最終的な目標は、「黒血の月蝕姫」アルトルージュ・ブリュンスタッドの討伐。
その一点で三人の男の目的は一致した。しかし、死徒の王とも呼ばれる彼女の居場所は、当然ながら皆目見当もつかない。世界中の闇に紛れ、気まぐれに遊戯を続ける吸血姫を捕捉するのは至難の業だった。
こうして、彼らの奇妙な共同生活が始まった。
ひとまずの方針は、情報収集。五条悟が持つ日本古来の呪術組織のネットワーク、遠野志貴が持つ裏社会の情報網、そして衛宮士郎が持つ世界を放浪する中で得た断片的な知識。それらを総動員して、アルトルージュの痕跡を追うことになった。
昼間。
陽の光が、世界を明るく照らしている時間。
それは岸波白野にとっては、決して出ることのできない「牢獄」の時間だった。
地下室で彼女は一人、静かに夜を待つ。士郎たち三人は、その間にそれぞれの方法で情報を集めに奔走した。
そして、夜。
一日が終わるその合図と共に、士郎は一人で地下室へと下りていく。
それは、彼と白野だけの神聖で、そしてあまりにも痛みを伴う儀式の時間だった。
「……士郎」
「ああ、来たぞ」
士郎は何も言わずに、白野の前に腕を差し出す。
白野はもう拒絶しなかった。涙を流すことも、もうなかった。ただ、感謝と、そして深い罪悪感をその瞳に宿しながら、彼の腕にそっと牙を立てる。
ごくり、と士郎の生命が彼女の中へと流れ込んでいく。
その温かい「太陽」の力が荒れ狂う吸血衝動を鎮め、彼女に「岸波白野」としての時間を与えてくれる。
士郎は血を吸われながら、痛みに顔をしかめることもなく、ただ優しく彼女の頭を撫でるのだった。
その光景を、遠野志貴は少し離れた場所から静かに見ていた。
毎日繰り返される、夜毎の契約。
その光景を見るたびに、彼の心にはある一つの「もしも」が、悪魔の囁きのように浮かび上がっていた。
(――もし、アルクェイドが、衛宮士郎の血を吸えば)
千年城で自らの吸血衝動と戦いながら、永い眠りについている愛しい吸血姫。
彼女もまた、理性を失う恐怖と戦っている。
もし、この男の「太陽の血」があれば、彼女は理性を保ったまま目覚めることができるのではないか?
共に、夜を歩くことができるのではないか?
だが、その考えが浮かぶたびに、志貴は奥歯を強く噛みしめた。
(……そんなこと、死んでも頼めるか)
その理由は、一つではない。
彼の脳裏に、ロアとの死闘の後、朝日の中で消えゆく彼女が言ったあの言葉が蘇る。
『――好きだから、吸わない』
それは、アルクェイドが遠野志貴という人間を愛したからこその、究極の誓い。
彼の血を吸ってしまえば、二人の関係は捕食者と被食者のそれに堕ちてしまう。だから彼女は、どれだけ苦しくても彼の血を求めなかった。
その気高い誓いを、自分が汚すことなどできるはずがない。
そして、もう一つ。
志貴の心を支配する、より黒く、独善的な感情。
(……冗談じゃない)
愛する女が、自分以外の男の血を吸って生きながらえる。
そんな光景を、この目で見ていられるはずがない。
たとえ、それが彼女を救う唯一の道だったとしても、そんな屈辱的な現実は到底受け入れられない。
それは、彼の男としてのささやかで、しかし絶対的なプライドだった。
志貴は、静かに踵を返した。
その背中は、深い無力感に満ちていた。
遠野の家を捨てた。
学校の友人たちとの日常を捨てた。
妹との絆さえ、断ち切ろうとした。
アルクェイドを救うためなら、全てを捨てる覚悟だった。
だというのに、自分は何一つ、彼女を救う術を持っていない。
ただ、彼女の姉であるアルトルージュを殺すという、不確かな希望にすがるしかない。
(……結局、俺は、無力だ)
自嘲の笑みが、口元に浮かぶ。
愛する女性一人、救うことのできない、ただの殺人鬼。
ふと、彼の脳裏にあの偽善者の顔が浮かんだ。
衛宮士郎。
あの男は、自分の命を差し出すことに何の躊躇いもなかった。
(……もし、衛宮士郎が、今の俺の立場だったら)
志貴は、考える。
あの男なら、どうするだろうか。
きっと、自分のプライドや独占欲など、あっさりと捨ててしまうのだろう。
アルクェイドの誓いを尊重しつつも、それでも彼女を救うためなら、と。
頭を下げて、土下座をしてでも、自分に「彼女を助けてくれ」と頼み込むのかもしれない。
(……馬鹿な男だ)
そう結論づけて、志貴は自嘲を深めた。
あの男のやり方は理解できないし、到底、真似などできない。
だが、同時に心のどこかで、その在り方を眩しく感じている自分もいた。
自分にはない、他者を信じ、頼ることのできる強さ。
それこそが、衛宮士郎という男の本質なのかもしれない。
それぞれの地獄を抱えながら、彼らの長い夜は静かに更けていくのだった。