ゆっくりと、意識が浮上する。
夢の残滓が消え、最初に士郎の目に映ったのは、すぐ側で心配そうに自分を見つめる岸波白野の姿だった。
死徒となった彼女は、眠ることはない。士郎が夢の世界を彷徨っている間、ずっとこうして彼の寝顔を見ていたのだろう。
「……士郎?」
目が覚めたことに気づき、白野が安堵したように、か細い声で呼びかける。
その顔を見た瞬間、士郎の脳裏に、あの丘の上で交わしたもう一人の「自分」との最後の約束が鮮やかに蘇った。
『――あの子を……白野を、救ってやってくれ』
「……ああ」
士郎は短く、しかし力強く頷いた。
その瞳には、もう迷いも焦りもなかった。ただ、これから為すべきことだけを見据えた、鋼の光が宿っていた。
彼は白野の頬に一度だけ優しく触れると、何も言わずにベッドから立ち上がり、まっすぐに工房と化したガレージへと向かった。
ここから、衛宮士郎の常軌を逸した創造が始まった。
「――I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)」
彼は炉に火を入れ、槌を手に取った。
だが、そこに素材となるべき金属のインゴットはどこにもない。
彼はただ虚空を見つめ、そして自らの魂の奥深くへと意識を沈めていく。
アーチャーは言った。
『お前は、剣そのものだ』と。
ならば、答えは一つ。
自らの魂を、存在そのものを、この槌で叩き上げ、一本の刀へと昇華させる。
「――Steel is my body, and fire is my blood.(血潮は鉄で、心は硝子)」
カン、カン、カン、と。
ガレージに、槌音だけが響き渡る。
それは、もはや鍛冶の音ではなかった。自らの骨を砕き芯鉄とし、自らの血を沸騰させ鋼とし、自らの神経を焼き切り刃紋とする。衛宮士郎という一人の人間が、その存在の全てを一本の刀へと変換していく、壮絶な儀式だった。
その作業は、困難を極めた。
彼の身体からは汗のように大量の魔力が放出され、ガレージ全体が陽炎のように揺らめいている。
時折、その異様な気配に気づいた五条や志貴が、様子を見にガレージの入り口に姿を現した。
「うわ、何これ。魔力の密度がヤバすぎ。あいつ、本気で自分自身を打ち直してやがる」
五条は、その光景に面白がるような、それでいてどこか畏敬の念を込めた目を向けた。
「おーい、太陽クーン! 昨夜は月チャンと、ずいぶんとお楽しみだったみたいじゃないのさー?」
いつものように軽口を叩いて茶化してみる。
だが、その声は今の士郎には全く届いていなかった。
彼の意識は、完全に内なる世界に没入している。彼の視界には、槌と赤く熱せられた自らの魂の塊しか映っていなかった。
志貴は、何も言わなかった。
ただ、その常軌を逸した光景と、士郎から放たれるあまりにも純粋で、あまりにも歪な「何かを成し遂げようとする」意志の力に、静かに眉をひそめるだけだった。
どれくらいの時間が、経っただろうか。
一日か、三日か、あるいは一週間か。
時間の感覚は、とうに失われていた。
そして、ついにその瞬間が訪れる。
キィン、と。
最後に刀身を水に入れる、焼き入れの音が澄み切った音色で響き渡った。
それと同時に、ガレージを覆っていた凄まじい魔力の奔流が、嘘のようにすっと消え去る。
静寂。
その中央に、士郎は立っていた。
その顔は極度の消耗で青白く、立っているのが不思議なほどふらついている。
だが、その手には一本の刀が、確かに握られていた。
それは、これまで彼が創り上げてきたどの剣とも違う、異質な輝きを放っていた。
刀身は、まるで夜明け前の、一番暗い空の色を写し取ったかのような、深く吸い込まれるような黒。
しかし、その黒い刀身に走る刃紋は、まるで闇を切り裂いて昇る最初の太陽の光のように、黄金色の輝きを放っている。
美しく、そして、あまりにも禍々しい。
地獄の闇と、黎明の光。その二つの相反する概念を、一本の刀の中に矛盾なく同居させている。
衛宮士郎は、ついに成し遂げたのだ。
自らの魂に等しい、究極の一。
これから彼と、そして白野に降りかかるであろう全ての不幸と理不尽を、斬り拓くための希望の刃を。
彼は、その刀を静かに鞘に納めた。
そして、その刀に名を授ける。
「――黎明(れいめい)」
砕けたはずの、あの刀と同じ名を。
だが、その意味はもう、全く違う。
これは模倣ではない。彼が、その魂の全てを懸けて生み出した、唯一無二の始まりの剣。