衛宮士郎と遠野志貴がそれぞれの宿敵と死闘を繰り広げている、その同じ広間で次元の違う「戦い」が繰り広げられていた。
いや、それはもはや戦いと呼ぶにはあまりにも常軌を逸していた。
神々の遊戯。
そうとしか表現のしようがない光景だった。
「ハッ! はははっ! マジかよ、こいつ! 本当に当たらねぇ!」
五条悟は心の底から楽しそうに笑っていた。
彼の目の前で、巨大な白い獣――プライミッツ・マーダーが不可視の壁に牙を立て、虚空を爪で引き裂いている。
プライミッツ・マーダー。
その存在意義はただ一つ、「霊長の殺戮」。
その牙はあらゆる物理法則を無視し、対象の「死」という結果を直接もたらす。
その爪はあらゆる防御概念を切り裂き、魂そのものを殺傷する。
並の英霊や死徒であれば、その殺気に触れただけで存在が崩壊するだろう。
だが、その絶対的な「殺す」力は五条悟の前では意味をなさなかった。
牙が五条の喉元に迫る。しかし、その数ミリ手前で永遠に届かない。
爪が五条の心臓を抉らんと振るわれる。しかし、その切っ先は決して彼の肌に触れることはない。
収束する無限。
五条悟と世界の間に存在する「無下限」が、最強の殺戮者の牙をただの「届かないモノ」へと成り下がらせていた。
「お前の番は終わり! こっちの番だよ!」
悟は指先から空間を吸い込み圧縮する、術式順転「蒼」を放つ。
周囲の瓦礫や下級の死徒たちがその引力に抗えず、吸い込まれ一点へと圧縮されて消滅していく。
しかし、プライミッツ・マーダーはその四肢に異常なまでの力を込め、大地に爪を食い込ませることでその絶大な引力に真っ向から抵抗していた。
「――なら、こっちはどうだ!」
今度は反発の力。術式反転「赫」。
巨大な灼熱の衝撃波が、プライミッツ・マーダーを真正面から吹き飛ばす。
城の壁を何枚も突き破り、轟音と共に瓦礫の山に埋もれる。
「……さすがに効いたんじゃないか?」
だが、次の瞬間、瓦礫の山が内側から爆散した。
現れたプライミッツ・マーダーは、その白い毛皮を少し焦がしただけで、その瞳の殺意は一切衰えていない。
星が生み出した「災害」そのものであるこの怪物にとって、物理的な破壊はほとんど意味をなさなかった。
「ははっ! タフすぎだろ、お前! 最高かよ!」
五条はさらに笑う。
プライミッツ・マーダーもまた、初めて出会った「殺せない人間」を前にその闘争本能を剥き出しにしていた。
蒼が放たれ、赫が炸裂する。
殺戮の牙が無限に阻まれ、死を運ぶ爪が虚空を掻く。
互いに決定打を与えられないまま、二体の怪物の戦闘は城そのものを半壊させながら激化していく。
それは終わりの見えない天変地異のようだった。
しかし、その戦いが長引くにつれ、五条の表情から徐々に「楽しむ」色が消えていった。
(……チッ、キリがねぇな)
彼の六眼は、他の二つの戦いが既に佳境に入りつつあることを正確に捉えていた。
士郎はボロボロになりながらも、必死にもがいている。
志貴は宿敵を前に、自らの奥義の扉を開こうとしている。
そして、アルクェイドはもう玉座の間にたどり着こうとしている。
自分だけが、この不死身の番犬に足止めを食らっている。
このままでは、士郎や志貴が先に敵を倒してしまうかもしれない。
アルクェイドがアルトルージュを倒してしまうかもしれない。
そうなれば、自分は何のためにここに来たのか。
ただ犬と遊んでいただけか?
若人たちの成長を、ただ指をくわえて見ているだけか?
(……冗談じゃねぇ)
五条悟の心に、初めて明確な「焦り」が芽生えた。
それは敗北への恐怖ではない。
自分がこの物語の「主役」から降ろされることへの苛立ち。
「……悪いな、ワンちゃん」
五条は笑みを消し、その蒼い瞳に冷たい光を宿した。
「お前と遊んでやる時間は、もう終わりだ」
遊戯の時間は終わった。
最強の男はついに、この理不尽な怪物を本気で「殺す」ための算段を組み立て始める。
それはこの戦いが、次のステージへと移行する合図だった。