て見抜いていた。
「……黙れ」
志貴はそれだけを絞り出すと、踵を返して部屋を出て行こうとした。
三人の男。
一人は、愛する人を救うため自らの命を差し出す覚悟を決めた男。
一人は、愛する人を救うためいつかその命を奪う覚悟を迫られている男。
そして、一人は、その二つの地獄を高みから見物する、最強の男。
運命は、あまりにも皮肉な形で彼らを引き合わせた。
それぞれの地獄を背負った者たちの、奇妙な共同生活が、今、始まろうとしていた。