死徒が消滅した後、士郎は糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。
「シロウ!」
白野が駆け寄ると、彼の身体はまるで高熱に浮かされたように熱く、呼吸も荒い。新たな力は、彼の許容量を遥かに超える負荷を強いていたのだ。
白野は、船長や船員たちに事情を説明することなく(説明できるはずもなかったが)、ただ「ひどい熱病にかかった」とだけ告げ、士郎を彼の寝床だった船倉の薄暗い一室に運び込んだ。幸い、船員たちは夜中の騒ぎに誰も気づいていなかった。
「う……ぅ……」
士郎は苦しげに呻き、時折、意味をなさない言葉を呟いている。白野は、冷たい水に浸した布で彼の額を拭い、ただ寄り添うことしかできなかった。自分の無力さが、またしても胸を刺す。彼がこうなったのは、自分を守るためだ。それなのに、自分には何もできない。
(しっかりして、シロウ……)
祈るような気持ちで、彼女は汗ばんだ彼の手を握りしめた。その時、士郎の唇から、はっきりとした言葉が漏れた。
「やめろ……来るな……!」
彼は、悪夢に囚われていた。
それは、衛宮士郎という人間を構成する、原初の光景。
炎。炎。炎。
全てを焼き尽くす、冬木の大火災。人々の悲鳴。絶望の匂い。幼い士郎は、瓦礫の山の中で、ただ死を待っていた。助けを求める声も、もう出ない。
(ああ、ここで、死ぬのか)
諦念が心を支配した、その時。
空が、割れた。
天頂に、禍々しい孔が開き、そこから黒い泥が溢れ出す。それは、この世の全ての呪い。ありとあらゆる悪意の奔流。そして、その中心に輝くのは――黒い太陽だった。
闇を照らすのではなく、光を喰らい、希望を吸い尽くす、絶望の象徴。
地獄だ。
幼い士郎は、その光景にただ圧倒される。誰も助からない。世界が終わる。
だが、その地獄のまっただ中で、彼は一つの異物を見つけた。
燃え盛る瓦礫の山に、一本の刀が、まるで墓標のように突き立っていたのだ。
それは、見事なまでに反りの入った、一振りの日本刀だった。鞘はなく、剥き身の刀身が、黒い太陽の光を浴びて、鈍く、しかし確かな存在感を放っている。その刀は、周囲の炎にも、降り注ぐ呪いにも影響されず、ただ静かに、天を指していた。
美しい、と彼は思った。
この地獄の中で、唯一穢れず、その在り方を保っている。
折れず、曲がらず、ただひたすらに鋭く、研ぎ澄まされている。
(あれだ)
幼い士郎の魂が、叫んだ。
(あれに、なりたい)
正義の味方になりたい、という養父との約束よりも、もっと根源的な場所で。
あの刀こそが、自分の目指すべき到達点なのだと、彼は確信した。
誰かを守るためでも、世界を救うためでもない。
ただ、あの刀のように、あらゆる困難の中にあっても、己の在り方だけは決して曲げない、一本の「剣」として完成すること。
それが、衛宮士郎という存在の、本当の願い。
夢の中で、彼はその刀に向かって、手を伸ばす。
指先が、冷たい鋼に触れようとした、その瞬間――。
「シロウ!」
白野の呼び声で、士郎は悪夢から弾き出された。
全身は汗でぐっしょりと濡れ、心臓が激しく鼓動している。
「……キシナミ……?」
「よかった……すごくうなされていたから……」
安堵の表情を浮かべる白野の顔が、薄暗い船倉の中でぼんやりと見える。彼女の手に、自分の手が握られていることに気づき、士郎は慌てて手を引いた。
「……悪い、変な夢を見てた」
「地獄のような光景でしたか?」
白野の問いに、士郎は目を見開く。
「……なぜ、それを」
「あなたの魂が、そう叫んでいたから」白野は静かに答えた。
「あなたは、ずっと地獄の中にいる。でも、その中で、たった一つの星を見つけた……違う、星じゃない……もっと鋭い、剣のような光を……」
彼女は、月の女王としての資質で、士郎の魂の叫びを断片的に感じ取っていたのだ。
士郎は何も答えず、ただ自分の掌を見つめた。
あの夢。あの刀。そして、死徒と戦った時に握った、光の短剣。
バラバラだったピースが、繋がり始める。
俺が目指すのは、あの地獄に突き立つ一本の刀。
そして、俺が振るうべき力は、あの黒い太陽を焼き払う、本物の太陽の光。
「……そうか。そういうことか……」
士郎の口から、納得したような呟きが漏れた。
彼は、自分の進むべき道、鍛えるべき力の輪郭を、この悪夢と、隣にいる少女のおかげで、確かに掴んだのだ。
それは、ただの「剣」の投影ではない。
地獄の闇を切り裂く、黎明の光を宿した剣。
それこそが、衛宮士郎がこれから生涯をかけて鍛え上げていく、彼だけの宝具の原型だった。