「こんなのと遊んでないで……私と遊びなさいよ、志貴」
アルクェイドの狂気に満ちた声が響き渡る。
その瞳はもはや、志貴が知る天真爛漫な彼女のものではなかった。
どす黒い独占欲と、残忍な光が宿っている。
「が……はっ……!」
背後から心臓を貫かれた黒騎士は、苦悶の声を上げながら膝から崩れ落ちた。
だが、二十七祖第六位としての意地か。
彼は最後の力を振り絞り、魔剣をアルクェイドへと振り上げる。
「……裏切り、者……が……!」
しかし、その渾身の一撃はアルクェイドによって指先一つで止められた。
「――邪魔」
アルクェイドは心底つまらなそうに呟くと、黒騎士の魔剣を握り砕き、その身体を蹴り上げた。
宙に舞う黒騎士。
暴走したアルクェイドは、その逃げ場のない身体に容赦のない追撃を加える。
拳が、爪が、蹴りが、不可視の速度で叩き込まれ、その度に漆黒の鎧が砕け散り、肉体が引き裂かれていく。
それはもはや戦闘ではなかった。
一方的な蹂躙。
今まで志貴と互角の死闘を繰り広げていたのが嘘のように、黒騎士は赤子の手をひねるかの如く弄ばれる。
そして、最後。
アルクェイドはボロボロになった黒騎士の頭を掴むと、その紅い瞳を覗き込み、にっこりと笑った。
「ばいばい」
次の瞬間、黒騎士の頭部が破裂した。
かつて志貴の宿敵であった男は、こうしてあまりにもあっけない最期を遂げた。
「……あ……」
志貴は、そのあまりにも残忍な光景を前にただ立ち尽くすことしかできなかった。
一番恐れていたことが起きた。
アルクェイドが暴走した。
いや、これはただの暴走ではない。
アルトルージュに何かされたのだ。
その時、志貴はようやく気づいた。
左手の指輪から流れ込んでくる魔力の異質さに。
今まで感じていた清冽で力強い奔流ではない。
まるでヘドロのようにどす黒く淀んだ、不快な魔力。
黒騎士との戦闘中は必死で気づかなかった。
この魔力が、アルクェイドの精神状態を示している。
「ねぇ、志貴」
アルクェイドは返り血を浴びたまま、褒めてと言わんばかりの無邪気な笑顔で志貴の腕に絡みついてきた。
その仕草は以前と変わらない。
だが、その瞳の奥に宿る光は全くの別物だった。
「邪魔者は、いなくなったわ。さあ、帰りましょう? こんな汚い城、早く出て二人きりになりましょうよ」
「ああ、でも、その前に……」
アルクェイドはうっとりとした表情で呟く。
「ここにいる虫けら、全員殺してから帰りましょう?」
その言葉に、志貴は戦慄した。
彼女は本気で言っている。
士郎も、悟も、そしてまだどこかにいるであろう白野さえも、彼女にとってはもはやただの「虫けら」でしかない。
希望の光だったはずの最愛の女性は今、全てを破壊し尽くす最悪の絶望の獣と成り果てていた。
志貴の本当の地獄は、ここから始まる。
無邪気な、しかしあまりにも残忍なアルクェイドの言葉。
志貴は、その腕に絡みつく彼女の体温を感じながら、絶望的な現実を突きつけられていた。
希望の光は消えた。
目の前にいるのは、自分の愛した女性の姿をした別の何かだ。
その時、志貴の脳裏にかつて自らが衛宮士郎に投げかけた問いが蘇る。
『――その女がいつか完全な化け物に堕ちた時。お前は彼女を殺せるのか』
あの時、士郎は答えられなかった。
そして自分は、その覚悟のなさをどこかで見下していたのかもしれない。
だが、今。
その残酷な問いは、ブーメランのように自分自身に突き刺さっている。
(……ああ、そうか。今が、その時なのか)
志貴はゆっくりとアルクェイドの腕を振り払った。
そして、静かに忍刀を構え直す。
その切っ先は真っ直ぐに、アルクェイドの心臓へと向けられていた。
左手の指輪は未だ不気味な魔力を送り続けている。
だが、彼の瞳はもう迷ってはいなかった。
そこにはただ、冷徹なまでの覚悟が宿っていた。
「……アルクェイド」
志貴は静かに告げる。
その声は震えていなかった。
「お前を、殺してでも止める」
その言葉を聞いた瞬間、アルクェイドの無邪気な笑顔が凍りついた。
そして、次の瞬間には怒りと失望と、そして狂気が入り混じった凄まじい形相へと変わる。
「……どうして?」
「どうして、そんな態度をとるの?」
「私は、あなたのために邪魔者を殺してあげたのに!」
「どうして私の気持ちを分かってくれないのよッ!!」
アルクェイドの絶叫と共に、凄まじい魔力が迸る。
床が砕け、壁が崩れ落ち、城全体が彼女の怒りに共鳴するように激しく震えた。
「……もう、いいわ」
アルクェイドは涙を浮かべながら、しかしその口元には妖艶で悪魔のような笑みを浮かべていた。
「あなたがそう言うなら、仕方ない」
「力ずくで分からせてあげる」
「志貴を、殺してでも手に入れてあげるから」
かつて愛を誓い合った二人が今、互いに殺意を向けて対峙する。
それは、この物語で最も悲しく、そして最も救いのない死闘の始まりだった。