五条悟は、苛立っていた。
彼の「六眼」は、この世のあらゆる呪力や魔力の流れを情報の奔流として捉えることができる。だが、アルトルージュ・ブリュンスタッドという存在は、その観測網からあまりにも巧みに姿を消していた。
(恐らく、ヨーロッパのどこかにあいつの拠点となる城があるはずだ)
それは、ほぼ確信に近い推測だった。真祖や高位の死徒は、自らの力を十全に揮える「領地」を持つ。問題は、その場所がどこなのか全く尻尾を掴ませないことだった。日本国内の呪術組織から、海外の魔術協会に貸しを作って得た情報まで、あらゆるネットワークを駆使しても結果は同じ。アルトルージュの動向は、完全に霧の中だった。
「……いっそのこと、こっちからデカい花火でも打ち上げて、あちらさんから来てくれれば楽なんだけどねぇ」
一人、夜空を見上げながら五条は呟く。
例えば、自分が本気で「茈」でも放てば、その膨大な魔力の奔流に嫌でも気づくだろう。
だが、その考えはすぐに打ち消した。
(ダメだな。アルトルージュの戦力が、あまりにも未知数すぎる)
プライミッツ・マーダーという人類悪(ビースト)候補を従え、数多の死徒二十七祖を支配下に置く、事実上の死徒の王。その戦力は一個人でどうこうできる規模を、もしかしたら超えているかもしれない。下手に刺激して、最悪のカードを全て切らせるような事態は避けるべきだった。今は耐え忍び、情報を集め、必勝の策を練るしかない。
らしくない、地道な作業。それが、五条の苛立ちをさらに加速させていた。
そんな思考の合間、彼の視線は自然と、地下室へと続く扉に向けられる。
今頃、あの二人は夜毎の痛みを伴う契約を交わしている頃だろう。
その光景を思い浮かべるだけで、五条の胸には重い自己嫌悪がずしりと圧し掛かった。
(……分かっていたはずなのにな)
彼の「六眼」は未来予知の能力ではない。だが、因果の流れ、運命の兆候を、常人には理解できないレベルで「視る」ことができる。
衛宮士郎と岸波白野。この二人が、いずれアルトルージュという絶対的な悪意によって、取り返しのつかない不幸に見舞われること。その予兆は、確かに視えていた。
だというのに、自分は間に合わなかった。
いや、間に合わせようとしなかった、と言うべきか。
「面白いオモチャ」を見つけたという、ただそれだけの好奇心で彼らの運命に介入するタイミングを逸した。その結果が、今のあの二人の姿だ。
「……俺は、いつもこうだ」
自嘲の言葉が、口をついて出る。
彼の脳裏に、決して忘れることのできない青い春の記憶が蘇る。
学生時代。とある少女の護衛任務があった。
当時の自分は今ほどの絶対的な強さこそなかったものの、それでも「最強」を名乗るには十分すぎる力を持っていた。楽勝な任務のはずだった。
なのに、その少女は自分の目の前で、あっさりと殺された。
守れるはずの命を、取りこぼした。
それだけじゃない。
たった一人しかいなかった、唯一無二の親友。
道を違え、最悪の呪詛師となった彼を、最後はこの手で殺した。
救う、という選択肢はそこにはなかった。
自分は、いつもこうだ。
「最強」の力を持っているのに、本当に守りたいものは何一つ守れない。
結局のところ、自分はただの無力な人間だ。
神様ごっこをしているだけの、空っぽの器。
(そんな俺が、何を偉そうに若者たちを導こうとしてるんだか)
士郎に「日の奥義」の可能性を示唆し、白野に戦う術を与え、志貴に「領域」の極意を説いた。
それは、彼らを強くするため?
違う。
ただ、自分が壊してしまったオモチャを自分の手で修理して、もう一度、面白いショーが見たいだけ。
その醜いエゴイズムに、彼はとっくの昔に気づいていた。
「……笑えない冗談だよ、全く」
最強の男は、誰にも聞こえない声でそう呟いた。
その横顔は、いつも見せる軽薄な笑みとは程遠い、深い孤独と諦念に染まっていた。
それぞれの地獄を抱えながら、彼らの長い夜は、静かに更けていくのだった。