最後の鎖が床に落ちて、数秒の沈黙。
やがて、玉座の上で眠っていたアルクェイドの瞼がぴくりと動いた。
そしてゆっくりと、その真紅の瞳が開かれる。
「ん……あれ……? しき……?」
眠たげな声で、彼女は目の前に立つ愛しい男の名を呼んだ。
そして、次の瞬間。
「しきぃぃぃぃぃっ!」
アルクェイドは玉座から飛び降りると、まるで久しぶりに飼い主に会った子犬のように、志貴の胸へと勢いよく飛び込んだ。
その勢いに、志貴はたたらを踏む。
「わ、ばかっ、アルクェイド! 急に飛びついてくるな!」
「だって、だって、会いたかったんだもの! ずっと夢の中で、しきのこと見てたんだから!」
彼女は志貴の胸に顔をぐりぐりと押し付けながら、甘えた声を出す。
感情豊かで無邪気で、そしてどこまでも気まぐれ。
その様子は最強の真祖というよりは、むしろ人懐っこい「猫」のようだった。
その光景を後ろで見ていた士郎と悟は、完全に拍子抜けしていた。
「……おい、悟。あれが本当に真祖の姫君か?」
「……俺に聞くなよ。まあでも、暴走する感じじゃなさそうだな。これなら大丈夫……か?」
二人がそんな会話を交わしていると、アルクェイドはふと、志貴の背後にいる二人の存在にようやく気がついた。
そして、その真紅の瞳がすっと細められる。
「……しき。この人たち、誰?」
先程までの能天気な雰囲気は完全に消え失せていた。
その声は冷たく、そして明確な敵意を帯びている。
「ああ、こいつらは――」
志貴が説明しようとするよりも早く、アルクェイドは何かを思い出したかのように呟いた。
「……ああ、そうか。あなたたち、しきと戦ってた人たちね」
彼女は眠りながらも、志貴がはめていた指輪を通して彼の見ていた光景を、夢のように断片的に見ていたのだ。
衛宮士郎との死闘。五条悟との、圧倒的な敗北。
その全てを。
次の瞬間、アルクェイドの全身から凄まじい殺気が放たれた。
「――ッ!?」
士郎は咄嗟に黎明に手をかけ、防御の姿勢を取る。
それは今まで彼が経験したことのない、異次元のプレッシャーだった。
アルトルージュの底なしの悪意とも違う。
五条悟の絶対的な強者の余裕とも違う。
ただ純粋な「力」そのもの。自然災害が意志を持ったかのような、抗いようのない絶対的な力の奔流。
そのあまりにも強大で底知れない力に、士郎はただ恐れおののくことしかできなかった。
だが、その隣で五条悟は全く違う反応を見せていた。
彼はその殺気を全身で浴びながら、不敵な笑みを浮かべていたのだ。
(……へぇ。これが、『真祖』か)
面白い。
今まで出会ったどんな存在とも違う。呪霊とも、死徒とも、魔術師とも、全く異なる世界の理そのものに近い根源的な力。
彼は改めて感じていた。
この世界にはまだ、自分の知らない面白い怪物がたくさんいるのだと。
「――やめろ、アルクェイド!」
志貴が鋭く彼女を諌める。
「こいつらはもう敵じゃない。俺たちの、味方だ」
その言葉に、アルクェイドは不満そうに唇を尖らせた。
「……でも、しきをいじめた」
「いいから。俺がそう言うんだから、いいんだ」
志貴に頭をぽんぽんと撫でられ、アルクェイドはしぶしぶといった様子でその殺気を霧が晴れるように霧散させた。
先程までの圧倒的なプレッシャーが嘘のようだ。
士郎は冷や汗を拭いながら隣の悟を見た。
悟は変わらず興味津々といった様子でアルクェイドを観察している。
士郎は改めて思った。
(とんでもない怪物を、目覚めさせてしまった……!)
この選択が果たして正しかったのか。
彼は、この気まぐれで底知れない力を持つ姫君が吉と出ることを、ただ祈るしかなかった。