岸波白野が黒い水面を抜けた先に見たものは、想像を絶するほどに豪奢で、そして悪趣味な光景だった。
天井からは血のように赤いシャンデリアが吊り下がり、壁には苦悶の表情を浮かべたまま剥製にされた歴戦の勇士たちの姿が飾られている。
アルクェイド・ブリュンスタッドの居城「千年城ブリュンスタッド」とはまた違う、彼女自身の歪んだ美意識で満たされた悪意の魔城。
白野はそこで驚くほど丁重にもてなされた。
侍女として仕える下級の死徒たちによって香油を注がれた風呂に入れられ、肌触りの良い豪奢な黒いドレスへと着替えさせられる。
あまりの丁重さに白野は逆に拍子抜けしていた。だが、ここは憎き敵の本拠地。一瞬たりとも気を抜くことはできない。
「どうかしら、そのドレス。あなたによく似合っているわ」
玉座に腰かけたアルトルージュが楽しげに声をかけてくる。
彼女はまるで古くからの友人と語らうかのように、屈託のない笑みで白野に話しかけた。
「ねえ、教えてちょうだい。恋っていうのはどういうものなの? 自分の命を懸けてまで誰かを守りたいと思うその気持ちは、どこから来るのかしら?」
「妊娠するってどんな気分? お腹の中に自分とは違う命があるって、不思議な感じでしょう?」
その問いの一つ一つが、白野の心を鋭いナイフのように抉っていく。
やがてアルトルージュは満足したように手を叩くと、宣言した。
「さあ、お食事の時間よ。あなたと、お腹の子のためにとびきり美味しいご飯を用意させたわ」
その言葉と共に、配下の死徒たちが銀の食器を次々とテーブルへと並べていく。
そして蓋が開けられた瞬間、白野は息を呑んだ。
そこに並べられていたのは、料理などではなかった。
皿の上には人間の皮膚がナプキンのように折り畳まれ、スープ皿には色とりどりの人間の目玉が浮かべられ、メインディッシュとしてまだ微かに動いている人間の臓器が鎮座していた。
「――ッ!!」
その光景と立ち上る濃厚な血の匂いに、白野の身体が本能的に反応する。
喉がカラカラに渇く。
牙が疼き始める。
抑えがたい強烈な吸血衝動が、彼女の理性を内側から食い破ろうとしていた。
「フフ……我慢しなくてもいいのよ?」
アルトルージュはそんな白野の様子を心底楽しそうに眺めながら、甘い声でそそのかす。
「別にあの男(衛宮士郎)の血でなくとも、他の人間の血を吸えばあなたの理性は一時的に戻るわ。もっとも……」
彼女はそこで言葉を切ると、残酷な真実を告げた。
「――その時はあなたの心も完全に、私たちと同じ本物の死徒になるけれど」
「さあ、お食べなさい。お腹の子のために栄養をつけないと」
アルトルージュは配下に目配せし、臓器の乗った皿を白野の目の前へと差し出させる。
「いや……やめて……!」
白野は必死に首を横に振り抵抗する。
だが、アルトルージュの力には到底逆らえない。
周囲を見渡せば、黒騎士リィゾ=バール・シュトラウトを始めとする二十七祖に匹敵するであろう強大な死徒たちが、値踏みするようにこちらを見ている。
逃げ場はない。助けも来ない。
目の前には人の血肉。
身体はそれを猛烈に欲している。
(もし、地獄というものが本当にあるのだとしたら)
白野は込み上げてくる絶望の中で思った。
(きっと、今ここがそうなのだろう)
彼女の瞳から再び涙が溢れ出した。
それは士郎の腕の中で流した歓喜の涙とは全く違う、魂が引き裂かれるような悲痛な絶望の涙だった。